蓮舫が2016年9月13日、国会内で記者会見し、台湾籍が残っていて、疑惑されていた通り、いわゆる二重国籍状態となっていたことを認めた。これまでは台湾籍を抜いていたと言っていた。
記者会見の全文を「産経ニュース」が伝えている。
断言口調となっているところを、「です・ます」の丁寧語に直した。実際はそう発言したはずだからである。
先ず冒頭発言。読みやすいように二個所程改行を施した。
蓮舫「すいません。朝からお集まりいただきました。先般来、私の国籍のことでお騒がせしていますがが、これまでのご説明したとおり、17歳のときに日本国籍を取得しました。合わせて父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識で今にいたっていましたが、台湾当局に私の籍の確認をしていたところ、昨夕、代表処から連絡があり、私の籍が残っていたということを受けましたので、改めて報告させていただきます。
その上で、17歳のときに私が日本国籍を選択して、台湾の籍を父とともに抜いたという認識は今にいたっても同じでありましたが、17歳当時の私の記憶の不正確さによって、さまざまな混乱を招ねきましたことは、本当におわび申し上げたいと思います。
合わせて、私の高校生時代の記憶によって、この間当初から発言がある意味、一貫性を欠いていたことに対してもおわび申し上げると同時に、大好きな父の台湾の方々にも心配をさせてしまったので、本当に申し訳ないと思っています。
その上で、私はこれまで一貫して、政治家としては、日本人という立場以外で行動したことは一切ないし、日本人として日本のために、わが国のために働いてきたし、これからも働いていきたいと思います。
これも申し上げておりますが、台湾当局に、私の籍を抜く届け出をしているので、この手続きが完了すれば、この籍に関することは、最終的な確定をされるということです。大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております。ただ、私は17歳のときに、自分の判断で日本国籍を選択した。日本人です。このことはもう一度言わせていただきたいと思う。以上です」
発言を整理してみる。
17歳のときに自分の判断で日本国籍を選択することを決めて日本国籍を取得し、父と一緒に台湾籍を抜く作業をしたという認識でいた。
つまり父親に「これから日本で生き、生活していくのだから」と説得されたわけでも勧められたわけでもなく、自分の判断で日本国籍を選択した。つまり極めて覚醒的な意識行為であった。
蓮舫の外省人である父親の謝哲信が生涯台湾籍(中華民国籍)であることに反した日本国籍取得であることも、蓮舫のそれが極めて覚醒的な意識行為であったことを証明する有力な証拠の一つとなるはずである。
「大好きな父の台湾の血、あるいは私の中に流れている謝家の血というものは、大切なルーツのひとつだと思っております」と言っている。
中国人と日本人の2分の1ずつの血やルーツといった自身が何者かを探る価値ある重要な心理上の拠り所の一つの手がかりとすることができる母親と同じ日本国籍を「自分の判断」で手に入れ、その代償として同じ手がかりであった台湾籍を抜いた。
当然、「台湾籍を抜く」ことも、中国語が話せないために父親の手を借りて手続きを行ったとしても、それ自体は「自分の判断」で行った極めて覚醒的な意識行為であったことになる。
だが、蓮舫自身の台湾当局に対する確認で実際には抜いてはなく、台湾籍のままであったことが判明した。
その理由として、「17歳当時の私の記憶の不正確さ」を挙げている。
籍の変更は自らの血やルーツに関して自身が何者かを探る心理上の拠り所となる手がかりの変更をも意味しているのだから、一方の日本国籍取得に関しては「自分の判断」で行ったと極めて覚醒的な意識行為としているなら、もう一方の形式上台湾人であることをやめる台湾籍の離脱に関しても覚醒的な意識行為とすることによって両者共に間違いのない整合性を示すことができるはずだが、にも関わらず、「17歳当時の私の記憶の不正確さ」という表現で覚醒的な意識行為ではなかったとしている。
果たしてそんなことがあり得るだろうか。いくら17歳とは言え、日本国籍取得も台湾籍離脱も、自身の人生そのものの転機となる重要な画期(過去と新しい時代とを分けること)を意味していたはずだ。
日本国籍取得が「自分の判断」で行ったが事実なら、実際には台湾籍が残っていた以上、それを残したのも「自分の判断」で残したとすることで初めてウソ偽りのない整合性を与えることができる。
いわば両者共に極めて覚醒的な意識行為として行った。
だが、そうでないとしている以上、蓮舫の言葉にウソがあると見ないわけにはいかない。
このような観点から記者会見での蓮舫と記者の遣り取りを見てみる。
記者「17歳のときに放棄手続きをしたということだが、過去の新聞などのインタビューでは台湾籍を持っているという記事が載っている。整合性は」
蓮舫「あの、当時の私の発言でね、台湾との日本との2つのルーツを持っているという意識、その意識で発言していたと思いますが、浅はかだったと思います。ただ、台湾籍は抜けているという認識はずっと持っていました」
「台湾との日本との2つのルーツを持っているという意識、その意識で発言していた」ことがなぜ「浅はか」なのだろうか。
いくら日本国籍を獲得したとしても、自分が何者か、そのルーツは生涯ついてまわる。父親(外省人としての台湾人の血)を手がかりとするルーツ、母親(日本人の血)を手がかりとするルーツに何らかの意味を見い出してこそ、今在る自己の存在理由の幾分かを成り立たせ得る。
それを「浅はかだった」と言うのは、政治家として半分は台湾人として行動してきたのかと追及されることを恐れたからであろう。自身が何者かを探る一つの手がかりとして拠り所としているルーツへの拘りとその拘りを政治上の利害と結びつけて行動するか否かは別問題である。
政治上の利害と結び付けなければ何ら問題ないはずなのに、「浅はかだった」とすることは決して正直とは言えない。
正直な言葉を口にすることができないということは、それだけで自身の言葉に責任を持たない人間であることの証明としかならない。
記者「(過去のインタビューなどの)記事の内容を読むと、その時点で台湾籍を持っていると読み取れるような内容だったが」
蓮舫「うーん、ただ、私の認識では、台湾籍はもう抜けている、日本人になったという思いを持っているので、父の台湾、母の日本、2つのルーツを持っているという程度の、その認識だった。これも本当に浅はかだったと思います。言いぶりも含めて」
単に言い抜けるための巧妙な言い回しに過ぎない。
「私の認識では、台湾籍はもう抜けている、日本人になったという思いを持っている」なら、台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は決してしない。
「父の台湾、母の日本、2つのルーツを持っているという程度の」認識しか持っていなかったなら、やはり台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は決してしない。
逆に父親のルーツを誇りに思っていて台湾籍を抜かずにいたとしたときに初めて、台湾籍を持っていると読み取れるような内容の発言は何の矛盾もないとすることができる。
記者「以前は編集の過程で『台湾籍だった』という言いぶりが「台湾籍なので」と変わってしまったとおっしゃっていたが、そこは変わらないか」
蓮舫「変わりません」――
この記者の発言は1997年に雑誌「CREA」(文藝春秋)のインタビューで「自分の国籍は台湾だ」と発言していることをテレビなどで問われて、「多分、編集の過程で『だった』という部分が省かれてしまった」と釈明したことを指す。
いわば、「台湾籍だった」と発言したはずが、編集の過程で「台湾籍だ」と発言したように変えられてしまったとの釈明である。
普通インタビューはする側からテーマを伝えられて前以て発言を用意していたとしても、その場勝負の言葉の発信となる場合もあり、インタビュー終了後に用意していた発言から外れていないか気になるはずである。
あるいは政治家でなくても、インタビューに於ける実際の発言が自身が言おうと思っていた発言とは微妙にずれていたり、あるいは実際の発言と印刷された発言が少し違っただけで、意味することが大きく違い、世間に与える影響も自身の思惑と異なる場合もある。
当然、活字となった自身の発言に目を通す必要が生じる。
普通、出版前に校正用に印刷したゲラ刷りを前以て渡されて、発言と活字の違いや言い間違いなどの確認を求められるものだが、その機会に意図しない発言や活字の間違いは訂正を求めることができる。
そのようなことはなかったのだろうか。
あるいは全ての出版社が行っているかどうか知らないが、インタビューが載っている雑誌を出版社から贈呈されることがあるらしいが、贈呈されたとしたら、その雑誌に目を通さなかったのだろうか。
贈呈されなかったなら、自分で買って読むということはしなかったのだろうか。
政治家は自身のインタビューが載っている雑誌を大量に購入して自身の主だった支持者に宣伝用に贈呈するものだが、そういったこともしなかったのだろうか。
ゲラ刷りを渡されなかった、あるいは渡されても目を通さなかった、出版社から贈呈も受けなかった、自分で購入もしなかった、主だった支持者に贈呈もしなかったと言うことで読む機会が一度も持たなかった。
それゆえに「台湾籍だった」と発言した過去形が編集の過程で「台湾籍だ」と現在形に変えられてしまったことに気づかなかったとしても、言い間違いや活字の間違いを気にしなかったということはインタビューで発言した自身の言葉に責任を持とうとしなかったことをも意味することになる。
そういったことばかりか、蓮舫は言葉を武器とし、常に言葉が毀誉褒貶の対象となる政治家としては考えられない不用心であり、警戒心がない政治家に気づかないままに自身を位置づけたことになる。
こういったことは二重国籍であるとないとかと言うことよりも遥かに問題としなければならない蓮舫の政治家としての資質ではないだろうか。
言葉に責任を持たない政治家であることは2016年9月13日の日本外国特派員協会の記者会見での岡田克也評に象徴的に現れている。
蓮舫「変わらぬ安定感、知識への欲求、ものすごくまじめな姿勢、全てにおいて学ばせていただいた。素晴らしいリーダーだ」(産経ニュース)
2016年8月23日に同じ日本外国特派員協会で記者会見したときは真逆の評価をしていた。
蓮舫「私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」――
この発言を受けて何日か前のブログに、〈民進党代表選に立候補する政治家としての立場から現在の代表である岡田克也にはユニークさがない、自分にはそれがあると、自身が代表になった場合と岡田克也と言う現在の代表を見比べているのだから、否応もなしに政治的資質についての評価ということになる。〉と書いたが、その評価が8月23日から20日程度経過しただけで、「素晴らしいリーダーだ」と言うことになった。
180度も評価内容が変わっている。
自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家でなければ、そう簡単に180度も評価を変えることはできまい。
あるいは自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家だからこそ180度も変えることができた評価と言うことができる。
蓮舫が台湾籍が残っていたことを伝えた国会内での記者会見は9月13日。党員・サポーター票の郵送投票は9月12日必着で、台湾籍が残っていたことの影響を与えないために必着の翌日の9月13日に開いたのではないかといったニュアンスの記事もあるが、そういった狙いがあったとすると、9月15日の民進党国会議員投開票後の発表では意図的にずらしたと疑われるために9月13日にしたと疑うこともできる。
いずれであったとしても、蓮舫の二重国籍問題に関わる発言が二転三転したのは自分の言葉に責任を持たない二枚舌の政治家だからこそであろう。
そうでなければ、二転三転しない。