石河幹忠(もとただ)墓(酒門共有墓地 酒門町330)
篆額(てんがく 碑の上部に書かれた篆書体の題字)の水戸は三条実美(さねとみ)だそうです。石川幹忠は、徳川斉昭の藩主擁立や、その隠居謹慎処分雪冤(せつえん 無実を明らかにすること)のときに奔走し、勘定奉行や郡奉行となり藩政改革を行い、反射炉建築のときには建設担当になったそうです。明治16年に建てられたようです。写真では、右が「故水」、左が「戸藩」です。
石河幹忠墓(酒門共有墓地)
篆額の下にある墓誌の書は、明治の三筆といわれた日下部(くさかべ)東作(鳴鶴)だそうです。また、撰文は川田剛だそうです。
御製碑(水戸城二の丸 36°22'29.2"N 140°28'43.8"Eあたり)
昭和21年に建立された御製碑を書いたのは、水戸徳川家13代の徳川圀順だそうです。
水戸工兵隊跡碑(文京1-6-61)
昭和42年に建てられた碑で、書は津軽要塞司令官をつとめた工兵出身の陸軍少将・安井栄三郎だそうです。
江戸(水戸)街道宿場跡(本町2-1)
平成12年に建てられたそうです。書は山内光雲で、山内はこの他にも、「水戸大神楽発祥の地」や「徳川慶喜向学の地」の碑も書いているそうです。
水戸大師扁額(六地蔵寺 六反田町767)
本堂にかかっている額ですが、真言宗室生寺派大本山の室生寺(奈良県宇陀市)の管長・智明の書のようです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます