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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧日記 7/9 「もっと良い仕事が」と誘われ

2014-07-09 17:35:54 | 虚無僧日記
名古屋駅 朝8時。

「YAMADA電気」前で吹いていたら、男性が寄ってきて、
「仕事しないか?」と。
「何の仕事ですか?」
「片付け」と。

「時間に拘束されるのは、ちょっとォ」とお断りした。

先日、若い女性に「何か他にすることあるでしょうに」と
言われた矢先。

喜捨してくださる方をひたすら待つより、肉体労働でも
した方が収入にはなる。

その男性も、同情と親切心で声を掛けてくれたのだろう。

今、建設現場では 人手が足りないそうだ。
「片付け」と聞いて「遺品整理」かとも思った。

孤独死などで、腐乱死体の後の片付けは大変のようだ。
いい金になるようだが、私は「死者の弔いの献笛」で 
携わることができればと思う。

虚無僧日記 7/8 「父が吹いていました」とご婦人が涙され

2014-07-09 17:11:34 | 虚無僧日記
7/8 名古屋駅前、高齢のご婦人が、私の側らで
かがみ込んで・・・・・。

何か事情おありと感じ、一曲一曲静かに丁寧に吹く。
数曲吹き終えたところで、ご婦人が立ち上がり、
私にお布施を差し出し、

「私の父が、尺八大好きでした。いつも縁側で、
裸で吹いてました。軍属で泰緬鉄道の建設に・・・・」と、
後は涙声。「尺八の音で、父を思い出しました。
ありがとうございます。ありがとうございます」と。

私も共に涙しました。天蓋で 涙目を隠しながら、
一曲、また一曲。

尺八には 魂を呼び起こす“霊力”があると私は
信ずる。



☆「泰緬鉄道(たいめんてつどう)」。第二次世界大戦中、
タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ鉄道として、旧日本陸軍に
よって建設された。現地人を強制連行し、英国軍の捕虜を
使い、大量の死者を出したことから、「死の鉄道」と
呼ばれる。戦後、捕虜虐待でBC級戦犯に問われ、多数
処刑された。

7月7日から「虚無僧100日行」開始 まずは朝のラッシュ時から

2014-07-09 12:05:41 | 虚無僧日記
すぎもとまさと『吾亦紅(われもこう)』の歌詞
 
「後で恥じない 自分を生きろ
 あなたの あなたの 形見の言葉
 守れた試しさえ ないけど

 あなたに あなたに 威張ってみたい
 来月で俺 離婚するんだよ 
 そう はじめて 自分を生きる」

「離婚することが、なんで威張れることなの?」
「全然 意味わかんねぇ」というコメントがネットで
飛び交っていますが、中高年のオジンにはわかります。
実は“われ(私)もこう”なんです。


妻子の束縛から解放されて、晴れて自由の身。やっと
はじめて、自分を生きる。なりたかった虚無僧になれた。

というわけで、7月7日から「100日虚無僧」スタート!
パンパカパ~ン、尺八では「ハロツレチ~」

朝8時 出勤ラッシュ。驚きました。名古屋駅はものすごい
人人人。こんなになっているとは 驚き。20年前、
名古屋に来た時は、出勤時間でも 地下鉄は 座れるほど
ガラすきでした。それが、改札口から階段、ホームまで
人がびっしりで 少しずつ動く状態。地下鉄は2分刻みでも、
ホームにはぎっしり積み残された人で 埋め尽くされて。

100倍も人口が増えたわけではなし。20年前は
無かったツインタワービルやミッドランドなどの
高層ビルが 名古屋駅前に。さらに愛知大学も笹島に、
というわけで、近郊近在、三重、岐阜などの他県からの
流入が激増したのね。

名古屋駅の乗降客数は一日111万人(ちなみに、
新宿駅は世界一で365万人)。

こんなにたくさんでは、誰も「虚無僧」なんかに
カマってられない。全く無視無視無視。それに
ほとんどの人がケータイやスマホを見つめ、若者の
1割はイヤホーンやヘッドホーンをつけて、自分の
世界にひたりこみ。

虚無僧も天蓋被って、自分の世界に籠もってはいる
のだが、お互い、全く疎通なし。人は多くても
ますます孤立感、孤独感に浸る不思議な世の中に
なりもうした。

『別涙』 因幡晃

2014-07-08 12:25:17 | 虚無僧日記
「ごめんなさい」そして「ありがとう」

「貴方には 貴方の “道”がある」の“道”が、
今の私には“意地”にも聞こえます。


因幡晃 『別涙(わかれ)』

作詞:因幡晃
作曲:因幡晃

白い旅行カバンを 渡す時
そっとふれた貴方の やさしい手
ひとごみに言葉を かき消され
涙がさよならを言っていた
いいのよ もういいの 私の事は

泣いてついて ゆきたいけれど
貴方には貴方の道がある
いつも心に決めていたの
別れという日が来るのを

雨がいつか涙とぬれる時
そっとぬぐう貴方のやさしい手

汽車はすぐそこに来てるのに
じっと見つめてる やさしい目
さあ行って もういいの 私の事は

泣いてついて ゆきたいけれど
貴方には貴方の道がある
いつも心に決めていたの
別れという日が来るのを

泣いてついて ゆきたいけれど
貴方には貴方の道がある
いつも心に決めていたの
別れという日が来るのを

「忍冬(すいかずら)」因幡晃

2014-07-08 12:17:17 | 虚無僧日記
忍ぶ冬」と書いて「すいかずら」。

「忍ぶ」という字は 心に刃を乗せるのね


作詞:ちあき哲也
作曲:杉本真人


だっていつかこじれて 駄目になるより
恋の匂いさせずに そばにいたいわ
たまに逢ってこうして飲めるだけでも
女として少しは 夢があるでしょ…
失くせない 人だから つづけるひと幕 
友達芝居 だけど

忍ぶという字は 難しい 心に刃を乗せるのね
時々心がいたむのは 刃が暴れるせいなのね

もっと楽な生き方 してもいいのに
なぜかわざと淋しい 道をえらぶの……

今日は今日の傷みが 胸をしめても
ひとり席を立つまで 泣きはしないわ
ばかなのね 古いのね 死ぬまでひそかに 
愛するなんて だけど

いとしい花なら 忍冬(すいかずら) 
夏でも秋でも春の日も

どうしてわたしの愛しさは 
忍ぶという字がつきまとう

だけど…
忍ぶという字は 難しい 心に刃を乗せるのね
時々心がいたむのは 刃が暴れるせいなのね
Lai Lai Lai…
Lai Lai Lai…

「わかってください」 因幡晃

2014-07-08 11:28:16 | 虚無僧日記
「佐村河内」かと思った(失礼)。「因幡晃」の
「わかってください」泣けました。

『わかって下さい』

作詞:因幡晃
作曲:因幡晃

貴方の愛した 人の名前は
あの夏の日と共に 忘れたでしょう
いつも言われた 二人の影には
愛がみえると

忘れたつもりでも 思い出すのね
町で貴方に似た 人を見かけると
ふりむいてしまう 悲しいけれどそこには愛は見えない

これから淋しい秋です
時折手紙を書きます

涙で文字が にじんでいたなら わかって下さい

私の20才の お祝いにくれた
金の指輪は今も 光っています
二人でそろえた 黄色いティーカップ
今もあるかしら

これから淋しい秋です
時折手紙を書きます
涙で文字が にじんでいたなら わかって下さい
涙で文字が にじんでいたなら わかって下さい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日、角を曲がって出会いがしらに、昔の彼女と鉢合わせ。
私に気づいた彼女、咄嗟に身を翻して、私を避けて
逃げていきました。この詩とは ま逆。所詮、男が女心を
歌った詩は、男性の願望。現実とは逆。悲しいね。

「虚無僧」修行再開 26/7/5 名古屋駅前 外国人に囲まれて

2014-07-07 21:28:46 | 虚無僧日記
ようやく、部屋も片付き、10/26の能楽堂に向けての
準備も整った。今日から毎日、チケットを売り歩こうと
虚無僧を再開。町に出て、出会った人に、公演の案内を
しようという魂胆。

虚無僧でのお布施は二の次なので、どうも、尺八に身が
入らない。そのせいか、お布施はサッパリ。消費税8%の
せいか、一円玉ばかり。やはり 自分の心の有り方なのだろうか。
それとも、世の中が急激に虚無僧から離れていっているのだろうか。

外人でさえ、虚無僧に関心を示さない。と思いきや、今日は
名古屋駅前で、少々、いやだいぶ色の黒い一団に取り囲まれ、
交代で私の側らに立って、記念撮影とあいなった。


最後に、大きなカメラを抱えた男性が、私に近寄ってきた。
聞くと「スリランカ」からという。小乗仏教の国だ。

ぎっしりお札が詰まった財布から、よいしょよいしょと
千円札を取り出して、私のげ箱に入れてくれた・・・・?
「しめた、これで帰れる」と、ウキウキ、家に帰って
げ箱をひっくりかえしたら、お札は見当たらず。
出てきたのは10円玉だけ。

なんや、狐につままれたか。小判が葉っぱだったという
感じ。今日も夕飯抜き。最近 3kgも痩せました。


「ないていください」?

2014-07-07 20:54:54 | 虚無僧日記
名古屋駅前の、いつもの私(虚無僧)の立ち居地に、最近
毎日、若者がプラカードを掲げて立っている。

「ないて~いくださ~い」の声に「泣いてください」かと
思ったら「内定 下さい」。つまり就活中で、なかなか
決まらないので、街頭にたってのパフォーマンスのようだ。

こんな所に昼日中立ってたって、企業の人事部の人は
通らないだろう。「もっと することあるだろうに」と
思ってしまう。

さて、5時以降は、私がそこに立つ。
若い女性が 私を見て、にらみつけるような顔で
「他に やることあるでしょうに」と、吐き捨てていった。

ゲゲゲ、昼間の学生と一緒かぁ。

なるほど、私の目の前でせっせとティッシュ配りをしている
お姉さん。日当は6時間で6千円にもなるそうだ。

同じ時間、尺八吹いて200円がやっと。善意の喜捨に
すがるより、ティッシュ配りのアルバイトでもした方が
たしかに金にはなる。

でも世の中、金の価値では計れないものがあるのよねぇ。
「泣いてぇぇ くだせぇぇぇ」。就活中の学生の方が
切実だねぇ。

誰も知らなかった一休の真実

2014-07-07 01:21:17 | 一休と虚無僧
不思議な女性に逢った。MARUさん。

伏見の地下街。人通りのないシャッター街。そこに
一軒明かりが灯る。「夢画廊」。そこで絵の個展と
唄のパフォーマンスを行うというので行ってみた。

彼女の唄は 独特の世界観。目を閉じて歌う姿から
「森女(しんにょ)」のことを思い浮かべていて、
突如ひらめいた。今まで解けなかった「一休と森女」の謎。

一休は77歳で「森女」という盲目の女性にめぐりあい、
88歳臨終まで、溺愛する。一休の弟子たちによって
書かれた『一休和尚年譜』には、なぜか「森女」の
ことは書かれていない。妻帯を禁じられている禅宗の
僧である。大徳寺の住持となった一休が女と同棲して
いたことは隠すべきことと思ったのか。

しかし、一休は自著『狂雲集』で、「森女」への愛を
赤裸々に歌っている。

さてそこで、水上勉などは、一休を単なる「エロ坊主」
と描いている。大方の書は、「森女」は貧しい生まれの
辻女、旅芸人。一休は彼女の境涯を哀れんで、庵に
招きよせて同棲したとする。「森女」を「琵琶法師」
だの「三味線を弾くゴゼ」だのとするものまであり
ビックリである。女の琵琶法師なんて存在しない。
三味線なんて、一休の時代には無い。ゴゼは明治の
ものだ。

しかし、一休があそこまで赤裸々に男女の交わりを
語るということは、何か裏があるとしか思えない。
また「森女」は、“無学な乞食女”とは 思えぬ
気高さと気品が感じられる。

それが「一休と森女」の謎だった。それが解けたのだ。

一休の『狂雲集』によれば、「森女」は、かつて、
薪村の酬恩庵まで、一休を訪ねてきている。「森侍者」は
「余の風采を聞いて」訪ねてきたとある。そして
「森女」は[王孫」であり、その「美誉」を聞いて、
二人である約束事を交わしたというのである。
その約束とは、今までは、男女の契りと考えられてきた。
しかし、一休は忘れていたという。男女の契りを忘れる
とは、なんとつれない。


一休はその約束事を忘れていたが、住吉の薬師堂で
再会して、そのことを思い出した。「森女」の方は
約束を覚えていて、また相思う関係となったというのだ。

一休は「森女」のことを「一代の風流美人」といい、
「森女の深恩を もし忘れるようなことがあったら、
あの世で畜生の身に落ちるだろう」と詠じている。

一休は森女に頭が上がらないほどの深い恩愛を感じている。
「三世を約束する」ほどのそ深い恩とは、単なる男女の
情交とは思えない。

そこで、もうひとつ、住吉神宮について、大変な事実が
隠されていたことがわかった。

住吉神宮は、かつて南朝の後村上天皇の行在所であり、
南朝の遺臣の拠り所だった。また、住吉神宮は当時
神仏習合で、神宮寺は大徳寺の一世「徹翁」の弟子
「卓然宗立」の創建であった。つまり、住吉は大徳寺と
深い関係があったのである。

住吉の神主は「津守」氏である。「森女」はまさに
「津守(もり)の女(娘)」であり、「王孫」と
いうのだから「後村上天皇」の子「後亀山天皇」の
孫娘ではなかったか。その系統は山伏の本山、京都の
「聖護院」や熊野の「天河神社」と深く関わっており、
双方とも「森御殿」と呼ばれているのだ。

一休と森女は、ともに、天皇の血筋であり、また
南朝方ということで結ばれていた。そして、住吉神宮は
芸能が盛んで、舞楽を伝えていた。であるから「森女」は
住吉神宮の宮司の娘で、巫女として舞楽を演ずる女性
だったのである。

「森女」はある目的をもって、薪村に一休を訪ねた。
その約束を一休は忘れていたが、住吉神宮で偶然再会
したことで、約束を思い出した。その約束とは。

一休を大徳寺の住持として入山させることだった。
一休は、大徳寺の「華叟」から印可を認められたが、
それを受け取らなかった。つまり大徳寺の住持になる
資格を得たが、それを拒否した。それで、大徳寺の
住持は兄弟子の「養叟」がなったが、この「養叟」と
一休は犬猿の仲で、はげしく対立した。

大徳寺の開祖「大燈国師」は賀茂の河原で20年
乞食の行をした。一休と養叟の師、華叟は大徳寺から
離れ、堅田で厳しい禅の修行一筋だった。しかるに
なんぞ、養叟は、大徳寺の奥に居座り、裕福な商人たちに
禅を金で売って、私腹を肥やし、安逸に暮らしている。
それが許せんと怒りをぶつけていた。

「森女」は住吉の神宮寺の津守氏の使いで、大徳寺に
はいることを打診してきた。しかし「住持」という
肩書きや権威を一切否定してきた一休である。最初は
そんな気は全く無かった。だから、そんな約束は
忘れていたのだ。

それが、住吉薬師堂で「森女」と偶然に再会して、
大徳寺入山のことが、現実になっていった。

養叟亡き後も養叟の流れが大徳寺の法脈を継いでいた。
敵対する養叟一派を大徳寺から追い出すには、自分が
大徳寺の住持になるしかない。それには「卓然」の
法脈につながる住吉神宮の後押しが必要だったのである。

一休は「森女」に導かれて住吉神宮との縁ができ、
そのバックアップで大徳寺に入山し、長年の養叟一派への
恨みを晴らすことができたのである。


「平成の虚無僧一路、一休を語る」のブログも開いています。こちらにもアップしました。

観てきました『NOHA』

2014-07-04 18:24:13 | 虚無僧日記
『ノア・約束の船』観てまいりました。興行収入が
『アナと雪の女王』を超えたという触れ込みですが、
観てきた人のレビュー(感想)は、イマイチです。
「眠くなった」「つまらない」「聖書を捻じ曲げている」
等など。

キリスト教に理解が無い方には、つまらないかも
しれません。

只今 私、『旧約聖書』に はまっていますので、聖書の
言わんとするところは何だったのか。神は「愚かな
人類を絶滅させようとしたのか」。いや「善なる者だけが
生き残るよう淘汰しようとしたのか」。

それで生き残った者がまた、殺しあって、同じ過ちを
繰り返す。これでは「ノアの最後の審判」はいったい
何だったのか、考えさせられるテーマでした。

ところで「ノア」には「セム、ハム、ヤフェト」の三人の
息子がいて、長男のセムにだけ恋人がいて、双子の女の子が
生まれる。次男三男には 嫁はいない。その後どうやって
子孫繁栄したのですかね。

セムの双子の娘が、それぞれハムとヤフェトの妻になった?
それでは、伯父と姪の近親結婚。だから 人類は、みな
おかしいんですかね?


「ノアの方船」で検索すると「セム、ハム、ヤフェト」には
それぞれ妻がいて、3組6人と「ノア夫妻」の8人というもの。

また「優秀で善良な職人たちも大勢乗せた」という記載も
ありました。ここで「選ばれた者」と「船に乗せてもらえな
かった者」。その選別は「ノア」に委ねられている。となると、
基準は何だったのでしょうかね。