身持(健康)にたいへん気をつかっていたという光圀は、当然ながら食に対しても同様だったようです。特に、明の亡命僧・朱舜水から教わった中国流健康食は、光圀のおう盛な好奇心からということもあったのでしょうが、いろいろ食生活に取り入れられたようです。
大塚屋という料理店を営んでいた大塚子之吉が、資料を広く探して、光圀の食を再現したそうです。本人が亡くなった現在、水戸ではそれを基礎にした「黄門料理」が各所で食べられます。
その資料で特に参考になったのは、僧侶・日乗(常陸太田・久昌寺の住職で、本町・能化稲荷建立のきっかけをつくった)の「日乗上人日記」と、安積覚(彰考館総裁で、格さんのモデル)の「舜水朱氏談綺(しゅんすいしゅしだんき)」などだそうです。
ラーメン
小麦粉に蓮根の粉を混ぜたものを朱舜水が献上したそうです。光圀はラーメン(明麺)を食べた初めての日本人だそうです。
白乳酪(はくにゅうらく)
「牛乳のすみたる処を酥(そ)とし凝(こり)たる処を酪(らく)とす」と「舜水朱氏談綺」にあるそうです。牛乳を煮詰めて十分の一にした、一種のチーズだそうです。
久呂万米(くろまめ)納豆
黒豆納豆は、元禄11年(1698)に、潮来・長楽寺の大嶽和尚が、光圀の隠居した西山荘に持参したものだそうで、胡椒や、粉山椒、麦こがしで味をつけていたそうです。光圀の食膳にあがっていたそうです。
餃子(ぎょうざ)
福包といったそうで、これも「舜水朱氏談綺」にあるそうです。餃子の具は、肉は鴨で、枸杞(クコ)や松の実、梅肉や椎茸が入っていたそうです。
鮭
光圀は鮭が大好きで、「一寸の厚さがある鮭の皮と三十五万(35万石の水戸藩)とをとりかえてもよい」とまでいったとか。水戸藩初代・頼房以来、甘漬鮭を朝廷と幕府に献上していたそうですが、これが済んで初めて鮭の販売が許可されたそうです。