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「スイカのタネはなぜ散らばっているのか(稲垣栄洋)」という本はとてもオススメ!

2020年01月17日 01時00分00秒 | 
 
 
 「スイカのタネはなぜ散らばっているのか」という本は、本のタイトルのスイカだけでなく、いろんな植物のタネを後世に残す知恵や工夫、戦略等をまとめたもので、主に以下の11に分類して書かれていてどれも興味深い内容でしたね♪
 
1)風で旅するタネ
2)動物に運ばれるタネ
3)まかれるタネ
4)まかれないタネ
5)時を超えるタネ
6)食べられるタネ
7)豆と呼ばれるタネ
8)芽生えで食べられるタネ
9)油を取るタネ
10)果物のタネ
11)野菜のタネ
 
その他にも「植物にとって種子とは何かについて」や「凄い種子」についても書かれています♪
 
「スイカのタネはなぜ散らばっているのか」という本は、植物について理解が深まるだけでなく、人生や生活のヒントにもなるかと思います♪
とてもオススメです!
 
以下は本書のポイント等です♪
 
・日本タンポポの重要な戦略は「春にしか咲かない」ということである。日本タンポポは春に咲いて、さっさと種子を飛ばすと、根だけ残して地面から上は自ら枯れてしまう。これは冬眠の逆で夏に地面の下で眠っているので「夏眠」と呼ばれている。夏が近づくと、他の植物が枝葉を伸ばし生い茂る。そんなところで小さなタンポポが頑張っても、光は当たらず生きていくことができない。そこで強い植物との無駄な争いを避けて、地面の下でやり過ごすのである。ライバルが多い夏にナンバー1になることは難しいから、ライバルたちが芽を出す前に、花を咲かせて種を残すという戦略なのである。
 
・西洋タンポポは一年中、いつでも花を咲かせることができる。しかし西洋タンポポは他の植物が生えるような場所には生えることができない。だからその代わりに他の植物が生えないような都会の道ばたで花を咲かせて分布を広げているのである。西洋タンポポが広がり、日本タンポポが少なくなっているという減少は、単に他の植物が生えるような元々の日本の自然が減っているからだったのである。
 
・風で飛ぶキク科の雑草の種子はいったいどれくらいの高さまで飛ぶことができるのだろう。上空1000m野高さに気象観測用のバルーンを上げて、空中の浮遊物を調査すると驚くべきことに、風で移動する雑草の種が採集されるという。なんと、はるか空高く小さな雑草の種が飛んでいるのである。
 
・スミレの種子には「エライオソーム」というゼリー状の物質が付着している。この物質は脂肪やアミノ酸や糖分を含んでいて、栄養価が高い。そのためアリは、エライオソームを餌にするために種子を自分の巣に持ち帰る。このアリの行動によってスミレの種子は遠くへ運ばれるのである。しかしアリの巣は地面の下にある。地中深くへと持ち運ばれたスミレは芽を出すことができるのだろうか。もちろん心配は無用である。アリがエライオソームを食べ終わると、種子が残る。種子はアリにとっては食べかすのゴミである。そのため、アリは種子を巣の外へ運んで捨ててしまうのだ。このアリの行動によってスミレの種子は見事にアリの巣の外に脱出するのである。それだけではない。アリの巣は必ず土のある場所にある。街の中ではアリの巣の出入口はアスファルトやコンクリートのすき間をうまく利用している。野の花のイメージが強いスミレが街の片隅でコンクリートのすき間や石垣に生えているのはわずかな土を選んでアリに種をまいてもらっているからなのである。そのうえ、アリのゴミ捨て場所には他にも植物の食べかすなども捨てられているから水分も栄養分も豊富に保たれている。
 
・オオバコのすごいところは踏みつけに耐えているだけではない。その秘密が種子にある。オオバコの種子は紙おむつに似た化学構造のゼリー状の物質を持っていて、水に濡れると膨張して粘着する。その粘着物質で人間の靴や、自動車のタイヤにくっついて運ばれていくのである。舗装されていない道路では、どこまでも轍に沿ってオオバコが生えているのをよく見かける。オオバコは学名を「プランターゴ」という。これはラテン語で「足の裏で運ぶ」という意味である。また漢名では「車前草」という。これも道に沿ってどこまでも生えていることに由来している。
 
・ドングリは転がらないとすれば、どのようにして移動をするのだろうか。じつはドングリは、リスやネズミに運ばれることで散布される。しかしリスやネズミはドングリをエサにする動物である。どのようにしてリスやネズミに運ばれるのだろうか。クマなどは冬眠に備えて食べたエサを皮下脂肪に貯めることができる。ところが体の小さなリスやネズミは食いだめすることができない。そのため、すぐにドングリを食べずに土の中に隠しておく。そして食べ物の少ない冬の間、貯めておいたドングリを少しずつ食べていくのである。ところが、一部のドングリは食べ残されたり、食べ忘れたりもする。こうしたドングリが芽を出してドングリの木になるのである。エサになることによって、相手を利用しているのだ。まさに「肉を切らせて骨を断つ」作戦である。そのため、食べ尽くされないようにたくさんドングリを作らなければならない。ところがドングリがたくさんあると、それをエサにするリスやネズミの数も増えて、ドングリが食べ尽くされてしまう。ドングリの作戦は、さらに考え尽くされている。ドングリはたくさんドングリを生産する豊作の生り年と、ドングリを余り生産しない不作の裏年を作っていると考えられている。ドングリを生産する量を変動させれば、不作の年があるからリスやネズミは増えすぎることもなく、豊作の年にはドングリを食べ残させることができるのである。正にリスやネズミのことを知り尽くした作戦なのである。
 
・竹や笹は、めったに花を咲かせることはない。その周期は諸説あるが、何十年に一度だとか、百数十年に一度だとかいわれている。そして竹や笹の花が咲いた後には不思議なことがある。一面の竹林や笹原が一斉に枯れてしまうのである。しかし考えてみればこれは不思議なことではない。植物の中には何度も花を咲かせる多回繁殖性のものと、一度花を咲かせて種を残すと枯れてしまう一回繁殖性のものとがある。例えばひまわりや朝顔は花を咲かせて種を残すと枯れてしまう一回繁殖性の植物である。竹や笹も花が咲いて枯れる。これはヒマワリや朝顔とまったく同じで、ごく普通のことなのである。ただ竹や笹の場合はその周期が途方もなく長いというだけなのだ。しかも竹や笹は地下茎で伸びて増えていくので、広大な面積が地面の下でつながった一つの個体ということも珍しくない。そのため一本のヒマワリが花を咲かせて枯れるように、竹や笹が花を咲かせて枯れるということは、竹林や笹原全体が枯れてしまうことになるのだ。
 
・人々はめたに起こることのない竹や笹の花が咲くことを気味悪がって、凶作だとか、天変地異の前触れだと言って恐れたのである。ところがである。どうやらそれも昔の人の迷信と片づけるわけにもいかないようなのだ。竹や笹が花をつけると、実際に恐ろしいことが起こることが知られているのである。大飢饉である。竹や笹が花を咲かせた後は無数の種子ができる。そしてこの種子をエサとするネズミが大発生してしまうのだ。ネズミは繁殖能力が高く、文字通りネズミ算式に増えていく。ただ普通はエサの量が限られているからエサにありつけずに死ぬネズミも多く、ネズミの数は増えすぎることもなく保たれているのである。しかしエサが豊富にあり、すべてのネズミが死ななかったとしたらどうなるだろう。ネズミはとめどなく増えていってしまう。そして増えすぎたネズミは竹や笹の種を食い尽くし、エサを求めるネズミたちは、やがては田畑の農作物を食べ荒し、人々が大事に蓄えた穀物をも食べ尽くすのである。こうして竹や笹の花が咲くと大飢饉になってしまうのである。竹の花や笹の花は「泥食い」の別名を持つ。食べ物をネズミに奪われた人々は、泥を食うしかなかったのである。
 
・ランの種子を発芽させるのは難しい。ランの種子を育てるときには、無菌状態のフラスコの中で、栄養分の入った培地に種をまかなければならないのだ。ランは、一つの小さな花が数十万個もの種子を作る。ふつうの植物は100個から多くても1000個くらいの種子であるからこれはあまりに多い。そのためどうしても1粒あたりの種子が小さくなってしまう。ランの種子は、1ミリにも満たないような大きさである。そしてあまりに小さすぎて、発芽のための栄養分さえ持ち合わせていないのだ。そのためまるで未熟児の赤ちゃんを大切に育てるようにしなければ、種子が芽を出すことができないのである。しかしそうまでしなければ芽を出すことができないようなランの種子は、自然界ではどのように芽を出すのだろうか。ランの種子は小さいので、まるでほこちのように風に舞って散布されていく。しかしランは発芽のための栄養分を持っていない。じつは、ランの種子は恐るべき戦略を持っているのだ。ランの種子は、ラン菌というカビの仲間を呼び寄せる。そして驚くことに自らの身体に寄生させてしまうのである。ラン菌がやってくるのは、ランの種子を侵して栄養分を吸収しようとするためである。そして、ランの種子の中に菌糸を伸ばしてくるのだ。ところがそれはランの種子の思うツボである。ランの種子は種子の中に入り込んだ菌糸から逆に栄養分を吸収してしまうのである。そしてついにはラン菌を分解して完全に吸収し栄養分を得る。この栄養分でランの種子は発芽するのである。
 
・野生の麦は、子孫を残すために、種子をばらまく。しかし人間が利用する場合には、種子が落ちてしまうと収穫することができないのである。熟した種子が落ちる性質を「脱粒性」という。野生の植物はすべて脱粒性がある。しかし少ない確率で、種子の落ちない突然変異が起こることがある。人類はこの突然変異の株を見出したのである。種子が熟しても地面に落ちないと自然界では子孫を残すことができない。そのため種子が落ちない性質は、野生の植物にとっては致命的な欠陥だ。ところが、この性質は人類にとってはものすごく価値のある性質である。種子が落ちずに残っていれば、収穫して食糧にすることができる。そしてその種子をまいて育てれば、種子の落ちない性質の麦を増やしていくことができるのである。小麦のもともとの祖先はヒトツブコムギという植物であると考えられている。種子の落ちない非脱粒性のヒトツムコムギの株の発見。これこそが、人類の農業の始まりであり、人類の歴史にとって革命的な出来事だったのである。
 
・イネ科植物は、葉には栄養はないが、種子には豊富な栄養を蓄えている。さらには種子なので、保存も可能である。こうして人類は、イネ科植物を得ることによって、農耕を発達させ、ついには文明を発達させていくのである。たとえば4大文明を見てみると、エジプト文明やメソポタミア文明の発祥地は麦類の起源地である。またインダス文明の発祥地はイネの起源地の近くであり、中国文明の発祥地はダイズの起源地である。
 
・コーヒー豆とカカオ豆は、身を守るために同じ物質を持っている。それがカフェインである。カフェインは、アルカロイドという毒性物質の一種で、植物が昆虫や動物の食害を防ぐための忌避物質である。このカフェインの化学構造は、ニコチンやモルヒネとよく似ていて、同じように神経を興奮させる作用がある。コーヒーを飲むと眠気が覚めて、頭がすっきりするのはそのためなのである。コーヒーを飲むと、トイレが近くなってしまう。それは人体がカフェインを解毒して、尿と一緒に体外に出そうとしているのである。
 
・モヤシは傷みやすい野菜として知られているが、それはモヤシが成長し続けているからである。根っこを切られ、袋に詰められて、冷蔵庫の中に入れられても、モヤシは光を求めて成長を続ける。モヤシの生きるパワーはものすごいのである。三国志時代の天才軍師として知られる諸葛亮孔明は、リョクトウのモヤシを行軍の食糧としていたという。モヤシは栄養が豊富である。実はモヤシには豆類にない栄養分がたくさん蓄えられている。豆類は、種子から芽生えていく過程で、蓄えてきたタンパク質や、でんぷん、資質などの栄養分を分解して植物として生きていくためのさまざまな成分を作り出す。そのためモヤシにはビタミン類やアミノ酸など、豆には含まれなかった栄養素が作り出されるのである。まさにモヤシは生きていくための栄養分とパワーに満ちあふれているのである。
 
・大根の根の部分は、辛いのが特徴である。根っこは、地上で作られた栄養分を蓄積する場所である。しかし、せっかく蓄えた栄養分を虫や哺乳動物に食べられてはいけないため、辛味成分で守っているのである。大根は下になるほど辛味が増していく。大根の一番上の部分と、一番下の部分を比較すると、下の方が10倍も辛味成分が多い。このため、大根の下の部分は、味噌おでんやぶり大根など、濃い味付けをする料理に向いている。

・トウモロコシの実には、ときどき歯の抜けたように粒が欠けているところがあるが、これは受精がうまくできなかった粒である。受精しなければ種子はできないのだ。トウモロコシの中には、黄色い粒と白い粒が混じったものがある。この黄色い粒と白い粒の数を数えてみると、黄色い粒と白い粒の比は、ほぼ3対1になっている。実はこれこそが、理科の教科書で習ったメンデルの法則の「分離の法則」に従っているのである。トウモロコシの粒は黄色が優性、白色が劣性である。
 
・ヒマワリは、北アメリカ原産の植物であるが、野生のヒマワリもドングリと同じようにネズミなどの餌となる。そして原産地ではネズミが埋め忘れることによって種子が散布されていくのである。ヒマワリの痩果には、黒と白の模様があるが、これは目立たせて、ネズミに見つけられやすくしているのである。
 
・ゴマは漢字では「胡麻」と書く。中国では北方や西方の異民族の済む地域を「胡」と呼んでいた。そのため、それらの地域から中国へ伝えられたものは、胡瓜(きゅうり)や胡椒(こしょう)、胡桃(くるみ)のように「胡」の字が使われている。そして「胡」の地域から伝えられた麻が「胡麻」である。胡麻の原産地は明確にはなっていないが、インドやエジプトであるといわれている。仏教の祖国であるインドでは、古くから胡麻が栽培されてきた。現在でもインドは、世界有数の胡麻生産国である。胡麻は貴重な食材としてだけでなく、薬としても用いられた。古代インドでは不老長寿の薬として大切にされていたという。日本でも縄文時代には、すでに胡麻が食べられていたが、奈良時代に仏教とともに日本に伝わった後に広まった。昔は油を取るための重要な作物だったのである。胡麻は精進料理に欠かせない。胡麻はタンパク質や脂肪分を多く含んでいる。仏教では殺生が禁じられており、肉食ができない。そのためタンパク質や脂肪分を取るために胡麻は貴重な存在だったのである。また護摩供養をするときに、白胡麻の実を加持物として投じると、バチバチと音を立てて炎があがる。それも、胡麻の種子が油分を豊富に含んでいるためである。
 
・日本にもサルナシと呼ばれる植物があるが、その果実はキウイフルーツそっくりである。植物の果実は、種子が熟すと目立つように黄色や赤色に色づく。ところが、サルナシは熟しても緑色のままで鮮やかに色づくことはない。また、シナサルナシやキウイフルーツも茶色いままである。どうして、他の果実のように色づかないのだろうか。キウイフルーツを食べるのは、サルだけではない。クマやテンなどの動物もサルナシを食べて、種子を散布する。鳥やサルは赤い色を認識するため、鳥やサルに種子を運ばせる果実は赤く色づく。ところが、クマやテンなどの哺乳動物は赤い色を認識することができない。そのため色で目立たせるよりも、哺乳類が気づきやすい強い香りで惹きつけているのである。ところが、キウイフルーツは、タンパク質分解酵素を含むため、肉料理と合わせて食べると消化を助けてくれるといわれている。キウイフルーツを食べ過ぎると、タンパク質分解酵素が舌の表面のタンパク質を溶かしてしまうため、舌がピリピリと痛くなってしまう。しかし不思議なことがある。どうして、サルに食べてもらって種子を運ぶキウイフルーツが食べにくいようなタンパク質分解酵素を持っているのだろうか。確かにキウイフルーツはサルに食べてもらいたい。しかし一匹のサルが果実をたくさん食べてしまうと、同じ場所にしか散布されない。色々な場所に種子を運ぶためには、できるだけたくさんのサルに果実を食べてもらう必要がある。そこで、サルを惹きつける美味しい果実ながら、たくさんは食べられないように工夫しているのである。
 
・甘柿は、もともと渋柿の突然変異によって生まれた種類である。甘柿は特殊な突然変異の個体なので、そおっから取れた種子をまいたとしても、特殊な甘柿の形質が次世代に遺伝する確率は低い。むしろ、タンニンを生成する健全な渋柿と交配することによって、タンニンを作る性質が回復してしまうのが一般的である。甘柿の種子をまいて育てたとしても、渋柿になってしまう可能性が高いのだ。そのため一般に甘柿は、種子ではなく、接ぎ木や挿し木などの栄養繁殖で増やす。こうして増やされた苗木は元の木のクローンだから、優良な甘柿の形質が失われないのである。
 
・イチゴの小さなつぶつぶは、ほとんど種子なので、このつぶつぶを蒔けば、芽を出させることができる。そして、できた苗を育てれば、イチゴを実らせることもできるのである。ただし、種子から育ったイチゴは、親子の関係にある。親と子とは似ていてもまったく同じ形質ではないので、種から苗を育てると元の品種とは違った性質のイチゴになってしまう。一般の栽培ではそれでは困るので、種子ではなく、株で増やしてイチゴを栽培している。一方、種子から育てたイチゴは、元の品種とは違うのだから、まったく新しいオリジナルのイチゴということになる。
 
・スイカの種子は、胃や腸でも消化されないように、硬いガラス質で覆われている。もちろん、複雑に入り組んだ腸も難なくすり抜けるような形になっているのだ。間違ってスイカの種子を食べてしまっても、スイカは胃腸を通り抜け、無事に脱出してくる。それだけではない、スイカの種子はゆっくり時間をかけて胃腸を通り、できるだけ排出されないようにしているという。そうすることで、少しでも遠くまで運ばれようとしているのである。
 
・スイカもまた他の果実と同じように、鳥に食べさせて種子を運ばせるために、砂漠の中で魅力的な実を実らせるのである。スイカの独特の縞模様も、もともとは鳥に見つかりやすいように発達したと考えられている。果実は、鮮やかに赤や黄色に色づいて鳥を呼び寄せる。スイカも収穫を遅れて熟してくると黄色くなってくる。黄色と黒色のの縞模様は工事現場や踏切と同じように、目立ちやすい色の組み合わせだ。またスイカは中が赤い。実が割れれば、鳥たちにより目立ちやすくなることだろう。さらにスイカの果実は中心に行けば行くほど甘くなっている。中心部が一番甘いのも残さず食べてもらうための工夫なのである。
 
・植物は動くことができない。しかしそんな植物にとって移動できるチャンスが2回だけある。1つ目のチャンスは花粉である。植物は風に乗せたり、昆虫の体にくっつけたりして、花粉を遠くへ運ぶ。こうして遠くへ移動するのである。そして2回目のチャンスが種子である。種子は動けない植物が遠くへ移動するための移動カプセルのような存在なのである。また種子は時間を旅することもできる。種子は土の中で何年も過ごすことができる。つまり、種子は時間を超えるタイムカプセルでもあるのである。
 
・ライオンゴロシは、南アフリカのカラハリ砂漠などに分布するゴマ科の植物である。この植物は、鋭いかぎづめのついた実をつける。恐ろしい実の形から、ライオンゴロシは英語では「デビルズクロー(悪魔のかぎづめ)」と呼ばれているのだ。かぎづめで、動物にくっつき、分布を広げていくのである。しかしその実は鋭くて、踏んでしまった動物は大変である。それは、百獣の王であっても同じである。ライオンが、うっかりこの実を踏んでしまうと、鋭いトゲが足に刺さってしまう。もしトゲを抜こうと口で引っ張ると、今度は口に刺さってしまう。そしてライオンはトゲを抜くことができずに、口が化膿していってしまうのである。そしてライオンは餌を食べることができずについには餓死してしまう。こうしてライオンによって運ばれたライオンゴロシは分布を広げて芽を出すのである。
 
・テッポウウリはどのようにして時速200km以上もの速さで種子を飛ばすのだろうか。テッポウウリは、ウリ科の植物である。キュウリやスイカがそうであるように、ウリ科の植物は実の中に、豊富な水分を含む。テッポウウリも、水分を実の中に溜め込んでいく。ただしテッポウウリは単に貯めるだけでなく、圧力をかけて水を押し込んでいくのだ。そしてそれが限界に達したときに、ついにその圧力で爆発するように種子をはじき飛ばすのである。
 
・草取りをすると、すぐに雑草が一斉に生えてくる。雑草は光が当たると芽を出すものが多い。光が当たるということは、まわりにライバルとなる植物がないことを意味している。そのため、草取りをして土の中に光が差し込むと、雑草の種子はここがチャンスとばかりに芽を出してくるのである。
 
・椰子の実は、ヤシの種子である。ヤシの実は水に浮かびやすくなっていて、海流に乗って漂いながら、砂浜に打ち上げられて種子を散布する仕組みになっている。よく遭難者が漂着した無人島のイラストにヤシの木が描かれているが、ヤシの実は鳥も行かないような無人島にもたどりついて、生えることができるのである。
 

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