昨日に続き、東日本大震災から3年が経過した平成26年4月26日に、
原発事故で流山市に緊急避難しているWさんの一時帰宅に同行した。
地震に続く津波で大きな被害を受けた浪江町請戸地区を訪問、ここは福一原発の
排気筒から3Km程の地域、放射線量はそれほど高くはないが立ち入りが厳しく
制限されていて、事前に申請・許可を得ていないと立ち入りができない。
1階が津波で破壊されてしまった請戸小学校を訪れたが、卒業式を明日に迎えた
3月11日大きな地震と津波に襲われた。
津波が来る恐れがあると判断した校長が、下校した1年生を除き生徒全員を集め、
徒歩で2Km先の高台に避難し、教師を含め全員が助かった。
請戸小学校の体育館では卒業式の準備が整っていた状況が今も残り、津波が襲った
午後3時37分を指したままで時計が止まっている。
止まっているのは時計だけではなく、ここでは、3.11から時も止まったままだ。
請戸小学校を訪れるのは3回目、前回もそうだったが、ここに立つと涙が流れて
止まらない。
請戸地区は、請戸港を中心に魚市場や海鮮を提供する食堂、それに旅館や民宿で
賑わっていた。
一緒に行ったWさんも海産物を買いによく通った街だったと話すが、350戸の
を津波が襲い、大勢の人命を奪い、壊滅状態となったは荒涼とした荒野に
変貌してしまった。
放射能汚染で運び出せないのか瓦礫と化した車両が山積みされ、港から津波で
打ち上げられた漁船が何十隻も当時のまま放置されている。
福一原発に近く、空間放射線量が常に高いと言われている大熊町夫沢地区、
前回訪問した1月27日の国道6号側溝の線量が、雨上がりだったこともあり
82.9μsV/hと非常に高い値を示した。
国道6号線の通行に許可が必要なくなったが、一般国道でこの放射線量は異常で、
徹底的な除染した上で、通行規制解除すべきと思うが・・・、
今も福一原発から相当量の放射能が排出されているのではないかと危惧をする。
ここで立ち入り禁止区域を出て、昼間のみ立ち入りが許されている、立ち入り制限
地区の常磐線JR富岡駅を訪問。
富岡駅は海岸から1Km足らずにあり、津波が直接襲い駅舎は全て破壊された。
構内の路線には雑草が茂り、流されてきた自動車が駅前や路線上に放置されている。
ホームの上の駅名表示版が破壊され、津波の高さは地上から6m近くあったのでは
ないかと思われる。
また、駅前の民家の座敷には、津波で打ち上げられた軽トラが鎮座している。
立ち入り制限地区になっているとはいえ、未だに当時のまま復旧もされていない
姿に唖然とする。
「訪問後雑感」
福一原発事故により、避難している人の一時帰宅に同行するのも今回で5回目と
なったが、ここと同じように地震や津波被害を受けた宮城や岩手では、十分とは
いえないが復旧が進み、復興に移っている地域も多くある。
しかし、ここでは復旧の鎚音もなく、人の営みもなく、子供が遊ぶ歓声もなく、
非常に悲しいことであるが、行方不明者の捜索すら十分に出来ず、3.11当時の
姿を晒している場所も多くある。
<富岡町の現状:社殿が今にも倒れそう、道路に崩れ落ちた家屋も放置>
避難している人たちは、家に帰っても放射能汚染された荷物を持ち出すことすら出来ず、
盗難にあい、野生動物に荒らされ、朽ちていくのを待っているだけとなっている。
原発で一度重大事故が起きれば、住み慣れた故郷を奪われ、生活の糧であった田畑や、
里山や、山林や、豊だった海までも奪われることを、福一原発事故が証明している。
政府は、停止中の原発の再稼働を進め、海外への原発輸出に積極的になっている。
日本を豊かにしてきたといわれる原発で事故が起き、12万人を超える人たちが
避難を余儀なくされている。
政府は、事故処理に8兆円を超える国費をつぎ込むことを決めているが、
広大な帰還困難地域の国有地化を検討しなければならない状況を考えると、
これからどれほどの国費が必要になるのか予想すらできない。
福島の現実を目の当たりに見て、日本国民は一度立ち止まり、冷静になって原子力
利用の将来を考える必要があると思います。