ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の酒の話(8)

2018-09-14 21:02:24 | 水戸

酒宴中に謹慎の情報
 安政5年(1858)にそれまでの青銅で大砲などを作る技術にかえて、那珂湊に当時の先端技術である鉄製造のための反射炉がつくられ、成功したそうです。その祝賀式の酒宴中に、安政の大獄の流れのなかで、徳川斉昭が謹慎となったという知らせが江戸から届いたために、酒宴は中止となり、せっかくの反射炉事業も休業になってしまったそうです。写真は、当時水戸藩だった、ひちなか市栄町1-10にある復元された反射炉です。

 

山岡鉄舟の七升酒
 水戸の士人でも随一という酒豪と酒を競ったそうです。士人は五升を飲んでその場に倒れてしまったそうですが、鉄舟は七升をあけてもなお余裕があったそうです。またある時には阿部川餅を108個を食べたといった両刀使いだったそうです。鉄舟は、西郷隆盛と勝海舟の会談を実現させた陰の人でもあったそうですが、茨城県参事という初代茨城県知事になった人でもあるそうです。写真は台東区谷中にある全生庵にある鉄舟の墓です。

 

木盃
 旧水高にあった暁鐘寮では、委員をつとめた人に記念品として木盃が贈られたそうです。旧制の水高は今でいえば高等学校ですから、大変な記念品だったようです。当時の水高生は、人生だ、ストームだなどといって大いに飲んでいたのでしょう。写真は第一中学の水高資料室にある盃です。

 

鯖バーガー
 木村屋(南町3-5-3)で売られている、鯖をはさんだバーガーです。吉久保酒造の清酒一品(サバディシュではないそうです)にひたした鯖を使っているそうです。

 

酒句
 少し前ですが、桂岸寺あじさいまつりで選ばれた句が飾ってありました。「御酒抱ふ堂の河童や四葩(よひら あじさいのこと)添ふ」です。この河童は、酔客が弁天宮に押し込んだのだそうですが、お寺もおおらかなようです。

水戸の酒の話(7)

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