学力格差は経済格差よりも人間関係格差が原因ではないかとするコメントに対する回答

2010-03-08 09:01:30 | Weblog

  夏の参院選挙共同通信世論調査

 「民主党が参院でも単独過半数を占めた方がいい」――28・3%
          「過半数を占めない方がよい」――58・6%

 比例代表の投票先
  民主党――26・9%(-6・7ポイント)
  自民党――26・3%(+2・9ポイント)

 参院選挙が世論調査どおりの結果なら、「政治とカネ」を含めて“旧体制”に戻ることになるだろう。

 2009年12月4日の当ブログ《学力格差は経済格差が原因ではなく、人間関係格差だとする主張は事実なのか》について「Oku」氏から3月8日に2つのコメントを頂いた。 

 私が書くことが常に正しい、あるいは全面的に正しいわけでは決してなく、ごく当たり前のことだが、また学校で学んだ知識ではなく、様々な職業を転々として積み重ねた経験から得た、知識と言うよりも情報を組み立てて思ったこと、感じたことを書いた記事に過ぎず、もとより学問的に系統だった内容を備えているわけではない。ときには起承転結の約束事からはみ出して、文章の体裁をなしていない場合もあるように思えることもある。このことを踏まえて、以下のコメントに頼りない回答を寄せたいと思う。

 連続投稿の無礼、申し訳ありません…。  2010-03-08 03:31:51  Oku

 本HP主様の本文いついてですが、「かもしれない」「であるとするならば」といったものが多いように感じました。私は大阪に長くおりますが、ホームレス状態の方々の食いつなぎなどのご考察につきましても、ちょっと実際の「子供の学力や学びの環境への影響」としてはいまひとつな主張に感じます…。

 (数値での机上の考察にあまりウェイトが大きくなりすぎないように…という志水先生の長期的な現場観察研究の報告などが公表されればいいのですが、数値ではないのでなかなか見えてこないのが残念です…。きっとまとめなおして改めて著書などになさるのではないかと思うのですが…。今回の記事はほとんど、数少ない過去のデータの一部を掘り起こされただけで、実地のお話がほとんど無いので…。今回の公表はまだまだ、は本HP主様のご視点のような問題点がたくさん考えうる程度の研磨度の発表のように感じます)

 確かに、「経済面の影響が否定されない」という点は正しいと思いますが、離婚のお話など、本文を逆にたどるとやはり経済面の格差を生みだす要因が「つながり」にあるように見えますし、あるいは隣りあわせで相関的に動くモノとして見えます。志水先生のグループの公表も、論理よりもデータを主に出しており、「コレまでの想像以上に、つながりの影響は大きいようです」といった姿勢のものであって、経済面の影響を否定する立場ではないように感じます。

 また、本文締めくくりで、世論が民主党の政策を選んだから…。という部分がありますが、「これまでの認識とはちょっと違った原因がありかもしれません」という提案に対して「これまでの認識で動いた世論」のことを挙げてもいまひとつな説得力ですし、多数派は正しい…という、少し誤った民主性の扱い方のように見えました…。(民主党案以外に、同件について別の選択肢が大して掲げられていなかった点を考慮すると、なお世論の真理性は薄いように思います)

 教育がそもそも自然科学ではないので、数値というものにもあまり精密に現れるものではないのかと思います。今回のように新たな理論で過去の理論が塗りつぶされるというような理科的なものでなくて、様々な積み重ねをして「傾向」を見定められればよいのだ、という立場で今回も受け止めるのがより賢明なように思います。

(データ収集時の細かな経済状況などはともあれ、カネがたくさんあることよりもあたたかい環境やつながりの元で子供が育つことのほうが、勤勉で平和な考え方の人を作るのに理想的であろうことは、冷静に全体を眺めると明らかなように思います・・・)


 「上の方のコメントなどについて」 2010-03-08 03:30:53  Oku

 新聞記事などの公表には直接現れないですが、他の場面で志水先生のご講演記録などを拝見させていただいた経緯がありますので、そのことなどを踏まえて少し書かせていただきたいと思います。

 家族構成や親の帰宅時間、親子の接触時間などを調べるべきだとのコメントがありますが、志水先生は実際に秋田県と沖縄県の学校に長期間とどまって研究をされています。

(余計かもしれませんが・・・ 志水先生は、他の多くの数学的考察研究者と一味違って、実際に現地に赴かれて研究をなさるという点や人柄などで評価の高い方です…。)

 秋田県の中でも学力調査でTOPをマークした街の様子は、三世代同居率(家屋は別でも敷地が同じ場合を特別に含めた場合だそうです)が9割に達するような状況であります。加えて、学習塾は周囲には無いそうです。

 やはり、両親が共働きでも、家に帰ればおじいちゃんやおばあちゃんがご飯を作って待ってくれている…という暖かい家庭環境が、多いどころか「基本」となっている点を強調しておられます。

 また、大阪はテレビ番組も充実していて夜遅くまで子供と一緒になって夜更かしする家庭も少なくありません。隣近所とのつながりも薄いです。(人が多すぎるなどあるかと思います…)

 あるアンケートでは、「親の最終学歴と子供の成績」についての相関を調べた結果、(数値化ではなくて評価的なものですが)、収入や学歴よりもむしろ「おうちのひとは普段ニュースをよくみていますか?」などの項目との相関が強く示されたようです。

 やはり、経済的なもの同様かそれ以上に家庭や地域のようすが子供の学びに影響するようです。

 志水先生は沖縄にも行かれたようです。(ちょっとした配慮からなのか)あまり深くは述べておられませんでしたが、沖縄の地域の方々は「子供には、学力よりも、地域の中で信頼されて生きていく力・近所づきあいの力のほうが身につけて欲しい」というお考えの方が多いようです。学校現場においても、学力調査の結果などについて教師の方々から聞いたお話では、「う~ん、まぁお勉強はいいんですよ^^。なんといってもお友達と仲良くやって、地域で生き生きと暮らしてもらえれば」というご意見が多く出てくるそうです。

 秋田のように地域性が残る場所ではありますが、県民性といいますか、志水先生のお言葉をお借りしますと「構造が同じでも中を流れる物質が違う感じですね」とおっしゃられていました。

 最初のコメントは、子どもの学校の成績は親の収入よりも人間関係(=つながり)により大きな影響を受ける。「カネがたくさんあることよりもあたたかい環境やつながりの元で子供が育つことのほうが、勤勉で平和な考え方の人を作るのに理想的であろうことは、冷静に全体を眺めると明らかなように思います・・・」と主張している。

 だが、「あたたかい環境やつながり」は収入が保証する側面を否応もなしに抱えている。すべてのケースについて言えるわけではないが、往々にしてカネなくして成り立たない要求物であろう。

 貧乏は人間をギスギスさせる要因ともなり、当然人間関係もギスギスさせる。カネのあるのとないのとで、精神的な余裕の度合いに違いが生じる。貧乏が夫婦関係を壊すこともある。

 特異な例ではあるが、50歳の義母に収入が少ないとなじられた22歳の男が義母と24歳の妻と6ヶ月の長男を殺害した事件が起きたばかりである。例え特異な例であっても、このケースはカネの有無が人間関係を決定する主要因となっていた。

 勿論、貧乏であっても、家庭円満で、子どもたちも健やかに育つ家庭は多く存在するだろう。だが、貧乏なりに生活が成り立つ収入の保証があって初めて可能となる家庭環境ではないだろうか。

 その収入さえ失った場合、子どもたちが健やかに育つ家庭環境を維持できるだけの人間が果たしてどれくらいいるだろうか。

 オランダのフィリップ社製太陽電池搭載のLED読書灯(値段が5~6千円)を利用者に先ず最初に渡して、買主が製品価格に到達するまで貯金箱に余裕の出たカネを入れて、それを月々回収してペイしていく方式で外国人NPOがアフリカの貧困社会で普及に務めている様子をテレビでやっていたが、いわば払える金額だけ払っていく月賦方式だから手に入れやすく、今までローソクで明かりを取っていた場合は不可能だった、親が台所仕事をしていても、傍らで子どもが勉強できる明るさを確保できるようになったと親の喜びの声を伝えていた。これも安価で手に入れやすい利器の出現に影響を受けているものの、本質的には収入(=カネ)の問題であろう。

 またモンゴル政府派遣の若者が日本に太陽光関係の研修に来ていて、ゲルを住居にしている遊牧民が夜明かりがなく子供が勉強できない、電気を通すにしても、遊牧民だから、季節に応じて移動するために電気も通せない、そこでフィリップス社製かどうか分からないが、同形式の太陽電池搭載のLED読書灯が移動式住居のゲルでも利用できると、その案を持ち帰って政府に報告するといったようなことをテレビで言っていたが、フィリップス社等がその利器を開発するにしても、生産ラインも含めて相当額の資本を投資しなければならない、アイデアと同時にカネの問題でもある。
 
 次のコメントでは、秋田県の学力テストの成績のよさの原因を三世代同居率が9割に達する人とのつながりと、〈あるアンケートでは、「親の最終学歴と子供の成績」についての相関を調べた結果、(数値化ではなくて評価的なものですが)、収入や学歴よりもむしろ「おうちのひとは普段ニュースをよくみていますか?」などの項目との相関が強く示されたようです。〉としている。

 まず、「経済的なもの同様かそれ以上に家庭や地域のようすが子供の学びに影響するようです」と言っている“人とのつながり”であるが、私はここに“権威主義”をキーワードに人間関係を解釈してみたい。

 〈両親が共働きでも、家に帰ればおじいちゃんやおばあちゃんがご飯を作って待ってくれている…という暖かい家庭環境が、多いどころか「基本」となっている点を強調しておられます。〉と肯定的に把えているが、しかし日本の社会の場合、〈秋田のように地域性が残る場所〉の場合、より権威主義性が色濃く残っているものではないだろうか。

 子どもが目上の人間の指示・命令により忠実に従う関係が都市よりも地方の方が、あくまでも一般的にだが、強く作用してるのではないかということである。

 この権威主義性を沖縄と言う日本に於ける地方に当てはめて親子等の目上の者と目下の者の人間関係を考えてみる。

 〈沖縄の地域の方々は「子供には、学力よりも、地域の中で信頼されて生きていく力・近所づきあいの力のほうが身につけて欲しい」というお考えの方が多いようです。学校現場においても、学力調査の結果などについて教師の方々から聞いたお話では、「う~ん、まぁお勉強はいいんですよ^^。なんといってもお友達と仲良くやって、地域で生き生きと暮らしてもらえれば」というご意見が多く出てくるそうです。〉と学力よりも“人とのつながり”をより重視する風潮、あるいは生活環境が沖縄にあるということをいい、志水先生は「構造が同じでも中を流れる物質が違う感じですね」と言っているということだが、学力が「つながりの影響は大きいようです」と“人とのつながり”との間に相関関係があるとするなら、「なんといってもお友達と仲良くやって、地域で生き生きと暮らして」いる沖縄に於いても、そのことが学力に影響して、成績が上がってよさそうだが、沖縄ではそうなっていないのはどうしてなのだろうか。

 同じ地域性が残っていても、秋田県は目上の人間の言うことが一種の圧力となって目下の行動を支配する権威主義性が強く、逆に沖縄は開放的で、そういった権威主義性が弱いことからの、似たような“人とのつながり”を構造としていても、教育という一種の上からの支配から自由のところにいるということが学力テストの結果に現れているのではないだろうか。

 それが志水先生が言う、“人とのつながり”という「構造が同じでも、中を流れる物質」の違いということではないだろうか。

だとすると、沖縄県民の「う~ん、まぁお勉強はいいんですよ^^。なんといってもお友達と仲良くやって、地域で生き生きと暮らしてもらえれば」はテストの成績が悪いという結果を埋め合わせる体裁に聞こえないこともない。

 子どもの頃は「地域で生き生きと暮らして」いくことができても、失業率は日本一高く、成人になると、いわゆる本土に出て行く若者が多いという状況を沖縄は抱えている。

 これも暮らしの問題――カネの問題であろう。

権威主義性の強弱の度合いに関しては《平成20年度全国学力・学習状況調査 小学校調査実施概況(全国-都道府県(公立))》からも窺うことができる。

 秋田県は小学校1位、中学校2位で、福井県は逆に小学校2位、中学校1位だそうだが、合わせて成績と正答率を挙げてみる。

 小学校  平均正答数(平均正答率 %)

     国語A       国語B     算数A      算数B

秋田県 13.4 (74.4%)  7.6 (62.9%)  15.3 (80.7%)  7.7 (58.9%)  
福井県 12.7 (70.5%)  6.9 (57.5%)  14.9 (78.3%)  7.3 ( 56.5%)

 中学校  平均正答数(平均正答率 %) 

     国語A       国語B     算数A      算数B

秋田県 26.7 (78.6%)  6.7 (66.8%)  25.3 (70.1%)  8.2 (54.7%)

福井県 26.6 (78.4%)  6.7 (67.3%)  26.0 (72.1%)  8.8 (58.5%) 

 両県の小・中学校とも、国語も数学も応用力、考える力を問う「B」の方が成績が悪い。これは全国的な傾向でもあるが、「A」は暗記学力でも解決可能な成績で、「B」は自分自身で考え、それを発展させる能力を必要とするから、暗記知識のみでは解決しない。暗記知識に考えると言うプロセスを介在させることによってよりよく応用可能となる。

 いわば全国的な傾向だとしても、秋田県の場合存在し、学力に力となっているとしている三世代同居率が9割に達するいう“人とのつながり”が「A」問題でも「B」問題でも共通に役立って然るべきだが、暗記知識でも回答可能な「A」問題に関しては確かに役に立っていると見ることはできるが、「B」問題には少なくとも同じようには役には立っていない。

 応用力、考える力は権威主義を排したところによりよく成り立つ。他人の知識・情報をなぞるだけ、従うだけの権威主義的な受容では他者の知識・情報をそのまま自分の知識・情報とする構造の暗記には役立つが、他から与えられた知識・情報を自らの情報につくり替えて、いわば発展させて、それを自身独自の知識・情報として発信するには偏に権威主義性に則った暗記能力ではなく、それを排した応用力にかかっているからだ。

 また、〈収入や学歴よりもむしろ「おうちのひとは普段ニュースをよくみていますか?」〉が「親の最終学歴と子供の成績」との間に相関関係が見られたと言うことだが、例え「普段ニュースをよくみてい」たとしても、単にニュースの内容を暗記知識同様になぞるだけなら、知識の応用に役立たず、当然、「A」問題に役立っても、応用力を問う「B」問題に対して役立つことはないだろう。応用力とは自分なりの解釈力を言うからなのは断るまでもない。

 ニュースの内容をなぞるだけの知識・情報の獲得は権威主義性を構造とした知識・情報の授受となっているからに他ならない。

 「A」問題よりも応用力、考える力を問う「B」問題の方の成績が悪いのは全国的な傾向としてあるのは、日本の教育が権威主義性を構造とした暗記教育で成り立っているからであろう。

 だとしても、やはり“人とのつながり”を保証するのも一定の収入――カネの保証があっての保証であって、決して無視はできない基本の要素だと私は信じている。
 

コメント
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