ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第45号(最終号)(2001年1月30日発行)

2007年08月23日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第45号(最終号)(2001年1月30日発行)

     (その1)

        市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今年初めて「冬休みの宿題」を出してみました。アンケートによ
ると、肯定的な感想(あるいは、否定的でない感想)が多数ですが
、辛かったという感想も大分ありました。しかし、全体としてしっ
かり取り組んでくれたと思います。やはり本校の生徒は真面目でが
んばり屋なのだと、嬉しく思いました。その中からいくつか紹介し
ます。また文集の「あとがき」から1編、紹介します。

     私の夢

 私には昔から結婚願望がとてもある。結婚したらとか、子どもが
生まれたらとかを想像するのも好きだ。ごく普通の生活で思いやり
のある家庭のお母さんになるのが私の夢です。バイト先の主婦の人
を見て、電車の中の親子を見て、私の母を見て、良いところや良く
ないところを見つけて、将来、子どもにとって良いお母さんになる
よう、子どもが思いやりのある人になるよう、考えている。中学・
高校の時の私はお母さんになることが一番の夢だった。

 今は、看護婦をしながらお母さんになるのが私の夢です。私には
看護婦になりたい理由が特になく、どういうきっかけで看護婦にな
ろうとしたのかも覚えていない。しかし、今はこの勉強がとても楽
しい。特に看護過程が始まってそう思うようになった。今まではテ
ストのために覚え、テストが終わるとほとんどのことを忘れてしま
っていた。

 しかし、看護過程はそうではなく、一言では言い表せないが、勉
強をしているとついつい時間が経つのを忘れてしまうような、どこ
までも続けたくなるような気持ちになる。机の上はいろんな教科書
が山積みになっている。私はこんな勉強は初めてだと思った。

 昔から勉強はちゃんとやってきたが、ずっと机に向かって集中し
てやった勉強は看護過程が初めてだと思う。看護過程を苦痛と感じ
ている人はとても多い。看護婦になるのがいやになっている人もい
る。でも私はどんどん看護婦になりたいという気持ちが大きくなっ
てきている。

 今の冬休みはのんびりと過ごしているが、9月から12月まではと
ても充実した生活を送ることができた。勉強することがいっぱいあ
る中で、勉強以外の事をするのもいつもより楽しく、何もかもが楽
しかった。〔今年の〕1月から12月まではずっと実習があるが、実
際の1人の患者さんに対して看護過程を展開していくのが楽しみに
なってきている。

 どんな看護婦になりたいかというのは、今のところは、患者と上
下関係を作らない看護婦である。患者の支えになったり、元気で明
るい看護婦になりたいということももちろんだが。授業に来てくだ
さる看護婦さんが言っていた。大きい病院だと、患者さんはいつで
も来てくれる。そういう雰囲気に守られてしまって、ついつい患者
さんにお礼を言われるのが当たり前になってしまう。

 看護をすることによって患者さんから与えられることはたくさん
ある。これは今まで経験した3回の実習で分かった。それは命の重
みや健康の有り難さ、家族の大切さなど、たくさんある。看護して
あげているというのではなく、お互いに与え・与えられる関係でい
たいと思う。

 看護婦として働くことも、結婚して母親になることも、今考えて
いるほど簡単な事ではないと思うが、周りの人といっしょに楽しく
幸せに過ごせるよう頑張りたい。

 ★ 仕事には、絶対になくならない仕事と、無くなった方がいい
仕事がある、といったことを私は考えることがあります。教育は絶
対に必要だから教師の仕事はなくならないでしょう。しかし、医者
や看護婦の仕事の大部分を占めている「病気を治す」という面につ
いて言うと、これは病人が出るということを前提しているのだから
、無くなった方がいいと思います。その時でも、健康を維持・増進
する面の仕事は残るでしょうが。日本人全体が西式健康法を実行し
たら、日本人の病気は半分以下になると私は思います。

     ターミナル期の患者の場合

 「病は気から」を読み、気持ち次第で人生の目標を持って毎日規
則正しい生活を送ることができ、その結果として病気が治ったとい
うことに納得させられた。確かに「病は気から」である。

 これを読み終わった時、ふとターミナル期にある患者のことを思
った。ターミナル期の患者は、余命6ヵ月、3ヵ月などと告知を受
けている患者ばかりである。いくら「病は気から」と思っても彼ら
の病気は治らない。彼らも、自分の人生の最期が近いことを理解し
た上で生きている。

 そのような患者にとって「病は気から」などという言葉は聞きた
くもないだろう。ターミナル期にある患者の場合、「病は気から」
ではなく、「生は気から」だと考える。なぜならば、今の状態を受
容した上で、残りの人生をいかに自分らしく生きるかということが
人生を締めくくる上で重要になってくると考えるからだ。

 ターミナルケアの目的が、「その人がその人らしい生を全うする
のを援助すること」と定義されているのもこの重要性からだろう。
その人がその人らしい生を全うする、ということについて考えてみ
る。現代では、ほとんどの人が自宅ではなく病院で死を迎えている
(この現状がその人らしさを奪っているように思うが~)。

 その人らしく生を全うするにあたり、次のような話がある。ホス
ピスにおいて不眠を訴えている患者に対して看護婦は、「睡眠薬に
します? それともウイスキーかブランデーにします?」と尋ねた
ということだ。病院でしかも看護婦の方から、患者にアルコールを
勧めるとは!と世間からは批判されるかもしれないが、患者の生活
習慣を病院においても継続させることは、最もその人らしく生きて
いることだと考えるため、私はこの看護婦の患者への対応に共感で
きる。ターミナル期にあるからといって何もかも許されるわけでは
ないが、その人らしさを考えた場合、これも大切なターミナルケア
になると思う。

 生活習慣を改善することで病気が治り、生活習慣を取り戻すこと
でその人らしく生きられる。何だか矛盾しているようにも思えるが
、看護をしていくにあたり、患者個々の置かれている状況を考えて
ケアをしていきたいと思った。

 ★ 基本的に賛成ですが、睡眠薬かアルコール以外の選択肢も提
案できるように、様々な知識を持つことがプロには要求されると思
います。

     思いやりの方法

 私はいつもどんな看護婦になりたいかと問いただした時に、やさ
しくて思いやりがあってそれでいてよい技術を身につけている看護
婦になりたいと思う。思いやりとは「他人の身の上や気持ちをおし
はかること」とあるが、まだ看護技術を応用できるほどの余裕がな
くて、実習中にも患者さんに思いやりをもって接することで自己満
足してしまっているような気がする。

 私は幸運なことに、小さい頃から両親や周囲の人に思いやりをも
って育てられてきたし、24歳になった今でも恥ずかしいくらい思い
やりや優しさをもらっているため、思いやりをもって育てられなか
った人に比べれば、思いやりをもって接することができると思う。

 しかし、患者さんに対してただ優しく接することだけが思いやり
なのだろうか。以前、脳梗塞のために片麻痺で、糖尿病の合併症で
腎障害のために日に何度もトイレに行きたくなってしまう人を持た
せていただいたことがある。

 優劣で表現してはいけないのかもしれないけれど、看護学生と患
者という関係の前に私は自由に動けるけれど、患者さんは車椅子で
の移動もままならない状態なのだから、患者さんにできないことは
私がしてあげたいと思った。

 しかし朝、私が来るまでその患者さんはトイレに行くのを待って
いてくれたり、どこかへ行きたくなったら私を頼ってくれるように
なった。信頼関係ができるってこういうことなのかなと喜んでいた
反面、私の援助は果して患者さんのことを思いやった行為なのかと
考えるようになった。

 その患者さんは私の実習が終わったら在宅療養に変わる予定の人
だった。在宅に変わってからのことを考えると、私が何でもしてあ
げるのは思いやりでもなく優しさでもないと思った。この患者さん
に思いやりをもって接するとしたら、出来る限りのことは患者さん
自身ができるように援助していくことだろう。

 思いやりと一言で言ってもいろいろな形があって難しいと思う。

     学生版アンケートについて

 この前、学生版アンケートを行い先生に提出したが、先生から
「これは受け取れない」と言われ、残念だったが、当然のことだな
ぁと思った。

 先生が指摘していた通り、アンケート結果を先生に提出する前に
「これを発表してよいか」というような、アンケート結果に対する
意見を求める確認作業は行われなかった。アンケート結果が配られ
、どうしてこのような結果になってしまったのか、とても不思議だ
った。

 これまでの授業の雰囲気から考えても、私は大勢の人が毎回の授
業を楽しみにしていたと思うし、他の授業とは違う貴重な授業がで
きたと思っている、と思う。しかし、2年1組として提出したアン
ケート(特に「その他」の意見のところ)では、先生に対する批判
のような意見が多く載せられ、このような意見の人ばかりかのよう
な印象を受け、とても残念だった。

 このことにより、アンケートを行う時には、もっと自分の意見な
どに責任を持たなければいけないということを改めて感じた。今回
のアンケートでは、私はアンケートを集計する係ではないからとい
って、その係の人に任せっきりにしてしまっていた。

 今回のような学生版アンケートでは、クラス全体として提出する
ことは決まっているのだから、集計する係になった人に協力するな
り、集計結果がどうなったかなど、もっと気にしたり、自分から聞
きにいったりするべきだったなぁと思った。アンケート結果に対す
る確認作業を行わず、クラス全員が納得するようなアンケート結果
を提出することができなかったのは、アンケートを集計した人だけ
の責任ではなく、このアンケートに意見を提出した人、つまりクラ
ス全員の責任ではないかと思う。

 これまで私は、アンケートのことを、もっと軽く考えていたよう
な気がする。今回のことで先生にはとても嫌な気分をさせてしまっ
て申し訳ないと思うが、このことでアンケートの重み、自分の意見
に対する責任のようなものを学ぶことができ、とても自分のために
なったと思う。この経験を無駄にすることのないように、これから
はもっと有効的なアンケートができるようにしたいと思った。

 ★ 批判は自由ですが、中傷や誹謗(ひぼう)は不自由、という
ことです。

     パソコンについて

 冬休みに入ってすぐに哲学のレポートをパソコンで打ち始めた。
私にとって初めての超大作だった。我が家にはパソコンはすでにあ
ったのだが、私は機械が大の苦手なので、近づきもしなかった。私
以外の家族はインターネットやメールなどをしていたりして楽しげ
だったが、やらなかった。

 そんな私が今回、哲学のレポートをパソコンで行った。それは、
(1) 量が多い、(2) そろそろ私もパソコンをやらねばというあせり
、(3) パソコンを覚えようというやる気から、やってみよう!と決
心した。

 最初なんて大変で、ワープロにするところから分からなくて、一
人で騒いでいた。ワープロが開けると、次はファイル、保存の仕方
が分からない。どれだけ消えたことか~。ショックで悔しくて涙が
出た。でもそこで投げ出すこともなく、終了できた。うれしかった
。達成感でいっぱいだった。

 もうワープロの開き方、保存の仕方、両手でワードを打てる。こ
れからはキーボードを見ずに打つ、という目標もできている。パソ
コンの波に乗り遅れないよう、努力したいと思った。

 ★ 今回の宿題のためにパソコンに習熟したという報告が多数寄
せられています。必要に迫られないと人間はしないのです。皆さん
、よかったですね。


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