「流山の素浪人」の時々雑感・日々雑感

初老になった私の身の回りで起こる、何気ない出来事をブログにし、回転がめっきり遅くなった脳みそに「喝」を入れたい。

流山市の古い町並み歴史散歩

2019年11月18日 14時16分44秒 | 日記

流山市ゆうゆう大学を今春卒業した9期生の自然探索チームによる街歩き。

朝に降っていた雨も止み、薄日が指す絶好の街歩き日和となった。

集合場所となった流山電鉄平和台駅前広場に、今日参加するメンバー23名が

集合、半年ぶりに出会仲間も相変わらず元気で忙しそうだ。

流山市の旧市街地は、江戸時代の利根川改修により江戸川が出来、江戸川が江戸への

物資水運の拠点として繁栄してきた。

したがって、酒造やみりん生産による大商家が生まれ、水の便が良くなったことから

新田開発も活発に行われ豪農も出現した。

流山市の名産であった白みりんは、江戸の食生活を変え、日本全国へ出荷される

までになりました。

これらの商家の古市橋建物群や、一茶および新選組の足跡をたどり、往時に思いを

馳せ、我が街の歴史を再確認しました。

訪問地順に簡単に説明します。

①  陸軍馬の糧秣厰跡  →  軍馬の食糧集積、倉庫跡。現在は、スーパーマーケット、

      全国チェーンの魚屋、県立高校等が建つ。(阿炎の出身校です)

②  赤城神社  →  上州赤城山の一部が流れ着いたとの伝説があり、10mの高台の

      上に社殿が建つ。入り口には県内最大の重さ500Kgの大しめ縄が飾られている。

③  光明院  →  一茶の地元の文人との連句碑があり、新選組が分宿した記録もある。

④  一茶双樹庵  →  一茶はは地元の文人と交流があり、当地を数十回も訪れており、

      一茶の業績を記念して、安政年間の家屋を改修して記念館として残している。

⑤  新撰組本陣跡  →  新撰組が本陣とした鴻池醸造の跡地、建屋の礎石の一部が残る

     のみで、当時の面影はない。

⑥  焔魔堂  →  江戸時代に建立された閻魔像がまつられている。また、歌舞伎や狂言

       で有名となった、当時の義賊、金子一乃丞と恋人の三千歳のお墓がある。

⑦  常与寺  →  鎌倉時代の創建で、明治5年に流山学校(小学校)と、千葉大学の前進と

       なる印旛官員共立学舎が創立され、教員養成学校となる。

  

⑧  浅間神社  →  江戸時代初期の創建、新選組を包囲した時に政府軍の本陣が置かれた

        場所で、富士山信仰があり、立派な富士塚を持つ。

⑨  その他、明治時代に建てられた豪総な家屋を見学  

街歩きの後は、休日の食堂を開業していただき、美味しいランチを頂いた。

        

 

 


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