
(今回の報告?の原典や写真の大半はインターネットに載っていたものですのですが、一つ一つの出典は省略いたします・・・というか記録していなかったもので・・・・涙)
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ハワイの人たちはもとよりハワイにやってくる観光客たちが写真撮影の際に親指と小指だけ残して握った片手を示すジェスチャーをとることがよくあります。
ちょうど、日本の子供たちが必ずと言ってよいほど「ピース・サイン」をするのに良く似ています。
ネットによると手の甲を相手に向けるのが「シャカ・サイン」で、掌を向けるのが「ハング・ルース・サイン」。そして前者がアロハとかマハロなどの挨拶に使われ、後者は「がんばって行こう」というような場合に使うのだそうですが、周囲の人たちに訊いてもこの両者の使い分けはあまり明確になっていないような感じもいたします。
従って写真撮影の際にもこの両者が混在していますが、あまり堅苦しく考えないほうがよいのかもしれませんね。
おなじみのところではハワイ出身のオバマ大統領や
ホノルル・シティー・ライトのときのサンタさんも
この両者のサインを見せていますね。
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実はこれらのサインを「そういうもの」とだけ理解してしてその起源はあまり気にしていなかったのですが、あるとき私が毎週参加しているロイヤル・グローブ・ホテル (RGH) のカニ・カ・ピラ(ジャム・セッション)レギュラー・メンバーのギター奏者アーニーカノア(この写真右端)
が、演奏後にお客さんと談笑しているときに「私の祖父がこのサインを始めたんだよ」と言うので、興味を持って彼の話に耳を傾けました。
(ほかのメンバーたちは皆さんそのことを先刻ご存じだったようで「知らぬは私ばかりなり・・・・」 という状況でしたが・・・・)
彼の祖父はハマナ・カリリ (1882-1958) と言い、 オアフ島東北のラーイエという漁村
の漁師であるとともに、8歳のときに洗礼をうけた敬虔なモルモン教信者でも有りました。
モルモン教はキリスト教六大宗派のひとつで正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」であり、本部はユタ州ソルトレイク・シティーにあります。
上記の地図でお分かりのようにライエのモルモン教会に隣接する学校「ブリガム・ヤング大学」はこの宗派本部の二代目預言者の名前に因んでつけられていますが、彼は一夫多妻主義者であり、自分自身も40名以上の妻を持っていたことから、ユタ州が準州から州に昇格する際の大きな障害となり、宗派として一夫多妻主義を放棄したことでやっと州に昇格したと言うエピソードもあります。
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上記地図の囲みに小さく「カフク」とあります。いまでこそカフクは果物や野菜の供給地であるとともに養殖の海老を食べる場所として有名ですが、当時はサトウキビ畑の中心地で、
周辺各地で収穫されたサトウキビを鉄道でここまで運び、圧搾して砂糖にまで仕上げる工場が建っていたのです。
ハマナ・カリリはこの工場で圧搾作業に従事していたのですが、あるとき間違って右手をその圧搾機械に入れてしまい、親指と小指以外の三本の指を失ってしまったのです。
そこで会社は工場で働けなくなった彼をサトウキビ列車の警備員にしたのです。警備員の役目は列車が走行中に地元の子供たちがこれに飛び乗るのが大変危険なので彼らを追い払う役目だったのです。
彼が子供たちを追い払う際に右手をかざして振るさまを子供たちがすぐにまねをするようになりました。すなわち中間の指三本だけを折り曲げて振るのですが、これがシャカ・サインの始まりだったのです。(シャカと言う言葉はshake「振る」からきたという説もあります。)
このサインが爆発的に普及したのは「史上最強のホノルル市長」と呼ばれるフランク・ファシ(1920-2010)が選挙運動中にこのサインを多用しただけでなく運動員のTシャツにもこのイラストを入れたことが原因のひとつと言われています。
ちなみに彼はホノルル市長として1968年,1972年,1976年,1984年,1988年,1992年の6回も務めたのですが、その後ハワイ州知事や国会議員に出馬していずれも落選いたしました。
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ハマナ・カリリはモルモン教会の牧師でもあったのですが、火災によって消失した教会再建のために大変尽力いたしました。
そのひとつが今では歌にまで歌われるようになったライエ浜での引き網(フキラウ)の復活で
集まった観光客の落とすお金が貴重な教会再建の基金の一部となりました。
皆様おなじみの「ポリネシア文化センター(PCC)」はこの教会によって1963年に創設された施設で、ブリガム・ヤング大学とも密接な関係を保っています。
このPCCの敷地内に教会の功労者であるハマナ・カリリの銅像が建てられています。
もちろん彼の右手には三本の指がありません。
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このPCCに敷地内に2015年4月にもうひとつの銅像が建てられました。
それは以前ご紹介いたしました「スチール・ギターの発明者」ジョセフ・ケクク
の銅像なのです。
ラーイエ出身の彼は偶然にもギターでスライドトーンが出せるのを知り、現在のスチールギターのもととなる「ハワイアン・ギター」の普及に貢献したのです。
私の所属しているハワイアン・スチールギター協会(HSGA)から除幕式にHSGAメンバーが出席して像の前で演奏するようにとのお誘いがありましたが、たまたま当日が出勤日にあたっていたことでオフが取れず、泣く泣く参加をあきらめたという経緯があります。
これが除幕式の様子で
参加したHSGAのメンバーとケククの親族の記念写真です。
せっかくのチャンスでしたのに参加できなかったことが今でも悔やまれます(涙)
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