
「フェスティバル・シリーズ」?のトリとして今年28回目を迎える「ハワイアン・スラックキー・ギター・フェスティバル」が8月15日(日)にウクレレ・フェスティバルと同じ会場のカピオラニ・バンドスタンドで開催されたので行ってきました。
ウクレレやスチールギターと違って「ハワイ生まれの楽器」ではありませんが、明らかにハワイで誕生した演奏法であり、世界中に普及した現在では「ハワイ生まれの音楽ジャンル」としてハワイが世界に誇れる分野と言えます。
米国最大のレコード賞であるグラミー賞に数年前から「ハワイアン音楽部門賞」が設けられましたが、毎回のようにスラックキーのアルバムが受賞していて、「ハワイアン音楽=スラックキー」とまでいえそうな趨勢となってしまいました。
その意味で純粋なハワイ生まれの楽器であるスチールギターにもっと脚光が当たってほしいものですが・・・・
もともと1980年に「スラックキー・ギターの大御所」ギャビー・パヒヌイが亡くなったのちに彼に対してナー・ホークーの「ライフタイム・アチーブメント賞」が与えられたり「ハワイアン音楽の殿堂(ホール・オブ・フェーム)」入りをしたことなどがきっかけで、スラックキー・フェスティバル開催の動きが起こり、ミュージシャンでプロデューサーでもあるミルトン・ラウを中心に「キー・ホアル(スラックキーのこと)ファンデイション」が設立され、1983年にギャビーの故郷ワイマーナロで第一回のフェスティバルが開催されました。
その後1993年からマウイ、カウアイ、ハワイの各島でもスタートしたフェスティバルは今年でそれぞれ18回目を迎えています。
以上のことから「スラックキー・フェスティバル」はウクレレ・フェスティバルと極めて似通っていることがわかります。スタートのきっかけこそ違いますが、ミルトン・ラウとロイ・サクマという個人が中心になったこと、それぞれ「キー・ホアル・ファウンデイション」と「ウクレレ・フェスティバル・ハワイ」という非営利団体を設立したこと、多くのボランティアやスポンサーの援助の下に入場無料としていること、他島でも開催していること等々です。
同じことがスチールギター・フェスティバルにも当てはまって今後いつまでも続くことを願っています。
フェスティバル当日、ちょっと遅れて会場に着くと、ウクレレ・フェスティバルとはガラッと変わった雰囲気に驚かされました。
まず子供達がほとんどいません。ウクレレフェスティバルはロイの教室の生徒だけでも数百人が参加しているので会場は子供であふれています。
そして日本人で代表される「旅行者」をほとんど見受けません。観客の大半はロコ、すなわち地元の人たちで年齢層も結構高いと見受けました。
会場には沢山のテントによる出店が並んでいて
マッサージの店までありました。
ウクレレ・フェスティバルのときは「席取り」が大変ですが、今回はみなさんゆったりとベンチに座っていて、しかも大変フレンドリーなのには感激しました。
遅れて会場に着いたので脇の場所で座っていたところ、中央の席にいたご婦人が「こっちへ来い」と手招きをするではありませんか。最初誰か彼女の知人を呼んでいるのかと思ったのですが「え、ボク?」と言うとそうだ、との返事。おかげで特等席で見ることができました。「年寄り」を大切にする風潮が徹底しているのでしょうね。(いつぞや市バスに乗りこんできた老婦人が「今の若者は年寄りを尊重する気持ちが欠けている!」と大声で訴えていましたが、そういったことは「年寄り」の側から要求するものではないと思います。)
さらに別の人も「ポップコーン食べないか?」とかプログラムを指差して「彼が演奏しているんだよ」と教えてくれたり、足元にちょっと落としたものを先に拾ってくれたりと、長年通っているウクレレフェスティバルでは経験しなかったロコの親切さを感じました。
観客の楽しみ方もさまざまで、全体的にソフトな演奏が続いたためでしょうか、横になって眠っている?ひともいれば、舞台そっちのけで輪をつくって盛り上がっている集団もありました。
ウクレレ・フェスティバルのときはホノルル郡市長から5,000ドルの寄付がありましたが、今回の寄付は10,000ドルでした。ウクレレ・フェスティバルの2日後に選挙活動のために2年間の任期を残して辞職した前の郡市長が立候補している知事選対策として成人観客の多い今回を増額したのでは、と勝手に想像したりして(笑)。
写真左が郡市長の代理コードウェル氏、中央がスポンサーのアウトリガーの代表ナンシー・マクダニエルさん、そして右がミルトン・ラウです。
・・・と、ここで大事件が起こりました。デジカメが突然動かなくなったのです。充電もたっぷりおこなって今日に備えたにもかかわらずウンともスンとも言わなくなりました。
やむを得ず同行した家内の愛機を借りたのですが、固定焦点しかもズームなしという簡易型のため、ステージ前の階段で演奏したミュージシャン以外は写せませんでした。
そこへ、なんとエディー・カマエご自身が彼の出版した最新DVD「スラック・キー/ザ・ハワイアン・ウェイ」を売り歩いていたので、NUAパーティー出席のお礼を申し上げてそのDVDを購入しました。
さらに102歳のウクレレ奏者ビル・タピアまで車椅子で会場に来ているではありませんか。司会者のハリーBソリアJrからは1936年にリリースされたアルバム「タピーとアイランド・スウィンガーズ」のリーダーがビルであったことを数年前に知った、との紹介がありましたが、私のカメラが不調だったためエディーとビルの撮影はできませんでした。
2002年にNUAがロイヤルハワイアン・ホテルの開業75周年の記念行事「ウクレレの歴史」に招かれました。その際にも「75年前(すなわち1927年)にここで演奏した」ビルの演奏を75年後に楽しんだのですが、それから9年経った今でも健在でウクレレを弾いているそうです。
先日のスチールギター・フェスティバルではボビー・インガノとポール・キム以外の実力者が出演したのですが、今回はシリル・パヒヌイ、ケオラ・ビーマー、ジョージ・カフモクJr、オジー・コタニその他の実力者達が出演しなかったにもかかわらず15名もの出演者があってスラックキー・ギターの隆盛を象徴していた感じでした。
これ以後の写真はビデオからキャプチャーしたため、画質が悪いこととグラデーション(明るさの段階)が不足していることをご了解ください。
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フェスティバルの司会者はKINE局の「テリトリアル・ウェーブ」という長寿番組を持っているハワイアン音楽のオーソリティーで、ハナオラ・レコードの復刻版CDの詳細なライナーノーツでも知られているハリーBソリアJr.です。
かれは先日のスチールギター・フェスティバルの司会も担当してはいましたが、次々にバカバカしい謎かけを出して会場と一体になって大笑いをする姿を見る限り(中身は理解できなかったのですが・・・涙)こちらの司会のほうが生き生きとすすめているという印象でした。
会場に着いたときには既にスタートしていたので、実際に聴いたミュージシャンとしてはスティーブン・イングリスが最初です。かれはトロイ、IZなどたくさんのミュージシャンを輩出しているパロロ地区の出身で、もともとピアノを学んでいたのですがスラックキー・ギターの魅力にとりつかれ、オジー・コタニの紹介で何枚かのアルバムをリリースしています。
次は3人組「ピリオハ」のリーダーだったカムエラ・キモケオ(写真中央)がピリオハの元メンバーカレフア・クルーク(写真右)および昔の同級生レオイキ・ハイリの3人で再結成した「ヒイクア」というグループが素晴らしいコーラスとスラックキーのハイテク・ソロを交えてトラディショナル曲を数曲演奏しました。
続いて19歳のダニー・カヴァイオです。彼は10歳のときからスラックキー・ギターを弾き始め、オジー・コタニ、デニス・カマカヒ師のふたりに師事して来ましたが、現在数枚のアルバムを出しています。彼の弾くギターはギター製作者である彼の父親が9年前に作ったスプルーストップでコアボディーのカッタウェイです。
次はベテランのドワイト・カナエによる「マヌエラ・ボーイ」などの古い曲の歌と演奏です。彼はピーター・ムーンやモエ・ケアレたちと演奏していたほか、デル・ビーズリーとデイヴィッド(つまりカヴィカ)カヒアポとの3人で「3D」としても活躍していました。
今回最も強いインパクトがあったのは次のLTスムーズでした。彼はもともとサモアと白人の混血でしたがニュージーランドのマオリ族の家庭の養子となっていました。(LTはレオン・ティーマタのイニシアル)そして2001年にハワイ島に移住して手にしたスラックキー・ギターの魅力に取り憑かれ、コナ地区のいろいろなルアウやディナー・クルーズで演奏しているところをミルトン・ラウに見いだされてからは「コナ地区だけの秘密の存在」ではなくなりました。
彼が演奏中に伴奏用の録音をし、それをループ再生しながら合奏?をするテクニックも極めて自然でしたが、とくに演奏中に1弦を徐々に緩めながら演奏し、その状態でしばらく演奏した後にふたたび1弦を張って行き演奏を続けるという離れ業をさりげなくやってのける技術には驚かされました。
ここでハワイ島カラパナ出身レッドワード・カアパナがお馴染みのLed帽をかぶっての登場です。彼の母親ティナ・カアパナは有名な女性歌手でしたし、彼と双子の兄弟ネッドワード・カアパナ、そして従兄弟のデニス・パヴァオによる伝説的なトリオ「フイ・オハナ」はハワイアン音楽のルネッサンスを支えた重要なグループでした。そして「イコナ」や「ニュー・イコナ」を経てソロ演奏家としての彼の活躍は現在も「大御所」の一人として十分に認識されているところです。
次はモエ・ケアレの甥で、IZの従兄弟でもあるケアレ(ウォルト・ケアレ)です。彼がプロデビューする前の2004年9月に私のFMハワイアン音楽番組に出演してもらったことがあります。当時はマヘアラニ・ケアレと名乗っていましたが、デビュー後に出したCDでは単にケアレと変わりました。
彼はスラックキーも弾くのですが、ここではダニー・カヴァイオがスラックキーを担当し、いつも組んでいるマンドレレのビル・グリフィン(カニレア・ウクレレの製品責任者)とミルトン・ラウの息子クリス・ラウのベースの4名で演奏しました。クリスはこのグループ以外にも何人かのミュージシャンをサポートして、単にベースを弾くだけでなくコーラスにも参加するなど事前の準備の大変さを感じさせる大活躍で、まさしくこのフェスティバルはミルトンとクリスの親子が中心になっていることを認識しました。
ケアレも参加してナー・ホークー賞を獲ったグループ「カウカヒ」のリーダーのカヴィカ・カヒアポが次に登場しました。彼はチャッキー・ボーイ・チャックで演奏し、伝説的なパラニ・ヴォーンの「キングス・メン」の一員でもありましたし、上述の「3D」でも活躍し、さらにはナレオをはじめ多数のミュージシャンと共演、そして何枚かのスラックキー・ギターのオムニバス・アルバムにも参加するなど55枚もの録音を果たしているとの事。カヴィカ単独とカウカヒでカニカピラ・グリルに毎週出演しています。
次はエディーのDVDで紹介されているようなスラックキーの歴史的な奏者であるアンティー・アリス・ナマケルア、トミー・ソロモン、サニー・チリンワース、アッタ・アイザックス、ポップス(ギャビー)パヒヌイ、アンクル・フレッド・プナホウ、パパ・カウイたちに師事したジョージ・クオです。12弦と6弦のダブルネックのギターをかかえて登場しました。
「マウナルア」のリーダーであるボビー・マデロウはステージ前の階段まで使ったダイナミックな演奏をしました。(トップの写真)彼はマウナルアとして毎週金曜日にデュークスで演奏しているほか、毎週月曜日にはハワイカイのチャチャチャ・ソウソリアで、火曜日にはシェラトン・ワイキキ内のラムファイアでもソロ出演をしています。
ブラザー・ノーランドは
青いギターをかかえ、スラックキーのドワイト・カナエとベースのクリス・ラウを伴っての演奏で、なんとゴム草履履きというラフないでたち。
今年のナー・ホークー賞を獲ったジェフ・ピータースンの演奏です。彼は父親がパニオロ(カウボーイ)だったマウイ島のハレアカラ・ランチの出身で、エリック・クラプトンやボズ・スキャッグスのようなハワイアン音楽以外の分野のミュージシャンたちとも共演している経歴を持っています。
次はサニー・チリンワース最後の弟子であるマカナの登場です。
彼は8月12日から新しいショー「リターン・トゥー・ワイキキ」をインターナショナル・マーケットプレイスでスタートさせた「話題の人物」です。
このショーの会場は
それまで毎週木曜日にファーマーズ・マーケットが開かれていた場所で
我が家から極めて近かったので愛用?していたのですが、このあおりを受けて消滅してしまいました。
そしてトリはデニス・カマカヒ師がハーモニカ、ギター、歌と多彩な演奏を繰り広げ
スチーブン・イングリスもスラックキーでサポートしていました。
そして「コケエ」にはカイウラニによるフラも加わってフィナーレとなりました。
毎年のように行っていました。
家族サービスがあるため、後半だけが多いですが。
CDを未だに買っていませんが、マカナの演奏が最高でした。
後、ハイナホーの出方がほぼ正確です。
写真はボビーですね。
マウナルアが二人で出たときは淋しかったです。
私なんぞケオラ、オジー、スィロがいないだけで「えー??」と思ってしまいますが、
返せばロコの皆さんは更なる期待を持って来場されている、という事でしょうか。
ところで埼玉はハワイよりインドに近い暑さで、脳がスラックしております・・・。
会場ではお会いできてよかったです。
皆さんの~んびり楽しんでいて、気持ちのいいフェスティバルですよね。
カメラの不具合は泣きたいところですね...
私も去年は機器の操作を間違えて、
殆ど消失してしまいました、本当に泣きました。
早速アップされていて、ビックリです!
私も早いところアップしなきゃ。
その前にワイマナロの方をしなきゃなのです。
来年もお待ちしてますよ!
中心人物のミルトン・ラウは写真では大きなチェックを持つので手をポケットから出していますが、祝辞の間じゅう両手を短パンのポケットに突っ込んでいました。
そしてゾウリ履きで演奏している奏者もいるほどくだけた会でした。
私の目の前では3人ほど横になって(多分眠りながら)聴いていましたが、ステキな夢が音楽に乗って現れたのではないでしょうか。
ビデオをキャプチャーするにはひとコマずつ送っていくので気の遠くなるほどの時間が掛かります。
ナー・ホークーの報告が未完成なのもキャプチャーで手間取っているうちにタイミングを失してしまったためなのです。
今回はそうならないように頑張りたいと思っていますが・・・(汗)
モチロンウクレレ奏者でも十代の若手が数多く台頭し、三十歳少し上のジェイクなどは「大御所」扱いで、70歳を超えたオータサンは「生きている伝説(Living Legend)」と化石扱いです。
ウォルト・ケアレさんはハワイの自然や文化に詳しく、カイルアのツアーのガイドをしていただいたことがありましたので、それを思い出しながら、楽しく読ませていただきました。
CDの件ありがとうございま~~す。謝謝
ウォルトはプロ活動を開始する前に私の別なFM番組にも4週間にわたってゲスト出演してもらったことがあります。
もしよろしければ姫庵さまのメールアドレスを私のアドレス宛にいただけますでしょうか?