「流山の素浪人」の時々雑感・日々雑感

初老になった私の身の回りで起こる、何気ない出来事をブログにし、回転がめっきり遅くなった脳みそに「喝」を入れたい。

ジャズコン開催に苦労してます

2014年10月31日 22時48分00秒 | 日記

船橋市を拠点に活動する「The Third Coast Jazz Orchestra」を率いるコンサートマスターの
Tさんがホームベースとしている松戸駅に近い居酒屋で飲んで帰ってきた。



来年3月、流山市の生涯学習センターのホールで「東日本大震災4周年記念チャリティーコンサート」
を開くが、チャリティーと銘打つ以上大勢の人に来ていただき、流山市の姉妹都市である相馬市に
些少でもお役にたちたいと願っている。

ポスターや共演者の選定等について相談を受けているので、私の考えを伝え、何とかチャリティー
を成功させたいと願っている。
Tさんからある程度任されたので、観客動員を目指して、流山市のアーチストとの共演を考えて
市役所と交渉を開始することとする。

居酒屋では、雑誌編集者と同席になり大変楽しい飲み会になり、予定時間を大幅に過ぎて
しまった。


今日は、千葉県生涯大学のボランティア実習

2014年10月30日 17時48分47秒 | 日記

今日は、千葉県生涯大学のボランティア実習。
私たちのメンバーは7名で、チーム名を「みどりの防衛隊」として、
市役所等と相談しながら、ボランティア実習の場を市営日本庭園の
清掃および竹林整備を行っている。

今日で4回目のボランティア実習で、参加者の平均年齢ほぼ70歳の5人、
さすが大人チームで作業分担が自然とでき、予定以上に作業が進んだ。

今日も、ウオーキングで庭園を訪れたご夫婦「日本庭園は何処ですか?」
と聞かれる。「ここが日本庭園ですよ」と答えるが、日本庭園を訪れる
人が日本庭園と思っていないことに愕然とする。

庭園内の落ち葉の量は凄く、自作の竹箒を使い掃除を始めるが、
掃除した後から落ち葉が降ってくる。
でも、100Lの麻袋に6杯ほどの枯葉が集まった。集めた落ち葉は、
庭内で腐葉土として活用する。

<清掃前>


<清掃後>


当初の竹林内は、倒木、倒竹で歩くことさえ大変な状況だったが、
整備が終わった竹林内に「遊歩道」を作りたくなるほどの変貌ぶり。
大汗をかき、転げながらも、この状況を改めて眺めれば、苦労も
吹っ飛ぶ。

<整備前>
  


<整備後>
  

それでも竹林全体の2割程度が整備できた状況、月に一回の作業では
1年近くかかる予定だ。
枯れた竹を切ると、鋸の切れが悪くなる。鋸と鉈を提供してくれる
篤志家がいないかなぁ~。

<次回整備予定の状況>
 

ボランティア実習終了後に恒例となった、ごみ焼却場に隣接する
公営浴場で汗を流し、今日の反省と、次回の予定を話し合い解散した。


福一原発事故 避難地域訪問記(その2)

2014年10月29日 12時33分47秒 | 日記
昨日に続き、東日本大震災から3年が経過した平成26年4月26日に、
原発事故で流山市に緊急避難しているWさんの一時帰宅に同行した。

地震に続く津波で大きな被害を受けた浪江町請戸地区を訪問、ここは福一原発の
排気筒から3Km程の地域、放射線量はそれほど高くはないが立ち入りが厳しく
制限されていて、事前に申請・許可を得ていないと立ち入りができない。

 

1階が津波で破壊されてしまった請戸小学校を訪れたが、卒業式を明日に迎えた
3月11日大きな地震と津波に襲われた。
津波が来る恐れがあると判断した校長が、下校した1年生を除き生徒全員を集め、
徒歩で2Km先の高台に避難し、教師を含め全員が助かった。

請戸小学校の体育館では卒業式の準備が整っていた状況が今も残り、津波が襲った
午後3時37分を指したままで時計が止まっている。
止まっているのは時計だけではなく、ここでは、3.11から時も止まったままだ。

  

請戸小学校を訪れるのは3回目、前回もそうだったが、ここに立つと涙が流れて
止まらない。 

請戸地区は、請戸港を中心に魚市場や海鮮を提供する食堂、それに旅館や民宿で
賑わっていた。
一緒に行ったWさんも海産物を買いによく通った街だったと話すが、350戸の
を津波が襲い、大勢の人命を奪い、壊滅状態となったは荒涼とした荒野に
変貌してしまった。

  

放射能汚染で運び出せないのか瓦礫と化した車両が山積みされ、港から津波で
打ち上げられた漁船が何十隻も当時のまま放置されている。

 

福一原発に近く、空間放射線量が常に高いと言われている大熊町夫沢地区、
前回訪問した1月27日の国道6号側溝の線量が、雨上がりだったこともあり
82.9μsV/hと非常に高い値を示した。

  

国道6号線の通行に許可が必要なくなったが、一般国道でこの放射線量は異常で、
徹底的な除染した上で、通行規制解除すべきと思うが・・・、
今も福一原発から相当量の放射能が排出されているのではないかと危惧をする。

ここで立ち入り禁止区域を出て、昼間のみ立ち入りが許されている、立ち入り制限
地区の常磐線JR富岡駅を訪問。

   

富岡駅は海岸から1Km足らずにあり、津波が直接襲い駅舎は全て破壊された。
構内の路線には雑草が茂り、流されてきた自動車が駅前や路線上に放置されている。

ホームの上の駅名表示版が破壊され、津波の高さは地上から6m近くあったのでは
ないかと思われる。
また、駅前の民家の座敷には、津波で打ち上げられた軽トラが鎮座している。
立ち入り制限地区になっているとはいえ、未だに当時のまま復旧もされていない
姿に唖然とする。

 

「訪問後雑感」
 福一原発事故により、避難している人の一時帰宅に同行するのも今回で5回目と
なったが、ここと同じように地震や津波被害を受けた宮城や岩手では、十分とは
いえないが復旧が進み、復興に移っている地域も多くある。

しかし、ここでは復旧の鎚音もなく、人の営みもなく、子供が遊ぶ歓声もなく、
非常に悲しいことであるが、行方不明者の捜索すら十分に出来ず、3.11当時の
姿を晒している場所も多くある。

<富岡町の現状:社殿が今にも倒れそう、道路に崩れ落ちた家屋も放置>

 

避難している人たちは、家に帰っても放射能汚染された荷物を持ち出すことすら出来ず、
盗難にあい、野生動物に荒らされ、朽ちていくのを待っているだけとなっている。

原発で一度重大事故が起きれば、住み慣れた故郷を奪われ、生活の糧であった田畑や、
里山や、山林や、豊だった海までも奪われることを、福一原発事故が証明している。

政府は、停止中の原発の再稼働を進め、海外への原発輸出に積極的になっている。
日本を豊かにしてきたといわれる原発で事故が起き、12万人を超える人たちが
避難を余儀なくされている。

政府は、事故処理に8兆円を超える国費をつぎ込むことを決めているが、
広大な帰還困難地域の国有地化を検討しなければならない状況を考えると、
これからどれほどの国費が必要になるのか予想すらできない。

福島の現実を目の当たりに見て、日本国民は一度立ち止まり、冷静になって原子力
利用の将来を考える必要があると思います。 

福一原発事故 避難地域訪問記(その1)

2014年10月28日 12時35分54秒 | 日記
東日本大震災から3年が経過した平成26年4月26日に、流山市に緊急避難しているWさんの一時
帰宅に同行した。
今回5回目の訪問となるが、著名な放送作家のKさんも同行し、原発事故が地元にどのような影響を
与えているのか、マスコミ人の目で見てほしいとお誘いした。 早朝、流山を出発し常磐高速を北上、
大震災および原発事故の影響で広野IC以遠が通行止めになっていたが、修復や除染が進み富岡IC
まで開通している。

富岡ICに近づくと、空間線量を示す表示盤が設置されていて2.82μSV/hを示し、
警戒区域が近づいたことを実感させられる。
以前は比較的自由に車で通過できた帰還困難地域の大熊町や双葉町などの市街地入口
にはバリケードが設けられ、国道6号以外は通行できなくなっている。

  

今回の福島訪問目的の一つで、原発事故発生当時マスコミでも大きく取り上げられた
吉沢さんが経営する「希望牧場・ふくしま」を訪問。



原発事故当時、国から牛の強制と殺を通告されたが、国の政策に異議を唱え、近隣の
牧場から餓死寸前の牛を引き取り、福一原発の排気筒が遠望でき、皮肉にも福一原発
から関東に電気を送る送電鉄塔が立つ広大な牧場で300頭を超える牛たちを放牧し
続けている。

  

吉沢さんの牛への想いと、国や東電に対する不信感について1時間近く話し合い、
放射能汚染され肉牛として出荷できず、経営的には全く立ち行かないが、全国の支援者
からの援助と、個人の蓄えを元に、夜間立ち入り禁止となっている牧場内に寝泊まり
しながら牛たちと被曝覚悟で一緒に暮らしている。

国は、一刻も早くと殺し、土中埋設処分を求めてくるが、吉沢さんは証拠隠滅のための
と殺と土中埋設処分と考えている。
放射能汚染された牧場で、放射能汚染された地域で刈り取られた牧草で育った牛たちは
「生き証人」ではなく「生き証牛」であり、「最後の一頭まで見届け、放射能が生物に
与える影響について疫学的な検証をしたい」と吉沢さんが熱く語った。

ブラジルに渡り獣医として暮らしていたH氏も吉沢さんの意志に魅かれ、牛たちの面倒
を見ているが、福一原発事故以降、牛たちに過去に経験したことのない変化が表れている
という。その他にもボランティアの人たちや、放射能除染研究のため広島の大学と牧場を
自費で往復する学生等、決して安心できる環境ではない牧場で、みんなが何かに向かって
黙々と働いている姿に感動さえ覚える。

牧場を後にWさんの家を訪問、家の周りの放射線量を測定、屋根の雨水が流れ込む場所の
線量は6~8μsV/hと、当初から1/3程度になったとはいえ人が安心して住める状況で
はない。



また、隣の田畑に地震で起きた幅10m程の亀裂が走り、Wさんの家屋は、肉眼では
わからないが専門家の調査で若干傾いているそうだ。

それに加え、実家から100mほどの場所に除染で出た汚染土の「仮・仮置き場」が
できるとのことで、自然豊かな里山の故郷を捨て去る決断を早々に迫られそうだ。

昼食時になったが、ここでは当然のことであるが食事をするようなお店はなく、
今回も昼食抜きで、持って行ったスナック菓子で済ませることになった。
震災後、昼間5時間の滞在が可能になった南相馬市JR小高駅前で、いち早く開店した
「かとう理髪店」を訪問、復旧・復興のシンボルとして遠くの避難先からもお客が訪れた。

  

理髪店を開店したものの水道の復旧が昨年末、それまでは避難先からポリタンクで水を
持ち込み、水がなくなれば閉店するという状態が長く続いたそうだ。
また、NHK仙台が理髪店を取材に訪れていたが、我々が取材クルーを逆取材してしまった。

人の通りがほとんど見られない小高駅前のロータリーで、若い人たちが花壇の手入れしていた。
聴くと、隣町の相馬市の青年たちで「小高から避難している住民が、自宅の復旧に戻ってきた
ときに元気になってもらうために出来ることをやっているだけ」と話していた。



<明日に続く>   

料理は 芸術?科学?それとも文化?

2014年10月28日 09時29分51秒 | 日記
昨夜、仕事からの帰宅が遅くなった女房。
夕餉の支度、ご飯は私が炊いていたので、30分程で食卓が出来上がる。

家庭菜園で採ってきた白菜の間に、脂身の多い豚肉を挟みタジン鍋で
蒸し上げ、レンジで「チン」したジャガイモ、玉ねぎ、ニンジンを添えて、
味付けなど何もしないでポン酢でいただく。



それに、さんまの塩焼きに、キュウリとわかめの酢の物、少し寒くなった
昨夜の夕餉に熱燗を一本付けて至福の一時だった。

それにしても、料理とは芸術で、科学で、文化だと思う。
同じ食材でも、煮るか、焼くか、蒸すか、それとも生でいただくか、
味付けも千差万別だ、料理の仕方によって、見た目も、味も全く異なる。

世界には、それぞれ美味しい料理は沢山あるが、やはり日本料理は格別だ、
そんな日本の食文化を手玉に取る女房殿にはいつも感謝している。