自民党東京都連の小池百合子都知事選応援自民党区議離党勧告は強きを助け弱きを挫く弱い者イジメの権威主義

2016-09-18 09:42:03 | Weblog

 自民党東京都連が9月16日に党本部で党紀委員会を開き、7月の都知事選で小池百合子を応援した豊島区議5人と練馬区議2人の計7人の離党勧告処分と、10月30日までに離党届を提出しない場合の除名処分を決定した。

 涙が出る程の嬉しい決定で、大きな拍手を送りたい。

 東京10区を選挙区としていた自民党衆議院議員小池百合子が自民党本部の許可を受けずに、当然、自民党東京都連の推薦を受けることはできずに、一旦は提出した推薦願いを自ら取り下げて、反旗を翻す形で2016年7月14日告示の東京都知事選に立候補した。
 
 自民党は小池百合子の立候補以後暫くして、「小池百合子は自民党の人間ではない」(石原伸晃)と除名処分をちらつかせ、小池百合子応援の党員への引き締めにかかった。

 都知事選挙における党紀の保持について

 自由民主党東京都支部連合会
 会長 石原伸晃
 幹事長 内田 茂
 党紀委員長 野沢太三

 今般の参院選では多大なるご尽力を賜り感謝申し上げます。引き続きの都知事選は、本日開催いたしました都連支部長・常任総務合同会議において、わが党の都知事選挙推薦候補に元総務大臣の増田寛也氏(64歳)を決定いたしました。 

 都知事選挙は、東京オリンピック・パラリンピックを控えた東京都政の舵取り役を決める極めて重要な戦いであります。都連並びに総支部、各級議員が組織総力を挙げて臨まなければなりません。更に党員・党友は団結し、より一層の挙党一致で勝利を目指して奮闘しなければなりません。

このような折、下記に挙げる事項を遵守され、わが党の候補者を強力にご支援下さるよう何卒、ご理解とご協力をお願いいたします。

 記

1、党員は、党の決定した公認・推薦候補者を応援し、党公認・推薦候補者以外の者を応援してはならないこと。

2、党員は、反対党の候補者を応援し、または党公認・推薦候補者を不利に陥れる行為をしてはならない。

3、各級議員(親族等含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象となります。

 ところが、小池百合子が7月31日投開票で自公推薦の2位増田寛也を大差で破り、当選を果たすと、除名処分をしたらケツの穴が小さいと見られる危険性と、利用すべきところは利用しなければならない点、国と東京都が協力して推し進めなけれならない2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控えている関係もあって、世界に冠たる日本の大都市東京都の知事と敵対関係を自民党自らが構築することになった場合、多々不都合が生じるからだからだろう、小池百合子に対しては除名処分は見送り、選挙戦当初から夫婦のように小池百合子の横に立って応援していた比例代表東京ブロック選出の衆議院議員若狭勝に対しては二階幹事長が口頭で厳重注意したのみで、早々に幕引きを図った。

 小池百合子は2016年8月4日、自民党本部で自民党幹事長二階俊樹と会談した。

 二階俊樹「自民党として、東京都にどう対処していくかは考えればわかることだ。もう『撃ち方やめ』で、小池都政に積極的に協力していきたい。

 (小池応援の国会議員等の処分について)私は『できるだけ時間を置いて考えるべきだ』と言っており、それでわかるはずだ。選挙のあと次々と処分してどうするのか。都民の審判が下ったことを柱に物事を考えれば、解決の道はある」(NHK NEWS WEB

 東京都の問題や東京オリンピック・パラリピックの問題、更に東京都民の支持と、それと比較し得る国民の支持という点で相手を強い立場に立たせてしまったから、除名は却って不利要件となると見たということなのだろう。もし小池百合子が当選していなければ、本人に対する見せしめばかりか、今後似たような事態を予防するための見せしめとして、小池百合子ばかりか若狭勝も除名処分を以って生贄の血祭りに上げたに違いない。

 もし自公推薦の増田寛也が当選していたなら、勝ち誇った態度さえ見せて除名処分を宣告していたかもしれない。党に逆らったなら、こうなるんだぞと言わんばかりに。

 除名処分を免れた若狭勝は比例代表から選挙区への転身を図るべく、小池百合子が8月14日告示東京都知事選立候補に伴い、公選法の規定に従って衆院議員を自動失職した東京10区の補欠選挙への立候補の意向を示し、9月6日、二階俊博と党本部で会談、出馬の意向を伝え、小池百合子を応援したことに対しては厳重注意処分を受けたのみで済んだ。

 済んだというよりも、自民党側が厳重注意処分のみで済ませたと言った方がより正確であろう。

 東京都知事選に大勝利したばかりの小池百合子が後ろ盾についているとなれば、自民党公認を断り、無所属で立候補されたら、都知事選と同様、分裂選挙となって、勝ち目はないことは予想されるからだ。

 いわば小池百合子に対しても若狭勝に対しても相対的に弱い立場に立つことになってしまったから、下手な対応はできなくなってしまった。それが小池百合子と若狭勝に対する除名処分見送りとなって現れたのであり、小池百合子程の強い立場に立ったわけではない若狭勝に対しては自民党のメンツの手前もあって、形式・儀式の類いに過ぎないが、精々厳重注意処分ができたといったところなのだろう。

 以上の小池百合子と若狭勝に対する自民党の対応の経緯から見ると、自民党東京都連が自民党本部の処分と自分たちの処分とは違うという理由で区議7人に対して離党、もしくは除名による自民党籍からの追い出しにかかったのは、都議に対する処分ではなく、一段低い立場の区議に対するそれであって、例え敵対関係が生じたとしても、自分たちが弱い立場に立たされるわけでもない、いわば相手を強い立場に立たせることもない無視しうる範囲の影響で済むと見ているからであろう。

 要するに処分を決定したなら、自己と相手との立場が強弱いずれかに変化しようと、あるいは強弱いずれかに立っていようと決定した処分通りを実行していたなら、一貫性ある態度となり得るが、立場の強弱の変化や関係に応じで処分を変える。 

 その実態が強い立場に立つことになった対象は処分は見送り、弱い立場の区議に対しては離党勧告処分と10月30日までに離党届を提出しない場合の除名処分の決定という強い態度に出るものである以上、強きを助け弱きを挫く弱い者イジメの構造を持った処分に関わる姿勢と言うことになる。

 地位の上下や立場の強弱に応じて自らの態度を変える。権威主義の行動様式そのものである。

 自民党はこのような権威主義に支配された政治集団であるようだ。

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民進党新代表蓮舫に党幹事長拝命の野田佳彦の「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで」の決意に違和感

2016-09-17 11:16:39 | 政治

 9月15日の臨時党大会で民進党の新代表に選出された蓮舫が翌9月16日に党本部で開いた両院議員総会で幹事長に前首相の野田佳彦(59)を起用する人事案を提示、了承された。

 このことはその日の夕方7時からのNHKニュースで知った。野田佳彦はその就任挨拶で、「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで、火中の栗を拾う決断をした」と言っていた。(文飾は当方)

 その「政治人生の落とし前を付ける」と言っていた「落とし前を付ける」という言葉に奇異な感じを受け、違和感を持った。

 このことの理由はあとで述べる。

 幾つかの記事から野田佳彦の挨拶での発言を見ることにする。

 先ず、「時事ドットコム」記事から。    

 野田佳彦「多くの落選して戻れない人たちのためにも、自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで、火中の栗を拾う決断をした」

 蓮舫「首相経験者が幹事長を務める人事は過去、与野党の中でなかった。安倍晋三首相と衆院でしっかり対峙(たいじ)してくれる。その経験をお持ちの方だ」 

 記事は野田佳彦を、〈ただ、野田氏に対しては、旧民主党が野党に転落するきっかけをつくったとして根強い反発もある。〉と解説している。

 「火中の栗を拾う決断」という言葉の意味はご存知のように「敢えて困難なことに身を乗り出すことの譬え」として使われる。

 次に、「asahi.com」記事。 

 野田佳彦「多くの落選して戻れない人たちのためにも、自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで、火中の栗を拾う決断をした」

 蓮舫(野田佳彦の幹事長起用理由)「安倍(晋三)首相と対峙(たいじ)する、衆院でしっかりして頂ける経験を持っている」

 記事は野田佳彦について、〈野田氏は民主党政権3代目の首相だったが、消費増税をめぐり党が分裂。衆院を解散して総選挙で惨敗し、下野した責任者。党内からは厳しい見方があり、野田氏自身も当初は就任を固辞していたが、最終的に受け入れた。〉と解説している。 

 二つの記事は野田佳彦の発言は同じで、蓮舫の発言はほぼ同じに伝えている。

 なぜこのように二つの記事を並べたかというと、NHKニュースは野田佳彦が挨拶に立って、「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで、火中の栗を拾う決断をした」と述べている映像を流していながら、「NHK NEWS WEB」記事での挨拶は映像通りの発言にはなっていなくて、脚色されているからである。            

 勿論、このことに奇異な感じを持ったわけではない。あくまでも「自分の政治人生の落とし前を付ける」という言葉の使い方に対しての違和感である。

 この違和感まで感じさせた奇異な感じは「NHK NEWS WEB」に於ける野田佳彦の発言の脚色に関係しているように思える。

 では、この記事の挨拶を見てみる。文飾は当方。

 野田佳彦「2012年の衆議院選挙で当時の民主党が敗北した一番の責任者は私で、重く受け止めている。自分の政治人生のけじめとして、多くの苦労をしている仲間たちがもう1回国会に戻る環境を整備するのが、私の一番の仕事だ」――

 前二者の記事が「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで」になっているところが、「自分の政治人生のけじめとして」と脚色されている。

 そこで記事が添付している動画からその挨拶を文字化して、実際の発言を見てみる。

 野田佳彦「多くの未だ落選して戻れない人たち、地方で苦闘している人たち、そういう人たちのためにも自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで、火中の栗を拾う決断を致しました。

 蓮の花を下で支える蓮根になった気持で徹底して下支えする」(ここで動画は切れている。)

 動画は発言を文字でも紹介していて、「蓮の花」と「蓮根」という言葉をピンク色で四角く囲っていた。断るまでもなく、「蓮の花」の「蓮」は蓮舫の「蓮」を指し、蓮舫を支える根っ子になるという意味なのだろう。

 動画では実際の発言が「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで」となっているにも関わらず、記事では「自分の政治人生のけじめとして」に変えられている。

 他の二つの記事と違ってこのように変えたことに何らかの理由があるはずだ。

 私自身が「落とし前を付ける」という言葉に奇異な感じを受け、違和感を持ったのは、この言葉は私自身の中ではヤクザ言葉として鎮座しているからであり、意味から言っても不穏な使われ方をしていると感じたからである。

 但し言葉の意味は時代によって変遷する。今の時代、どのような意味の使われ方をしているのか「落とし前を付ける」の言葉のみをネット辞書から調べてみた。

 「語源由来辞典」

 落とし前:「落とし前とは、失敗や無礼などの後始末。「落とし前をつける」と用いる。

 【落とし前の語源・由来】:「落とし前は、香具師(やし)の間で使われていた隠語で、露店などで客と折り合いをつけるため、適当なところまで値段を落とすことを意味していた。

 その意味が転じて、もめごとなどの仲に立って話をつける意味になり、さらに転じて、失敗や無礼などの後始末をする意味となった。」

 「日本語俗語辞書」

 『落とし前』:「落とし前とは喧嘩などの揉め事や失敗の後始末、決着(けり)をつけること。また、後始末や決着のために用いる金品を意味する。

 もともと、落とし前は香具師・的屋(テキヤ)が使っていた言葉で、客と折り合いのいいところまで価格を落とすことを意味した。ここから、先述の意味で不良やヤクザが使用するようになった。」――

 二つの辞書を通して意味を取るとしたら、「失敗や無礼などの後始末をする」という意味で今の時代使われていることになるはずである。

 だとしたら、「NHK NEWS WEB」は実際の発言通りに、「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで」と書いても良さそうなものだが、「自分の政治人生のけじめとして」という表現に脚色されている。

 但し現実世界ではかつては辞書が解説しているような意味では使われていなかった。「落とし前を付ける」はヤクザ世界やチンピラ世界、その類似の世界で恥をかかされたことに対する仕返し(報復や復讐)を意味する言葉として使われていた。

 例えばヤクザの兄貴分が長いことムショに入っていて、その女が弟分とできてしまった。ムショから出てきた兄貴分は「落とし前を付ける」と称して怒り狂って弟分を他の弟分に命じて殴る蹴るのリンチを加えさせるといったことをした。

 勿論、自分自身が無抵抗の弟分を殴る蹴るして怒り狂った腹の虫を収めようとする。収めきれずに、かつては指を詰めさせたりした。

 この指詰めも「落とし前を付ける」儀式として行われた。

 いわば「落とし前を付ける」は上下関係に於ける下位者の自発的行為であるよりも、上位者による下位者に対する他発的行為として存在する。

 一見すると、指詰めは、リンチにしてもそうだが、ヤクザの子分などの指をつめる側から見ると、失敗の責任を取る、不祥事の後始末をする等の自発的な「落とし前を付ける」行為に見えるが、実際は親分や兄貴分等の側が指を詰めさせる以外に責任を取らせる手段がないために無理やり「落とし前を付ける」他発的行為として存在したのであり、より正確に言うと、「落とし前を付けさせる」過度の責任強要行為を正体として存在させていた。 

 当然、こういった経緯を持った行為は仕返し(報復や復讐)の感情を構造とし、その発露の形を取ることになる。

 家族を殺された近親者が犯人を裁く裁判で極刑(=死刑)を望むのは、「落とし前を付ける」という意識はなくても、極刑によって仕返し(報復や復讐)をしたいという心理を否応もなしに内心に抱えることになるからであろう。

 唯一死刑が仕返し(報復や復讐)の機会だと捉えることになる。

 ヤクザや類似の人間の立ち場に立つと、自らの手によってではなく、裁判の力を借りて「落とし前を付ける」ことになる。

 このように「落とし前を付ける」という言葉の元来の使い方には不穏当な響きを潜ませている。例え現代的な意味で使っていたとしても、決して喜ばれる使い方ではないはずだ。

 「自分の政治人生の決着をつけるつもりで、火中の栗を拾う決断をした」とでも言えば済むことである。

 あるいは「NHK NEWS WEB」記事が脚色したように、「自分の政治人生のけじめとして」とでも言うならまだしも、それを前首相であった野田佳彦は「自分の政治人生の落とし前を付けるつもりで」と口にした。

 私自身が首相を経験した人間が使うにしては適当とは決して言えない、不穏な使い方だなと違和感を感じ取ったようにNHKはこの言葉に何かしらのタブーな印象を持ち、「けじめ」という言葉に変えたのではないだろうか。

 「落とし前を付ける」という言葉がヤクザ世界等の用語となっていた時代を知らない若者たちなら自然に耳にしたかもしれない言葉だが、少なくとも一定の年齢に達している人間は余りいい感じがしなかったのではないだろうか。

 最後に蓮舫は野田佳彦のことを「安倍晋三首相と衆院でしっかり対峙(たいじ)してくれる。その経験をお持ちの方だ」と評価していたが、対峙の先頭に立つのはあくまでも蓮舫自身である。

 野田佳彦がいくら首相経験者だからと言って、蓮舫自身を対峙の先頭に置かずに、それ抜きに対峙を言うのは少し決意が足りないのではないのか。「衆院では野田佳彦、参院では私が安倍晋三としっかりと対峙する。その先頭に立つ体制で行く」とでも言えば、自身を対峙の先頭に置くことができる。

 一つ余分なことを言うと、太った野田佳彦が蓮舫の横に立つと、蓮舫は余計に痩せ細った貧相な体型に見えてくる。体型だけの印象で終わればいいが、政治に関わる考え方や思想までがそう見られると、民進党のジリ貧状態の元凶に見られかねないことになる。

 
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安倍晋三の対中仲裁裁定順守要求は中国の対ASEAN影響力に上回る日本の影響力なくして口先だけとなる

2016-09-16 11:08:16 | 政治

 安倍晋三は2016年9月4日、羽田空港を発った。9月4日、5日と中国浙江省杭州で開催のG20サミットに出席するためである。それが終えると、9月6日からラオスで開かれるASEAN=東南アジア諸国連合関連の首脳会議に出席するためにその地からそのままラオスに向かう予定となっている。

 安倍晋三は例の如く羽田空港を出発前に記者団に発言している。
 
 安倍晋三「地域の諸課題、諸問題について議論したい。その中において、法の支配、そして航行の自由を尊重することは極めて重要で、それは地域の平和と繁栄のために重要だ。

 首脳間の率直な議論を進めていくうえにおいて、日本としては東シナ海、南シナ海における日本の立場を明確に述べていきたい」

 「NHK NEWS WEB」記事がこの発言を紹介した上で、〈海洋進出を強める中国を念頭に、日本の立場を明確に主張していく考えを示し〉た発言だと解説している。

 9月5日夜、中国杭州でのG20サミット首脳会議終了後に安倍晋三は中国の国家主席習近平との首脳会談に臨んだ。

 会談での発言は終了後本人か同席した政府関係者の説明に頼ることになる。

 安倍晋三は、〈会談後の記者会見で、中国公船が沖縄県の尖閣諸島周辺で領海侵入を繰り返している問題や、中国が軍事拠点化を進める南シナ海の問題について「日本の立場を率直、明確に伝えた」と〉、9月5日付の「NHK NEWS WEB」が伝えていた。

 同席した日本政府関係者の説明は、〈首相は会談で尖閣問題について「中国公船、軍による特異な活動は極めて遺憾だ」と主張。緊張を高める行動をなくして状況を改善するよう求めたうえで、「東シナ海の安定なくして日中関係の安定はない」と訴えた。習氏は、東シナ海の平和と安定を維持する考えを示したと〉会談内容を報じている。

 要するに尖閣諸島周辺の日本領海や南シナ海での中国艦船の一方的な現状変更の試みに対して日本の立場を率直、明確に伝えたことになる。

 そしてその夜、ラオスへと向かった。

 安倍晋三は9月7日日本時間午後2時半前からラオスのビエンチャンで開催の東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議に臨み、〈中国艦船による東シナ海や南シナ海での一方的な現状変更の試みが続いていることにと懸念を表明し〉、さらに、〈南シナ海での中国の主張を認めなかった国際的な仲裁裁判の結果を尊重し、国際法の下で平和的な解決を目指す重要性を指摘して理解を求めた〉と、9月7日付「NHK NEWS WEB」が報じた。

 フィリピンが2013年1月に中国を相手に中国の南シナ海に於ける領有権主張や人工島の建設などが国際法に違反するとしてオランダ・ハーグの仲裁裁判所に訴えた2016年7月12日の判決は中国の主張に法的根拠がなく、フィリピンの主張通りに国際法に違反するとした判断を示した。

 対して中国はこの判決に従わないことを主張、南シナ海に於ける活動を継続した。

 安倍晋三「(仲裁裁判の判決は)「国連海洋法条約上、当事国を法的に拘束する。中国、フィリピンの両当事国が、この判断に従うことにより、紛争の平和的解決につながっていくことを期待する。

 (中国が当事国ではない日本が南シナ海の問題に関わるべきではないと主張していることに対して)南シナ海の領有権自体は当事国間の問題であるが、南シナ海は日本にとって死活的に重要なシーレーンであり、地域全体の平和と安定にとっても重要な問題だ。中国とASEANの対話を歓迎するが、対話は国際法に基づき、現場における非軍事化、自制が維持されることを前提に行われるべきだ」――

 要するに安倍晋三は習近平国家主席に対しても、ASEAN首脳会議中国側出席者李克強首相に対しても言うべきことははっきりと主張したことになる。

 何しろ中国と肩を並べた大国としてアジアに君臨している日本の首相である。その発言力は相当のものがあったはずだ。

 その甲斐あってのことか、ASEAN首脳会議終了後に採択した議長声明は南シナ海の中国の恣意的な活動に引き続き深刻な懸念を表明したものの、オランダ・ハーグの仲裁裁判所が2016年7月に中国の南シナ海に於ける領有権主張や人工島の建設などを国際法違反とした裁定には触れなかったという。

 ASEANの結束を優先するために全会一致を原則としていて、カンボジアとラオスの反対によって裁定に触れることができなかったとしている。

 2016年7月15、16両日、モンゴルの首都ウランバートルで開かれたアジア欧州会議(ASEM)首脳会議の際、16日にカンボジアのフン・セン首相と首脳会談を行った。

 フン・セン首相「日本がカンボジアに初めて国連平和維持活動(PKO)を派遣してくれたことは忘れない。安倍首相の平和のための政策について全面的に支持したい。国連のもとで平和維持のために日本にはより多くの役割を果たしてほしい。

 安倍首相の平和のための政策について全面的に支持したい。国連のもとで平和維持のために日本にはより多くの役割を果たしてほしい」」(産経ニュース

 要するにフン・センは安倍晋三の表向きは平和構築に向けた姿勢に大きな期待を示した。

 外務省の「カンボジア情勢と日・カンボジア関係」のページを見てみる。文飾を当方。 

 〈経済・経済協力

 (1)貿易:日本からカンボジアへの輸入は2.5億ドル(2014年:車両、機械類、肉)。カンボジアから日本への輸出は7.7億ドル(2014年:衣類及び付属品、靴等、電気機 器及び付属品等)。

 (2)投資:対カンボジア直接投資額に占める日本からの投資額の割合は1%以下と低調であったが、中国・ベトナムなどの投資環境の変化により、2010年から製造業の進出が開始された。これまでの商社、建設会社などODA関連企業に加え、電子機器、自動車部品、縫製などの輸出加工企業の進出、また政治・治安の安定を好感し、小売業大手、ホテル、植林、鉱物資源探査などの企業が進出を決定。メガバンクも駐在員事務所を設立した。カンボジア日本人商工会加盟の日系企業は16年3月時点で217会員(正172・準会員45)。

 (3)経済協力:1992年以降、日本はトップドナー(支援総額の16%)。戦後復興・人材育成・制度整備の支援からスタートし、現在はインフラ、農業、教育、保健、ガバナンス分野を中心に支援している。〉――

 「トップドナー」とはネットで調べると、「最大の援助国」となっていた。

 「安倍首相の平和のための政策について全面的に支持したい」と言い、日本が対カンボジアで「トップドナー」(最大の援助国)の地位を占めながら、中国とはラオスとベトナムを挟んで地続きでないにも関わらず、カンボジアに対する日本の影響力が中国の影響力よりも劣る。

 その結果の前回ASEAN首脳会議に続いての今回ASEAN首脳会議での対中国外交を前にした日本の外交の敗北であろう。

 この形勢は中国の対ASEAN影響力に上回る日本の影響力の目に見える強化なくして改善されることはないだろう。

 影響力のないままに何を言っても、積極的平和主義外交と言おうと、価値観外交と言おうと、口先だけとなる。

 中国側がG20サミット開催前の8月21日を最後に中国公船による尖閣諸島周辺の日本の領海侵入を控えてきたが、9月5日の中国杭州でのG20サミット終了後から6日後の国有化して4年目の9月11日、早速4隻の中国公船が領海侵入を果たしていることもG20サミットの際の習近平との首脳会談で安倍晋三が尖閣諸島周辺の中国公船・軍艦船の活動に遺憾だと抗議の意志を示したことが何の役にも立っていなかったことの証明としかならない。

 日本の外交上の対外影響力が劣るからに他ならない。

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蓮舫の二重国籍問題釈明&岡田克也評の変化、自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家だからこその発言

2016-09-15 11:41:43 | 政治

 蓮舫が2016年9月13日、国会内で記者会見し、台湾籍が残っていて、疑惑されていた通り、いわゆる二重国籍状態となっていたことを認めた。これまでは台湾籍を抜いていたと言っていた。

 記者会見の全文を「産経ニュース」が伝えている。  

 断言口調となっているところを、「です・ます」の丁寧語に直した。実際はそう発言したはずだからである。

 先ず冒頭発言。読みやすいように二個所程改行を施した。

 蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今にいたっていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕、代表処から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。

 その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います。

 合わせて、私の高校生時代の記憶によって、この間当初から発言がある意味、一貫性を欠いていたことに対してもおわび申し上げると同時に、大好きな父の台湾の方々にも心配をさせてしまったので、本当に申し訳ないと思っています。

 その上で、私はこれまで一貫して、政治家としては、日本人という立場以外で行動したことは一切ないし、日本人として日本のために、わが国のために働いてきたし、これからも働いていきたいと思います。

 これも申し上げておりますが、台湾当局に、私の籍を抜く届け出をしているので、この手続きが完了すれば、この籍に関することは、最終的な確定をされるということです。大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております。ただ、私は17歳のときに、自分の判断で日本国籍を選択した。日本人です。このことはもう一度言わせていただきたいと思う。以上です」

 発言を整理してみる。

 17歳のときに自分の判断で日本国籍を選択することを決めて日本国籍を取得し、父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識でいた。

 つまり父親に「これから日本で生き、生活していくのだから」と説得されたわけでも勧められたわけでもなく、自分の判断で日本国籍を選択した。つまり極めて覚醒的な意識行為であった。

 蓮舫の外省人である父親の謝哲信が生涯台湾籍(中華民国籍)であることに反した日本国籍取得であることも、蓮舫のそれが極めて覚醒的な意識行為であったことを証明する有力な証拠の一つとなるはずである。

 「大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております」と言っている。

 中国人と日本人の2分の1ずつの血やルーツといった自身が何者かを探る価値ある重要な心理上の拠り所の一つの手がかりとすることができる母親と同じ日本国籍を「自分の判断」で手に入れ、その代償として同じ手がかりであった台湾籍を抜いた。

 当然、「台湾籍を抜く」ことも、中国語が話せないために父親の手を借りて手続きを行ったとしても、それ自体は「自分の判断」で行った極めて覚醒的な意識行為であったことになる。

 だが、蓮舫自身の台湾当局に対する確認で実際には抜いてはなく、台湾籍のままであったことが判明した。

 その理由として、「17歳当時の私の記憶の不正確さ」を挙げている。

 籍の変更は自らの血やルーツに関して自身が何者かを探る心理上の拠り所となる手がかりの変更をも意味しているのだから、一方の日本国籍取得に関しては「自分の判断」で行ったと極めて覚醒的な意識行為としているなら、もう一方の形式上台湾人であることをやめる台湾籍の離脱に関しても覚醒的な意識行為とすることによって両者共に間違いのない整合性を示すことができるはずだが、にも関わらず、「17歳当時の私の記憶の不正確さ」という表現で覚醒的な意識行為ではなかったとしている。

 果たしてそんなことがあり得るだろうか。いくら17歳とは言え、日本国籍取得も台湾籍離脱も、自身の人生そのものの転機となる重要な画期(過去と新しい時代とを分けること)を意味していたはずだ。

 日本国籍取得が「自分の判断」で行ったが事実なら、実際には台湾籍が残っていた以上、それを残したのも「自分の判断」で残したとすることで初めてウソ偽りのない整合性を与えることができる。

 いわば両者共に極めて覚醒的な意識行為として行った。

 だが、そうでないとしている以上、蓮舫の言葉にウソがあると見ないわけにはいかない。

 このような観点から記者会見での蓮舫と記者の遣り取りを見てみる。

 記者「17歳のときに放棄手続きをしたということだが、過去の新聞などのインタビューでは台湾籍を持っているという記事が載っている。整合性は」
 
 蓮舫「あの、当時の私の発言でね、台湾との日本との2つのルーツを持っているという意識、その意識で発言していたと思いますが、浅はかだったと思います。ただ、台湾籍は抜けているという認識はずっと持っていました」

 「台湾との日本との2つのルーツを持っているという意識、その意識で発言していた」ことがなぜ「浅はか」なのだろうか。

 いくら日本国籍を獲得したとしても、自分が何者か、そのルーツは生涯ついてまわる。父親(外省人としての台湾人の血)を手がかりとするルーツ、母親(日本人の血)を手がかりとするルーツに何らかの意味を見い出してこそ、今在る自己の存在理由の幾分かを成り立たせ得る。

 それを「浅はかだった」と言うのは、政治家として半分は台湾人として行動してきたのかと追及されることを恐れたからであろう。自身が何者かを探る一つの手がかりとして拠り所としているルーツへの拘りとその拘りを政治上の利害と結びつけて行動するか否かは別問題である。
 
 政治上の利害と結び付けなければ何ら問題ないはずなのに、「浅はかだった」とすることは決して正直とは言えない。

 正直な言葉を口にすることができないということは、それだけで自身の言葉に責任を持たない人間であることの証明としかならない。

 記者「(過去のインタビューなどの)記事の内容を読むと、その時点で台湾籍を持っていると読み取れるような内容だったが」  

 蓮舫「うーん、ただ、私の認識では、台湾籍はもう抜けている、日本人になったという思いを持っているので、父の台湾、母の日本、2つのルーツを持っているという程度の、その認識だった。これも本当に浅はかだったと思います。言いぶりも含めて」

 単に言い抜けるための巧妙な言い回しに過ぎない。
 
 「私の認識では、台湾籍はもう抜けている、日本人になったという思いを持っている」なら、台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は決してしない。

 「父の台湾、母の日本、2つのルーツを持っているという程度の」認識しか持っていなかったなら、やはり台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は決してしない。

 逆に父親のルーツを誇りに思っていて台湾籍を抜かずにいたとしたときに初めて、台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は何の矛盾もないとすることができる。

 記者「以前は編集の過程で『台湾籍だった』という言いぶりが「台湾籍なので」と変わってしまったとおっしゃっていたが、そこは変わらないか」 

 蓮舫「変わりません」――

 この記者の発言は1997年に雑誌「CREA」(文藝春秋)のインタビューで「自分の国籍は台湾だ」と発言していることをテレビなどで問われて、「多分、編集の過程で『だった』という部分が省かれてしまった」と釈明したことを指す。

 いわば、「台湾籍だった」と発言したはずが、編集の過程で「台湾籍だ」と発言したように変えられてしまったとの釈明である。

 普通インタビューはする側からテーマを伝えられて前以て発言を用意していたとしても、その場勝負の言葉の発信となる場合もあり、インタビュー終了後に用意していた発言から外れていないか気になるはずである。

 あるいは政治家でなくても、インタビューに於ける実際の発言が自身が言おうと思っていた発言とは微妙にずれていたり、あるいは実際の発言と印刷された発言が少し違っただけで、意味することが大きく違い、世間に与える影響も自身の思惑と異なる場合もある。

 当然、活字となった自身の発言に目を通す必要が生じる。

 普通、出版前に校正用に印刷したゲラ刷りを前以て渡されて、発言と活字の違いや言い間違いなどの確認を求められるものだが、その機会に意図しない発言や活字の間違いは訂正を求めることができる。

 そのようなことはなかったのだろうか。

 あるいは全ての出版社が行っているかどうか知らないが、インタビューが載っている雑誌を出版社から贈呈されることがあるらしいが、贈呈されたとしたら、その雑誌に目を通さなかったのだろうか。

 贈呈されなかったなら、自分で買って読むということはしなかったのだろうか。

 政治家は自身のインタビューが載っている雑誌を大量に購入して自身の主だった支持者に宣伝用に贈呈するものだが、そういったこともしなかったのだろうか。

 ゲラ刷りを渡されなかった、あるいは渡されても目を通さなかった、出版社から贈呈も受けなかった、自分で購入もしなかった、主だった支持者に贈呈もしなかったと言うことで読む機会が一度も持たなかった。

 それゆえに「台湾籍だった」と発言した過去形が編集の過程で「台湾籍だ」と現在形に変えられてしまったことに気づかなかったとしても、言い間違いや活字の間違いを気にしなかったということはインタビューで発言した自身の言葉に責任を持とうとしなかったことをも意味することになる。

 そういったことばかりか、蓮舫は言葉を武器とし、常に言葉が毀誉褒貶の対象となる政治家としては考えられない不用心であり、警戒心がない政治家に気づかないままに自身を位置づけたことになる。

 こういったことは二重国籍であるとないとかと言うことよりも遥かに問題としなければならない蓮舫の政治家としての資質ではないだろうか。

 言葉に責任を持たない政治家であることは2016年9月13日の日本外国特派員協会の記者会見での岡田克也評に象徴的に現れている。

 蓮舫「変わらぬ安定感、知識への欲求、ものすごくまじめな姿勢、全てにおいて学ばせていただいた。素晴らしいリーダーだ」(産経ニュース)  
 
 2016年8月23日に同じ日本外国特派員協会で記者会見したときは真逆の評価をしていた。

 蓮舫「私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」――

 この発言を受けて何日か前のブログに、〈民進党代表選に立候補する政治家としての立場から現在の代表である岡田克也にはユニークさがない、自分にはそれがあると、自身が代表になった場合と岡田克也と言う現在の代表を見比べているのだから、否応もなしに政治的資質についての評価ということになる。〉と書いたが、その評価が8月23日から20日程度経過しただけで、「素晴らしいリーダーだ」と言うことになった。

 180度も評価内容が変わっている。

 自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家でなければ、そう簡単に180度も評価を変えることはできまい。

 あるいは自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家だからこそ180度も変えることができた評価と言うことができる。

 蓮舫が台湾籍が残っていたことを伝えた国会内での記者会見は9月13日。党員・サポーター票の郵送投票は9月12日必着で、台湾籍が残っていたことの影響を与えないために必着の翌日の9月13日に開いたのではないかといったニュアンスの記事もあるが、そういった狙いがあったとすると、9月15日の民進党国会議員投開票後の発表では意図的にずらしたと疑われるために9月13日にしたと疑うこともできる。

 いずれであったとしても、蓮舫の二重国籍問題に関わる発言が二転三転したのは自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家だからこそであろう。

 そうでなければ、二転三転しない。

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内閣府政務官務台俊介の背負わせて水溜りを渡った行為を可能としたのは日本風の“殿様と家来”的な上下関係

2016-09-13 10:16:07 | 政治

 内閣府政務官務の務台俊介が記録的な大雨をもたらした台風10号の被災地岩手県岩泉町の9人が亡くなった高齢者グループホームを視察した際、革靴で出掛け、長靴を履いていなかったために行方を遮った水溜りを進むのに、部下なのだろう、内閣府の職員に背負われて渡ったことに批判が集中している。

 台風10号は8月30日夕方6時前に岩手県大船渡市付近に上陸、記録的な大雨を降らして青森県を斜めに横切り日本海に出て、8月31日0時頃温帯低気圧に変わったものの、この影響で北海道にも記録的な大雨をもたらしている。

 ネットで調べると、務台俊介が視察に訪れた高齢者グループホームは町中心部から7キロ程離れた山間の川沿いの平地に建てられ、背後に山が迫っていて、対岸も岸にまで山が迫っている地域にある。

 いわば降った雨の殆どが川に集中することになる。

 増水した川の水は8月30日午後5時半頃にグループホームの中に入ってきて、あっという間に腰ぐらいの高さにまで達し、入居者はベッドごと持ち上げられ、増水した水と共に大量の流木や泥が押し寄せて1階の窓を突き破って建物の内部に押し寄せたという。

 視察は2016年9月1日。2日経過して水はかなり引いているだろうが、このような水害場所を訪れたのである。肩書は政府調査団の団長。

 内閣府庁舎の建物内なのだろうか、それとも首相官邸内なのだろうか、大勢の記者が務台俊介の後を追いかけて質問を浴びせている動画を「FNN」記事が載せている。 

 記者「(官房)長官も不適切な行動だと言ってますが」

 務台俊介「猛省しています。猛省しています」
 
 記者「長靴を履いていなかったということは――」

 務台俊介「持参しなかったことも(「猛省しています」と続けようとして思いとどまったのだろう。)被災の翌日行ったということです。すみませんでした」――

 内閣府の職員に背負わせて水溜りを渡っている画像を載せておいたが、防災服を着用している。2枚目の画像はどこの視察なのか分からないが、向き合っている立ち位置から、右側に立っているのは自治体側の人間で、左側の務台俊介と並んで立っているのが務台を背負った人物とは異なるが、内閣府の職員であろう。

 二人共左胸に同じ名札をつけている。所属場所が内閣府と分かる名札であるはずだ。おぶっている人物の右胸に同じ名札を見つけることはできないが、「NHK NEWS WEB」記事が「内閣府の職員」だと書いている。  

 政府の人間が視察する場合、いきなり視察現場を訪れるのではなく、視察地の役所に出向く。そこが町役場であっても、県知事も出向いていて、県知事と町長が一緒に政府の視察者を出迎えるといったことをする。

 もしそこに県知事まで同席していたなら、県の問題でもあるからだろうが、最初に役所に出向くのは現場の視察に先立ってそこで被害の概要を説明する必要があるからである。

 例えばかなりの立場の人間がある会社の製造現場を視察する場合でも、視察者は社長室か来賓室で社長以下重役の出迎えを受け、そこでおおまかな説明を受けてから、視察する製造現場に出向く。

 いきなり製造現場に出向くことも案内されることもないのと同じである。

 もし務台俊介が防災服のみで長靴を持参してこなかったなら、役所は災害が起きたときの備えとして長靴をかなりの数を用意してあるはずだから、長靴に履き替えることを勧めなかったのだろうか。水害現場に行くのに長靴は常識だからである。

 勧めたが、務台俊介が「これで十分だよ」と断ったということなのだろうか。

 それとも地方自治体の立場から長靴に履き替えてくれと言うのは務台俊介は東大法学部卒で政府の役人だから恐れ多いからと、何も言えなかったということなのだろうか。

 後者だとしたら、中央を上に置き、地方を下に置いて地方が中央にペコペコと頭を下げるような権威主義的な上下関係に縛られていることを意味する。

 務台俊介が前者の「これで十分だよ」と断ったとしても、「水害現場ですから、いつ長靴が必要になるかもしれません。履き替えてください」と指示するぐらいの姿勢を示すことができなければ、やはり中央を上に置いて地方を下に置いた上下関係からの意思表示しかできなかったことになる。

 2枚目の画像の務台俊介の右側に立っている内閣府の職員の足元が写っていないために長靴を履いているかどうか分からないが、務台俊介を背負って水溜りを歩いた内閣府の職員は長靴を履いている。

 職員は水害現場を視察する際の備えとして長靴を履いていたはずだ。

 その職員は役所からいざ現場に向かうときに自分が長靴を履いているのに務台俊介に「長靴に履き替えなくても、いいですか」と尋ねなかったのだろうか。それとも短靴のままだと気づかなかったのだろうか。
 
 後者なら仕方がないが、前者で気づいていながら何も言わなかったとしたら、内閣府という役所内の地位の上下関係に縛られて上に従うだけで下から満足に忠告もできない権威主義的な人間関係に縛られていることになる。

 いわば務台俊介を何様扱いをしていることを意味する。

 一方を何様扱いすることはする側は相手に対して自分を遥か下に置いていることになる。

 務台俊介の不用意だけなのか、被害調査のために随行した内閣府職員や視察を受け入れる地方自治体の権威主義的な上下の人間関係に於ける下位者側の下位者としての意識が務台俊介の不用意にプラスされて長靴を履かないままの水害現場の視察を行わせてしまったのかは分からない。

 だが、水溜りに行方を遮られて、ズボンの裾が濡れたり汚れたりしても短靴のまま水溜りを歩くのではなく、務台俊介が言い出して背負わせたとしても、あるいは逆に内閣府の職員が言い出して背負ったとしても、二人の人間の間に務台俊介を上位者として内閣府の職員を下位者とした地位上の上下の関係が働いていなければ、この背負って水溜りを渡るという行為は成り立たなかったはずだ。

 もし務台俊介が長靴を履いていなかった自分自身の問題だとして、いわば誰の問題でもない、個の問題だとして濡れるのも構わずに水溜りを直に歩いたなら、少なくとも務台俊介自身は自分が地位上の上位者であっても、権威主義的な上位者意識には囚われていないことを示すことになる。

 例え背負うことを内閣府の職員が言い出しても、「いや、大丈夫」だと断ったはずだ。いや、言い出す前に水溜りにどんどん入っていっただろう。

 そうしたなら、男を上げたはずだ。少なくとも批判を受けて男を下げることはなかった。
 
 日本人のこの権威主義的な上下関係は封建時代以来の思考様式・行動様式であり、今以て払拭できないでいる。

 上位者意識と下位者意識が相互に介在し合わなければこのような出来事は起こるはずはないから、背負わせた務台俊介と背負った内閣府の職員の間に日本風の“殿様と家来”的な上下関係を見たとしても、あながち見当違いではあるまい。

 配慮に欠ける行為だとか、不適切な行動だといった問題だけではないはずだ。

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安倍晋三の「女性の活躍」を散々に言いながら、思い切って女性・女系天皇を認めることのできない限界

2016-09-12 08:36:33 | 政治

 安倍晋三が2016年〈9月8日午前(日本時間同日昼)、訪問先のラオス・ビエンチャンで同行記者団に対し、皇室制度の見直しに関しては天皇陛下の生前退位の問題に絞り、女性天皇や女系天皇、女性宮家創設の検討については否定的な見解を明らかにした。〉と9月8日付「時事ドットコム」記事が伝えている。

 安倍晋三「(天皇が生前退位を望んだことについて)陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるか考えたい。

 (女性・女系天皇について)今回は天皇陛下のご発言があったわけで、それに対する国民の反応がある」――

 例え「国民の反応」があったとしても、安倍晋三自身が女性・女系天皇に反対だから、応ずることはないはずだ。

 安倍晋三(2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号)「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――

 根っからの女性・女系天皇反対論者である。

 皇室の歴史とは男系の血の連綿たる時代的経過を言い、ゆえに男系尊重は男系の血の尊重を意味する。特に明治以降、男系の血に一大権威を置き、特殊な価値を置くことで天皇を特別な存在として成り立たせ、そのような代々の天皇を頭に戴く日本国民を、頭に戴くゆえに優秀な民族だとする関係性を国家及び国民統治の便宜としてきた。

 天皇を現人神としたことがその最大の表れである。

 いわば天皇の存在があるゆえに日本民族は優秀であるとする天皇を日本民族優越性の象徴とした。

 代々の天皇自身が統治の便宜として歴史的に受け継いできたわけではない。日本の歴史に於いて天皇が実質的に国家権力を握っていた如何なる時代も存在しない。国家権力を握ってきたのは世俗的立場の権力者たちのみである。

 物部、蘇我、藤原の豪族たち、平家、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川の武家集団、明治に入って薩長閥が国家権力を握り、昭和に入って敗戦の昭和20年まで軍部の世俗集団が国家権力を恣(ほしいまま)にした。

 但しいずれの世俗集団も権力遂行の正統性を天皇家の権威、その血を背景として成り立たせきた。そして明治以降、その背景を日本民族の優越性を浮き立たせることを通して機能させる国家及び国民統治の装置へと発展させた。

 だからこそ、戦前日本国家を理想の国家像とし、靖国神社参拝を戦前と戦後の日本国家の間に連続性を持たせる儀式としている、日本民族の優越性を信じて止まない安倍晋三や稲田朋美等々を筆頭としたその一派は天皇の男系の血の継承を絶対とし、女性・女系天皇に反対を唱えることになる。

 この秩序を破った場合、天皇に保持させ、その存在を輝かしくさせていた特別な権威や価値を失わさせることになる。当然、国民が頭に戴くに足りない存在に成り下がる。

 こういった形勢は天皇の存在の否定と同時に理想の国家像としての戦前日本国家の否定となる。

 いわば理想の国家像としての戦前日本国家と日本民族優越性の根拠としている天皇の特別な存在性は一体的でなければならない。

 安倍晋三が男系を絶対とし、女性・女系天皇を拒絶するのはごくごく普通のことなのである。

 この普通なことが、安倍晋三が「女性の活躍」を散々に言いながら、思い切って女性天皇を認めることができない限界を生じさせている。

 男系は日本民族優越性の根拠として国家的必要性を利害とし、「女性の活躍」は単に経済上の必要性を利害としているに過ぎない。

 国家主義者でもある安倍晋三が前者を優先させることもごくごく普通のことである。

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高畑裕太のことはどうでもいいが、示談成立後の弁護人のこのコメントはアンフェアそのもの

2016-09-11 11:25:45 | 事件

 高畑逮捕のことはその容疑と共にテレビの報道番組で知った。

 第一印象は、「バカだな、この男は、バカな真似をして」とバカが二つついた。母親が常々、「女性問題と覚醒剤には気をつけるんだよ。その日まで築き上げた経歴を一瞬にしてフイにしてしまう。私にだって影響してくるんだからね」と注意していなかったのだろうか。

 母親がざっくばらんな性格のようだから、「女が欲しくなってどうしても我慢できなくなったなら、売春が合法の外国に行って処理してくるんだね」ぐらいは言えたと思うのだが、言ってなかったのか、言ったにも関わらず、事件を起こしてしまったのだろうか。

 アジアの売春合法国なら日帰りはできるはずだ。問題は食欲が食べ溜めできないように性欲もいわゆる“やり溜め”が効かないことだろう。時間が許す限り回数をこなして性欲処理に励んだとしても、若くて性欲が強いと、帰りの飛行機の中で若くて美しくてセクシーなキャビンアテンダントが歩いているときのお尻の揺れを見ただけで、たちまち性欲をムラムラさせてしまうといったこともあるだろうけれども、性欲処理に外国まで出かけること自体が問題を起こしてはいけないという警戒心、あるいは自制心を機能させていることを意味して、決してバカな真似はしないはずだ。

 逮捕はテレビの報道だけで、どうでもいいことだから、その事件を伝える記事を覗くことはなかった。だが、高畑裕太が不起訴処分となり、警察から釈放後、高畑の弁護人がコメントを出したのを知って、ネット上から逮捕時の記事を覗いてみることにした。

 大方のマスコミは、女優・高畑淳子(61)の長男で、俳優・高畑裕太容疑者(22)=東京都渋谷区=が2016年8月23日、前橋市内のホテルで40代の従業員女性に性的暴行を加え、怪我をさせたなどとして強姦致傷容疑で群馬県警に逮捕されたといった書き方をして、この事件を伝えている。

 具体的には前橋市内のホテルで「アメニティグッズを持ってきてほしい」とフロントに連絡し、部屋にきた40代の従業員女性の手を無理矢理つかみ、室内に引き入れて性的暴行を加え、怪我をさせたというもの。

 対して酒を飲んでいた高畑裕太は警察の取り調べに「女性を見て欲求が抑えられなかった」と供述したと伝えている。

 性欲を抑えている男が酒を呑むと、その抑えが効かなくなってくる。逆に酒は時と場合に於いて性欲を高める役目もするから、始末に悪い。

 いずれにしても警察は男女それぞれの供述に基づいて相手の合意を得ない力づくの性行為だと判断して、強姦致傷と言う容疑で逮捕することになった。

 勿論、どのような犯罪行為も程度の違いというものがある。凶悪なものから悪質なもの、ほんの出来心からのもの、軽微なもの等々、それぞれに差があるはずだ。

 だが、相手の合意を得ない力づくでやり遂げた一方的な性行為をほんの出来心からとか、軽微な犯罪とすることはできないだろう。相手の意思や人権を無視しているのだから、悪質以上のものがあるはずだ。

 群馬県警に逮捕されたのは8月23日、群馬県警前橋署から釈放されたのが9月9日午後。逮捕日と釈放日を加えると、18日間勾留されていたことになる。

 逮捕から勾留までの流れを、「逮捕された人はどうなるのですか」庶民の弁護士 伊東良徳)なるサイトからピックアップしてみる。    

 警察は容疑者逮捕後、比較的簡単な供述調書を作った上で48時間(2日間)以内に一旦検察庁に連れいく。検察庁は24時間以内に容疑者の短時間の取り調べと、裁判所への勾留請求を行う。

 容疑者は検察の勾留請求後に裁判所に連れて行かれ、裁判所は容疑者に対して容疑事実について本当にやったのかどうか、何か言い分があるのかといった勾留質問を行う。

 裁判所はこの勾留質問後に10日間の勾留をするかどうかを判断し、勾留する場合、勾留状を発布。警察は取調べが10日間の勾留でも足りない場合、検察庁を通して裁判所に勾留延長を請求し、認められた場合更に10日間の勾留延長を行うことができる。

 高畑裕太の逮捕から釈放までの拘留期間が18日だと言うことは弁護人がどの時点で高畑裕太と接触したのか不明だが、テレビや映画では容疑者逮捕前の警察の捜査(聞き込み)時点で参考人として聴取を求められた際や犯罪現場に居合わせて事情聴取を受ける際などに弁護士の立会いがなければ何も喋らないと弁護士を呼ぶよう請求すると、弁護士がやってくるといったことがあるから、早い時期に弁護人と接触したのかもしれないが、高畑裕太は強姦致傷の容疑事実を警察だけではなく、検察庁でも認め、裁判所でも認めたことを意味することになる。

 取調べが10日間で済まずに勾留延長されることになったのは起訴に持っていくために容疑事実を固める持間がかかったのか、あるいは弁護人から示談の申し出があって、示談成立に手間取ったのか、多分、後者ではないだろうか。

 いずれにしても示談が成立して不起訴処分で釈放されることになった。釈放を受けて高畑裕太の弁護人がコメントを発表した。その全文を9月9日付「asahi.com」記事から見てみる。
 
 今回、高畑裕太さんが不起訴・釈放となりました。

 これには、被害者とされた女性との示談成立が考慮されたことは事実と思います。しかし、ご存じのとおり、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません。

 一般論として、当初は、合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

 このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません。もっとも、このようなタイプではなく、当初から、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして、無理矢理性行為を行うタイプの事件があり、これは明らかに強姦罪が成立します。違法性の顕著な悪質な強姦罪と言えます。

 私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。

 しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。

 要するに強姦致傷罪というのはお金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単な犯罪ではなく、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして無理矢理性行為を行う違法性の顕著な悪質な事件の場合もあるが、高畑裕太の場合は示談が成立程の事件性なのだから、そういった悪質性は勿論あるはずはなく、起訴されて裁判になっていれば、無罪の主張をしたと思われた事件に過ぎないと、さも無罪を勝ち取れるかのような言い回しで高畑裕太の名誉を守ろうとしている。

 但し他の関係者の話を聞くことができなかったから、事実関係は解明できていないことを前提とした根拠に過ぎない。

 いわば他の証言もなしに高畑裕太の証言のみで、「高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高」いと強姦を合意の性行為に持っていこうとしている。

 だとすると、警察で強姦致傷の事実を認め、その他検察庁のみならず裁判所でも認めた事実はどうなるのだろうか。

 大体が合意の有無、強行性の有無は裁判でこそシロクロを争うべき問題で、そうである以上、多分カネを使ったであろう示談成立後に口にすべき合意の可能性や強行性の否定性ではないはずだ。

 なぜなら、例え可能性の範囲内であっても、弁護人が容疑者の利益を守る自分たちの立場のみでそうであろうと予測することは許されないからだ。

 「合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

 このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません」と言っていることも高畑裕太を無罪に誘導する弁護士特有のレトリックに過ぎない。

 女性の拒否の意思が伝わっていながら、性的な満足感を得ることのみに気がまわって無理やり行為を続けて目的を果たしたのが事実であっても、弁護士の入れ知恵でいくらでも伝わっていなかったと事実をすり替えることができるからだ。

 あるいは弁護士の入れ知恵がなくても、罪逃れの強い意識が自ずと悪知恵を働かすことになって、伝わっていた事実をいなかった事実に変えることもできる。

 当然、このようなことも検察と弁護士の尋問を混じえた被告・原告双方の証言に基づいた裁判の遣り取りで決着をつけてこそ、その決着を表に出せるのであって、裁判もやらずに示談交渉が成立したことを全ての根拠にして高畑裕太には強姦の事実がなかったかのような印象づけを行うのはアンフェアとしか言い様がない。

 もし裁判になっていたら、マスコミはもっと騒いでいたろう。裁判の遣り取りを逐一報道されるばかりか、判決文がすべての事実となって活字や電波となって日本中に広まり、ネットにいつまでも残ることになる。

 そういったことを恐れて、裁判を回避したかったからこその示談でもあったはずだ。にも関わらず、裁判でなければ欠着がつかないことを自分たちで好きなように決着をつけている。悪質な情報操作のうちに入る。

 示談は金額に納得して承諾するという場合がある。弁護人が「初犯だから、たいした罪に問うことはできない、例え有罪になっても執行猶予付きだと思う。但し彼も将来ある身だから」と言うだけで、それ以外は余分なことを言わずとも、後はカネが金額に応じて物を言ってくれる。

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安倍晋三は拉致問題解決の有利性を考えて、金正日から金正恩への父子独裁権力の継承をかつて歓迎した

2016-09-10 12:40:44 | 政治

 北朝鮮が2016年9月9日、5回目の核実験を行った。声明で「核弾頭爆発実験にが成功した」と述べている。〈事実なら、実際に兵器として使用可能な水準の核弾頭(核爆弾)を爆発させて性能を検証したことになり、単に実験装置で核分裂反応を起こした過去の実験に比べ、核の実戦配備に向けて大きな前進を意味する。〉と「産経ニュース」が伝えている。  

 「毎日新聞」記事から北朝鮮の核実験とミサイル発射実験の動きを伝える画像を載せておいたが、金正恩が2012年4月11日に朝鮮労働党第一書記に就任して以来、ミサイル発射実験を繰返し行い、2013年2月12日、正恩政権になって最初の、金正日政権を合わせた通算で第3回目の核実験を行い、3年後の今年2016年1月6日に4回目の核実験。そして8カ月後の北朝鮮の建国記念日に当たる9月9日に今回の核弾頭爆発実験と、核実験そのものも急速にピッチを上げている。

 当然、性能と威力を向上させるための実験だから、当然と言えば当然だが、向上させていることになる。

 2016年4月23日の潜水艦からの弾道ミサイル発射実験成功は太平洋の水面下を移動して発射地点を投下地点へと自由に近づけることができることになるから、その分探知が困難になるばかりか、アメリカも攻撃対象の範囲内に入ることになり得ることからアメリカにとって安全保障上の大きな脅威となるとマスコミは伝えていた。

 日本ばかりか、アメリカも安全保障上の脅威という点で北朝鮮は極度に危険な存在になりつつある。

 北朝鮮が2016年9月5日にノドンと見られる弾道ミサイル3発の発射を行った際、安倍晋三は中国・杭州で行われていた20カ国・地域(G20)首脳会議に参加していた。

 安倍晋三「地域全体の安全保障に対する重大な脅威だ。許し難い挑発行為に対し、国際社会は国連安全保障理事会を含め断固たる対応を取るべきだ」(時事ドットコム

 今回の核実験に際しては次のように発言している。

 安倍晋三「北朝鮮が核実験を強行した可能性がある。私からは、緊張感を持って情報収集・分析を行うこと、国民への情報の適切な提供を行っていくこと、米国、韓国をはじめとして中国、ロシアなど、関係国と緊密に連携していく、この3点の指示を出した。

 もし北朝鮮が核実験を行ったのであれば、断じて許容できない。強く抗議しなければならない。このあと、閣議のあとに、NSC=国家安全保障会議を開催し、情報の共有・分析を行う予定だ」(NHK NEWS WEB

 安倍晋三は北朝鮮の今回の核実験後、アメリカのオバマ大統領と韓国のパク・クネ大統領とそれぞれ電話会談し、同9月9日午後9時過ぎに記者会見を行い、電話会談の内容をコメントしている。

 安倍晋三「北朝鮮の核実験を受けまして、オバマ大統領と、そして先ほど、韓国の朴槿恵大統領と電話による首脳会談を行いました。今回の北朝鮮の核実験、そしてまた、その前の弾道ミサイル発射等については、今までの脅威のレベルとは異なるレベルの脅威となっているということで、認識が一致したわけであります。

 新しい、この新たな段階の脅威に対して、我々は、いままでとは異なる対応をしていかなければならないということでも一致をいたしました。

 この北朝鮮の暴挙に対して、国際社会が一致して、断固として対応していくことが、求められていると思います。日米、そして日米韓、さらには中国やロシアや関係国と、国連を含めて、しっかりと連携して対応していきたいと思います」(日テレNEWS24)  

 北朝鮮の核実験を「許し難い挑発行為」と非難し、「断固たる対応を取るべきだ」と決意を示し、「断じて許容できない」とさらに非難、「国際社会が一致して、断固として対応していく」と言っている。

 これらの言葉は北朝鮮がミサイル発射実験や核実験を行った後に口にするほぼ決まったセリフとなっている。今回も同じセリフの繰返しだから、言葉通りに実効性を実現できていない言葉で終わっている言葉となっている。

 日本もアメリカも北朝鮮がミサイル実験や核実験を行うたびに安保理決議を受けた制裁だけではなく、それぞれの国独自の制裁を強化してきた。だが、効果が一向に上がらないのは2016年4月以降、安保理決議による制裁に加わった中国が決議通りの制裁実行は上辺だけで、実際には実行していないからだと言われている。

 だとすれば、ミサイル実験や核実験に向かって、「許し難い挑発行為」だ何だと言葉を費やすよりも、あるいは怒りを演出するよりも、中国に制裁決議の的確な実行を求めるべきだが、中国の事情からすると、そうも行かないようだ。

 国連安保理が2016年3月2日に採択した北朝鮮の核実験とミサイル発射に対する制裁決議は、〈中国の要望で、北朝鮮の市民生活への影響を極力避けることも盛り込まれた。〉(東京新聞)と解説している。

 いわば「市民生活への影響を極力避ける」を錦の御旗とする抜け穴を与えた。禁輸措置等の制裁決議を忠実に実行して北朝鮮経済の崩壊、それが北朝鮮体制の崩壊へとドミノ倒しとなった場合、国内は混乱し、難民が中国に殺到する。

 中国としては極力「市民生活への影響を極力避ける」を錦の御旗としなければならない。

 結果、制裁は行き詰まることになる。残ったのは金正恩の制御の効かないミサイル発射実験と核実験である。これが現在の状況ということであろう。

 実は安倍晋三は拉致問題解決の有利性を考えて、金正日から金正恩への父子独裁権力の継承を歓迎した。

 2012年8月30日、フジテレビ「知りたがり」

 安倍晋三「ご両親が自身の手でめぐみさんを抱きしめるまで、私達の使命は終わらない。だが、10年経ってしまった。その使命を果たしていないというのは、申し訳ないと思う。

 (拉致解決対策として)金正恩氏にリーダーが代わりましたね。ですから、一つの可能性は生まれてきたと思います」

 伊藤利尋メインキャスター「体制が変わった。やはり圧力というのがキーワードになるでしょうか」

 安倍晋三「金正恩氏はですね、金正日と何が違うか。それは5人生存、8人死亡と、こういう判断ですね、こういう判断をしたのは金正日ですが、金正恩氏の判断ではないですね。

 あれは間違いです、ウソをついていましたと言っても、その判断をしたのは本人ではない。あるいは拉致作戦には金正恩氏は関わっていませんでした。

 しかしそうは言っても、お父さんがやっていたことを否定しなければいけない。普通であればですね、(日朝が)普通に対話していたって、これは(父親の拉致犯罪を間違っていたと)否定しない。

 ですから、今の現状を守ることはできません。こうやって日本が要求している拉致の問題について答を出さなければ、あなたの政権、あなたの国は崩壊しますよ。

 そこで思い切って大きな決断をしようという方向に促していく必要がありますね。そのためにはやっぱり圧力しかないんですね」――

 似たような発言を他でも繰返している。

 要するに日本人拉致犯罪は金正日の首謀事犯(刑罰に処すべき行為)だから、抱えている自身にとっての不都合な部分まで明らかにすることができないために全面的な拉致解決にまで進めることができなかった。

 但し息子の金正恩は金正日の犯罪に関わっていないから、金正恩の政権を維持するためには父親の拉致犯罪を否定し、全て明らかにすることで日本からの経済援助を受けることができる拉致問題の全面解決に努めるべきで、そのように仕向けていくとした。

 つまり日本人拉致の首謀者である金正日体制が続いたなら、自身が犯した国家犯罪だから、全てを明らかにしなければならない全面的解決は望めないが、その息子であっても犯罪に関係してない金正日なら、全面解決の可能性が出てくると、その独裁権力の父子継承を歓迎したのである。

 だが、安倍晋三は歓迎したとおりに金正恩に対して「思い切って大きな決断をしようという方向に促していく」ことが出来なかったばかりか、まさか父親の金正日以上に国際社会の安全保障上の脅威となる異形の者に成長するとは考えもしなかったのだろう。

 但し父親の犯罪に関係していないから、その子はその犯罪を否定できるし、全てを明らかにして拉致の全面解決に持っていくことができると考えるのは底が浅いとしか言い様がない。

 上記件に関して2013年2月13日の当「ブログ」に次のように書いた。

 〈金正恩は父子権力継承の正統性を父親金正日の血に置いているのである。その血はその父親金日成から引き継いだものだが、当然、その血はありとあらゆる正義を体現しているものと見做さなければ、権力継承の正統性に瑕疵が生じることになる。

 金正日の血は正義であり、正義とは金正日の血を意味し、その存在そのものを正義とすることになる。そうすることによって権力継承そのものを正義と価値づけることができ、そこに正統性が生まれる。

 存在そのものを正義とする以上、金正日が自らの最優先の政治思想として掲げていた、金正恩に対する「遺訓」としている、すべてに於いて軍事を優先させる「先軍政治」も含まれることになる。

 また、権力を父子継承するについては、金正日独裁体制を支えた北朝鮮軍部や朝鮮労働党の側近を継承し、自らの体制としなければならない。父親金正日の正義を支えた体制でもあるからだ。

 かくかように独裁体制下の権力の父子継承とは父親の正義をその子が受け継いで自らの正義とすることを意味するはずだ。〉・・・・・・

 いわば父親の犯罪を暴くことは父親の正義をニセモノとすることであり、結果的に父親から受け継いだ自らの権力の正統性をそこに置いている正義を自ら否定することになる。

 金正恩が決して出来ないことを安倍晋三は期待し、その権力継承を歓迎したのである。

 安倍晋三の外交能力とはこの程度である。

 北朝鮮の核を含めた大型兵器開発の理由を国威発揚とか、アメリカからの攻撃を想定した自国防衛のためだとか、核保有をアメリカに認めさせるための交渉を引き出すためだとか色々と説があるが、一番大きな理由は金正恩その人の性格ではないだろうか。

 金正恩は1984年1月8日生まれで、現在32歳。 朝鮮人民軍第3代最高司令官に就いたのが27歳の2011年12月30日。朝鮮労働党第一書記に就任したのが28歳。

 権力を継承しても自分は若いのだから、多くの人間の考えに耳を傾けようと様々なブレーンを集めて意見を聞き、自らの意見を混じえて構築した政策を一つづつ確実に実行しようとする誠実な性格の持ち主なら少しはマシな指導者になっただろうが、自分が若造だと思われて周囲からバカにされまい、甘く見られまいとして誰に対しても高圧的な態度を取る性格の持ち主なら、常にバカにされていないか甘く見られていないか不安症に駆られて、バカにされたり甘く見られないために誠実さとは正反対の高圧的な態度を、ときには際限もなくエスカレートさせなければならなくなる。

 その高圧的な態度の際限もないエスカレートが恐怖統治と言う形となって現れ、その結果の恐怖統治から逃れるための最近の外交官の中でも高い地位の者の脱北であり、あるいは恐怖統治の生け贄という形で現れている政権内の一定の地位を得た者に対する粛清でもあるはずだ。

 多分、政権内では前者後者の悪循環状態となっているはずだ。恐怖統治が過ぎると人心が離れ、国外逃亡や粛清が増えることになる。

 また、若造だと思われないための高圧的な態度は対人関係のみならず、政治でも表現して、自分は決して若造ではないと証明しようとする。

 そのような高圧的な態度の表現の一つが、若造ではないことの証明でもあるが、頻繁なミサイル発射実験や核実験となって現れているのではないだろうか。

 プーチンが自身が強い指導者であることを演出するために柔道で相手を投げるところをカメラで写したり、森林保護区を視察中、逃げ出したトラに向けて麻酔銃を発射し、仕止めたり、その他数々の武勇伝を紹介していることを金正恩は政治面でも行っているということなのだろう。

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蓮舫の二重国籍問題:一番の問題は台湾国籍を放棄しているかどうかではなく、正直さが問われている

2016-09-09 11:34:26 | 政治

 民主党代表選に立候補、対立候補他2者をリードしている蓮舫が現在二重国籍問題で騒がれている。台湾出身で現在日本国籍を有しているが、台湾籍を抜いていなのではないか、いわば二重国籍ではないかとの疑惑を受け、様々に問題視されている。

 その一つは野党第1党の党首となれば、政権交代の際、首相となる公人中の公人が二重国籍ではおかしいと言うものだが、もし二重国籍だとしても、台湾籍を抜けば解消する問題であろう。

 但し首相職を狙う政治家が二重国籍を放置していた迂闊さの責任は免れないことになる。

 一方で台湾籍の人間が日本国籍を取得すれば、二重国籍の問題は生じないと指摘するマスコミもある。

 〈日本政府の見解では、日本は台湾と国交がないため、台湾籍の人には中国の法律が適用される。中国の国籍法では「外国籍を取得した者は中国籍を自動的に失う」と定めており、この見解に基づけば、二重国籍の問題は生じない。〉(時事ドットコム

 蓮舫はこの規定を知らなかったのだろうか。
 
 ネットでは、「エセ日本人」とか、父親が中国の共産党軍に敗れて大陸を逃れた国民党と共に台湾に渡った外省人だということだからなのか、「中国のスパイ」といった批判が渦巻いているというが、日本民族優越主義が日本人の血を絶対としていることから日本人以外の血(=台湾人の血)を認めず、排斥したい悪意が二重国籍問題に便乗して蓮舫を格好のターゲットとして攻撃対象としているといったところか。

 蓮舫は二重国籍の指摘に対して台湾籍を放棄したが確認が取れていないとして、改めて手続きを取ったことを明らかにしたとする9月6日の高松市の記者会見での発言を2016年9月7日付の「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 蓮舫「昭和60年に日本国籍を取得し、台湾籍の放棄を宣言した。このことによって私は日本人となった。日本国籍を日本の法律のもとで選択しているので、台湾籍は有していない。

 31年前に父と一緒に東京にある台湾の窓口に行って、台湾籍放棄の手続きをしたが、言葉がわからず、どういう作業が行われたか、全く覚えていない。改めて台湾に確認を求めているが、今なお確認はとれていないので、台湾籍を放棄する書類を提出した」――

 「昭和60年」は1985年。蓮舫の生年月日は1967年11月28日(48歳)だから、17歳か、18歳。蓮舫がテレビ番組で台湾の国籍を抜いたのはいつなのかと司会者から問われて、「高校3年で18歳で日本人を選びました」と言っていることと辻褄が合う。生まれ月が来て、18歳になっていたのだろう。

 但し「31年前、17歳で未成年だったので、父と東京で台湾籍の放棄手続きをした」と言っている蓮舫の発言を伝えているマスコミもある。

 改正国籍法が1985年(昭和60年)1月1日施行され、改正前の国籍法では父親が外国人の場合は母親が日本人でもその子は日本国籍を取得できなかったが、改正によって父親か母親か、一方が日本人であれば、その子は自動的に日本国籍を取得できるようになった。

 改正国籍法施行の1985年(昭和60年)1月1日は蓮舫が17歳のときとなる。

 台湾籍から日本国籍に国籍を変更する。この重大な人生の転機となる年齢を例え1歳違いであっても、間違えるだろうか。

 そして国籍法が改正された「31年前」の1985年の1月21日(と「産経ニュース」記事が伝えている。)に「父と一緒に東京にある台湾の窓口に行って、台湾籍放棄の手続きをした」

 但し「改めて台湾に確認を求めているが、今なお確認はとれていないので、台湾籍を放棄する書類を提出した」――

 「台湾籍放棄の手続き」終了後に渡された書類を目にしたことは一度もなかったのだろうか。放棄承認といった類いの書類は手渡されるはずだ。即日ではなく、後日であったとしても、受け取った父親か母親が見せるはずである。「済んだよ」と。

 当然、そういった書類は大事に保管されるはずだ。

 だが、見たことも保管もされていないことになる。
 
 あるいは日台間に国交がないために中国の国籍法が適用されて自動的に中国籍(蓮舫の場合は台湾籍)を失っていたとしても、蓮舫自身が外省人である父親から受け継いだ2分の1の中国人のルーツに誇りを持っていて、台湾籍をそのままにしていたのではないかと見ると、台湾籍放棄承認といった類いの書類を手元に保管していないこととの整合性を見い出すことができる。

 それはそれでいいはずだ。但しそうであるなら、そのことを正直に言わなければならない。

 となると、この問題で問われるのは正直さということになる。

 正直ではない政治家に一党の代表になる資格はない。

 蓮舫には正直とは言うことのできない発言に時折り出会う。

 蓮舫が民進党代表選の立候補に名乗り出て、2016年8月23日に日本外国特派員協会で記者会見したときの発言に対する後程の釈明にも見ることができる。

 蓮舫「私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」――

 民進党代表選に立候補する政治家としての立場から現在の代表である岡田克也にはユニークさがない、自分にはそれがあると、自身が代表になった場合と岡田克也と言う現在の代表を見比べているのだから、否応もなしに政治的資質についての評価ということになる。

 ところが蓮舫はマスコミが一斉にこの発言を取り上げると、同日の自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と釈明している。

 「ユーモアのない真面目さ」が代表としての資質にどう関係があるのだろうか。ユーモアがあれば、それが代表としての第一番の資質だと言うのだろうか。

 もしこの発言が政治的資質とは無関係の人間的性格の一面を伝えたものだとしたら、それこそ代表としての政治性に関係ないことになる。関係ないことであるにも関わらず、「つまらない男」と口にしたことになる。

 実際に岡田克也がユーモアのないつまらない男だとしても、蓮舫には岡田克也の下で代表代行を務めているのだから、「本当につまらない男だと思います」と言うどのような資格もない。

 それをツイッターで巧妙に誤魔化す投稿をする。決して正直な態度とは言えない。

 ツイッターで思い出したが、ネットで蓮舫のツイッターの記述と実際と食い違う発言が取り上げられている。

 リンクされた蓮舫のツイッターを覗くと、2015年9月9日の記事に次のような記述がある。  

 〈民主党は戦争法案というレッテル張りはしてはしていませんが、他国への武力攻撃を日本の武力で阻止するのは、自衛のために許容された必要最小限の範囲内の実力行使を超え、憲法違反になるおそれがあります。政府案は憲法が禁止する戦争、武力行使につながるおそれがあります。〉―― 

 蓮舫のツイッターを紹介するページには安保法制反対集会の蓮舫の演説の動画が載っていて、それを見ると第一声で「私たちは戦争法案に絶対反対です」と涸らした声で訴えている。

 そして蓮舫は「産経ニュース」のインタビュー記事で次のように述べている。  

 蓮舫「安保法制は、社会の変え方、人の行動の可能性で戦争に巻き込まれることは否定できない法律案でした。だけど、その途中を全部端折って『戦争法案』というのは、私は、むしろミスリードをする言い方だったと思っています。安全保障というのは、リアリストじゃなきゃいけない」――

 聞こえのいい訴え方をしているが、ただ単に「戦争法案絶対反対、戦争法案絶対反対」と叫んでいたわけではあるまい。安倍晋三の日本を世界的な軍事大国化したい願望を持った軍国主義・国家主義が招きかねない戦争の危険性を嗅ぎ取っていたことからの名称であって、「途中を全部端折って」いたわけではない。

 「戦争法案」なる言葉がもし途中を端折っていて、情緒的な訴えに過ぎなかったとすると、世論調査に現れた過半数の戦争法案反対の意見は野党の情緒的な訴えに情緒的に反応したに過ぎない世論ということになって、国民をバカにしていることになる。

 また、民進党の代表選に立候補してから口にするなら、民主党時代に自身も交えて「戦争法案」だとレッテル貼りしていたのだから、先ずは自己批判しなければならないはずだ。

 自己批判もなく、また自身を除いた民主党、あるいは野党の問題であるかのように言う。

 この不正直さは限りなく悪臭が立ち込めている。

 蓮舫の自己批判に関して言うと、民主党政権が多くの国民の期待を担って政権交代を果たし、政権運営の大舞台に登場しながら、期待とほぼ同じ量の失望を買って、「民主党には国は任せられない」を国民の固定観念化させ、それを国民の記憶から今以て払拭できていないことが下野後の民主党とその後の民進党の党勢低迷につながっていることに対する、そういった状況をつくり出した主たる戦犯の一人であることの反省も自己批判もないことである。

 蓮舫の民進党代表選立候補後の全ての発言をチェックしているわけではないが、2016年9月2日に民進党本部5階ホールで行われた、《民進党代表選挙候補者記者会見》の全文を読む限り、前原誠司が民主党政権失敗の戦犯の一人だと自己批判している以上、蓮舫からも反省の言葉一つぐらいはあって然るべきだが、ないところを見ると、他の発言でもないはずだ。  

 このことは9月7日の長野市での民進党代表選の候補者集会での各候補の発言を見ると明らかである。「asahi.com」記事から見てみる。  

 冒頭、前原氏が旧民主党時代の政権運営について、頭を下げて謝罪した。多分、いつものように民主党政権失敗の戦犯の一人だと自己批判したのだろう。

 続いてマイクを握った玉木雄一郎が前原グループに所属している仲間意識からだろう、前原誠司が国土交通相や外相として羽田空港国際化やビザ取得緩和などを進めたとして、「安倍政権が自分の手柄のように言っているが、前原さんの手柄だ」と指摘。

 要するに失敗ばかりではない、成果も上げていると擁護した。

 記事解説。〈玉木氏の代表選キャッチフレーズは「義理と人情と浪花節」。一方の前原氏は、自身が旧民主党の政権運営失敗の「戦犯」だと公言している。こうした2人のやりとりの後に発言した蓮舫氏は、「玉木君、男が泣くな」とたしなめていた。(安倍龍太郎)〉――

 玉木雄一郎も東大出なのだから、蓮舫から「男が泣くな」と言われたら、「あなたは戦犯意識は少しもないのですか」となぜ言い返すことができなかったのだろうか。

 安倍政権に交代して全ての国政選挙で民主党は大敗続きであり、民進党に衣替えしても今夏の参院選で大敗している。民主党政権の失敗の罪は重い。

 その失敗に対して正直であろうという姿勢を少しでも持っていたなら、自ずと何らかの自己批判が口をついて出るものだが、蓮舫にはそれがないらしい。

 正直さのバローメータともなり得るということである。

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名古屋市の中1男子イジメ自死調査報告書からイジメ潜伏中の学級担任の各種情報の読み解きを考える

2016-09-08 13:01:36 | 教育

 昨年、2015年11月に名古屋市の中1男子がイジメを受けたと遺書に書き残して自殺した原因を究明する市の教育委員会が設けた第三者機関による調査結果の報告書が2016年9月2日公表され、イジメが原因の一つだと認定した。

 何日かの前のブログで2016年7月26日発生の障害者施設「津久井やまゆり園」に於ける19人殺害、26人重軽傷の事件を学校でのイジメを受けた自殺やイジメが過剰な形を取った殺人を例にこのようなイジメの潜伏期間中に当事者以外の第三者の目に、それが少数であったとしても、イジメに繋がる何らかの出来事が触れるか映るかして潜伏する形を取るものであって、その触れるか映るかした出来事を如何に情報処理するかにイジメ自殺やイジメ殺人の防止がかかっている同様の構造を「津久井やまゆり園」の事件も見せていたのではないかといった趣旨のことを書いた。

 この論理を(と言う程の大袈裟なものではないが)調査報告書の中から特に目に触れるか映るかする機会がそれなりにあるはずの学級担任がどう情報処理したかに当てはめて問題点を探ってみたいと思う。

 《調査報告書》はPDF記事で紹介されている。解釈の妥当性は読者の判断に任せるしかない。     

 「情報処理」という言葉をより理解しやすいように「情報の読み解き」という言葉に変えてみる。

 まず最初に報告書は、〈これらのいじめ行為は、当該生徒に対する故意で積極的なものとは言いがたい、というのもいじめ行為を行っている側としては、当該生徒が嫌がっており、苦痛を感じているということに思いが及ぶことはなかったようだからである。〉と記しているが、彼に対するイジメ行為は攻撃対象を特定して特段の悪意を持って行ったものではなく、意図しないままに結果的にそうなったイジメ行為としている。

 中1男子の小学校からの引き継ぎ事項について報告書は次のように書いている。
 
 〈当該生徒の中学校入学に際し、小学校からの引き継ぎ事項には、学力面での課題のほか、心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要があるとの内容があり、当該中学校には、当該生徒はいじめられやすい傾向があるとの認識があった。ただ、引き継ぎの中に、当該生徒に対する具体的ないじめに関する内容はなかった。

 こうしたことを踏まえ、当該生徒が中学校1年生時の学級担任(以下、「学級担任」という。)としては、注意して様子を見ていくとともに、当該生徒が自分から積極的に話しかけてくるタイプではないため、学級担任の側から働きかけて接点を持たないといけないということを感じていた。〉

 小学校からの引き継ぎによって「心も体も強くはない」タイプの生徒だと学級担任の目に中学校入学時点でその人柄が映ることになった。小学校時代に具体的にイジメられていたという事例の報告はなかったが、「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」とする小学校からの情報を「いじめられやすい傾向がある」と読み解いた。

 このことに関しては報告書はそれ以外に触れていないから、推測しようがないが、「心も体も強くはない」というタイプはちょっとしたイジメにも心理的に大きな打撃を受けがちであるという情報の読み解き方をしたかどうかである。

 いずれにしても学級担任は注意して中1男子を見守ることにした。どういった方法を取ったかというと、他の生徒に対しても同じだが、身体的な触れ合いを専らとしていたようだ。

 (5)学級担任との関わりの項目で報告書は次のように記している。

 〈学級担任は、受け持ちの生徒に対してスキンシップを取ることが多かった。

 当該生徒に対しても、顔に手を近づけて触ろうとする、追いかける、抱きつこうとする、当該生徒の椅子に座るなどの働きかけをしていた。その頻度は、1学期は1日1回ぐらいのペースであった。

 このことに対して当該生徒は、顔を触られそうになれば避ける、追いかけられれば逃げるという対応を取ったが、表情としては笑っていたようであり、周囲の複数の生徒の証言によれば、じゃれ合っているように見えたとのことである。

 しかし一方で、当該生徒が防犯ブザーを持ってきていたのを見た生徒もおり、また学級担任の話によれば、追いかけた際、当該生徒が防犯ブザーのひもを実際に引く行動をとったが、壊れていたために鳴らなかったということもあった。

 他にも、担任の働きかけに対して「やめてください。へどが出ます。」と言ったこともある。

 また、自分のノートに「一生、顔をさわらない。」「一生、だきつかない。」「人の席にすわらない。」などと書いた「契約書」と称するページを学級担任に示した上で、署名をさせたこともあり、学級担任の受け止めとして、「なかなか面白いことを考えてきたな、ちょっとやらしいな、こういうタイプはなかなかいないな」と思った旨を証言している。〉――

 学校教師は担任する生徒に関して可能な限り意思疎通を図ることを心がけなければならない。意思疎通とは言葉を介してお互いに考えていることを伝え合うことでお互いを理解し合うことを言う。

 生徒の顔に触れようとしたり、抱きつこうとしたりして逃げる相手を追いかけたりすることではない。相手と親しい関係を作る行為として始め、例え親しい関係を作ることに成功したとしても、中学1年生相手の身体的接触の試みをキッカケとした逃げる・追いかけるふざけ合いで作るような親しい関係は余りにも幼児的で、もし言葉を介した意思疎通を心がけていたとしたなら、最初から言葉を用いて接触を試みているはずだろうから、そういったスキンシップからは言葉を介した真の意思疎通が生まれてくることは考えることもできない。
 
 イジメに関係しないことであっても、生徒と親しい関係を構築する方法の情報の読み解き方に問題があるようだ。

 だから、学級担任の幼児的なスキンシップに対して「やめてください。へどが出ます。」と拒絶反応され、尚且つそういったことをさせない「契約書」に署名させられながら、「なかなか面白いことを考えてきたな、ちょっとやらしいな、こういうタイプはなかなかいないな」と、自身のスキンシップ自体は決して間違っていないかのような自己都合の解釈ができる。

 ところが6月に実施した「ハイパーQU」アンケートで担任のスキンシップが拒絶されていることが分かることになる。

 「ハイパーQU」とは学校生活に於ける児童生徒の意欲や満足感、および学級集団の状態を5段階の各質問項目にそれぞれ○をつけて、その選択肢によって測定するためのアンケートだという。

 「担任の先生とうまくいっていると思う。」――5段階のうち下から2番目の「あまりそう思わない」

 「学校内に自分の悩みを相談できる先生がいる。」――5段階の最も下の「全くそう思わない」

 さらに1学期の終わり頃の7月10日(金)に行われた保護者会(三者面談)。

 〈当該生徒の保護者から学級担任に対し、「フレンドリーではなく、厳しく接してほしい」という旨の話があった。遺族の話によれば、当該生徒本人が学級担任の接し方を嫌がっていると感じていたとのことであり、保護者会では、「先生が『コミュニケーション過剰で迷惑をかけた、これからはそういうことはないようにします』とおっしゃったので、(保護者側からは)『お願いします』と話した」とのやり取りがあった。

 学級担任によれば、この保護者との話し合いの後、1学期の終わりからは、当該生徒に対し、それまでのような働きかけはやめたということである。その理由として、学級担任は、自分の接し方が他の生徒のようには通じず面倒に感じるようになったこと、当該生徒が本気で嫌がっているのかなと思ったこと、他の生徒に手がかかるようになり当該生徒にこれまでのように関わる余裕がなくなったことを挙げている。〉――

 「コミュニケーション」とは言葉を介して行う双方向の意思疎通を言う。学級担任は学校教育者でありながら、生徒の顔を手で触ろうとしたり、抱きつこうとしたりして、逃げれば追いかける生徒に対する接し方を「コミュニケーション」だと解していた。

 面白がって応じる生徒がいたとしても、相手が幼児なら兎も角、コミュニケーションといったシロモノとは言えない。

 学級担任は「自分の接し方が他の生徒のようには通じず面倒に感じるようになったこと、当該生徒が本気で嫌がっているのかなと思ったこと、他の生徒に手がかかるようになり当該生徒にこれまでのように関わる余裕がなくなった」。

 と言うことは、小学校からの引き継ぎ事項に「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」とあった情報を「いじめられやすい傾向がある」と読み解いたものの、別の接し方を考えずにその情報を学級担任自らが失念させたことになる。

 そもそもからして言葉を介した意思疎通を生徒との接し方の主たる方法として学級担任の能力の中に存在させていなかったからこその失念であろう。つまり生徒の顔を手で触ろうとしたり、抱きつこうとしたりして、逃げれば追いかける以外の生徒との接し方を知らなかった。

 では、1学期の6月15日(月)と2学期の10月9日(金)に実施した「ハイパーQU」アンケートの結果を見てみる。

 回答肢は5「とてもそう思う」、4「少しそう思う」、3「どちらともいえない」、2「あまりそう思わない」、1「全くそう思わない」という段階となっている。
 
 設問と結果(前者の数字が6月、後者の点数が10月)

 学校内には気軽に話せる友人がいる。 5 2

 学校の勉強には自分から進んで取り組んでいる。 5 2

 担任の先生とはうまくいっていると思う。 2 4

 勉強や運動、特技やひょうきんさ(おもしろさ)などで友人から認められていると思う。4  2

 学校やクラスでみんなから注目されるような経験をしたことがある。 3 1

 クラスや部活でからかわれたり、ばかにされたりするようなことがある。2 4

 クラスにいるときや部活をしているとき、まわりの目が気になって不安や緊張を覚えることがある。2 4――

 友人とのコミュニケーションの頻度についての6月と10月の「ハイパーQU」アンケート

 回答肢:4「いつもしている」、3「ときどきしている」、2「あまりしていない」、1「ほとんどしていない」

 みんなと同じくらい、話をしていますか。 4  2

 自分から友人を遊びに誘っていますか。 3 1

 「担任の先生とはうまくいっていると思う」以外は全てが2段階か3段階は自身が置かれている状況が悪化している。

 報告書は、〈学習意欲や周囲からの承認に関する項目が大きく低下している。〉と記している。
 
 学級担任は「担任の先生とはうまくいっていると思う」とした6月時点の「2」から10月時点の「4」へと中1男子と担任との関係が好転しているが、生徒が発信したこの情報をどう読み解いていたのだろうか。

 保護者会(三者面談)は1学期の終わり頃の7月10日に行われて、そこで学級担任の生徒との接し方を、いわば迷惑だとして拒絶され、担任は生徒と関わることがなくなった。

 と言うことは、迷惑な関わりから解放された分、関係が好転したとしているだけで、良好な意思疎通の関係が新たに構築できたという意味での好転ではないことになる。

 このことが先述の「学校内に自分の悩みを相談できる先生がいる。」との質問に対して5段階の最も下の「全くそう思わない」という選択肢となって現れたということなのだろう。

 このように読み解いていたなら、中1男子が置かれている状況の悪化に注意しなければならないことになる。

 報告書の「ハイパーQU」アンケートの結果についての調査内容を見てみる。

 〈これらの結果より、6月のハイパーQU実施時期から自死の前の時期にかけて、当該生徒がクラスや部活動などで、孤立感や疎外感、不安感を深めていった様子がうかがわれる。当該生徒は、これらについて、家族にも相談することがなかった。

 なお、当該生徒は6月の結果では、「満足群」「非承認群」「侵害行為認知群」「不満足群」の4つに分類される領域のうち、「不満足群」に属していた。

 10月の結果では、その中でもさらに配慮を要する「要支援群」になっている。

 この結果は10月28日(水)に学校へ届き、翌10月29日(木)には学級担任が結果を目にし、今後注意して当該生徒の様子を見ていこうとしていたその矢先に、当該生徒は自死するに至っている。〉――

 この「今後注意して当該生徒の様子を見ていこうとしていた」とする担任の証言と「その矢先に、当該生徒は自死するに至っ」たとする経緯は、10月の「ハイパーQU」の結果を受けてのことだろう、〈当該生徒について、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーへの相談はしなかったのか、考えなかったのかという聞き取りに対し、学級担任は、そういった機会はもう少し事が大きくなったときと思っていたと証言している。〉ことと矛盾する。

 10月29日にアンケートの結果を見て「もう少し事が大きくな」る危険性を予見する情報として読み解いていたのか、あるいはこの程度なら、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに相談する程のことはないとする情報として読み解いていたのか、いずれかとなる。

 前者なら、その危険性と「心も体も強くはなく、みんなで見ていく必要がある」タイプの生徒で、「いじめられやすい傾向がある」としていた情報の双方から「今後注意して当該生徒の様子を見ていこうと」するのではなく、直ちに面談なり何なりのケアを行う責任を有していたはずだ。

 だが、様子を見ていくことだけにした。

 もし後者のこの程度ならスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーに相談する程のことはないとアンケートの結果に現れた情報を読み解いていたなら、自殺は予見できなかったとしても、「心も体も強くはない」タイプの生徒であることを失念していたか、過小評価していたことになる。

 「心も体も強くはない」と言うことは何事につけても打たれ弱い性格を言う。そのように情報を読み解いていたなら、アンケート結果を他の一般的な生徒の結果よりもより深刻に読み解かなければならないだろうし、読み解きに応じた保護が必要になる。

 だが、学級担任の情報の読み解きはこういった経緯を一切取っていない。

 明確に悪意に彩られたイジメ行為ではなかったとしても、自殺に追いやることになったイジメの潜伏期間中にかなりの数の兆候が第三者の目にそれとなく映っている。その一つが「ハイパーQU」のアンケートの結果に現れた様々な情報だが、学級担任にはその情報を的確に読み解く能力はなかったようだ。

 報告書の次の記述も学級担任の目に映った兆候であるはずだ。

 中1男子は〈弁当を忘れた生徒に対し、自分の弁当を自ら進んで分けることがあった。このことは何人かの生徒が実際に見た様子を証言しており、学級担任も3回程度見ているとのことである。学級担任はこのことについて、当該生徒の通知表中の所見欄に「昼食を忘れたクラスメートがいるときは自分の弁当を分けてあげるなど心優しい面が多くみられました」と記載している。〉
 
 だが、優しさが仇となって、生徒の中には本人に無断で弁当を食べるようになった。

 〈2学期に入り、一部の生徒が、当該生徒への断りなく、弁当の中身を取るようになった。この行為は、他の生徒が別室にスクールランチを取りに行き、クラス内の人数が少なくなっている間に行われ、2週間に1回程度の頻度であったとのことである。この様子を見ていた別の生徒によれば、弁当を取った生徒は事後、当該生徒に弁当の中身をもらったことを話し、それを聞いた当該生徒は嫌そうな顔をしつつも、しょうがなく「いいよ」というような返事をしていた。〉――

 問題は本当に優しさから弁当を分けたのかである。「心も体も強くはない」人間、打たれ弱い人間は自分の弱さを意識していて、自身の持ち物を人にくれてやることで気に入られて自分を保護する自己防衛本能を得てして発揮しがちとなることからの疑いである。

 もしこのような防衛本能からの弁当のお裾分けであるなら、無断で他人が弁当の中身を取るという形は、くれてやるという形が気に入れられて自身の保護に繋がることに反して弱い自身に対するある種の攻撃を意味することになる。

 なぜなら、保護を求めるという彼自身の相手との秩序に対してその秩序を相手側が無理やり破る行為となるからだ。

 例え後で断ったとしても、無断で取られたという秩序の破壊は自己防衛本能の調和を無理やり破られたことになり、決して心穏やかに済ますことができなかった出来事であったに違いない。

 学級担任が弁当を分けてやる行為を「心優しい面」とのみ情報を読み解いたのか、その読み解きも「ハイパーQU」のアンケートの情報の読み解きにも関係することになるし、当然、対生徒関係そのものが異なってくることになる。

 日々の学校生活に第三者の目に映るか触れるかして表出される情報の読み解きが如何に重要かに焦点を当ててみた。


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