ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

教育の広場、第 161号、山本義隆さんの労作

2005年09月10日 | 教育関係
教育の広場、第 161号、山本義隆さんの労作

 山本義隆さんの労作『磁力と重力の発見』(みすず書房、全
3巻)が評判になっています。この本は昨年、大仏次郎賞と毎
日出版文化賞とパピルス賞の3つを受賞したものです。

 広告の文章によりますと、本書は「遠隔力の概念が、近代物
理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンに
いたる空白の一千年余を解きあかす」ものだそうです。

 〔2004年〕02月29日の広告によりますと、既に累計で9万部
売れたそうです。出版された時から噂は広まっていましたが、
受賞後に更に伸びたようです。

 この報に接して私の考えた事を箇条書きにまとめます。

 第1に、私は山本さんを個人的には知りませんが、山本さん
にとってよかったなと思いました。それははっきり言って何よ
りもお金の面でのことです。これで印税が3千万円以上入った
と思うからです。今後もまだ増えるでしょう。

 第2に、この本については広告の文章にもありますが、「ア
カデミズムの外で生まれた」ということを考えなければならな
いでしょう。

 彼はかつて1960年代末の大学紛争の時、東大の全共闘(全学
共闘会議)の議長として活躍され、とても有名な人でした。そ
の後、大学をどのようにして出たのかは知りませんが、ともか
く研究室には残らず(残れず?)予備校で講師をして生活して
きたそうです。

 その講師の生活のかたわら、あるいはその授業の中で持った
問題意識を追求して今日の成果を残したのです。

 ではこの成果を「アカデミズムの外で生まれた」と称する
時、その言葉の意味は何でしょうか。「大学教員ではないため
に研究条件が劣悪だっただろうによくこれだけの成果を上げ
た」というのが普通の解釈だと思います。

 しかし、山本さんくらいの講師になるとかなりの給料を得て
きたのではないでしょうか。しかも、予備校の場合は大学と違
って、事務的な事はすべて事務員がしますから、講師はかえっ
て授業に集中できます。

 逆に言いますと、大学教員の場合は大学の雑務にかなりの時
間とエネルギーを取られるようです。これも真面目にやる人と
うまく逃れる人とがいるようですが。

 予備校講師には身分保証がないので不安だと言うかも知れま
せんが、そしてそれは事実ですが、山本さんくらいの実力と熱
意があれば、失職の心配は事実上なく、授業に専念できたので
はないでしょうか。

 たしかに予備校講師には退職金がありません。これは困った
事です。私が最初に「よかったな」と書いたのはこれと関係し
ています。この印税が山本さんにとって退職金の代わりになる
と思ったからです。

 研究費について言いますと、たしかに実験系の学問ですと、
これは研究機関の外でやるのは難しいでしょう。しかし、山本
さんの今回の研究のような科学史ならば、その種のお金は大し
てかからないと思います(かつて小倉金之助氏が数学史をテー
マとされた時も、同じような理由からだと聞いています)。

 たしかに史料集めは大変だったようですが、報じられる所に
よりますと、教え子で大学の研究者になった人たちが、外国の
図書館の史料などをコピーしたりして送って協力してくれたそ
うです。

 一番困るのは、予備校は年中なんだかんだと授業をしてい
て、長期休暇がないことです。これはやはり辛かったと思いま
す。

 と言うわけで、大学教員でないのによくやったという考えは
必ずしも当たらないと思います。長谷川宏さんなども、同じよ
うに東大の大学紛争を契機として大学に残ることを潔しとせ
ず、連れ合いと学習塾を開いて口を糊するかたわら、研究を続
けてきたようです(長谷川さんの翻訳には強い批判が出ていま
すが、そしてそれに答えないのも問題ですが、今はそれは言い
ません)。

 第3に、従って、日本の進学熱が塾とか予備校を生んだとい
うことの意義を考えました。それは文部省の干渉を一切受けな
いが故に、自由な学問と教育を可能にしたという面があると思
います。そして、山本さんや長谷川さんのような人達に働く場
を提供したということです。

 私も塾に少し関わった経験がありますが、塾とか予備校の場
合どうしても免れない欠点は、先にも言いましたように、年中
無休で長期休暇がないということと、やはり教えるレベルが余
り高くなく、大学院レベルのことは無理だということ、その意
味で授業と研究との乖離が大きいということなどです。

 第4に、最後に私の最も考えた事は、山本さんがかつて全共
闘で追求した事柄はどうなったのか、そのテーマと今回の著作
(研究)とどう関係するのかということです。

 全共闘は大学のあり方と学問のあり方を問うたのではないで
しょうか。そうだとすると、学問のあり方についてはこれで山
本さんなりの答えを出したと言えるのかもしれません。

 しかし、全共闘というのは、自分が正しい学問をすれば好い
というものではなかったと思います。日本の学問を本当のもの
にしたいということだったと思います。

 しかるに、この本はアカデミズムの外の人達だけでなく、ア
カデミズムの内部の人によっても称賛されています。これはど
ういう事でしょうか。この本はアカデミズムにとって無害なも
のだということではないのでしょうか。とても気になることで
す。

 かつて空想的社会主義者のロバート・オーウェンも、自分の
工場で労働者の福祉を考えた理想的な経営をしていた間は皆に
褒められました。しかし、その考えを社会全体に適用しようと
した時、排斥されました。

 山本さんが自分の研究だけを模範的なやり方でしている間は
皆に好かれるだろうと思います。しかし、山本さんの目標はそ
ういう事なのでしょうか。

 全共闘がつぶれてから30年余りたちました。そして、ここ10
年くらいは少子化を背景として私立大学を中心とした改革が進
んできています。又、国立大学も行政改革の中で独立行政法人
になって外部評価とか競争といったことが日程に上っており、
改革も少し行われてきています。

分かりやすく言いますと、山本さんたちの抗議行動によって
ではなく、財政的な事情に強制されて改革が始まっているわけ
です。もちろんこの改革も必ずしも好い方向への改革ばかりで
はないようです。

こういった事も踏まえて、山本さんは最近の大学と学問のあ
り方をどう考えているのでしょうか。そして、それに対して今
回の大著によってどう対処したつもりなのでしょうか。又、今
後どうするつもりなのでしょうか。私の聞きたいのはこの事で
す。

お金というのは、違法な手段によって稼ぐのでない限り、パ
チンコで儲けても株で儲けても立派な本で儲けても、大した問
題ではない、と私は思っています。一番の問題は、儲けたお金
をどう使うかだと思います。

私がこれまでの乏しい経験から得た結論は「お金の使い方の
中にその人が出る」というものです。

山本さんはこれで得た知名度とお金と可能性をどう使うので
しょうか。

 (2004年03月03日発行)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。