ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の千(1)

2021-01-19 20:58:42 | 水戸

 「千」の字がつく、水戸で見たあれこれです。

 

千波湖(千波町)
 千波は、岸に寄せてくる多くの波のことをいうようです。昔は仙波とも書かれたそうです。また、千波沼ともいわれたそうですが、湖は水深5m以上で水生植物が岸辺近くにしか生えていないものをいうそうなので、平均深度1.0mの千波湖は、定義上では沼のようで、千波沼がただしいといえるのでしょう。伝説では大男のダイダラボウが作ったことになっているそうです。写真は東岸側から見た正月の千波湖ですが、岸にはアオコが見えます。左側の建物は茨城県近代美術館です。

 

千体仏(中根寺 加倉井町595)
 境内にある千日堂に千体仏があります。数は千体もないそうですが、壁にぎっしりと小さな木造仏が並んでいます。11月15日がご開帳日だそうです。仏像の裏には戒名が書き込まれているそうです。

 

千手観音(仏性寺 栗崎町1984)
 千手千眼観音ともいい、観音菩薩の変化身(へんげしん)の一つだそうです。それぞれの手には目がついていて、頭上には9面や11面の頭もあるそうです。多くの手はどんな人間でも救済するということを表しているそうです。

 

千人針(水戸市平和記念館 中央1-4-1)
 召集されて出征する人の武運長久(無事の帰還)を願っておくられたものだそうです。木綿の白布に千人の女性が赤い糸で一針ずつ縫って結び目を入れてもらうのだそうですが、縫い目を虎の形にしたり、五銭や十銭硬貨を縫い込んだりもしたそうです。虎は「千里を行き千里を帰る」といわれたことから、五銭は「死線(四銭)を越える」、十銭は「苦線(九銭)を越える」ということからつくられたそうです。

 

千人供養地蔵(天王町9 36°22'23.1"N 140°27'33.2"Eあたり)
 このあたりで時々あったという鉄道自殺をした人の供養のため、大正7年に建てられたそうです。7人の世話人の中には神崎寺住職も加わっていたそうです。

コメント
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