10月7日から9日町田在住の叔母と吉之助と3人で青森を旅しました。
そもそも一番の目的は父の戦友にお会いすることでした。
今回の旅行を企画してくれたのは亡き父の一番末の妹(70歳です)日出子叔母様です。
9月5日父の28回目の命日に青森在住の父の戦友から叔母の元に電話がありました。
実は叔母が20年前、父が戦地の回想をしたためてあった日記を本にして、
戦友の方々にもお渡ししてあったのです。
青森在住の父と戦地でともにした松沢さんはこの本に感慨ひとしおで「自分が元気なうちに輝さん(父の愛称)の兄弟や、お身内にお会いしたい」と叔母と電話でお話されたそうです。
それを叔母から聞いて私もそして吉之助も青森まで父の戦友の方にお会いしたい気持ちがふつふつと涌いてきました。
このような過程で、70歳になる叔母、そしてドタママ、吉之助と3人3様ユニークな3人の旅が実現したわけであります。(ヒロ君は仕事で行かれませんでした)
何しろ東京より東にはめったに行っていない私。
東北は私にとって未知の世界なのです。
9時15分の秋田新幹線こまち に乗車、
盛岡から秋田までは新幹線とは思えないほどゆっくりしたスピードです。
秋田に着いたのは13時30分を過ぎていました。
リゾート白神号に乗り換え。
車内は個室になっており、テーブルもついています。
外の景観が楽しめられるよう、窓も大きくつくられています。
左はブナ林白神山地を目にし、右は日本海の荒波を見、最高の景観を味わえる汽車の旅です、
東京を出るときは晴れだったのですが、私たち3人の訪れが台風の目だったのでしょうか。
台風とともに北上してきた3人組。
せっかくの景観も雨で残念でした。
4時過ぎに今夜の宿泊場所、ウエスパ椿山に到着。
宿の迎えのマイクロバスに乗っていざ不老不死温泉へ。
ここの温泉は何と海岸に露天風呂があるのです。
土曜ワイド劇場のロケ地などでよくロケにも使われるところです。
あいにくの雨で海岸沿いの露天風呂には入れませんでした。残念!
そして今度の旅行の一番の目的だった戦友の方との対面を、不老不死温泉のホテルのロビーで実現しました。
私たちが到着する時間にはすでにロビーにいらっしゃり、感激の対面となりました。
このホテルに勤めていらっしゃるお孫さん(すごい美人でした)が引き合わせてくださり、初めての対面なのに、何故か、私も叔母も懐かしい不思議な気分に浸りました。
叔母の太った体型が亡き父とよく似ていたみたいで開口一番「輝さんによっく似ておられる、輝さんに会えた気分がします」とまるで亡き父に会ったかのように懐かしそうに何度も手を握られておられました。
私も初めてお会いした方なのに、何故か、涙が自然にでて、仕方ありませんでした。
この涙は?
きっと父の魂が私の心に乗り移り、戦友松沢さんに会えた父の感動の涙を私の目から流させたのでしょう。
戦友松沢さんは87歳とは思えないほど背筋もぴしっとまっすぐで、
凛とされ、戦争を体験された唯一の弁者である誇りのようなものをお持ちです。
生きていた頃、父の話すことと言ったら戦争体験の話ばかりでした、
話好きの父でしたからそれはそれはおもしろく戦争体験の話をするのですが
若い頃の私は、父の戦争の話には閉口しておりました。
人生50年余、駆け足で過ぎていった自分の半生を少し振り返る余裕が出てきた今、父が過ごした戦地での暮らしがいかに、過酷だったかを娘として、しっかり
知っておきたい気持ちにかられております。
夕食を松沢さんと取りながら、父の戦地の様子がまるでタイムスリップしたかのようにわかっていきました。
松沢さんは、昔を懐かしむように、松沢青年に戻ったかのように熱く戦地での様子を話し始めました。(この続きは次回へ)
そもそも一番の目的は父の戦友にお会いすることでした。
今回の旅行を企画してくれたのは亡き父の一番末の妹(70歳です)日出子叔母様です。
9月5日父の28回目の命日に青森在住の父の戦友から叔母の元に電話がありました。
実は叔母が20年前、父が戦地の回想をしたためてあった日記を本にして、
戦友の方々にもお渡ししてあったのです。
青森在住の父と戦地でともにした松沢さんはこの本に感慨ひとしおで「自分が元気なうちに輝さん(父の愛称)の兄弟や、お身内にお会いしたい」と叔母と電話でお話されたそうです。
それを叔母から聞いて私もそして吉之助も青森まで父の戦友の方にお会いしたい気持ちがふつふつと涌いてきました。
このような過程で、70歳になる叔母、そしてドタママ、吉之助と3人3様ユニークな3人の旅が実現したわけであります。(ヒロ君は仕事で行かれませんでした)
何しろ東京より東にはめったに行っていない私。
東北は私にとって未知の世界なのです。
9時15分の秋田新幹線こまち に乗車、
盛岡から秋田までは新幹線とは思えないほどゆっくりしたスピードです。
秋田に着いたのは13時30分を過ぎていました。
リゾート白神号に乗り換え。
車内は個室になっており、テーブルもついています。
外の景観が楽しめられるよう、窓も大きくつくられています。
左はブナ林白神山地を目にし、右は日本海の荒波を見、最高の景観を味わえる汽車の旅です、
東京を出るときは晴れだったのですが、私たち3人の訪れが台風の目だったのでしょうか。
台風とともに北上してきた3人組。
せっかくの景観も雨で残念でした。
4時過ぎに今夜の宿泊場所、ウエスパ椿山に到着。
宿の迎えのマイクロバスに乗っていざ不老不死温泉へ。
ここの温泉は何と海岸に露天風呂があるのです。
土曜ワイド劇場のロケ地などでよくロケにも使われるところです。
あいにくの雨で海岸沿いの露天風呂には入れませんでした。残念!
そして今度の旅行の一番の目的だった戦友の方との対面を、不老不死温泉のホテルのロビーで実現しました。
私たちが到着する時間にはすでにロビーにいらっしゃり、感激の対面となりました。
このホテルに勤めていらっしゃるお孫さん(すごい美人でした)が引き合わせてくださり、初めての対面なのに、何故か、私も叔母も懐かしい不思議な気分に浸りました。
叔母の太った体型が亡き父とよく似ていたみたいで開口一番「輝さんによっく似ておられる、輝さんに会えた気分がします」とまるで亡き父に会ったかのように懐かしそうに何度も手を握られておられました。
私も初めてお会いした方なのに、何故か、涙が自然にでて、仕方ありませんでした。
この涙は?
きっと父の魂が私の心に乗り移り、戦友松沢さんに会えた父の感動の涙を私の目から流させたのでしょう。
戦友松沢さんは87歳とは思えないほど背筋もぴしっとまっすぐで、
凛とされ、戦争を体験された唯一の弁者である誇りのようなものをお持ちです。
生きていた頃、父の話すことと言ったら戦争体験の話ばかりでした、
話好きの父でしたからそれはそれはおもしろく戦争体験の話をするのですが
若い頃の私は、父の戦争の話には閉口しておりました。
人生50年余、駆け足で過ぎていった自分の半生を少し振り返る余裕が出てきた今、父が過ごした戦地での暮らしがいかに、過酷だったかを娘として、しっかり
知っておきたい気持ちにかられております。
夕食を松沢さんと取りながら、父の戦地の様子がまるでタイムスリップしたかのようにわかっていきました。
松沢さんは、昔を懐かしむように、松沢青年に戻ったかのように熱く戦地での様子を話し始めました。(この続きは次回へ)
このあと、書いていこうと思いますが
十和田湖 奥入瀬渓谷 八甲田山
すばらしくいい景色でした。
もう一度行きたいですね。
コンクール楽しんできてくださいね。
ドタパワーを送りますよ!