安倍晋三の「女性の活躍」を散々に言いながら、思い切って女性・女系天皇を認めることのできない限界

2016-09-12 08:36:33 | 政治

 安倍晋三が2016年〈9月8日午前(日本時間同日昼)、訪問先のラオス・ビエンチャンで同行記者団に対し、皇室制度の見直しに関しては天皇陛下の生前退位の問題に絞り、女性天皇や女系天皇、女性宮家創設の検討については否定的な見解を明らかにした。〉と9月8日付「時事ドットコム」記事が伝えている。

 安倍晋三「(天皇が生前退位を望んだことについて)陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるか考えたい。

 (女性・女系天皇について)今回は天皇陛下のご発言があったわけで、それに対する国民の反応がある」――

 例え「国民の反応」があったとしても、安倍晋三自身が女性・女系天皇に反対だから、応ずることはないはずだ。

 安倍晋三(2012年1月10日発売「文藝春秋」2月号)「私は、皇室の歴史と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」――

 根っからの女性・女系天皇反対論者である。

 皇室の歴史とは男系の血の連綿たる時代的経過を言い、ゆえに男系尊重は男系の血の尊重を意味する。特に明治以降、男系の血に一大権威を置き、特殊な価値を置くことで天皇を特別な存在として成り立たせ、そのような代々の天皇を頭に戴く日本国民を、頭に戴くゆえに優秀な民族だとする関係性を国家及び国民統治の便宜としてきた。

 天皇を現人神としたことがその最大の表れである。

 いわば天皇の存在があるゆえに日本民族は優秀であるとする天皇を日本民族優越性の象徴とした。

 代々の天皇自身が統治の便宜として歴史的に受け継いできたわけではない。日本の歴史に於いて天皇が実質的に国家権力を握っていた如何なる時代も存在しない。国家権力を握ってきたのは世俗的立場の権力者たちのみである。

 物部、蘇我、藤原の豪族たち、平家、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川の武家集団、明治に入って薩長閥が国家権力を握り、昭和に入って敗戦の昭和20年まで軍部の世俗集団が国家権力を恣(ほしいまま)にした。

 但しいずれの世俗集団も権力遂行の正統性を天皇家の権威、その血を背景として成り立たせきた。そして明治以降、その背景を日本民族の優越性を浮き立たせることを通して機能させる国家及び国民統治の装置へと発展させた。

 だからこそ、戦前日本国家を理想の国家像とし、靖国神社参拝を戦前と戦後の日本国家の間に連続性を持たせる儀式としている、日本民族の優越性を信じて止まない安倍晋三や稲田朋美等々を筆頭としたその一派は天皇の男系の血の継承を絶対とし、女性・女系天皇に反対を唱えることになる。

 この秩序を破った場合、天皇に保持させ、その存在を輝かしくさせていた特別な権威や価値を失わさせることになる。当然、国民が頭に戴くに足りない存在に成り下がる。

 こういった形勢は天皇の存在の否定と同時に理想の国家像としての戦前日本国家の否定となる。

 いわば理想の国家像としての戦前日本国家と日本民族優越性の根拠としている天皇の特別な存在性は一体的でなければならない。

 安倍晋三が男系を絶対とし、女性・女系天皇を拒絶するのはごくごく普通のことなのである。

 この普通なことが、安倍晋三が「女性の活躍」を散々に言いながら、思い切って女性天皇を認めることができない限界を生じさせている。

 男系は日本民族優越性の根拠として国家的必要性を利害とし、「女性の活躍」は単に経済上の必要性を利害としているに過ぎない。

 国家主義者でもある安倍晋三が前者を優先させることもごくごく普通のことである。


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