ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第43号(2000年12月12日発行)

2007年08月21日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第43号(2000年12月12日発行)

         市立看護専門学校 哲学の教科通信

 5日は校則について考えました。レポートを読むと、在学中は疑
問を持っていたが、卒業後は認める気になったという人も何人かい
ます。未成年者の教育は家庭(しつけ)と学校(勉強)と地域社会
(部活)で分担するという考えについても賛否両論でした。

──私は先生の「犯罪をしたら警察に引き渡す」という意見に反対
です。殺人とか命にかかわったり他人の心を目茶苦茶にしてしまう
ような人は、すぐにでも警察に渡さなければならないが、でき心で
他人の物を盗んでしまった人とかは、学校で反省させ、更生させれ
ば、警察にとどけなくてもいいのでは?と思います。

 もし警察に届けてしまうと、その人の人生はメチャクチャになっ
てしまうと思います。罰を受けても心が反省しなくてはその人は反
省しないと思います。現に、少年犯罪者の7割がまた罪を犯すと言
います。学校はなぜいけなかったのかを話し合い、その子を更生さ
せる義務があると思います。

 先生は「しつけは家で」とおっしゃいましたが、やはりしつけは
学校でも行うべきだと思います。親といえどもいろいろな人がいる
わけだし。親の足りない部分は学校で補うべきだと思います(略)

 今日のような授業を小学校か中学校の時に行い、「学校の意義」
をみんなで理解する事は絶対に必要だと思いました。家でするべき
事、学校でするべき事、両方でするべき事を明確化するべきで、そ
れも父母・生徒・先生と共にするべきだと思います。

 ★ 「今日のような授業」だけですか? 私はこの哲学のような
授業が小学校から大学までどこにでもあって欲しいと思っていま
す。

──私は、学校は学力をつけるためのものだという考えに反対であ
る。私の高校では一時期、盗難がとても多かった。先生が「次から
は警察を呼ぶ」と言っても無くならなかった。

 私は警察を呼ぶのはどうしても嫌だった。警察沙汰になると、そ
の犯人はきっと退学になってその人の人生は大きく変わってしまう
と思った。だからと言って盗難があっても見逃すのではなく、私は
その人が自分で気づいて止めて欲しかった。

 ある日、生徒総会で全校生徒で話し合った。沢山の人が意見を言
って、生活指導のこわい先生は、みんなで話し合ってまとまってい
て嬉しい、というような事を言っていた。

 その時から盗難は無くなったと聞いている。この犯人は心を入れ
換えてもう同じ事はしないだろうと思った。学校は集団ですごす場
所である。家庭では特に最近は子供が少なく、また核家族が多くて
なかなか学べないこともある。集団でしか学べないことも必ずあっ
て、そのために学校は必要だと思う。

 盗難に遇った人たちの立場からすると警察に訴えてほしいことか
もしれないが、学校としては集団の力で社会性とか人間性を身につ
けてほしいと思っているはずである。そのためにすぐに警察に頼ら
ないで生徒を守るのだと思う。

──教師は、生徒が犯罪に近い事件を起こしたら警察に引き渡すべ
きである。生徒が可哀相だと思っても、警察には犯罪を犯した子供
の心を入れ換えさせてくれる専門家の人々がいるからだ。本当にそ
の生徒のことを思うのなら、一時的な感情に左右されずに一生の事
を考えて引き渡すべきだ。

 でも、教師は自分の生徒に犯罪者が出たことで自分が非難される
のを恐れているかもしれない。だけど、これはやはり学校にしつけ
を求めている人々がいるという背景によるのだと思う。

──子供の受講態度が悪かったのなら、学校の教師が「授業を受け
なくてもよい」とか、「学校に来なくてもよい」とか言っても良い
と思う。なぜなら、学校は勉強を教える所であるからである。子供
が学びたいという意志を持てることが最良であると言える。この意
志があって初めて教師が教えることに意味があると思う。

──先生の言った「学校はBとCに対して教育する所であって、今
の学校はBとCの予防のためにA-2を行っている」という考えに
、なるほどと思った。

 確かにA-2に対して厳しくしすぎだと思う。BとCを行ってし
まうような人間は見た目が茶髪でゲーセンに行ってだらしない恰好
でフラフラしているというイメージや一般論があるため、また世間
体がよくないため、A-2について徹底して直そうとするのだと思
う。

 私の親もそうだった。高校卒業までは服装、髪の色などうるさく
言われ続けた。確かに親はA-2を支持する。でも根本を考えれば
、人として反しない行為(犯罪など)をしなければ、見た目はどん
なであってもいいのではないだろうか?

 しかしさすがに人に不愉快に思われるような見た目であってはよ
くないだろうけど。人間中身が大切である。この事について親と話
してみたいと思った。

──学校は勉強を教える場所であって、家庭がしつけを教える場所
というのは、その通りだと思う。親が学校に責任をおしつけるのは
間違っていると思う。

 でも小学校のようにまだ小さい頃は、学校も勉強以外の事を教え
ていく必要があると思う。勉強だけというのは高校などだけだと思
う。高校は頭髪や服装にとてもうるさい。

 でももともと茶色で染めていない生徒でも注意されていた。カン
ファレンスでも、先生に気づかずに挨拶しなかっただけで、「帰れ
」と言われたことがあったと聞き、驚いた。先生が何でも一方的に
決めつけるのはどうかと思った。

 ★ 罪刑法定主義と言って、何が悪いか、それに対する罰の上限
は何かをきちんと決めておかなければなりません。そして、異議申
立ての方法も改正提案の手続きも定められていなければなりません


 しかるに、学校にはこれがなく、力のある人(ボス教師や、時に
はワル生徒)の恣意が罷り通っています。これでは無法地帯です。
しかし、本当はなぜこうなるのかという事まで考えないと、解決し
ないでしょう。教師にも、どうしたらいいのか本当の事が分かって
いないのです。

──私は今回の「天タマ」を読んで、全員ひざまづかせてスカート
の長さをチェックすることには驚いた。何か強制的脅迫的であり、
生徒たちを個々として捉えていない気がする。

 学校は集団生活の場でもある。しかし、集団は個々の集まりであ
るという事を考慮するべきだと思う。学校の規則は生徒をしばるも
のではないと思うが、外見をとても重視し、学生らしくと述べるの
は矛盾しているとも思う。

──私が中学生、高校生の頃、あまりオシャレに興味がなかった、
というか身だしなみに興味がなかったせいで、学校の服装や頭髪の
校則には別段不満を抱くこともなく、校則について不満を言ってい
る人をみても共感することなく、「ふ~ん、そうなんだ」というく
らいの感じで見ていた。

 しかし、やはり校則を思い切り破ってみんなと違う恰好をしてい
る人を見ると、なんだか違和感があって、見てて不快だなと思える
人が多かったように思います。それはやはり、校則はどの程度であ
ったらみんなに迷惑をかけることなく気持ち良く生活できるかとい
うことをしっかり考えた上で決められているのだから、それを大き
く逸脱した人を見ると不快に感じたのだと思います。

 だから校則にはそれなりの意味があって、それを守っていくべき
だと思うし、不満なら、みんなでその校則について話し合って改善
していくことが大切だと思います。

──塾なら生徒はおとなしく言う事を聞くのに、学校では言う事を
聞かない現象がある。これもおかしな現象だと思う。

──高校の同じクラスの人で、中学時代からいじめられていてその
思いが爆発して精神病になって、結局学校を辞めてしまった人がい
た。私は理解できなかった。なぜいじめられた子が学校を辞めて、
いじめている子が堂々と学校生活をしているのか。

   その他

──私は、三方原学園〔静岡県の児童自立支援施設〕に2回ほど行
ったことがあります。1回目は小学校の頃、古墳を見学しに行った
。2回目は高校の吹奏楽の一員として行った。

 私の1つ年下の子で、三方原学園に行っている子がいた。その子
は何らかの悪い事をして、そこに中学生の頃に入ったらしい。しか
もその顔を私は覚えていたので、2回目に行った時に見たいと思っ
た。

 その子は、いた。私の知っているその子ではなかった。とても不
良面した子だったのに、落ちついた顔をして、みんなで仲良く話を
していた。私はいい環境にこれてよかったなぁと思った。今でもそ
う思う。

──休憩で好意度診断テストをしてみて、17の「彼の姓を私の名前
の上にかぶせて、小さな声でつぶやいてみたことがる」というのに
笑ってしまいました。女の子はけっこうこういう事が好きだな~と
いう風に思いました。

 小学校の頃から好きな人のことを友達と話すと、好きな人の姓で
名前を呼び、冷やかし合ったことを思い出しました。今になっても
17のようなことって、心の中などで言ってみたりすることがあるな
と思ったら、なんだか恥ずかしくなりました。

──私は好意度診断テストの結果が17個でした。25個中17個だった
から半分以上でよいと思います。相手のことをどの程度好きなのか
、自分自身よく分かりません。基準がないし、相手より私の方が好
きでいるのかそうでないのか~。

 理想としては同じくらいに好きでありたいし、安定していられる
と思います。彼との心理的距離を近づけていくほど、いい所と嫌な
所が見えて、喜んだり怒ってしまったりすることがあります。でも
やはり近づけるほど色々知ることができるから、楽しいし嬉しいで
す。

──この前ザザシティに初めて行ってみた。洋服の店に人はほとん
どいなくて、売れているのかなと思う状態だった。こういうのを作
るくらいなら、バリアフリーなどのためにお金を使ってほしいなと
思った。浜松はアクトなどもそうだけど、お金の使い方が下手だな
と思った。

 ★ 講師の提案。

 市役所の敷地内の植栽は撤去し、駐車場は500mくらい離れた所に
移して、広場にする。役所前の道を通行止めにしてそこも広場にす
る。市民食堂をきれいにして美味しいものを出す。その広場を青空
市場にして近郊の人が店を出す。大道芸は自由にやらせる。用がな
くても人々が役所の周りに集まり、出会い、楽しみ、市政を議論す
るようにする。市長は時々その議論に加わる。

   12日のテーマ

 前回に言った事と矛盾するようですが、学校は勉強を教えるだけ
ではありません。学校には生徒を訓育する仕事もあります。しかし
、学校の訓育力はどこにあるのでしょうか。家庭の力とどこが違う
のでしょうか。これをテーマとしましょう。

 又、VTRでは「家族画」を見ます。これは名古屋少年鑑別所で
の或る試みを紹介したものです。非行少年少女は警察に捕まった後
、どうなるのでしょうか。これを考えてみます。なお、最近は不登
校になったりした生徒たちに対しては学校カウンセラーが導入され
てきています。


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