06年7月24日の朝日朝刊社説の表題は、「自民党を『半壊』させた 小泉政権閉幕へ」となっている。後半部分を引用してみると、「逆戻りの兆しも」との小見出しで、「首相の破壊力は、どこまで自民党を変革したのか。選挙や人事の常識を覆し、そのあり方を変えたのは確かだ。
くしくも、ロッキード事件で田中角栄元首相が逮捕されてから、今月27日で30年がたつ。派閥や族議員が大手を振った田中型政治は遠くになりにけりだ。
だが、そのDNAといえる利益誘導による集票システムは、決して消えたわけではない。旧来型の土建政治への郷愁なのか。来年の統一選挙や参議院選に向けて、公共事業の削減にストップをかける声が党内に高まっている。
首相の秋の退陣を見越したように、党内には修復の声が立ち始めている。郵政造反組の復党もささやかれる。
小泉政治は結局、自民党を『半壊』させただけで、壊しきれなかった。もっとぶっ壊していれば、もっと新しい政治が生まれたはずだ。
(中略)
ならば、今なお、自民党を壊すという『反自民』の構えが必要だろう。新首相がもし『伝統自民』に寄り添うなら、そのときは本来の反自民である小沢民主党の出番かもしれない。その戦いに公明や共産、社民党各党はどう絡むのか。
まもなく小泉劇場の幕がおりる」――
朝日新聞は06年4月18日朝刊の「小泉壊革 5年の軌跡(上) 派閥解体冷徹貫く」なる記事で、題名が示すとおり、自民党内派閥が「解体」したかのような論調の解説を展開している。それを直接的に表現した言葉を拾ってみると、「小泉政治の時代は、派閥溶解の5年だった」とか、「自民党内に派閥という『政党』がひしめく姿は消えた」とその〝消滅〟はっきりと謳っている。
それが今回は〝消滅〟から「半壊」へと後退し、「逆戻りの兆しも」と、その蠢きがあることを伝えている。いわば「派閥」は息を引き取るどころか、なおしぶとく息をしている実態(復活ではなく、生存していた状態)を伝えている。
ということは、「派閥解体」に見えた光景は小泉政治の間だけの一時的緊急避難に過ぎなかったということではないだろうか。
もし一時的緊急避難との見方が当たっているとしたなら、例え「新首相」が「『伝統自民』に寄り添」わず、なお「自民党を壊すという『反自民』の構え」で突き進み、それが成功して、小泉政治に引き続いて派閥の論理・派閥の力学が通用しない政治磁場をつくり出したとしても、それは一見そう見えるだけのことで、小泉政治の間と同じように一時的緊急避難の状態がなお続いたと言うこと、派閥の側から言えば、なお続けさせざるを得ない状況にあったというだけのことで終わらないだろうか。
記事は「伝統自民」(=派閥政治)への「逆戻りの兆し」として、「旧来型の土建政治への郷愁なのか。来年の統一選挙や参議院選に向けて、公共事業の削減にストップをかける声が党内に高まっている」としているが、単に財政再建を目的とした公共事業費の削減が予算上行われただけのことで、削減された状況の中で、削減されたからこそ、小さくなったパイを争わなければならなくなったからなのか、「旧来型の土建政治」は小泉改革のさ中でも、その裏側で正々堂々脈々と脈打ち、存続していたのであって、「逆戻り」でも先祖返りでも何でもない。防衛施設庁の官製談合事件、道路公団の橋梁談合、汚泥し尿談合その他その他。これらは官僚とゼネコンその他の企業だけの問題ではなく、道路族や各地元の政治家が絡んでいないことはないだろう。
政治家や政治家秘書が口利きの見返りに報酬を得ることを禁止する「あっせん利得処罰法」が2001年3月から施行されたが、防衛施設庁の官製談合では発注工事や用地買収で国会議員や秘書ら14人から(14人もからと言うべきか)〝口利き〟を受けた事実が06年7月に発覚している。
「あっせん利得処罰法」の制定・施行は〝口利き〟が無視できない醜悪な状態で横行していたからこそのストップをかけるための制定・施行であって、制定・施行にも関わらずストップをかけることができずに〝口利き〟が依然として横行状態にあることを示す発覚であろう。国土庁長官を務めたことがある伊藤公介衆議院議員が耐震偽装問題その他でヒューザーの小島進社長の依頼を受けて口利きをした疑惑、その他公共事業に絡んだ政治家や秘書の口利きは頻繁に耳にする事柄でもある。
〝口利き〟でしか国会議員の先生としての自己存在証明を示すことができない政治家が多いことも、なくならない原因と言える。いわば、〝口利き〟を取り上げたら、国会議員として役に立たない、あるいは国会議員としての体裁を成さない政治家が多いということからの〝口利き〟が永遠の存在価値を与えているという側面もあるだろう。勿論カネになるということもある。
このような〝口利き〟の不滅性は派閥の盛衰についても言えることではないだろうか。
また「郵政造反組の復党もささやかれる」としているが、小泉首相自身が「政党ですから、よく現実の情勢を踏まえながら、対応するんじゃないでしょうかね」とその可能性を否定しなかった上に、「参院選の協力具合によって判断してもいいだろうという動きも出てくる。今ことさら決めることはない」と、〝今後のこと〟(=退任後)として容認する姿勢を示していることから既定事実化している「復党」(=「逆戻り」)と見なすことができるのであって、「ささやかれ」ている段階ではないのではないだろうか。
どうも記事の事実認識が甘いように思える。少々ずれているのではないか。それとも当方の事実誤認なのだろうか。
派閥は実際にはしぶとく存続していた。「解体」も「溶解」もしなかった。当然、「半壊」といったところまで行っていないから、「逆戻りの兆し」など、生じようがない。
小泉純一郎自民党総裁の実現は当時の自民党最大派閥小渕派所属の元首相橋本龍太郎の返り咲きを狙った再立候補を破っての初当選であり、橋本龍太郎が決定的ダメージを受けて総理・総裁候補から退いたあと、それ以後〝選挙の顔〟となる人気の点で小泉首相に匹敵する人材が不作続きであったこと、特に最大派閥の小渕派を引き継いだ橋本派にこれといった総理・総裁候補が存在しなかったことが、自民党の各議員をして選挙を乗り切って議員を続けていく自己保身・自己利害のために従来の派閥依存から小泉首相の人気・支持率依存へと鞍替えする流れが生じた。
もし小泉首相が当時最大派閥だった小渕派の力を借りて総理・総裁になっていたなら、派閥政治は大手を振って罷り通っていたことだろう。そういった事情が派閥状況を変えたに過ぎない。
自己保身・自己利害のために力の強い者に従う事大主義・権威主義の血を発揮して靡くべき寄らば大樹の陰を派閥から小泉首相の個人的能力に対象を変えたということである。結果、当然の反映として小泉首相の個人的な力・指導力(あるいは権威性と言ってもいい)を高め、その代償として派閥の力と派閥をバックとした各議員の力を自ら殺ぐこととなった差引勘定が見せた相対的力関係(=絶対的ではない力関係)の推移が一見派閥の「解体」と見えた小泉首相の5年間ではなかったろうか。
象徴的に表現するなら、舞台中央に堂々と立って両手を広げ、「派閥の論理が通用しない自民党総裁だ」と声高々と歌い上げる小泉首相の周りで、多くの自民議員が国民の受けもよい自己利害から、さも同調者であるかのようにあとについて唱和する情景が国民の目に映る前景を常に成していたということだろう。
小泉首相の〝選挙の顔〟としての人気に頼って選挙を繰り返しているうちに、橋本派は最大派閥から転落し、小泉首相が所属する(首相になって派閥を離れたといっても形式に過ぎない)総理・総裁を抱える森派が強い組織に人が集まる権威主義の流れを受けて最大派閥化し、橋本龍太郎は2004年7月に日歯連からの1億円献金疑惑が浮上して派閥会長を辞任し、そのような衰退の経緯を受けて自民党はなおのこと小泉首相の独壇場と化していった。
だが、派閥が幕の影に退いた一時的な状況で、派閥そのものがなくなったわけではないのは、9月の総裁選に向けた党内の動きを見てみれば一目瞭然である。
自民党旧宮沢派(宏池会)の流れを汲む丹羽・古賀派、谷垣派、河野グループの3派の領袖クラスが6月初旬(06年)に会談したということだが、総裁選挙を控えて元の仲間が顔を合わせたということは、それぞれが小派閥として活動することよりも元の大所帯で一体となって活動することのメリットを模索する狙いがあったからであろうし、それは数の力(派閥の論理・派閥の力学)により効果を持たせようとするより一層の派閥行動への傾斜を示すものだろう。
また福田康夫元官房長官が総裁選に立候補しない意向を自分が所属する派閥会長の森元首相に会って直接伝え、「森氏が『安倍君が出馬したとしても、派閥としてまとまっていかなければならない』と述べて安倍氏への支援を要請したのに対し、『それは分かっている。同じ派閥に所属する議員として見守っていきたい』と述べ、森派の一員として安倍氏を支持する考えを示した」(06.7.22.『朝日』朝刊)は、自らの安倍氏との政策の違いを棚に上げた、それとは無関係の派閥の論理・派閥の力学そのものに則った派閥行動の表明以外の何ものでもない。
基本のところで派閥の論理・派閥の力学を自らの行動原理としていることから誰もが離れられない。
つまり、こういうことではないだろうか。派閥は「解体」したわけでも「半壊」したわけでもなく、小泉首相の個人的な人気に頼った手前、その意向を重視せざるを得ず、結果として派閥活動は鳴りを潜めていただけのことで、影を潜めたわけではないといったところが実態ではなかったろうか。
自民党は自民党議員のみで成り立っているわけではない。自民党議員及び自民党政治 と利害を同じくする組織と人間(官庁・官僚、企業・企業人、地方自治体・地方役人、その他地域の支持者・有力者、さらに不特定多数の一般支持者)によって成り立っている。それらの利害共有者にしても、日本という全体社会にあってはそれぞれが独立して生存しているわけではなく、その一員として何らかの相互関係を保ち活動している。
いわば自民党支持という利害の点で大枠に於いて同質性を成してはいるが、同じ日本社会に生きる者として、それぞれの血がつくり出して総合化した社会の血を大本に於いては同質的に受け継いでいる。
自民党が派閥政治を専らとしてきたと言うことは、他の政党に於いても似たり寄ったりの状況にあるが、自民党政治家のみならず、利害共有者である支持者をも含めて、派閥政治が持つ集団性・権威性を血としているからで、その反映を受けてもいる現象でもあろう。いわば両者の同質性が相互に反映し合って成り立つに至った派閥政治であるということである。
つまり日本の社会が派閥を生み出したと言える。より厳密に言うと、日本人の血・日本人のDNAが生み出した。自民党社会が日本の全体社会を形成する下位社会の一つである以上、その相互反映性から言って、当然の帰結でもある。記事が言っているように、「利益誘導による集票システム」だけを「DNA」としているのではない。
それは自律(自立)していないことによって数を頼み、集団を恃み、結果として大勢に順応する日本人の権威主義・集団主義のDNAであろう。そこから抜け出せない以上、派閥はなくならない。