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楽学天真のWrap Up


一語一句・一期一会
知的遺産のピラミッド作り

「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(1)

2017-02-24 07:23:38 | 社会
「科 学 者 の 行 動 規 範」を読む(1)

パラグラフごとに読もうと思う。

学術会議は、2005よりの新しい選出体制ー選挙ではなく自ら後継者を選ぶのでtop-downともいえるco-optation方式の下でのー学術会議が作成したということ。当時の時代の意気込みを反映している。

 そして2011年、東北地震津波での科学・技術の権威の失墜、小保方騒動など、生命科学での捏造の頻発を背景に改定した。このことは、規範自体が、時代の要請や新しい事態に即して、常に更新されていくものということを示している。100年後に残っている本質部分は時代を超えた規範に近づく、という程度の認識で読もうと思う。経典であってはならない。

平成18 年(2006 年)10 月3日制定
平成25 年(2013 年)1月25 日改訂



科 学 者 の 行 動 規 範
日 本 学 術 会 議

科学は、合理と実証を旨として営々と築かれる知識の体系であり、人類が共有するかけがえのない資産でもある。

「科学は、合理と実証を旨」

自然科学は、人間を含めて自然そのものの一部を切り取った知識の体系のこと。合理とは、第一原理の上に築かれる、論理の筋が通っていること、実証とは、それが事実(自然そのもの)によって証明されること。検証とは違う。ちなみに検証は、帰納的仮説と演繹的仮説が、証明されることであり、それは実験方法であったり、論理方法であったりしても良い。
理解・同意

「営々と築かれる知識の体系」
全人類史の時間長さを持って築かれた、これからも築くということ。
理解。同意

「人類が共有するかけがえのない資産」
独占したりしてはいけないということ。エジプト、アレキサンドリア図書館の悲劇や、焚書坑儒のようなことは絶対にあってはならないということ。
理解。同意

続く
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2013 科学者の行動規範改訂版

2017-02-23 12:56:45 | 社会
世の中がきな臭くなってきていると誰しも感ずるようになってきたと思う。
そして、その未来不安を払拭する基礎として、科学・技術への期待があるはずだが、20世紀のように輝いては見えない。
でも、そこにすがらなければ世の中は一層の混沌の中に進みそうだ。


いま日本学術会議で、安全保障と学術の関係が検討されている。
その議論の全てが、テレビ会議の中断場面も含めて、全面的に公開されている。
資料は膨大だが、地球科学は、寺田寅彦も軍事研究に手を染め、中谷宇吉郎は戦後米軍からも研究費用をもらい、坪井忠二は、無頓着な研究者と、戦後批判にさらされた。
そして、戦争目的の研究はしない、させない、反対だ、という空気が定着して七十年が過ぎた。
私は、寺田寅彦も仲谷宇吉郎も坪井忠二も科學的には大変大きな貢献をしたと思っている。
それらは政治的なところでどのような意見を持っていたかとは別なことだ。
このことがきちんと整理されて議論はされているのであろうか、ぱっと見のマスコミの論評ではわからない。

デュアルユース(軍民どちらにも使える科学技術)に対する議論が膨れ上がってきた。

今年の地球惑星科学連合大会では、この件を議論するという。
少々腰を据えて勉強しようと思う。なにせ地球観測は、戦争の裏側で進んできたし、今も進んでいるのは間違いないのだから。
「やーめた、やーらない」といって遠ざかっても自己満足に過ぎず、科学と技術に責任を持っているとはいえない。
逃げずにきちんと論理を整理しておくことが大事だと思う。

さてさて、それで この規範の最近の改訂版。といってももう四年経つのだが。



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山本義隆 私の1960年代

2017-02-10 20:21:07 | 社会
読み終えた。

東大紛争を東大全共闘の側から見てどうだったのか、分かった気がする。でも到底納得はできない。
少数意見の側は、自らは正しいと当然思っている。他の少数派と思いや要求は違っても、敵を明確にすれば、恨みで結合し、瞬間的に多数派になれる。
瞬間多数で感情を挑発すれば、暴力的行動は可能である。フランス革命のように。ナチスのように。
封鎖、占拠、団交。
安田講堂、封鎖校舎内での内なる解放区など、同族内パラダイスと変わらない。

大学側の”敵”は強大である。学生側の思いや要求の違いの隙をつく。
全共闘側はそれを押し返すために、さらに普遍性のない暴力、非合法手段に訴える。
と、多数派を形成する時に集まった他の少数派の人心は離れる。
老舗少数派中枢は、最後に負けが明白でも決戦暴力に及ぶ。かつての日本軍のように。
敗北後、最後はセクト内外仲間内での殺し合い。それがなれの果てだ。

そんな経緯、いくら弁を弄しても正義は見えず、説得的ではない。
東大紛争の頭目、東大医学部と東大理学部物理のスーパーエリートがリードしたことが日本を揺るがした。
自業自得の自分らの人生は、どうでもいいが、結果として、人生の潮目を変えざるを得なかった人がどれほどいたかなど、眼中にないかに読める。

軍事研究に絡み、近代以降の歴史において、個々の科学技術者まで総懺悔を求める論点は、到底受け入れられないであろう。
科学史に多くを記したとしても、そのことによっては東大紛争の負の側面への責任は免罪されないだろうし、彼も免罪など望んでいないだろう。




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前の記事で、なぜ「帝国」と呼んだか

2017-02-09 00:58:11 | 社会
前回、現在の世界の情勢を記す記事で、括りを、なぜ「帝国」と揶揄して呼んだのか、と思うかもしれない。
多くの論者が指摘するように、19世紀から20世紀初頭があまりにも今と似ているからである。
「我が帝国はーー」などと言うと、ギョッとするかもしれない。当時、識者はそう自らの国を呼んで考えたのではないかという夢想がそう書かせたのである。ただ大きく違うことのは、中華帝国。当時「眠れる獅子」と言われた清帝国は眠ったまま殺されてしまった。

私は右傾化したのかと自問してみる。外から見たらそうレッテルを貼られるかもしれないなとも思うが、そうではないと心の中で首を振る。
人は言うに任せるが、私の価値観の中で、人が生きていくために最も重要な理念は「自由」だと相変わらず思っている。自分で自分にあえてレッテルを貼るとすると「リベラリスト」だと思ってる。それは別な人に言わせると左派と括られるかもしれない。でも「自由主義者」と日本語にすると右派に感ずるから不思議なものだ、とも思う。

だから「人は言うに任せる」しかないのである。

そんな中、「学問の自由を巡って揺れている」という、議論がある。

本当にそうなのであろうか。私は60年代末から70年代前半までの大学紛争を経験した世代。
山本義隆を読んでいる。彼の時代は、私の時代とはちょっと違うが、当時を思い出す。
当時も似た議論があったが、私はしがない新入生。何のことかさっぱりわからずに、突然全学スト。
学問をしたいと言う青春の新鮮な思いが、「学問の自由」を叫ぶ一群の先輩たちによって踏みにじられた。

一世代上、全共闘のカリスマは何を思い、何を行動したかを考えている。
(続く)

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時は流れて

2017-02-08 10:30:27 | 社会
時は流れ流れて以前の投稿から5年も経ってしまった。
いろいろなSNSをうろうろしながら、ここへ戻ってきた。時代はペンネームで記すのが合っているような不透明の時代となっている。

アメリカ帝国は縮小に向かう最後の足掻き(あがき)との評価も多いトランプ政権。
膨張中華帝国は、GDPでほどなくアメリカを超えるとの予測、しきり。でも失速予測(期待?)
英国離脱で、独仏連合帝国は、中国と手を組み一帯一路?
インド帝国は、人口力でどう動く?
世界第3位GDPのわが帝国は、どう多極の1極となる?

このゆらぐ世界で、科学・技術とそれを担うコミュニティーは、どう振る舞えばいい?
科学には壁はない、しかし技術をせめぎ合う壁はますます高くして、それぞれ、それぞれが自己利益を最大にしようとしている。

そんなことをゆらゆらと考えながら、残された研究論文を書き、モノもいう日々。
時代の変わり目なので、

ローマ人の物語「ローマ世界の終焉」(塩野七生)

私の1960年代(山本義隆)

の2冊を読んでいる。

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