安倍晋三のエジプトでの政策スピーチ、「中庸が最善」とは言うべき相手を間違えた奇麗事の楽観主義

2015-01-20 08:52:05 | 政治

 
 安倍晋三が外国訪問国数と首脳会談数の記録を打ち立てるための一環として1月16から21日の日程でエジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナの中東地域の歴訪を開始、最初の訪問国エジプトで1月17日に開催した日エジプト経済合同委員会合で政策スピーチを行っている。

 《日エジプト経済合同委員会合における安倍内閣総理大臣政策スピーチ》首相官邸/2014年1月17日)

 このスピーチで安倍晋三は中東やアフリカでの大量殺戮を伴った際限のないテロの横行とそれを鎮圧するための軍との際限のない戦闘に終止符を打つ方策として、「中庸が最善」なる高尚な哲学を打ち出した。

 安倍晋三「私は一昨年、ジッダにおいて日本の新たな中東政策を発表したとき、『タアーイシュ(共生と共栄)』、『タアーウヌ(協働)』に加え、『タサームフ』、すなわち和と寛容を主導理念にしていきたいと言いました。私はこれまで、この理念に沿った中東政策を実施してきました。

 今回私は、『中庸が最善(ハイルル・ウムーリ・アウサトハー)』というこの地域の先人の方々の叡智に注目しています。

 「ハイルル・ウムーリ・アウサトハー」、伝統を大切にし、中庸を重んじる点で、日本と中東には、生き方の根本に脈々と通じるものがあります。

 この叡智がなぜ今脚光を浴びるべきだと考えるのか。それは、現下の中東地域を取り巻く過激主義の伸張や秩序の動揺に対する危機感からであります。

 中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」――

 30年以上も独裁体制を敷いてきたムバラク大統領を打倒した2011年のエジプト革命後、民主的な選挙選出で12年6月30日就任のムルスィー大統領就任1周年の2013年6月30日を機に政権に対する不満から全国各地で大規模民衆デモが発生、国軍が介入、軍のクーデターによって2013年7月3日に大統領は解任された。

 その解任に中心的な役割を果たしたエジプト国軍総司令官エルシーシが2014年6月の大統領選挙で選出を受け、軍による強権的なデモ隊排除等で現在の治安はかなり回復しているという。

 〈本情報は2015年01月20日現在有効です。〉と謳っている《エジプトについての渡航情報(危険情報)の発出》外務省/2014年12月26日)には治安状況を次のように解説されている。  

〈●北シナイ県、南シナイ県(アカバ湾に面したダハブからシャルム・エル・シェイクまでの沿岸地域を除く)
 :「渡航の延期をお勧めします。」(滞在中の方は事情が許す限り早期の退避を検討してください。)(継続)

●リビア国境地帯
 :「渡航の延期をお勧めします。」(継続)

●上記及び下記以外の地域
 :「渡航の是非を検討してください。」(継続)

●大カイロ都市圏、ルクソールからアブシンベルまでを結ぶ幹線道路及びナイル川周辺地域、ハルガダ、シナイ半島のアカバ湾に面したダハブからシャルム・エル・シェイクまでの沿岸地域
 :「十分注意してください。」(継続)〉――

 現在危険情報のレベルは「レベル1 注意喚起」、「レベル2 渡航延期勧告」、「レベル3 渡航延期勧告」、「レベル4 退避勧告」の4段階に設定されているそうで、エジプトのいずれの地域も外務省が日本人旅行者に対して退避勧告を出さなければならない程に治安が悪化しているわけではない。

 いわば安倍晋三はテロという無法な軍事的脅威に曝されて国家の治安と市民の生活が四六時中脅かされる程には治安が悪化しているわけではないエジプトの、しかも治安を脅かす側に対してではなく、治安を守る側に「中庸が最善」を説いたわけである。
 
 暴力と報復の連鎖の泥沼にはまり込んでいるパレスチナとイスラエルに向かって、特に後者に対して「中庸が最善」を説くなら、まだしも理解はできる。

 「中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」と言うなら、あるいは少し後の方で言っているように、「地域から暴力の芽を摘むには、たとえ時間がかかっても、民生を安定させ、中間層を育てる以外、早道はありません。『中庸が最善(ハイルル・ウムーリ・アウサトハー)』。日本はそこに、果たすべき大いなる役割があると考えてい」るなら、テロとその暴力の発生源となっている中東やアフリカを舞台に大量殺戮テロを繰返すイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」やアルカイダ、テロ集団が国家建設したイスラム国、アフガンのタリバン等々の拠点に乗り込んで説くべき「中庸が最善」であるはずである。

 要するに安倍晋三は聞く耳を持つ可能性のある相手に説いているに過ぎない。と言うことは、聞く耳を持つ可能性のない過激派集団にとっては犬の遠吠え程度にしか、あるいはそれ以下にしか聞こえないことになる。

 だが、本人は「中庸が最善」という言葉を何度も繰返して真剣な面持ちで提唱している。この奇麗事の楽観主義はスピーチの最後の方で取り上げている、日本が9年前の2006年に当時の首相小泉純一郎が提唱したヨルダン川西岸の「平和と繁栄の回廊」プロジェクトに関わる言及にも現れている。

 この「平和と繁栄の回廊」のプロジェクトに則って日本政府の協力の下、イスラエル軍とパレスチナ自治政府によって統治され、ガザ地区と共にパレスチナ自治区を形成するヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府統治地域のジェリコに中核プロジェクトとして「ジェリコ農産加工団地」を建設、2013年7月から稼働させている。

 このことに関して安倍晋三は次のようにスピーチしている。

 安倍晋三「中核をなす農産加工団地は、形を現しました。私はサイトを訪れて、この目で見るつもりです。遠くない将来、ジェリコ周辺の農産品はここで付加価値をつけ、回廊を通って、近隣諸国や湾岸の消費地に向かうでしょう。

 『平和と繁栄の回廊』はやがて、一大観光ルートになる可能性を秘めています。パレスチナを、ツーリズムで賑わう場所にしようではありませんか。日本は、喜んでその触媒になります。

 1997年以来足かけ18年、日本政府は、イスラエル、パレスチナ双方の青年を招き、日本で共に過ごしてもらう事業を続けてきました。

 私のもとに来てくれたとき、私は青年たちに、7世紀の人、聖徳太子の言葉を贈りました。『和を以て貴しと為す』という言葉です。

 彼らこそ、和平を担う若い力となってほしい。そんな願いを託しました。今回は訪問先で、『卒業生』の皆さんを集めて同窓会を開きます」――

 「和を以て貴しと為す」は素晴らしい、高尚な理念・哲学ではある。「中庸が最善」と意味を共通にする。

 これらの理念・哲学にイスラエルとパレスチナが聞く耳を持つ可能性は否定できないが、それでもイスラエルとパレスチナの現実は暴力と報復の応酬の終わりなき歴史を演じて現在に至っている。

 このような歴史の完璧な終止符を前提としない限り、「平和と繁栄の回廊」が「一大観光ルートになる可能性」は芽生えるはずもなく、「パレスチナを、ツーリズムで賑わう場所」とする一大願望も果敢ない夢であり続けかねず、現実を見ない奇麗事の楽観主義からのヨイショにしか聞こえない。

 聴く者の中には「そのようなパラダイスがそう簡単に実現できるはずはないじゃないか、このバカヤローが」と内心呟いた者がいたかもしれない。

 安倍晋三のこの現実を見ない奇麗事の楽観主義を曝け出して何ら気づかない、と言うよりも、得意になって披露してさえいる無神経なデタラメさ加減は、その最大化を次のスピーチで見せている。

 安倍晋三「先の大戦後、日本は、自由と民主主義、人権と法の支配を重んじる国をつくり、ひたすら平和国家としての道を歩み、今日にいたります。いまや新たに『国際協調にもとづく積極的平和主義』の旗を掲げる日本は、培った経験、智慧、能力を、世界の平和と安定のため、進んで捧げる覚悟です」――

 要するに言っていることの意味は日本が戦後培った「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神が「世界の平和と安定のため」の国際貢献に向かわせ、役立っているということであろう。
 
 「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神を戦後の日本人に培わしめたのは日本国憲法を措いて他にはない。日本国憲法の精神が大多数の、いわば全てではない戦後日本人の精神として育つに至った。

 だが、安倍晋三は日本国憲法を否定していて、その否定を露わにした場面の一つが2013年4月5日衆院予算委員会の発言である。

 安倍晋三「(戦後)何年間の占領時代というのは戦争状況の継続であるということなんですね。そして平和条約を結んで、日本は外交権を初めて、主権を回復したということになるわけでございます。
   ・・・・・・・・
 我々は事実上占領軍が作った憲法だったことは間違いないわけであります。
   ・・・・・・・・
 (マッカーサーによって日本国憲法は)25人の委員が、ま、そこで、全くの素人が選ばれ、えー、たったの8日間で作られたのが事実、であります」――

 日本国憲法をその中身の精神を評価するのではなく、「占領軍が作った憲法」ということで否定し、「全くの素人」の作成によるということで否定し、「たったの8日間で作られた」ことの事実によって否定している。

 この否定が安倍晋三の憲法改正意志となって現れている。と言うことは、日本国憲法の中身の精神を評価していないということだけではなく、否定さえしていることになる。

 そのような政治家が日本国憲法によって戦後の日本人が培った「自由と民主主義、人権と法の支配」の精神が国際貢献に役立っているとスピーチすることは、単にその精神をダシにしてご都合主義にも国際貢献を謳ったに過ぎないことになる。

 日エジプト経済合同委員会合での安倍晋三の政策スピーチは言うべき相手を間違えて、「中庸が最善」を説く奇麗事の楽観主義と、日本国憲法を否定していながら、その精神を国際貢献のダシに使うご都合主義で無神経なデタラメさ加減を満載にした得意満面に披露でしかなかったといったところが正直な点数であるはずだ。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヘイト・スピーチする日本人... | トップ | 安倍晋三の「テロに屈しない... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

政治」カテゴリの最新記事