ロシアのプーチンは北方四島を返還する気はないだろう。少なくともプーチンが国家指導者として居続ける間、クリミア併合によってアメリカとは価値観の異なる、それゆえに軍事的に衝突する危険性が否定できない仮想敵国と判明した以上、対アメリカ軍事基地としての利用価値からも北方四島の返還は考えられない。
プーチンは安倍晋三とのウラジオストクでの2016年9月2日日露首脳会談前日の9月1日、アメリカのメディア・ブルームバーグのインタビューを受けている。各マスコミが伝えているが、「NHK NEWS WEB」から見てみる。
プーチン「領土で取り引きはしないが、日本との平和条約締結の問題はカギであり、日本の友人たちとこの問題の解決策を探したい。
(色丹島と歯舞群島を平和条約締結後に引き渡すと明記された60年前1956年の日ソ共同宣言について)両国で批准された条約だ。日ロ両国のどちらかが損をした、あるいは負けたと感じてはならない。
(ロシアが実効支配していたアムール川にある島の半分を中国に引き渡して国境を画定した例を引き合いに出して)日本との間でも信頼関係を高められれば、何らかの妥協策を見つけられる。
日本との問題は、第2次世界大戦の結果起きたものだ」――
全体の文意は北方四島は第2次世界大戦の結果ソ連の、現在のロシアの領土となった。だが、「領土で取り引きはしないが」、「日本との平和条約締結の問題は(両国間系にとっての)カギであり」、1956年の日ソ共同宣言は日露両国間の条約として生きているから、条約に添う交渉によって「日本の友人たちとこの問題の解決策を探したい」となるはずである。
但し頭で「領土で取り引きはしないが」と断っていることと後段の日ソ共同宣言に添って解決策を探したいとしていることとの矛盾である。
日ソ共同宣言は色丹島と歯舞群島を平和条約締結後に引き渡すと明記してあるのだから、返還がこの2島に限られるとしても、領土交渉となる。
色丹島と歯舞群島の2島を返還しないままに平和条約の締結を狙っていると疑うこともできる。それが「領土で取り引きはしない」という言葉になって現れたということか。
こういったことを狙っているとしたら、北方四島は第2次世界大戦の結果、現在のロシアの領土となったとしていることと整合性を得る。
もう一つの問題は「日ロ両国のどちらかが損をした、あるいは負けたと感じてはならない」と言っていることの意味である。
日ソ共同宣言に従って国後島と択捉島を除いた色丹島と歯舞群島のみの返還となったとしても、「日ロ両国のどちらかが損をした、あるいは負けたと感じてはならない」と警告を発したのか、あるいは色丹島と歯舞群島のみならず国後島と択捉島を含めた北方四島全体を返還交渉のマナ板に乗せて、「日ロ両国のどちらかが損をした、あるいは負けたと感じてはならない」、いわば両国に損得のない解決策を見い出すべきだと提案したのかである。
色丹島と歯舞群島の返還交渉に応じるとも取れるし、北方四島の全体の返還交渉を目指しているとも取れるし、領土返還には一切応じずに平和条約の締結だけを望んでいるとも取れる。
例えプーチンの意図がどこにあろうとも、翌日9月2日の日ロ首脳会談で自身の意図として安倍晋三に伝えなければならないはずだ。日露首脳会談を控えてその前日に発言した北方四島と平和条約に関わる自身の意図である。
安倍晋三はその意図に現れる疑問点を追及して、疑問を排除した明確な意図に持っていかなければならない。
プーチンが安倍晋三との首脳会談でブルームバーグ紙のインタビューに応じたときと同じ発言をしたのかどうかは分からない。
安倍晋三は首脳会談翌日の9月3日、同じウラジオストクで開催されたロシア政府主催の「東方経済フォーラム」でスピーチしている。勿論、プーチンが同席している。
「首相 プーチン大統領に領土問題解決へ協力要請」(NHK NEWS WEB/2016年9月3日 16時12分)
安倍晋三「ロシアと日本の経済は競合関係にはなく見事に補完する間柄だ。需要面でも供給面でも、互いに刺激し合い伸びていく未来を思おう。ロシア産業の多様化を進めて生産性を上げ、それを活かしながら、ロシア極東地域をアジア太平洋に向けた輸出の拠点にしよう」
記事は、〈そのうえで安倍総理大臣は、先に提案した極東でのエネルギー開発や産業振興など、8項目の協力プランの進捗状況を確認するため、ウラジオストクで、毎年、首脳会談を行うことを提案した〉と説明している。
安倍晋三「重要な隣国どうしであるロシアと日本が、今日に至るまで平和条約を締結していないのは異常な事態だと言わざるをえない。私たちは、それぞれの歴史に対する立場、おのおのの国民世論、愛国心を背負って、この場に立っている。日本の指導者として、私は日本の立場の正しさを確信し、あなたはロシアの指導者としてロシアの立場の正しさを確信している。
このままではあと何十年も同じ議論を続けることになってしまう。それを放置していては、未来の世代に対して、よりよい可能性を残してやることができない。私たちの世代が勇気を持って責任を果たしていこう。無限の可能性を秘めた2国間関係を未来に向けて切り開くために、私はあなたと一緒に力の限り、日本とロシアの関係を前進させる覚悟だ」――
「今日に至るまで平和条約を締結していないのは異常な事態だ」と言い、「このままではあと何十年も同じ議論を続けることになってしまう」と言っている。
その気の遠さが「未来の世代に対して、よりよい可能性を残してやることができない」という発言となり、「私たちの世代が勇気を持って責任を果たしていこう」という近い期限内の解決を求める発言となった。
要するに平和条約の締結にしても、締結の前提となる領土問題にしても交渉の見通しすら立っていないことからの発言であろう。
首脳会談で見通しを立てることができるだけの言質をプーチンは与えなかった。
裏を返すと、プーチンが例えブルームバーグ紙のインタビューに応じたときと同じ発言を首脳会談で行った、行わなかったに関わらず、安倍晋三の方から持ちかけて、交渉に持っていくだけの言質をプーチンから取ることができなかったことになる。
安倍晋三が会談後に「高官」という名称で政府随行員に行った発言を「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。
安倍晋三「(領土問題にしろ、平和条約の問題にしろ)両国がそれぞれの国益を総合的な観点から判断すべきということで一致した。プーチン大統領も身を乗り出して真剣な議論が行われた。率直な意見を述べたら大統領は頷いて聞き、1対1なので、打ち解けた雰囲気の中で胸襟を開いて話をしてくれた」――
「東方経済フォーラム」でのスピーチの雰囲気とは明らかに差がある。プーチンから領土交渉に関わる言質を何も取れなかった失敗を隠す会談の成功話といったところであるはずだ。
結果として残されたのは、「無限の可能性を秘めた2国間関係を未来に向けて切り開くために、私はあなたと一緒に力の限り、日本とロシアの関係を前進させる覚悟だ」との表現で表した経済関係の密接化のみである。
ご存知のように安倍晋三は2016年5月6日にロシアのソチを訪れ、大統領公邸でプーチンとの非公式の首脳会談を行い、新たな発想に基づくアプローチでの領土交渉の加速化で一致、ロシア経済の発展と国民生活の向上に向けたエネルギー開発や極東地域の産業振興等々8項目の経済協力プランを提案している。
日露の経済関係をより密接化してロシアの経済発展に貢献することで、その見返りに領土の返還を求めるという思惑からの8項目の提案であろう。
だが、この思惑は相思相愛とはなっていない。
安倍晋三の「東方経済フォーラム」でのスピーチを受けてプーチンが発言している。
《プーチン大統領 「8項目の協力プランは唯一の正しい方法」》(NHK NEWS WEB/2016年9月3日 15時56分)
プーチン「日ロの一方が負けたと感じることがないよう信頼のレベルを高める必要がある。解決策を探すことは難しいが可能であり、安倍総理大臣の8項目の提案は唯一の正しい方法だ」――
一見すると、8項目の提案の実行によってロシアが経済発展を現在以上に成し遂げて国力を増せば、四島の返還がどのような決着となったとしても「日ロの一方が負けたと感じることがないよう信頼のレベル」を高めることになって、領土返還交渉はうまくいくといった意図に受け取れないこともない。
もしこういった意図だとすると、首脳会談で安倍晋三にこの意図を明確に伝えていなければならない。伝えていたなら、安倍晋三の「東方経済フォーラム」でのスピーチはあのような雰囲気とはならなかったろう。
いわばプーチンの思惑と安倍晋三の思惑は相思相愛となっていないことの証明としかならない。
当然、プーチンの発言の本意は「安倍総理大臣の8項目の提案は唯一の正しい方法だ」にあることになる。この点に関してのみ安倍晋三とプーチンは相思相愛の関係にあると言うことができる。
2009年9月の米国での国連総会で当時の鳩山由紀夫首相は当時のロシア大統領メドベージェフと会談、「独創的なアプローチ」による領土問題解決の提案を受け、2010年4月の核安全保障サミット(米国)の際の会談では同じ鳩山首相がメドベージェフから、「静かな雰囲気で協議を継続していく」との提案を受けている。
そして仏ドービルで開催の主要国首脳会議(G8サミット)に出席した菅直人が2011年5月27日にロシアのメドベージェフ大統領とG8サミット会場近くのホテルで約50分間会談、多分メドベージェフから言い出したのだろう、二人は領土問題について「静かな環境の下で協議を継続する」との方針で一致している。
メドベージェフの方から言い出したと推測した理由はメドベージェフがロシア大統領として2010年11月1日に国後島を訪問。約3カ月後の2011年2月7日に東京都千代田区で開かれた北方領土返還要求全国大会に菅直人が出席し、挨拶に立った。
菅直人「北方四島問題は、日本外交にとって、極めて、重要な、課題であります。昨年、11月、メドベージェフ、ロシア大統領の、・・・・・北方領土、国後島、訪問は、許し難い暴挙であり、その直後の、APEC首脳会談の際に行われた、私と、メドベージェフロシア大統領との、会談に於いても、強く抗議をいたしました」
メドベージェフの国後島訪問を「許し難い暴挙」としたことにロシアが激しく反発。ロシア大統領府のナルイシキン長官が訪露した当時の前原外相と2011年2月12日に会談、「日本側が強硬な立場をとり続ければ、領土交渉を継続する意味はなくなる」と警告を発した。
領土交渉が断絶されたら、実効支配しているのはロシア側だから、日本側は元も子もなくなる。その結果のメドベージェフ側からの日本側に兎や角言わせないための「静かな環境の下で協議」と言うことであるはずだ。
つまり北方四島へロシア側の誰が訪問しようが日本側の口を封じた。
そして2016年5月6日に安倍晋三がロシアのソチを訪れ、プーチンと会談し、提案している。
安倍晋三「北方領土問題を含む平和条約交渉の停滞を打破するためには、2国間の視点だけでなくグローバルな視点を考慮に入れ、未来志向の考えに立って交渉を行っていく新たな発想に基づくアプローチが必要ではないか」(NHK NEWS WEB)
新たな発想に基づくアプローチとはロシア経済の発展と国民生活の向上に向けたエネルギー開発や極東地域の産業振興等々8項目の経済協力プランの提案を指すのだろう。
最初は「独創的なアプローチ」、次「静かな雰囲気」その次が「静かな環境の下で」、最後に「新たな発想に基づくアプローチ」・・・・・
領土交渉の取っ掛かりをどういう言葉で形容しようとも、交渉の入り口にさえ立つことができないでいる。進んでいるのは経済関係のみである。
今回の会談で安倍晋三はプーチンの12月15日訪日、安倍晋三の地元山口での会談で両者は合意した。
今一度安倍晋三の「東方経済フォーラム」でのスピーチの一部を振り返ってみる。
安倍晋三「日本の指導者として、私は日本の立場の正しさを確信し、あなたはロシアの指導者としてロシアの立場の正しさを確信している。
このままではあと何十年も同じ議論を続けることになってしまう」――
お互いが自国の正しさに拘っていては「あと何十年も同じ議論を続けることになってしまう」という意味なのだろうか。
だが、日本が領土交渉の入り口にさえ立つことができないでいるところを見ると、「日本の立場の正しさ」とは北方四島は日本固有の領土であるという立場であることは断るまでもないが、「ロシアの立場の正しさ」とは北方四島は第2次大戦の結果ロシア領となったという立場を指し、後者がその正しさに固執しているからこその何ら進展のない領土交渉ということであるはずだ。
そこでプーチンは「ロシアの立場の正しさ」を譲らずに温存しながら、「8項目の提案は唯一の正しい方法だ」と今後の日露関係に於いて何が正しいのかの答を出した。
このような経緯を推測するとなると2島返還の思わせにしても、プーチンが「日ロ両国のどちらかが損をした、あるいは負けたと感じてはならない」とした、柔道の勝負に喩えた「引き分け論」にしても、日本から経済援助と経済技術を釣るための餌としか見えない。
ロシアが北方四島を返還する気がなければ、安倍晋三は経済連携だ、プーチンの訪日だ、再度の安倍晋三の訪ロだといった、領土問題がさも進展するかのように見せかける話題作りのみで任期を終えることになるのは目に見えている。