ヒロコのブログ

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妹から電話

2010-03-31 17:25:07 | 日記・エッセイ・コラム

 お昼すぎ妹から電話があった。元気にしている。昨夜上げたので朝食は食べなかったが、お昼はみんな食べたと言った。先生は悪いところはみんなとったと言われた。早く帰れそうだとも言った。

 もう起きれるのと言うと「携帯」だと言った。なんと便利だなものだな。うさぎちゃんはかける処がないと思い持ってない。また必要に迫られたら持つかも知れない。

 心配したが手術も無事済み、転移もないようで一安心だ。もう退院を待つのみ。といっても癌なのでいつどうなるかも、これだけは心得ておかなくては。


手術は無事に終わった

2010-03-30 23:38:35 | 日記・エッセイ・コラム

 妹は昨日入院して最後の検査「どこを切るか」を受けた。つまり正確に切る位置を調べる検査だ。

 手術は今日の2時からの予定だったが、先の人が遅れ2時半から始まり5時半に終わった。3時間程だ、看護師さんによると早い方だそうだ。

 幸い周りのリンパ腺には転移はなかったそうだ。切りながら転移はないか調べるそうだ。あれば切除される。

 切除したしこり等は組織検査でどんな癌か調べるそうだ。

 妹は切った処がすくないので1週間か10日程で退院できるそうだ。

 心配していたが、転移がなくて本当に良かった。しこりだけとったのでおっぱいのかたちも変わらずに済んだ。

 もう40年余りも前になるが母も乳癌になった。この時はしこりと、しこりの出来たリンパ腺をとり、がん検に送り真性の癌だ、1日も早く手術するように言われ、リンパ腺とるべく1月に入院した。

 事前の検査はすべて終わりいよいよ手術という段階で、風邪が大流行で学級閉鎖もあるほどだった。母も風邪引いて手術が延びた。

 その間、先生はきつい抗癌剤を大量投与され、その副作用で弱ってしまい手術出来なくなった。

 内科に移り9月までいて退院した。

 その後外科の先生も変わり、新しい先生は「絶対大丈夫とは言えないが、もう通院もいらんと言われ、その後乳癌に関しては何事もなく98歳で逝った。

 医学は日進月歩で進んでいる。今は一度で済ませるようになったんだ。 

 乳癌は開くとパット拡がって転移するそうだ。それで一度ですますようにするんだそうだ。


草もゆる

2010-03-28 16:01:52 | 日記・エッセイ・コラム

 寒い日もあるが暖かくなりだして草引きせんならんと思いながら、亭主の世話に追われてのびのびになっていた。

 なのに入院でまた引かれない。もう-はや草の森になりつつある。だが引く元気もない。この処毎日、今引いたら柔らかくて良く引けると思うばかりだ。

 花のない時期もヒヨや鳩にまじってメジロのつがいも来ていたが、花が豊富になると来なくなった。雀も来ない。雀は落ちた種を目当てに来ていたようだ。

 渋柿が葉を出し始めた。枯れ枝に芽をつけ一斉にほころび始めた。

 1本になってしまったので生るだろうか?甘柿を植えなくては。今度も早生を植えよう。

 なぜって?出始めの珍しい内に食べたいものね。

 それより苦土石灰を買ったなり入れていない。ちょっとの時間で入れられるのに不精しているんだ。

 眠たいのを我慢して書いているとキ-が打てなくなった。

 亭主が入院する前日にゆず味噌炊こうと残りのわずかなゆずを捥いでいた。

 炊けなかったので今から炊こう。このゆず味噌は時間がかかり何時も2日がかりになる。友達に頂き物したので炊いて差し上げようと思っていた。

 気になっていたがやっとかかれる。


退院

2010-03-27 18:01:39 | 日記・エッセイ・コラム

 1週間ほども休んだ。

 その間も病院へは行った。洗濯物があるので行かないわけにはいかない。

 23日に明日先生から退院に向けての話があるので午後3時~4時に来てくれと言われた。

 亭主もレントゲン撮ることになっており、このレントゲンが良かったら退院できると言われたそうだ。

 幸いレントゲンは入院当初に比べよくなっていた。

 主治医の先生は「手術の後が元凶だ」と言われた様に、肺炎よりそのほうに重点を置いて治療して貰ったようだ。

 解熱剤の投与もあり40度程の熱も39度代、8度代と下がっていった。内では何時も37度代だったが6度代になった。退院前6度代が2~3日続いた。これでやっと平熱になったと思った。

 先生は退院とは言われないのに、亭主は帰る帰ると言って聞かない。

 うさぎちゃんは疲れて世話は出来ない。何処かへ行ってよと言うと「ディサ-ビス」へ行くと言う。まだ酸素もとれないのに、それに入院前より動きが悪くなっている。

 せめて1人でおトイレへ行けるようにならなければどうしようもない。

 看護婦長さんが来て下さり、「退院後近くの先生にかかり、熱がするとか変わったことがあったらすぐに通院するように言われ25日午後から退院することになった。

 付いて下さっていた学生さんも突然の退院に看護学校の先生が来られ、急な退院で半ばになったと言われた。どなたもも退院とは思ってもみなかったんだ。

 帰ると以前にもまして、アレせえ、コレせえという。ディサ-ビスも体力が回復してから行くと言う。退院するためにいい加減なこと言ったんだ。


強風の中

2010-03-21 22:37:16 | 日記・エッセイ・コラム

 亭主の髭が伸びたので電気カミソリ持っていこうと出してみると、スィッチが入らない。充電も出来ない。こわれてしもた。以前病院へ持って行った時はちゃんと使えたのに。

 昨日帰って洗濯を済ませてから、新しく出来たヤマダ電機に買いに行った。強風で自転車が進まず時間がかかった。

 夕食の支度が遅くなり、食後そのままうたたねしてしまい、目があいたのは0時過ぎ。もうお風呂に入るのも嫌になり寝てしまった。

 今日はしんどうて病院へ行くのも嫌だったが洗濯物に紙おむつ、カミソリ等持っていくものがあったので行った。

 亭主は行くそうそう内にいた時と同じように言って怒る。病院で何かあったのか?

 言葉がますます聞きとりにくくなり、何度も聞きなおすので余計怒る。二言目には補聴器買えと言う。うさぎちゃんの耳悪くないと言っても聞かない。

 しょっちゅうナ-スコ-ルを押す。

 いま看護師さんは忙しいねんでと言いながらうさぎちゃんがしていると、したら怒られると言う。医療行為でなく日常のことなんだからしてもいいと言いながらせんならん。

 学生さんが付いてから、彼女は聞いてからでないと1人で何もできないと言って、どんな些細なことでもすべて聞く。

 これがうつったんだろう。

 また、何か自分でしていて怒られたんだろう。ほんまに世話のやける人なんだ。

 帰り道、もう足が出ない感じだった。とぼとぼ歩いて自転車おいてる処までいき、思った通り自転車は強風で倒れていた。

 帰るなり倒れこむようにして寝た。2時間程も寝ていたろうか?その分御夕飯が遅くなった。自分の体、自分でコントロ-ル出来ない。もう疲れがたまってきたんだ。


1人では何もできない

2010-03-18 17:07:28 | 日記・エッセイ・コラム

 手伝って貰う学生さんは何事も看護師さんに聞いたり、指示されたりしないと何もできない。自分の判断で何もできない。

 日常的なことはうさぎちゃんの方がずっと自由にできる。期待はずれだった。学生さんの研修なんだから仕方ないか?

 例えば食事の御膳の下げるのも、看護師さんに聞いてからなんだから。1事が万事、何事もそうなんだから。

 斑入りの椿が沢山の蕾がおいおい開花している。花はみんな陽の差す東向きになっている。

 赤い椿もやはり東向きに開花している。

 植物も動物もすべての生き物は太陽の恵みを受けている。

 この頃のように地球温暖化で氷河が溶けだしたり、島が沈んで住めなくなったりしている処もあるそうだが、どうなっていくのか?

 この処春めいたと思うと、まるで真冬に逆戻りしたような気候。なたね梅雨を思わせるような雨、異常気候と言わざるを得ん。

 春よ来い。早く来いだよね。


学生さんが

2010-03-17 17:44:18 | 日記・エッセイ・コラム

 今日病院で付属の看護学校の生徒さんが実習のため、明日18日~26日まで日常生活の援助及び診療の補助等の看護援助をして下さることになった。

 うさぎちゃんにはむりばかり言うが、他人様にはいい子するので、まあ何とかなるだろう。

 そうなるとうさぎちゃんも行く回数を減らせると思う。隔日に洗濯物が出るのでそれは取りに行って届けんならんが。

 明日行くといろんなことが解るだろうと思う。

 妹が新しい病院へもう一度検査に行く日だった。そこは2台のMRIで骨と内臓が一日で検査出来るので、警察病院から予約して貰って行ったそうだ。同じ検査を二度もしたんだ。随分念の入れようだが転移してないか?のためなんだ。

 写真を全体や部分や沢山とったそうだ。その診断を26日にして貰うのだそうだ。それで手術の日が決まる。(今の処大体4月6日ごろの予定だ。)妹の手術も気になる。

 


久しぶりの快晴

2010-03-14 17:10:54 | 日記・エッセイ・コラム

 お天気の悪い日が続いたが今日は朝から快晴。天気予報でも降水確率0%

 亭主のお布団干し、シ-ツも洗ってから病院へ行った。

 鼻血出していた。よう鼻血の出る人だ。以前に出たような多量でなかった。

 亭主の昼食がすんだので院内のレストランに行くと日曜日で休みだった。うっかりしていた。曜日も解らなくなることがある。

 布団入れるので早く帰ってきたが、洗濯物持って帰ってきたのを、洗濯機に入れたりしていたら、昼食が3時半になった。こんな時間になると空腹も解らなくなる。また夕食の時間には摂れない。

 亭主がいるときも先に食事させるので、うさぎちゃんの食事は遅くなる。食べかけるとあれこれ用を言う。後でいいと言ったので本気にして食べていると、待ちきれなくてまたしても言う。うるさいので言った時に立つ。

 こんな調子で食事中立たずに済むのは寝てる時だけだ。

 今はゆっくり食事ができる。


昼寝

2010-03-13 17:41:01 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日病院から帰りに明日マッサ-ジと耳鼻科に行くと言うと来なくていいと言った。やれ嬉しだ。

 マッサ-ジを済まして耳鼻科に行ったらすごい人、入らずに帰ってきた。赤ちゃん抱っこした人たちが廊下でも待っていた。土曜日なのであかちゃんは両親で連れてきているんだ。

 帰りに農協に寄って野菜を買ってきた。

 風邪がすっきりせず、病院にいても咳や鼻が出るのが気になって、その都度部屋を出ていた。行かずに済んでほっとしている。

 入院する前、毎日毎日むり言うので世話に疲れ果て、なんとかしなくては共倒れのなると思っていた矢先入院した。こんなこと言って申し訳ないが、渡りに舟だった。

 病院に行ってもうさぎちゃんには相変わらずぐずぐず言う。そのぶん看護師さんには何かして貰うと「ありがとう」とお礼をいっている。行かないほうが病院に慣れていいだろう。

 昼から1時間余り昼寝した。すごい汗だった。面倒だったが引き添えたら大変と思い着替えをした。起きた時はしんどかったが1時間もするとシャンとした。これで風邪退散してくれればいいな。

 買ってきたキャベツはピクルスに、ブロッコリ-とホウレンソウは茹でておいた。これで簡単にごま和えやス-プができる。トマトは切っただけでいいし。

 


時効の特例

2010-03-12 18:10:36 | 日記・エッセイ・コラム

 亭主に日本年金機構から時効になった年月特例として給付支払い額の明細が届いた。

 もっと先になるかと思っていたが、案外早かった。

 よく見ると平成11年に国民年金と厚生年金が合併したんだ。

 厚生年金を受給し始めた頃は物価スライドで年に5%だったか?増額していたと思う。

 平成15年度からは少しづつ減額されている。物価が下降したのか?

 いつ入金するのかと思っていたら3月に振り込む旨通知が届いた。

 時効にならなかった5年間分は2月の年金に上乗せして振り込まれた。所得税、社会保険料等さし引かれ、ヒャ-こないに引かれるんだと税額の多さに吃驚だ。

 社保庁の年金特別便で、掛け捨てにされていた国民年金も加入期間に加えられた。バイトで働いた3ヵ月間も加わり、すべてもれなく受給できた。

 他に大勢の漏れや改ざんされた方があると思う。その方達も早く解決されることを願っている。