
先週末学会の終盤にさまざまな問題が噴出。またもやトラブル三重苦。人間とは、かくも多様であり、難しいものであり、自らに求められる地位に応じた、人格形成は不可能であることを自覚させられたり。自らの自覚なき所で悪となる。忙しさの狭間で無言であることすら悪なのである。しかも、それを忙しさのせいにすることも許されない。そして逃げ出すことも許されない。このような事態を如何に楽しみとするか?恐らくチャンスなのであろう。それを出来るようになれば一層の「楽しみ」が来るよという。ま、能力を超える責任は、ぼろぼろと落ち、公然と批判されるであろう。できないものはできない、嫌いなものはきらい、好きなものは好き、そして悪人のレッテルを貼られるであろう。でも、逃げずに楽しむことしか追いかけられない、それが楽学天真の心である。
明後日からの国際学会の準備が今日の最大の課題である。全てに自然体で行くしかない。人は言うに任せよ。
