ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「天タマ」第45号(その2)

2007年08月23日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第45号(その2)

     韓国・日本・KOREA ・JAPAN

 今年の冬休み、韓国に3泊4日の旅行へ行った。おいしい焼肉、
冷麺、餃子などの食べ物は安くておいしく、キムチは特においしか
った。食事のほか、ロッテワールド、エステ、昌徳宮など、韓国の
文化もたくさん触れることができ、とても楽しく充実した旅行で、
あっという間に終わってしまった。いろいろなところへ行ったが、
異文化にふれて、気になるところがたくさんあった。

 韓国は土地が狭く、建物は日本のように庭はなく、たてに細長く
、高いビルがたくさん建っていた。冬は寒いので、窓が二重構造に
なっていたのはびっくりした。また、1つの会社がほとんどの建物
、電車、宅配などを独占しているようで、その会社の名前をあちら
こちらで見かけた。お店もたくさんあり、まるで日本で言う東京の
中心部のようだった。どこに行っても人はたくさんいて、平日でも
多くの人でごった返していた。

 韓国の人は冷たいように感じた。空港へ着いた時、税関の人の冷
たい視線から、人にぶつかっても謝らず、逆に人を押し退けていく
ようにぶつかってきた。私は謝らないことに少し怒れてきたが、こ
れがこの人たちのやり方なのかとショックを受けた。地下鉄に乗っ
ても日本人とわかるようで、冷たい視線でジロジロ見られ、乗って
いる時すごく嫌な感じを受けた。

 しかし、感心するところもたくさんあった。韓国の人は自分より
年の人(20代の人から見て40~50歳以上の人)が入ってきたら、席
を譲っていた。日本では寝たふりをして席を空けないが、韓国では
そういう事にはしっかりしていると見習うべきだと思った。また、
韓国のほとんどの人が日本語を話せたことにびっくりさせられた。
私はハングル文字も読めないのに、どうして日本語が分かるのだろ
うかとびっくりした。

 もう1つびっくりした事は、麻痺のある人や義足の人などの身体
に障害を持っている人が、電車の中で、何かを訴えながら人々にお
金をもらっていた事だ。韓国ではそうやって、日本のように障害者
手帳がないものかと思ってしまった。私たちにもお金をほしいと言
ってきたが、言葉が分からなかったので、どうする事もできなかっ
た。

 でもこのような光景を見ることは初めてだったので、私たちはど
うしたらいいのか、ただお金がほしいから自分を見せびらかしてい
るのかとさえ思ってしまった。障害者に対して日本のようにしっか
りとした制度がないのかなと思った。

 韓国と日本、初めての異文化に触れて、韓国のいい所と悪い所が
見れたと思う。まだまだ沢山の事に気づき、分かった事、ショック
と思った事などあるが、よい所は日本でも取り入れていきたいと思
う。まだまだ物足りなく、もっと韓国にいたいと思った。また海外
へ行ってみようと思う。韓国も行きたいけど、ディズニーワールド
へも今度行こうと、今回の旅行で次の旅の計画をもう立ててしまっ
た。でも韓国は初めての海外にはいい所だった。

 ★ 古代では朝鮮半島の人は先生として日本に来たようです。豊
臣秀吉が朝鮮を侵略して失敗しました。江戸時代には朝鮮通信使と
いうのが十数回も来て、友好を深めました。1910年に日韓併合とい
って朝鮮を植民地にしたのが今日まで尾を曳いています。こういう
歴史を踏まえてこれからの日韓関係を作っていくべきでしょう。

    哲学の授業を終えて

 私は、一番始めの講義の時、哲学はとても難しいものだなと思い
ました。哲学って何?私の中に哲学とは漠然としたものしかありま
せんでした。先生の話を聞いていると、奥深いものなのだなぁと感
じました。

 毎回、レポートがあり、自分の意見や思いを文章で表すことが苦
手な私にとっては、少し気が重い時間でした。テーマによって、ス
ラスラ書ける時と、すごく時間がかかる時と様々で、自分に関心の
あることと無いこととの差がはっきり分かりました。レポートを書
くことによって、頭を使って考える難しさと自分の物事を見る視野
の狭さを身にしみて実感しました。

 また、哲学の講義を通して考える力と自分の思いや意見を文章で
あらわす力が身についたように思います。この講義で、普段考えも
しなかった物事を考えさせられ、自分の物事を見る視野が広がった
ような気がします。

 先生の第一印象は「気難しそう」「怖そう」でした。でも、その
第一印象は、先生の趣味がケーキ作りと聞いて、音を立てるように
崩れさっていきました。私は、先生の笑い声と笑顔が好きでした。
先生が笑っていると、自然に私も元気になりました。

 レポートに対する先生の返事が毎時間とても楽しみで、先生と文
通している気分でした。先生の授業に対する熱意がとても伝わって
きましたが、「天タマ」は友達の意外な一面が発見できたり、友達
の意見に考えさせられたりしました。あまりに自分の考えと違うこ
とが書いてあると、落ち込んだりもしましたが。

 今こうして授業を振り返ってみると、哲学の講義には楽しみが多
かったように思えます。授業中、睡魔に負けて寝てしまった時もあ
りましたが、哲学の授業のことや牧野先生のことは、毎週、私の日
記に書き残していたので、忘れることはありません。哲学に出会え
てよかったです。これからも、この講義で得たものを生かして頑張
っていきたいです。

       ア ン ケ ー ト か ら

 ★ この授業の目的を「その〔筋道をつけて考えることの〕練
  習」としたことについて

──私自身、このような授業は初めてであり、新鮮味があった。理
論的根拠を用いて患者のケアをしなくてはならない看護婦には、こ
のような事は大切であるので、練習になったと思う。やはり何かを
行うには、根拠を持つことが必要であり、自分自身の意見や考えを
明確にしなければいけない。そのことが分かったような気がする。

 ★ シュタイナー学校について

──とても独特な学校だと思いました。でも、うずまき〔のフォル
メン〕など、イメージしてから描いてみる、決して先生が「早くし
なさい」とは言わない、という所が素晴らしいと思いました。

──学年ごとに教室の形や壁の色が違い、面白いと思った。

──人間性を育てるにはいいと思うが、本校で学力や知識が自分を
守ることを知ったので、私は今までの自分の道の方がよいと思っ
た。

 ★ シュタイナーの病院について

──家庭的であり、病院という独特の雰囲気がない。とても理想的
であり、病気を治すということが本当にその人にとっては人生の一
部にすぎないということを強く感じた。

 ★ 講師の「21世紀の日本社会案」について

──教育が金儲けの手段になっているとか、各家庭の経済状況で既
に子どもに差ができているというのに共感した。

──勝者はいつまでも勝者であるわけではない。敗者となる可能性
もあるので、利益を制限するようなことはしない方がいいと思う。

──大学にオンブズ学科を作ってオンブズを養成するという考えが
とてもいいと思いました。

 ★ その他

──来年から哲学がなくなると聞きました。しょうがないけど、私
は反対です。こんなに自分の考えをまとめられる事ってあまりない
のに~。次からの2年生がかわいそう。私は哲学の授業を受けられ
てよかったです。

──哲学が来年から無いというのはとてもさみしいです。後輩にも
受けて欲しかったなぁと思います。先生はこの学校に来られて幸せ
ですとおっしゃいましたが、私も先生の授業が受けられて本当に良
かったなと思います。

──哲学は最初少しとまどいもありましたが、陰ながら楽しみでし
た。「天タマ」は本当に良かったです。このような授業にはもう二
度と会えなくなると思うと寂しいです。講師と生徒が一体化してい
た講義だったように思います。

──この授業を後輩が味わえないと思うと、とても残念です。「我
が哲学」を味わえないのと同じだと思うからです。

──レポートをワープロで写している時に気づいたのですが、先生
の感想は決して批判するだけでなく、「~したらどうか」とか、同
意が多くて、分かってくれている、という感じを受けました(大き
な心で受け止めてくれるという感じ)。この授業は難しいテーマの
時は少し辛かったけれど、その他はとても良かったです。こんなに
自分の考えを話せる先生の講義を聞くことができて、新しい世界を
見たし、とても楽しめました。

──何かを変えようとすると、それがどれだけ困難かをまず考えて
しまって、あたかも不可能な事であると決めつけたいかのようにし
てしまっていたのかもしれません。けれど、そうではなくして、ど
ういう方法を取ったら実現可能かをよく頭を使って考えてみると、
中には変えられることもあるような気がしてきました。

 私はこれまで自分の意見を述べることに臆病になっていたようで
す。でもそれは別の見方をすれば、自分の頭を使うことを怠けてい
たということだと気づきました。

──先生には来年も来てほしかったので、残念です。他の学校で授
業をする時も、生徒のことを考えて、手を抜かない、その時間を精
一杯がんばっている先生でいて下さいね。

      お別れの言葉           牧野 紀之

 哲学を「筋道をつけて考えること」と定義しましたが、考える主
体には個人と集団の2つがあると思います。従って、思考には個人
的思考と集団的思考の2つがあることになります。集団的思考とは
、要するに、組織の中での意思の疎通であり、人間関係です。この
ように考えると、個人的思考と集団的思考とは影響を与え合うとい
うこともすぐに分かります。分かりやすくいうならば、人間を幸福
にするのも人間関係なら、不幸にするのも人間関係だということで
す。

 では、実際には、この集団的思考はどうなっているでしょうか。
多くの人は「良い親分を求める心情」を持っていると思います。又
、以心伝心とかいって、言葉によらない伝達で済まそうとする傾向
もあると思います。そしてそれがお世辞と陰口で補われるというの
が多いようです。

 私はこれに対して、人間は意見や考えが違って当然という事実を
認めた上で、「ルールを決めて話し合う」ということを提案したい
と思うのです。ここには「ルールを意識化し、時々そのルールを見
直す」ということも含まれています。

 皆さんがどこかの病院の看護婦(士)になるということは、既成
の組織に入っていくということです。そこには既にそこなりの「コ
ミュニケーションのルール」があります。従って、まずそれを知っ
て身につけなければならないでしょう。

 しかし、その次にはそれを反省して、改善していくように努力し
ていってほしいと思います。「自分一人がんばっても仕方ない」と
いう考えもありますが、人間には各自が自分の出来る範囲で努力す
る以上の事は出来ないのです。一人一人の小さな努力が集まれば大
きな変化を引き起こすこともできます。しかも、それが皆さん自身
の幸福に関係してくるのです。

 私は本年度でこの学校を辞めることになりました。来年度からは
哲学は無くなるそうです。本校に話があった時、「生徒は真面目か
?」と確かめたことを覚えています。そんな事は杞憂でした。この
学校に来られて幸せでした。ここに来たからこそ、このような新し
い本当の哲学教育を作りだすことが出来たのだと思います。

 本校との出会いはいろいろな面で幸運だったと思います。私も50
を過ぎてようやく、教えるということを理解し始めていました。ワ
ープロや印刷機といった技術も発達していました。その上、生徒が
優秀で、積極的に意見を出してくれました。授業中の休憩はここの
生徒が提案してくれたことです。

 どんな課題でも積極的に取り組んでくれましたので、毎年新しい
ことを採り入れ試してみようという気になりました。24回生からは
教科通信を出しました。これが大成功でした。「天タマ」は皆さん
と一緒に作った宝物です。

 大学と比べて専門学校の方が教育システムとしてははるかに優れ
ていることも実感しました。授業がクラス単位で必修なのが最もい
い点です。クラス単位だからこそ生徒が集団としてまとまっている
のです。

 最近はどこでも選択科目が増える傾向にありますが、結局くじ引
きなどで希望が叶えられない人が出ます。受講生が極端に少ない場
合も出ます。そもそも生徒がクラスとしてまとまっていないのが困
ります。大学のように机が床に固定されていると、4人ずつでカン
ファレンスをするといってもしにくいです。そもそも大学の教室は
大きすぎます。いや、大学自体、大きすぎるのです。

 私にとっては本当に楽しい時間でした。毎年、秋から冬にかけて
3~4ヵ月授業をして、皆さんから喜びと元気をもらって、又残り
の9ヵ月をがんばるというサイクルが出来ていました。このサイク
ルが崩れるのは少し辛いですが、運命は良きにつけ悪しきにつけ神
様の思し召しとして受け入れるのが私の主義です。新しい哲学教育
は作り上げたのだから、この授業が無くなって生まれた時間で新し
い仕事に取り組め、という意味だと思います。

 沢山の温かい言葉をありがとうございました。皆さんにお会いで
きて、嬉しかったです。皆さんと分かち持った楽しかった何時間か
のことは、いつまでも忘れないでしょう。私はこの学校も生徒も好
きでした。

 皆さんも後1年、実習をがんばって、立派な看護婦(士)さんに
なって下さい。(2001,1,30)


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