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水戸の見て歩き

水戸で見た佐竹氏の家紋

2024-04-27 21:54:14 | 水戸

 平安時代から江戸時代初めまで、徳川氏よりも長い期間常陸(ひたち)を治めたという佐竹氏の名残りは、今に家紋という形でも水戸に残っているようです。佐竹氏の家紋は五本骨扇に月丸というそうです。以下はそのいくつかです。

 

水戸八幡宮神輿(八幡町8-54)
 佐竹義宣(よしのぶ)によって、常陸太田から現在の北見町に、水戸八幡宮は勧請されたそうです。神社の建物には家紋をつけることがあまりないのでしょうか、一通り見回ってみましたが家紋は見つかりませんでした。でも、神輿(みこし)には家紋がしっかりと飾られていました。 

 

天徳寺山門(河和田町914-1)
 天徳寺も、佐竹氏によって、水戸の現在東照宮のある地に勧請されたようです。その後、現在の祇園寺の地を経て、河和田の現在地に移ったそうです。山門に金箔を貼った家紋があります。水戸は、頼房以来、仏教嫌いの風があったそうで、寺もそうした背景の中で、佐竹氏の紋を残しているのでしょう。

 

円通寺旧建物瓦(千波町1227)
 大掾(だいじょう)氏以来の寺のようですが、佐竹氏も徳川氏も大檀那だったようです。でも、9代徳川斉昭の天保の改革で寄寺(よせでら)になり、家老の鈴木石見守(いわみのかみ)に跡地が与えられたりしたせいなのでしょうか、佐竹氏の紋が今にあるようです。天徳寺も円通寺に寄寺になり、さらにその円通寺も現・山方町の寺に寄寺になったそうです。

 

神応寺鬼瓦(元山町1-2-64)
 現・藤沢市にあった浄土宗・神応寺が焼失したそうですが、後北条氏に妨害されて再建できなかったそうです。佐竹氏の一族であった32代他阿(たあ)普光上人は、佐竹義宣を頼って水戸に神応寺の前身である藤沢道場を建てたそうです。鬼瓦に佐竹氏の花紋がつけられています。

 

光台寺瓦(上水戸3-1-39)
 遍照山義宣院(へんしょうざん ぎぜんいん)光台寺というそうで、佐竹義宣が現・栄町に開基した寺だそうです。ただ、その後、徳川光圀にとって土地を与えられて現在地に移った関係から、瓦などには三葉葵がつけられていて、佐竹氏の家紋は見られないようです。

水戸の佐竹氏ゆかり(4)


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