復興相の今村雅弘が2017年4月25日夜の自民党二階派の派閥パーティーで講演し、東日本大震災の復興に関連して「まだ東北の方だったから良かった」と発言したと、4月25日夜7時からのNHKニュースが伝えていた。
このニュースを「NHK NEWS WEB」(2015年4月25日 19時12分)が動画を添付して記事にしていたが、「毎日新聞」(2017年4月26日 00時50分)がより詳しく伝えているため、その発言を利用させて貰うことにした。
NHKの記事添付の動画の今村雅弘の発言は語尾が敬語使いとなっているために敬語に直して、動画の発言により近づけてみることにした。(下線がNHK動画からの発言)
今村雅弘「みなさんのおかげで東日本の復興も着々と進んでいます。図を見ていただきたいが、マグニチュード9.0と日本観測史上最大、津波も9メートル、死者・行方不明計1万8478人。一瞬にして命を失われました。
社会資本などの毀損も、色んな勘定の仕方があるが、25兆円という数字もあります。これは、まだ東北でですね、あっちの方だったから良かったんで、これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大な、甚大な額になると思っています。
復興予算が32兆円。お陰さまで道路や住宅の高台支援は着々と進んでいます。みなさんにあつくお礼を申し上げます」
この発言から窺うことのできる今村雅弘の思いは、「社会資本等の毀損が25兆円。首都圏に近かったら、25兆円どころでない、もっと莫大な、甚大なカネがかかった。あっちの方だったから、25兆円程度で済んで良かった」ということにになる。
東北の復興を国の役所のリーダーとして引き継ぐことになった復興相今村雅弘のこの思いは復興に費やすことになる国家の財政のみに向けられていて、その多寡(多いか少ないか)だけを問題にし、そのような問題意識で東日本大震災の日本史上最悪の被害を見ていたことによって成り立っている。
今村雅弘の国家財政のみに視線を向けたこの問題意識の裏を返すと、断るまでもなく、被災者(=国民)に視線を向ける問題意識の欠如をそのまま物語ることになる。
だからこそ、「まだ東北でですね、あっちの方だったから良かったんで」と、東北を「あっちの方」と粗雑な言い方で指すことができたのであり、自身の視線の中に被災者(=国民)の命や生活を存在させていなかったからこそ、国家財政の観点のみに立って「良かった」と言うことができた。
いわば国のことだけを考え、「死者・行方不明計1万8478人。一瞬にして命を失われました」とは言っているが、単に被害の統計を言っただけのことで、国家財政に視線を向けるのみで、実際には被災者(=国民)の命や生活を度外視していた。
ここには国家優先・国民無視の思想が宿っている。
今村雅弘は講演後に取り囲んだ記者たちに向かって発言を取り消し、謝罪している。
今村雅弘「「東北でもあんなひどい25兆円も棄損するようなひどい災害だったと。ましてやこれがもっと首都圏に近い方だったら、もっととんでもない災害になっていただろうと、という意味で言いました。決して東北のほうでよかったという趣旨ではありません。取り消させていただき、改めてしっかりとお詫びを申し上げます」(上記NHK NEWS WEB)
釈明発言にしても棄損することになる国家の財政だけを問題にして、東日本大震災という大災害を見ていることに変わりはない。と言うことは、被災者が突然に見舞われることになり、引き続いている苦しみや苦労、悲しみ、生活の困難さを見ていない。
先刻承知のように復興相今村雅弘が国家優先・国民無視の思想を露わにしたのは今回のみではない。2017年4月4日の記者会見でフリーランスの記者が2017年3月31日に避難区域が解除されたのに伴って自主避難者向けの住宅無償提供が打ち切られたことに関して、「福島県と避難先自治体に住宅問題を任せるというのは、国の責任放棄ではないか」ということを質問した。
対して今村雅弘はあくまでも国の責任に拘る同じ記者との遣り取りで次第にヒートアップしていって、「自主避難は本人の責任」だとか、「裁判だ何だでもやればいい」といった乱暴なことを言い出した。
福島第1原発事故は被災者には何の責任もない。国は原子力政策を最優先のエネルギー政策と位置づけて国策として推進してきた。政府の地震関連の二つの組織が2002年と2009年に東北地方の太平洋岸に巨大地震が発生した場合は三陸沖だけではなく、福島沖、房総沖にかけても巨大津波が発生する危険性を指摘していたにも関わらず、東電は指摘に応じた対策を取らず、国も指摘していながら、対策を取るよう指導もしなかった。
これ以前の問題として原子力の安全確保のための規制を担当する政府の原子力安全委員会は1990年8月30日に「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」を決定、その中で「電源喪失に対する設計上の考慮」に関して、〈長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない。
非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しなくてもよ
。〉との文言で全電源喪失は想定しなくてもよいとした。
だが、東電が巨大津波の危険性を指摘されていたにも関わらず防潮堤の嵩上げを行っていなかったことと併せて、東日本大震災で防潮堤を超える津波が襲い、たちまち全電源が喪失状態となって原子炉を冷却する電気系統までが不能状態に陥り、原子炉内部の圧力が高まって、そのことによる原子炉の破損回避のために放射性物質を含む気体の一部を外部に排出させて圧力を下げるベントを行った際、大量の放射性物質が空気中に排出されることになったことを受けた県内避難であり、県外への自主避難である。
全ては国と東電に責任がある。《今村雅弘復興大臣の発言に対する抗議声明》(原子力損害賠償群馬弁護団/2017年4月5日)に書いてあることだが、2017年3月17日に〈前橋地裁が国と東京電力を相手に自主避難者が起こした損害賠償請求訴訟の判決で双方に同等の賠償責任を認め、自主避難者の殆どに対して避難することが合理的であったこと、種々の理由で避難を継続していることも合理的であることを認めた。〉のは全ては国と東電に責任があることを受けた判決であるはずである。
前橋地裁の国と東電の責任を認めた判決に対して国は控訴した。
この控訴にも現れているが、2017年4月4日の記者会見での今村の「自主避難は本人の責任」だとか、「裁判だ何だでもやればいい」といった発言にも国家優先・国民無視の思想が現れていることになる。
安倍晋三は今村雅弘の自己責任発言について2017年4月6日の衆議院本会議で次のように発言している。
安倍晋三「被災者の方々に寄り添いながら、復興に全力を挙げるとの安倍内閣の方針は、いささかも変わるものではない。今村大臣は謝罪会見を行い、感情的になったことをおわびし、冷静・適切に対応していく旨を申し上げた。
今村大臣には引き続き被災者に寄り添って1日も早い被災地の復興に向け、全力で職務に取り組んでいただきたい」(NHK NEWS WEB/2017年4月6日 17時04分)
「被災者の方々に寄り添いながら」が安倍内閣の方針であったとしても、復興行政に関わる直接の当事者である復興相の今村雅弘が全然寄り添っていなければ、内閣の方針は機能していないことになる。
今村雅弘のこのときの発言で「被災者の方々に寄り添」うことのできない姿勢が既に現れていた。そしてその姿勢が昨日の派閥パーティーでの講演で最悪の状態で露わとなった。
だが、安倍晋三は今村雅弘の「自主避難は自己責任」発言が被災者に寄り添うことになっているかどうか、その姿勢を問題としなければならなかったにも関わらず、その姿勢如何を基準にするのではなく、謝罪を基準にして続投を許した。
姿勢を厳格に問題にせずに、多分、辞任させることで安倍内閣がダメージを受けることになることを心配したからだろう、続投を許したばかりに最悪の国家優先・被災者(=国民)無視の姿勢が剥き出しにされることとなった。
安倍晋三の人間を見る目を持たずに今村雅弘を閣僚に任命した責任だけではなく、閣僚を監督する立場にありながら、閣僚の姿勢の欠陥に応じてきちんと責任を取らせなかった責任も重い。