ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第44号(2000年12月14日発行)

2007年08月22日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第44号(2000年12月14日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

 12日は学校の訓育力を考えました。
(1) 内容が充実し工夫があって楽しい授業は生徒の態度をよくする
力を持つ、
(2) 学校教育は個々の教師が行うものではなくて「校長を中心とす
る教師集団」が行うものである、
という講師の考えに対して、いろいろな意見がありました。

 最後のレポートとなりましたが、毎回のテーマと格闘してきた人
には大きな前進が見られたと思います。授業が終わりに近づいたこ
とを惜しむ声も沢山寄せられました。

 学生版アンケートをいただきましたが、どちらのクラスでも、発
表前にクラス全体で「これを発表してよいか」と確認する作業をし
ていないようです。これはルール違反です。

 1組とか2組とかの名前で出されたものは、1組なり2組なりの
全員の責任になります。責任の持てない事には反対しておかないと
、訴えられた時に困ります。

──前回の「天タマ」に盗難問題を生徒総会で解決した文章があり
ました。私は同じ高校にいたのでそれを思い出しました。あの全校
集会は中身のあるものだった。いろいろな人の意見がとびかい、生
徒皆で何とかしていこうという雰囲気があったことは、今でも忘れ
られない。

 私は、悪い事をしたら警察が入ることは悪いことだとは思わない
が、話し合いで犯人本人が心を改める機会になれば、それも一つの
方法なのだということが分かった。

 先生は、「この筆者は、興味のある充実した授業を教師がしてい
るかどうかを見落としている」と言っていたが、確かに授業の雰囲
気は学校生活に全く関係していないと言ったらうそになるが、高校
生にもなるとある程度人間が作られ、していい事と悪い事はもう既
に分かっているのではないかと思う。だから見落とすというよりも
、そういう視点で見ることが、私も含めて気づかなかった、と言え
ると思う。

──今回の授業で、先生の「教師は勉強を教えるだけでいい」とい
う言葉に対する誤解が解けて良かった。でも、先生の授業は「勉強
以外のことも教えている」という意図がないということには、依然
として疑問を感じます。情熱のなせる技でしょうか?

 ★ 勉強しか教えないという言葉と、勉強以外の事も教えるとい
う言葉との理解が皆さんと私とで違うようです。

 あるメルマガに「生徒より世間知らずの教師が生徒に教えるなん
てふざけるな」という投書が載っていました。私は「教師は自分の
担当教科の事を興味深く教える技術を持ってさえいればいい、世間
知らずで結構」という考えです。

──家庭はしつけに重みをおいて、学校は勉強に重みを、地域は社
会性と、それぞれ分担しつつ連携するべきだと思う。それで、学校
はまず勉強を教えて、しつけのできていない(態度が粗悪な)子に
は指導して、社会性が育つような活動をしなければならない。とい
うことから、現在の学校は茶髪などを取り締まって部活を行ってい
ると思う。

 だけど、先生の言ったように、授業でそれらの事ができたらいい
というか、そのような事も可能な授業をすべきだと思う。学校は学
校のやり方でやることが大事だと思う。

 でも授業「だけ」に力をそそげばいいというのは反対です。授業
の中では個人個人にまでは行き届かないから、休み時間、放課後な
ども、もし生徒が求めれば応えていくべきではないだろうか。

──家庭は小集団であるのに対して、学校は大きな集団であるとい
う違いがある。現在は特に核家族が増え、家庭の中だけでは関わる
人の数が少ない。それに比べて学校は人数が多く、いろいろな人が
いて、いろいろな考え方がある。このような集団の中で教育を受け
ることによって協調性を学ぶのではないかと思う。

 集団の中で自分の考えを述べ、それを理解してもらったり、他の
人の考えを聞き、それに共感したり、新しい考え方を発見したりし
ていく。このような事をすることによって、お互いに理解し合い態
度が良くなっていくのではないかと思う。

 この時、教師も校長を中心にまとまっているべきだと思う。教師
一人一人の考え方の違うのは仕方のない事かもしれないが、学校全
体の考え方としてはまとまっているべきだと思う。それは生徒にと
っても良い手本となると思う。

──私の通っていた中学では1年に1回、研究発表があって、先生
たちはそれぞれ授業について研究をしていた。そして、3年に1回
くらい本を出し、全国から見学者が来た。

 授業では先生から課題が与えられ、「追究用紙」という紙に1人
ずつ自分の意見を書いた後、4人のグループに分かれてホワイトボ
ードを使って話し合い、お互いの考えを深めてから、クラスで発表
をした。これが授業の基本だった。私たちの考えた意見はすべて認
めてくれたので、意見の言いやすい雰囲気があった。

 初めて授業参観に来た母は「自分も授業を受けてみたい」と言っ
た。先生たちは教科別に部屋を持っていて、そこで授業について研
究していた。その部屋へ行くと資料が山積みになっていた。授業は
1回1回、先生の思いのあふれるもので、生徒もそれに応えようと
努力していた。

 他校と比べると部活には力を入れてなくて、生徒が楽しむ程度で
あったが、授業の内容の濃さではどこにも負けなかった。学校生活
がとても充実していた。先輩たちも後輩の面倒をよく見てくれて、
とても仲が良く、学校内にトラブルはなかった。(略)

 先生と共に良い授業をして、研究発表を成功させたいという思い
が生徒の中にあった。先生と生徒の上下関係を強調するのではなく
て、一緒に夢中になれるものが学校には必要だと思う。

──高校の時のことを考えると、校長を中心とする教師集団ができ
ていたと思う。校長先生は勉強のことも、生徒の教育(女子校だっ
たので女性の教育に力を入れていた)も精力的にされていた、と記
憶している。あまり生徒に近い存在だったとは思わなかったけれど
。先生方の生徒に対する対応も人により多少違ったけれど、ほぼ統
一されており混乱しなかった。

──私は最近、某塾のテスト監督のバイトを始めた。そこで見た教
師陣の情熱にはすごいものがあった。別に塾と学校では目的も違う
わけで比較するつもりもないが、あのような先生が学校にいたら良
かったなあと、漠然と思った。

 授業内容もすごく分かりやすく、生徒のやる気を引き出してい
た。生徒達もすごく楽しそうに授業を受けていた。また、教師・生
徒といった壁を作らず、対等な立場で接し、すごくいい雰囲気だっ
た。

 そして、一番びっくりしたのは、生徒が来る頃と帰る頃に塾の外
で1人1人に挨拶を交わし、声をかけていたことだった。そういっ
たちょっとした事の積み重ねから、先生と生徒のより良い関係が築
けていけるのだと思った。

   VTR「家族画」を見て

──中学生の時、教育実習に来ていた人が少年院を経験している人
でした。その人はそのような過去を皆に話すことで、生徒たちに自
信を持ってほしかったのではないかと考える。

 警察に連れていかれた後は、人生に悪い影響を与えるばかりでは
なく、その後の人生はその人自身の考え方によりいくらでも更生で
きるものだと思う。だからといって法律に違反する行為をしてもよ
いのではなく、1度失敗しても悲観的になるのではなく、自分の人
生をしっかりと見据えてがっばっていくことだと思う。

──親と子は別々なのだと感じた。そして、子供は真っ白であると
思った。真っ白で何もない状態に沢山の色が混ざっていく過程で親
の影響はとても大きくて、親のたった一言でも色はがらっと変化す
る強く大きな力があると思った。

 子供は親が大好きで、好かれたくて愛されたくて、自分の意志と
は違うことをしてしまうこともあるのだと思った。親に好かれたい
がために、親の抱いている子供像を子供が感じ取り、教育されてい
く内に、親に好かれる方法を見つけ、子供はそれを演じ、演じてい
るために疲れてしまって全く逆の事をしてしまうのかもしれない。
子供を育てることは本当に難しいのだと感じた。

──中学のクラスに、家庭環境が悪くて問題になるいわゆる不良と
いう子がいた。授業に途中まで来ていたが、後半は席がぽつんとあ
り、どこか施設に行ったと聞いた。

 卒業の時のアルバムにその人の住所が忘れられていて、後から回
収して付け加えられた。先生にとってはそんなもんだったのかなと
思った。私たち生徒には何も言わずにアルバムを回収したが、みん
な大体気づいていた。生徒は分かっていたのに、先生は忘れるなん
て、悲しいと思った。

──私には、小さい頃から病気で小学校の頃に入退院を繰り返して
いた四つ違いの姉がいる。小中学生の時、両親の気持ちがすべて姉
に行っている気がし、兄も長男ということで何か皆に特別視されて
いる気がして、私は放っておかれていると感じ、さみしい思いをし
ていたことがあった。

 だからこつこつと勉強もがんばっていたし、特に道にはずれるこ
ともなくて、良い子を演じようとしていたかもしれない。でも高校
や現在に至って、私はそのような気持ちでいた事を母親に話した。
今までためていたものを吐き出せた気がした。私のそういう気持ち
を母は分かってくれていたし、その時の私を受け入れてくれた。今
の自分があるのは、その時の気持ちや受け入れてくれた家族があっ
たからだと、最近思う。

   その他

──今回が最後のレポートということで少しさみしい気がします。
レポートが苦手なので、もう書かなくてもいいということで嬉しい
気持ちもあるけれど、この哲学の授業が終わってしまうということ
が少しさみしいです。

 初めは何か変わった授業だと思っていたけれど、回が進むにつれ
て、今日のテーマは何だろう、休憩は何をするのだろうかと、授業
を楽しみにする気持ちも出てきました。また、短時間で自分の考え
をまとめて文章にする力も少し身についたと思います。

──私の高校はキリスト教だったので、クリスマス会があった。ク
リスマス会といっても、お菓子やジュース片手に騒ぐのではなく、
聖歌をうたったり聖書を朗読して、キリストの誕生のお祝いをする
ものであった。そして最後には全員でロ-ソクを持ち、火を灯し、
その炎でおおわれた空間を楽しむ会であった。こういうものは自分
たちではなかなか味わえないので、すごく良い体験をした。

──先生は昨日の月を見ましたか。出始めた頃すごく月が大きくて
、ほんとに黄金色って感じでした。感動しました。月を見ると私は
平安時代のことをなぜか思います。平安宮廷人が月を愛でる姿をな
ぜか連想するのです。先生と月を見ると何か思うことってあります
か?

 ★ 月の感慨はありません。すみません。これまでにも冬の星座
について何人かの人が書いていました。私は夏の星座は少し覚えま
した。矢座みたいな可愛いものもあります。星座を考えたり、月に
思いをはせたり、人間には誰にでもロマンチズムがあるのですね。


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