安倍晋三の「テロに屈しない」のテロ集団への宣戦布告が拘束日本人男性2人の救出と自身の評価を複雑にした

2015-01-21 09:39:14 | 政治


 1月20日(2015年)、「イスラム国」と見られる集団によって2人の日本人が人質となった動画がネット上に公開されたと夕方のNHKテレビが伝えていた。ちょうど大相撲中継をしていたところで、中継はEテレに移されていた。

 2人は中東地域に入っていた湯川遥菜さんと後藤健二さんらしいという。

 ローブ形式と言うのか、一枚物のオレンジ色の囚人服らしきものを着せられて後ろ手に縛られた様子の日本人が膝をついて佇んでいる2人の間に目だけ覗かせた全身黒尽くめのテロリストの男が手にナイフを持って立ち尽くして英語で喋っている動画を流した。

 《「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求》NHK NEWS WEB/2015年1月20日 15時58分)
 
 「日本の総理大臣へ。

 日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した。

 だから、この日本人の男の解放には1億ドルかかる。それから、日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。よって、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる。
 
 日本国民へ。日本政府はイスラム国に対抗するために愚かな決断をした。2人の命を救うため、政府に2億ドルを払う賢い決断をさせるために圧力をかける時間はあと72時間だ。さもなければ、このナイフが悪夢になる」

 シリア管轄駐ヨルダン日本大使館「動画が配信されたことは承知している。邦人とみられる2人の殺害が予告されているが、その真偽については、現在、確認中だ。仮にこれが事実であれば、人命を盾にとって脅迫するのは許し難く、強い憤りを覚える。日本国政府としては、関係各国とも協力しつつ、早期解放に向けて、最大限の努力を尽くす所存だ」

 テロリストが日本が「イスラム国に対する十字軍に進んで参加した」と言っていることは、安倍晋三が1月17日にエジプトで行った政策スピーチでの発言を指しているはずだ。

 この政策スピーチで安倍晋三は「中東地域を取り巻く過激主義の伸張や秩序の動揺に対する危機感」を強く持っていることを訴えて、次のように話している。

 安倍晋三「中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」

 テロ勢力の拡大阻止とその根絶を宣言した。「イスラム国」はこの宣言を以って「イスラム国」に対する宣戦布告と見做したということなのだろう。

 言ってみれば、安倍晋三自身が「イスラム国」やアルカイダ、タリバン、ボコ・ハラム等のテロ集団を向こうに回してその根絶を宣言することを通して宣戦布告をしたのである。

 そこまで意識して発言したわけではないという言い訳は許されない。一国のリーダーの発言は外国との関係に様々に影響を与える。その影響を前以て予測して発言する危機管理が国のリーダーの資質の重要な一つとしなければならないからだ。

 テロリストが日本が「我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した」と言い、「日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した」と言って、人質一人当たりの身代金として1億ドルずつ請求、合わせて2億ドルを要求したのは、安倍晋三の政策スピーチでの次の発言に対応させたものであるのは誰もが分かるはずだ。 

 安倍晋三「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISIL(イスラム国)がもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」

 安倍晋三はここでは「イスラム国」を名指しして宣戦布告をしたことになる。政策スピーチで過激派テロ集団からしたら薬にもしない「中庸が最善」などと言っていた奇麗事の楽観主義が却ってイスラム国を「中庸が最善」から程遠い形で刺激してしまった。

 今後安倍晋三のテロに関わる一言一言によってはテロ集団が日本人をテロの攻撃対象とする危険性に備えなければならない。

 安倍晋三は日本人拘束身代金請求事件を受けて訪問先のイスラエルで記者会見を開いている。

 《安倍晋三内外記者会見》首相官邸/2015年1月20日) 

 安倍晋三「まず始めに、ISILにより、邦人の殺害予告に関する動画が配信されました。

 このように、人命を盾に取って脅迫することは、許し難いテロ行為であり、強い憤りを覚えます。2人の日本人に危害を加えないよう、そして、直ちに解放するよう、強く要求します。政府全体として、人命尊重の観点から、対応に万全を期すよう指示したところです」 

 「許し難いテロ行為」だと一方で非難し、その一方で「人命尊重」の立場からの対応をすることを表明している。

 だが、以下の発言はテロ集団とは交渉せずの宣言であり、イスラム社会を支援して共にテロ集団と戦うことの宣言となるはずである。

 安倍晋三「卑劣なテロは、いかなる理由でも許されない。断固として非難します。そして日本は、国際社会と手を携えてまいります。

 国際社会への重大な脅威となっている過激主義に対し、イスラム社会は、テロとの闘いを続けています」――

 このことは菅官房長官の20日午後記者会見発言と安倍晋三の日本時間1月20日深夜(現地時間1月20日午後)のヨルダンのアブドラ国王との電話会談の発言が証明する。

 菅官房長官「テロに屈することなく、国際社会とともにテロとの戦いに貢献していく」(AFP

 安倍晋三「イスラム国は残虐な本質を露呈した。日本はテロに屈することなく国際社会によるテロとの戦いに貢献していく」(産経ニュース)――

 「日本はテロに屈しない」という言葉程の強力な宣戦布告はない。宣戦布告となって「イスラム国」に届いたはずだ。

 日本がテロに屈しなかった前例がある。

 2004年10月に発生したイラクの聖戦アルカーイダ組織を名乗るグループによる当時24歳の香田証生(こうだ・しょうせい)さん拘束・殺害事件である。テログループは日本政府に対して48時間以内の自衛隊のイラクからの撤退を要求、応じない場合は殺害の報復を表明した。

 当時の首相小泉純一郎は「テロリストとは交渉しない」との立場から自衛隊撤退を拒否。テロリストたちは表明通りの報復を以って応じた。

 2004年10月31日。

 小泉純一郎「解放のためあらゆる努力を尽くしたにもかかわらず、青年がテロの犠牲となり、痛恨の極みだ。引き続き自衛隊による人道復興支援を行う」――

 厳密には自衛隊撤退を除いて「解放のためあらゆる努力を尽くした」と発言しなければならない。だが、相手が目的としたことと日本が解放のために目的としたことが一致しなかった。

 安倍晋三には小泉純一郎を習い、それを超えることを自らの使命としているところがある。「日本はテロに屈しない」と宣戦布告している以上、「政府全体として、人命尊重の観点から、対応に万全を期す」姿勢を示したとしても、小泉純一郎の前例に倣って、「テロリストとは交渉しない」ことが、あるいは「テロに屈しない」ことが導き出す可能性の高い答を前提として「人命尊重」を訴える解放交渉となる確率は高い。

 但し、「テロリストとは交渉しない」にしても、「日本はテロに屈しない」にしても、テロ集団に対するそのような宣戦布告がタテマエという場合もある。あるいは「イスラム国」と直接交渉はしなくても、関係国との間接交渉の過程でタテマエ化することある。

 これまで「イスラム国」に拘束された外国人ジャーナリストの何人かが長い拘束期間の末に解放されている。いずれの解放例も身代金を払ったかどうか明かしていないそうだし、噂としては支払ったと囁かれているということだが、救命(=人命尊重)を前提に内々に身代金を支払うという手もあるが、「イスラム国」は既に身代金を要求している。しかも表立って政府に身代金を要求するのは初めの例だそうだ。

 否応もなしに解放は身代金の支払いと結びつけられることになる。例え身代金を支払わない解放であったとしても、支払った解放として把えられることになる。いくら安倍晋三が否定したとしても、内閣の誰かが口を合わせたとしても、信用されないだろう。

 人命尊重の解放が歓迎される一方で、安倍晋三の「日本はテロに屈しない」の宣戦布告が口先だけだったと見做されて、テロ集団を相手にした戦闘をも想定しているだろう集団的自衛権行使容認強硬派からは男を下げた扱いを受けることは間違いない。

 安倍晋三にとって、どちらが耐えることができ、どちらが耐えることができないかである。多分、耐えることができないのは後者であるはずだ。

 安倍晋三が例え意識しなかったとしても、政策スピーチでテロ勢力の拡大阻止とその根絶を宣戦布告し、更に直接的な言葉で「日本はテロに屈しない」と宣戦布告の追い打ちをしたことで、日本人男性2人の救出を複雑且つ微妙な状況に追いやったばかりか、自身に対する評価をも微妙な場所に置くことになったのである。

 もし安倍晋三が「日本はテロに屈しない」の宣戦布告を最後まで守り通して2人を宣戦布告の生贄とする形で犠牲としたなら、2013年1月16日にイスラム過激派集団がアルジェリアの天然ガス関連施設を襲撃、日本人を交えて多くの国籍の人質を取って立て篭もってアルジェリア政府に逮捕されたイスラム過激派メンバーの釈放等を要求、アルジェリア政府はテロリストと交渉せずの姿勢を貫き、アルジェリア軍が制圧の攻撃を仕掛けて日本人人質10人を含む40人前後の犠牲者を出したが、安倍晋三が当時盛んに言い立てていた「人命尊重」は国民向けの「人命尊重」であって、アルジェリア政府の「テロリストとは交渉しない」ことが導き出す可能性の高い答を前提とした、自身としては限りなく期待していない「人命尊重」だったことになる。

そして今回も同じ経緯を取ることも十分にあり得る。

 まあ、安倍晋三ことである。

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安倍晋三のエジプトでの政策スピーチ、「中庸が最善」とは言うべき相手を間違えた奇麗事の楽観主義

2015-01-20 08:52:05 | 政治

 
 安倍晋三が外国訪問国数と首脳会談数の記録を打ち立てるための一環として1月16から21日の日程でエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの中東地域の歴訪を開始、最初の訪問国エジプトで1月17日に開催した日エジプト経済合同委員会合で政策スピーチを行っている。

 《日エジプト経済合同委員会合における安倍内閣総理大臣政策スピーチ》首相官邸/2014年1月17日)

 このスピーチで安倍晋三は中東やアフリカでの大量殺戮を伴った際限のないテロの横行とそれを鎮圧するための軍との際限のない戦闘に終止符を打つ方策として、「中庸が最善」なる高尚な哲学を打ち出した。

 安倍晋三「私は一昨年、ジッダにおいて日本の新たな中東政策を発表したとき、『タアーイシュ(共生と共栄)』、『タアーウヌ(協働)』に加え、『タサームフ』、すなわち和と寛容を主導理念にしていきたいと言いました。私はこれまで、この理念に沿った中東政策を実施してきました。

 今回私は、『中庸が最善(ハイルル・ウムーリ・アウサトハー)』というこの地域の先人の方々の叡智に注目しています。

 「ハイルル・ウムーリ・アウサトハー」、伝統を大切にし、中庸を重んじる点で、日本と中東には、生き方の根本に脈々と通じるものがあります。

 この叡智がなぜ今脚光を浴びるべきだと考えるのか。それは、現下の中東地域を取り巻く過激主義の伸張や秩序の動揺に対する危機感からであります。

 中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」――

 30年以上も独裁体制を敷いてきたムバラク大統領を打倒した2011年のエジプト革命後、民主的な選挙選出で12年6月30日就任のムルスィー大統領就任1周年の2013年6月30日を機に政権に対する不満から全国各地で大規模民衆デモが発生、国軍が介入、軍のクーデターによって2013年7月3日に大統領は解任された。

 その解任に中心的な役割を果たしたエジプト国軍総司令官エルシーシが2014年6月の大統領選挙で選出を受け、軍による強権的なデモ隊排除等で現在の治安はかなり回復しているという。

 〈本情報は2015年01月20日現在有効です。〉と謳っている《エジプトについての渡航情報(危険情報)の発出》外務省/2014年12月26日)には治安状況を次のように解説されている。  

〈●北シナイ県、南シナイ県(アカバ湾に面したダハブからシャルム・エル・シェイクまでの沿岸地域を除く)
 :「渡航の延期をお勧めします。」(滞在中の方は事情が許す限り早期の退避を検討してください。)(継続)

●リビア国境地帯
 :「渡航の延期をお勧めします。」(継続)

●上記及び下記以外の地域
 :「渡航の是非を検討してください。」(継続)

●大カイロ都市圏、ルクソールからアブシンベルまでを結ぶ幹線道路及びナイル川周辺地域、ハルガダ、シナイ半島のアカバ湾に面したダハブからシャルム・エル・シェイクまでの沿岸地域
 :「十分注意してください。」(継続)〉――

 現在危険情報のレベルは「レベル1 注意喚起」、「レベル2 渡航延期勧告」、「レベル3 渡航延期勧告」、「レベル4 退避勧告」の4段階に設定されているそうで、エジプトのいずれの地域も外務省が日本人旅行者に対して退避勧告を出さなければならない程に治安が悪化しているわけではない。

 いわば安倍晋三はテロという無法な軍事的脅威に曝されて国家の治安と市民の生活が四六時中脅かされる程には治安が悪化しているわけではないエジプトの、しかも治安を脅かす側に対してではなく、治安を守る側に「中庸が最善」を説いたわけである。
 
 暴力と報復の連鎖の泥沼にはまり込んでいるパレスチナとイスラエルに向かって、特に後者に対して「中庸が最善」を説くなら、まだしも理解はできる。

 「中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」と言うなら、あるいは少し後の方で言っているように、「地域から暴力の芽を摘むには、たとえ時間がかかっても、民生を安定させ、中間層を育てる以外、早道はありません。『中庸が最善(ハイルル・ウムーリ・アウサトハー)』。日本はそこに、果たすべき大いなる役割があると考えてい」るなら、テロとその暴力の発生源となっている中東やアフリカを舞台に大量殺戮テロを繰返すイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」やアルカイダ、テロ集団が国家建設したイスラム国、アフガンのタリバン等々の拠点に乗り込んで説くべき「中庸が最善」であるはずである。

 要するに安倍晋三は聞く耳を持つ可能性のある相手に説いているに過ぎない。と言うことは、聞く耳を持つ可能性のない過激派集団にとっては犬の遠吠え程度にしか、あるいはそれ以下にしか聞こえないことになる。

 だが、本人は「中庸が最善」という言葉を何度も繰返して真剣な面持ちで提唱している。この奇麗事の楽観主義はスピーチの最後の方で取り上げている、日本が9年前の2006年に当時の首相小泉純一郎が提唱したヨルダン川西岸の「平和と繁栄の回廊」プロジェクトに関わる言及にも現れている。

 この「平和と繁栄の回廊」のプロジェクトに則って日本政府の協力の下、イスラエル軍とパレスチナ自治政府によって統治され、ガザ地区と共にパレスチナ自治区を形成するヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府統治地域のジェリコに中核プロジェクトとして「ジェリコ農産加工団地」を建設、2013年7月から稼働させている。

 このことに関して安倍晋三は次のようにスピーチしている。

 安倍晋三「中核をなす農産加工団地は、形を現しました。私はサイトを訪れて、この目で見るつもりです。遠くない将来、ジェリコ周辺の農産品はここで付加価値をつけ、回廊を通って、近隣諸国や湾岸の消費地に向かうでしょう。

 『平和と繁栄の回廊』はやがて、一大観光ルートになる可能性を秘めています。パレスチナを、ツーリズムで賑わう場所にしようではありませんか。日本は、喜んでその触媒になります。

 1997年以来足かけ18年、日本政府は、イスラエル、パレスチナ双方の青年を招き、日本で共に過ごしてもらう事業を続けてきました。

 私のもとに来てくれたとき、私は青年たちに、7世紀の人、聖徳太子の言葉を贈りました。『和を以て貴しと為す』という言葉です。

 彼らこそ、和平を担う若い力となってほしい。そんな願いを託しました。今回は訪問先で、『卒業生』の皆さんを集めて同窓会を開きます」――

 「和を以て貴しと為す」は素晴らしい、高尚な理念・哲学ではある。「中庸が最善」と意味を共通にする。

 これらの理念・哲学にイスラエルとパレスチナが聞く耳を持つ可能性は否定できないが、それでもイスラエルとパレスチナの現実は暴力と報復の応酬の終わりなき歴史を演じて現在に至っている。

 このような歴史の完璧な終止符を前提としない限り、「平和と繁栄の回廊」が「一大観光ルートになる可能性」は芽生えるはずもなく、「パレスチナを、ツーリズムで賑わう場所」とする一大願望も果敢ない夢であり続けかねず、現実を見ない奇麗事の楽観主義からのヨイショにしか聞こえない。

 聴く者の中には「そのようなパラダイスがそう簡単に実現できるはずはないじゃないか、このバカヤローが」と内心呟いた者がいたかもしれない。

 安倍晋三のこの現実を見ない奇麗事の楽観主義を曝け出して何ら気づかない、と言うよりも、得意になって披露してさえいる無神経なデタラメさ加減は、その最大化を次のスピーチで見せている。

 安倍晋三「先の大戦後、日本は、自由と民主主義、人権と法の支配を重んじる国をつくり、ひたすら平和国家としての道を歩み、今日にいたります。いまや新たに『国際協調にもとづく積極的平和主義』の旗を掲げる日本は、培った経験、智慧、能力を、世界の平和と安定のため、進んで捧げる覚悟です」――

 要するに言っていることの意味は日本が戦後培った「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神が「世界の平和と安定のため」の国際貢献に向かわせ、役立っているということであろう。
 
 「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神を戦後の日本人に培わしめたのは日本国憲法を措いて他にはない。日本国憲法の精神が大多数の、いわば全てではない戦後日本人の精神として育つに至った。

 だが、安倍晋三は日本国憲法を否定していて、その否定を露わにした場面の一つが2013年4月5日衆院予算委員会の発言である。

 安倍晋三「(戦後)何年間の占領時代というのは戦争状況の継続であるということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。
   ・・・・・・・・
 我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。
   ・・・・・・・・
 (マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」――

 日本国憲法をその中身の精神を評価するのではなく、「占領軍が作った憲法」ということで否定し、「全くの素人」の作成によるということで否定し、「たったの8日間で作られた」ことの事実によって否定している。

 この否定が安倍晋三の憲法改正意志となって現れている。と言うことは、日本国憲法の中身の精神を評価していないということだけではなく、否定さえしていることになる。

 そのような政治家が日本国憲法によって戦後の日本人が培った「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神が国際貢献に役立っているとスピーチすることは、単にその精神をダシにしてご都合主義にも国際貢献を謳ったに過ぎないことになる。

 日エジプト経済合同委員会合での安倍晋三の政策スピーチは言うべき相手を間違えて、「中庸が最善」を説く奇麗事の楽観主義と、日本国憲法を否定していながら、その精神を国際貢献のダシに使うご都合主義で無神経なデタラメさ加減を満載にした得意満面に披露でしかなかったといったところが正直な点数であるはずだ。

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ヘイト・スピーチする日本人たちのそれに見るイジメの構造との同質性とその自己絶対化と他者支配願望

2015-01-19 09:48:24 | 政治


 2015年1月16日の当ブログ記事、《桑田佳祐、右翼に屈したのかライブパフォーマンス謝罪 なぜ安倍晋三は擁護に動かない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次の投稿を頂いた。ヘイトスピーチと関連があるためにここに取り上げてみる。

〈コメント 日本人  2015-01-16 15:05:21

ここは、たしかに「反国家主義者」たちの集まるところだ。

反国家なら、国家の庇護も、国家が与える自由も、平等も

脱いでからほえろ!!!

安全地帯から、バカいうな。小学生。〉

 誤った考えで自分を正しいとする自己絶対化を前提として自分の主張を押し通そうとしているという点でヘイトスピーチと同じ構造を取っている。

 自由も、平等といった基本的人権は国家が与えるものではなく、国家から与えられるものでもない。戦前の天皇が国民に恩賜という体裁で与えたタバコといった類と同列に置いている。

 基本的人権とは人間が生れながらにして持っている基本的な権利とされているもので、その点に於いて普遍性を持ち、その普遍性は日本の場合、日本国憲法が保障し、国家権力はそれに制限を加えてはならない制約を憲法によって国民に負う、逆の関係を結んでいることの気づいていない。

 また「反国家主義」は「反国家」を意味しない。日本国という国に反対しているわけではない。国家主義の本来の意味は「国家をすべてに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(「大辞林」)を言うが、現代は個人の権利・自由を最大限に尊重しなければならないとされているために、そのタテマエを取りつつ、国民の利益よりも国家の利益を最優先させて、国民を国家の利益に奉仕する存在とすることでその装いを存続させている国家主義そのものに反対しているに過ぎない。

 「安全地帯から、バカいうな」と言っているが、少なくとも本名を名乗り、自分の顔写真を載せている分、「安全地帯」から十分に顔は出している。

 右翼に威されても何も失うことはない境遇にいるという意味で「安全地帯」という言葉を使っているなら、自分の力ではどうしようもない境遇としか言い様がないが、だとしても境遇を利用しているわけではななく、表現したいという欲求からの文章に過ぎない。

 「日本人」氏は国家が自由や平等を与えるとすることによって、国家を絶対的存在としている。そのような国家を信じ、自ら国家の意思を代弁することによって無意識下に自己をも絶対化させている。麻原彰晃を絶対的存在だと信じた信者がその絶対性を自身に憑依させて(乗り移らせて)自己をも絶対化させるように。

 国家はその時々の国家権力によってときには過ちを犯す。また、同じ一つの国家権力であっても、その統治期間に於いてときには政策の過ちを犯す。常に絶対ではない。

 2015年1月13日、NHKテレビで、《クローズアップ現代 ヘイトスピーチを問う ~戦後70年 いま何が~》を放送していた。

 ハンドマイクを使った憎悪を込めた威嚇的な言葉とシュプレヒコール、そして威嚇的な集団的装いを用いた在日韓国・朝鮮人に対しての排斥運動を取り上げている。

 どんな威嚇的な言葉が用いられているか、纏めて引用してみる。 

 「韓国人は出て行け」
 
 「朝鮮人は全員死にさらせ。

 首をつれ。

 焼身自殺しろ」

 「いつまでも調子に乗っとったら、鶴橋大虐殺を実行しますよ」


 「鶴橋」とは大阪市の生野区の中心にあるコリアタウンだそうだ。

 「おまえら朝鮮人は腐れ朝鮮人なんだよ、腐れ朝鮮人。

 ゴキブリ、うじ虫、朝鮮人」

 「殺せ、殺せ、朝鮮人。出てけ、出てけ、朝鮮人」

 「なにが子どもじゃ。

 スパイの子どもやないか」


 子供にまで攻撃を加えている。ここに何よりも自己を正しいとする自己絶対化を見て取ることができる。

 自己絶対化は自身を優れているとする優越感と相手を蔑む劣等視を構造とする。

 ヘイト・スピーチする日本人たちは自分たちを日本人として優越的位置に置き、在日韓国・朝鮮人たちを劣等的位置に置いて、優越感を持って蔑視の感情で彼らを罵り、攻撃する人種差別の側面をも備えているということである。

 もし少しでも対等意識があったなら、「殺せ」とか、「出てけ」、「ゴキブリ、うじ虫」と罵り、日本から排斥しようとすることはできないだろう。

 優劣の意識が強ければ強い程、言い替えると、人種差別の意識が強ければ強い程、そのことに比例して罵り言葉は苛烈となり、攻撃は激しくなる。

 殺人にしても、それが計画的殺人であろうと衝動的殺人であろうと、自己絶対化を前提として実行される。自分にも過ちがあるという自省、もしくは後悔の意識(=対等意識)が少しでもあったなら、普通の人間である以上、自己を絶対化に持っていくことはなく、怒りを殺人で報いるということはしないはずだ。

 また衝動的殺人事件であったとしても、怒りに任せるあまりなどして、「このヤロー、殺してやろう」と殺意を抱く瞬間、自己を正しいとする絶対化を前提としていなければ、相手の生命を代償とすることはあるまい。

 当然、ヘイト・スピーチする日本人たちは子供に対するとき、大人という存在が子供に対して年齢的経験差からの倫理的優越感を持っている感情も手伝って、自身をより強い自己絶対化に誘い込んでいるはずで、それは「スパイの子どもやないか」と、罪のない子どもにスパイと同じ罪をかぶせている手加減のなさに現れている。

 幼い子どもを虐待で死なせてしまうのは暴力を振るう大人が自分は正しいとする自己絶対化に取り憑かれているからに他ならない。

 上記記事はヘイト・スピーチする日本人たちの排斥の根拠を国がその特権を否定しているものの、在日韓国・朝鮮人が生活保護の受給などの面で日本人にはない特権を与えられていることに置いていると解説している。

 だとしたら、攻撃の対象は時の政府でなければならない。勿論、その攻撃は正当な民主的方法を用いたものでなければならない。

 そうはなっていないのだし、憎悪をぶっつけて日本からの排斥を狙っている以上、人種差別意識なくし不可能なヘイト・スピーチする日本人たちの攻撃であろう。

 また日本から在日韓国・朝鮮人を一人残さずに排斥したいという願望には在日韓国・朝鮮人に対する支配願望がある。彼らに対する生かすも殺すも、追い出すも自由という完全な支配がそれを可能とするからである。

 記事はヘイト・スピーチする日本人の次の言葉を伝えている。

 「相手の喉元に突撃する。

 ストレートに相手の嫌がる抗議をする。

 既存の保守ではできなかったことを、この団体がしてるということにすごい魅力を感じました」


 自己絶対化からの優越感を露わにしている。

 フリーライターの加藤直樹氏の発言を伝えている。

 「『良い朝鮮人も悪い朝鮮人もどちらも殺せ』

 彼らは差別しているだけじゃなくて、『殺せ』って言っているわけですよね」


 「良い朝鮮人も悪い朝鮮人もどちらも殺せ」は最たる人種差別意識の現れであって、ヘイトスピーチを通したこのような人種差別行動を社会的な自己活躍とし、そこに優越感を置いている。

 いわばヘイト・スピーチする日本人たちはヘイトスピーチによって社会的に自己が存在している意義を表現し、世間に知らしめているということであって、そのことを自分たちの社会的存在としているということを意味する。

 イジメは言葉や暴力を使った身体的・心理的な攻撃で以って相手を身体的・心理的に支配することを言う。この他者支配によって、自己の絶対化を成り立たせ、相手を劣等的位置に置く優劣の上下関係を構築できることになる。

 また言葉や暴力を使った身体的・心理的な攻撃自体がイジメる者にとっての学校社会に於ける自己活躍であり、そのような自己活躍の手段によって学校社会に於いて社会的存在足り得ている。

 イジメて一人の生徒、あるいは複数の生徒を身体的にも心理的にも自由に支配すること程、誇らしいことはないだろうし、そのような人間にとって自分を強くて優れていると思わせる他の手段はないだろうし、だからやめることができず、ときにはイジメられる側がそのような支配がいつまでも続くことに耐えられなくなって死を選ぶことにもなる。

 ヘイト・スピーチする日本人たちのヘイトスピーチは在日韓国・朝鮮人を支配したいと願望しているものの、その支配が完成していないという点を除けば、イジメと何ら構造は変わりはない。その卑劣さに気づいていないという点でも、イジメとそっくりである。

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安倍晋三がさもしげにおねだりする様子を隠したアベノミクス賃上げ要請の成果の正体

2015-01-18 07:04:09 | 政治

安倍晋三「成長志向の法人税改革についてですが、27年度には2.5%、平成28年度には3.3%の決定をしているところでございますが、今後さらに上乗せを目指していきます。

 如何に上乗せをしていくか、これはみなさんにかかっている。27年度には2.5%引き下げをする。この引き下げがしっかりと経済に、成長に、その成果が出てくることが最も大切でございます。

 与党、国民の皆様の法人税引き下げの理解を高めるためにも2.5%法人税減税(を約束)したことによって企業がしっかりと賃上げにも応じてくれたようだし、設備投資も行って、競争力も強くなったし、雇用状況も一層改善しています。となれば、『もっとやってよ』と、ま、こういうことになるわけであります。

 そのためにも経営者の皆様に、お集まりの皆様に大いに多くの決断を、勇気を持って、『やるのは今でしょ』ということです。えー、是非取り組んで頂きたいと思うところでございます」(政府インターネットテレビより)

 冗談めかして笑いながら話を進めたのは、一国の首相が自らの優れた政治能力で経済の好循環を生み出す自力本願ではなく、法人税減税をエサに経済団体にお願いをする他力本願の賃上げの実現によって経済の好循環を生み出そうと意思している手前、真剣に賃金を上げてくれとお願いしたなら、ねだっているようにも見えて、自身の力の無さを曝け出すことにもなりかねず、さもしげに把えられかねないからだろう。

 つまり冗談めかした言葉と笑い顔の裏にさもしげになりかねないな様子を隠していたことになる。

 他力本願である以上、賃上げ要請時に於けるこのような態度は初めてということはないだろうから、前々からの演出であるはずだ。 

 資産家の親父のカネで会社経営を始めた息子がうまくいかず、再び親父に最大限のお世辞を使ってカネをねだり、そのカネで会社経営を軌道に乗せようとするのに似て、いわば禁じ手に頼っているようなものである。

 安倍晋三の賃上げのおねだりは一昨年から始まり、経済界は昨年の春闘でそれに応えた。そして昨年の夏と冬のボーナスにも賃上げ要請を反映させた。

 ここに経済界に対する賃上げ要請の一つの成果を示す記事がある。《冬のボーナス、2年連続増 主要企業、90年以来の伸び》47NEWS/2015/01/16 17:20 【共同通信】)  

 厚労省が1月16日に発表した「毎月勤労統計調査(確報、従業員5人以上)」集計結果で、主要民間企業昨年末ボーナス平均妥結額が前年比5・16%増の80万638円(平均年齢38・9歳)で、2年連続の増加だという。

 この数値は6・2%増だった1990年以来の高い伸び率だという。

 但しこの昨年末ボーナス平均妥結額の80万638円を236社の労組平均要求額3万1906円増の84万4371円に対する回答と見ると、4万円も低い妥結額ということになって、企業側が決して気前よく出した金額ではないことが分かる。

 厚労省「景気回復の影響でプラスになった企業が引っ張った結果だ。(但し)消費税増税や円安の影響で、産業によってばらつきも出ている」

 発言の前段が中心的な趣旨となるから、産業によるばらつきは部分的な範囲内に収まっていて、全体に悪影響を及ぼす全体的現象ではないことになる。逆であるなら、前段の成果は出てこない。

 つまり冬のボーナス2年連続増は一部にばらつきはあるものの、全体的な傾向として景気回復の成果が現れていることになる。

 だが、この、集計対象は資本金10億円以上で従業員千人以上の労働組合がある企業のうちの339社に過ぎない。

 一見すると、安倍晋三の賃上げ要請が功を奏して景気回復が全体的傾向となりつつあり、経済の好循環が軌道に乗り始めるようにも見えるが、果して実際にそういった姿を取り始めているのだろうか。

 問題は資本金10億円以上の企業はどのくらいの数があり、全企業数の何%に当たるかである。

 そこでネット上を調べてみた。

 《平成23年度分「会社標本調査」 調査結果について》国税庁企画課/平成25年3月)に「資本金階級別法人数」が記載されている。   

 平成23年(2011年)資本金階級別法人数

 平成23年度分法人数257万8,593社

 資本金1,000万円以下――2,182,799社(全体の84.7%)

 1,000万円超1億円以下――370,158社(全体の14.4%)

 1億円超10億円以下――19,244社(全体の0.75%)

 10億円超――6,392社(全体の0.5%)

 資本金1,000万円以下の企業と資本金1,000万円超1億円以下の企業が全体の99.1%を占めていて、10億円超の企業は全体の 0.5%しか存在しない。

 尤も0.5%の存在であったとしても、被雇用者が全体の80%も90%も占めているなら問題はない。占めていないことは誰もが知っていることであろう。

 《2014年版中小企業白書について》中小企業庁/2014年7月)に従業員数が載っている。
 
 大企業11万社           従業員1,397万人
 中小企業3,853万社     従業員数3,853万人
 (内小規模企業3,343万社  従業員数1,192万人)

 全従業員数は5,250万人。中小企業の従業員は全従業員数の73%も占める。大企業従業員は約27%。

 中小企業は製造業の3億円以下を最も高い資本金比率としている。いわば大企業であっても、10億円以下から3億円以上の間の企業も存在するから、資本金10億円以上の昨年末ボーナス2年連続増の状況から落ちこぼれている従業員も相当数存在することになる。

 上記統計には次のような記述もある。〈特に、人口規模が1万人未満の市区町村においては、中小企業が企業数の99.9%、従業者数の約9割、製造業付加価値額の約7割を占め、その存在感が増すことが見て取れる。〉

 この存在感が果して報酬の面での存在感となっているということができるのだろうか。もしイコールであったなら、都市と地方の格差は幻想となる。大都市一極集中も架空の物語となる。

 厚労省は冬のボーナス2年連続増を「景気回復の影響でプラスになった企業が引っ張った結果だ」と言っているが、その実態は上にだけ十分に厚く、下に限りなく薄い配分だということである。

 このような格差の構図を取っているゆえに、同じく厚生労働省1月16日発表の「11月毎月勤労統計調査」(確報、従業員5人以上)が従業員1人当たり平均現金給与総額の前年同月比0.1%増・9カ月連続増加の27万7152円と伝えていながら、同じく昨年11月の実質賃金は17カ月連続マイナスの前年同月比2.7%減という逆の結果を生み出しているである。

 いわば従業員1人当たり平均現金給与総額の前年同月比0.1%増はその殆どを大企業の従業員が担っているが、大企業以下の中小企業従業員の絶対数が多いために平均値が下がって0.1%という僅かな数字となったということであるはずだ。

 当然、実質賃金に関しても中小企業従業員のその目減りはマイナス2.7%という数字以上に大きなものとなっていることになる。

 安倍晋三が一昨年からお願いしている他力本願の賃上げ要請の成果は、それが自分の政策で実体経済を底上げした自力本願からの成果でないゆえに全企業のうち、大企業というほんの一部の企業しか応えることができなかった、至って偏ったものでしかなかった。

 これが一歩間違えるとさもしげなおねだりになりかねなかった安倍晋三のアベノミクス賃上げ要請の成果の正体である。

 実体経済が回復していない以上、今年の春闘での賃上げも、上にだけ十分に厚く、下に限りなく薄い配分という格差の構図を引き継がない保証はない。

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1975年訪米時の昭和天皇への政治的関与に見る天皇の政治利用と大日本帝国憲法自体の天皇の政治利用

2015-01-17 09:46:49 | 政治


 ――どうも官僚を含めた国家権力が昭和天皇に対して「戦争責任は認めてはいけません」と圧力をかけているような気がする。認めたなら、天皇制はあなたの代で消滅し、その不名誉を歴史に残すことになります」とでも言われたのか。――

 昭和天皇は香淳皇后と共に1975年9月30日から10月14日にかけて即位後初めてとなるフォード大統領時代のアメリカ公式訪問を行っている。その際の外交文書が1月15日公開され、戦後30年の経過があっても米国民の反天皇感情を恐れて外務省が、いわゆる“想定問答集”を作成、懐柔工作、あるいは好感度獲得工作といったことを展開していたという。

 外務省の手による作成であっても、日米間の歴史認識に深く関係する昭和天皇の発言なのだから、背景に政治側の意図が働いていたはずである。

 二つの記事からどんなことが行われていたか、歴史の舞台を振返るという意味で見てみる。

 《昭和天皇訪米で戦争責任論に配慮》NHK NEWS WEB/2015年1月15日 21時12分)  

 訪問に当たって想定される懸案について分析した訪米半年程前の外務省作成文書。

 「天皇陛下はアメリカでは第2次大戦の記憶と一番密接に連想されやすい」

 「アメリカ人はパール・ハーバーを忘れていない。陛下の戦争責任について種々議論を呼ぶことは確実とみられる」

 対策―― 

 「第2次大戦については、『お言葉』の中で簡単にさらりとお触れになる程度とする」

 当時の駐米大使がアメリカの有識者から聞き取った意見を記録した文書内の大使の助言。

 「晩さん会などの『お言葉』で、戦争のことに触れられた方がいいと思う。あいまいな表現よりも、あっさり、かつ、はっきり触れられた方がいいのではないか」

 これらの集大成が1975年10月2日にホワイトハウスで行われた当時のフォード大統領主催の晩餐会での昭和天皇の「お言葉」であろう。天皇の「お言葉」は宮内庁や内閣が作成、天皇がアナウンスする形式を踏む。このことは「第2次大戦については、『お言葉』の中で簡単にさらりとお触れになる程度とする」とした記述が何よりの証拠となる。

 昭和天皇の「お言葉」「私が、深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、我が国の再建のために、温かい好意と援助の手をさし延べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べる」

 記事は、〈先の大戦に触れながらも、みずからと戦争との関わりなどについては、それ以上、言及しませんでした。〉と解説しているが、内閣の意思が言及を遮断、それに従ったに過ぎない。

 最後に外交史専門家の発言を伝えている。

 波多野澄雄国立公文書館アジア歴史資料センター長「東京裁判で天皇は訴追されなかったが、先の戦争で何らかの役割を果たしたという議論はアメリカの中に強くあり、日本側は、ここで天皇が何も発言しないとなると、その後の首脳会談などに影響があると考えたのだろう。ここで一応の戦争責任問題について決着させたいという配慮から、かなり考えた末に発言内容を決めたのだと思う」――

 以上見てきたことは自作自演の歴史認識ではなく、他作自演の歴史認識を演じた昭和天皇の姿だということである。

 当然、次の記事も同じ構図を取ることになる。

 《外交文書公開 昭和天皇訪米、外務省が戦争責任めぐり「想定問答集」作成》産経ニュース/2015.01.15 10:35)  

 1975年4月21日付の内部文書「天皇・皇后両陛下の御訪米準備の主要問題点」「NHK NEWS WEB」記事が訪米半年前に当時の駐米大使がアメリカの有識者から聞き取った意見を記録した文書と紹介していた文書のこと。)

 「(米国の)無数の地方紙において陛下をオリエントの帝王化するなどの事実歪曲、誤謬に満ちた記事等が掲載されることはある程度覚悟する必要がある」

 「米国人はパール・ハーバーを忘れていない。陛下の戦争責任について議論を呼ぶことは確実」・・・・・

 当時防衛大学校長だった政治学者の猪木正道氏に想定される質問と回答の作成を依頼、1975年5月6日在米大使館が最終的に作成した“想定問答集”

 「新聞等に(戦争責任を問う)投書等があった際に反論できるように」と11項目の質問を想定。その内の二例を記事は紹介している。

 「最高責任者として戦争責任を取られるべきではなかったか」

 「参戦は天皇の意思によってなされたか」

 ここで記事は重要なことを伝えている。〈なお今回公開された文書の中に回答は含まれていない。〉

 “想定問答集”が取り上げた回答例と記者の質問に答えた際の昭和天皇発言がほぼ一致していたなら、その権威を失墜させることになる。昭和天皇自身が自分の意思を自分の言葉で発言していたなら、公開は何も問題はないはずだ。

 前者の場合、国民が天皇の発言にカラクリを見ることになって、まことに都合が悪くなるだろう。そのための非公開=隠蔽であって、国家にとって不都合な情報はなお隠蔽する意図を持っていることが分かる。

 記事は以上の他に様々な手を打ったことを紹介している。

 外務省が訪米に際して「積極的広報」を重点目標に掲げて、昭和天皇の人柄などを紹介する報道機関向けのプレスキット(資料)を1300部用意したこと。16ミリ映画、テレビクリップなどを活用したことを挙げている。

 1975年10月22日付作成の訪米後の広報対応の総括文書では、〈戦争責任については「事前に決着がついた」と振り返り、昭和天皇が事前に米メディア記者と会われ、発言内容が報道されたことから問題はなかったとの認識を示し〉、〈昭和天皇がホワイトハウスでの歓迎晩餐会で「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」と遺憾の気持ちを示したことに関し、「実に適当なTPOだった」と絶賛し、テレビを通じた昭和天皇の「誠実なお人柄」が米国民に伝わり、訪米は成功だったと総括している。〉と伝えている。

 以上見てきたことの裏に常に隠されているのは如何に戦争責任問題を回避するか、如何に好もしい人柄と見られるか、様々に政治的に関与し、その関与を通して天皇を政治的に利用している、国家権力の意志である。

 国民統合の象徴となった現在に於いても、あるいは日本国憲法に「国政に関する権能を有しない」と規定されているにも関わらず、天皇は権力の二重性の元に置かれて、国政に関わる役割を担わされている。

 天皇の戦争責任の有無について書いた2006年7月13日の「朝日新聞」朝刊を参考までに記述してみる。

 《史実検証なお途上/歴史と向き合う》

 児玉氏・石原氏・・・保守派にも「責任論」

 「真に恐れ多いことではありますが、道義的には責任はあるのでしょう。終戦時の御前会議に天皇様に御裁可を仰いでいるのですから・・・・。(略)天皇様はまことに平和を愛されているお方でした」

 戦前から戦後にかけて宮中で昭和天皇に仕えた甘露寺受長(おさなが)は、天皇の責任について、こう語った(エール出版社編『我々にとって天皇とは何か』)

 明治神宮の宮司も務めた甘露寺は、天皇を深く敬愛していた。しかし、そのことと戦争責任は別の問題と受け止めていた。

 保守の中で天皇の戦争責任や退位に言及したのは、甘露寺だけではない。

 戦前から右翼活動家で保守政界の黒幕だった児玉誉士夫は、雑誌「正論」75年8月号(産経新聞出版局)に「私の内なる天皇」と題するエッセーを寄稿し、こう主張した。

 「私は法的な開戦の責任所在などどうでもいいと思っている。(略)陛下に戦争責任をとっていただきたいなどと言うつもりはない。ただ、陛下に天皇としての責任を明らかにしていただきたかったのである。具体的に言うならば、天皇のご退位を願いしたかったと言うことだ」

作家林房雄は『大東亜戦争肯定論』の中で「『戦争責任』は天皇にも皇族にもある。これは弁護の余地も弁護の必要もない事実だ」と書いた。

 石原慎太郎論文「日本の道義」で、現代の日本の「道義の退廃」を嘆きながら、「天皇の戦争責任が退位という形で示されなかったことは、天皇制にとっても不幸であった」(「自由」74年4月号)と論じたことがある。
 
   □  ■

 「天皇は神聖にして侵すべからず」という明治憲法第3条は、一般に、天皇の無答責(法的な責任は負わないこと)を規定するとされる。統治の全責任は、輔弼する内閣が負う――「昭和天皇に戦争責任はない」とする論者は、内閣法制局を含め、殆どがそう主張する。


 これに対し、「責任あり」とする論者からは「国内法である明治憲法の規定を楯に、対外的な責任まで免れることはできない」「法的にはともかく、道義的責任がある」「軍の最高指揮権(統帥権)は輔弼を介さず天皇に直属していた」「現実に天皇は主体的に戦争指導に当たった」という反論が出されてきた。

   □  ■

 新資料も次々、今後の研究期待

 90年代に入って以降『昭和天皇独白録』や、牧野伸顕、木下道雄、入江相政、河合弥八ら天皇の側近の日記など、これまで埋もれていた資料が相次いで公刊された。

 このため、天皇が「大元帥」として戦争指導上に果たした役割や、政治関与の実像、立憲政治の崩壊過程をめぐる歴史研究が近年、大きく進展してきたといわれる。

 『象徴天皇制への道』などの著書がある中村正則・神奈川大学特任教授(日本近現代史)は「天皇の戦争責任は、イデオロギーの問題というよりも事実の問題です。なのに、ジャーナリズムは依然として及び腰に見える。歴史学の成果と一般の読者をつなぐ仕事に積極的に取り組んでほしい」と話している。

 責任尋ねた唯一の会見

 記者会見は午後4時から始まった。1975年10月31日、皇居・石橋の間。元中国放送記者、秋信利彦(71)は、雨が降ってひどく寒かったことを覚えている。訪米を終えた昭和天皇(当時74歳)と香淳皇后が新聞、放送、通信社の記者50人と向き合った。

 主催したのは、日本の主要メディアが加盟する日本記者クラブ。質問は事前に宮内庁に提出されたが、その場での関連質問も認められていた。

 日本記者クラブ理事長で、朝日新聞副社長(後に社長)の渡辺誠毅が代表質問した。

 ――在位中、最も辛く悲しかった思い出は?

 「言うまでもなく第2次大戦であると思います」

 そんなやりとりのあと、関連質問が出された。

 「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じているという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下は戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか」

 質問したのは英紙タイムズの日本人記者中村浩二(当時57歳、82年に死去)だった。毎日新聞出身で国際金融の専門家。「ダンディー」「反権力」「皮肉屋」。生前の中村を知る人々はそんな言葉を口にする。

 天皇が答えた。

 「私はそういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないのでよく分かりませんから、そういう問題についてお答えができかねます」

 沖縄訪問をめぐるやりとりに続いて、記者団の最後列から秋信(前出元中国放送記者)が質問した。

 「陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島に行幸され、広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない、われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならないと述べられ、以後、昭和26年、46年と都合3度広島に起こしになり、広島市民に親しくお見舞いの言葉をかけておられましたが、原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか」

   □  ■

 広島に原爆が投下されたとき、秋信は10歳、広島市内から岡山県境の山あいの町に学童疎開していた。包帯を巻かれた被爆者たちが列車で送り込まれてくるのを間近に見た。

 58年に地元の中国放送に入社。ラジオのドキュメンタリー番組などの制作に当たった。

 65年1月、成人式に晴れ着で出席した広島生まれの女性が3日後に自殺した。原爆投下後に生まれ、後遺症を気にしていた。

 胎内被曝について取材を進めるうちに、小頭症患者の存在がわかってきた。多量に受けた放射線の影響で頭が小さく、重い知的障害があった。

 秋信は患者の家や施設を訪ね歩いた。多くは貧しく、福祉と医療の外に置かれて孤立していた。20歳になろうというのに、身長133センチ、体重35キロ、一日中ラジオの前に座っている女の子らがいた。子どもたちは存在のそのものの証に原爆の罪科を訴えていた。

 互いに支え合うため、6人の患者が集まって「きのこ会」を発足させた。秋信は事務局を引き受けた。

 75年夏、東京支社に赴任した。その矢先、中国放送は抽選で天皇会見への出席資格を得た。

 被爆者の間には「なぜもっと早く戦争を終結させなかったのか」との思いがある。秋信は、会見が近づいたある日、「原爆投下」を代表質問に入れてもらおうと、当時、東京・内幸町の帝国ホテルにあった日本記者クラブの事務所を訪ねた。「質問はもう全部決まってます」「関連質問は自由です。自分で質問されては」といわれた。

 ロビーで声をかけられた。「本当に原爆の質問をするんですか」。サンデー毎日の記者だと相手は名乗った。話をするうち、ぜひ質問すべきだと意気投合した。後に引けなくなった。

 本社の上司に電話で意向を伝えた。上司が言った。

 「わしゃ、知らんぞ」

   □  ■

 天皇は身を乗り出して秋信の質問に耳を傾け、そして言った。

 「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」

 元時事通信記者で、宮内庁記者クラブに所属していた稲生雅亮(いなお・まさあき)は、そのとき最前列にいた。侍従長の入江相政(すけまさ)が上目遣いに天皇の表情をうかがっているのが視野に入った。

 一連の受け答えを聞きながら、稲生は、「『言葉のアヤ』とはうまく返された。陛下には立場上言えないこともある。何もあそこまで聞かなくても・・・」と思っていた。

 会見後、宮内庁長官の宇佐美毅は「『やむをえなかった』というのは『原爆投下そのものに限って言えば、自分にはどうしようもなかった』という意味だと私は受け取っている」と補足した。

 会見の模様はその日の夕方、NHK、民法各局が録画で放送した。

 サンケイ新聞は1面コラム「サンケイ抄」(11月2日付)で「政治的に扱われかねない問題は、やはり本当は(質問を)避けるべきではなかったか」と書いた。

 朝日新聞は社説(3日付)で「記者団はなぜ天皇と戦争との関係をもっと掘り下げなかったのか。天皇ご自身もまた、なぜご訪米時におけるように戦争責任と戦争観について語ろうとはされなかったのか」と論じた。

 読売新聞の「歌壇」に欄(12月6日付)には次の作品が載った。

戦争責任は言葉のあやと言い棄つる天皇に捧げし身は口惜しけり

 常務を最後に7年前に一線を退いた秋信は今、こう振り返る。

 「広島の記者として、原爆について質問できたことはよかったと思っています。天皇は率直な気持を語ったのでしょう。私は淡々と受け止めました。記者は質問するまでが仕事で、その先、天皇の発言をどう考えるかは、視聴者や読者に委ねるべきことです」

 今年4月、きのこ会は広島市内で原爆小頭症患者の還暦を祝う会を開いた。秋信ら支援者が見守る中、9人の患者が、ケーキのローソクを吹き消した。(敬称略)

 海外各紙の論調は

 昭和天皇の死去に際し、海外紙は、戦争責任について次のように論じた(朝日新聞社編『海外報道に見る昭和天皇か』ら)。

 「彼は、戦争に反対して止めさせることができたただ一人の存在であったにもかかわらず、そうしなかったという汚点を背負っている」(英タイムズ)

 「(天皇は)自分の戦争責任問題については、公には一度も発言していないが、彼がこれを真剣に受け止めていたことは、天皇を非難をする人たちにも異論のないところである」(独フランクフルター・アルゲマイネ)

 「アジアと太平洋を踏みつけにした彼の戦争責任は厳しく問われることもなかった。植民地統治の様々な暴政についても『遺憾』の言葉を明らかにしたのみで、公式な謝罪は表明されたことはない」(韓国・東亜日報)

 「ヒロヒトが戦争を望まなかったというのは誤りである。彼が望まなかったのは対ソ戦である」(仏リベラシオン)

 「ヒロヒトと日本、それに近隣諸国の悲劇は、国民にとって神とされた人物が、彼が望んでいなかったにもかかわらず、彼の名が常に付き纏う悲惨な戦争を止めることができなかったことである」(豪シドニー・モーニング・ヘラルド)

 記事中に〈朝日新聞は社説(3日付)で「記者団はなぜ天皇と戦争との関係をもっと掘り下げなかったのか。天皇ご自身もまた、なぜご訪米時におけるように戦争責任と戦争観について語ろうとはされなかったのか」と論じた。〉とあるが、昭和天皇の訪米時発言は国家権力が天皇の戦争責任回避を前提としていた国家権力作・昭和天皇自演の発言であって、天皇の真の思いがどこにあろうと、国家権力意志を反映させた戦争責任回避を趣旨としているのだから、あの「お言葉」が精一杯であって、論ずるべきは他にあるはずだ。

 訪米後の日本記者クラブ記者会見は、《アメリカ訪問を終えて》日本記者クラブ/1975年10月31日)と題してネット上に紹介されている。

 記者会見は皇居「石橋の間」で行われた。

 中村康二記者(ザ・タイムズ)「天皇陛下のホワイトハウスにおける『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。

 また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします」

 昭和天皇「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます」(以上)

 改めて晩餐会での天皇の「お言葉」を記してみる。

 「私が、深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国が、我が国の再建のために、温かい好意と援助の手をさし延べられたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べる」・・・・

 「不幸な戦争」を悲しむ主語は昭和天皇自身だが、「不幸な戦争」を起こした主語は隠したままである。いわば戦争責任に触れたわけではなく、「不幸な戦争」の結果としてのアメリカの援助に感謝を述べることを全体的趣旨とした発言であろう。

 戦争責任に触れているように見せかけて、実際には触れていなかった。と言うことは、戦争責任自体を「言葉のアヤ」としたわけではないことになる。もしそうだとしたら、あまりにも無責任であり過ぎる。その無責任さに於いて国民統合の象徴たる資格さえも失うことになる。

 米大統領主催の晩餐会で天皇の「お言葉」とさせた国家権力作・昭和天皇自演の文言自体を「言葉のアヤ」(巧みな言い回し)と表現したはずだ。但し国家権力側の天皇の戦争責任回避意志はしっかりと受け継いでいた。

 だから、戦争責任について明確に言及することはできないし、その意思もなかっただろうが、あのようになぜ言わせたのか、あるいはあのような表現になぜなったのか、そういった「言葉のアヤ」を理解するだけの文学方面の知識がないから、理解できないと発言せざるを得なかった。

 要するに意図せずして権力の二重性を露わにした。

 広島原爆投下に対して天皇が答えている「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」にしても同じ構図を取っているはずである。

 広島原爆投下はポツダム宣言を無視した軍部を交えた国家権力の判断をキッカケとしていた。直接的責任は権力の二重構造の上位に位置する国家権力にあるのに対して二重構造の下位に置かれた昭和天皇が自身の責任を言えば、天皇の責任と国家権力の責任との関係に焦点が当てられることになって権力の二重構造が暴かれることになった場合、天皇制の権威を失うことになる。

 このことは大日本帝国憲法の第一章天皇 第3条に関係する。「天皇は神聖にして侵すべからず」存在だから、法的責任は負わない天皇無答責を保障しているとしているが、大日本帝国憲法の天皇の規定を見ると、国家統治の責任主体はどう見ても天皇自身にある。

第一章 天皇

第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
  ・・・・・・・・・・
十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

第十二條 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第十三條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」存在だから、責任に関してもそれを課して侵してはならないという意味で国家無答責だとする解釈には無理がある。天皇に現人神としての絶対性を与えた規定と見るべきだろう。つまり過ちなき絶対的存在とした。

 責任を課して過ちある存在だとした場合、天皇の絶対性を利用した国家統治まで狂うことになる。

 もし誤った場合の逃げ道として、統治の全責任は輔弼する内閣が負うこととした第五十五條「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」を利用して、そこに論理的な正当性を無理やり置いたと見るべきである。

 なぜなら、「輔弼」なる言葉の意味は旧憲法で天皇の権能行使に対して助言を与えることだから、論理的には助言に対して責任を負うが、国家統治とその責任に関しては最終的には天皇自身が負わなければならないことを意味することになるはずだからだ。
 
 要するに国民統治を完璧とするために天皇なる絶対的存在を創り出したが、実際の統治は国家権力が行う権力の二重構造を擁護するためには天皇の絶対性まで擁護しなければならない便宜上、「天皇は神聖にして侵すべからず」を「天皇無答責」の根拠とし、第五十五條「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」の規定を統治の全責任は輔弼する内閣が負う根拠としたに過ぎない。

 つまり天皇は責任を負わないとすることで国家権力までが責任を負わない正当性としているということではないか。

 このことを言い換えると、大日本帝国憲法自体が権力の二重構造を基に天皇の政治利用で成り立っていた。

 戦後の国家権力が戦争を総括しない理由がここにあるはずだ。総括すれば、権力の二重構造を国民の目に曝け出すことになり、天皇制自体の存続が危うくなる。

 国民は国家権力と天皇制の権力の二重構造と政治権力の天皇の政治利用に目を凝らさなければない。

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桑田佳祐、右翼に屈したのかライブパフォーマンス謝罪 なぜ安倍晋三は擁護に動かない

2015-01-16 09:20:10 | Weblog


 サザンオールスターズの桑田佳祐と所属事務所のアミューズが1月15日、大晦日の横浜市内開催サザンの年越しライブで見せたパフォーマンスの失礼をコメントでお詫びしたとマスコミが伝えている。

 どんなパフォーマンスか、このことを書いているマスコミ記事を拾ってみると、214年11月30日に受賞した紫綬褒章をズボンのポケットから取り出して観客に披露し、オークションにかけるマネをした、曲と曲の間の観客席に向かったシャベリ(MC)では、紫綬褒章の伝達式での天皇の様子をマネした、「ピースとハイライト」歌唱中にステージ後方に「✕印」をつけた日本国旗や「中國領土 釣魚島」と書いた旗の映像を流した、年越しライブを中継する形で出演したンHK紅白歌合戦で演奏前にチョビ髭をつけて登場したといったところらしい。

 こういったパフォーマンスがネット上で様々な憶測を呼び、それが拡散して、かなり大きな問題となったらしい。例えばチョビ髭は安倍晋三を独裁者ヒトラーに擬えたのではないかとか、天皇に対して失礼だとか、反日だとか、逆に痛快だとか、等々のコメントが飛び交ったらしい。

 問題はこれだけではない。右翼団体「牢人新聞社」の人間が手に手に日の丸の小旗を掲げて所属事務所アミューズの前で抗議活動を行った。この右翼の活動を、《サザン桑田に右翼抗議 ライブでの不敬パフォーマンス問題に》東京スポーツ/2015年01月14日 07時00分)が詳しく取り上げている。

 「ライブでの不敬な言動!サザン桑田は猛省せよ!」と大書した横断幕を掲げて、拡声器で「サザン桑田は出てきて釈明しろ!」、「アミューズと桑田は国民に対して謝罪しろ!」と、約1時間に亘って声を張り上げ、多分その声に合わせてその他大勢が一斉にシュプレヒコールしたのだろう。

 渡邊昇「牢人新聞社」主幹「我々は表現・言論の自由を潰そうとしているわけではない。ただ、日本人としてやっていいことと悪いことがある。今回の桑田のパフォーマンスは天皇陛下に対する侮辱、国家の尊厳を踏みにじる行為だ。日本固有の領土である尖閣諸島を『中国領土』とした映像は国益を無視するもので、断じて見過ごすことはできない」――

 渡邊主幹は桑田佳祐が〈一連のパフォーマンスに至った経緯や事実関係の確認を求め、公開質問状をアミューズのポストに投函。5日以内に納得のいく回答がない場合は「再度、協議して今後の活動を決めていく」(渡邊氏)〉としたが、〈現時点で桑田やアミューズから明確なリアクションはない。〉と記事は解説している。

 しかし横断幕の「不敬な言動」なる文言には恐れ入る。戦前の天皇に対する不敬罪の概念を戦後の民主国家日本に持ち出す。と言うことは、「牢人新聞社」なる右翼団体は戦前の思想を21世紀の現在も自分たちの血肉としていて、安倍晋三や高市早苗、稲田朋美といった連中と同類だということになる。

 当然、「日本人としてやっていいことと悪いこと」とは、戦前の規範で個人の行動を律することを基準としていることになる。

 一見、「我々は表現・言論の自由を潰そうとしているわけではない」と、さも戦後の規範で個人の行動を律しようとしているかのように見せかけているが、戦前の規範を掲げていることと矛盾する。戦前は満足な「表現・言論の自由」は存在しなかった。不敬罪自体が「表現・言論の自由」を否定する最も象徴的な国家規範であった。

 いわば不敬罪の概念を持ち出して、「表現・言論の自由」を圧殺しようと意志していながら、一方で戦後の「表現・言論の自由」を掲げているに過ぎない。

 例え戦前の規範でしかない不敬罪の概念を持ち出して個人の行動を律するにしても、個人や団体に所属していない第三者に対して戦前の規範に直接的に同調を迫るのは、あるいは直接的に不敬罪の概念に同調を迫るのは、しかも集団で声を張り上げるという威嚇行為を手段として迫るのは、自分たちこそが表現・言論の自由を侵す行動となるばかりか、戦後の裁判制度を否定する行動となる。

 告訴するなりして、裁判で決めるべき事柄であろう。

 桑田佳祐側はどうも右翼系団体の公開質問状に屈したようだ。
 
 謝罪文全文を、《サザン桑田さんがお詫びと釈明 年越しライブ・紅白出演》asahi.com/2015年1月16日02時06分)から見てみる。  

 〈サザンオールスターズ年越しライブ2014に関するお詫び

 いつもサザンオールスターズを応援いただき、誠にありがとうございます。

 この度、2014年12月に横浜アリーナにて行われた、サザンオールスターズ年越しライブ2014「ひつじだよ!全員集合!」の一部内容について、お詫びとご説明を申し上げます。

 このライブに関しましては、メンバー、スタッフ一同一丸となって、お客様に満足していただける最高のエンタテインメントを作り上げるべく、全力を尽くしてまいりました。そして、その中に、世の中に起きている様々な問題を憂慮し、平和を願う純粋な気持ちを込めました。また昨年秋、桑田佳祐が、紫綬褒章を賜るという栄誉に浴することができましたことから、ファンの方々に多数お集まりいただけるライブの場をお借りして、紫綬褒章をお披露目させていただき、いつも応援して下さっている皆様への感謝の気持ちをお伝えする場面も作らせていただきました。その際、感謝の表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった為、不快な思いをされた方もいらっしゃいました。深く反省すると共に、ここに謹んでお詫び申し上げます。

 また、紅白歌合戦に出演させて頂いた折のつけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません。

 また、一昨年のライブで演出の為に使用されたデモなどのニュース映像の内容は、緊張が高まる世界の現状を憂い、平和を希望する意図で使用したものです。

 以上、ライブの内容に関しまして、特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図は全くございません。
 
 毎回、最高のライブを作るよう全力を尽くしておりますが、時として内容や運営に不備もあるかと思います。すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。今後ともサザンオールスターズを何卒よろしくお願い申し上げます。

 株式会社アミューズ

 桑田佳祐(サザンオールスターズ)〉(以上)――

 「つけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません」と言っているが、ただ単に楽しんで貰うだけなら、一般的なミュージシャンと何ら変わらない。何らかの特別な意味づけを行ってこそ、桑田佳祐の真価を発揮することになり、ファンもそれを望んでいるはずだ。

 また、何らかの特別な意味づけがなければ、チョビ髭をパフォーマンスの小道具としないだろう。ヒトラーと安倍晋三の近似性が囁かれている昨今である。だから、多くが安倍晋三を批判するパフォーマンスだと受け取った。

 それを「他意はない」とする。桑田佳祐の最たる特徴はパフォーマンスに政治的な毒があり、過激であることにあるはずだが、自分から毒を抜き、過激さを殺して人畜無害の存在となりますとする宣言に見える。桑田佳祐らしさの消滅である。

 「以上、ライブの内容に関しまして、特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図は全くございません」

 なぜ自分自身の表現・主張から出たパフォーマンスだと正直に言うことができなかったのだろう。誰のどんな表現・主張であっても毀誉褒貶はある。桑田佳祐の特に政治的に毒を含んだ過激なパフォーマンスに対する毀誉褒貶は両極端をいくはずだ。

 褒め言葉は受け止めるが、悪口・批判はゴメンだとするのはご都合主義に過ぎるし、以後、褒め言葉の獲得だけを目的とする無難な場所に自分を置くことになる。

 右翼団体の抗議活動と公開質問状にバンザイしたところを見ると、毀誉褒貶をまるごと受け止める覚悟ができたパフォーマンスではなかったようだ。

 右翼団体「牢人新聞社」の右翼という名が持つ威嚇性を武器に集団で声を張り上げて抗議する、「表現・言論の自由」も何もない威嚇の上に威嚇の輪をかけた示威行動は武器を用いるかどうかの違いがあるだけで、フランスの週刊紙「シャルリーエブド」を襲撃したイスラム過激派の行動を思わせる。

 威嚇を武器に「表現・言論の自由」を断つという点で共通している。

 なぜ安倍晋三は桑田圭佑擁護に動かないのだろう。安倍晋三は常日頃から、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」等を普遍的価値として尊ぶことを常に口にしている。右翼が威嚇性を持たせた集団的な示威行動と公開質問状で「表現・言論の自由」を歪めようとするのは、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」に極めて関係する。

 無視できない右翼の行動であるはずである。

 その上、安倍晋三首相は12月28日夜、横浜市で開催のサザンオールスターズのコンサートを昭恵夫人と共に鑑賞する程に桑田ファンだという。であるなら、当然、この一連の動きに気づいているはずだ。

 諺に「義を見てせざるは勇無きなり」と言う。「人として行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことである」

 なぜ安倍晋三は桑田擁護に動き出さなかったのだろう。現在のところ、その動きを見せていない。

 まさか昨年の12月の総選挙前に自民党がテレビ番組でアベノミクスに否定的な声ばかりが紹介されるのを恐れて、「放送の公平・中立」を利用して、その声を抑えるべくテレビ局に政治的圧力をかけたように背後で動いたということはあるまい。

 戦前の規範を戦後の日本社会の規範にしようとする企みに他ならない、前者で以って戦後日本の「表現・言論の自由」を圧殺しようとする試みは無視できない重大問題だが、右翼の威嚇的な示威行為に屈して、戦後日本の「表現・言論の自由」を放棄しようとする動きも無視できない恐ろしい動きである。

 威す側の意思を忖度して、自身の表現・主張を抑制する。それが当たり前となったとき、戦前日本を戦後に受け継ぐ安倍一派や右翼たちの勝利の鐘が日本の社会に鳴り響くことになる。

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安倍晋三と仲井真知事が辺野古移設と予算をヒモ付け、リンクさせた結果の沖縄振興予算の減額

2015-01-15 09:22:53 | 政治


 沖縄振興予算が減額された。マスコミは普天間基地の辺野古移設賛成の知事から反対の新知事に交代したことに対する牽制と見ているが、菅官房長官はそのこととリンクさせた減額ではないと言っている。

 私自身は辺野古移設反対から賛成へと沖縄県民を裏切った前仲井真知事が基地移設と沖縄振興予算を安倍政権との間でヒモ付けたことから、リンクさせていないことはないと見ている。

 で、このことを証拠づけるために色々とネット上を調べてみた。

 先ず菅官房長官の2014年12月26日の閣議後記者会見発言から。

 菅官房長官(沖縄振興予算について)「まさに調整中で削減の方針を固めたという事実はない。沖縄振興は特別措置法に基づいているわけで、アメリカ軍普天間基地の移設計画とリンクすることもない」(NHK NEWS WEB/

 1月14日(2015年)、安倍政権は2015年度予算案を閣議決定した。閣議後記者会見。

 菅官房長官「沖縄振興策を総合的、積極的に推進していくなかで、必要な額を積み上げた。一方で、不用額と繰越金が発生したので、そうしたものを精査したうえで今回の予算編成を行った」

 記者「沖縄県知事が代わり、基地問題へのスタンスが変わったことと減額はリンクしているのか。このバカヤロー」

 「このバカヤロー」は私自身の腹の中の言葉。

 菅官房長官「「全く当たらない。現に仲井真前知事と約束した額は確保している」(以上NHK NEWS WEB記事から)

 「仲井真前知事と約束した額」とは、安倍晋三が2013年12月24日の閣議で沖縄の振興予算を2021年度まで毎年3000億円台を確保する方針を表明したことを指す。

 2014年度沖縄振興当初予算は3501億円。2015年度閣議決定予算案では3340億円の計上。昨年度から見ると、161億円の減額である。

 この減額は当初予算では5年振りの前年度比マイナスだそうだ。つまり仲井真知事時代の後半は常に前年度比プラスであった。

 但し当初予算161億円の減額は昨夏の概算要求額3794億円から見ると、454億円もの減額となる。

 概算要求とは各省 (大臣) が財務省 (大臣) に対して行う翌年度の歳入歳出予算、繰越明許費および国庫債務負担行為の見積りを言うとネット上で解説されている。

 この概算要求は毎年8月31日迄に財務大臣に送付しなければならない。

 ごく当たり前のことを言うが、地方自治体の予算に関わる概算要求は各省(大臣)の関係部局が勝手に決めるわけではないし、地方自治体の予算に関わる内情を全て把握しているわけではない関係部局が勝手に決めることはできない。地方自治体の要請を受けて、双方の協議の末に予算額を決定する。沖縄県の場合は内閣府沖縄担当部局が担当している。

 8月31日迄の財務大臣への送付なのだから、2015年度沖縄振興予算概算要求は前仲井真知事が協議相手の知事ということになる。年度超えの継続事業であれ、新年度の新規事業であれ、各事業の必要予算額を算出して、それぞれの事業に関して内閣府沖縄担当部局と協議、各事業ごとの予算額を決定していき、全体の概算要求額が決まっていく。

 これも当たり前のことだが、沖縄県が要請した予算額以上の金額で決まることは決してなく、満額か、それ以下の金額となる。それが3794億円であった。

 因みに2013年度の沖縄振興予算は3001億円であった。翌2014年度沖縄振興概算要求額は2013年度予算額3001億円を407億円も上回って、3408億円を決めた。仲井真知事が必要として国に要請した金額をほぼ満額で決めた様子を窺うことができる。

 そして决定した2014年度予算は概算要求額3408億円を93億円も上回る3501億円に決定している。

 以上の経緯から窺うことができる国の姿からは赤字財政に反した大いなる気前の良さと同時にこの93億円の増額は、2014年度の概算要求額を決める際に内閣府沖縄担当部局が削った93億円をほぼ戻す形にして上乗せした2014年度予算額3501億円ではないかといったカラクリを見ることができるということである。

 だが、一転して仲井真知事が昨年の8月に必要として要請し、决定した2015年度沖縄振興予算概算要求総額3794億円に対して1月14日閣議決定された2015年度予算額は既に触れたように3340億円で、454億円も減額されている。

 菅官房長官は「不用額と繰越金が発生」していることを減額の理由に挙げているが、仲井真知事は沖縄県に必要として計画した各事業遂行に同じく必要として算出した金額を概算要求に反映させるべく要求し、决定したのである。

 当然、2014年度予算の2015年3月末までの使途状況も把握し、見通したた上で2015年度予算獲得のために概算要求の場に臨んだはずであるから、概算要求要請の8月から昨年12月末までに大きく狂うことは考えられない。

 もし大きく狂ったとしたら、沖縄県の事業計画能力と事業遂行能力、さらに予算算出能力の問題が浮上することになる。

 「NHK NEWS WEB」は減額の理由を――

 〈政府が14日閣議決定した新年度・平成27年度予算案で、沖縄振興予算は3340億円で、使いみちを地元の自治体が自主的に決められる一括交付金が減ったことなどから、5年ぶりに前の年度の当初予算を下回りました。〉とし、具体的には、〈一括交付金は、使い切れなかったり繰り越されたりした金額が多かったことから、今年度より141億円少ない1618億円となりました。〉としていて、沖縄振興予算に関する未使途金や繰越金の発生については何ら解説していない。

 一括交付金に関わる概算要求にしても、沖縄県の要請に対して内閣府沖縄担当部局と協議、決定する経緯を踏むから、未使途金や繰越金が多く出ること自体が事業計画能力・事業遂行能力、予算算出能力の問題に関係してくるが、菅官房長官の発言していることが果たして事実かどうか、ここ最近の一括交付金概算要求額とその決定予算額を見てみる。

 2012年度一括交付金予算1574億円に対して2013年度一括交付金概算要求額は1614億円で、2013年度一括交付金予算は概算要求額1億円の減額1613億円と決定している。

 2013年度一括交付金予算額1613億円に対して2014年度概算要求額は1671億円で、2014年度一括交付金予算は概算要求額を一挙に88億円も上回って1759億円と決定している。沖縄県側が必要として要請した金額を上回ることは先ずないから、官僚側が概算要求で削った分を安倍政権側が政治的配慮で元に戻したといったところだろう。

 2014年度予算は前年2013年12月にほぼ決まるから、安倍晋三が2013年12月24日の閣議で、沖縄の振興予算を2021年度まで毎年3000億円台を確保する方針を表明したことと無関係ではなく、この頃、安倍晋三と仲井真当時沖縄県知事との間で辺野古移設と沖縄関連予算をヒモ付けたと思われることと関連しているはずだ。

 当然、両者の密約にる88億円の戻しと見ることができる。

 2014年度一括交付金予算額1759億円に対して2015年度一括交付金概算要求額は1869億円。そして1月14日閣議決定した2015年一括交付金予算は前年度一括交付金予算額から141億円少ない1618億円と決定。

 少なくとも2014年度概算要求まで一括交付金に関して内閣府沖縄担当部局は未使途金や繰越金の存在を認めてはいないし、安倍政権側にしても2014年度の予算決定(2013年12月)までにそれらの存在を認めてはいない。いわば適正な事業計画であり、その計画に対して適正な予算算出だと認めている。

 と言うことは、予算に応じて各事業を適正に遂行していたことになる。

 ところが菅官房長官が言うように減額が「不用額と繰越金が発生した」ことが理由だとしたら、概算要求が決まる2014年8月の翌月から2014年12月の間に沖縄県は急激に事業遂行能力、あるいは予算執行能力を失ったことになる。

 それ以前に能力喪失を来していたとしたら、2014年8月の概算要求決定時に内閣府沖縄担当部局は見抜けなかったことになり、今度は官僚の能力が問われることになる。

 官僚の能力以外のことを事実と認めることができるだろうか。

 菅官房長官の発言は尤もらしい理由付けを装う薄汚いゴマカシであって、どう見ても、安倍晋三と仲井真前知事が辺野古移設と沖縄振興予算、さらに一括交付金をヒモ付きとしたことに対応させて辺野古移設反対派の翁長新知事登場にリンクさせた減額としか解釈しようがない。

 時代劇の悪代官が力のない市井の庶民に対して無慈悲な仕打ちをするのと同然のアコギな真似に見える。

 参考記事

 《平成25年度沖縄振興予算概算要求について》(内閣府沖縄担当部局)  
 《平成26年度沖縄振興予算概算要求について》(内閣府沖縄担当部局)  
 《平成27年度沖縄振興予算概算要求について》( 内閣府沖縄担当部局)   

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安倍晋三の情勢分析能力と情報分析能力皆無の佐賀知事選劣勢逆転切り札の肉声テープ仕込みの投票お願い電話

2015-01-14 08:13:29 | 政治


 当時の古川康佐賀県知事が2014年12月2日公示、12月14日投開票の衆院選挙に佐賀2区から自民党候補者として立候補するために辞任、佐賀県知事選が12月25日告示、1月11日投開票で行われることになった。

 蛇足だが、古川康は当選。見事衆議院議員第1期生となった。2011年6月、九州電力玄海原子力発電所2、3号機の運転再開に向けた経済産業省主催生放送の「佐賀県民向け説明会」で九州電力が前以て下請等の関係会社社員らに運転再開支持の電子メールを投稿するようヤラセを指示、そのキッカケが九電幹部が古川知事と会談した際の古川の「再開賛成の声を上げることが必要」との発言であった疑いが出たが、古川は「九電側の受け止めの問題。私の真意と違う形で受け止めたことで、私自身の責任は発生しない」と直接的指示を否定、九電側も、「知事発言の真意とは異なる懇談メモが発端となった」と、ヤラセ自体は認めたものの、知事の発言を受けた情報操作は否定。

 何しろかくかように原発城下町を含めた選挙区を強い味方としていたのだから、自民党ブームがなくても当選したかもしれない。

 問題は後任を決める知事選である。古川康への衆議院選での支持が県知事選では後任立候補者である自公推薦の樋渡啓祐にすんなりとバトンタッチされなかったようだ。対立候補の山口祥義が約4万票の差をつけて当選することになった。

 12月25日の告示以来、自民、公明両党幹部や閣僚が続々と応援に入り支持を訴えたことが功を奏さなかった。具体的には稲田朋美自民党政調会長、菅官房長官、谷垣禎一自民党幹事長、太田昭宏国土交通相、茂木敏充選対委員長といった面々が現地入りしていた。

 そしていつ頃から始めたのか分からないが、安倍晋三の肉声を録音した投票を呼び掛ける「総裁テープ」なるものを各家庭に電話して流す作戦が飛び入りすることになった。

 どんな内容かと言うと、電話を受けた人たちの走り書きや記憶に基づく内容だとして、《佐賀県知事選 樋渡陣営電話作戦への疑問》ニュースサイトHUNTER/2015年1月 9日 09:05)が紹介している。  
 
 〈佐賀県の皆さま、自由民主党総裁の安倍晋三です。

 自民党は、武雄市長としてさまざまな改革を行い、実績を上げてきた樋渡啓祐氏を、自信と責任をもって推薦しました。

 佐賀県ではこれまで、古川康さんが知事を務め、強いリーダーシップで大きく県政を発展させてきました。

 地方創生を実現するため、国会で活躍する古川康氏からバトンを受け継ぎ、佐賀県をさらに発展させていけるのは樋渡啓祐氏以外にありません。

 国と佐賀県、そして県民の皆さまでスクラムを組みましょう。樋渡啓祐氏を先頭に力を合わせ、(政権も)佐賀県の発展のために全力をあげて取り組んでまいります。

 新しい佐賀県のリーダーとして、樋渡啓祐氏の支援いただきますよう心からお願い申しあげます。〉――

 12月14日投開票でありながら、その4日前の「1月10日 10時26分」付の「日刊ゲンダイ」が「電話作戦は既に終了している」と書いている。ネット上で話題になり、批判の声も多かったから、急遽中止したのかもしれない。

 自民、公明両党幹部や閣僚が現地入りして応援していながら、安倍晋三の投票お願いの肉声テープを仕込んだ電話を切り札として各家庭に掛けまくらなければならなかった。

 誰もが読み取ることは自公推薦候補が告示前からの情勢分析で劣勢に立たされていて、選挙戦に入ってからも情勢は変わらなかったために自民党本部側として肉声テープが劣勢に立たされていた状況を逆転するだけの切り札となるという読みがあり、飛び入りを要請された安倍晋三にしても、その読みに同意したから、直々の肉声テープという形で飛び入りをお願いすることになったということであるはずだ。

 安倍晋三の肉声テープまで飛び入りさせたのに落選ということになったなら、安倍晋三自身が笑い者になって恥をかくことになりかねないし、大体からして読みがないままに要請し、読みがないままに引き受けたとなると、情勢分析能力、あるいは情報分析能力の程度を曝すことになって、二重の笑い者となり、その分、恥を上塗りすることになる。

 だが、読みに裏切られた。どのみち情勢分析能力も情報分析能力もなかったことになる。

 情勢分析能力も情報分析能力もないままに自民党本部が劣勢逆転の切り札として安倍晋三に肉声テープの飛び入りをお願いし、安倍晋三にしても情勢分析能力も情報分析能力もないままに劣勢逆転の切り札として引き受けたことが誤った読みだとすると、ではなぜそのように誤ったのか、双方共に昨年12月の総選挙で自民党を大勝に導いた安倍晋三の選挙の力を過信していたとしか答を見つけることができない。

 12月14日投開票の衆議院選からまだ間のない佐賀県知事選である。自民党大勝の効力を過信していたとしても不思議はない。だが、切り札とすることについての読みの誤りは、自民党党本部にしても安倍晋三にしても、安倍晋三の選挙の力を過信する余りの思い上がりがそこにあったと見るしかない。

 思い上がりだとは気づかずに水戸黄門の誰もがひれ伏す印籠のような効力を電話を通した自身の「肉声テープ」に見たのかもしれない。あるいは思い描いたのかもしれない。

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石破茂の大日本帝国の約束を戦後も生かしている歴史認識は憲法改正を戦前との連続性を基準とすることになる

2015-01-13 08:42:14 | 政治


 ツイッターの投稿で、石破茂が昨年2014年12月26日にBS日テレ「深層NEWS」に出演、「集団的自衛権行使」と言うところを「戦争をする」と言い間違えたことを知った。集団的自衛権を行使することは戦争をすることだと認識しているから、自然と「戦争」という言葉が出たのではないかといった批判がリツイートの形で呟かれていた。

 具体的にどう発言したのかネット上を調べてみたら、文字起こしされていた。拝借――



 《自民党石破「戦争をするにあたって、し、失礼。集団的自衛権を行使するにあたって」12/26深層ニュース(動画&文字起こし)》

自民党石破「戦争をするにあたって、し、失礼。集団的自衛権を行使するにあたって」12/26深層ニュース(動画&文字起こし)(みんな楽しくHappy♡がいい♪ /2014年12月27日)    

集団的自衛権と日米同盟

金子勝:その情報が正しいか正しくないか?

戦争をしたければ証拠をでっち上げて、つまり、石破さんはしないかもしれないけど、将来にわたって誰かはするかもしれないということに対して、きちんとしたチェックの機能が特定秘密保護等ではできていないと思うんです。

石破茂「それはですから、国会の関与というのをきちんと入れたのはそういうことであって、国会がきちんと関与しなければ、情報の管理が政府の中で完結してしまったら、今御指摘のようなことになるわけですね。

ですから第三者の目でもきちんとやらなければいけないように」

金子勝「じゃ、まず最初に委員を決めるべきじゃないですか?」

石破茂「それ委員は、それは委員はこれから決めることでしょ。どうやって国会の中で決めていくからですから}

金子勝「同時じゃないとまずいですよ」

石破茂「ですから、これは国会においてどういう人を委員にするのかっていうことは決めていきます。話を戻すならね、そういうふうな戦争をするにあたって。し、失礼。

 集団的自衛権を行使するにあたって、本当にそれがそういうものであるのかどうかということについて、きちんとした資料を出す責任は政府に課せられます」

 集団的自衛権とは自国と密接な関係にある他国が受けた武力攻撃が自国の安全を危うくするものと認められる場合、必要かつ相当限度で反撃する権利を言う。

 要するに武力攻撃を受けた自国と密接な関係にある他国と共に戦争を行うことを意味する。勿論、部分的戦闘行為で終わる場合もあるだろうが、戦線拡大化して、純然たる戦争状態に発展しない保証はないのだから、危機管理上最悪のケースを想定して戦争を前提に行使容認しなければならないはずだ。

 一旦は戦争が終結したイラク、アフガンのその後の泥沼化を見れば、これ程の教訓はない。

 この論理からすると、石破茂が集団的自衛権行使を「戦争をするにあたって」と言ったとしても、間違いではない。言い直したこと自体にゴマカシがあることになる。

 「集団的自衛権行使によって戦争をするにあたって」と言うべきだったろう。

 安倍晋三にしてもそうだが、集団的自衛権行使の話をするとき、どのような環境で行使できるかといった条件と条件に適合した場合の必要最小限度の実力行使のみを言って、敵対国側の反撃が何らないかのような物言いをする。

 つまり戦闘や戦争を想定することから切り離した話し方をする。ゴマカシ以外の何ものでもない。

 当然、自衛隊側からも死者が出るケースも生じる。大勢の死者が出ることも想定しなければならない。自衛隊員にしても同じ日本人であり、その生命の犠牲に対して憲法解釈による集団的自衛権行使容認を決めた一内閣が責任を取ることができるのか。憲法改正を以て行使容認へ持っていく過半数の国民の承認を必要とし、国民の責任に於いてその犠牲を受け止めることがより公平な方法であるはずである。

 勿論、集団的自衛権行使のための憲法改正を容認するかどうかは国民の意思・選択にかかっている。

 上記文字起こし記事を読んでいて、これまで気にかけていなかったが、石破茂の戦前の日本に関わる歴史認識がどんなものか興味を持った。早速ネット上を探すと、石破茂のオフィシャルブログにその歴史認識を示す記事があった。全文を引用してみる。文飾は当方。

 《田母神・前空幕長の論文から思うこと》石破茂オフィシャルブログ/2008年11月 5日 (水) 
    
 石破茂です。 

 田母神(前)航空幕僚長の論文についてあちこちからコメントを求められますが、正直、「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」の一言に尽きます。

 同氏とは随分以前からのお付き合いで、明るい人柄と歯に衣着せぬ発言には好感を持っており、航空幕僚長として大臣の私をよくサポートしてくれていただけに、一層その感を深くします。

 日中戦争から先の大戦、そして東京裁判へと続く歴史についての私なりの考えは、数年前から雑誌「論座」などにおいて公にしており、これは田母神氏の説とは真っ向から異なるもので、所謂「民族派」の方々からは強いご批判を頂いております(その典型は今回の論文の審査委員長でもあった渡部昇一上智大学名誉教授が雑誌「WILL」6月号に掲載された「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」と題する論文です。それに対する私の反論は対談形式で「正論」9月号に、渡部先生の再反論は「正論」11月号に掲載されています。ご関心のある方はそちらをご覧下さい)。
 
 田母神氏がそれを読んでいたかどうか、知る由もありませんが、「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。

 在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。

 加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です。

 「東京裁判は誤りだ!国際法でもそう認められている!」確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から「やりなおし」ができるのか。賠償も一からやり直すのか。

 「日本は侵略国家ではない!」それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。「遅れて来た侵略国家」というべきでしょう。

 「日本は嵌められた!」一部そのような面が無いとは断言できませんが、開戦前に何度もシミュレーションを行ない、「絶対に勝てない」との結論が政府部内では出ていたにもかかわらず、「ここまできたらやるしかない。戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。敗戦時に「一億総懺悔」などという愚かしい言葉が何故出るのか。何の責任も無い一般国民が何で懺悔しなければならないのか、私には全然理解が出来ません。

 ここらが徹底的に検証されないまま、歴史教育を行ってきたツケは大きく、靖国問題の混乱も、根本はここにあるように思われます。

 大日本帝国と兵士たちとの間の約束は「戦死者は誰でも靖国神社にお祀りされる」「天皇陛下がお参りしてくださる」の二つだったはずで、これを実現する環境を整えるのが政治家の務めなのだと考えています。総理が参拝する、とか国会議員が参拝する、などというのはことの本質ではありません。

 「集団的自衛権を行使すべし!」現内閣でこの方針を具体化するスケジュールはありませんが、ではどうこれを実現するか。法体系も全面的に変わりますし、日米同盟も本質的に変化しますが、そのとき日本はどうなるのか。威勢のいいことばかり言っていても、物事は前には進みません。

 この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。

 押さえつけ、隔離すればするほど思想は内面化し、マグマのように溜まっていくでしょう。

 「何にも知らない文官が」との思いが益々鬱積し、これに迎合する政治家が現れるでしょう。それこそ「いつか来た道」に他なりません。

 制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。

 田母神の論文とはご存知のように2008年10月、「真の近現代史観」懸賞論文第一回最優秀藤誠志賞を受賞した論文、「日本は侵略国家であったのか」を指す。題名が示す通り、日本の戦争の侵略性を否定、人種平等の世界実現の世界史的役割を担った戦争だと位置づける歴史認識を示している。

 当然日本軍の悪行とされる南京虐殺も否定、軍幹部と政府要人が裁判を受けることとなった東京裁判も否定している。

 対して石破茂は日本の戦前の戦争が侵略戦争であることは認めている。「遅れて来た侵略国家」とは、列強の植民地主義の尻馬に乗ったことを意味する。当然、列強もしていたことだと相対化し、正当化することはできない。

 安倍晋三も慰安婦問題でよくこの手を使う。

 安倍晋三「筆舌に尽くし難い思いをされた慰安婦の方々のことを思うと、本当に胸が痛む思いだ。20世紀は女性を始め、多くの人権が侵害をされた世紀だった」

 世界中至るところで女性の人権が侵害された世紀だったとすることで慰安婦の問題を相対化し、ある意味正当化している。

 一国の軍隊が各外国占領地で未成年を含む若い女性を暴力的に拉致・誘拐して軍慰安所という檻に閉じ込め、自由を奪って強制的に売春に従事させたのは日本ぐらいのものだろう。日本軍はそういう組織となっていた。

 日本軍が特殊な例であるにも関わらず、被害者の女性の側から、安倍晋三はそういう世紀だったと薄汚く誤魔化している。
 
 石破茂は戦前の戦争が侵略戦争だと認めていながら、「大日本帝国と兵士たちとの間の約束は『戦死者は誰でも靖国神社にお祀りされる』『天皇陛下がお参りしてくださる』の二つだった」と言っている。

 ここに石破茂の戦前の日本に関わる歴史認識が如実に現れている。

 侵略戦争上の「大日本帝国」の約束でありながら、国の形が変わっても尚、その約束が戦後の日本に於いても生きているとしていることは大日本帝国の意思を戦後の日本にも存在させていることになる。靖国参拝で日本軍兵士の戦前の意思を、戦後国の形が変わっても尚、お国のために戦ったと戦後の日本に生かしているようにである。

 尚且つ戦後の天皇を、その地位が徹頭徹尾変わったにも関わらず、戦前の天皇と同じ扱いにしていることになる。

 例えその戦争を侵略戦争と否定していても、戦前の国家の形態自体は肯定している思想の持ち主ということになる。

 と言うことは、石破茂は安倍晋三と同様に戦後の民主国家日本を天皇専制の大日本帝国国家と連続性を持たせていることになる。当然、憲法改正意思にしても、同じく安倍晋三と同様に大日本帝国国家との連続性を基準としていることになる。

 勿論、戦後の民主主義に縛られて憲法の文言に露骨に連続性を持たせることはできないから、憲法の文言の裏に隠すことになる。自民党が改正を狙っている憲法はそういう憲法だと認識しなければならない。

 これが石破しげるの戦前日本に関する歴史認識の正体であり、その歴史認識を現在の日本でも生かそうとしている。

 一方で戦前の大日本帝国に於いては国家賠償法が存在しなかったからと、戦時中の国家権力の不法行為から生じた個人の損害について国は賠償責任を負わないと国家無答責の原則を当てはめて、中国人の強制連行労働等に関わる戦後の賠償請求訴訟を斥けていることは、戦前国家の約束違反に関しては法律を楯に戦後の日本に生かさない不公平を演じている。

 「大日本帝国」の約束とは約束の対象者で使い分けるご都合主義で仕上がっているようだ。

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安倍晋三と菅官房長官の「村山談話」部分否定から「安倍戦後70年談話」着地に向けた様々な陰謀駆使

2015-01-12 09:46:56 | 政治


 前々から発言していたことだが、安倍晋三が今年1月5日の年頭記者会見で「安倍戦後70年談話」作成に改めて言及したことに対して今年が戦後70年が当たるたことと、8月の敗戦記念日に合わせて発表するとしていることから、差し迫ったこととして俄に注目を集めるようになった。

 果たしてどんな内容になるのか。村山談話をどの程度引き継ぐのか。菅官房長官記者会見でも、安倍晋三のテレビ番組出演の際にも、両者に質問する機会を得た多くがそのことを引き出そうと質問している。

 しかし答は決まっている。安倍晋三は年頭記者会見で、「安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます」と発言しているが、国会答弁などで村山談話が「我が国はかつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と、戦前の日本の戦争の結果として提示した歴史認識に関しては、「安倍内閣は歴代の内閣の立場と同じであります」と同意していものの、結果を成した原因として村山談話が示した肝心の歴史認識である「国策の誤り」、「植民地支配と侵略」に関しては一言も「引き継いでいます」とも、「同じ立場です」とも言っていないからだが、このことについて2015年1月6日の当ブログ記事――《安倍晋三が目指す「戦後70年安倍談話」の「先の大戦への反省」の正体によって決まる全体の正体 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。    

 安倍晋三は戦前の日本の戦争を侵略戦争とも植民地支配を目的としていたことも認めていないのである。いわば「村山談話」を引き継ぎようがない。安倍晋三の1月5日年頭記者会見に始まって昨日1月10までの談話に関わる流れを見ていると、「村山談話」の中の自身にはない歴史認識を如何に引き継がずに「安倍戦後70年談話」へと着地させるか、腐心している様子を窺うことができ、答は決まっていることに尚一層の確信を持った。

 安倍晋三が戦前の日本の戦争を侵略戦争と認めていない根拠として、「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」とした国会答弁を挙げてきたが、もう一つ、周知の事実だが、例を挙げてみる。

 第1次安倍内閣の2007年8月23日、3日間の日程でインドを訪問中の安倍晋三は極東国際軍事裁判(東京裁判)でインド代表判事を務めた故ラダビノード・パール判事の長男と面会している。

 パール判事は東京裁判で被告全員を無罪と主張し、日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できないとの立場を取っていた。

 要するに安倍晋三のパール判事長男との面会は日本の戦前の戦争が侵略戦争ではなかったこと、東京裁判が不当な裁判であったことを示す一種のデモンストレーション(=言葉には出さない論証行為)だった。

 にも関わらず、「村山談話」を「全体として内閣として引く継ぐ」と言い続けてきた。「村山談話」の「国策の誤り」、「植民地支配と侵略」を自身の歴史認識通りに否定したなら、国内に於いてだけではなく、アメリカやその他国際社会に於いても政治問題化することを恐れていたからだろう。

 当然、「村山談話」から「安倍戦後70年談話」へと、多少は仕方がないとしても、殊更な政治問題化を巧みに避けて着地させるにはそれなりの陰謀が必要となる。改めて1月5日年頭記者会見から昨日1月10までの談話に関わる流れを振返ってみる。

 安倍晋三が1月10日に祖父岸信介元首相が晩年を過ごした静岡県御殿場市の「東山旧岸邸」を訪問しているし、翌日の1月11日に静岡県小山町の墓地を訪れて、両者の遺骨が分骨されている墓参りをしたことも、「安倍戦後70年談話」と無関係ではあるまい。

 特に安倍晋三は、戦前の大日本帝国の時代を官僚及び閣僚として生き、A級戦犯被疑者として3年半拘留、その後不起訴のまま無罪放免された岸信介の膝に抱かれて、幼少期を過ごしている。安倍晋三の戦前日本への回帰精神、あるいは復古精神を見ると、岸信介から戦前日本人の精神を語り継がれなかったはずはない。

 この記事を読んだ時ツイッターに次のように投稿した。《安倍晋三、岸信介の亡霊を介して戦前大日本帝国の精神を改めて自らに吹き込んだとうことか。戦前の日本を取戻すことに粉骨砕身している自らの精神をピッカピカに磨き立てるために。》――

 戦前の日本の戦争を「国策の誤り」、「植民地支配と侵略」の戦争であると認めない安倍晋三にとって、そのような戦前と戦後をつなぐ人物が岸信介であり、自らの歴史認識の正当性を証明する人物に置いていたとしても不思議はない。

 いわば墓参り自体が「安倍戦後70年談話」の内容を提示する一種のデモンストレーション(=言葉には出さない論証行為)と言うことができる。

 安倍晋三の1月5日の年頭記者会見の発言を受けて、米国務省のサキ報道官が1月5日の定例会見で発言している。

 サキ報道官「これまでに村山富市元首相と河野洋平元官房長官が(談話で)示した謝罪が、近隣諸国との関係を改善するための重要な区切りだったというのが我々の見解だ。

 (日本には)過去に公表された談話がある。それ以上のコメントはない。日本が引き続き周辺国と平和的な対話を通じ、歴史をめぐる懸案を解決することを望む」(NHK NEWS WEB

 記事の解説を待たずとも、言っていることは明瞭である。「それ以上のコメントはない」と「村山談話」と「河野談話」に最終・最高評価を与えているのだから、読みようによっては、「安倍戦後70年談話」など必要ないと拒絶反応を示しているとも解釈できる。

 このサキ報道官の発言に対する日本側の反応。

 1月6日の閣議後記者会見。

 菅官房長官「安倍内閣としては、『村山談話を含めて歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体としては引き継いでいる』とずっと言ってきている。日本の歴史認識はアメリカにも説明しており、十分理解していると思う。

 安倍総理大臣が記者会見で申し上げたとおり、政権としては、先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後、日本として、アジア太平洋地域や世界のために、さらに、どのような貢献を果たしていくか、未来志向の新たな談話にしたい。

 これから安倍総理大臣と相談しながら、有識者の方を選定して、皆さんの意見を伺いながら、戦後80年、90年、100年に向けて、日本がどのような国になっていくのか、しかるべきタイミングで世界に発信できるよう、英知を結集して考えていきたい」(NHK NEWS WEB

 「日本の歴史認識はアメリカにも説明しており、十分理解していると思う」と言っていることは、「村山談話を含めて歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体としては引き継いでいる」といった単なる抽象的な姿勢の説明にとどまらず、いくらこれから有識者会議を設置するとしても、「皆さんの意見を伺いながら」であって、あくまでも安倍晋三の歴史認識が中心となる以上、「安倍戦後70年談話」の具体的な輪郭ぐらいは説明していなければ、「十分理解していると思う」と言うことにはならない。

 果たしてそこまで説明していて、アメリカ側が「それ以上のコメントはない」と拒絶反応を示しているのか、説明せずに理解を得ているとしているのか、後者なら、そこに誤魔化そうとする陰謀を潜ませていることになる。

 例え「安倍戦後70年談話」が有識者の多数意見で決まることだとしても、有識者の選定自体がNHKの経営委員を安倍晋三のお友達で固めて、それらお友達の賛成多数を以って安倍晋三のお友達のNHK会長を選任したのと同じ手を使って、一人二人安倍晋三と歴史認識の異なるメンバーを紛れ込ませたとしても、歴史認識を同じくする多数派を形成できる数の有識者を集めたなら、それを以て安倍晋三の歴史認識と何ら変わらない有識者の多数意見だとする陰謀も可能となる。

 アメリカ側は1月6日の記者会見で菅官房長官が言葉のそれぞれに潜ませた陰謀のうちどの陰謀にどのように誤魔化されたのか、いわばどの陰謀が功を奏したのか、サキ報道官は1月6日の記者会見で前の発言に見せた態度を変えている。

 サキ報道官「歴史問題と日本の戦後の平和への貢献に関する前向きなメッセージであり、歓迎する。この地域の国々の強固で建設的な関係は平和と安定をもたらし、アメリカにとっても利益となる」
 
 要するに菅官房長官の記者会見発言を「歴史問題と日本の戦後の平和への貢献に関する前向きなメッセージ」だとした。当然、「安倍戦後70年談話」にしても、「前向きなメッセージ」になると受け止めたことになる。

 そのような前向きなメッセージを以って地域の国々との建設的な関係の構築を望んだ。

 果して当方の解釈通りに菅官房長官が1月6日の記者会見でそれぞれの言葉に陰謀を潜ませたのか、その陰謀にアメリカがころっと誤魔化されたのか、そのいずれかは1月9日の菅官房長官のBSフジ番組出演での発言が証明することになる。

 《「侵略」などの文言変更も=菅長官》時事ドットコム/2015/01/09-22:40)

 司会者「新談話では『植民地支配と侵略』『反省』という言葉は残すのか」

 菅官房長官「同じものをやるんだったら、新たに談話を出す必要はない」――

  ここでやっと正体を現した。安倍晋三の歴史認識の正体でもある。談話を出した段階で正体が露見するよりも、小出しにして方向性を出していた方が誤魔化しの印象を薄めることができる。これまでの発言がこのための陰謀と解釈できることになる。

 この発言にアメリカがどう反応するのか、反応しないのか。

 例えアメリカが反発しても、その他国際社会一般が反発を示したとしても、これまで通りに言葉の陰謀で巧みにかわしていくことになるはずだ。8月15日に合わせた発表時にアメリカとの関係が険悪になることも予想されるが、例え険悪化しても、2013年12月26日の第2次安倍政権発足1年の靖国神社参拝がアメリカの反発を買ったものの、「不戦の誓いをしたのだ」と、その言葉を嵐を凌ぐのための陰謀としたのと同様、様々な陰謀の言葉を駆使して凌いでいくだろう。

 アメリがが安全保障上も経済的にも日本という国を最大限に必要としていることを知っているからだ。

 だが、その必要性は日本という国の存在を対象としているのであって、安倍内閣そのものを対象としているわけではない。国民はこのことを考えなければならない。

 
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