流山市ゆうゆう大学を今春卒業した9期生の自然探索チームによる街歩き。
朝に降っていた雨も止み、薄日が指す絶好の街歩き日和となった。
集合場所となった流山電鉄平和台駅前広場に、今日参加するメンバー23名が
集合、半年ぶりに出会仲間も相変わらず元気で忙しそうだ。
流山市の旧市街地は、江戸時代の利根川改修により江戸川が出来、江戸川が江戸への
物資水運の拠点として繁栄してきた。
したがって、酒造やみりん生産による大商家が生まれ、水の便が良くなったことから
新田開発も活発に行われ豪農も出現した。
流山市の名産であった白みりんは、江戸の食生活を変え、日本全国へ出荷される
までになりました。
これらの商家の古市橋建物群や、一茶および新選組の足跡をたどり、往時に思いを
馳せ、我が街の歴史を再確認しました。
訪問地順に簡単に説明します。
① 陸軍馬の糧秣厰跡 → 軍馬の食糧集積、倉庫跡。現在は、スーパーマーケット、
全国チェーンの魚屋、県立高校等が建つ。(阿炎の出身校です)
② 赤城神社 → 上州赤城山の一部が流れ着いたとの伝説があり、10mの高台の
上に社殿が建つ。入り口には県内最大の重さ500Kgの大しめ縄が飾られている。
③ 光明院 → 一茶の地元の文人との連句碑があり、新選組が分宿した記録もある。
④ 一茶双樹庵 → 一茶はは地元の文人と交流があり、当地を数十回も訪れており、
一茶の業績を記念して、安政年間の家屋を改修して記念館として残している。
⑤ 新撰組本陣跡 → 新撰組が本陣とした鴻池醸造の跡地、建屋の礎石の一部が残る
のみで、当時の面影はない。
⑥ 焔魔堂 → 江戸時代に建立された閻魔像がまつられている。また、歌舞伎や狂言
で有名となった、当時の義賊、金子一乃丞と恋人の三千歳のお墓がある。
⑦ 常与寺 → 鎌倉時代の創建で、明治5年に流山学校(小学校)と、千葉大学の前進と
なる印旛官員共立学舎が創立され、教員養成学校となる。
⑧ 浅間神社 → 江戸時代初期の創建、新選組を包囲した時に政府軍の本陣が置かれた
場所で、富士山信仰があり、立派な富士塚を持つ。
⑨ その他、明治時代に建てられた豪総な家屋を見学
街歩きの後は、休日の食堂を開業していただき、美味しいランチを頂いた。
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