オランダ領東インド ジャワ プション 昭和天皇御即位を祝して この会の・・
齋藤春次発音先頭にたって天皇陛下御祝儀記念
先頭の自動車に居るは齋藤春次・現地の日本人会の会長をしていた。 その前に立ち居るが齋藤商店自動車運転手 ジャワ人 シェバル
***文章はアルバムから***アルバムの写真を撮っている***
熊本から前橋の齋藤に送られてきた実さんの写真。 本人は全く知らないがこれを見つけて大感激していました。
父のお通夜の席で「激動の時代から高度成長期の日本の中での父の話をブログに掲載したい。」と話しました。
ところが調べていくと私の知らない事が多くあり、時代背景も調べなければいけないと思うようになりました。
それは父があまり語らなかった事と関係があるのではと思ったからです。
父の話した事や従弟の聞いた話、前橋の叔母さん(86才)の話・・・客観的には身びいきになるかも知れないが・・・などを考察しながら
そして父のルーツを語るにはその前から調べねばならないと思いました。
2年前に叔母さんの葬儀の席で私と弟は初めて従弟(実さん・65才)に会いました。 彼は祖父や父(実さんの)の人生に翻弄され苦労をされたそうですが彼の持前の明るさとバイタリティーで現在の地位を築きました。 彼の話をこの欄に書くには多すぎるので別の機会に掲載したい。
ただ4~5年前まで天涯孤独で親戚は一人もいなく、結婚式も辛い思いをしたらしいのです。
ところが事実が判明するうち、出るわ出るわジャワにも兄妹がいることが(ハイおじさんの従弟になる)わかり驚くやら感激するやら。
「ジャワに行って兄妹・従弟探しをしよう。」と言う話も出ました。
現在の群馬県県庁は前橋藩の天守閣跡に建っています。そのすぐそばに齋藤家があり、敷地の中に齋藤山(小さな丘)があったそうです。
旧住所名は前橋市曲輪町で、お城にとって重要な場所で家老をしていたそうです。 数年前に差別用語として曲輪町は北大手前町に変更になりました。(歴史的な名前を差別用語として変更するのは心が狭いと思う。)
曲輪
前橋藩
明治時代はこの辺りは生糸が有名で富岡製糸場(世界遺産に登録予定)などがあり、齋藤家も製糸工場をしていたそうですが、士族の経営で(想像)うまくいかなかったみたいです。
齋藤春次(祖父)は異色で大日本製糖に入社し南大東島に行った。 ここで私の父は生まれる。
士族の出身で幹部で入ったと思われるが、当時の植民地から人々を入れて過重労働をさせていたみたいだ。
そして理由は分からないが、家族を連れて当時のオランダ領ジャワ島に移住した。
富岡製糸場
南大東島
***過去帳は齋藤別当実盛から始まっているが事実かどうか定かでない。・・・江戸時代過去帳を作らなければいけない時代がありその時作成されたものと思われる。***
齋藤別当実盛
齋藤氏
齋藤春次発音先頭にたって天皇陛下御祝儀記念
先頭の自動車に居るは齋藤春次・現地の日本人会の会長をしていた。 その前に立ち居るが齋藤商店自動車運転手 ジャワ人 シェバル
***文章はアルバムから***アルバムの写真を撮っている***
熊本から前橋の齋藤に送られてきた実さんの写真。 本人は全く知らないがこれを見つけて大感激していました。
父のお通夜の席で「激動の時代から高度成長期の日本の中での父の話をブログに掲載したい。」と話しました。
ところが調べていくと私の知らない事が多くあり、時代背景も調べなければいけないと思うようになりました。
それは父があまり語らなかった事と関係があるのではと思ったからです。
父の話した事や従弟の聞いた話、前橋の叔母さん(86才)の話・・・客観的には身びいきになるかも知れないが・・・などを考察しながら
そして父のルーツを語るにはその前から調べねばならないと思いました。
2年前に叔母さんの葬儀の席で私と弟は初めて従弟(実さん・65才)に会いました。 彼は祖父や父(実さんの)の人生に翻弄され苦労をされたそうですが彼の持前の明るさとバイタリティーで現在の地位を築きました。 彼の話をこの欄に書くには多すぎるので別の機会に掲載したい。
ただ4~5年前まで天涯孤独で親戚は一人もいなく、結婚式も辛い思いをしたらしいのです。
ところが事実が判明するうち、出るわ出るわジャワにも兄妹がいることが(ハイおじさんの従弟になる)わかり驚くやら感激するやら。
「ジャワに行って兄妹・従弟探しをしよう。」と言う話も出ました。
現在の群馬県県庁は前橋藩の天守閣跡に建っています。そのすぐそばに齋藤家があり、敷地の中に齋藤山(小さな丘)があったそうです。
旧住所名は前橋市曲輪町で、お城にとって重要な場所で家老をしていたそうです。 数年前に差別用語として曲輪町は北大手前町に変更になりました。(歴史的な名前を差別用語として変更するのは心が狭いと思う。)
曲輪
前橋藩
明治時代はこの辺りは生糸が有名で富岡製糸場(世界遺産に登録予定)などがあり、齋藤家も製糸工場をしていたそうですが、士族の経営で(想像)うまくいかなかったみたいです。
齋藤春次(祖父)は異色で大日本製糖に入社し南大東島に行った。 ここで私の父は生まれる。
士族の出身で幹部で入ったと思われるが、当時の植民地から人々を入れて過重労働をさせていたみたいだ。
そして理由は分からないが、家族を連れて当時のオランダ領ジャワ島に移住した。
富岡製糸場
南大東島
***過去帳は齋藤別当実盛から始まっているが事実かどうか定かでない。・・・江戸時代過去帳を作らなければいけない時代がありその時作成されたものと思われる。***
齋藤別当実盛
齋藤氏