ロイヤルモータースとその仲間たち

車と釣、ハイキング、トライアスロン、神戸、三田の歴史や情報を発信します。 

神戸市北区の町名 「有馬郡」

2023-05-21 11:48:49 | 旧有馬郡の民話

有馬郡

「有馬郡」と呼ばれる行政地区は明治維新までありました。

室町時代播磨の赤松円心の子孫が有馬郡守護となり赤松有馬氏と呼ばれ有馬氏と名乗る。

有馬高校(三田)地の高台に城郭を築き支配の拠点とした。 三田の市街地は有馬郡の中心地として長らく発展した。

江戸時代三田藩九鬼氏が有馬郡の北半分は(南半分は複雑で所領が移り変わる)ほぼ三田藩領でした。

明治維新後1879年三田に有馬郡役所が置かれた。 国は1923年群制を廃止したが行政区画として地理的な有馬郡は残る。

1958年に三田町が市政施行するまで続いた。 

*丹波街道と有馬道*

有馬郡の地理を特徴づける要素は武庫川で、支流に有馬川、有野川,八多川などあり農業集落を形成し武庫川の谷沿いは交通路として形成していた。

「丹波路」は大坂と丹波の主要交通路で道場河原は宿駅と指定され幕府公用の書状や人馬の継立や大名の参勤交代などが行きかった。

「有馬街道」は兵庫から三田に至る道で天王谷越えの山道は古くから利用されていたが、道幅も狭く渓流越えも含まれ荷車を通すことが出来なかった。 そこで兵庫と有馬郡の沿道町村が協力して、1874年に神戸、三田の道を修復した。 この三田往還は「有馬道」の俗称でよく知られている。  有馬道の画期的な点は、工事費用を民間調達したことで、新たに運輸会社を設立して物資運搬を請け負い運賃の5%を工事費用に充てたことです。 

有馬道は明治初期の民活と地域連携が産んだ歴史遺産です。

                                          (一部は神戸商工会議所の神戸学より掲載)

 

 

 

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初戎と西宮戎神社にまつわる民話

2011-01-09 17:20:43 | 旧有馬郡の民話
今日から「えべっさん」です。



有間神社の「初戎」と西宮戎神社の近くに住んでいたので必ず両方お参りに行きます。
「ささ福」をお返しして新しいのを貰って帰らなければ落ち着きません
商売をしている人たちはその気持ちわかるでしょ~

西宮戎神社にまつわる民話

犬塚(いぬづか)

 むかし、西宮のえびす神社の森の中に、猿とも狼とも正体のわからないけものが住みついていました。このけものは、夜な夜な村や町へやってきては、人々を苦しめていました。家をこわされたり、田畑をあらされたり、子どもや老人がさらわれたりしました。
 このあたりの人たちは、すっかり困り果ててしまいましたが、自分たちの力だけではどうすることもできません。何とかこの災(わざわ)いから少しでものがれることができればと、おもだった者が集まり、ひたいをよせて相談をしました。そして、毎年一人ずつ若い娘を選んで、さし出すことにしました。
 「とうとう、おらたちの家のかわいい娘を、さし出さねばならなくなった。村や町の人のためだといっても、こんなことがあってもいいものか・・・。」
 その年娘をさし出すことになった家の人たちは、なげき悲しみ、泣く泣く白木の箱に娘を入れて、えびすの森に運ばなければなりませんでした。いかに村や町のためとはいいながら、聞くもあわれなありさまでした。同じ悲しみが、毎年毎年続きました。
 ある年のことです。なんでも四国の方に、ヒョウタンという名の強い犬がいて、あたりのもうじゅうたちをふるえあがらせているという話が、どこからともなく伝えられてきました。その話を聞いた人々は、小おどりして喜びました。
 さっそく、庄屋さんの屋敷に集まり、えびすの森のけもの退治について、ひそひそと相談を進めました。
 「四国に、ヒョウタンという強い犬がいるそうな。この犬を借りてきて、けもの退治をしてはどうだろう。」
 「わしらでもかなわぬものを、たかが犬一匹にまかせてだいじょうぶだろうか。」
 「しかし、毎年娘をさし出さねばならんようなことを、いつまで続けるのか。ヒョウタンは、かいじゅうをたおした強い犬だそうだな。」
 相談がまとまり、今年は、若い娘の代わりにヒョウタンを箱に入れて、えびすの森にさし出すことにしました。
 いよいよお供え物をさし出す日がやってきました。
 若い娘の代わりにヒョウタンを入れた箱が、大ぜいの人々にかつがれてえびすの森に運ばれて行きました。お供え物をそっとおくと、人々は手に手にかまやくわや棒を持って、まわりの草むらにかくれました。息をひそめ、じっとようすをうかがいました。
 だんだんと夕やみがせまり、あたりがうす暗くなってきたころ、一匹のおそろしいけものがおどり出て、よだれをたらしながらお供え物に手をかけました。箱が開かれたとたん、ヒョウタンが「ウォッ」と一声、すさまじいさけび声をあげ、もうぜんとけものにとびかかりました。たちまち、ヒョウタンとけもののはげしい取っ組み合いが始まりました。大きなうなり声が、村や町中にひびきわたりました。
 ヒョウタンが死にものぐるいになって、そのおそろしいけものにくらいつくと、草むらにかくれてうちふるえていた人々も、どっといっせいにうちかかりました。くわや棒で打ちのめし、とうとうたおれてしまいました。
 どれほどたったでしょうか。
 ふと我にかえった人々は、けものにくらいついたまま息たえているヒョウタンを見つけました。
 人々は、涙を流してヒョウタンの手がらをたたえ、手厚くほうむり、そこに大きな塚を建てました。みんなで力を合わせて災いをたつことができた喜びと、命のかぎり人々のために戦って息たえたヒョウタンへの感謝の気持ちが、この塚にこめられたのです。
 この塚は「犬塚(いぬづか)」とよばれ、西宮の町はずれの田んぼの中にあったそうです。


*「西宮ふるさと民話」より

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伊能忠敬一行が有野町南部を測量  の記録 

2010-05-12 20:37:33 | 旧有馬郡の民話
伊能忠敬が有野町南部を測量している記録がありました。
彼は日本の沿岸を測量しているのですが、内陸部を測量している事は余り知られていません。 貴重な資料ではないでしょうか?
また、「転地明察」の主人公、渋川晴海の実績がおそらく伊能忠敬に影響していると思います。

イノペディア   伊能忠敬をもっと知りたい方


伊能忠敬一行が有野町南部を測量   有野町誌より    P100より

文化七年、九州地方を測量後、同八年山陽路に戻り、姫路から多紀郡立杭村(今田町)を経て有馬三郡三田に入り、有馬温泉に止宿している。 この時、忠敬らと加西郡で別行動をとった測量隊は裏西国街道といわれた湯の山街道北の道を測量している。 測量日記には次のような内容の記述が見られる。
三月七日、晴れ、三木上町から淡河町まで三里十一町五間。 八日も晴天、淡河町から南萩原、来た萩原、行原村、東畑村、中山村、野瀬村(いずれも現在淡河町)を経て有馬郡に入り屏風村(八多町)で昼食をとり、深谷村、付物村、柳谷村、(いずれも八多町)を経て西尾村五社、(有野町)まで測量し夜中までかかっている。 淡河町から五社まで実測三里十二町二十三間であった。
九日、晴れたり曇ったり。 有馬に宿泊して周辺を測量した。 有馬の追分から始めて唐と村、西尾村地先、切畑村,姥ヶ懐(うばがふところ)と測り、西尾村五社の前日の測り留めにつないだ。 このあと一行はさらに有馬に戻り船坂村(西宮市)との境まで測量している。


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「うわのそら」に行ってきました。

2010-04-10 23:00:44 | 旧有馬郡の民話

友人のメールとブログの紹介でカフェ&ギャラリー「うわのそら」へ行ってきました。
こんな近くにステキなレストランがあるなんて!
でも田園風景の中に看板があるだけだから「うわのそら」で運転してると見逃すよ(おやじギャグ




噂どおり家の周りは蒔きでびっしり レストランと家に蒔きストーブが3つあるそうです。・・・・蒔き割りはたいへんだろ~な!



奥のギャラリー  4月21日から26日  加納ふくゑ 染布展があります。



営業部長の「そら」です。(ラブラドール、オス13歳)



お嬢さんが「よもぎ」をたくさんとっているので聞くと「よもぎもち」をつくるそうです。
よもぎを若いおばあさんと採っていました。
こんど来たらベランダでカレーライスを食べたいな~!


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感謝状を頂ました。

2009-10-19 15:29:01 | 旧有馬郡の民話


JU兵庫(兵庫県中古自動車商工組合)より台風9号の被災地に義援金を贈った事に対して感謝状を頂きました。

その気持ちはうれしいのですがお礼(感謝状)の費用も被災地に贈った方が更によかったのに~
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村米制度発祥の碑

2009-07-15 23:20:48 | 旧有馬郡の民話

三木市市野瀬(旧吉川町)で真新しい碑を見つけました。 平成17年4月建立



碑の内容は「米問屋を通さず直接、酒造家と取引を開始した。」


  吉川町の村米制度  (碑の文章とは違います)

吉川町は天恵の地、六甲裏第三紀層の粘質土壌は平野を遠ざかった低山性の山間丘陵地形の地帯であり、耕地はこれらの山谷又は山麓に棚田として現出し、常に良質米を産出し、農家もまた種子の選択改良を図ると共に先人たちの指導誘掖の功と相まって日本一の名声を博するにいたる。  
吉川には古来より酒造家もあり、渡瀬地区の石田五郎邸などは往時を今に残す立派な酒倉式数寄屋(すきや)造りの代表的建物で貴重な存在である。そのような条件は、明治維新後の民政の安定によって清酒の需要が高まり、農民の酒米生産への意欲を鼓舞激励して、酒造家好みの品種品質の改良に全力を傾注した。  
兵庫県郡役所事績録に、「明治26年12月、奥吉川村市野瀬において山田篤治郎氏等が発起人となり、 百難を排し苦心の結果、元鳥居米に凝し改良米50石を作り、これを標本として摂津西宮醸造家辰馬悦蔵氏に交渉し、取引を開始したるに、すこぶる好結果を得たり。ここに改良米共同販売の萌芽を発するにいたれり。」と記され、泉正宗・菊正宗が現社町に上久米地区と明治24・25年頃取引したのが村米制度のはじまりで、41年米穀検査法の施行により生産地区の品質改善に一層の努力をし、永続的取引を重んじて酒造家とのつながりを一層深めていっている。
大正12年兵庫県明石農事試験場において、"山渡50-7"の系統名で新品種開発、昭和3年酒米試験場が加東郡福田村に設置され、生産者が意欲を燃やしていく中で、生産地の各地区と酒造家の間において会社名」または酒銘を冠した会組織が誕生し、永続的取引きの要因を作った。
(筆者 故 奥川隆司 吉川町田谷)

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「ピクニ池(手箱の池) 連載・神戸市北区の伝説

2009-05-02 01:33:17 | 旧有馬郡の民話
ピクニ池(手箱の池)

昔々,大蔵山奥蔵寺に八百比丘尼(やおびくに)という尼さんが長らく住んでおり日々写経に励んでいたが、ある日、日頃大切にしていた玉手箱を抱え池に身を投じた。
「わが命尽きるまでこの池の水は涸れることなし」と言い残したといわれる。
現在も涸れることなく青々とした水をたたえている神秘な池である。

*丹生山系には水にまつわる話が多く。 「野瀬の大杣池に牛を沈め水が絶えなくなった」民話はご紹介しましたが、同じ民話が南側の柏尾谷池にもあり、また野池も多く農民が水に苦しんだことを物語っていると思われます。 ハイおじさん*
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三田市波豆川の石造文化

2008-03-31 21:55:26 | 旧有馬郡の民話
 三田市波豆川の民話はご紹介しましたとおり、すべて石造にまつわるお話しです。
 この地帯は中世石造物の遺品が多く 
 1、良質の石材を産する
 2、技術優秀な石工がいた
 3、住民の信仰度が高い

 などの理由が挙げられます。

 また細工人は六甲表の石屋(神戸市)で御影石を切り出した職人集団との説もあり、波豆石は川辺郡、有馬郡はもちろん、篠山市、氷上市まで及び「波豆の石造文化圏」は広範囲であったことが実証されています。

                             (地域研究より)
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三田市の民話 その4

2008-03-26 20:29:39 | 旧有馬郡の民話
  日の谷の封じ塔

 木器(こうづき)から佐曾利(さそり、宝塚市)へ出る山道に「魔の谷」と恐れられていた所があった。 ある時、谷を切り開いて新田を作る事になり、山へ入った者たちは行方不明になった。 そこで、けものの供養塔を建てると、行方不明者の者は出て来てけものも出なくなった。
 谷は切り開かれ、日が降り注ぐ「日の谷」に変わった。
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三田市波豆川の民話 その3

2008-03-24 20:13:57 | 旧有馬郡の民話
大磯のおこり地蔵さん

 昔、尾張の国の老修行僧が、大磯の大舟寺の参道で倒れ、一軒の家で介抱してもらった。 しかし、老僧はだんだんと弱っていき、死ぬ間際に「自分のなきがらを参道のかたわらに埋めてくれ。 難病で苦しむ時は、”おこりです。”と拝め。」と言い残してた。 家人は遺言通り埋め、地蔵さんを立てた。 そして大病をした時は、拝むと直ったと言う。
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