今朝の朝日新聞(06.7.30)に広島市内開催の自民党広島県連政治資金パーティに出席した谷垣財務相と中川政調会長が「『格差』でさや当て」したと出ている。
「中川氏は『格差にもフェアな格差とアンフェアな格差がある。プロ野球の1軍の選手と2軍の選手が給料が同じでなければならない、ということはない』と述べた」という。
記事の中の言葉だけからの判断だが、先ず第1に、「プロ野球の1軍の選手と2軍の選手が給料」の違いは言われているところの格差でも何でもない既に合理性を備えている社会的合意事項として罷り通っていることであって、その合理性を逆手にとって、「同じでなければならない、ということはない」と逆説的に正当性を与えることで小泉改革がつくり出した〝格差〟にも正当性を与える口実にしようとする狡猾さは、さすが海千山千の政治家だけのことはある。
第2に、「格差にもフェアな格差とアンフェアな格差がある」と前置きした以上、それぞれの格差にどんなものがあるか例示すべきを、特に社会的合意事項となっていない不合理な格差(=「アンフェアな格差」)を問題とすべきを、例示も問題もせずに見当違いな譬えを持ち出す想像性の貧しさとその貧しさに自分では気づかない鈍感さはさすが政権担当党の政調会長だと誉むべきことなのだろう。
官庁に在職当時と変わらない高給と再度の高額な退職金を手に入れることができる天下りは、天下りを利権とすることができる人間の間では合理性を備えた合意事項とすることができるだろうが、決して社会的合意を得ることも与えることもできない「アンフェアな格差」事項であろう。だからこそ常に問題とされる。
また試験が大部分の結果を占める旧帝大学歴獲得者の偏重や国家公務員1種合格者は1種合格者としてのレールが敷かれていて、2種以下を排除してそのコースが最初から保証される役人世界の約束事は果たして2種以下や一般社会との「格差」を示していないだろうか。例え能力がなくても学歴と試験合格の資格でそれなりの出世と職務に応じた高給を獲得できる。
その他にも問題としなければならない社会的合意事項とすることのできない格差は無視できない数で存在するはずであるし、小泉改革と称して新たな格差を介護や年金、税制、その他の分野でつくり出している。だからこその〝格差社会〟批判であろう。
新旧取り混ぜて様々な格差をつくり出し、許してきたのは自民党政治である。問題としなければならない格差の数々を例示せずに社会的合意事項となっているプロ野球の1軍選手と2軍選手の給料の違いの正当性を以て、社会的な格差問題をその正当性の範囲内に収め、韜晦しようとする。
そうしなければならないこと自体が、既に小泉改革のいかがわしさを物語っていることにならないだろうか。
参考のために谷垣財務相の言葉を記事から引用すると、「日本丸の行く末は、決して格差のある社会、弱肉強食の世界であってはならない」となっている。
ここには中川政調会長のようなゴマカシはないが、当たり前のことを言っているに過ぎない。どのような格差社会となっているのか、弱肉強食の原理がどうはびこっているのか、それを改めるにはどのような政策が求められているのかを具体論で示すべきだろう。それが政治家としてのというだけではなく、日本の総理大臣を目指す人間としての説明責任と言うものではないだろうか。