ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の寄贈物(2)

2018-08-09 21:13:54 | 水戸

旧制水戸高等学校(茨城大学人文学科の前身)
  水高と呼ばれて多くの才能を育てた旧制水戸高校は、内田信也個人の寄付金でできた学校だそうです。高校開設必要資金は100万円で、その6割を地元が負担することになり、県では負担しきれないために寄付金を募集したそうです。明治13年に行方郡麻生村(現・行方市)に生まれた内田は、大正時代、いわゆる船成金として大きな資産を得て、大正7年に総額である100万円を寄付したそうです。2013年に写した茨城大学の写真です。

 

水戸神社(笠原町994)
  水戸神社は、かつて、大掾(だいじょう)氏、江戸氏の時代には水戸城本丸の東端に浄光寺とともにあり、城主の信仰を得ていたそうです。次いで佐竹氏は水戸神社を吉田神社へ移し、徳川斉昭がそれを今の笠原の地へ、笠原水道の守り神として移したそうです。その江戸氏の後裔であり、水高を出て、三井不動産社長になった江戸英雄は、水戸神社造営の資金を寄付したそうです。

 

常陸山橋
 第19代横綱常陸山は、水戸の出身で、「角聖」といわれ、相撲界に大きな貢献をしたそうですが、ふる里水戸に対しても、いろいろ尽くしているそうです。備前堀にかかる常陸山橋(今の橋は建て替えられたものだそうです)、神力宇賀大妙神(末広町2-1-40)の二の鳥居(第20代梅ヶ谷と共に)、泉町会館(泉町2-3-17)裏にかつてあった火の見などいろいろあったようです。写真は常陸山橋です。

 

茨城県近代美術館(千波町666-1)
 開館30周年記念として「美術館へのおくりもの」という企画が開催されていました。(2018/4/21-6/3) それによると、作者自身、その家族や友人、コレクター、企業など、いろいろな縁のある人などから、数多くの作品が寄贈されているそうでした。美術館が充実してゆくために、こうした善意による貢献の必要なことがよく分かりました。写真は、企画展開催中館内にあったフォトスポットです。

 

茨城県立歴史館(緑町2-1-15)
  館内に一橋徳川家記念室があります。一橋徳川家12代で東京帝大農学博士だった宗敬(むねよし)と、その妻で慶喜の孫であり、戦後開拓者の全国リーダーの一人となった幹子(もとこ)によって、昭和59年に寄贈された品々が展示されているそうです。伝来の絵画、書、刀剣、古文書、人形など5,600点が保存されているそうです。

水戸の寄贈物(1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする