天皇の公的行為を内閣のコントロール下に置こうとする意志を働かせた政府見解

2010-03-01 09:08:34 | Weblog

  ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――

 《天皇の公的行為、「統一ルール作らず」 政府見解》asahi.com/2010年2月25日12時9分)

 記事は鳩山内閣が昨年12月に天皇と中国の習近平国家副主席との会見を特例で実現させたことを自民党等野党が天皇の政治利用と批判、自民党が1月の衆院予算委員会で天皇の公的行為のルールについて政府見解を出すよう要求したことに対して2月25日にまで纏めた政府見解が「統一ルール」をつくらないとするものだという内容である。

 〈「それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは現実的ではない」と位置づけた。〉としている。

 「asahi.com」記事と同じ2月25日付の「時事ドットコム」記事が政府見解全文を紹介している。
 
 《「天皇の公的行為」政府見解全文》時事ドットコム/2010/02/25-12:48)

 天皇陛下の公的行為に関する政府見解の全文は次の通り。

 1、いわゆる天皇の公的行為とは、憲法に定める国事行為以外の行為で、天皇が象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるものをいう。天皇の公的行為については、憲法上明文の根拠はないが、象徴たる地位にある天皇の行為として当然認められるところである。

 2、天皇の公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要ではないが、憲法第4条は、天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定しており、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている。

 3、天皇の公的行為には、外国賓客の接遇のほか、外国ご訪問、国会開会式にご臨席になりお言葉を述べること、新年一般参賀へのお出まし、全国植樹祭や国民体育大会へのご臨席など、さまざまなものがあり、それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは、現実的ではない。

 4、従って、天皇の公的行為については、各行事等の趣旨・内容のほか、天皇陛下がご臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべきものと考える。

 5、いずれにせよ、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っており、今後とも適切に対応してまいりたい。

 以上を箇条書きに纏めてみる。

1.天皇の公的行為とは、憲法に定める国事行為以外の行為を言う。

2.公的行為とは〈天皇が象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるものをいう。〉

3.天皇の公的行為については、憲法上明文の根拠はない。

4.天皇の公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要としない。

5.但し、憲法第4条は天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定しており、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている。

6.天皇の公的行為にはそれぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要上、統一的なルールを設けることは、現実的ではない。

7.天皇の公的行為については、各行事等の趣旨・内容のほか、天皇陛下がご臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべきものとする。

7.内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている。――

 4.の、〈憲法第4条は天皇は「国政に関する権能を有しない」と規定しており、内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている。〉としていることがどうしても理解できない。

 〈天皇は「国政に関する権能を有しない」〉という規定と、〈内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている〉とすることとどう関係があるのだろうか。

 公的な行為が憲法が定めた〈天皇が象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるもの〉だから、内閣の関与が必要というわけなのだろうか。だとしても、〈天皇の公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要としない。〉としていることとの整合性はどうつけることができるのだろうか。

 もし「内閣は、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を負っている」とするなら、日本国憲法「第1章 天皇」、「第3条 天皇の国事行為に対する責任」の項目で、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」としている規定と同じく、「天皇の公的行為」に対する責任主体が内閣ということになって、あるいは内閣に責任が帰属することとなって、国事行為が「内閣の助言と承認」に従うのに対して、公的行為は内閣の「配慮」に従う構図を取ることになる。

 言い換えるなら、天皇の公的行為と言えども、内閣の差配下にあることになる。と同時にこのことは昨年12月の天皇の政治利用と批判を受けた天皇と中国の習近平国家副主席との会見の追認に当たらないだろうか。内閣の「配慮」を受けた会見だったのだから、何ら政治利用には当たらないという主張も成り立つことになる。

 一般的には行為者が責任を負う。自らの判断に従い、その判断に則って自らが行った行為に対して自らが責任を負う、個人が個人であるための自律性を担っている。だが、行為者以外の者が“責任を負う”とは、自らの判断に従って行為を起こさずに“責任を負う”者の判断に従って行為を起こすことを言う。いわば責任の帰属者(責任主体)に従うことを意味する。鳩山内閣は〈天皇が象徴としての地位に基づいて、公的な立場で行われるもの〉だからという理由で天皇の公的行為にこの構図を当てはめようしている。

 「統一的なルールを設けることは、現実的ではない」と言いながら、天皇の公的行為にまで内閣に従わせ、コントロールしようとする“ルール”をここで設けていることになる。内閣が常に良識を働かせるとは限らないにも関わらずである。

 このことは天皇と中国の習近平国家副主席との会見で既に見ていることであり、いつか来た道を辿らない保証はどこにもない。

 内閣の公的行為コントロール意志は次の項目によっても証明できる。

 内閣が天皇の公的行為に“責任を負う”としている以上、〈天皇の公的行為については、各行事等の趣旨・内容のほか、天皇陛下がご臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべきものと考える。〉としている「さまざまな事情を勘案し、判断」する主体は当然内閣となって、ここでも「勘案し、判断」することを通して天皇の公的行為をコントロールする“ルール”の規定となっている。

 しかも「天皇の公的行為は、国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要ではない」としながら、内閣の「配慮」「勘案」「判断」「必要」とし、それらを以って天皇の公的行為を律する(コントロールする)意志を覗かせている。

 いわば、「内閣の助言と承認」から、内閣の「配慮」「勘案」「判断」へと格下げはしているが、内閣の意志の天皇に向けたその意志の捕捉であることに変わりはない。

 また天皇の公的行為に対して責任主体を内閣とする理由として、公的行為が「憲法の趣旨に沿って行われる」ためだとしているが、誰のどのような行為であっても、「憲法の趣旨に沿」うのは基本的には本人自身の判断であって、警察や裁判所や政府(=内閣)の判断ではない。解釈の違いから裁判所に判断を仰ぐということはあるが、それでも責任主体は自己自身であり、行為も自己自身のものとしていなければならない。

 警察や裁判所や政府(=内閣)の判断に従った「憲法の趣旨に沿う」行為だとしたら、自身の判断を持たない、他の判断を待って「憲法の趣旨に沿う」行為となり、当然自らの責任を失い、責任主体を他者に預けて他者の意に従うことになる。

 いわばここでは内閣に預けることとなって、同じく内閣にコントロールされることを意味することになる。

 「天皇の公的行為とは、憲法に定める国事行為以外の行為」を言い、それが「国事行為ではないため、憲法にいう内閣の助言と承認は必要としない」以上、内閣の要請を受けた公的行為であっても、内閣の助言と承認を必要事項とする国事行為ではないのだから、その是非・受容は天皇が宮内庁と相談して判断すべき本人の判断行為、あるいは責任行為とすべきではないだろうか。

 何よりも日本国憲法が定めた象徴天皇はどうあるべきか、天皇自身が認識しているだろうから、その判断に従わせることが象徴としての責任を果たさせることになるのではないだろうか。何よりも自身が象徴天皇としての責任主体足り得ることになる。

 内閣は「責任を負っている」とする口実のもと、天皇から象徴天皇であることの責任主体を取り上げ、天皇をコントロールする意志を隠さない政府見解となっている。

 このような内閣の衝動は天皇自身を蔑ろにする策謀ではないだろか。

 天皇の位置づけは政治利用を極力排するためにも、もっと自由であるべきだと思う。

 ルールを明確化しなかったことで政治利用の余地が残るとの指摘に対して平野博文官房長官は次のように答えている。

 「政治利用はできないし、あり得ない。天皇は国政に関しての権能を有しない(からだ)」(北海道新聞

 相変わらずバカなことを言っている。 直接的に国政に関与しなくても、間接的に国政に関与させてきた政治利用の歴史は誰も抹消できない。アジアの国々を訪問するたびに外交的に訪問国の機嫌を取るために戦争謝罪の文章を内閣と宮内庁の「助言と承認」という関与のもと作成し、天皇に読ませてきたことがそのことを証明している。

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