ロイヤルモータースとその仲間たち

車と釣、ハイキング、トライアスロン、神戸、三田の歴史や情報を発信します。 

あれれ~、ここちがう~

2012-02-29 14:20:40 | 営業だより


中山です。

少しずつ春がそこまでやって来ている気がしますね。

ご来店されたチビッ子が退屈しないように絵本を購入しました。

まちがいさがしの絵本です。

お店に来られた時に一度トライしてみてください。

さあ~、いくつさがせるかな~


「第二回ハイキングコースに行こう!」 下見 太陽と緑の道 no5,no7

2012-02-23 20:04:39 | ハイキングに行こう

ケーブルカー駐車場スタート
前回の「ハイキングに行こう!!」に大勢の方が参加していただきありがとうございました。
ロイヤルモータースの近くに「太陽と緑の道no3」がありそこから「太陽と緑の道no4」を歩いて有馬温泉まで行きました。
今回は「太陽と緑の道no5」で有馬温泉からととや道を登り六甲山山頂へそして「太陽と緑の道no7」白鶴美術館までのコースが理想ですがややハードなコースになりそうなので「しおさん・レオンさん・ハイおじさん」の強力?3人で下見をしてきました。

寒い日が数日続いたので予定を変更して氷の滝が出来ているだろう「百滝」を見てから下見をしようとアイゼンとヘルメットを持って出発しました。

有馬→ととや道→六甲山最高峰
太陽と緑の道 NO5

六甲山最高峰→住吉道→白鶴美術館
太陽と緑の道 NO7
*画面をクリックすると拡大します。
         
ととや道のコースを外れてもみじ谷コースから川沿いに上がって行きました。
平日にもかかわらず滝を見ようと登って来る人がかなりいます。
「白石の滝」は上の方が凍っています。
写真を撮って「百滝」と思っていたら、しおさんが「時間が無いから中止!」の命令
「ここから往復一時間以上かかりコースの下見の時間が無くなり夜になる。」「え!!残念・・・・
実際この判断は正しく帰り有馬に着いたのが5時30分でした。・・・さすが!

         
元にもどり炭焼道からととや道に入りました。 
山頂近くで白石滝コース(熟練コース)から合流します。・・・このコースも挑戦したいところです。
レオンさんが「おいしいおでん」を用意してくれました。
寒い山頂で温かいおでんは最高!
麓は温かくて霞んでいますが上空は寒くて空が澄んで金剛山方面から紀伊半島まで見えます。
住吉道を下り七曲りから東おたふく山を左から回り込んで保久良神社への分岐に入る。

            
雨ケ峠の手前50mに山桜のりっぱな巨木が。 
春にはきれいな花を咲かせるそうで、その時期に出くわしたら・・・最高やけどな~
雨ケ峠で小休止。



          
りっぱな赤松のある雨ケ辻から東おたふく山山頂へ、そこから奥池に下りました。
バス停で有馬行きのバスを待っているとA&Fコーポレーションの(近くでは西宮ガーデンにあるアウトドアショップ)方がガイドの島田さんの指導を受けていました。 
見ていると怪我人を担ぐ方法を指導していて「やってみたら?」レオンさんを背負うと余りの軽さに三歩あゆめず!
実はハイおじさんの膝ガ悪く立ち上がれませんでした。 立ったまま担ぐと軽く持ち上げられたのでイザとなれば大丈夫

結局、有馬に着いたのが5時30分。
簡保有馬で入浴し、「さと」で食事をしながらハイキングの打ち合わせをし午後8時解散しました。

お疲れ様でした。

すばらしいハイキングを企画しますので期待して待っててね   

ガイド島田さんのブログ

A&Fcoop

詳しくは再度検討してお知らせします。

有野台の銀杏並木

2012-02-20 19:29:27 | ぶらぶら お散歩

電信柱が3本?
有野台の銀杏並木です。
枝が一本もありません。 
こんな剪定で大丈夫か? 可哀想に
でも大丈夫
最近、銀杏並木が増えているのは管理が簡単で経費がかからないからだそうです。

春は鮮やかな新緑で生命感をもらい、秋は黄葉のパラパラ落ちている時に歩くと「第三の男」の主人公になった気分になります。
そして銀杏の実・・・おいしいです~!
でも冬はこんな姿に。






枝のつけ根からバッサリ!




これぐらいなら理解できるが。


必見! 金剛山の樹氷

2012-02-16 19:50:51 | ハイキングに行こう

午後3時10分単独で登山開始 ちょっと時間が遅かったが金剛山では毎日登山で午後5時過ぎでも会社帰りに登って来る人がたくさんいます。
勿論、懐中電灯持参で!
女性の方でも単独で登って来られます。 午後7時までチェックをされる方が頂上の事務所におられます。
六甲山も毎日登山発祥の地ですが、金剛山はまた違った魅力があるのでしょう。
登って行くと冬山のダークグリーの木々と樹氷の境界線に一瞬太陽の光が射してきて思わず見とれて、写真を撮ろうとしたが太陽が雲に隠れてしまいました。  

            
赤い夕陽が山を照らすともっと綺麗な芸術作品?ができるだろうな~!  芸術家なら粘ってその瞬間をねらうだろうな!
と思いながら、その気でしばらく待っていたのですが光が射してきそうにないので頂上を目指しました。


            
頂上はマイナス6度 でも頂上の展望は空気が澄み渡り時々光が射しこんで最高!



            
雪が固まってアイスバーンになっている。 サポーターを巻いてゆっくり降りて行ったら後ろから人の気配、その方が話しかけて来られて、滝の方から登って来て下るそうです。 地元の消防士の方で趣味を兼ねてパトロールされていました。
薄暗いこの時間に登って来られる方(常連)に挨拶しながら、「自殺願望の方も登ってきますので?」「え!!俺は大丈夫やで!」と内心思いながら東北大震災でまだ見つからない知り合いの消防士の捜索やボランティアで芦屋でボートを教えている話など約15分ぐらい話をしました。
僕の様子を見ていたのでしょう。 大丈夫と思ったのか「お先に。」と言って雪の階段をアッというまに下って行きました。
このような方々によって金剛山が皆に愛される山になっていったんだな~と感激しました。
麓に降りると道は凍てつき真っ暗でした。 

午後6時パーキング着

     

愛車とお別れ

2012-02-13 00:44:02 | フレンドリーコーナー


お客様が愛車を手放す時、その車に思い入れがあればあるほどお別れは辛いものになります。
写真を撮ったり、花束をフロントガラスの前に置いたり、車を徹底的に綺麗に仕上げたりさまざまです。
特にその車に乗っていた方が亡くなった場合、思い出いっぱいの車を手放すことはなおさらです。
僕(ハイおじさん)の同級生のK君は皆とその車で旅行したり食事に行ったりする仲間でした。
そのK君が去年11月に亡くなり、奥様から車の引き取りの依頼がありました。
「鮎釣り」の好きな彼はキャンピングカーを購入、鮎のいそうな川を探しその場所で駐車して、車で寝たり食事をしたり全国を回っていました。
奥様も一緒に旅行された思い出いっぱいの車をいよいよ手放す時、彼の使った編みガサとリュックを持って出てこられ近所の方に写真を依頼されていました。
笑顔を作ろうと心に決めていたのですが感情が込み上げて笑顔が作れなかったそうです。
「誰かこの車に乗って楽しんでくれたら主人も喜ぶでしょう!」とお別れの挨拶をして送り出していただきました。

平清盛めぐり・・・・・八坂神社

2012-02-04 09:54:29 | ぶらぶら お散歩

「忠盛灯篭」
実は八坂神社の横にある名物「あぶり餅」を食べようと八坂神社に入ったら(この時点では今宮神社と勘違い)、灯篭の前で30名ぐらいの団体がガイドらしき女性の話を聞いていました。 どうやら「平清盛」めぐり(ツアー)で付いて行こうとしたら、ここが最後の場所でその後解散しました。
神戸も「平清盛」ブームだが京都は本場?ですからね。
 


平清盛の父平忠盛(テレビでは中井貴一・伊勢平氏で初めて昇殿が許される・かっこいい役どころ)の逸話



八坂神社拝殿



30年ほど前「いもぼう」の息子さんに説明を聞き食べたことがあるので、覗きに行きましたら、托鉢のお坊さんがいました。
待っているお坊さんにも風格があり、近づいて写真を撮るのを憚られました。(望遠で撮影)

いもぼう


ニュースにも流れていましたが、この日は京都で托鉢が行われていました。
出てきたお坊さんは貫禄がある修行僧でした。・・・・京都らしい

托鉢(たくはつ)



春には華やかな枝垂桜が咲きます。

あぶり餅を食べ損ねました。  残念!またの機会にとっておきます。


今宮神社のあぶり餅

平清盛めぐり・・・・・六波羅蜜寺

2012-02-03 20:01:54 | ぶらぶら お散歩

六波羅の辺りは平家のゆかりの地で平家一門の人々が住んでいたところです。
六波羅蜜寺には2000個(体)以上の国宝や重要文化財があります。
その中に平清盛のお経を読んでいる像ががあり、平家物語のイメージとは違う仏僧として気品を覚えるの落ち着いた像です。
又、教科書にも掲載されている空也上人立像は目に水晶が入り口から六体の阿弥陀が出た伝承どうりの写実的な像です。






六波羅蜜寺   



平清盛めぐり・・・・・三十三間堂

2012-02-02 19:13:09 | ぶらぶら お散歩
     

三十三間堂の近くで会議がありました。
翌朝、平清盛にもかかわりがあり、ちょっと覗いてきました。
写真は撮れなかったのですが(禁止)千体先手観音(1000体の観音立像)だけでも圧倒される迫力があるのにその前に風神・雷神・韋駄天などの銅像が並んでいます。
バラモン教・ゾロアスター教・ヒンドゥー教などの仏像があり仏教が世界各地の宗教と融合しながら日本に来て、更に日本の土着の神と合体したり(明治以前は特にその傾向がある)し日本独特の仏教が出来上がったのかもしれません。
この像を見てそのかんを一層感じました。

できた当初は鮮やかな朱塗りの大きなお堂に金色の仏像が並んでいたと思うと、今日私たちが見ている感覚とはまるで違う思いで見ていたでしょう。

それは建立した人の権力の象徴の意味合いもあり(平清盛・豊臣秀吉など)、もっとドロドロした人間臭さが漂っていた筈です。

仏像も年をとる?と人間と一緒で枯れて味わいがでるのでしょう。

あやかりたいな~・・・・罰当り

三十三間堂