麻生前政権が来年3月までの時限措置として導入した省エネ家電を購入した場合の購入額の5%を1ポイント1円換算で「エコポイント」として国費で消費者に還元する「エコポイント制」と新車登録から13年以上経過した中古車から環境性能が高い車に買い替える場合1台当たり25万円、軽自動車は12万5000円を補助する「エコカー補助」制度を民主党政権となって来年度も継続するかどうかで閣内不一致を来たしている。
(《エコポイントなど 計上見送り》(NHK/09年10月13日 12時41分) が次のように伝えている。
直嶋経済産業大臣は〈「制度を続けるかどうかは、経済の状況しだいだと考えている。今はまだ判断できる状況にはない」と述べ、15日が提出期限の来年度予算案の概算要求の見直し段階では「エコポイント」事業などに関連する予算を計上しない方針を正式に明らかに〉した。
対して小沢環境大臣は15日再提出の来年度予算案の概算要求に関連予算を盛り込む意思を示している。
「環境省としては他省庁がやらなくても環境的に重要だと思っているのでやりたい。経済産業省の場合は景気対策という観点の方が意味合いが強いのかもしれない」(《エコポイント制度 予算要求へ》(NHK/09年10月13日 14時53分)
但し概算要求とは別枠で検討していく可能性も示唆したという。
「12月の予算編成に向けて、概算要求の枠を超えるようなテーマ別予算というような話も今後起こってくる可能性があり、そういうところにエコポイントもまとめあげられていく可能性も十分あると思っています」(同上記NHK記事)
小沢大臣は「環境的に重要だと思っているのでやりたい」と言っている。直島経済産業相が「エコ」を景気対策と把えているのに対して環境省の環境大臣として〈環境政策の一環として来年度以降〉(同NHK)も継続する意向を示したわけである。
ここのところは15日の「TBS」記事――《環境相、「エコポイント」別枠で予算要求》によると、〈小沢環境大臣は、温室効果ガス25%削減の中期目標を実現するために、概算要求とは別に数千億円ほどの予算を要求することにして、この中にエコポイントを盛り込む考え〉となっている。
省エネ家電購入向けの「エコポイント制」にしても環境対応車買い替え購入向けの「エコカー補助」にしても、環境対策に少なからず貢献したかもしれないが、それ以上に景気対策として貢献したはずである。家電産業にしてもや自動車産業にしても景気対策によりウエイトを置いて継続を希望している。環境対策はより名目的となっていると言える。時代の流れから言って、“環境”という付加価値を必要事項としなければならなかったに過ぎないだろう。
これらのことは“環境”に貢献した購入者が同時に景気に貢献できる生活に余裕のある層に限られていたことからも理解できる。逆説するなら、景気に貢献することによって、“環境”に貢献することができた、景気に貢献できなければ、“環境”に貢献できなかったということであり、景気貢献を優先条件としている。
省エネ家電の場合、1ポイント1円換算の商品券としてエアコンは6,000-9,000ポイント、冷蔵庫3,000-1万ポイント、地上デジタル放送対応テレビは7,000-3万6,000ポイント付くそうで、獲得ポイントが別の商品で戻ってくるために顧客の多くはワンランク上の家電を購入する傾向にあったというから、生活に余裕がなく、ギリギリの生活を強いられている層にしたら購入レースに参加できない“環境”への貢献であった。
環境対応車の購入にしても、いくら普通車の場合25万円を国費で補助を受けたとしても、普通車なら100万円以上もする。自己負担が75万円以上、月々のローンが利子をつけて2万円以上の負担を生活にかけることになるとすると、やはり生活に余裕のない層にはレース参加が不可能な“環境”への貢献であったはずだ。
生活に余裕のある層のそのような“環境”への貢献が結果として家電業界や自動車産業の売り上げに貢献し、少なからずそれらの業界の景気対策となったいうわけである。
言葉を替えて言うと、「エコポイント制」にしても「エコカー補助」にしても、その舞台の登場人物は生活に余裕のある層に限られていた、余裕のない層は環境の点でも景気の点でも脇役にもなれなかった。
「非正規労働者比率(パート・アルバイト・派遣・契約等の比率)の推移(男女年齢別)」によると、2009年の正規社員3千362万人に対して非正規社員が1千677万人。2人に1人が非正規で、その半数以上がワーキングプアと言われる年収200万以下だという。
また21年8月の完全失業者数は361万人。前年同月に比べ89万人の増加。10か月連続の増加。このような仕事がない状況からしても、「エコポイント制」にしても「エコカー補助」にしても生活に余裕のある層に利用が限られた、言ってみれば低所得層から比較した場合、金持優遇の景気政策となっていることを物語っている。
政府が「エコポイント制」や「エコカー補助」を打ち出す前から生活に余裕ある層は電気代を少しでも安く上げるために省エネ家電の購入に向かい、あるいは最初は高い買い物に付くことになっても燃費が安くつくことからハイブリッド車の購入に向かっていたが、そのような状況は生活に余裕のある層が二次的にも生活に余裕をつくる利益行為――彼ら自身のための景気政策、個人的な景気対策でもあったことを物語っている。
一方収入に関係なく、国民の環境意識、地球温暖化防止意識、省エネ意識は「京都議定書」以来意識的な関心を払うようになり、鳩山首相が日本は2020年までに温室効果ガスを25%削減するとする中期目標を掲げて国連で演説したこともあって、ここに来て急速に高まっていたはずである。
だが、以上見てきたように国民一人ひとりの温室効果ガス削減に向けた具体的な貢献は収入によって制約を受けることになっている。生活に余裕がないために、13年以上も経過している車を我慢して乗っている生活者も相当数いるに違いない。新築の屋根は勿論、現在住んでいる家の屋根に太陽光発電装置を取り付けるにしても、いくら政府の補助があっても、生活に余裕がなければできない相談であろう。
こういった経済的な事情が環境対策に向けた貢献への決定権を握っている状況を裏を返して説明すると、収入に制約を受けはするが、収入が増えて生活に余裕が生まれさえすれば、誰もがエコに向かうということであろう。いわば環境対策、省エネ、温室効果ガス防止は国民の意識の点から言っても、既に時代の流れとなっていることを示している。
となると、生活に余裕のある限られた層に国がカネをかけて環境対策に貢献する以上に国の景気の点でも個人的な景気の点でも恩恵を与える「エコポイント制」や「エコカー補助」といった政策よりも、より多くの国民に収入を増やし、生活の余裕を与える機会を提供する政策こそが必要であり、そのことを実現させて景気回復に資すると同時により多くの国民を参加させる形で環境対策、省エネ、温室効果ガス防止を誘導すべきではないだろうか。
ではどのような政策で国民の収入を増やし、生活に余裕を与えるかと言うと、鳩山政府が「子ども手当て」や「高校授業無料化」を内需拡大策の柱と掲げている以上、内需拡大は全般的な国民生活余裕を条件として実現するのだから、その方面の政策にこそ予算を確実に回すことを優先順位としなければならないはずである。 |
10月9日の「asahi.com」記事――《建設労働者の転職を支援 政府の緊急雇用対策》が〈鳩山内閣が雇用情勢悪化を受けて策定する雇用対策の概要が8日、明らかになった。〉として、その題名通りの内容を伝えていた。
〈週明けに「緊急雇用対策本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)を設置し、「緊急雇用創造プログラム」(仮称)として、10月下旬の臨時国会開会までに最終決定する方針だ。〉という。
財源は麻生内閣の今年度補正予算に計上された「緊急人材育成・就職支援基金」(7千億円)や予備費などを活用。同基金は補正予算の執行見直しでも約3500億円を対象外として残していて、財源として一部を活用するとのこと。
柱となる3つの政策は次の通り。
(1)介護労働の雇用者数拡充
介護施設で働くための職業訓練の支援策の充実及び研修生の生活支援も検討。
(2)公共事業削減に伴う建設・土木労働者の農林業などへの転職支援
「八ツ場(やんば)ダム」の建設中止に加え、1兆円超の公共事業費の削減を打ち出してい
るため、地方を中心に建設労働者などの失業が急増する可能性に備えて農林業などへの転職
支援の仕組みを新たに設ける方向。
(3)生活保護の受給促進などの「貧困層」対策
派遣契約を打ち切られ、仕事や住まいを失った派遣労働者らが続出した昨年末の状況を踏ま
えて「貧困層」対策として、職業紹介や生活保護受給、住居確保などで利用しやすい制度の
整備。
さらに就職できない来春の高校、大学新卒者への対応も検討課題とし、年末や年度末に向けて雇用情勢がさらに悪化した場合の緊急対応をも想定。
記事は最後に鳩山政府がこのような政策を打ち出した背景を伝えている。
〈8月の完全失業率は5.5%で過去最悪の水準。年末から年明けにかけて経済情勢が悪化し、失業率が「6%」に達する懸念もあり、雇用対策で後手に回れば、政権運営に痛手となりかねない。「緊急雇用対策本部」の本部長代行には菅直人副総理が就き、各省大臣が副本部長として参加。雇用対策を早期にまとめることで、鳩山内閣として雇用問題を最優先課題としていることを示す狙いがある。 〉云々――。
上記記事から2日目の11日日曜日、朝日テレビの『サンデープロジェクト』に招かれた天下の民主党副総理菅直人が記事通りの内容を最後のコーナーで披露していた。
『失業率5・5% どうする雇用対策?』
完全失業率 8月 5.5%
求人倍率 8月 0.42倍
のフリップを出して、司会者の田原総一郎のどうするのかの質問に答えている。
菅直人副総理「今週中に総理をトップに雇用対策本部を立ち上げる。多分自分が本部長の代行に就き、事務局長は厚生労働副大臣の細川律夫さんがなることで具体的に動いている。雇用と景気は裏表(うらおもて)で、現在の大きなテーマは二つ考えている。
今有効求人倍率の高い分野は介護の関係。今7千億円の人材育成の補正予算が組まれている。ほかにもあるが、これなどをうまく活用して、例えば半年とか1年とか、そういう研修を受けたり、あるいは実習を受けた人が、介護の色んな施設で、そのまま正職員として働いてもらえるようなプログラムを今準備を始めている。
田原「介護は正社員でない職員やパートが多くて、待遇がはっきり言って、悪い」
菅直人「我が党は月収にして4万円を引き上げるということを公約にしている」
田原「今、平均どのくらいですか?」
菅直人「正確にはよく分かりません。(上目遣いになって考える様子)よく言われるのは13万とか15万ですね。
麻生内閣でも、地方もそういう(人材育成の)基金がかなり積んである。そういう介護の分野を中心にちゃんと仕事につながってくる、そういうプログラムを今準備を始めている」
田原「仕事につながるということは、やれば食える、生活できるいうね」
菅直人「つまり、研修だけ受けて、いまITとか何とかの研修が多いが、いくらエクセルができるようになったといったって、就職先がなければ、意味がない。就職先がある分野としては介護の分野が一つ大きい。
もう一つ、公共事業がこれまでのように増えることはないわけで、そういうものに携わっていた人たちの転職をしたときの新しい仕事を考えなければいけない。
最大の問題は農業・林業。漁業も若干あるが、そういう転職と農業や林業への就労の支援をプログラムでやっています。レストランをつくる。そのレストランに供給する農業をつくる。そこにまた研修の人を入れて、大変だけど、レストランが7、8軒あって、そこに供給する。
おっしゃるとおり、農地法の問題が色々な参入規制があるので、大変なことは分かっている。しかし可能性としては農業があるのに加えて、林業も実はある。民主党は林業再生プランというものを出して、直接雇用が10万、切った木を使った雇用まで含めると、一応100万というものを2年前に出している。
今の林業は切捨て間伐。つまりカネをドンと出して、そしてチェーンソーを担いで日雇いの人が山に入って、切った木は出せない。なぜかと言うと、ロウノウ(?――農道のことか)がない。ロウノウ(農道?)もつくらないで、伐って、腐らせている。
私は2年前に農水の副大臣をやっている山川さんや篠原孝さんと一緒にドイツのクロイモン(?)へ行ってきました。全国も大分見ました。例えば、日吉林業組合というのこの前NHKがやっていたが、こういういい例はいくらでもある。林業に対して土木関係から研修をしっかりして、林業の中に移るのは比較的似た業態だから、その二つの介護と農業・林業、それに加えて色々あるが、そういう形で、ある意味では景気刺激にもなるような雇用の創出です」
田原「菅さん、詳しいんですねえ」(例のヨイショ。そして菅直人は簡単に田原のヨイショに乗る。)
菅直人「林業に関しては多分、国会議員の中で10人ぐらいの1人になっていますから」
田原「今、クビになっている、職業がないの361万人いる。その失業している人、解雇された人、これに対してはどうするの?」
菅直人「今雇用調整金という形で解雇しないでくれという枠組みはしっかりと維持していかなければならない」
田原「既に解雇された人たちは?」
菅直人「私たちが言ったトランポリン法というのが、1回解雇された人を受け止めて、研修をしてもらって、新たな職業に就くという、これが実は私たちの法は去年だったから、否決されたが、7千億円の補正予算がついている。そういう人たちを3年間で30万人を訓練するというプログラムに7千億円がついているが、現場は殆んど動いていない。しかも動いているのは、例えばITなどの講習をやっているが、極端に言うと、ITの講習を受けた。そういうものは多少技能が増えたからからと言って、勤め先まで面倒見てくれる講習機関はない。その7千億円を今の厚生労働省の従来の遣り方では、殆んど回らないから、そこに現場の分かる人に入ってもらった新しいプログラムをつくり直している」
(ほんの少し中略)
菅直人「ハローワークが一般の国民には一番アプローチしやすいが、ハローワークは職業斡旋をしてくれるが、住居の斡旋とか生活保護の斡旋とかしてくれない。去年の派遣村が非常に意味があったのは、結果的にワンストップサービスになった。あそこに行けば、例えば千代田区や中央区の職員も来てくれる。あるいは東京都の職員も来てくれる。弁護士さんが一生懸命やってくれる。そういう形でハローワークと一緒に、それを今度は国の政策としてやるために準備を始めている」
田原「これからもよろしくお願いします」 |
介護分野への雇用創出を政策していながら、介護職員の現在の月収程度が「正確にはよく分かりません」ではちょっと困ったことだが、菅直人が言っているとおりに一般的に言われている介護職員の月収が13万~15万程度なら、4万円引き上げたとしても、合計17万~19万円。焼け石に水ではないだろうか。特に男性介護士だが、昇給率が低い、結婚を考えると、将来を描くことができないといった理由で辞めていく退職率の高さでも有名な介護職である。
麻生内閣は引き下げてきた介護報酬を今年4月から一転して3%引き上げ、介護職員の収入を月2万円程度アップさせるべく待遇改善を図ったが、介護施設の維持費に吸収されて待遇改善には向かわない可能性が指摘され、介護福祉士など有資格者を対象に税金で給与に直接補助する3年期間限定の予算規模6000億円の追加待遇改善策を2009年補正予算に盛り込む案を出していた。
支給対象が介護福祉士といった有資格者に限定したのは転職者が多く、手当だけ有難く頂いて離職するケースを想定したからだそうだが、有資格者の中にもそういったケースが推測されること自体が抜本策とはならない証明であろう。
さらに言うと、どのくらいの天下りがいるのか財団法人「介護労働安定センター」が調査した「平成20年度労働者の就業実態と就業意識調査」によると、入所、通所も含めた施設系と訪問系を合わせた正社員と非正社員の割合は正社員11371人に対して非正社員6458人と1500人程非正社員が上回る。
非正社員にしても必要戦力だから雇っているのであって(遊ばせるために非正社員を雇っている介護施設があるなら、お目にかかりたい。)、正社員との違いは施設経営上、人件費抑制を担わせている点のみであろう。いわば正社員よりも給与の低い非正社員の雇用維持には役立たない3年間限定、正社員の中でも有資格者限定の税金を使った直接補助であるなら、非正社員の離職防止の効き目に疑問符がつく上に必要戦力を従来どおりに欠くことになる追加待遇改善策をひねり出したということになる。
そして労働負担が居残った職員に皺寄せし、転職者を増やしていくという従来どおりの悪循環を繰返す。
いずれにしても将来的に介護保険料の値上げや消費税増税を予定に入れた「介護労働の雇用者数拡充」といったところだったのだろうが、介護保険料の値上げにしても消費税増税にしても、そのことによって生活に困窮を来たす者が出てくる。
菅直人が「切捨て間伐」に言及しているが、伐り出しても木材単価が外国産より高くついて赤字となるために今まで多くの場所で放置されてきた間伐作業を適宜実施して荒れた山から整備された山へ化粧直しをして健康体とした森林に地球温暖化の原因となる二酸化炭素(CO2)を大いに吸収させる目的で自民党政府が「全国森林計画」(2009-23年度)を策定、国や地方自治体が補助金をつけて間伐を奨励したが、伐り出しても赤字となる状況は変わらないことと間伐面積が実績として評価されることから間伐のみを目的とすることとなった、あるいは政府の政策を消化することも目的化としていたに違いない、伐り倒してその場に放置する「切捨て間伐」が横行することになったという。
確かに地球温暖化防止のために補助金をつけて間伐を奨励したことによって「切捨て間伐」に従事する雇用を生んだとは言えるが、林業全体の問題に対する抜本的解決策とは決して言えない。菅直人が「伐って、腐らせている」と批判するのも無理はない。
だが、2年前に出したという「直接雇用が10万、切った木を使った雇用まで含めると、一応100万」という「林業再生プラン」なる政策を民主党が掲げていたとしても、国税庁の調査で2008年分の平均給与が429万6000円に対して農林水産・鉱業(310万円)、林業に限って言うと、1年365日働くわけではなく年間200日~300日の労働で、平均年収が200万~300万ということだから、菅直人がいくら「比較的似た業態」だからと言っても、土木関係からの林業への新規転職者の立場からしたら、林業の平均年収200万~300万の中で限りなく200万に近いところで我慢しなければならないのではないだろうか。
リーマンショックを受けた「100年に一度」の大不況でいとも簡単にクビを切られた非正規労働者が林業の募集に応じたが、提示された給与の低さに驚いて応募をやめる者が続出したといったニュースもある。中には「仕事がないよりはまし」と林業に従事した非正規労働者もかなりいるだろうが、景気が回復して製造現場で仕事が出てきたとき、いわば「仕事がない」という状況が解消されたとき、「カネは多いに越したことはない」の一般的な人情には打ち勝ち難く、早々に林業から元の非正規労働者に復職という現象が生じない保証はない。
そういった彼らが学習することがあるとしたら、再び不況に見舞われてクビを切られたときの用心に少しは貯蓄に励もうということだと思うが、貯蓄は逆にGDPの主要な項目である個人消費を抑えて民主党の内需拡大策に影響を与えることになりかねない。
但し公共事業の目減りは恒久的な状態で推移するだろうから、林業に転職した元土木従業員は帰る場所がなく林業にとどまざるを得ないかもしれないが、その生活を満足のいく形で維持するためには国の支援も維持しなければならない二人三脚を強いられる恐れが出てくる。民主党が雇用対策として掲げた「公共事業削減に伴う建設・土木労働者の農林業などへの転職支援」の恒久化である。
林業従事者の給与を上げるには国産材の単価を外国産材単価よりも安くして、材木に加工した段階での需要拡大を図る方法を出発点としなければならないはずだが、需要拡大はヒノキや杉の原木単価を下げなければならない逆比例の関係を強いることとなり、当然のこととして林業従事者の決定的な給与抑圧要因となって撥ね返ってくる。
菅直人は「切捨て間伐」で終わらせずに伐り出すと言っているが、外国産材と太刀打ちできる政策を示しているわけではない。伐り出してから建築材、その他の木材として需要機会を見い出せなければ、叩き売って兎に角カネに変える赤字増大の機会に変身しない保証はない。
補助金漬けにするのか、それとも外国産材に高い関税をかけて、国産材を比較低価格に持っていくのか。前者は財政の悪化要因の一つとなるし、後者は結果的に木材単価を高騰させることになって内需の重要な柱である住宅建設需要の抑圧要因となる。果して「ある意味では景気刺激にもなるような雇用の創出です」ということになるのだろうか。
菅直人は「日吉林業組合」を理想的な林業経営だとして挙げていた。それがどのようなものか知らないが、テレビが取り上げたと言うことは一般的な状況として普及していないという証明以外の何ものでもないと同時に一般的的状況として普及しない何かがあるとうことではないだろうか。
一般的的状況として普及する要素を抱えていたなら、テレビが紹介するまでもなく、その経営方法は林業の救世主として口コミで伝わっていたであろう。
林業――いわば間伐や下草狩り、伐採、原木引き出しに自衛隊を訓練の一環として投入する。訓練の一環だから、その経費は人件費も含めて防衛費から出すことになる。伐り出しには自衛隊のヘリコプターを使用。
林業側の経費はゼロだから、国産材の単価を外国産材よりも低く抑えることができる。
勿論、自衛隊の投入によって林業自体に雇用創出は生じない。だが、そのことによって柱等に製品加工した国産木材が外国産木材の単価よりも低く抑えることができたなら、関連産業に雇用創出を導く。
インドネシアやマレーシア、カナダ、その他の外国がラワン材や米松、米栂等の原木の輸出を禁止し、自国の雇用創出と原木に付加価値をつけるために製品化した加工材のみの輸出を許可する政策を採用したとき、外国産材を扱っていた日本の製材、あるいはベニヤ工場は次々と倒産していった。影響を受けなかったのは現地にベニヤ工場や製材工場を建てて現地の産業育成に貢献すると同時に原木から加工材に輸入を替えた日本の商社のみであった。
日本の林業が外国産材よりも単価の低い国産材として原木を伐り出し、住宅等の建築材として使用されるようになれば、今以上の数で製材工場が必要となり、そこに雇用が生まれる。運輸関係では、これまで外材を運搬していた分野と入れ替わることになるから、差引きの期待はそれ程ではないだろうが、外国産材より単価が低くなることによって住宅需要を刺激することは確実に望める。
住宅が現在以上に手頃な価格で手に入れることができるということになって住宅建設が今まで以上に加速された場合は運輸関係にも雇用が生まれ、住宅建設関連の産業にも雇用創出は十分に期待できる。
自衛隊員にとっては「自衛隊が国を守っているのだ、国民が平和に暮らせるのは俺たちのお陰だ」といった軍隊という狭い世界で陥りやすい危険な独善的エリート意識・特別意識を打ち砕き、社会的視野を広げる機会になるのではないだろうか。
戦争になれば軍隊が祖国の守りにつくが、平和時に於いても軍隊の存在自体が国の守りになるとの主張がある。
では、サダム・フセインのイラクはアラブ世界では相当な軍事力を誇示していたが、国の守りになっただろうか。上には上があった場合、軍隊の存在はさしたる力とはなり得ない。平和時に於ける国の守りは国家権力の国際協調姿勢の有無であり、強固な国づくりは国民の経済行為、あるいは文化行為がしっかりしているかどうかで決まる。国民の経済行為、文化行為が強固であることによって、戦争時に於いても軍隊の強固な後方支援足り得る。だからこそ、国民の経済行為にしても文化行為にしても自由な活動を保障する民主主義体制が必要条件となる。独裁体制は経済行為も文化行為も偏った抑圧状態に陥れ、北朝鮮のように軍隊だけが強力、国家は逆に弱体化するという危険な頭でっかちとなる。
田母神のような極端な独善性に囚われた存在の出現を阻止する機会としても役立てるべきである。
自衛隊がPKOで外国に出て、現地住民と触れ合うときも林業体験が生きてくるだろう。
問題点は一つ。林業現場での人件費を自衛隊予算で賄うことによって引き出された低価格の木材ということでダンピング(不当廉売)と把えられないかということ。ダンピングということなら、絵に描いた餅で終わる。 |
橋下大阪府知事が府庁内の全職員に向けて発信したメールがひと騒動を巻き起こして、マスコミに格好のネタを提供している。大阪府の「紀の川大堰」(和歌山市)事業からの撤退によって府負担分の380億円が失われることの府幹部の議会答弁に問題があるとして注意を促すメールを全職員に送ったところ、40代女性職員の返信が火に油を注ぐ怒りを橋下知事に注入、記者会見を通して世間に公表せずにはいられなかったのだろう、マスコミに事のいきさつを明らかにしたたことがひと騒動が世間に知れるに至った真相といったところらしい。
無知・不勉強で「紀の川大堰」について一切関知していなかったものだから、例の如くに「Wikipedia」に頼った。既に知っている方もいるかもしれないが、部分引用してみる。
〈沿革
紀の川は徳川吉宗による『紀州流治水工法』に基づく灌漑整備によって、本川・貴志川に数多くの井堰が建設され、新田開発に寄与した。その後1949年(昭和24年)からは農林省(現・農林水産省)による『十津川・紀の川総合開発事業』によって井堰が4箇所に統合され、最下流部の井堰である六ヶ井堰は新六ヶ井頭首工(新六ヶ井堰)として統合・改築され、以降も流域の農業用水を供給していた。だが和歌山市とその周辺は大阪市のベッドタウンとして急速に人口が増加し、さらに海南市や和歌山市沿岸部には住友金属工業の和歌山製鉄所を始め重工業が進出。これらの要因で上水道や工業用水道の需要が増大していった。更には大阪府泉南地域で関西国際空港の建設が決定。これに伴う鉄道路線の整備や阪和自動車道の開通によって人口増加に拍車が掛かり、水需要は逼迫していった。だが紀の川は渇水時には容易に水不足に陥る流況が不安定な河川であり、安定した水供給が大きな課題となった。
一方で1959年(昭和34年)の伊勢湾台風による紀の川大水害を教訓に『紀の川修正総体計画』が1960年(昭和35年)に策定され、根本的な治水を図るため奈良県吉野郡川上村の紀の川本川に大滝ダムを建設する事となった。更に紀の川下流域における治水、特に紀の川の河水が支流に逆流することで起こる「内水氾濫」を防止する為に河口部の洪水調節も必要となった。この為紀の川河口部、新六ヶ井堰直下流に堰を設けて紀の川の洪水調節と上水道供給を図ろうと考えた。
こうして1965年(昭和40年)に建設省近畿地方建設局(現・国土交通省近畿地方整備局)によって『紀の川水系工事実施基本計画』が策定され、紀の川下流部の河川総合開発事業として計画されたのが紀の川大堰である。
2009年度末の完成が見込まれているが、直前の2009年8月31日、大阪府は水利用権を放棄した。水を利用するにはさらに若干の出費が必要だが、水需要の減少で水が必要なくなったので、少額の追加出費を避けるため。このため、事業費のうち大阪府の負担分の380億円はすべて無駄となった。
なお、堰ではあるが、特定多目的ダム法に基づいた多目的ダムである。八ツ場ダムほど騒がれていないが、「ダムは無駄」の例の一つと見なされている。〉(以上)――
撤退しない場合の完成後の年間維持管理費は2億円程度かかると以下に引用する記事の中で書いている。
ではどのようなメールの遣り取りがあったのか、調べた範囲では全文を紹介している記事はなかった。9日付「J-CASTニュース」《橋下知事に「『お前』メール」 府職員に100人もいる!》が詳しい。
先ず橋下知事が全職員に宛てて発信したメール。
「どうも税金に関して、僕の感覚と、役所の皆さんの感覚は違います。昨日の議会答弁、水需要予測の失敗によって380億円の損失が生まれたことに関しても恐ろしいくらい皆さんは冷静です。何とも感じていないような。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!!(中略)それよりも、皆さん、380億円の損失って、何にも感じませんか?何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです・・・・」
税金に対する感覚の鈍さを批判している。40代女性職員の返信。
「このメール配信の意味がわかりません。愚痴はご自身のブログなどで行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください。また、文も論理的でなく、それなりの職についている人間の文章とも思えませんが。・・・・380億の投資を行うことを決断したのは誰ですか?投資なら、損益を十分考えて行ったわけでしょうから、今回の責任は決断した人にあるべきです。『やめ逃げ』はずるいです。・・・・
(橋本知事の「何があっても給料が保障される組織は恐ろしいです」の批判に対して)こんな感覚を持つ人が知事であることの方が私は恐ろしい」
女性職員の返信メールに対する橋下知事の返信メール。
「まず、上司に対する物言いを考えること。私は、あなたの上司です。その非常識さを改めること。これはトップとして厳重に注意します。あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように。聞きましょう」
橋下知事の返信に対する女性職員の再返信メール。
「こんなにたくさんメールが送りつけられること自体、私には未知の経験で、恐怖に感じています。・・・・知事室にお呼びとあらば、公務をどけてでもお邪魔いたします」
記事は知事がここで堪忍袋の緒が切れたらしいとして人事担当者に処分を検討するように指示したとしている。
結果、府の内規に基づく「厳重注意」にしたという。ところが、「厳重注意」だけでは怒りが収まらず、10月8日の囲み取材の場で自身を民間組織のトップである社長に譬えて許されることかと怒りを爆発させる。
「彼女の仕事自身も、知事の指揮命令権の中に入っていることすら認識になさそうです。知事と職員の関係から、きちんと説かなければならないようです」
「一般常識を逸脱している。・・・・これはありえない。・・・・どうなんですかね。こんなもんなんですか?『愚痴はブログで言ってください』とか社長に言うことは。言えます?『メールを読むのは時間のムダだ』って(社長に)言えます?。もっとひどいのも、いっぱいあるんですよ」
「『お前』というのも頻繁にあります。『お前』って、社長とかに言えますかね?『お前の考えていることはおかしい』って」
「『お前』メールを送信する職員は100人程度いる」ということも打ち明けたという。
記者たちに怒りを洗いざらいぶちまけたが、それでも怒りが収まらない様子を窺うことができる。
大阪府の職員は8万5千人相当いるうち、警察部門や教育部門などを除いた一般行政部門は平成20年度で9千人程度いるそうだが、橋下知事は全職員にメールを送るとき、9千人程もいる中には自分の意見に納得しない者、自分のやり方に常日頃から反撥していて、「坊主憎ければ、袈裟まで憎し」で頭から無視する者などがたくさんいるだろうと考えたことがあるのだろうか。
何を言っても、効果がない者、面と向かっての注意はハイハイ聞くが、陰では右から左、鼻の先でせせら笑って受け流す者、いわば面従腹背の人間がうようよいることを考えたことがあるだろうか。
例えば、知事のメールに対して、近くに座っている女性職員のバストを衣服の上からチラチラ見ながら、くわえタバコで(禁煙となっていたならできないが)パソコンで、「日出づる国の橋下将軍様、税金に対する意識は常に常に高く高く、これ以上ない高さにまで持つべきが公務員の使命でございます。将軍様のおっしゃることはご尤も、常に正しいと思っています」と返信のメールを打った場合、橋下知事にはメールの文面しか見えないから満足する結果を得たと思うだろうが、男性職員が送信したあと、仕事は何もせず、誰に邪魔されることなく女性職員の胸をチラチラゆっくりと眺めて目の保養を堪能することに時間を費やしたとしたら、そのような男性職員の仕事の非効率・怠惰がメールに書いたことに反して税金のムダ遣いとなっているのだが、そういった面従腹背に橋下知事は気づくことはない。
いわばメールの効き目を少しでも考えたことがあるなら、不特定多数の者に向かってメールで注意するといったことをしただろうか。第一、メール一つでいとも簡単に意識改革ができると思い込んでいたのだろうか。
囲み記者会見で、「『お前』というのも頻繁にあります。『お前』って、社長とかに言えますかね?『お前の考えていることはおかしい』って」と憤懣やる方ない態度で訴えているが、「日刊スポーツ」記事で、〈他の職員からの返信メールには「お前…」呼ばわりするなどトップへの態度に問題のある職員が「100人ぐらいはいる」と指摘〉したと解説している箇所に当たるが、それは表に現れている「100人」であって、陰に隠れた面従腹背の人間、何も感じない人間などを数に入れていないはずだが、それでも態度に問題のある職員が100人もいると分かっていながら、さらに既に触れたようにメール一つで意識改革など右から左といった具合に簡単に果たせるはずがないにも関わらずメールを送った。
このことは自分の意見に納得もせず、従いもしない人数を意識しないまま、自分の意見に納得し、従う予定調和に立っていたことを示す。だから、メールが出せた。
つまり当然と言えば当然のことだが、自分の意見に正当性を持たせていた。
だが、税金に対する意識を既に保持しながら職務に従事している人間、あるいは知事からのメールで知事の言うとおりにそうあるべきだと気づくこととなった人間に対しては知事の正当性は正当性を得るが、納得もせず、従いもしない人間にはその正当性は伝わらず、正当性を獲得し得ない。
橋下知事は全職員が自分の意見に納得し、従うことを予定調和した時点で、自分では気づかないうちに既に独裁意志を働かせていたのである。一人や二人相手の説得ではなく、全職員相手にメール一つで意識改革などできようはずもない、納得させ、従わせることなど不可能でありながら、納得し、従うことを予定調和していた。独裁意志なくして望み得ない予定調和であろう。
このことは女性職員に関して、「彼女の仕事自身も、知事の指揮命令権の中に入っていることすら認識になさそうです」と言ったことに表れている。「知事の指揮命令権の中に入っている」からと言って、知事の「指揮命令」が常に正しいとは限らないはずだが、正しいとし、だから従わなければならないを前提としている点が自らを絶対的位置に置き、逆に職員を絶対的に従わせる下の位置に置くこととなっている。
だから女性職員の返信メールに対して、「あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように」と言うことができた。
橋本知事は職員全員にメールを送った。その時点で全職員が情報の相互共有を果たした。その意見に対する反論も、それを知事自身が例え間違った内容だと把えたとしても、職員全員に知らせることで初めて最初のとおりに情報の相互共有が可能となる。大袈裟に言うと、思想・信条の自由を知事と全職員共々相互に保障することになる。
さらに情報の相互共有を行うなうことで、知事と職員個人個人の間で意見表明の平等を保つことができる。知事だけが全職員にメールを発信して、職員個人からでは知事にしかメールが届かないシステムでは情報の共有も意見表明も半端と化す。
当初はそういったシステムとなっていたのかもしれないと思って調べたところ、〈知事は一連のやりとりを府幹部らに転送。〉(asahi.com)と出ていたから、府幹部の間のみ情報の共有を維持し、女性職員に対しては、「あなたの言い分があるのであれば、知事室に来るように」と言うことで、橋本知事は最初に構築したはずの全職員との間にあった情報の相互共有の構造を自ら破ったばかりか、情報の相互共有という支援のない場所で、言い換えるなら、情報上の孤立無援の場所で女性職員に意見を言わせようとする意味で、意見表明の平等を自ら崩した。
彼女自身メールで知事を「お前」呼ばわりしたわけではないし、考え方の正否を議論すべきであるのにも関わらず、知事室という密室で知事という権威を持った上司として女性職員を下に置き、「知事と職員の関係から、きちんと説かなければならない」と上下関係で意見も態度も律しようとした。
このことも無意識のものであっても、独裁意志の表れであろう。
だが、橋下知事のこの独裁意志はメールでしか表現できなかったようだ。府幹部の議会答弁に税金に対する感覚が乏しいということなら、橋下知事も出席していたはずだから、その場で直接答弁の態度を注意すべきではなかったろうか。いわば責任ある上司としての責任ある態度を取るべきだった。
「ちょっと今の答弁の仕方、おかしいんじゃない?結果として380億円の税金をムダにすることになるんだよ。民間の普通の会社なら組織挙げて真っ青ですよ!何か380億円の損失がピンとこない答弁になっているんじゃない?380億円の損失って、何にも感じないようなら、何があっても給料が保障される組織に毒されているとしか言いようがない。恐ろしいことじゃん」
直接注意したと書いている記事は見当たらない。注意していたなら、その噂はたちまち府庁全体ばかりか、マスコミの報道を通じて日本中に知れ渡り、全職員に対して間接的な忠告となったはずである。取るべきはそういった態度であったろう。
だが、一般職員には独裁意志を働かせることができても、幹部には独裁意志すら示すことができなかった。
もし橋下知事が出席していなかったなら、人づてに聞いた間接情報を元に全職員にメールで注意を促すといったことはできないだろうから、その前に府幹部を呼びつけて正確な事実関係を問い質すといったことをしなければならない。但し府幹部は決定的に自分に不利になる証言は口にせず、素直に非を認めない正当化のオブラートに包む役人特有の(閣僚も同じだが)責任回避態度を演じるだろうから、問い質した事実関係の正確さは府幹部にのみの“正確さ”となりかねない。となると、やはりそういった不正確な実関係に基づいて全職員にメールを出すことは難しくなる。
こういったことを逆に無視してメールを送ったなら、税金意識の乏しい職員であっても、「関係ないじゃないか。上の連中が決めたことだ、八つ当たりはやめてくれ」と反撥を受けるのが関の山だろう。
上のなすところ、下これに倣う。税金意識の希薄さ、無責任は上から始まって下の隅々、組織全体を覆っている病弊であろう。だが、上のなすところ、下これに倣うという構造を取る以上(下がだらしないから、上がだらしなくなると言うことは決してない。下は常に上を見習う。)、上のみを相手にすべきだったはずである。
だが、そうしなかった。
メールが全職員宛てであっても、全職員宛てであったがゆえに情報の相互共有は果たせたが、その共有も自己にとって正しいとしている自分の意見・主張のみの共有を目指していて、結果として知事の一方的な主張の表明となり、逆に全職員を匿名の不特定多数扱いしたこととになり、顔を持たない人間に貶めることになった。
独裁者は顔を持つ市民、顔を持つ国民を恐れる。側近・部下も言いなりにさせることによって顔を持たないロボットとすることができる。顔を持ったとしても、自分と同じ顔でなければ許さない。国民も市民も顔を持たない存在とすることによって、自由を奪い、人権を抑圧することができる。
橋下知事は何よりもすべきであった件の府幹部への直接的な咎めではなく、顔を持たない中から顔を見せた者のみを咎めて、それをさも全体の態度だとする見せしめを行い、そのことを記者会見で明らかにした。顔を持たずに、顔を見せないままでいた人間は例え税金意識を乏しいまま保ったとしても許されることになる。
これも独裁体制によくある風景ではないだろうか。本人が意識していなくても、橋下知事はそういった風景を遣り過ごして気づかないでいる。
どのような人間にも人を自分の言いなりに動かしたい独裁意志を衝動として心の中に眠らせてる。誰もが自分を常に正しい場所に置きたいと願っている。橋下大阪府知事はそういった気持に強く支配されているように見える。自分を正しいとしたいが余り、その性急さが金正日もどきの独裁者者に向かわせかねない危険な臭いを感じさせる。条件さえ整えば、実現させることになるのではないだろうか。
プーチンの庇護さえ受けていれば、プーチンを超えない範囲でいつでも独裁者となれる条件を整えることができるはずだが、そういった姿勢を取らない最近のメドベージェフ・ロシア大統領は橋下知事とは正反対の位置に立っているようだ。
これは大袈裟な見方だろうか。 |
民主党政権の前原国土交通相が税金のムダ遣いの象徴と槍玉に挙げる必要からだろう、就任早々八ッ場ダム建設中止を表明。これに対して地元住民及び関連自治体の県知事が建設中止反対に猛反発、建設継続を激しく訴えていて、〈前原国交相は住民の生活補償を約束したが、住民側は「中止ありきの協議は応じられない」と、話し合いもできない状況だ。〉(下記「msn産経」記事)という。
ダム建設決定までどのような経緯を見たのか、《【イチから分かる】八ツ場ダム 中止か継続か 問題長期化》(msn産経/2009.10.7 07:46)を参考引用しながら、とは言うものの、ただ単に上から順に機械的に記事を分割しただけの箇条書きで見てみる。
●群馬県北西部の長野原町を、西から東に流れる吾妻川(利根川支流)の中流に、八ツ場ダム
の建設予定地があって、国の名勝「吾妻峡」や800年以上の歴史がある「川原湯温泉」
があるなど、美しい景観や豊かな自然に囲まれた観光地でもある。
●八ツ場ダムは、治水や首都圏への水供給などを目的に、平成27年度の完成を目指す多目的ダ
ムで、現在は道路の付け替え工事や水没5地区住民の移転作業などが進んでいる。
●終戦直後の昭和22年、カスリーン台風の影響で増水した利根川が埼玉県内で決壊し、1千人
を超える死者が出た。被害を繰り返さないため、27年に八ツ場ダム建設計画は持ち上がっ
た。
●川原湯温泉が水没することなどから、地元住民らは半世紀以上にわたり建設中止を国に訴え
続けてきた。しかし、国の生活補償案が示されると賛成に回る住民も出始め、昭和62年には
、現地調査を受け入れる苦渋の決断をした。「ダムを造ることで、すべての問題が終結する
はずだった。今になって中止と言われても…」。反対運動の中心だった竹田博栄さんは、住
民の気持ちを代弁する。
●八ツ場ダムの総事業費は4600億円。そのうち、3210億円がすでに投じられている。
●建設を中止すれば、下流1都5県が拠出した事業費の返還や生活再建関連費などで2230億
円が必要とみられ、さらなる上積みもある。残事業費1390億円を上回るが、事業費がさら
に1000億円ほど増額される可能性を指摘する市民団体もある。
●八ツ場ダムの目的とされる治水や利水の効果でも、「建設されても13センチ水位を下げるし
か効果はない」「ダムがなければ水利権を失い、渇水になる」など双方の意見が対立。前原
国交相と地元住民も妥協点を見いだせる様子はなく、問題は長期化しそう。――
因みに「Wikipedia」によると、ダムは「吾妻峡の中間部に建設されるのでその半分以上が水没し一挙に観光資源が喪失することが懸念された」そうだが、「昭和40年代には、建設省が吾妻峡を可能な限り保存する観点から、ダムの建設場所を当初の予定よりも600m上流に移動させることを表明。その結果、吾妻峡の約4分の3は残り一番の観光スポットである鹿飛橋も沈まずに残る事となった」という。
だが、4分の1は水没する。
「msn産経」記事は最後に名前の由来を伝えている。
〈■名前の由来、有力な3説
八ツ場ダムの名前は、なぜ「やんば」と読むようになったのか。地元の群馬県長野原町によると、「八ツ場」はダム建設現場の小字名に由来しているという。地名の由来は諸説あるものの、有力な説が3つある。
(1)狭い谷間に獲物を追い込み、矢を射た場所である「矢場(やば)」の読み方が変化して、やんばと読むようになった(2)狩猟を行う場所に落とし穴が8個あったため、「8つの穴場」というのが「やつば」になり、「やんば」へと代わった(3)川が急流であることから「谷場(やば)」と呼ばれたのが、「やんば」に変化した。
同町の担当者は「地名自体は鎌倉時代以降に付けられたのではないかと思われるが、正しい由来も含めて明確なことは分からない」という。全国の地名の由来などを調べている「日本地名研究所」の金子欣三事務局長は「建設現場の近辺は狩りの盛んな場所だったことが、地名からも読み取れる。『谷』を『やつ』と読む場所も、全国的に少なくない」と、(1)か(3)が有力な説であるとし、「地元の通称として、『ツ』を『ん』と読んだのではないか」と分析している。〉――
また別の「msn産経」記事――《【八ツ場ダム】建設中止は法令違反 関係都県「法に基づく手順と根拠を」》(2009.10.6 01:30)は建設中止は「法令違反」との指摘が関係自治体から出始めていると伝えている。
〈特定多目的ダム法(特ダム法)に照らすと、ダム計画を廃止「しようと」する際、国交相は「あらかじめ」群馬県だけでなく埼玉県、東京都など下流域の都県知事と協議しなければならない。〉という。
〈特ダム法に罰則規定はないが、中止の違法性が問われる“逆訴訟”に発展すれば、問題はさらに泥沼化する。これまでの八ツ場ダム建設の是非が争われた訴訟では、いずれもダムの必要性が認められていることも、決して軽視できない。〉――
また、〈同県幹部は「大臣は中止だけ言い、合理的根拠も示さないのでは、われわれも対応しようがない。こんなやり方は民主党が掲げる地域主権にも反するし、今後、地方と国が対立し、都県が国を提訴するという前代未聞の事態すら想定せざるを得ない」〉という恐れもあると記事は書いている。
八ッ場ダム建設中止に関係する「特定多目的ダム法」の条文は次のようになっていると記事の最後で解説している。
〈■特定多目的ダム法第4条4項 国土交通大臣は、基本計画を作成し、変更し、又は廃止しようとするときは、あらかじめ、関係行政機関の長に協議するとともに、関係都道府県知事および基本計画に定められるべき、又は定められたダム使用権の設定予定者の意見をきかなければならない。この場合、関係都道府県知事は、意見を述べようとするときは、当該都道府県の議会の議決を経なければならない。〉――
「訴訟」に関して次のように書いている。
〈八ツ場ダムをめぐっては、建設反対派住民計187人が、1都5県に建設事業費の支出差し止めを求めて訴訟を起こしている。すでに3地裁では判決が出ているが、いずれもダムの必要性を認め、住民側敗訴の結論を下している。
訴訟は平成16年11月に東京、前橋、水戸、千葉、さいたま、宇都宮の6地裁で一斉に起こされた。
住民側はそれぞれの裁判で、各都県が水需要の実績を無視した過大な需要予測を行っていること、八ツ場ダムが完成しても利根川の治水対策として機能することはないことなどを主張。必要性のないダムに自治体が事業費を負担していると違法性を訴えた。
東京は今年5月、前橋と水戸は6月に判決が出たが、いずれも「(都や県が行った)水需要予測に不合理な点は認められず、利水対策や水害防止のためにもダムは必要」などとして自治体の負担に合理性があるとの判断を下した。いずれも住民側は東京高裁に控訴。残る3地裁でも訴訟が続いており、千葉では12月22日に判決が出される予定だ。
前原国交相が建設中止を表明したことで、反対派住民からも裁判を続ける意義を問う声があるが、政権交代後に初めて開かれた9月26日の弁護団会議では裁判を続ける方針が確認された。
弁護団長の高橋正利弁護士は「まだ国が何を考えているか分からない。中止の法的手続きに入るまで提訴は取り下げない」と追及の姿勢を緩めておらず、今後の裁判所の判断も注目される。(安藤慶太)〉――
住民は建設容認に心の区切りをつけ、勿論それ相応の補償を受けて、ダムと共に生きる道を選択した。このことに関しては9月29日付「毎日jp」記事――《記者の目:八ッ場ダム建設中止は乱暴=伊澤拓也》が中止反対の立場から詳しく書いている。参考引用
〈・・・・・・住民はなぜダム本体の完成に執着するのか。代替地への移転を進め、付け替え道路と鉄道の建設も継続するという民主党の政策のどこが不満なのか。その疑問を解くカギは、現地を翻弄(ほんろう)し続けたダムの歴史にある。
計画が浮上したのは1952年。サンフランシスコ講和条約が発効し、戦争状態が終わった年だ。水需要の高まりを背景に、治水と利水を兼ねた「首都圏の水がめ」として早期完成を期待されたが、住民は猛反発した。
だが、国との個別交渉で高額な補償を提示された住民らが賛成に転じ、町は真っ二つに割れた。01年に住民代表が補償基準に調印したとき、闘争は終わりを告げ、疲弊した住民は重機が往来する古里を次々と去った。代替地への移転を希望する世帯は01年の470世帯から3分の1以下に減った。急激な人口の減少で、地域コミュニティーの維持も難しくなった。
川原湯温泉もやはり活気を失った。80年代に22軒あった旅館は現在7軒。空き家が目立つうえ、移転を控えて改修を見送っているため、老朽化が進んでいる。そんな中で、住民たちはダム湖を観光資源として温泉街を再生する計画にたどり着いた。川原湯の住民は現在より東の高台に造成中の代替地に新たな温泉街をつくり、ダム湖の集客力でにぎわいを取り戻そうという青写真を描いたのだ。
ダムに反対する市民団体「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」の嶋津暉之(てるゆき)代表(65)が「これまでダムでにぎわった街はない」と指摘するように、ダムによる街の再生が成功するかは未知数だろう。それでも、川原湯で「やまた旅館」を営む豊田拓司さん(57)は「夢物語だとは分かっているが、古里に残るにはその選択しかなかった」と苦しい胸の内を明かした。57年という歳月の中で生まれた、複雑に入り組んだ感情。取材中、淡い希望に残りの人生を託すしかなくなった住民の思いに何度も触れ、胸が張り裂けそうになった。
前原国交相は必要性に疑問符が付くダムの建設を中止し、河川整備による治水を掲げている。確かにダムの必要性には疑問があるが、具体的な河川整備計画もないまま中止を宣言するのは乱暴ではないか。代替案すら用意していないようでは、関係都県を納得させるのは難しい。住民の生活再建策と河川計画を、セットで提示すべきだ。
言うまでもなく、一番の被害者は住民だ。しかし、住民にも考え直してほしいことがある。前原国交相が「住民の理解なしに中止手続きは始めない」と言明した以上、話し合いのテーブルに着くべきではないか。不満はその場でぶつければいい。
民主党が投じたボールはいま、住民の手元にある。足踏み状態が続けば、現地の高齢化が一層進むだけだ。一刻の猶予もないと思う。〉――
「毎日jp」も賛成・反対と二つに(?)割れているらしい。《社説:八ッ場ダム中止 時代錯誤正す「象徴」に》((2009年9月23日 0時16分)なる記事を載せている。参考引用。
社説は建設中止を〈時代にあわない大型公共事業への固執がどんな問題を招くかを広く知ってもらい、こうした時代錯誤を終わりにすることをはっきり示す「象徴」としてほしい〉と訴えている。
〈・・・・・利水・治水のため建設費を負担してきた1都5県の知事は「何が何でも推進していただきたい」(大澤正明・群馬県知事)などと異論を唱えている。すでに約3200億円を投じており、計画通りならあと約1400億円で完成する。中止の場合は、自治体の負担金約2000億円の返還を迫られ、770億円の生活再建関連事業も必要になるだろう。ダム完成後の維持費(年間10億円弱)を差し引いても数百億円高くつく。単純に考えれば、このまま工事を進めた方が得である。
だが、八ッ場だけの損得を論じても意味はない。全国で計画・建設中の約140のダムをはじめ、多くの公共事業を洗い直し、そこに組み込まれた利権構造の解体に不可欠な社会的コストと考えるべきなのだ。「ダム完成を前提にしてきた生活を脅かす」という住民の不安に最大限応えるべく多額の補償も必要になるが、それも時代錯誤のツケと言える。高くつけばつくほど、二度と過ちは犯さないものである。〉――
建設計画当初は住民の多くが「半世紀以上にわたり建設中止を国に訴え続けてきた」建設断固反対の事実は遥か遠くの歴史と化してしまっている。そして新たな歴史を次のように刻もうと決意を固めている。
〈住民たちはダム湖を観光資源として温泉街を再生する計画にたどり着いた。川原湯の住民は現在より東の高台に造成中の代替地に新たな温泉街をつくり、ダム湖の集客力でにぎわいを取り戻そうという青写真を描いたのだ。〉(毎日jp)
建設中止は「ダム完成を前提にしてきた生活を脅かす」(同毎日jp)
だが、前原国土交通相は住民に対する補償を新法を制定して行う考えを示し、関係自治体に対しても負担既出分計約1985億円と利水分の1460億円を特定多目的ダム法に添って全額返還し、返還規定のない治水分の525億円についても返還を検討していく方針を9月19日明らかにし(asahi.com)、補償解決による八ッ場ダムの建設中止を押し通す意志を示している。
両者の折り合いをつけるとしたら、国土交通相が新法制定で住民補償すると言っているのだから、「住民代表が補償基準に調印」以前の状態に原状回復を求めて中止に賛成してはどうだろうか。吾妻川や吾妻峡といった美しい自然と「川原湯」と名づけた温泉と共に800年の歴史をかけて築いてきた以前の生活風景を取り戻させる。
勿論このことが実現したとしても、計画が持ち上がってから費やした57年という月日は取り戻せないし、「ダム湖を観光資源として温泉街を再生する」と決めた心に区切りをつけて再び新規まき直しをしなければならない再新生活に付き纏う不安を新たに抱えることにもなる。
また同じ観光資源を生活の糧とするにしても、ダム湖という新たな目玉が日の目を見なければ、その効果はどうであれ、恒久的な誘客策を欠くことになりかねない。
「これまでダムでにぎわった街はない」と反対派が指摘し、〈ダムによる街の再生が成功するかは未知数〉と記事が解説しているように新装開店で客を集めたとしても、長続きの保証はなく将来的にそういった不安も抱えることになるとしたら、建設推進で踏みとどまるも困難、建設中止で新規まき直しも困難ということになって進退両難、立ち往生するしか道はないことになる。
以前の生活風景への原状回復が「ダム湖を観光資源として温泉街を再生する」保証のない「計画」を補ってすべての不安を解消したなら、問題はないはずである。
一つのアイデアに過ぎないが、そのような方法がないことはない。ただ、ない頭で考えたことで、効果がないとなれば、一笑に付すしかない。
以前の生活風景への原状回復と言っても、80年代に22軒あった旅館が現在7軒と減っているから、以前どおりに22軒に戻して温泉旅館街として再建する、あるいは再生するといった原状回復ではなく、あくまでも最初の生活の場に戻って吾妻川と吾妻峡と「川原湯」と名づけた温泉を当初どおりに“生活風景”とする原状回復である。
先ず温泉旅館は共同経営として吾妻峡が最高のロケーションで望める場所に瀟洒・広大な純和風3階建て(くらい)の建物を建て、それ一軒とする。中に温泉浴場は勿論のことだが、混浴露天風呂も結構、さらに何台かのパソコンや大型テレビを備えた程よい広さの図書館。そして以下も程よい広さのビリヤード、将棋や碁ができる専用ルーム、防音壁を設けたカラオケルームにマージャン専用ルーム、喫茶店、バー、レストラン等を設ける。
どれも一軒一軒の旅館ではすべてを併設できない。旅館を一つに纏めることで可能となる。また客に対して迷うことなく旅館が選びやすくなるメリットを与えることができる。
旅館の表は日本庭園、オープンテラスを設けて、そこで吾妻峡を眺めながら喫茶、食事、談笑ができるように椅子とテーブルを設ける。適宜遊歩道を設けることで散策もできるようにする。
旅館の裏手か横手、景観の邪魔にならないようにジムナジウムを併設する。各種ストレッチ器具を置いたり、卓球ルームやバトミントンルーム、テニスルーム、ミニバスケット用の部屋などを設ける。勿論、中に温泉を引いたシャワールームと浴場を設ける。
室外にハーフゴルフ場、テニスコート、高齢者のためのゲートボール場、その他。
これらの敷地を確保するために必要なら、一般住民の住いはマンション並みの共同住宅にして一纏めとする。
正確には原状回復とは言えないが、こじつけて言うなら、このような発展的“原状回復”なら、単に景色を眺め、温泉につかって土地特産の食材をグルメとして味わう、どこにでもある温泉めぐりから、退屈する暇を与えない、逆に時間が足りないくらいの充実した、ほかの温泉街にはないリラックス空間と思い出を提供できる温泉郷となり得るのではないだろうか。
このようにして建設中止に持っていけたなら、「ムダ遣いの象徴」を打ち砕くという民主党の政策にも合致する。
9月4日日曜日の朝日テレビの「サンデープロジェクト」が官僚の天下り問題を扱っていた中でコメンテーターの高野孟が次のように言っていた。
「例えばね、八ッ場ダムの話だとね、3200億円、今まで使っちゃたと、言うんだけども、えーと、0(ゼロ)・・・6年時点のデータっていうことで、長妻議員の、あの、質問で引き出したのがありますけど、06年前後の、3年間取って、それ、現在で、ひゃくななじゅう・・・ろくにんか(176人か)?天下りがいるんですよ」
田原「そこに、八ッ場ダムに?」
高野「受注企業から、それに、ダム、カンケツ(?)センターとか何とか。法人、公益法人までにね。その時点ですよ。
そうすると、ごじゅう・・・・なな(57年)年間やっていて、一体何人の公務員が八ッ場ダムでメシを食ったんだと。その時点だけで170何人かいたんですよ。千人いるでしょう、きっと。
3200億円、今まで使っちゃいましたって言う中のいくらが、その、彼ら、オー、食わせるために使われたのか。逆様になっちゃっている」
田原「公務員の天下りの、受け皿のために?」
高野「ために、八ッ場ダムといういらない事業で行われるという、その構造が問題なんですね」――
ということなら、ムダ遣い根絶の象徴としてだけではなく、天下り元官僚というシロアリ駆除にも建設中止を役立たせるべきである。 |
以前ブログに書いたことと重なるが、麻生前首相は大敗を喫した先の総選挙の遊説で次のように声を大にして自由民主党が「真の保守党」であること、そして「真の保守政党のあるべき姿」を訴えている。
「民主党は、今回の衆議院選挙を革命的な選挙にすると言っている。しかし、自民党は日本に革命を起こす気はない。我々は真の保守政党だ。・・・・我々は守るべきものは守る。家族や歴史、伝統、それに国旗や国歌、皇室をきちんと守っていくのが保守だ。守るべきものは守ったうえで、改革すべきものは改革するのが、真の保守政党のあるべき姿だ」(NHK)
「山陽新聞」Web記事によると、「守るべき」項目のうちに「日本語」も入れている。
そして「保守の論客」だという名前を奉っている中川昭一の死を麻生は次のように惜しみ、それを賛辞に代えている。
「保守の理念を再生していくうえでは最も期待されておられる人物だと思っていました」(asahi.com)
保守理念再生のホープだったと賛辞を送った。
いずれにしても日本の保守が守るべき大事な大事な項目は次のとおりとなる。
「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」・・・・・
民主党の小沢幹事長は日本は「明治以来の中央集権制度」だと言って、それを抜本的に改めて「地方分権国家を樹立する」とする政策を掲げているが、日本の中央集権制度は権威主義的な封建領主制以来のもので、明治・大正・戦前昭和も、アメリカから民主主義を移入した戦後昭和に於いても中央が地方を、地方に於いても地方の中央が周辺を権威主義的に支配する中央集権制度を受け継いでいるのであって、その結果として小沢一郎その他が今以て中央集権制だ、官僚制などと言わなければならないことになっている。
官僚が政治家に対してはかなりソフトな巧妙さでだが、地方に対してはかなり一方的に上から支配する権威主義の構造を取った中央集権制だから、“中央集権的官僚制”と言っていいと思うから、今後「中央集権的官僚制」という言葉を使うことにする。
民主党は打破しようとしているが、自民党は戦後以来、中央集権的官僚制にどっぷりと浸かって国民を統治してきた。歴代の自民党政府は官僚を黒衣(くろご=自分は表に出ないで陰で操ること『大辞林』)として統治体制を築いてきたとも言える。あるいは二人三脚でと言ってもいいが、主役は常に政治家の陰に隠れた官僚であろう。政策づくりも国会答弁も官僚任せだったのだから。
ということは、自民党保守派が言っている「守る」とする「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」は中央集権的官僚制に則った「守る」ということになる。
中央集権的官僚制に則っていると言うことは国を地方や国民よりも権威主義的に上に置いた構造での約束事としていることに他ならない。当然の形として、国民の形よりも国の形を優先させることになる。いや。自民党政治は国民の形よりも常に国の形を優先させてきた。小泉内閣はどうしようもない財政悪化を受けて国家予算を削減しなければならない状況に立ち入ったとき、国の形を優先する思想を引き継いでいたからこそ、社会保障費を削り、国民の生活を犠牲にする政策を打ち出すことだできた。
逆に国の形の優先(国家優先)から「日本の家族」、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」を読み解いていくと、日本の保守の姿が浮かび上がってくる。
先ず「家族を守る」と言っている。そこに国の形の優先を当てはめると、夫婦同姓を伝統としてきた国柄を守ることが当然のこととして優先事項となり、そこから夫婦別姓に反対という発想が出てきて、そのことを以って「家族を守る」一要素としていることが分かる。
いわば国民それぞれの価値観に従ったそれぞれの幸福よりも、それを無視して夫婦同姓を守ることで国の形の維持を図っている。
すべてが国の形への拘りにつながっている。これが日本の保守ということなのだろう。
このことは政治家等の次の言葉に現れている。
鴻池祥肇(女性問題を週刊新潮に報じられ辞任した自民党前官房副長官)「別姓選択制度を取り入れると、夫婦(家族)の一体感がなくなり、家族が崩壊する」
妻以外に愛人をつくっておいて、「夫婦(家族)の一体感」も何もあったものじゃないと思うのだが、「夫婦(家族)の一体感」と愛人との「一体感」を同時並行的に築く器用さを持ち合わせているらしい。愛人とホテルに泊まるとき、宿泊名簿に「同 妻」と書くことがあったと思うが、偽りの同姓ではあっても愛人との「一体感」を強く感じさせた偽装同姓だったに違いない。
田母神「夫婦別姓は仕事の都合上、姓を変えたくない女性が救われる効果はあるが、日本の家族制度を崩壊に導きかねない恐れがある。何よりも田中さんの奥さんが佐藤さんで、佐藤さんの奥さんが田中さんだなどというのは私にとっては漫画に思える。社会が混乱するだけではないか。多くの女性は結婚をしたら相手の姓を名乗ることに喜びを感ずるはずである。うちのカミさんだって最初は喜んでいた」
「最初は喜んでいた」は最近は田母神姓を喜んでいないと言うことなのだろうか。当たり前のことになって、何も感じなくなったということなのだろうか。
もし後者なら、「田中さんの奥さんが佐藤さんで、佐藤さんの奥さんが田中さん」といったことも周囲の人間からしても当たり前のことになる可能性は否定できない。
「夫婦(家族)の一体感がなくなり、家族が崩壊する」、あるいは「日本の家族制度を崩壊に導きかねない恐れがある」――
では、同姓なら常に「夫婦(家族)の一体感」を保つことができ、「家族の崩壊」を出来させない保証を確実に得ることができると言うのだろうか。
これが事実なら、「家庭内離婚」とか「家庭内別居」、あるいは「熟年離婚」といった社会現象は発生しなかったことになる。「熟年離婚」どころか、夫婦同姓によって「家族の一体感」が守られ、成田離婚も含めてどのような離婚も起きないことになる。
勿論、別姓だからと言って、その結婚が常にうまくいく保証はない。所詮、同姓も別姓も形式(ハコモノ)でしかない。そこに夫婦の絆を込めることができるかどうかは夫婦それぞれの資質にかかっている。家族制度が問題ではない。
それは事実婚であっても通い婚であっても同じであろう。
ところが日本の保守は旧来の家族制度を日本の伝統だとして国の形の一部に位置づけているから、国民の形(それぞの存在形式)よりも国の形(国の存在形式)を維持させる項目の一つとすることとなって、当然の経緯として旧来の家族制度が守ってきた夫婦同姓はいい、そこになかった夫婦別姓はダメだという発想になる。
ここにあるのは国の形優先(国家優先)のみである。
一頃騒がれた離婚後300日以内に生まれた子が遺伝的関係とは関係なく前夫の子と規定される「離婚後300日規定」(1898・明治31年施行民法772条)にしても日本の保守は夫婦別姓問題と同じく国民の形よりも国の形優先で把えている。
保守派の論客という地位を死んで失った中川昭一。
「300日問題の見直しを進める与党(当時)民法772条見直しプロジェクトチームの議員立法案は「『不倫の子』も救済対象になりかねず、親子関係を判断するDNA鑑定の信頼性にも問題がある」――
法務省の通達見直し「離婚後に妊娠したことが明白な場合を救済対象とし、離婚協議が長引いている間に妊娠したような事例は救済されない」――
両者とも離婚が成立しないうちに夫以外の男との性交渉は勿論、そのような交渉で生まれた「不倫の子」を「救済の対象」にすることなど以ての外だと言っている。
中川昭一の場合は、信頼性に問題があるから、DNA鑑定で誰の子かシロクロをつけることも反対だと言っている。これが日本の保守の論客中川昭一の夫婦観、親子観というわけである。一見しただけでは夫婦の形、親子の形のみを問題としているように見えるが、今の時代の国民の幸せはどこにあるのかという今ある国民の形の観点からの主張ではなく、1898・明治31年施行がそれ以前の歴史的・伝統的慣習を受け継ぎ、それ以後、法律による強制を加えて形づくられてきた日本の家族制度に立脚した主張である以上、国の形を維持・優先する観点からの主張であることが分かる。
国会対策委員会幹部「離婚して別の男の子を出産しようとはけしからん」――
離婚してからでも、最初の夫以外の男との間の出産を怪しからんと言っている。
長勢法相「貞操義務なり、性道徳なりと言う問題は考えなければならない」――
国家権力が関与すべきではない個人の問題を国家権力によって統制したい意志を疼かせているが、このような疼きも国の形を優先させていなければ出てこない発想であろう。
「家族の再生」を掲げ、伝統的な家族の価値観を重んじている安倍晋三元首相
「わが国がやるべきことは(772条の)民法改正ではなく、家族制度の立て直しだ」――
要するに772条を維持することで、それが義務付けている旧来の家族制度から外れた今どきの家族の形を旧来の家族制度が規定している家族の形に戻す「家族制度の立て直し」が必要であり、それを「国がやるべきこと」だと言って、国の義務としている。
旧来の家族制度の維持を国の義務とするということはそのような家族制度を国の形の一つとしていて、それを守ることを優先的な目的としいるということであり、それを日本の保守の役割としていると言うことであろう。
日本の保守が掲げる「日本の家族]を守る以下、「日本の歴史」、「日本の伝統」、「日本語」、「日本の国旗」、「日本の国歌」、「日本の皇室」を守るは皇紀2669年の長きに亘って伝統としてきたこれまでの日本の形を守るという一言に尽きる。それぞれが日本の保守が言う国の形を形づくっている事柄だからだ。
このことは安倍や麻生、そして中川昭一等の日本の保守が天皇主義者であり、と同時に国家主義者であり、さらに日本民族優越主義者であることからも指摘できる。そのような主義主張が守るべき項目と重なるからだ。
麻生太郎の場合について「国を守る」を言うと、麻生太郎は日本は「一文化、一文明、一民族、一言語の国」だと賢くも言ったが、これは「一文化、一文明、一民族、一言語」を守ると言ったことと同じ意味を成す。守らなければ、自身が誇っている「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を守ることができなくなる。「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を失うことにつながる。
これは麻生一人の問題ではなく、安倍や中川、それ以下の日本の保守が総じて掲げる思想であろう。
時代の趨勢、世界の趨勢といったいわば外圧を受けて、あるいは世界的なグローバル化の恩恵を日本も受けているバランス上、以前程ではないが、難民認定が厳しく、なるべく難民を入れようとしない国の姿勢、あるいは外国人の日本国籍取得(帰化)に厳しい条件を課して外国人を日本人としない姿勢はやはり「一文化、一文明、一民族、一言語」という日本の国の形を守ろうとする意志の衝動を受けた方向づけに他ならないはずだ。
「Wikipedia」に記載の2005年の各国の難民認定のデータだが、アメリカ難民認定申請数39240人に対して難民認定者数は19766人、認定率50.4%。日本の場合は難民認定申請数384人に対して難民認定者数は46人、人道的配慮による在留許可数97人、認定率12.0%となっている。
より大きな問題はアメリカは人道的配慮による在留許可数は0に対して、日本は難民認定者数の46人の倍以上の人道的配慮による在留許可数97人となっていることである。「人道的配慮による」と銘打っているが、あくまでも“認定”ではなく、「在留許可」に過ぎない。
外国人が日本人として住むことへの拒否、難民を最小限にとどめようとする国の意志を見ることができる。このことは難民の多くが有色人種であることも関係しているに違いない。何りしろ、“他ニ優越セル日本民族”と自らを価値づけている日本の保守が支配してきた日本であった。
外国人の日本国籍取得(帰化)に関して言うと、血統主義の国籍法に現れている。1985年の国籍法改正までは父親が日本国籍を有している場合のみに限って、相手が外国人女性であっても、二人の間に生まれた子どもは日本国籍を取得できる制限を設けていたが、これは日本人の男の血優先の思想であるが、法改正後、父親か母親かいずれかが日本国籍を有していたなら、相手が外国人であっても子どもは日本国籍を取得できるようになったのも時代の要請という一種の外圧からで、日本で生まれた子供で両親の国籍が判明しない場合は例外として出生地主義により日本国籍が取得可能であるものの、在日外国人の両親の結婚で生まれた子供は日本国籍が取得不可能で、本人が現在の国籍を放棄して日本に帰化しない限り日本国籍が取得できない、ほぼ全面的に血統主義を取っている状況は「一文化、一文明、一民族、一言語」の国の形を守る意志と深く関わっているはずである。
いわば外国人の血を排して国の形を守る意志からの血統主義ということであろう。
谷垣禎一自民党総裁は永住外国人への地方参政権付与や夫婦別姓導入については「慎重な立場だ」と語ったと「asahi.com」が伝えていた。
日本が伝統としている権威主義的な中央集権的官僚制が守ってきた「一文化、一文明、一民族、一言語」の国の形を変えることに慎重という意志を見せたと言える。
安倍晋三がかつて言っていた「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」にしても、日本の保守を担う一人らしく、「国が命を投げ打ってでも国民を守る」ではなく、「国民が命を投げ打ってでも国を守る」という国の形優先の思想の現れとなっている。
国連の女性差別撤廃委員会に日本に於ける女性の社会進出の遅れを指摘されながら、なかなか問題解決できないのも、男尊女卑を社会の形、最終的に国の形として伝統としていたために、その名残を今以て引きずっていることからの未解決であろう。
以上挙げてきた国の形を今現在の国民が希望する国民の形に優先させて守ることを日本の保守は自らの使命としているということである。
9月30日(09年)の「asahi.com」記事――《「夫婦別姓、来年にも国会提出」 千葉法相、強い意欲》が、〈千葉景子法相は29日、報道各社のインタビューで「選択的夫婦別姓制度」を導入する民法改正案について「早ければ来年の通常国会への提出を目指す」と述べ、実現に向けて強い意欲を示した。福島瑞穂・男女共同参画担当相(社民党)もこの日の記者会見で「私自身も実践してきたし、選択肢の拡大につながる」と話し、通常国会での成立を目指す考えを明らかにした。〉と伝えている。
民主党内にも改正に表向きは慎重、内心は反対の議員がいる。記事は続けて次のように書いている。
〈民主党はマニフェストの元となる政策集で「夫婦別姓の早期実現」と明記しており、千葉法相も「党として承認する政策だ」と述べた。ただ、法改正には与野党を問わず慎重な意見も根強く、結局、民主党のマニフェストには盛り込まれなかった。実現には、まず民主党内をまとめられるかが焦点になりそうだ。
結婚した際に夫婦同姓か別姓かを自由に選択できるようにする同制度は、96年に法制審議会(法相の諮問機関)がその導入を柱とする民法改正案を答申。法務省もその内容に沿って法案化に着手したが、当時の自民党を中心とした与党内から「家族の一体感が損なわれる」などと異論が噴出し、法案は提出断念に追い込まれた。その後、推進派の議員らが議員立法で20回にわたって法案を国会に提出したが、成立には至っていない。
千葉法相はこうした経緯に触れ、「法制審の答申があったのに、この間、実現しなかったことの方が異常という感じがする。答申に基づいた法案を、できるだけ早い時期に国会に提案できるように進めたい」と話した。通常国会で予算に関連しない法案を審議するには、3月までに法案を提出するのが通例だ。
法制審の民法改正案には、離婚を認める理由の見直しや婚外子の相続差別の解消も盛り込まれている。千葉法相は家族をめぐる民法の規定についても「旧来の家族法では対応しきれない問題も出てきている。個人の多様な生き方、家族関係、社会状況に対応できるように変えていく方向で考えたい」と述べ、見直しに前向きな姿勢を示した。(延与光貞) 〉――
法改正を実現させて日本の保守の国民の形よりも国の形を優先させる権威主義性を少しでも打ち砕くことができるかどうかである。もし打ち砕くことができなければ、民主党が掲げる中央集権制を打破して地方分権を確立するという政策も実質的な成果は覚束なくなる。
いや、そういったこと以上に民主党が自ら掲げる国民の形優先の“国民主権”に立つなら、その実現のためには国の形を優先させる日本の保守思想そのものの息の根を止めなければならないだろう。 |
最初に断っておくが、死ねばみな仏となるという日本的考えに私は組みしない。この思想には歴史の否定を含む。北朝鮮の独裁者金正日をその死後仏と価値づけた場合、生前に於ける北朝鮮国民に対する自由の抑圧、人権抑圧に見せたその歴史的独裁性と食い違いを起こすことになるばかりか、その独裁性を和らげる歴史の改竄を犯しかねない。
小泉元首相は在任中、靖国神社に祀られている戦没者を「死ねばみんな仏になる」と言って英霊・神と顕彰し、参拝正当性の口実としていたが、「仏」としたことは彼らが兵士として日本の侵略戦争に加担していた歴史的な罪の部分を抹消することでもあった。いわば小泉元首相は戦没者を「仏」とすることで、日本の戦争の歴史を改竄していたのである。
人間は生きた歴史そのものによって評価されるべきだろう。尤もその歴史たるや人によって解釈が異なるから始末に悪い。いわば歴史に絶対的解釈は存在しないものの、死んだら仏となるという解釈を歴史に紛れ込ませることはしたくない。
10月4日(09年)日曜日の午前8時過ぎ、自民党の中川昭一元財務・金融相(56)が東京都世田谷区の自宅二階でベッドにうつ伏せになって死亡しているのが発見された。
前日の3日午後9時頃、外出先から帰宅した夫人が、中川氏が「上半身だけをベッドにもたれ掛けるようにしてうつぶせで寝ているのを確認、異常は感じなかった」(スポーツ報知)が、起きてこない夫の様子を見に来た夫人に発見されたという。
「上半身だけをベッドにもたれ掛けるようにしてうつぶせで寝て」いた。記事を言葉通りに解釈すると、なぜちゃんとした姿勢でベッドに伏せることができるように全身をベッドに持ち上げてやるといったことをせず、そのままに放っておいたのだろうかという疑問が生じるが、どの記事も外傷はなく、事件の可能性はないとみられると報じるだけで済ませている。行政解剖の結果、アルコールと睡眠薬の成分が検出されたものの、自殺の可能性はなく、死因は循環器系の持病の可能性が浮上、病理検査にまわすという。
中川昭一にはアルコールに纏わるエピソードに事欠かないそうだ。このことも死んで仏となったからと言って消すことはできない彼の歴史的事実であろう。
このことは「Wikipedia」が「飲酒癖にまつわるエピソード」として取り上げている(参考引用)。
自他ともに認める大の酒好きである。しかし中川が政界で重要な地位を占め、ニューリーダーの一人と目されるようになるにつれ、周囲からも酒癖を注意されることが増え、本人もしばしば禁酒・断酒を宣言するが、長続きしなかった。
経済産業相時代の中川を知る(中川を追い落とした)キャリア官僚は「見かけによらずプレッシャーに弱いのか、大きな交渉の前に酒を飲まずにはいられないようだった」と、仕事中に酒を常飲していたともとれる発言をしている。
2009年8月31日第45回衆議院議員総選挙では飲酒報道が祟り、比例代表でも復活できず落選した。
だるまの目を塗り潰す
2000年の総選挙で当選を決めた際、選挙事務所で酒に酔い、ふらふらとしながら万歳三唱している姿が全国に放映された。当選直後、だるまに目を入れる際に、酔っ払っていたことや墨の量も考えずに行ったために黒い涙のようになってしまい、周囲を慌てさせた。
酔ったまま初閣議
経済産業相当時、2004年9月の小泉政権時の内閣改造では、お別れ会見後に経産省を出て別の場所で酒を飲んだが、再任されて慌てて官邸に向かい、酔ったまま初閣議に臨んだ。
酩酊状態で後援会で挨拶
2005年夏に十勝管内本別町で行われた後援会パーティーに酩酊状態で現れ、10分間を予定していた挨拶はろれつが回らずに、数分間で終了した。中川は、その時に同席していた同管内の首長から「ちゃんと挨拶した方がいい」と一喝されたという。
宮中晩餐会で悪酔い騒動
2008年11月20日のスペイン国王フアン・カルロス1世夫妻を迎えて開催された、天皇・皇后主催の晩餐会において、悪酔いして騒動を起こしたことが『週刊新潮』で報道され、本人もこれを認めている。晩餐会では、テーブルを挟んで正面にいた妻に、何度も「お酒、もうやめなさい」と言われていたにも関わらず多量飲酒。その後、中川は東宮大夫の野村一成に対して、「水問題について皇太子殿下もお詳しいと聞いたので是非お話しさせていただく機会がほしい」と絡んだところ、素っ気なく「無理」と返されたことに対して中川が激怒、「分かった、帰る!」と大声で怒鳴ったとされる。また読売新聞は、酔った勢いで「宮内庁のばかやろう」などと怒鳴って途中退席したと報道している。
中川本人はインタビューで「まぁ、お酒が入っていましたから、“帰る”と大声で言ったかもしれません。言ったような気がします、はい、大声で。殿中ですよね…。酔ってるな、という自覚はあったんですが」、「場所が場所だけに…失態をしてしまいました。お酒が悪い。本当にお酒が悪い」と語っている。
演説で26ヵ所の読み間違い
2009年1月28日の衆議院本会議で、財務・金融担当大臣として財政演説を行ったが、「渦中」を「うずちゅう」、「改正」を「改革」、「削減」を「縮減」などと読み間違え、財務省が計26ヵ所の訂正を申し出るという事態になった。後日、議事録の訂正に衆議院議院運営委員会の野党側の理事の了承も必要であるため訂正箇所を減らして再度要請した(政府批判の材料になる可能性もあるため、重要な間違いでない部分=話が通じる部分はそのまま訂正しないことにしたとされる)。また、年度予算の計数について、2009年度の税収の減収額(7兆4510億円減)を「7兆4050億円減」と間違えた。財務省によると、間違えた理由として「風邪で体調が悪かった」のが原因としている。麻生太郎の漢字の読み間違えが話題になる中での現職閣僚の読み間違いであったことで、メディアがこれを取り上げた。
なお、自民党国会議員の秘書によると、中川は前日に東京都内で酒を飲みながらテニスをし、持病の腰痛を悪化させていたという。
G7での居眠りと閉幕後の泥酔記者会見
2009年2月14日にイタリアのローマで開催されたG7の財務大臣・中央銀行総裁会議終了後の内外記者を集めた日本銀行総裁の白川方明と財務官の篠原尚之との共同記者会見の場にて、中川はろれつが回らず、あくびをし、表情は目がうつろで記者の質問にまともに答えることができないという醜態を曝した。さらに、中川は日銀の政策金利を言い間違えたり、質問した記者が見つけられず「どこだ!」と突然叫んだり、「共同宣言みたいなものが出ました」などと不明瞭な発言をしたことから、各国の各方面から「時差ぼけ」の影響だけでなく、健康不安や深酒を疑われている。対照的に、この会見に同席した白川は冷静に対応していた。会見中、白川の前に置いてあった水飲み用コップに中川は間違えて手を伸ばしたりもした。
この記者会見での中川の姿は日本の新聞やテレビのニュースで「深酒居眠り会見」として大きく取り上げられ、その結果、世界中に報道された。
帰国後の2009年2月16日の衆議院財務金融委員会での答弁で、中川は会見前に「(ワインを)飲んだのをごっくんということであれば、ごっくんはしておりません。たしなんでいるんです。グラス一杯飲んでおりません」と発言している。
原因は機内での風邪薬の大量服用と同時に飲んだアルコールの相乗効果によるものとしている(ただし佐藤優によると、この釈明では海外メディアに「アルコール中毒」どころか「薬物」を連想させかねないため、釈明の意味をなさない恐れがあるという)。当初飲酒の事実を否定していたが、その後、当日G7の公式行事を中座し、複数の女性番記者と飲食していた事実が判明したこともあり、状況として本人の酒好きから泥酔疑惑が指摘されたが、帰国後の番記者との会話で、当時、会議に行く機内での飲酒と服用した風邪薬の併発の副作用であると釈明している。中川は、機中でも度の強いアルコールを数杯飲用していたことを認めている。この場合、酒と薬による複合中毒を起こし、本来よりも強い効果を示してしまうことが報告されている。
官房長官の河村建夫は会見で、「風邪薬の大量服用が原因。昼食にワインが出て、ぜんぜん手つかずだったということではないが、深酒したとかとは全く関係ない」と述べた。自民党幹部からは「前代未聞の珍事で世界に対して恥ずかしい」「国辱だ」との批判が出た。また、アメリカABCテレビの記者のブログでは、「トヨタ自動車や日産が何万人も解雇していることは目を覚ますのに十分な理由だ」「各国首脳が集まったが、起きているだけでも難しいことが判明した」「(眠いのであれば、会議が開催されたイタリアには)いつでもエスプレッソがある」などと、皮肉交じりの批判などが記載された。
この事態を受けて2月17日、民主党・日本共産党・社民党・国民新党・新党日本の野党5党による、参議院への中川に対する問責決議案提出が固まった。同日、中川は昼過ぎからの財務省での緊急記者会見で、平成21年度予算案およびその関連法案の衆議院通過後に辞表を提出し、財務・金融担当大臣を辞任すると表明したが、即座の辞任ではないために野党側はさらに態度を硬化させ、問責決議案を野党5党で提出、自民党内では「(衆議院通過後の辞任というのは)わかりづらい」(塩崎恭久)、「即座に辞任すべき」(山崎拓)との声が出たほか、公明党の北側一雄も自民党幹部を訪ねて即座の辞任を要請、予算審議における、民主党など野党側の「辞任しなければ予算審議しない」、「辞任表明した閣僚に質問しても意味がない」という、予算委員会欠席の国会対応もあり、結局、同日に辞表を提出するに至った[31]。辞任の際、中川は「予算委員会の雰囲気を見て、自分が辞めた方が国家のためになると判断した」と述べている。後任は経済財政担当大臣の与謝野馨が、財務大臣と金融担当大臣を兼任することとなった。
バチカン美術館でのトラブル
上記の問題の記者会見が終了してから15分後、バチカン市国にあるバチカン美術館を約2時間観光した。そこで、触ることが禁止されている美術品に素手で触ったり、柵を越えて警報を鳴らしたり、ラオコーン像の台座に座るなど非常識な行動をしていたと報道された。中川の事務所は「体調が悪かったため、見学中に入ってはいけない区域に入ってしまって警報が鳴ったのは事実だ。関係者に迷惑をかけることになり申し訳ない」と釈明した。しかし、中川自身は2009年3月14日午前に放送されたCS番組で「非常に事実と違う」「(博物館を)案内してもらい、つつがなく終わったと思っていたらあの報道。(バチカン側も)全く警報機も鳴っていないし、私に注意もしていないとお怒りになっている」と述べ、事実関係を否定したが、政府は2009年4月7日の閣議で決定した答弁書で、中川が2月にバチカン市国のバチカン博物館を視察した際、立ち入り禁止区域に入り、同博物館の警報機が鳴っていたことを明らかにした。答弁書では、同博物館に確認し、「警報機は鳴ったが、その音量は全館に響くほど大きくなく、気づいた人も気づかなかった人もいただろう」としている。(以上)――
なまじっかではないアルコール依存症に陥っていた様子を窺うことができる。アルコール依存者は薬を服用するとき、水や白湯を使わずにアルコールで服用する傾向にあるということを聞いたことがある。これは水や白湯よりもアルコールの方が身近な存在となっているからではないだろうか。
中川昭一の死を若すぎる死として関係者はその死を惜しんで数々の賛辞を捧げた。
自民党伊吹派会長・伊吹文明元財務相「中川先生は同期当選でもあり、年齢的にもこれからの政治家であっただけに、日本のためにも残念です。詳しいことが分からないので、これ以上のコメントは現時点では差し控えますが、ご家族にお悔やみ申し上げ、心からご冥福をお祈りいたします」(msn産経)――
「日本のためにも残念」な死だと、その死を最大限に惜しむことで賛辞に代えている。
河村建夫前官房長官「落選の衝撃が大きくて心身ともに疲れていたのかなあと思う。中川氏の政策能力は高く、将来の日本の政治を担う人だった。再起を期してくれると思っていたので本当に残念だ」(msn産経)
谷垣禎一自民党新総裁「今まで体調が十分でないところがあったのを、つとめて公務に督励されていた。心配していたが、こんな知らせを聞くとは思っていなかった。有能な方で、まだこれから日本の政治にも中川さんの力を発揮していただかなくてはならない局面が必ずあったはずだ。ご冥福(めいふく)をお祈りしたい」(msn産経)
麻生太郎前首相「保守の理念を再生していくうえでは最も期待されておられる人物だと思っていました。自由民主党としても大きいダメージを受けたと思っています」(asahi.com」)
究極の賛辞は自民党幹部が言ったという次の言葉であろう。
「首相になる人だった」(msn産経)
誰もが死を惜しむ声と賛辞を通して中川一郎なる政治家を有能・立派な人物像に描いている。
だがである。誰にとっても過ぎた月日は短く感じて、年をとった人間以外、これから先の時間は長く感じるものだが、中川昭一にとっては過ぎた過去の時間そのものは同じく短く感じるだろうが、財政・金融相を辞任せざるを得なったG7での酩酊記者会見の恥ずべき記憶ばかりか、その影響で今回の総選挙を落選して議員の資格と同時にいくつかの大臣を歴任して築き上げた名誉をも失墜させた悔やむべき記憶を二重に抱えた次の総選挙までの最悪4年間は日々後悔に苛まれる、ある意味地獄を感じさせて長く、それを癒すためのアルコールと睡眠薬とでますますボロボロとなっていって非難や嘲笑を受けかねない可能的事態からすると、死んだことによってそれを避けることができたとも言える。
いわばアルコールと睡眠薬の懲りない常用が次の当選を約束しない障害となって立ちはだかったとき、その懲りない常用に反して関係者が庇い立て、その能力を評価する賛辞を送ったとしてももはや効き目を失って、逆に賛辞を送る者にマイナス要因として働く危険から、見放さざるを得ない状況が生じかねない場面を想定した場合、やはり死がそれを防いだと言えないことはない。
言ってみれば、そうならないうちに死んだことによって、このような賛辞は受けることができたとも言える。
病死の可能性が伝えられているが、自殺ということでなければ、賛辞を損なうことはない。
言葉が数々の失態を取り返してつくり上げることになる名誉回復だが、今のうちなら、それが実像としてとどまる。 |
職業訓練ではない、実地に食べていく教育
〈親の経済格差は教育格差にとどまらず、「健康格差」となって児童生徒に広がっている。〉――
名文章と言えるなかなかの出だしとなっている。ニュースとフィクションの違いはあるが、川端康成の『雪国』の出だし、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」以上に的確に言いたいことを表現している。
「asahi.com」記事――《広がる子どもの健康格差 病院に行けず、保健室で治療も》(2009年10月1日23時27分)
県立高2年生の男子生徒が体育の授業で足首をひねったと保健室にやってきたので養護教諭が腫れ上がった患部を湿布で手当てし、「靱帯(じんたい)が切れているかもしれないから病院に行った方がいい」と言い聞かせたが、次の日も次の日も「湿布を貼って」とやって来て病院に行った様子がない。聞くと、「家には湿布なんかないし、買ってもらえない。・・・・病院に行かなくてもそのうち治る」
親に治療費を払うカネがなくて保健室で直そうとする子や健康診断で異常が見つかってもなかなか再検査を受けない子がいるという。
記事は〈「保健室は本来、初期の手当てをして医療機関につなぐまでが役目だ。しかし、そんなことを言っていられない現実がある。〉と訴えている。
1年前から毎日市販の鎮痛薬を飲んでいた別の2年生が、多分薬を切らしたが、買うカネを持ち合わせていないといった事情からなのか、「薬、ちょうだい」と保健室に頭痛薬をねだりに来る。いつまでも直らない様子だから、養護教諭は心配になって母親に「一度検査を受けた方がいい」と手紙を出したが返事が来ない。校医に治療勧告書を書いてもらって、母親はようやく生徒を病院に行かせた。幸い大事には至らなかったが、放っておけば脳梗塞を起こすおそれがある状態にまで進行していたという。
母親としては子どもが脳梗塞を起こしてからの治療費や最悪寝たきりになった場合の世話や死んだ場合の葬式代よりも安くついた計算になるだろうが、そんな計算など頭に思いつく程の余裕もないということなのだろうか。
この北海道立高校は全校生徒の4割が生活保護を受けているという。ということは親の経済格差を受けて当然の反映として教育格差もあるが、同時並行的に健康格差の影響をも諸にかぶることになっているとしても、それ以前の問題として地方格差が親の経済格差に反映しているということであり、それ以下の格差に連鎖反応しているということであろう。
〈歯科検診では虫歯が8本以上ある生徒が1割を超え、中には20本ある子も。親は日々の暮らしで精いっぱいで、子どものころに歯磨きの習慣をつけてもらっていない生徒が多いという。
「何かあったら治療を受ける、という発想や習慣が全くない。学校を出て、この先ちゃんと暮らしてゆけるのか」 〉と養護教諭の心配を伝えている。
埼玉県のある県立高校の場合は生活保護世帯やひとり親の家庭が多くて、授業料や生活費をアルバイトで賄う生徒が多く、「新入生の3分の1は初年度のうちに退学していく」という。
〈「おなかすいた」。こう言って保健室にやってくる生徒のために、この養護教諭はビスケットやアメを自腹で常備している。話を聞くと、前の日から食事をとっていない子がざらだ。体温や血圧が低く、体育の授業中、うずくまったり壁にもたれたりしてやり過ごす子も多いという。
学校の定期健診で再検査が必要になっても、生徒からまず出る言葉は「検査代はいくら?」。自己負担になる再検査では、例えば心電図だと5、6千円かかるという。再検査を促し、ようやく受診して問題がなかった生徒の保護者からは「お金が無駄になった」と苦情を言われたこともある。「お子さんのためにはよかったんです」と返すしかなかったという。 〉――
記事は親の経済的困窮が子どもに影響、拡大している状況を文部科学省の統計で示している。
●学用品や修学旅行費などを公的に負担する「就学援助」の対象となる小中学生は、
この10年で約78万4千人から約142万1千人と1.8倍に増えた。
●都道府県立高校で授業料の減免措置の対象になっている生徒も、約11万1千人から約22万4
千人へと倍増している。
記事は最後に、〈7月に愛知県で開かれた全日本教職員組合の養護教員の会合でも、子どもたちの窮状が相次いで報告された。これまで埋もれていた親の経済状態と子どもの健康の関係について掘り起こそうと、各地の教員に報告を呼びかけている。(中村真理子) 〉と報じているが、「子どもたちの窮状が相次いで報告され」ているという状況は「就学援助」にしても「授業料の減免措置」にしても、効果を見ない生徒が多くいることを示している。
その証拠が埼玉県のある県立高校の「新入生の3分の1は初年度のうちに退学していく」というケースであろう。
民主党の中学校修了まで最終的に一人当たり月額2万6000円の「子ども手当」の支給と高校授業料の実質無償化が多くの子どもたちの教育にかかる経済的負担を軽くするだろうが、これらの政策が所得制限を受けることになったとしても、金額的に個々の収入格差を埋める決定的な要因とはならないだろうから、経済格差と相関関係にある教育格差をどれだけ埋めることができるかだが、悲観的に思える。
例え2万6000円を得て、今まで通うことのできなかった塾に行けるようになったとしても、親の高収入のお陰で塾代はそれ相応に高いが、成績を上げることで名を馳せている名物塾教師がいるような有名塾に通っていた子どもとの間の教育格差は簡単にはカバーすることはできまい。かなり前のことだが、週末ごとだったと思うが、飛行機に乗って地方から東京の有名塾に通っている子どもをテレビで扱っていたことがあった。
また教育の機会は学校教育だけではない。連休もどこへも連れて行ってもらえない子どもと纏まった連休となると海外旅行に連れて行ってもらって、その土地の情報を目や耳から得て知識とする子どもたちとでは当然教育格差は生じる。小学校低学年のうちにパソコンを買ってもらうことができた子どもと高卒まで学校でしかパソコンに触れたことがない子どもとの間も同じだろう。困窮家庭の中で2万6000円をパソコンの購入、インターネットにつなげるためにプロパイダーと月々3000円だ4000円だといった契約にまでまわせる余裕のある家庭がどれ程あるだろうか。
2万6000円が親の生活費に吸収されて教育費に回らないケースも多々あることも考えなければならない。あるいは国からの支援で高校を無事卒業して大学に進んだとしても、大学を卒業するまでの経費を奨学金やアルバイトで凌ぐ都合上、勉強に手が回らずに大学卒業が名ばかりとなって、大学に進んだ生徒にも経済格差が教育格差となって実質的に付き纏うことになる。
つまり子ども手当てや高校授業無償化が「健康格差」の解消に例え役立つことがあったとしても、教育格差を埋めるまでに個々の収入格差を埋める決定的な要因とはならないということなら、経済格差が教育格差へとつながっていく親から子への、さらにその子から次の子への循環は依然として続くことになる。
教育格差は学歴格差をほぼ必然とする。学歴格差は就職格差へと循環していく。国の支援で高卒までこぎつけたとしても、記事に登場する子どもたちの中から就職格差の影響を最初に受けやすい象徴的対象を挙げるとしたら、やはり「新入生の3分の1は初年度のうちに退学していく」といった生徒たちに向けられることになるに違いない。記事の中にはない高校への進学を希望していながら親の経済的理由から叶えられずに中学卒で学歴を終えていた子どもたちも、同じく国の支援で高卒まで行けたとしても、就職格差の狙いやすい標的とされることだろう。
親から子へと延々と循環していく経済格差から教育格差へ、教育格差から就職格差へ、就職格差から収入格差、そして最初の経済格差へと戻る連鎖を断ち切れないままこれまでと同様に不景気になるとリストラの最初の犠牲者となるパート、アルバイト、派遣、あるいは期間工といった不安定な職業が定番の就職機会しかなく、行く行くは親の経済状況を繰返すことになるということなら、そういった境遇をある意味約束されている者にとって中学や高校の卒業はワーキングプアの保証にしかならないことになる。
そうであるなら、道立高校の養護教諭が経済的事情で腹を空かせた生徒に「ビスケットやアメを自腹で常備」しておくといったことではなく、学校が用意してやることは学校社会でも可能な教育の側面を持たせた自活の方法ではないだろうか。
学校でよくやる職業訓練などを通した卒業後の自活のためのなまじっかな資格の習得は大卒が手にする資格に太刀打ちできない、そもそもからして学歴の点で後れを取って、落着き先は相も変らぬパート、アルバイト、派遣、あるいは期間工といった不安定な職業しか約束されないということなら、大卒と同じレベルで勝負するのではなく、本人の選択に委ねる必要はあるが、義務教育の中学は勿論、在籍している高校が普通高校であっても、希望する者に将来的に生活の糧を得る手段としなくても、農業技術を取得させて学校に在籍している間自活できる方策を講じて、併せて教育手段とすることも一つの手であろう。
自活の方法を身につけることによって生きる知恵が自然とつく。
教室で農業の知識を伝えることから始めるのではなく、あくまでも自活が主であるから、学校の敷地内に畑を作り、先ず実地にバラや菊といった園芸物の育成、あるいは地味が痩せていても育つというサツマイモ等の種を撒く試行錯誤から始めて、育て、収穫まで持っていく。その合間に教室で農業の知識を深めていくといったことをし、収穫物は自分たちの食料とすることは勿論、学校内や学校外で自分たちで販売方法を工夫し、学びながら販売して換金し、次の農作の資材を購入した差引きを、プラスならばということになるが、平等に分配してそれぞれの収入として何分の一かでも自活の形を整えていく。
あるいは夏休み等に農家にアルバイトに行き、農業を職業としている者から農業技術を直接学ぶといったことをしていくばくかの収入を得ることができれば、自活の割合を増すことができる。
自分たちで生産し、その収穫物を製品として、あるいは商品として自分たちで販売して収入を得るというプロセスは自活の学びだけではなく、実人生そのものを学ぶことに重なる貴重な経験となるはずである。
勿論学ぶ対象が農業でなくてもいいが、中学生、高校生が学校の授業として手がけるには元手がそれ程かからないこと、学歴や学歴に応じて得た知識・資格で勝負する職業ジャンルに含まれていないことが学歴を持たない者にとって将来的な有益性につながる可能性を少なからず保証するはずである。
例え高卒でも親の収入に守られて高校教育を十分に自分の知識とすることができる者、同じく親の収入に守られて大学教育を自分の知識とすることができる者と違って不安定な低収入の職業に就くぐらいのことしか保証されない、不景気になるたびに真っ先にクビを切られることしか予想することができない者であって、自分で食べていくぐらいのことは自分でどうにかできるという自活の知恵(=生きる知恵)と開き直りを中学・高校の間に学び取ることができたなら、上記記事の北海道立高校の養護教諭の「学校を出て、この先ちゃんと暮らしてゆけるのか」 〉という心配は少しは解消できるのではないだろうか。
農業のなり手がないと言われている。この不況でクビを切られた大勢の非正規雇用者のうち、どれ程の人数なのか、生活の糧を求めて農家や農業法人に就職する者が出たが、中学、高校で農業を実地に学んだ生徒が仲間と語らって休耕地を借りて農業を始めるといった場面が展開されるケースが生じた場合、なり手の少ない農業分野に雇用が生まれることになる。 |
理由は簡単、二つある。
一つは「閉経して子供を生む能力を失ったババァは文明がもたらした最も悪しき有害なる存在だ」と見なす「ババァ有害論」、中国人犯罪がさも中国人の「DNA」に植えつけられているといった「中国人犯罪DNA論」、重度障害者に対して「ああいう人ってのは人格あるのかね」と口にした「重度障害者無人格論」に見ることができる人権意識を欠如させた人間、生命軽視の人間にオリンピック開催の責任者足り得ないからだ。
もう一つの理由は東京と福岡が立候補を表明したとき、東京反対、福岡開催賛成のブログを書いたが、そのときの理由と同じで東京一極集中を加速させて都市と地方の格差を拡大一方に方向付けることになると思ったからだ。
鳩山首相が開催地最終決定の国際オリンピック委員会(IOC)総会に出席するためにデンマーク・コペンハーゲンに乗り込んで東京招致のプレゼンテーションを行ったが、東京招致は民主党が掲げる地方格差の是正をより困難とする矛盾した行動のように思える。東京開催と決定した瞬間から、日本は活気づくだろうが、その多くは心理的なもので東京が位置する首都圏以外は長続きせず、2016年に向けて人もモノも情報もすべてに亘って東京に流れ込んで、地方格差を拡大させるに違いない。
2016年の世界経済がどのような状況にあるかは分からない。もし不況下にあれば、東京開催による経済効果は景気刺激策となるだろうが、現在でも目に余るものがある地方格差を東京開催によって逆に拡大させていた場合、例え民主党が地方分権を推し進めたとしても、差引きゼロに持っていくことは現在でも困難なのだから、より一層困難になるに違いない。
「YOMIURI ONLINE」(2006年8月31日)が東京開催が実現した場合の第一生命経済研究所の経済効果試算を6.4兆円と伝えている。
〈開催直前の13~16年の4年間で、国内総生産(GDP)を計6・4兆円押し上げ、09~12年の4年間に比べて、年平均0・3%のプラス効果があるとしている。〉――
その内訳を〈東京都は今回、新たな用地取得は一切行わず、施設建設を極力抑える方針を打ち出しており、経済効果は観光収入などが中心となる模様だ。〉としているから、人と情報の東京への流入を主とした経済効果ということだろう。
「YOMIURI ONLINE」が伝えていた第一生命経済研究所の経済効果試算6.4兆円に対して「NSJ日本証券新聞ネット」(09年4月21日)が伝える経済効果は2.8兆円と控え目になっている。
〈五輪開催の経済効果について、道路などの社会資本整備を除き、競技施設などの建設投資で4900億円、観光客の消費支出などで7800億円と、計1兆2700億円の需要が増加するといわれ、これに雇用増加などの波及効果を加えると、都内で計1兆6000億円、都外で計1兆2000億円の総額2兆8000億円が見込まれている。関連ビジネスへの期待も膨らむだろう。〉――
ここで言う「都外」とは首都圏を指すのだろう。東京一極集中促進を決定づける内訳となっている。
国際オリンピック委員会(IOC)総会は1回目の投票でマドリード(スペイン)28票、リオデジャネイロ(ブラジル)26票、東京22票、シカゴ(アメリカ)18票で先ずシカゴをふるい落とし、2回目投票でリオデジャネイロ46票、マドリード29票、東京20票で東京がふるい落とされ、決選投票の3回目でリオデジャネイロ66票、マドリード32票でリオデジャネイロに決定した。
これまで一度もオリンピックが開催されたことがなかった南米での初の開催だと言うことだが、オリンピック開催についてはそういった劇的な要素――意外性こそが必要なのではないだろうか。
前評判で最有力候補だったシカゴが最初に落選したことと、同じく前評判で圏外と言われていたマドリードが最後まで残ったことは意外な結末と言える。
民主党政府はなお一層の東京一極集中を約束させる確率の高い東京オリンピック開催よりも、より困難な地方格差の腹を据えた確実な是正を目指すべきだろう。東京やそれ以下の大都市だけが生き残って圧倒的多数の地方都市が沈み、国の富が偏った状態が続くようなら、決して正常な国家とは言えまい。 |
江田五月参議院議長(会派離脱中)・川端達夫文科相・直嶋正行経済産業相・松本剛明衆院議院運営委員長・松野頼久官房副長官の民主党5議員関連の政治団体が政治活動費としてキャバクラやクラブへの支出を計上していたと昨30日(09年9月)、各記事が伝えている。
9月30日付「毎日jp」記事――《民主党:5議員の団体、政治活動費で飲食 03~07年、計500万円》からその詳細を見てみる。
江田五月会――東京・西浅草のキャバクラなど計11店27件、計237万円余の支出。
代表川端達夫「民主党滋賀県第1区総支部」、川端達夫資金管理団体「川友政治研究会」、政治団体「達友会」――東京・赤坂のクラブや新宿のニューハーフショーパブなど6店14件、計114万円余の支出。
直嶋正行経済産業相(参院比例)の秘書が会計担当者を務める政治団体「直嶋正行後援会」――3店8件、計146万円余の支出。
松野頼久官房副長官(衆院熊本1区)資金管理団体「政治システム研究会」――2店3件、計51万円余の支出
松本剛明衆院議院運営委員長(同兵庫11区)資金管理団体「松本たけあき後援会」――2店2件、計34万円余。
政権担当時代の自民党が長年の与党の権威で政治献金を掻き集めて手に入れた資金力と威勢をバックに赤坂や新宿の高級料亭で女を侍らせて飲み食いに使うカネから比べたら、たいした金額ではないかもしれないし、資金力に応じた自民党の高級料亭に対するクラブ・キャバクラといった店の規模かもしれないが、しかしこのことは単に野党という立場上、自分の懐を痛めないで済む、自由に使える政治資金等のカネが少なかったことの反映でしかないだろう。与党となって政治献金などのカネの集まりがよくなれば、女を侍らせて飲み食いする場所がいつ自民党化しない保証はない。
自民党にしても野党という冷や飯食いの冷遇が祟ってカネの集まりが悪くなれば、森喜朗や古賀誠といったボスの場合はカネを出す側との長年の腐れ縁からカネの集まりに異変は来たさないかもしれないが、多くは飲み食いの機会が野党時代の民主党化へと進まない保証はない。
上記「毎日jp」記事は次のように伝えている。
〈民主党は03~07年に計約548億円の政党交付金を受け、これは党本部の全収入の約8割。同党が所属議員に配る「政党交付金ハンドブック」は、交付金から酒を伴う飲食費の支出を禁止している。〉――
「支出の禁止」を忠実に守っていたかどうかは不明だが、政党交付金以外見るべき献金がない状況からも窺うことができる飲み食いする店の規模、飲み食いに使う金額の規模であったということではないだろうか。
記事は最後の方で各議員の事務所の話を載せている。
〈◇江田事務所の話
議員は(接客飲食店での会合に)参加しておらず、会員や支持者、秘書らが参加した。(不適切との)指摘にかんがみ、支出のあり方を(五月会の)役員会で検討してみたい。
◇川端事務所の話
法に基づいて正確、適切に記載している。それ以上は答えられない。
◇直嶋事務所の話
収支報告書の記載通りで間違いない。それ以外は答えられない。
◇松野氏の代理人弁護士の話
いかがわしい風俗店とは違い、打ち合わせの場所として活用している。不適切とは思わない。
◇松本事務所の話
このような費用は個人負担せよとのご指摘はごもっとも。議員から相当額の寄付を(返還分として)受けることを検討したい。〉――
日付は同じだが、別の「毎日jp」記事――《民主党:5議員団体、歓楽街で「政治活動費」「行きたいという後援者がいて…」》が江田議員の秘書と川端氏の会計責任者の説明を載せている。
〈キャバクラやクラブへの支出が最も多かった江田五月参院議長の資金管理団体「全国江田五月会」は、07年8月に江田氏が議長に選出された後も、東京・西浅草のキャバクラに2回、計13万円余の支払いがあった。この店によると、日によって「ワイシャツのみでお出迎え」「ナースのお仕事」「浅草中華街」などと称し、女性従業員が下着の上にワイシャツだけ着た姿で接客したり、看護師姿やチャイナドレス姿で接客することもあるという。〉――
江田氏の秘書「行きたいという後援者がおり、情報交換という形(で行った)。議長は一切参加していない」
「中には新聞や雑誌を含めたマスコミ懇談会もあった」――
但し、具体的にいつの会合だったかについては「分からない」と言葉を濁したとのこと。
また、選挙区岡山県の後援者が上京した際などにも使ったという。
「新聞や雑誌を含めたマスコミ懇談会もあった」があまり突つくと困るのはマスコミの方だぞというそれとない威しなのか。具体的には詳細を明らかにできないことを口にすること自体が怪しい。それを口にできたのは事実ではないと疑われても仕方があるまい。
川端氏の事務所の場合。
〈川端達夫文部科学相の政治団体「達友会」では東京・新宿のニューハーフショーパブへの支払いがあったほか、同氏が代表を務める「民主党滋賀県第1区総支部」では、京都・祇園で舞妓(まいこ)姿の女性が接客する店もあった。〉――
川端氏政党支部の会計責任者「法に基づいて正確、適切に記載している。・・・・(川端氏本人の参加については)答えられない」――
例え「情報交換」や「打ち合わせ」が主たる目的であったとしても、自分の懐から出たカネではない政治活動を目的とした政治資金を、面白おかしくだろう、女を侍らせて飲み食いする愉しみを付け足して費やす。女や酒が情報交換に必ずしも必要な舞台装置ではないし、本来ならそれぞれが自分の懐を痛めるカネを使うべき愉しみでなけれならないはずだが、そうはなっていない。
情報交換、あるいは打ち合わせと言いつつ、政治資金を使って女を侍らせて飲み食いさせる機会を提供した側にも、政治資金で女を侍らせた飲み食いの機会を受ける側にも、そこに自分の懐を痛めるわけではないという卑しさがなかったろうか。
この卑しさは民主党議員だけではない。1988年、旧大蔵省金融検査部幹部が抜き打ち検査がタテマエの検査日を金融機関に漏らして有名無実化し、その利益交換にゴルフの接待や高級料亭での飲み食い、女性が下着を着けないで身体の前を前掛けだけで隠して接客するノーパンしゃぶしゃぶ等で飲み食いの接待を受けていたことが発覚している。
これも卑しくなければできない自分の懐を痛めなずに他人のカネで面白おかしく愉しに耽る機会の取得であろう。
現在も国の役人が国家予算を使った事業で随意契約や一社応札の高値で発注してその見返りに何らかの形でキックバックを受けて、それを原資に飲み食いに使うといったことをしている。2007年に発覚した守屋武昌前防衛次官の航空・防衛専門商社「山田洋行」の元専務からの夫婦で200回以上に亘るゴルフや食事の接待は典型的な例である。
地方役人も国からの補助金を巧みに操作してカラ発注等で裏ガネを捻出、それを元手に飲み食いに回している。2008年10月に会計検査院が任意に選んだ12道府県の国庫補助事業を調査した結果、全道府県で裏金づくりなどの不正経理が見つかった問題。そして平成19年度までの5年間で千葉県が約30億円もの不正経理を行ったことが発覚した問題。浮かしたカネを裏ガネにまわして一部を飲み食いに使っていたことはやはり自分の懐を痛めないで飲み食いの機会を得ようとする卑しさがなければできないカネ遣いであろう。
民間企業でも、不景気だから減ってきてはいるだろうが、接待と称して自分が飲み食いする目的で無理に取引会社との接待の機会をつくってクラブなどに出かける。あるいは平日であるにも関わらず、接待を口実に自分がしたいゴルフに出かける。これらも自分の懐を痛めめずに飲み食いやゴルフの愉しみを得ようとする卑しさが衝き動かした会社のカネからたかる一種の“タカリ”に他ならない。
なぜかくも卑しい日本人ばかりなのか。 |