
昨年の「第一回スチールギター・フェスティバル」に「アブリーゴ・オハナ」という兄妹弟三人のユニットが指導者であるロナルド・カナヘレと一緒に出演しました。
当時15歳の兄のティミーがスチールとギターを弾き、12歳の妹エミリーがウクレレとファルセットでの歌、そして7歳の弟クインがパキニ(バケツ・ベース)という編成でしたが、この年齢とは思えない本格的な演奏をしたので印象に残っていました。
その後、今年になって指導者のロナルドがまだ59歳という若さで亡くなったとの記事がHSGA(ハワイアン・スチール・ギター協会)の会報に載っていたので、
その後の彼らはどうなったのだろうかと気になっていましたが、8月26日に彼ら「アブリーゴ・オハナ」が我が家の近くのインターナショナル・マーケットプレイスで演奏するとアナウンスがあったので早速出かけました。
あれから1年以上経ったのでティミーは16歳、エミリーは13歳、そしてクインは9歳になっていましたが、今回は自分たちだけのショーだったため思う存分演奏してくれました。
ティミーのスラックキーとスチールは一層磨きがかかり、エミリーのファルセットも一段と綺麗に響いていました。
歌や楽器演奏だけでなく、三人ともフラを披露しました。まずはゲストの大御所ノエラニ・マホエの歌と彼らのママのベースでティミーが踊り、
続いてのエミリーの踊りはどう見ても13歳とは思えない堂々たる踊りでした。
そしてクインの踊りもなかなかのものでいずれも楽しく見ることができました。
第1ステージではクインがパキニを弾いていたのですが第2ステージでウクレレに持ち替えたためママがウクレレベースで参加しました。
そしてフィナーレにはママとクインが「プープー・ヒヌヒヌ」を踊って幕となりました。
終演後に昨年のスチールギター・フェスティバルの記事が掲載されていたハワイアン・ファン誌をパパとママに差し上げたところ大変喜ばれて、毎月一回開催している彼ら主催のカニカピラ(セッション)がノースショアのワイメアであるので是非来ないかと誘われたのです。
その後ママと何度かメールのやり取りをしていたのですが、都合が付いたので10月16日に現地に出かけることといたしました。
今までにノースショアには何度も行っていましたが、そのほとんどがハレイワ付近へのツアーであり、ワイメア・バレーには一度も行ったことがありません。
上記の地図A地点ということまでは分かりましたが、アラモアナで52番のバスに乗り継いでワイキキから約2時間の距離との事で、弁当持参で出かけました。
バスの運転手に「ワイメア・バレーに着いたら教えて」と頼んでいたのですが、スマートフォーンのGPS表示ではもう目的地を通過していたので「本当に大丈夫か」と確認したところ「まだ25分有るから座ってろ」と言われ、不安一杯で待っていました。
やがて「ホラここだよ!」と言われてあたふたと下車したところ間違いなく「ワイメア・バレー」のサインが立っていました。
このサインの反対側には見覚えのある「カニカピラ」のバナーが掲げられていたのでやっと安心して公園の中と思われる方向に歩いていきました。
途中、渓谷からの流れがあったり
世界中でこの公園だけに生息している絶滅危惧種「アラエ、ウラ(ハワイバンという鳥)」に注意、というサインもあり
下図でA地点のバス停から流れに沿って奥へ進み、右下にある建物が
今回の会場「ピカケ・パビリオン」です。
ピカケとはハワイ語で孔雀のことですが、その名の通りこの公園にはたくさんの孔雀が歩き回っていました。
会場には開演1時間前に到着したのですが、すでに主役の三人が両親と昼食中でしたので、手短かにインタビューをさせてもらいました。
手始めに彼らのデビューアルバム「`Ekahi」に三人のサインを貰い質問開始です。
Q:いつからこのカニカピラを始めた?
A:ちょうど二年前の2009年9月から。
Q:アブリーゴ・オハナの結成時期は?
A:ティミーが10歳、エミリーが7歳、クインが3歳だった2005年にスタートした。
Q:両親のお名前と音楽的背景は?
A:父親はティム・シニア(ティミーはティム・ジュニア)、母親はラネット。ふたりとも特に豊富な音楽的経験を持っているわけではないが周囲にいるたくさんの人が彼らに影響を与えている。
Q:一家の住居はこの近く?
A:ワイアルア (上記地図でハレイワの近く)に住んでいるが、その前はマウイ、さらにその前は今と同じワイアルア、そしてその前はハレイワだった。
Q:三人の学校は近くにある?
A:三人とも「家庭内学習」をしていて、年一回の公式試験を受けることで卒業資格がもらえる仕組みになっている。
Q:三人の指導者(達)は?
A:アンクル・ロン(ロナルド・カナヘレ)以外には居ない。みな音楽を聴きこんで勉強している。
Q:アンクル・ロンとの出会いは?
A:2009年秋に別なカニカピラで偶然彼に会い、自宅に招いて指導をお願いしたが、彼は亡くなる直前まで皆を指導してくれた。なにしろデイビッド・フィート・ロジャースやベニー・ロジャースという音楽一家の出身だけあって子供たちへの影響は大きかった。
そして彼はワイメアバレー・カニカピラのスタート時から協力してくれていた。
Q:三人が影響を受けたミュージシャンはどういった人たち?
A:ジェノア・ケアヴェ、デイビッド・ロジャース、ベニー・ロジャース、ギャビー・パヒヌイ、デニス・パバオ、レナ・マシャード、マイラ・イングリッシュ、レイ・カーネ、フレッド・プナホア、サニー・チリンワース、レッド・カアパナと彼の家族すべて、ジョージ・カフモクJrとダ・ウクレレ・ボーイズ、マウイのブラウン一家、イケ・ポノ、オロマナなど多数。
Q:スチールはアンクル・ロンの指導と思うが、スラックキーやパキニそしてエミリーのボーカルも指導者はいない?
A:そのとおり、みな自分たちでいろいろな演奏家からインスパイアされながら勉強している。
また、パキニはリズムや音程を作るという音楽の基礎が学べる重要な楽器であり、クインはすでに2年もこれを楽しんでいる。楽器自体はマウイの友人が彼のために製作してくれたもの。
Q:カニカピラに参加する常連の中で重要な人物は?
A:アイザック・ハウウプが三人にいろいろとアドバイスをしてくれる。それから亡くなったアンクル・ロンのシスターが今日も来てくれる筈。・・・そして実際に来てくれました。
Q:最後に、CDの第二集はいつごろリリースの予定?
A:来年(2012年)早々にレコーディングを開始して、秋までには出したい。
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そしてカニカピラが開幕しましたがママを含めたオハナ全員がカマカのTシャツを着用していました。これはおそらくカマカが彼らを何らかの形でサポートしているのでしょう。
彼らのPR写真にもカマカのショールームで撮影したものがありましたので。
カニカピラは大きな広間に円形状に椅子を置き、数本のマイクをそれぞれ歌う人に向けて動かす役目とビデオ撮影をママが行い、ライン取りをするためのDIにそれぞれの楽器から接続していました。
円の中心から会場を見渡したところです。まだ開演前のため参加者がまばらですが。
この日は約20名の参加者があり、大半はギターかウクレレで、今回はスチールがティミーひとりでしたが、日によっては数名のスチール奏者が参加することもあるようです。
それでは調整卓の位置から時計回りに参加者の写真を掲載いたします。
そしてフラも加わりました。
予定の3時間がアッと言う間に過ぎ、ハワイ・アロハで幕になりました。
私たちはママからTシャツと帽子を頂き
帰路に就きました。52番のバスはあと少し行ったタートルベイ・ヒルトンの停留場で55番となり、そのまま島の東海岸を回ってアラモアナに戻るので、もしもその方向のバスが来たらオアフ一周をしようと待ち構えていましたが残念ながら元来た道を引き返すバスでしたのであきらめてそれに乗ってワイキキに戻りました。
ワイメア・バレーというからには寒い場所だろうと覚悟していたのですが、往復のバス車内のほうが遥かに寒かったので次回からは長時間の冷房バス対策が必要と感じました。
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おそらくかなり昔からこのような形で音楽を楽しむことが各地で行われており、このカニカピラはたまたまマイクやDIのような近代的な機器を駆使した形ですがそれを除けば次々にソロを回したり飛び入りでフラを踊ったりとそれぞれのレベルを認め合ってのセッションは昔ながらの楽しみ方なのだろうという印象を持ちました。
ただ、ひとつ気になったことは皆さんハワイアン音楽のコード付き歌詞集「ヘ・メレ・アロハ」
を使っていることです。この本は本来このようなカニカピラで使うように考えて編集されているようですが、あくまでも歌詞がうろ覚えの人を対象とするとともにコードを統一する目的で作られていると思います。
ところが今回予想外の歌がいくつか飛び出しました。そのひとつは歌詞の譜割りがメチャクチャなもので、とくに2番以降の歌詞として本に書かれているものを無理やりメロディーに押し込めて歌う人が何人か居ました。さすがに三人はそのようなことがなかったのですが、聴いていてかなり気になりました。おそらくその人たちは三人のように元の音楽を聴かずに歌詞だけを当てはめた結果だと思います。
さらに驚いたのはメロディー自体全く別なもので歌うかたが現れたことです。このメロディーをちょっと歌ってみてください。
一瞬何の歌か分からなかったのですが歌詞だけを聞くと間違いなく我々が良く知っているあの曲なのです。その人物は一度も元歌を聴いたことが無いのでしょうね。
でも、名曲「カイマナ・ヒラ」が作曲者が思いも拠らぬメロディーで歌われているのですから、あまり目鯨を立てることもないのかも、とあきらめています。そして、今でこそ「カイマナ・ヒラ」をポピュラーにした功労者のように見られているアンディー・カミングス自身も、もしかするとオリジナルのメロディーを間違って覚えていたのではないかとも思えてきました。
・・・・それでもIZの歌詞には困ったものです。・・・・といつまでもぼやいていますが。
この驚きは日本のハワイアングループリーダーY.O.氏がご自分のアルバムに収録した「ハワイ・ポノイ(昔のハワイ国歌)」のサビ部分が徹頭徹尾パートのメロディーだったり「カハクロア」のメロディーとして普通はコードが同じためにシャレで挿入する「リパブリック賛歌」そのもので歌ったりしたのを聴かされて以来の出来事でした。何と言ってもそのCDでお金を頂いているのですから驚きです。
[11/25/2011 追記]
この当日の模様を彼らがyoutubeにアップいたしましたのでご覧ください。
その画面からスキャンした記念写真です。右の方にいる私たち二人の隣の赤いシャツを着ているのが父親のティム・シニアです。
当日の演奏ゲストの氏名です。このようにしっかりときろくされているのはいいですね。
なお2012年からは会場を移して継続するとのことですのでこれに参加ご希望のかたは彼らのウェブサイトをチェックしていてくださいね。
昨年のウクレレフェスティバルの自由時間の時にレンタカーで東半分をぐるっと回り、
ワイメア・バレーにも寄りました。
着いたらグリルハウスでハンバーガーを食べて、雨っぽいお天気だったのと時間の都合でカートに乗り一番奥まで行ってから歩いて戻りました。
グリルハウスの奥のスペースは、我々が行った時はオジサンが掃除をしていましたが、こういうシチュエーションで使うスペースだったんですね。
MATTさんのブログを見ていると懐かしい場所がたくさん出てきて、ますますハワイに行きたくなってしまいます。
今シーズンのスーパーボールはハワイに戻ることだし…なんて夢を見ています。
正夢になれー!!
そういえば途中の駐車場のおばさんに道を尋ねたところ「この先にある大きなビルディングだよ」との返事。「ん?ビルディング?」頭の中には鉄筋コンクリートの大きな塊が浮かんだのですが・・・・やはり文明に冒されていますね。
今回の「観客」はもりぞーさんたちのようにたまたまこの場所に来た観光客で、みなさんあまり聴いたことの無い?ハワイアン音楽を楽しんでいました。ビデオカメラを一生懸命回している人もいましたっけ。
それにしてもワイメアは遠いですね。
バスですとアラモアナから2時間以上、降りてからもかなり歩かれ、ご自宅らですと3時間ちかく?の小旅行をされたのですね。
小生、何回か52⇔55のサークルアイランドの旅を途中下車しながら楽しんでいます。
寒さよけの重装備をなさって是非、オアフ一周の旅にチャレンジなさって下さい。
バス車内の寒さには参ります。
55=>52は数回乗ったのですが逆回りは一度もなかったのでチャンスでしたが次回のお楽しみにとっておきます。
いいな~!
ティミーのスラックキーとスチールはかなりのものですね。
私も頑張ろって思いました!
今後が楽しみです!
あ、私のことも楽しみにしてくださいね、、、汗。
スーパーボール(アメリカンフットボールの全米一決定戦)はインディアナポリスで、
1月30日にハワイ・アロハスタジアムで行なわれるのは
プロボール(アメフトのオールスター)でした。
5月に開催された「スチールギターの歴史」という催しでも超ベテランたちに混じって堂々と演奏していたようです。
もちろん、今度帰国したときのNYAの演奏は一番の楽しみですYO!
ここ数年、Abrigo'Ohanaの情報を探していました。
アブリゴオハナについても指導者であるロナルド氏についてもたくさんの事をしる事が出てて感激しています。
ありがとうございます。
私の「ウクレレ快読本」もお求め頂いてありがとうございます。
フラ・ガールズたちと、そしてKAPONOとしてのライブ活動、ウクピクへの2度の出場、そしてウクレレ教室の発表会やフラのホイケへの参加と、様々な活動をされておられるのですね。
次はハワイのウクピクにも是非ご参加ください。
あ、私は今年6月3日に神戸で開催される「ウクレレ交流会」の期間に一時帰国を予定しています。「ウクレレ交流会」はまだ受付中ですので申し込まれてはいかがでしょう。
http://www17.ocn.ne.jp/~ukulele/10ukebomousi.html
ライブのチラシもおまつさんが手がけられたのでしょうか、雰囲気が良いですね。単行本の表紙あたりも担当されているのでしょうか?もしそうでしたら・・・
アブリーゴ・オハナはだんだんとメイジャーになってきたので、来年あたりには日本へも演奏旅行に出かけることになるかもしれませんね。とりあえず今年はメインランドへのツアーが組まれていますが・・・