咸章堂(かんしょうどう)(水戸市立博物館 大町3-3-20)
本町で薬種業を営んだ岩田家に生まれた健文は、立原翠軒の指導の下に、拓本や法帖(書の模範とすべき筆跡を刷り物とした本)などの板行を手がけて、水戸藩の文化興隆に貢献したそうです。咸章堂の拓本の刷り物は水戸拓と呼ばれ、現在、北沢家に受け継がれているそうです。その健文の号が咸章堂だそうです。咸はすべての意味で、章はあきらかにするという意味のようですが、文章の章も意識しているのでしょうか。写真は水戸市立博物館に展示された、火災で焼け残った咸章堂の版木の一つだそうです。
蝦蟇石(がまいし)(好文亭 常盤町1-3-3)
蝦蟇石は、好文亭の庭から亭内に入るところにある沓脱ぎ石(くつぬぎいし)だそうです。もとは、廃寺になった羅漢寺にあったもので、御座の間の前にありますので、徳川斉昭もよく使ったのでしょう。石の表面に蝦蟇の背に似た斑文があって名づけられたそうです。
躑躅(つつじ てきちょく)の間(好文亭 常盤町1-3-3)
躑躅(てきちょく)は、「とどまりて足にて地をうつこと」という意味だそうです。中国には羊がツツジを食べるとそのような症状を起こすとか死ぬという話があるそうです。ツツジ科のアセビも馬酔木と書きますし、レンゲツツジは毒だといわれますので、普通のツツジも似たような成分を含んでいるのでしょうか。ただし、中国の躑躅と日本のツツジは別の種だそうです。
旌正之碑(せいせいのひ 本法寺 千波町2367)
会沢正志斎の墓に書かれた題字です。旌正は、正しさを明らかにするといった意味のようです。旌は、旗のことで、兵卒を元気づけて進めるために用いたそうですが、それがあらわすとか、功績や善行をほめて明らかにするという意味に使われたようです。
菁莪(せいが)遺徳碑(偕楽園 常盤町1-3-3)
菁莪は、原市之進の号と、開いた塾名(菁莪塾)だそうです。徳川慶喜の側用人として活動したものの、兵庫の開港を主張したために、幕臣によって暗殺されたそうです。菁は茂る様で、莪はアザミのことだそうです。詩経の小雅が出典だそうです。碑は偕楽園の梅園にあります。