安倍「再チャレンジ」は機会平等獲得の機会足り得るのか

2006-10-17 10:57:54 | Weblog

 天下り制度を通して占う
 
 安倍首相の口癖政策「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」

 非常に合理的な主張の如くに見えてもっともらしく、語彙と語呂がうまくマッチし、美しい日本語の体裁を取り、言葉の響きも素晴しく、正しいことを言っているかのような錯覚を与える。言っていることが正しくても、あるいはいくら美しい語彙豊かな日本語を羅列させようとも、言葉に実行性を持たせなければ、正しさも意味も失う。

 06年10月15日の『朝日』朝刊に『旧大蔵・財務幹部ら23人、消費者金融5社に天下り』なる見出しの記事が載っている。

 記事は書いている。「大手消費者金融の元幹部は大蔵OBを受け入れた効果について「『銀行向けの看板』の威力が大きかった。銀行の融資が増えるとともに、銀行の役員が派遣されるようになり、資本面の不安が消えた」と話した。最高幹部として天下った大蔵OBは「会社からは、『(行政処分など)何か問題があった時にちゃんと相手(役所)を説得してくれ』と頼まれた」と証言している。」

 ――「銀行の融資が増えるとともに、銀行の役員が派遣されるようになり、資本面の不安が消えた」

 何という天下り威力だろう。このような状況を出発点として、現在の消費者金融と銀行との資本関係に於ける蜜月時代は幕開けされたのだろうか。そう窺わせる文章となっている。

 所得格差が学力格差を生み出し、教育に関わる機会の不平等を誘発しているように、天下り制度が商機の不平等(=機会の不平等)の機会を提供していないだろうか。

 『朝日』の同じ日付けの関連記事(『消費者金融天下り 「大蔵なら誰でも」 業界「官の看板期待」』)では、「大手の元幹部は『当時は、銀行からいつ融資を引き揚げられるか気が気でなかった。大蔵省の役人を受け入れることで、「大蔵省は消費者金融をつぶさない」との認識を銀行に与えることができる。誰でもいいから大蔵を取れ、という雰囲気だった』」と、天下りを特定利用目的人事としているのに対して、「大手各社は、いずれもOBを通じた役所側への働きかけを否定している。
 3人を受け入れてきたアイフルは『大所高所からの経営判断や社外監査役としての業務監査や会計監査』(広報部)。大手で最多の9人を採用した武富士は「経営全般。社内監査およびコーポレートガバナンスの強化」(広報部)」だと、不当な手段で自分たちに有利に事を運ぼうとする企業倫理に反した人事ではないとしている。

だが、消費者金融側が挙げた職務は何も元官僚でなくてもいいわけである。元官僚を採用するには、元官僚でなければならない特定の利用目的があったはずである。企業が利潤追求を宿命づけられている組織・団体である以上、設定した利用目的に添わせた人事を行うことが当たり前の姿と言うものだろう。元官僚を採用して機会の平等を奪うことも損なうこともなく企業倫理にも反しない公平を基準とした人事目的は何だったのか。 

 前者・後者、どちらの説明が正しいのか。いずれも言葉は美しいか美しくないかではなく、あるいは語彙が豊富であるかないかではなく、真偽の問題となる。

 天下りが特定利用目的人事であることを証明する記事がある。『天下り先へ、国費支払い6兆円超…延べ1078法人』(2006/04/03読売新聞)

 「中央省庁などの幹部OBを天下りとして受け入れた法人のうち、契約事業の受注や補助金などにより国から2004年度に1000万円以上の支払いを受けたのは延べ1078法人にのぼり、支払総額は6兆円を超えていたことが、読売新聞などの調べでわかった。また、契約事業の9割以上が随意契約だった。
  これら法人の天下り受け入れ数は計3441人。防衛施設庁を舞台にした官製談合事件では、天下りOBの受け入れ企業に工事が重点的に配分されていたことが判明したが、中央省庁全体でも、天下りと契約や補助金交付との間に密接なつながりがあることをうかがわせている」

 「契約事業の9割以上」という「随意契約」を可能としている、あるいは「補助金交付」を有利にしている条件とは天下りOBの存在を措いて他にないだろう。「随意契約」にしても有利な「補助金交付」にしても、機会の不平等を母体として成り立つ取引であることは言うまでもない。そこからキックバックや裏金プールが行われ、それらのカネを官僚たちの遊興費等の一部として利用することで自分たちの懐からの遊興費等の出費を抑えて生活の余裕を得る別の機会の不平等をもたらし、収入のある者はますます収入を増やしていく、「機会の不平等」から始まった「結果の不平等」が蔓延していく。

 また防衛施設庁の官製談合にしても、日本道路公団の橋梁談合にしても、天下ったOBが工事発注の配分に深く関わっていて、天下り採用がどのような特定利用を目的としていた人事であったか、天下りOBに与えられた役目・役割がどのようなものであったかを如実に物語っている。

 企業活動に欠かすことのできない重要な分野のエキスパートであるという理由で採用されるといった例外はあるだろうが、あくまで例外で、一般的には官僚OB採用は特定利益目的を目指した人事であろう。

 所得格差によって学力格差が生じる機会の不平等を起点として、学力格差は学歴格差につながり、学歴格差は所得格差へと発展・逆戻りして、機会の不平等の連鎖・循環を生む。天下り採用が企業取引を談合・縁故等を手段として不正操作する機会の不平等をつくり出し企業の利潤追求に不当に寄与し、企業は獲得した潤沢な利益の一部を次の天下り採用にまわして、一層の利益を上げ、企業規模を拡大していく機会の不平等の連鎖・循環を固定化させる。

 安倍首相は「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」競争社会の提案と同時に、「勝者、敗者を固定しない社会」の構築を言い、「敗者」の復活可能な政策として「再チャレンジ政策」を掲げたが、日本社会は既に機会の不平等が張り巡らされた不純な競争社会と化し、常に勝者に有利な社会となっている。勝者にのみ競争を有利となるエースのカードが与えられている。

 勝者に有利な社会とは、言うまでもなく機会不平等の社会であり、「勝者、敗者を固定」する方向に向けた力学が常に働く一方的社会である。元々社会とは、それが如何なる時代の社会であっても、〝勝者に有利〟を構造としている。

 安倍首相がそのような認識を持って「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」と言っているのか疑わしい。なぜなら個々の政策としては必要ではあるが、定年を迎えた団塊世代や都会になじめない若者の移住を就農支援などで支えるとか、フリーターや事業に失敗した者への支援、社会的に弱い立場にある女性や高齢者らの雇用機会の拡大、30~40歳のフリーターや子育てが一段落した主婦らを対象とした国家公務員3種採用枠の新設、塾に通えず機会不平等となる恐れのある母子家庭や生活保護世帯の子供たちに向けに大学生や教員OBが放課後や週末に勉強を教える寺子屋づくりといった表面的な現象・方向にのみ顔が向き、有利な者が常に有利となる社会的な機会不平等の本質的な原因に何ら目を向けていないからだ。本質的な原因の是正に向けた姿勢が何一つ示されていない。

 機会の不平等がせっせと再生産されている社会状況のもとで各種「再チャレンジ」がどれ程の効果を持つのか。程々の効果を持たせたることができたとしても、〝勝者に有利〟な社会のままでは何もなるまい。格差拡大化の傾向はより悪い方向に進むのみであろう。

 程々ではなく、絶対的な〝勝ち組〟を目指すとしたら、機会の不平等を利用する側に立つことという逆説的な了解事項が暗黙的に幅を利かすに違いない。

 機会の不平等を利用した〝勝者〟になお一層の有利な機会を与え、それが新たな機会の不平等を増長・再生産する構造となっている社会の本質的な矛盾・原因を放置しておいて、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」、あるいは「勝者、敗者を固定しない社会」の構築は原因療法を省いて対症療法を行うその場しのぎに過ぎない。

 天下りに様々に網をかけようとしているが、実行が伴わなければ、「再チャレンジ」は機会平等獲得の機会とはならず、有名無実化する。

 言葉は重要である。しかし美しいか美しくないかではなく、言うことが立派であるかないかでもなく、実行性を持たせることが可能なまでに考え抜いた提案・主張であるかどうかにかかっている。そのような提案・主張は社会に対する誠実な視線・誠実に考える姿勢を必要条件とする。安倍首相の首相就任以来の国会答弁、記者会見での答弁を見ていると、そこに誠実な言葉、誠実な姿勢を感じ取ることはできない。感じ取れるのは機会主義的な政略のみで、外交はそれで誤魔化すことができても、内政は誤魔化すことはできないだろう。


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