ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の佐竹氏ゆかり(4)

2020-08-05 20:49:26 | 水戸

水戸城薬医門(三の丸1-5-38(水戸第一高等学校))
 本丸橋詰門だそうで、現在地の近くに佐竹義宣(よしのぶ)によって建てられたようです。知事屋敷の門になったり、祇園寺の門になったりして戻ってきたそうですが、祇園寺時代に昭和20年の空襲があり、そのために焼けずにすんだそうです。

 

市杵姫神社(いちきひめじんじゃ 本町1-6-17)
 義宣は天正19年(1591)に常陸太田から、城東の竹隈(たけくま)にうつしたそうです。市の神として、また、商売繁盛、豊作の神として信仰されてきたそうです。徳川の時代になり、田町越の時に、今の地へうつされたそうです。

 

神応寺(じんのうじ 元山町1-2-64)
 義宣の一族である32代遊行上人他阿(たあ)を招いて藤沢小路神生平(かみおだいら 現在の梅香2)に建てた藤沢道場がはじまりだそうです。その後神応寺と改名して、延宝8年(1680)に現在地へ移ったそうです。

 

宝鏡院不動尊(城東1-11)
 義宣が、常陸太田から代々の祈願所であった宝鏡院をうつしたそうです。その後、青柳へうつされて、ふたたび旧寺域の東端へもどったそうです。宝鏡院の境内にあった不動尊が今に残っているようです。

 

浄光寺(ひたちなか市館山8015)
 今の水戸一高の校庭には浄光寺があったそうですが、城郭整備のために、義宣はそれを常葉村(ときわむら)にうつしたそうです。現在、浄光寺はひたちなか市に徳川光圀によってうつされているそうです。

水戸の佐竹氏ゆかり(3) 


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