小泉首相が「『政党ですから、よく現実の情勢を踏まえながら、対応するんじゃないでしょうかね』と自民党を離党している『郵政反対組』について、来夏の参院選前後にも復党を容認する考え」を「訪問先のヨルダンで記者団に語った」と「朝日」の7月14日(06年)の朝刊に出ていた。
法案に反対したからと昨夏の郵政民営化法案否決解散による衆院選では党公認を与えず、無所属で立候補した者や新党を結成した立候補者には対立候補(刺客)まで放って当選を阻むといったことまでして、その上除名・離党勧告を出して党籍を奪う容赦のない排除を行っておきながら、来夏の参院選では厳しい戦いが予想されるからと「参院選で自民党候補のために全力を尽くす努力を一生懸命にやっていただくこと」(武部幹事長)を交換条件に〝排除〟を1年そこそこで、舌の根も乾かぬうちにと言うべきか、なりふり構わずにあっさりと撤回しようとする。
政治にしても如何に自己都合(=自己利害)で動いているか、その最たる証明であろう。尤もなりふり構わない自己利害の印象を薄めるべく、小泉首相は「自民党を応援してくれる人なら何でもいいという考えは政治家、政党の常だが、政策を推進するうえでプラスかマイナスかを判断しなければいけない」(同記事)ともっともらしげな条件をつけているが、郵政民営化法案棄権・欠席組には衆院選での公認との引き替えに「郵政民営化と小泉構造改革に賛成する」旨の文書提出を要求して、要求どおりのことをさせている。
そのような一旦は示した反対の意思表示を撤回させた〝公認〟をエサとした賛成への転向は、それを要求した側にしても、要求されて応じた側にしても、相互の政策意思を不問し合う行為で、「自民党を応援してくれる人なら何でもいいという考え」に立った無節操を既に犯しているのであって、小泉首相の今さらの言葉が如何に奇麗事に過ぎないかが分かる。
そのあと小泉首相は「『参院選の協力具合によって(復党の可否を)判断してもいいだろうという動きも出てくる。今ことさら決めることはない」と語り、次の総裁に判断を委ねる考えを示した」(同記事)と言うことだが、参院選挙を戦う当事者である自民党青木幹雄参院議員会長の、会長という立場上、例え議席を減らしたとしても敗北を喫するわけにもいかない危機感がまずあり、小泉首相の意を受けて先頭に立って造反組いじめを展開してきた武部幹事長が「参院選で自民党候補のために全力を尽くす努力を」といじめをケロっと忘れた復党予定の露払いを既に務めているのである。それに引き続く小泉首相の意思表明である以上、「今ことさら決めることはない」どころではない既に決定事項となった復党であろう。
既定路線となった復党であるにも関わらず、「今ことさら決めることはない」は除名・離党勧告・協力文書提出を主導した張本人がそれらを不問に付して自ら決定する形とした場合の信念を曲げたとの批判が起こることを避けるための先送りであって、その言葉自体も自己都合(=自己利害)を優先させた奇麗事に過ぎないことが分かる。
郵政民営化法案に反対して自民党を離党した無所属らが計画していた新会派結成の年内の計画見送りにしても、自民党側の復党受け入れ意思を受けた自己利害からの展開だろう。復党願望を持ち続けていたということだから、当然と言えば当然の自己利害行為とは言えるが、自らの政策意思を自ら棚上げにする、あるいは不問に付す自己信念を捨てた自己利害行為であることに変わりはない。
昨夏の衆院選で造反組に刺客として対抗馬とさせられ、当選した新人を含む議員たちは彼ら造反組が復党した場合の次期衆院選で選挙区が競合しかねない恐れから、復党を慎重に行うよう党執行部に申し入れることを検討したということだが、これも当然の自己の利益を守るための自己利害行為ではあるが、「政策を推進するうえでプラスかマイナスかを判断しなければいけない」とした小泉首相の主張とは無縁の議席を維持できるかできないかだけの自己利害騒動となっている。
真に切実な問題は政策ではなく、選挙に勝利するかしないか、議席を維持できるかできないか、復党できるかできないかであって、小泉首相の復党容認にしても、選挙に勝利するかしないかの自己利害からの意思表明であり、それを誤魔化すそれぞれの奇麗事の展開に過ぎない。
将来的に増税せざるを得ない消費税率をはっきり明示しないことも、参院選の勝敗を睨んだ自己都合(=自己利害)であって、それに続く自己都合(=自己利害)が造反組の復党というわけである。
常任理事国の資格を民主主義国家とすべき
今回の北朝鮮の7発のミサイル発射に対する国連安保理を舞台とした各国の対応策は制裁か、制裁には反対、単なる議長声明で済ませるか、それよりも言葉を強めた非難決議で双方の妥協を図るべきか、そのような駆引き・思惑が交錯する中、一方で6カ国協議への復帰・新たなミサイル発射の凍結約束を条件とした中国の北朝鮮説得の行方を見守るといった経緯で推移していたが、説得困難な事態を受けてか、中国・ロシアが制裁阻止を狙った独自決議案を非公式に提示したという状況へと進んでいるのは見ての通りとなっている。
各国共国益(=自国利害)で動く。国益こそ正義の体裁を成している。人間が利害の生きものである個人性の延長線上にある国家を基準とした利害が国益である。一方の国に於いてそれが不正義そのものの行為に当たる場合であっても、当事国に於いては正義以外の何ものでもないといった食い違いが当然のように生じる。
中国・ロシアは北朝鮮と友好関係を結んでいる。日本の制裁決議案反対は北朝鮮の友好国である中国・ロシアとしては〝友好〟を維持する当然の国益(=自国正義)に相当する意思表示であろう。
いわば国連の安全保障理事会が世界の平和と安全の維持を任務とすると高邁な理想を掲げながら、その高邁さとは裏腹に拒否権を持つ常任理事国である5大国のそれぞれの関係国・友好国の国益をも絡めた賛成・拒否・棄権によって意思表示させた国益(自国正義)の趨勢が具体的に目に見える形で現れることになる世界の平和と安全を構成する核心部分を形成しているのである。
当然、世界の平和と安全の行方は最終的には大国の国益が制約することになる。イスラエルとパレスチナの紛争がその好例であろう。またイランの新体制アフマディネジャド大統領はアメリカを牽制する狙いで中ロが主体の上海協力機構との結びつきを強めようとしているのに対して、中ロがイランに持つ自国権益擁護の立場から、それを利用しようとしていることも、国益の制約によって成り立つ世界情勢を証明して余りある。
独裁国家でも、国連安保理常任理事国に友好国を抱えていたなら、独裁体制が正義とする国益は有利な扱いを受け、そのことが独裁体制下の国民の正義と一致しない場合、当然のこととして国民の正義を犠牲とした不公平・不平等な国益が擁護され、世界に罷り通ることとなる。
大国の国益(=自国正義)が往々にして利害関係を持たない小国やその国民の利益を無視する形で成り立たすことができるのは、こういった関係からだろう。国連の機能不全がよく言われるが、世界の平和と安全が民主主義の原則を正義として実現が図られるのではなく、それぞれの国益を正義とする国々を構成員として、その連合で成り立っている国連自体が抱える国益優先(=自国正義優先)の構造に左右される矛盾が国連の機能を限界づけていることから起きている不全性だろう。
正義は国連にあるのではなく、構成国それぞれの国益に基盤を置いている。
中国・ロシアが北朝鮮のミサイル発射を擁護して制裁に拒否権を発動したとしても、誰も非難はできない。かつて国益のためにアメリカはイランのバーレビ国王独裁体制に、さらにイスラム革命後のイランホメイニ体制に対する敵対からイラクのフセイン独裁体制に軍事・経済支援を行っていたし、日本はスハルトインドネシア独裁体制の最大の経済支援国だった前科を抱えている。そして現在でも日本はミャンマーの独裁体制には目をつぶり、最大の援助国の地位を維持し、アメリカは対ロシア・イラン牽制と石油・天然ガス確保の立場から、その世襲独裁体制を無視して、ロシアとイランに挟まれているアゼルバイジャンとの関係を深めている。
国連が自らの機能を回復させるために安保理構成国を現行の15から24とか25に増やし、そのうちの数カ国を実質的な経済的国力を基準に常任理事国とすべきとしたとしても、あるいは安易な拒否権行使に制限を加える規定を設ける方向へ持っていったとしても、国益が世界の情勢を決定、あるいは制約を加える力学は変化しない。
改革は否定しないが、常任理事国が新たに増えることで、現常任理事国が自らの権限を制限する恐れのある国の常任理事国入りには反対という既得権擁護の国益(自国正義)を背景とした改革姿勢からして、世界情勢と国益の関係を露骨に証明している。
世界の国々が国益(=自国正義)から離れることが不可能なら、例え常任理事国が現行の5カ国で推移したとしても、その資格を基本的人権の保障を憲法で規定した民主主義国家とすることを改革のあるべき姿とすることではないだろうか。民主主義国家でない国はその資格なしとする。あるいは民主主義国家でなくなった国はその資格を失うとする。
そうすることによって、例え国益で行動したとしても、民主主義の趣旨に反する行動に意識的にでも制約を与えることが可能だろうからである。
常任理事国を民主主義国とするとした場合、中国がその資格を失って、常任理事国からの除外標的となるが、5年~10年の民主化の猶予期間を与えて、民主化を促す方法も考えられる。相手国の政治体制を不問とし、結果としてその政治体制の擁護につながる中国のアフリカ・中東向けの資源外交に関しても、ある種の制約を加えることになるのではないだろうか。
常任理事国が民主主義国家であることを規定する以上、その国際的行動に於いても、民主主義国家にふさわしい自由と民主主義に則った行動を求められるだろうからである。
この点については、アメリカにしてもロシアにしても当てはめられるべき行動基準となる。勿論、常任理事国入りを目指す日本に於いても。
半年も前のことだが、05年11月の米国大統領ブッシュとの日米首脳京都会談終了後の記者会見で、小泉首相は「日米関係がよければよいほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける」と確信に満ちた様子で言ってのけた。会談でブッシュ個人との強い絆だか友情を再確認して、そのことが日米関係の今後の揺るぎのなさを保証するとしたらしいことも問題だが、その確かさに目の前に開ける世界が前途洋々たる極彩色のバラ色に輝き、すべてが日米関係どおりにうまくいくと思い込んでしまったのだろうか。
日本の「中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国」それぞれとの間に現在抱えている利害、あるいは将来的に抱えることになる利害がアメリカとの間に抱え、抱えることになる利害と常に同一・同様に推移するというなら、日米関係に於ける問題解決の方法を他の国々にも応用させることも可能で、日米の良好な関係がそっくりそのままに世界各国にも反映・投射されるだろうが、現実には国によって抱える利害がそれぞれに異なる。
小泉首相の言うとおりなら、韓国と中国との間に抱えている竹島、尖閣諸島等の領有権問題にしても歴史認識の問題にしても、日米関係の良好さが遠い昔に解決してくれていたことだろう。北方四島問題にしても同じことが言える。
他の国々との間のそれぞれに異なる関係式をその異質性を無視して日米間の関係式に一括りしてしまう客観的分析能力は世界の中で日本の指導者に関してはふさわしい単純さ・情緒性と言えるのかもしれない。
戦後60年間のときには感情的な国益の衝突をもたらしもしたが、ほぼ一貫して良好・緊密な日米関係が日本の経済的な繁栄をもたらした。そのような受け止めは正解と言える事実であろう。だから、世界各国とも良好な関係が築けると錯覚したのかもしれない。
だが、日本が日米関係に主体的に関わりつつ日本独自に創り出した政治・各制度を駆使して築き上げた経済的繁栄ではなく、後追いして採りいれたか、あるいは直接的に指示・誘導を受けて採りいれたアメリカ発日本着の政治・制度が与えてくれた、いわばアメリカの果実・恩恵を受けた従属的経済的繁栄が実態といったところだろう。
その従属性を痛いほど知っていたからか、あるいは無意識に弁えていたから、「日米関係がよければよいほど」とアメリカを後ろ盾としていれば大丈夫だとする従属意識を滲ませた言葉となって口を突いて出たのかもしれない。
日本の経済的繁栄が〝アメリカ発日本着〟の政治・制度の成果であることを証明する『朝日』の記事『検証・構造改革⑥第1部・官から民へ 米の要求、多くが実現』(06.7.7朝刊)がある。
会談で「日米が互いに規制緩和を求めた協議の成果をまとめたものだ」とする『日米規制改革及び競争政策イニシアチブ・第5回報告書』が公表されたそうだが、アメリカからの対日要求を受けて「日本側措置」として実現させた改革が、いわば〝アメリカ発日本着〟の政治・制度によって構造改革の名のもとに推進・結実させた成果と重なることを伝える内容となっている。
尤もその〝従属性〟は「構造協議以来、日本政府は米国の要求を多くのんだ。ただそれが圧力に屈したとばかりは言えない。要求内容には日本の消費者の要望を巧みに取り 込んだ物が少なくなかったからだ」と擁護してもいるが、「圧力に屈した」とまでいかない場合であっても、日本自らが創り出した教材ではなく、既にあるアメリカの教材をサンプルとして、それを後追いしなぞった政治・制度である事実(従属性)は残る。
一覧表で紹介してあった「米国政府の主な対日要求と日本政府の対応」を転載してみる。
米国政府の要望 ―― 日本の法・制度改革
大店法の廃止 92~94年 大店法緩和
00年 大店法廃止
通信分野の競争強化 97年 NTT分割・分離
建築の規制緩和 98年 建築基準法改正
人材派遣の自由化 99~04年 労働法改正
会計制度改革 01年 時価会計制度導入
外国人弁護士の参入 03年 外国人弁護士法改正
医薬品販売の拡大 04年 コンビニでの医薬品
販売解禁
医療分野の開放 04年 混合診療の一部解禁
談合排除
課徴金制度の強化 05年 独禁法改正
郵政民営化 05年 郵政民営化法
合併手続きの柔軟 05年 新会社法
知的財産の保護 06年 特許法改正
(米国政府の要望は89年の日米構造協議以降、05年までの
主張)
――――
郵政民営化がアメリカの対日要求であったのだから、小泉首相が「改革の本丸」と位置づけたのはブッシュとの親密な関係からして当然の措置だったわけである。
一覧表には出ていないかったが、記事の中で一部触れている銀行等の不良債権処理策を含めた金融改革のアメリカの制度・政策の取り込みも〝アメリカ発日本着〟の従属性の一端を物語るものだろう。
また、政治関係以外でも、セカンド・オビニオン制度やインフォームド・コンセント、バイオエシックス(生命倫理)と言った医療分野における制度・思想、身体障害者の盲導犬・介助犬・聴導犬に関する障害者の生活機能向上を含めた社会参加拡大を目的とした制度・思想、同じく身体障害者を企業に雇用の促進を義務づける同じく社会参加拡大を策す制度・思想、あるいは生命に関わる病気治療新薬の審査機関を短くする米国式スピード認可への追随、経営の透明性を高めるための米国型企業統治(コーポレートガバナンス)や社外取締役制度の導入、不動産や住宅ローンの証券化といった様々な新規金融商品等の導入開発は同じ線上にある〝アメリカ発日本着〟の従属性として存在する制度・思想であろう。
しかしこういった政治・制度、あるいは思想の対米〝従属性〟は驚くに当たらない。日本は大和政権以来、中国・朝鮮半島の文物・制度・技術・思想を移入し、それらを基盤に国・社会を成り立たせてきて以来、織田・豊臣時代から江戸時代末期にかけてはオランダ・ポルトガルの、江戸末期移行はイギリス・フランス・ドイツの、戦後以降は主としてアメリカのと、それぞれの国・地域の制度・思想・技術を順番に付け加えて、それらに従属する形で国・社会の維持を図ってきたことを歴史・伝統・文化としてきた政治・制度の〝従属性〟なのである。
世界に学ぶべき教材が存在したにも関わらず、それを無視して〝従属〟とは離れた場所で自らが創り上げた〝日本発〟の政治・制度と言ったら、1950年代には在宅治療が主流の世界標準に反して独自に1996年まで強制隔離政策を続けてきたハンセン病(らい病)に関わる政治・制度、同じく世界の教材を無視して政治の企業寄りの姿勢・思想による不作為によって世界各国と比較して対策が大幅に遅れ、被害を無意味・いたずらに拡大させた血友病患者のエイズ拡大やアスベストに関わる政治・制度を挙げることができる。
水俣病は世界に教材はなかったが、日本独自の企業寄りの政治・制度が成果とした無意味・いたずらな被害拡大という点では、エイズ・アスベストと同根の政治災害といったところだろう。
以上見てきたように日本が自らの歴史・伝統・文化としている政治・制度の自らは独自に創り出すことのできない〝従属性〟は何が原因とした日本の歴史・伝統・文化かと言うと、日本人が歴史・文化・伝統的に行動様式・思考様式としてきた権威主義以外には考えられない。
権威主義自体が上が下を従わせ・下が上に従う〝従属性〟を核とした行動性であって、そのような行動性を最も象徴的な具体的・現実的方法で日本人の年齢的に初期・中期的な人間形成に関わって日々補強・充填し、確固とした不動の行動性とする働きをしているのが学校教育(暗記教育)である。
機会あるごとに言っているのだが、暗記教育(学校教育)は教師が教科書やその教科書に関係する参考書の知識をなぞって、なぞったままに生徒に覚えるべき知識として伝え、生徒はその知識をなぞった形で暗記していく既知の知識への従属を構造としている。いわば、覚えること(=記憶すること)を主体とした教育となっているのだが、覚えること(=記憶すること)とは知識への従属を意味する。そこにとどまらないことによって、知識は従属から離れて独自性を獲得していくのだが、日本の教育はその手立てを持たない。
これは人間関係に於ける権威主義の上が下を従わせ、下が上に従う日本人の〝従属性〟が知識の授受に於いても反復発揮され、そのままで終わっている状況を受けた〝従属性〟であろう。
いわば権威主義の行動・思考様式が学校に於いても教師・生徒間に当然のこととして作用し、そのような権威主義の力学に則っただけの知識の授受が暗記教育の形を取って日々新たな刷り込みを繰返し、そこから一歩も出ていないということである。
そこでの議論は当然のことだが権威主義の行動・思考様式を反映させた知識のなぞり(=〝従属性〟)の支配を受けて、なぞることで既知となっているその範囲内の言葉のやり取りに限られ、そこから一歩出て自他の考えを主張しあったり、相互に吟味・批判することで新しい言葉を付け加えることもなく、そのように言葉を新しく創り出していく議論の不在が生徒それぞれの想像性(創造性)の育成を阻み、当然知識は従属から離れて独自性を獲得することもなく、独自性を欠いた〝従属性〟のみを資質とする日本人を結果として無目的的に連続生産していく役目を学校教育は担うことになる。
そのような教育の洗脳を受けて、日本人は従属型人間となって成長していく。〝外国発日本着〟の〝従属性〟に支配された政治・制度を日本の歴史・伝統・文化とするに至ったとしても、従属型日本人としては何の不思議もない当然の帰結現象である。
小泉改革を含めた日本の政治の構造改革にしても、日本人の行動様式となっている〝従属性〟からの支配を免れることはできず、〝外国発日本着〟の〝従属性〟によって成り立たせている政治・制度を基盤とした改革となるのは必然としてある成果であって、その遠因が日本人の行動様式に於ける〝従属性〟をより確かなものとして育み、刷り込むこととなる暗記教育にあるというわけである。
小泉構造改革にバンザイを唱えるとしたら、日本の暗記教育にこそバンザイを唱えるべきだろう。
◎参考までに既出の一覧表を除いて『朝日』の記事の全文を転載しておきます。
『検証・構造改革⑥第1部・官から民へ 米の要求 多くが実現』(06.7.7『朝日』朝刊)
6月29日,ワシントンでのブッシュ大統領と小泉首相の会談は「歴史上、最も成熟した2国間関係」と共同文書で謳い、5年間の蜜月ぶりを示した。
会談ではもう一つの文書が公表された。「日米規制改革及び競争政策イニシアチブ・第5回報告書」。日米が互いに規制緩和を求めた協議の成果をまとめたものだ。郵政民営化、特殊法人改革、司法制度改革、新会社法・・・・。「日本側措置」と書かれたページには米国の対日要求で実現した事項が並んでいる。
日米構造協議
60~80年代にかけて、繊維、鉄鋼、自動車、半導体などの対米輸出が貿易摩擦の火種となり、日本はその都度、輸出自主規制で対応した。それでも貿易不均衡は変わらず、米財務省は日本の大蔵省(現財務省)に「日本の市場開放のため、輸出を妨げている構造問題を協議しよう」と持ちかける。
そこで米国から大規模小売店法(大店法)の見直しをはじめ、240超の要望が出た。当時交渉の最前線立った畠山譲・元通商産業省審議官は「内政干渉の制度化だった」と振り返る。
構造協議はその後クリントン政権で日米包括協議、日米規制緩和対話などに衣替えし、ブッシュ政権で「イニシアチブ」になった。
細かく具体的
日米双方がお互いに規制緩和を求める「年次改革要望書」は相互主義だが、米国からの要望項目の方が多いし、中身も具体的で細かい。ここに載った郵政民営化、不良債権処理の加速、公正取引委員会の強化などのメニューは、小泉構造改革の内容と重なる。
ただ、90年代と様変わりなのは、かつて製品ごとの輸入目標やシェア目標の設定まで求めてきた米国の高圧的な姿が今は見えないことだ。
『騙すアメリア騙される日本』の著書がある元外務省職員原田武夫氏は『竹中総務相や規制改革・民間開放推進会議議長の宮内義彦氏など、米国流の市場経済を志向する人が政策チーム入り、米国が強硬に要求するまでもなくなった』と分析する。
小泉政権で『経済政策の司令塔』と言ってもいいほどの役割を果たしてきた竹中総務相には、幅広い米国人脈がある。米ハーバード大留学時代に培ったものだ。
02年秋、竹中氏が金融相となり大胆な不良債権処理策を進めようとして自民党内から激しい批判を浴びたとき、『米国は竹中氏を支持する』と助け舟を出したのは竹中氏が旧知のハバード米大統領経済諮問委員会委員長(当時)だった。
郵政民営化の制度設計を進めていた頃、郵政民営化準備室の幹部らは、米国の財務省、通商代表部、駐日公使ら政府関係者や米民間人と頻繁に会った。
野党議員から『米国の言いなりの郵政民営化ではないか』と批判された竹中氏は『おとぎ話のような批判だ』と反論した。
構造協議以来、日本政府は米国の要求を多くのんだ。ただそれが圧力に屈したとばかりは言えない。要求内容には日本の消費者の要望を巧みに取り込んだ物が少なくなかったからだ。
大店法の見直しもその一つ。米国が『市場参入の障壁の象徴』と撤廃を求めてきた背景には、米大手玩具チェーンのトイザラスの対日進出があった。ただ、安くて豊富な品揃えの大型店が地元にできることを歓迎する消費者の声があったのも事実だ。大店法は92年から段階的に緩和され、00年に廃止された。
出店規制復活
その出店規制が今、別の形で復活する。大型店が郊外に移ることで中心市街地の商店街がさべれる『シャッター通り』化を問題視した政府は、大型店の郊外出店を規制する改正法を先の通常国会で成立させた。
改正法案の提出をめぐって、政府内では議論もあった。昨年末の経済財政諮問会議。民間議員の本間・大阪大教授は『構造改革に逆行するととらえられるとマイナスだ』と批判。二階経産相が『中心市街地の空洞化は目を覆わんばかり。放置は許されない』とは論した。
構造協議で共同議長も務めた内海孚・元財務官は日本が受け入れた政策を振り返り、こう反省する。『米国の主張のすべてが世界標準ではなかった』(大滝俊之)」
奈良県で私立高校1年の長男(16)が自宅を放火し母子3人を死亡させた放火殺人事件(06年6月20日)のテレビ報道で、教育評論家だかが「父親が子に対して強すぎる関係にあった」ことと、最近の類似事件多発化の傾向に関して「子どもの我慢する力が弱くなってきている」ことが背景となっていることを挙げていた。
言っていることを裏返すと、以前は(よく使われる言葉で、〝昔は〟)子どもに「我慢する力があった」、あるいは子どもは「我慢する力を持っていた」ということになる。 「我慢する力」は何年前頃から使われ出したのか、「我慢力」という言葉で表現されているらしい。
各種報道から事件の経緯を見てみると、医師である父親(47)が長男も医師の職業に就かせようとして学校の成績にうるさく、成績が悪いと、ときには殴ったらしい。長男は中間試験で下がった英語の成績のことで叱られるのを恐れて「できた」とウソをついてその場を取り繕ったが、保護者会で中間試験の成績が報告されることからウソの発覚を恐れて、それが犯行への直接的キッカケとなった可能性が高いと報じている。
長男が通っていた私立校の校長は事件後、「中間試験の英語は、中学3年の最後の試験に比べ少し悪かったが、気にするほどの落ち込みではない」と話しているとのことだが、にも関わらずウソをついたのは父親が「気にするほどの落ち込み」ではなくても許さないほどに成績には厳しかったということを示している。成績が常に上がることを求めて、少しでも下がることを許さなかった状況を背景としていたと受け取れる。
そのことは父親が勉強部屋を〝ICU〟(集中治療室)と呼び、夜中まで付ききりで長男に勉強を教えていたということからも窺える。成績を病気に見立てて、医師である父親が自ら成績治療に当たっていた〝ICU〟(集中治療室)だった。それも戦前の日本の軍隊が下級兵士や新兵訓練に精神を叩き込むと称して〝精神棒〟と名づけた警棒様の棒で殴ったり叩いたり、小突いたりして天皇の兵士に改造していったように、父親は成績の低下や覚えの悪さ、間違いの懲らしめに殴るなどの暴力を用いて成績優秀な息子へ改造しようとしたのだろう。長男が怪我をして登校してくることもあったということだから、父親の暴力は生半可以上のものがあったことを証明している。
下級兵士は上官の暴力的訓練を含めた軍隊活動の過酷さに耐え、我慢した。「陛下のため・お国のため」を双方とも絶対信仰と〝納得〟した無考え・無条件の従属が生み出した忍耐・我慢ではあった。彼らの「我慢力」は並みのものではなかったろう。〝昔〟の日本人は「我慢する力が」強かったと言える。
ネットで調べた7月1日(06年)付けの読売新聞によると、「2年前、当時の担任教師が家庭訪問した際、両親と長男本人の計4人で面談。長男は担任教師から『何か言いたいことは』と尋ねられると、父親の面前で『殴るのを辞めさせて欲しい』『塾をやめさせて欲しい』などと訴えたという」と出ていた。いわば一度は自己権利の主張を行っている。
「2年前」とは中学2年のときのことで、それ以降も父親の暴力が続き(取調べに対して「父親から成績で強く叱られた。暴力も受けた」)、事件が起きたと言うことは担任は有効な対応策を何も施さず、長男の権利主張に応えることができなかったことを示している。すべての授業をその担任一人で行っているなら、長男の日々の様子を一部始終把握可能だが、そうでないなら、他の授業担当の教師とも情報を共有するために学校に報告しておくべき事例であるし、協同して経過を見守るべき事柄であったが、いずれも行わなかったのだろう。単に話を聞いて、父親に「いけませんね、暴力は」程度の注意を形式的に与えただけで終わりにしてしまったのだろうか。
あるいは父親が医師と言うことで、アハハハと笑って、「まさかお父さんがそんなことはしないだろう」と取り合わなかった可能性も考えられる。そうだとしたら、長男の要望(=権利主張)に父親が内心慌てただろうし、それが長男に対する怒りと共に顔に現れもしただろうが、鈍感にも気づかなかったことになる。
担任が長男の権利主張に応えるべく何らかの手を打っていたが、すべて役に立たなかったということなら、何もしなかったことと同じことになって、なお始末に悪い。長男が通っていたのが中高一貫校なのだから、当然のこととして長男が高校部に進んだとき、担任は高校側に家庭訪問時に得た情報を上げるべきだが、上げたのか上げなかったのか。教頭も同席した記者会見での校長の「深刻なトラブルは認識していなかった。家庭内での問題も聞いていない。いい状態にあると考えていたので非常にショックだ」の話が事実なら、いわば責任逃れの弁解・ウソの類でないなら(そういったことが間々あるから、わざわざ断らなければならない)、そのことすら行っていなかった証明となる。
それとも校長は責任逃れの偽証を行ったのだろうか。どちらであっても、長男が辿ることとなった母子3人放火殺人者への道を変える力にはならなかった。
担任が何らかの有効な手を打ち、長男の権利主張に応えていたなら、長男にとって人生の重要な転換点となっていたかもしれない。しかし長男の要望・権利主張は叶うことはなかった。
父親(47)が「責任を痛感している。接し方が根本的に間違っていた」と長男の弁護人に話したということだが、何ら力とはならなかった担任・学校と事件が起きてから気づいた父親。両者共、本質的には長男とは他者の関係を築き合う存在でしかなかった。他者の関係を築いていたばかりか、何重にも間接的にだが、お互いが長男を母子3人放火殺人の加害者に仕立てる加害の役割を担いもした。
こういった親子関係、学校との関係を見た場合、「我慢する力が弱くなってきている」ことが最近の子どもたちの一般的傾向ではあっても、事件を起こした長男に関しては単純に当てはめてもいい犯罪背景ということにはならないのではないだろうか。
大体が父親に成績の変化、覚えの良し悪しの一々について殴られるという事態に対して求めることができる「我慢」とはどんな我慢だろうか。戦前の帝国軍隊の上官にとってはその暴力的なしごきや過酷な軍隊活動に対して新兵を含めた下級兵士に正当なものとして要求し得た忍耐・我慢ではあったろうが、長男には果たして正当なものとして要求し得る忍耐・我慢と言えるだろうか。
教育評論家だかの主張に即して事件の引き金となった心理的な背景を考えるとすると、初期的には長男の成績に対する父親の「強すぎる関係」からの暴力的対応に「我慢する力」が長男には不足していたと言うことになる。
二次的には、父親との関係から生じた父親本人に対する憎しみや継母に対する確執からの放火殺意を制御するに足る「我慢する力が弱」かったということである。
長男がそのような〝我慢〟を達成して医学部入学を果たし、医者となったとしても、自分の子どもにも同じことの繰返しとして再生産される〝暴力〟であり、それに対する〝我慢〟要求とならないだろうか。なぜなら自らの側からも正当性を与えた〝暴力〟であり、〝我慢〟となるからである。戦前の日本の軍隊の下級兵士や新兵たちは上官の暴力的なしごきにある意味正当性を与えていたから、自らが上官となると、新たに入隊した新兵や後輩に対して、正当な訓練行為として同じ暴力的しごきを繰返すことができたのであろう。今なお一部の部活に先輩から後輩に受け継がれ残存している体罰も、同じ構造を持った反復・連鎖としてあるものだろう。
「子どもの我慢する力が弱くなってきている」、そうあってはならないと長男に〝我慢〟を求めるとしたら、その段階で既に〝我慢〟は目的と化して、医学部入学・医師就業が〝我慢〟によって達成される結果という逆転のプロセスを踏ませることになる。
何らかの我慢大会といったことなら話は別だが、〝我慢〟は目的ではなく、欲する目的を達成したり、コントロールするためのあくまでも付随させるべき〝精神行為〟(心の持ち方)を言うのであって、そのように相互的呼応関係にある以上、〝我慢〟は主体的意思からの発動であることを条件としなければならない。そうではなく、受動的、あるいは従属的〝我慢〟であったなら、目的行為自体も受動・従属の支配を受けた非自発的な内容のものとなる。
例えば運動競技者に過酷な長距離のランニングを課す。それは「我慢する力」を養うことを目的としたものではなく、足腰の強化とか、スタミナ増強とかを目的とした訓練であって、それに耐える〝我慢〟は目的達成のために付随させる〝精神行為〟(心の持ち方)に過ぎない。と同時に、例えそれがコーチからの指示で行うトレーニングであっても、自分自身が納得して自ら進んで行うトレーニングであったなら、そこに主体的意思が働き、トレーニングに耐える〝我慢〟も主体的発動からの〝精神行為〟(心の持ち方)であることを獲得することができる。
それが逆に練習がたるんでいるといったことからの懲罰として与えられた納得できないままに行う受動的、あるいは従属的な性格の厭々ながらのランニングであったなら、そのことに呼応して、付随させるべき〝我慢〟も厭々な受動的、あるいは従属的性格を帯びることとなる。
いわば目的行為が本人以外の人間の指示からのものであっても、本人の納得を経た行為であるなら、行為自体は主体性を獲得し、目的達成のための「我慢する力」も主体的であることを獲得することができる。
となれば医者となることが父親の望みであったとしても、長男の父親の指導を受けた医者となるための過酷な勉強が本人の〝納得〟というプロセスを経た勉強であるなら、父親の行き過ぎた暴力であっても、戦前の日本の軍隊の上官が強いた過酷な軍隊活動を下級兵士側が相互的な絶対信仰としていた「陛下のため・お国のため」を〝納得〟成分として〝我慢〟し得たように、時代の違いを考慮に入れたとしても、長男もかなりの部分我慢できたのではないだろうか。
現実には断るまでもなく、中学2年のときの担任の家庭訪問時に「父親の面前で『殴るのを辞めさせて欲しい』『塾をやめさせて欲しい』などと訴えた」のだから、長男にとっては医者になるためを絶対信仰とさせることができないままに〝我慢〟は納得できない正当性なき性格のものとなっていた。
戦前の日本の軍隊の下級兵士たちの上官の暴力的なしごきや軍隊活動の過酷さに対する「我慢する力」は少なくとも表面的には納得の上で発揮した精神行為であろうが、捕虜となるに及んで、いとも簡単に脆さを露呈する。
『菊と刀』の著者ルース・ベネディクトは日本の「俘虜たちは彼らの現地指揮官、特に部下の兵士たちと危険と苦難とを共にしなかった連中を、口をきわめて罵った。彼らは特に、最後まで戦っている令下部隊を置去りにして、飛行機で引きあげていった指揮官たちを非難した。(中略)
ところが天皇だけは批判を免れた。天皇の最高至上の地位はごく近年のものであるにもかかわらず、どうしてこんなことがおきうるのであろうか」と述べて、下級兵士の天皇と国に対する絶対信仰を通した上官に対する無考え・無条件の従属(=我慢の直接的対象)の崩壊を伝えている。
上官たちが後生大事な念仏のように唱えていた「陛下のため・国のため」が実際は〝自分のため〟だったとメッキが剥がれたのである、意味もない〝我慢〟と思い知ったのではないだろうか。思い知ることがなかったとしたら、その無考え・無条件性は計り知れないものとなる。
尤も思い知ったのは上官たちに対する〝我慢〟の無意味さだけで、「天皇だけは批判を免れた」と、天皇に対して揺るぐことのなかった絶対信仰と上官に対する「口をきわめ」た「罵」りとの差異がベネディクトを驚かせている。
そのようなことが何を原因として起きているのかはベネディクトは触れていないようだが、日本人の行動・思考様式となっている権威主義意識及び日本人に共通する客観性の欠如に起因しているのは言うまでもない。
権威主義は上と下の序列があって初めて従わせ・従う関係式が成り立つのは断るまでもない。当然序列の一方を欠いた場合、権威主義は成立しない。自己の所属社会である軍隊の上官・指揮官の類に対して従わせる資格はないと否定し、従う価値なしと断罪することで排除した一方の序列をさらに上に位置する最高の上位権威者である天皇へと一本化することによって自分たちの権威主義の行動・思考様式を補填させたことからのこれまで以上に関係意識を過剰に濃密化させた天皇への絶対信仰だったのではないだろうか。
そのような構図を可能としたまず第一の状況は、自分たちが「俘虜」となることで従わせ・従う関係式を成り立たせていた一方の従わせる側の上官・指揮官の類から距離を置いた位置に立つことができたからであろう。そのことによって、従う関係を免れることができ、「口をきわめて罵」ることができた。面と向かっては上司の言うことのすべてにペコペコと言いなりになるが、陰に回っては上司の悪口を言う部下と同じ図柄である。
もし捕虜とならずに上官・指揮官の類と上下関係に縛られた状態にあったなら、彼らが従わせる資格を失っていると見なしていたとしても、「口をきわめて罵」りたい思いは内心にとどめて、逃げることも異議申し立てもできずに言いなりに従う面従腹背の関係を続けたことだろう。
権威主義は構造上、従わせ・従う関係に阻害要因となる不服や背反の要素は異物として最初から予定に組まれていないために、意に反して従う行為を成り立たせなければならない場合は不服・背反意識を押し殺して面従腹背の形を否応もなしに取ることとなる。
このような権威主義を下地材として軍隊の絶対服従が成り立っているのは言うまでもない。例え国の法律に国民の権利が規定されていなくても、人間は生まれながらに権利意識を持っているから、厳密な意味での絶対服従など存在しないにも関わらず成り立たせるにはそこに何らかの無理(=非合理性)を抱えていたとしても不思議はない。
母子3人放火殺人の長男の父親に対する従属も同じ線上にあったと見るべきだろう。軍隊に於いては従う者たちの〝我慢〟の意識は、例えそれが面従腹背を内容としたものであっても、破綻なく十分に働いていただろうが、表向きは「陛下のため・お国のため」の絶対信仰をタテマエとして成り立たせていたものの、上官・指揮官の類に対する直接的な関係にあっては〝納得〟のプロセスが排除・無視された無破綻性でしかないということになる。
「俘虜」たちの上官・指揮官に対する「口をきわめて罵」る態度はゆえに「俘虜」になってから外に現れた態度であるものの、可能性としては「俘虜」になる以前の上官・指揮官に従っている間から面従腹背の形で内心に抱えていた〝罵倒〟であったことも十分に考えられる。
上官・指揮官の類に対する態度と天皇に対する態度の差異をつくり出していた第二の理由は、自己行為を天皇陛下のための行為とすることによって価値を高める一種の栄光欲からの天皇に対する本来からあった親近性(尊崇)に加えて、上官・指揮官の類を身近に観察する機会が彼らの実像(=彼らの現実の姿)を否応もなしに知らしめたのに反して、天皇に対しては雲の上の存在ゆえに身近に観察する機会のないことが親近性を壊すことなく天皇の実像(=天皇の現実の姿)とすることができたことと、上官・指揮官の類に対する嫌悪・軽蔑の反動が上官・指揮官の姿とは異なる、そうあってほしいという願望と合わさって、天皇に対する美しい像(非現実の姿)を代理的に充足させた結果の天皇への親近感・絶対信仰の高揚だったのではないだろうか。
そしてそのような姿を取らせるに至った資質を問うとしたら、客観的認識能力の欠如以外にはない。『菊と刀』は「陛下は終始自由主義者であって、戦争に反対しておられた」とか「陛下は東條に騙されたのだ」とか言って「俘虜」たちが天皇の無誤謬性を訴える場面を描いているが、「戦争に反対」していながら、なぜ開戦に至ったのか、現人神でありながら、なぜ「騙され」たのかといった合理的思考を働かせるだけの客観性を持ち得ない姿を曝しているに過ぎない。
尤も〝現人神〟なる産物自体も日本人が幸いにも客観性を欠如させていたからこそつくり出せたカラクリではある。
天皇は統帥権を握っていたのである。大日本帝国憲法第一章第十一条に「天皇は陸海軍を統帥す」と明記してある。戦前の天皇は帝国軍隊を支配下に置き率いる統帥権を自らの大権(旧憲法下で帝国議会の参与を経ずに行使される天皇の権限の一つ)としていた。そのような天皇の戦争反対の意思が無視された統帥能力の不手際、あるいは「東條に騙され」る聡明さとは正反対の天皇にはあってはならない蒙昧さをこそ問題とすべきであるのに、問題とすることができない自らの蒙昧さは客観的認識能力の欠如を養分としなければ現れない資質であろう。
当然のことだが、天皇の身近にいて天皇の姿を見ている者には天皇の実像に気づいていた。国民には実像を知らせず、美しい姿と思わせるためには国民と天皇を離しておくことであった。
HP「国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い25~37近衛新体制」に「自決前(昭和20年12月)に令息に与えたとされる」近衛文麿の言葉として次のような件がある。
「統帥権の問題は政府に全然発言権がなく、政府と統帥部との両方を抑えうるものは、陛下ただお一人である。しかるに陛下が消極的であらせられることは平時には結構であるが、和戦いずれかというが如き、国家が生死の関頭に立った場合には障碍が起こり得る場合なしとしない。
英国流に、陛下がただ激励とか注意を与えられるとかいうだけでは、軍事と政治外交とが協力一致して進みえないことを、今度の日米交渉(昭和16年)においてことに痛感した。」
「陛下がただ激励とか注意を与えられるとかいうだけ」という件は、現在の皇室の国民に対する姿を髣髴させ、統帥者であるにも関わらず、戦前から既に主たる役目としていたことが窺える。
また同じHPに「沢田茂(米内内閣倒閣運動を首謀、参謀本部次長)」の言葉として、「大正の末期になると事情は全く変化し、天皇の国軍親率(しんそつ=自ら率いること)は全く形骸化した。それは畏れながら(昭和)天皇のご資性が国軍親率に適しなかった。軍の実権は天皇御親率の名のもとに、軍首脳部に帰した。
天皇親率制を実際に具現するためには、天皇がさらに軍隊に親炙(シンシャ=その人に近づいて、その感化を受けること)接近されるべきであり、また親補職以上の人事は御自ら掌握遊ばさるべきであったと思う。」
彼らは天皇の身近に位置していたから、天皇の実像(=天皇の現実の姿)を知り得た。 HPの著者も「天皇が反対の開戦案をなんとかゴーサインを出させてしまう政治体制とその実行担当者に問題があったのだ」と『菊と刀』が描く「俘虜」と似たような考えを示して〝天皇無罪説〟を唱えているが、戦前の日本の権力構造を文字通り解釈するとしたら、その設定上、天皇は絶対でなければならなかったにも関わらず、そのことに反する国民が与り知らなかった非絶対性は天皇自身も関与して維持していた明治維新期からあった権力の二重構造がなさしめた当然の帰結でもあり、その帰結に天皇は名目的立場から常に一枚噛んでいたのである。言ってみれば、起こるべくして起きた何の不思議もない歴史の一場面ずつであった。明治維新自体が天皇自らが起こした政変ではなく、将軍に対抗する地位を担う者として薩長軍に担がれて主役を演じたに過ぎない。現実は薩長軍が天皇の上に位置してすべてを取り仕切っていた二重構造となっていたのである。
現人神と設定された関係から、人間の姿を取った神を演じながら、自分が神でないことを一番知っていたのは天皇自身だったろう。それが国民統治のための仮構・虚構の類に過ぎないと弁えずに自身を現人神だと信じたとしたら、その客観性は話にもならない。
いずれにしても既に指摘したように従う側の〝納得〟のプロセスが存在しないままに兵士は下を従わせる資格もない上官・指揮官の類にも面従腹背の〝我慢〟で以て従ってきた。そのことが母子3人放火殺人の長男と父親との関係にも当てはまる構図でもあることから、「我慢する力が弱くなってきている」といったことが問題ではなく、〝納得〟のプロセスが存在しないことを間違いとしなければならない。
承服し難い事柄に無考え・無条件に従わなければならない場合は、上によって下の権利は抑圧され、自らも抑圧する〝我慢〟しか生まれないが、そのような抑圧を排除して自己の権利が正当に発揮可能な〝納得〟の獲得は議論(=対話)から生まれる。議論(=対話)とその成果である自発的な〝納得〟意識は自他の権利を承認するプロセスを並行させるからである。
「父親から成績で強く叱られた。暴力も受けた」ことに当然なことではあるが、長男は納得していなかった。父親の権利に対する不承認と自己の権利に対する抑圧意識を抱えて〝我慢〟を自らに強いていた。その〝我慢〟が破綻して、事件が発生した。
長男が中学2年の家庭訪問のときに担任に「殴るのを辞めさせて欲しい」、「塾をやめさせて欲しい」と訴えた自己権利の主張を担任その他の者の力を借りて引き続いて行い、その力添えで議論(=対話)を通じて父親との関係が〝納得〟いくものとなっていたなら、当たり前のことながら、事件は起こらなかっただろう。
だがそのような方向には進まずに、母子3人放火殺人という間違った権利行使の方向に進んでしまった。となると、やはり〝我慢力〟といった問題ではなく、自発的な〝納得〟意識の獲得を前提とした正しい権利行使の方法を学ぶことから始めるしかないのではないだろうか。
日本では学校に於いても家庭に於いても正しい権利行使の教育は存在しない。それは日本が権威主義を行動・思考様式とした権威主義社会となっているからである。上が下を従わせ、下が上に従う権威主義関係は基本的に議論(=対話)のプロセスを排除することによって成立する関係式だからである。学校の暗記教育がその典型であり、象徴的な構造となっている。
また、一見して「我慢する力が弱っている」ように見える状況は、時代的な権利意識の影響を受けて自己権利を主張する場面が多く生じたことによって、その分〝我慢〟一方ではなくなった各自の姿勢がそう見させているといったことではないだろうか。
自己権利意識のなかった時代は、例えそれが権利侵害に当たったとしても、〝我慢〟だけで済んだ。日本人の行動・思考様式となっている権威主義が求める上に従う〝我慢〟と時代的な権利意識からの自己権利の主張・行使のハザマで正当な権利行使の方法も知らず、若者は揺れている。揺れた果てに間違った方向に進んでしまった権利行使が母子3人放火殺人事件となって現れた。そう把えるべきではないだろうか。
北朝鮮ミサイル発射
北朝鮮が国際社会の自制を求める声を無視してミサイルの発射に踏み切った。06年7月5日午前3時半から8時半にかけて6発。そして同じ日の午後5時30分頃に7発目。3発目はテポドン2で、発射に失敗と見られているという。TBSの深夜近くの報道番組で軍事評論家が7発目は3発目の失敗の印象を薄めるための発射ではないかといったことを言っていたが、北朝鮮の最初の6発のミサイル発射に対して日本政府が採った北朝鮮の貨客船万景峰号の今後6ヶ月間の入港禁止や北朝鮮当局者の日本入国禁止、北朝鮮から日本へのチャーター便の乗り入れ禁止等の9項目の制裁措置にキム・ジョンイルが怒り狂って、その腹癒せに改めて7発目を発射したと考えると面白い。
例えそうではなくても、各国を刺激して、自分で自分の首を絞める自傷行為の意味合いが強く(日本の9項目の制裁だけでも経済的にもメンツの上からも、自ら招いた重大な種となるに違いない)、「御乱心」としか考えられない。報道されるように北朝鮮軍部の力が突出してキム・ジョンイルが制御できなくなった権力構造の変化が招いたミサイル発射ということであっても、北朝鮮全体の自傷行為とならない保証はない異常行為であろう。
そうであることは小泉首相にしては珍しくまともなことを言って裏付けている。「どういう意図があるにせよ、北朝鮮にとってはプラスはない」
但しそういった常識的な分析や日朝平壌宣言に違反するといった当たり前の批判、さらにミサイル発射行為に相当するそれ相応の制裁措置だけではミサイル発射への懲罰に限定したものとなり、相手に届く声に限りが出る。
いくら北朝鮮がミサイル開発に血道を上げ、核開発を国家体制維持の最終手段に位置づけようとしても、ただでさえ乏しい国家予算の国防費への重点的配分が北朝鮮経済の疲弊、ひいては国力の疲弊を招く、軍事力の増強が国力衰退につながる二律背反の関係にあること、北朝鮮が例え外国に対して戦争を仕掛けたとしても、相手国に相当な打撃を与えることは可能でも、国力の脆弱さがかつての日本のように戦争を長続きさせることができずに、必ず惨めな敗北を喫して、体制維持目的が逆の体制崩壊を自作自演することになるだろうこと、アメリカの先制攻撃を防ぐ唯一最善の方法は北朝鮮が世界に脅威を与えない民主国家となること、為政者の基本的な務めは国民を飢えさせずに食べさせる政治を行うことであること、他国から食糧援助を受けながら、国家予算の多くを軍備増強に回す政治は正当・正道な政治とは言えないこと、国力は経済規模によってのみ計ることができ、経済の充実が国民への豊かな生活を保証し、そのような生活が保証されることで手にすることができる国民の活力が国を支える源泉となること、強制した愛国心、あるいは強制から生まれた将軍崇拝心は見せかけの力しか生まず、国の力を高める真の支えとはならないこと――そういったことをはっきりとしたメッセージとして伝えることがミサイル発射に限定しない北朝鮮に対する本質的な警告となるのではないだろうか。
北朝鮮にとって、そういったことをするしか道は残されていないのは事実であるし、その事実を明確に伝えるべきであろう。日本人拉致問題にしても、キム・ジョンイル体制の崩壊と北朝鮮の民主化を待たずには根本的且つ全面的な解決が望めないのは分かりきっていることでもある。
東京か福岡か
2016年のオリンピック開催都市立候補を目指す東京都と福岡市が日本オリンピック協会(JOC)に「開催概要計画書」を提出したという(06.6.30)。
石原慎太郎は次のように言っている。「日本に招致するならば、キャパシティーとして東京しかない」(06.7.1.『朝日』朝刊)、「国際社会にアピールするという意味から東京でしょう」(同記事)
例え事実その通りであったとしても、あるいは都の担当者が言うように「宿泊施設、空港の規模、交通網の充実など都市能力の差は際立っている」(同記事)としても、また財政面で東京が遥かに優位な位置につけていたとしても、国内的な価値の面から、過度なまでに東京一極集中が進む中、それを軌道修正して地方シフトを示すシンボル的アピール材として福岡開催へと持っていくべきという考えがあってもいいのではないだろうか。
東京が例え2016年開催都市に選考されなかったとしても、国内候補都市決定と言うことになっただけで、09年9月のIOC総会で開催都市が決定するまでの期間、オリンピックその他に関わるモノ・ヒト・情報がますます東京に一極集中し、独占することとなる。
石原慎太郎の言う〝国際社会へのアピール〟と同じ観点から、外国の人間は東京は知っているが、福岡は知らないから、東京開催とすべきだいったバカげた意見があるが、夏のアトランタ、冬のソルトレークを知っていた日本人がどれほどいただろうか。開催都市へと立候補、あるいは開催都市に決定することで、その存在が知られるケースもある。未知数から入って既知へと進む情報の新たな1ページを刻む過程は新鮮さや驚きを与えることもしばしばで、得がたい情報経験ともなる。日本に福岡ありを示すのも、価値あることではないだろうか。
逆説するなら、東京の国際的知名度の高さが逆に世界の人間に付け加えるべき新たな情報を福岡と比較した場合、一定範囲にとどめないこともないとも言える。東京よりも福岡の方が意外性を与える余地があるということである。えっ、フクオカに決定?フクオカって、日本のどこにあるんだ、どんな都市なんだと驚かせるだけでも面白いことではないだろうか。
最近のオリンピック開催の目的が国の観点からは国威発揚、国力証明、国際社会一員証明、国際的地位要求、国際社会へのアピール、あるいは国内的な経済波及効果といったいずれかの方向のものとなっているが、東京にしても福岡にしても、国際社会へのアピールと同時に経済波及効果を主たる狙いとしているものであろう。
オリンピック開催のより基本的な立場も忘れてはならないはずで、オリンピック憲章の「オリンピズムの根本原則」に書いてある次のような精神をも常に留意項目としておくべきではないだろうか。
・スポーツを行なうことは人権の一つである。各個人はス
ポーツを行う機会を与えられなけばならない。
・人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個
人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムー
ブメントに属する事とは相容れない。
以上の精神に留意するとしたなら、開催都市を目指している東京都知事の石原新太郎は数年前の新聞寄稿記事で、日本国内で多発した中国人犯罪に対して「民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延する」という表現で犯罪に「民族的DNA」が現れるとする、いわば犯罪の〝民族的DNA起因説〟をぶち上げたが、犯罪が民族性を原因として起こるとするそのような主義主張・精神は「オリンピズムの根本原則」に示されている〝人種に基づく差別〟に抵触することとなって、開催都市を目指す指揮官としての資格を失うことにならないだろうか。
また2001年10月23日の「少子社会と東京の未来の福祉」会議席上でのいわゆる「ババア発言」にしても、〝性別に基づく差別〟に抵触する精神の持ち主ということになり、「オリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない」行為ということになって、オリンピックを語る資格さえないということにならないだろうか。
「生殖能力」の有無のみで男女を価値づける「ババア発言」の参考掲載。
「これは僕が言っているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)が言っているんだけど、文明がもたらした最も悪しき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です、って。男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を産む力はない。そんな人間が、きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害だって・・・・。なるほどとは思うけど、政治家としてはいえないわね」
我々は年老いた女性からでも、無駄に生きた女性でなければ、その女性が生き経験した事柄と、そこから学んだ知恵を受け継ぐことが多々ある。無駄に生きた男が一人として存在しないというわけではない。逆にゴマンといるはずである。私自身は無駄に生きた人間だが。尤も無駄に生きた男女からでも、反面教師として学ぶ点がないことはないとも言えるが。
〝日系〟から見る日本民族優越性
日本に来たブラジル人が犯罪を犯しても、日ブラジル間に「犯罪人引き渡し条約」が締結されていないことを利用してブラジルに逃げ帰り、向こうで制裁を受けることなく一般市民として暮らしている。日本の犯罪被害者遺族が中心となって、ブラジルと条約を結ぶんで加害者の引き渡しができるよう国に求める署名運動を起こし、8万人の署名を集めたとの記事が06年月6月20日の『朝日』夕刊に載っている。
署名を集めて求められる前に国の方から動くべき問題だが、国の国民に向ける神経はその程度のものなのだろう。
記事は「キーワード」として『犯罪人引き渡し条約』なるものを解説している。
(全文)「国家間の逃亡犯罪容疑者の引き渡し手続きを定める条約。日本が締結しているのは米韓だけ。ブラジルは憲法で麻薬犯罪の容疑者を除き、自国民を引き渡さないと規定。条約を締結しても実効性は低いと見られているが、引き渡し拒否の場合は条約により国内法に照らして捜査義務の生じる規定を盛り込める。警察庁によると、05年末時点で国外逃亡しているブラジル人容疑者は86人」
86人もいながら放置してきた日本の治安対策、と言うよりも〝治安〟とは精神の安寧を図る福祉要素をも含むものだから、国民一人一人に目を向けない日本的ともいえる国家優先政治と言うべきで、このことは長年放置してきた北朝鮮拉致政策にも言える。
「犯罪人引き渡し条約」が締結されていない関係を埋め合わせて、相手国中国が日本側と情報交換しあって逃亡帰国犯人を逮捕、裁判にかけて判決を言い渡した例として、記憶に新しいと思うが、03年6月の滞日中国人による福岡博多の強盗目的の一家4人殺人事件がある。
殺害現場は自宅だが、たった3万7千円を奪っただけで、41歳と40歳の夫婦に小学校6年11歳の男児、小学校3年8歳の女児の一家4人をヒモで首を絞め、男性には手錠をかけて、4人共鉄製ブロックのオモリを付けて博多港に沈めたが、「人の足らしいものが浮いている」との110通報で発見されるに至った酷い事件である。
日本で逮捕された元専門学校生の25歳中国人は死刑、中国に帰国逃亡した元私立大生中国人(25)も死刑、同じく帰国逃亡の元日本語学校生共犯中国人(23)は無期懲役の判決を受けている。
日系外国人、特に日系ブラジル人移住者の増加は、従来は日系1・2世に対してのみ与えられていた入国資格が1990年の入管法改正で日系3世までが(未成年・未婚・被扶養者については4世までが)〝定住者〟という在留資格を与えられることとなり、就労に関しても制限がなくなって、それ以来母国がインフレの高騰で生活苦を強いられていた日系ブラジル人がバブルが弾けて人件費抑制に迫られた日本企業のニーズに応える形で日本に出稼ぎ目的で殺到したのが端緒で、年々増え、現在約30万人の日系ブラジル人が滞在するという。
いわば入管法改正で〝日系〟だけに〝定住者〟という在留資格を認めたことを一つの大きな要因として、ブラジル在住の日系人が子孫を含めて現在約130万人という、他国への移民数と桁違いに多いブラジルに移民した日本人の数合計約30万人を反映した、その裏返しとしての日系ブラジル人の日本移住の増加でもあろう。
ではなぜ〝日系〟だけが「定住者」という在留資格を与えられたのだろか。〝日系〟ではなく、なぜ等しく世界の国々からの「定住」を認めなかったのだろう。
断っておくが、「定住」とは在留期間が制限されることがない「永住」とは異なる。あくまでも一時的滞在で、〝日系〟の場合は3年以内と規定されている。韓国・朝鮮・中国等のいわゆる在日でさえも、その約9割が「特別永住者」としての資格を与えられて日本に暮らしているのであって、日本人とは厳密に区別されている。
明治から戦前にかけて北米へは54万人、中南米へは24万人強、戦後(1952=S27年~1973=S48年)は北米へ22万人、中南米へは6万人強も日本人を移民として送り出し、さらに日韓併合後の韓国、あるいは満州国へ多くの日本人を殖民させながら、移民・殖民した日本人が韓国・中国では韓国人・中国人の土地を奪う支配者として君臨したのだが、一般的には日本人だけで生きてきたわけではなく、移住国の国民との相互関係の中で生き、生活してきたはずである。受入れる場合はその相互関係を排除しての〝日系〟限定となっている。
1990年の入管法改正で〝日系〟に関しては〝定住者〟としての在留資格を認めながら、遡る1981年に難民の地位に関する条約(難民条約)に加入し(翌1982年から発効)、難民認定制度(難民認定法)を設けたが、難民認定申請者数に対する認定数の少なさは世界的な悪評を受けていて、外国人受入れでの〝日系〟肯定とは異なる難民忌避の違いは何を意味するのだろうか。
平成17年度を見てみると、難民認定申請者数384人に対して難民認定者数は前年比31人増(約3倍)とは言うものの、認定率約12%の46人でしかないが、法務省入国管理局は「難民と認定しなかったものの,人道的な理由等から特に在留を認めた者は97人で,難民として認定した者を合わせた数(庇護数)は143人となる。これは,昭和57年以降最高の数である」と胸を張った言い方で公表しているが、それでも世界第2位の経済大国でありながら、欧米先進国と比較した難民申請者数の極端な低さが難民条約締結以前から難民のみならず、日系人を除く外国人の日本移住に厳しく門戸を閉ざしてきた外国人受入れに関わる閉鎖的な日本の歴史・文化・伝統意識を計算に入れた難民側からの忌避意識の表れとして出た数値であることは誰が見ても明らかである。
いわば外国人受入れ意識が難民認定者数及び難民認定率に直接的に反映するのは当然の傾向ではあるが、受入れ意識自体が難民側に影響して、申請者数を左右する相関関係にあることは否定できまい。
外国人から見た場合、日系人以外の外国人は難民としてであっても、移住という方法であっても、最近は改善されたと言うものの帰化という方法であっても、外国企業の日本市場参入と同じく、日本は入国困難な国となっているから、結果的に希望する者が少なくなるということであろう。
まず第一番に、難民条約自体が難民申請の期限を設けていないのに反して、日本は出入国管理及び難民認定法(入管法)で申請期限を「入国後60日以内」と定めていること自体が、難民入国への明らかな制限であると同時に忌避反応を示すものだろう。
日本の難民政策の状況を示唆する2002年11月17日の『朝日』朝刊に次のような記事がある
『日本の入管政策 難民より芸能人を優先?』
「『日本が認定した難民の数は条約加入以来20年で300人以下。対照的にいわゆるエンターテイナーを毎年10万人近く合法的に受入れている。エンターテイメントの方が難民への思いやりよりはるかに優先させているのでしょうか』
緒方貞子、痛烈に批判
緒方貞子・前国連難民高等弁務官は16日、東京で開かれた日弁連主催の難民認定制度改正をテーマにしたシンポジウムにメッセージを寄せた。ダンサーなどの芸能活動では大量に受入れている外国人を例に、日本の入管政策を痛烈に皮肉った。シンポに出席した多くの論者も、年間数千人から数万人規模で難民を受入れている欧米諸国と比較して、日本の受入れ数の極端な低さを厳しく批判。会場で読み上げられたメッセージで緒方さんは『日本が単一民族』との言説について、『人・モノ・情報が広く行き交う今日の世界で到底維持できない錯覚』だとし、『外国人に対する偏見や差別を打ち捨てる必要』を強調した。
また政府内に根強くある『難民申請者が虚偽の申立てで制度を乱用する』との懸念に対しても、『入国審査官が人道的精神より管理思考を優先させる対応』こそ、『制度の乱用になる』と反論した」
緒方貞子氏が指摘しているように、難民忌避は日本単一民族意識に深く関わっていることは間違いない。難民忌避に対して逆説的な関係にある〝日系〟限定は政府関係者は誰もが否定するだろうが、日本人の血が少しでも流れていることを根拠として「日本単一民族」をギリギリ守る止むを得ない最大限の妥協であり、最大限の譲歩なのである。
2001年6月20日の『朝日』夕刊からの引用で、少々古い情報だが、「検証 きょう『難民の日』日本の現状」から99年の法務省入国管理局統計資料で「主な国の難民認定申請者数と認定数」の主なところを拾ってみると、
認定申請数 認定数 認定率
米 国 31700人 13200人 41%
カナダ 30010人 13000人 43%
ドイツ 95100人 10300人 10%
英 国 71100人 7100人 9・9%
豪 州 9500人 1900人 20%
日 本 260人 13人 5%
最近5年間の日本のみの統計を見てみると、
年度/申請者数/認定者/不認定者/取下げ/人道配慮
2000年 216 22 138 25 36
2001年 353 26 316 28 67
2002年 250 14 211 39 40
2003年 336 10 298 23 16
2004年 426 15 294 41 9
2005年 384 46 249 32 97
平成17年度の認定率が12%に当たる前年比31人増(約3倍)の難民認定者数に至ったと、他国と比較しない数字マジックを行って、日本人がやりそうなことだと言えばそれまでではあるが、さも大幅に受入れたような印象を与えているにも関わらず、経済大国でありながら難民認定申請者数が384人という少なさ自体が〝日系〟の流入人口からも見ても、難民のみならず、〝日系〟以外の外国人全般に対する日本の受入れ意識を如実に物語っている。
「欧米諸国と比較して、日本の受入れ数の極端な低さ」という一般化した悪評・認識が外圧となって仕向けさせられた「前年比31人増(約3倍)」であり、それがなかったら、いつまでも現状維持という姿勢を基本的には取り続けることになっただろうことはこれまでの護送船団方式の国内産業保護や外国企業参入規制政策から見ても判断できる。
また、難民忌避を基本的姿勢としていることは入国管理局の不法滞在収容外国人に向ける威圧的・暴力的態度の恒常性からも窺うことができる。入国管理局職員は防波堤意識を持って対処しているのだろう。
難民を含めた〝日系〟以外の外国人の日本移住忌避と〝日系〟限定の定住政策が日本単一民族維持に深く関わっていることが新聞記事(「移民送り出して120年で幕 日系子孫逆流、新たな貧困 国の冷淡ぶりに批判」/2002.12.12.『朝日』朝刊)の中に見ることができる。
(一部抜粋)「先月7日、静岡県浜松市など14市町でつくる『外国人集住都市会議』が都内で開かれ、法務省、外務省など関係省庁と市町村長が初めて意見交換の機会を持った。同会議が昨年、国に求めた日本語教育への補助や医療保険制度見直しが改めて話題になったが、前向きな回答はなかった。
こんなやり取りがあった。
長谷川洋・群馬県大泉町長 自治体の事務負担軽減のため
、外国人登録事務を改善して
ほしい。
法務省入国管理局 住民基本台帳のように簡単な制度にし
ていいのか。隣にわけの分からない外
国人が住んでいたら、どう思いますか
。
たまりかねたように静岡県磐田市の鈴木望市長が発言した。
『マイナス面ばかり強調されたが、ブラジル人がいるからこそ、工場をたたまずに済んだという声もある。私の町に外国人がいることはプラスであるし、プラスにしていかなければいけない。そのためにも教育や医療の問題が現実に大きな障害となっている』
『こんなことなら来年は来ない』と憤慨して会場を後にした群馬県太田市の清水聖義市長はこう言い残した。『省庁はどこも「自分たちの所管ではない」といって責任を持たない。そのはざまに置かれているのが、今の日系人だ』」
「隣にわけの分からない外国人が住んでいたら、どう思いますか」――
確かに悪質な犯罪を犯す外国人は存在する。しかし法務省入国管理局の言葉は日本人が誰一人として悪質な犯罪を犯さない人種であることによって初めて妥当性を獲得し得る言葉である。
現実には「隣にわけの分からない」日本人が住んでいて、悪質な犯罪を犯すことも多々あり、「わけの分か」る日本人が住んでいても、その日本人がある日突然犯罪者の姿を取ることもある。顔見知りの近所の中年が幼い女児をいたずらして殺してしまう事件も起きているし、日常的に顔を会わせている塾の教師がある日突然殺人者と化して生徒を殺してしまう事件もあった。
いわば相互性としてある正体不明性であり、犯罪性であって、それをさも外国人のみの問題であるかのように言う。あるいは日本人の血を持っているからと日本人の血を頼みとして〝日系〟限定で定住を許可しながら、「隣にわけの分からない外国人」として忌避する。これは明らかに純粋日本人のみの日本民族絶対性(=日本民族優越意識)に立った差別であり、〝日系〟限定が止むを得ない最大限の妥協であり、譲歩であることの別方面からの証明ともなる「隣にわけの分からない」発言であろう。
人間は日系だろうと非日系だろうと、あるいは日本人そのものだろうと本質的な違いはない。誰だって犯罪は犯す。だが、意識としてはそのよう〝相対化〟ができず、自民族に対する優越意識から(この意識自体が〝相対化〟観念を持たない非客観的認識以外の何ものでもないのだが)日本人の血に対する根拠のない無条件の信頼・絶対性に囚われて(「日本人性善説」に最も象徴的に表れている)、そこから逃れられないでいる。その反映としての難民認定の少なさであり、〝日系〟限定の定住権付与であろう。
難民を含めた外国人忌避が単一民族意識からの〝日系〟限定へと向かわせ、単一民族意識からの〝日系〟限定が難民を含めた外国人忌避を合目的化している。
日系ブラジル人が犯罪を犯したとしても、被害者やその遺族の日本人からしたら加害者はあくまでもブラジル人であり、その逮捕請求は当然の権利・感情としてあるものだが、厳密に言うと日本人も犯す相互性としてある犯罪であって、日本人の未逮捕加害者を抱えている日本人被害者及びその遺族が多く存在するのも事実である。犯人が日系ブラジル人と特定されながら、母国ブラジルに逃げ帰って逮捕を免れているケースにしても、犯人が日本人の誰それと特定されながら、警察が逮捕できずに時効を迎えることによって、結果として逮捕を免れるケースに相互対応する出来事であろう。
日本人の犯罪にしても日系ブラジル人の犯罪にしても、人種・民族を超えて誰もが同じように持っている犯罪性からの一つの姿であって、日本人の血を持っているからと日本人の血を頼みとして〝日系〟限定で定住を許可した政策意識にしても、その受入れ意識とは正反対の状況にある難民忌避意識、さらに日本人優越意識を根拠とした日本人絶対性と絶対性への拘りからの単一民族意識が、緒方貞子氏の「人・モノ・情報が広く行き交う今日の世界で到底維持できない錯覚」という言葉を待つまでもなく愚かしい認識・固定観念で成り立っているに過ぎないことを自覚しなければならない。
政治家・官僚が自らの姿をほんの少し顧みるだけで理解できることだが、それができない日本人の〝相対化〟意識、貧困な客観的認識性は如何ともし難いものがある。尤も〝相対化〟意識の欠如・客観的認識性の欠如なくして単一民族意識や日本民族優越意識は成り立たないのだから、日本の歴史・伝統・文化としてある〝相対化〟意識の欠如・客観的認識性の欠如、バンザイと言うべきか。
確かに日ブラジル間の「犯罪人引き渡し条約」の締結は必要であろう。締結できなくても、ブラジル国内法で罰する方向へと道をつけなければならない。犯罪は加害者を罰することでしか被害者及びその関係者の感情の公平性、あるいは感情の収支に辻褄を与えることができない。但し加害者は日系ブラジル人やその他の〝日系〟、あるいは在日中国人や韓国人といった外国人に限るわけではなく、等しく日本人もなることであって、当然人種や民族の違いに関係なしに等しく必罰化すべきであり、そういった犯罪の人種的全般性とその対処としての公平な必罰化から導き出される答は犯罪を基準に人種や民族の優劣を量ることは不可能で、そこにあるのは所属国籍の違いしかないという認識でなければならない。
当然、石原東京都知事の「中国人など外国人は、日本人と違う民族的DNAを持ち、日本人では考えられない残虐な犯罪を犯している」といった発言は日本民族優越意識に冒された根拠のない愚かしい偏見に過ぎないことが分かる。
日本で犯罪を犯して、日本の警察の手が及ばない母国に逃げ帰って刑罰から逃れる〝日系〟の続出は、日本が単一民族意識から外国人受入れに〝日系〟に拘った愚かしさへの因果応報に思えて仕方がない。
尤も政策的因果応報の直接的被害者は犯罪被害者とその家族であって、国は痛くも痒くもない場所に涼しい顔をして立っているに過ぎない。だから率先して動くといったことをせずに済ませるのだろ。