麻生内閣日本国家絶対正義3羽ガラス(麻生太郎・中川昭一・中山成彬)が日本を支える

2008-09-26 07:56:03 | Weblog

 麻生太郎・中川昭一・中山成彬の3人に共通した優れた資質とは科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏にあると言える。科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏が彼らの自国家絶対正義を成り立たせしめている。

 既に自作HPや当ブログで何度か書いていることだが、彼らが発言した言葉から、日本国家を絶対正義と把える意識を再度拾ってみる。3人が一つ内閣に折角顔を揃えたのだから、その祝福の意味を込めて。

 麻生太郎

 「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年2月9日/「しんぶん赤旗」「しんぶん赤旗」)

 「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」

 2006年5月31日 東大学園祭の講演で
「(歴史認識についての質問に答える形で創氏改名について)当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと、名前のところにキンとかアンとか書いてあり、『朝鮮人だな』といわれた。仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ」――

 東京都知事選挙。都民の選択は間違った判断だと論ずることはできる。だが、その判断に従うことが民主主義に於ける正義のはずだが、「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」とすることで民主主義の正義を正義とせずに、参政権付与が国家にとって正義であったかどうかのレベルで論じている

 いわば麻生太郎は「婦人に参政権を与えた」のは国家絶対正義に反すると談じたのであり、それは麻生太郎が常に自己を国家絶対正義の立場に置いていることを示している。

 民主主義に於ける正義の立場に自己を置いていたなら決して口に出てこない「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」であろう。

 橋本元首相や小泉元首相の場合にしても元より、選挙での女性票獲得が自民党が民主党を遥かに上回っているのは皮肉な現象と言える。

 「創氏改名」――は、朝鮮人皇民化の一環として日本側が打つ出した政策であって、「改名しない者には公的機関に採用しない、食糧の配給対象から除外するなどの圧力をかけたために期限内に全戸数の80%が届け出た。『内鮮一体』を提唱する南次郎朝鮮総督の政策の一つ」と『日本史広辞典』(山川出版社)は解説している。いわば主として「食糧の配給対象から除外」という食糧攻めが効いた朝鮮人固有の名前から日本式の名前への強制的な改名であろう。

 「朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」とするのは日本の国が強制したことではない、日本は間違ったことをしていない――日本国家絶対正義とする発想であろう。

 それにしても麻生太郎の自国家の正義を打ち立てようとする科学的な歴史態度には目を見張るものがある。科学的歴史性を欠乏させているゆえに「全体的な絶対正義」なるものは存在しないにも関わらず、何から何まで自国家絶対正義に意識を向けるあまりに否応もなしに欠乏させていくこととなった科学的歴史性なのだろう。

 国家を最上・最高の権威、最上・最高の価値と看做す権威主義性を自らの精神としているから、当然の措置として科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏を反対給付される。

 朝鮮名を名乗ったままの陸軍中将や衆議院議員、朝鮮貴族等がいることを根拠に日本名への改名は強制していなかったという主張があるということだが、戦前・戦後を通じて確かに差別されることを嫌って日本人名(通名)を多くの朝鮮人が自らも名乗り、朝鮮人であることを隠したが、戦前の日本帝国に対する協力者である社会的上層に位置する朝鮮人を日本名に改名したなら、前者とは違った意味で朝鮮人の協力者がいることを隠すことになってその点でのメリットを減殺することになるから朝鮮名を許していたといったこともあったのではないか。

 国際社会に人権抑圧もなく仲良くやっているところを見せるダミーにもなったことだろう。

 創氏改名はあくまでも朝鮮半島内の皇民化(=日本人化)を狙った政策で、日本国内という内地に於いては多くの朝鮮人自身が日本人による過酷な差別から逃れるために日本政府がわざわざ強制しなくても自分から通名に改名したといったことではないだろうか。

 1923(大正12年)の関東大震災時の混乱の最中に起きた数千人と言われる朝鮮人虐殺は朝鮮人差別・朝鮮人蔑視を原因とした事件で、当時の朝鮮人が日本人から受けていた差別・蔑視が如何に過酷なものであり、そのような過酷な差別・蔑視が彼らをして朝鮮人であることを隠して日本人の中に隠れる方便としての日本名(=通名)を名乗らせる方向に如何に向かわせたか、証明して余りある虐殺が展開された。

 どれだけ多くの朝鮮人が日本人の差別・蔑視から逃れるために日本人になろうと、日本人に近づこうと努力したことだろうか。

 このような場面は戦前の沖縄でも同じように展開されていた。沖縄風の名前を捨てて、日本風の名前を名乗ったり、沖縄方言を捨てて、標準語を話す訓練をした。内地の日本人が沖縄人を差別していたからだ。

 朝鮮人虐殺に関してブログ・HP、その他に何度でも用いている引用文だが、<ヒゲ面が出してくれた茶碗に水を汲んで、それにウイスキーを二、三滴たらして飲んだ。足が痛みだしてたまらない。俄に降りつのってきたこの雨が、いつまでもやまずにいてくれるといいとさえ思った。

 「旦那、朝鮮人はどうです。俺ア今日までに六人やりました」

 「そいつあ凄いな」

 「何てっても、身が守れねえ。天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさあ」

 雨はますますひどくなってきた。焼け跡から亜鉛の鉄板を拾って頭にかざして雨を防ぎながら、走りまわっている。ひどいヒゲの労働者は話し続ける。

 「この中村町なんかは一番鮮人騒ぎがひどかった・・・・」という。「電信柱へ、針金でしばりつけて、・・・・焼けちゃって縄なんかねえんだからネ・・・・。しかしあいつら、目からポロポロ涙を流して、助けてくれって拝むが、決して悲鳴を上げないのが不思議だ」という。・・・・

 「けさもやりましたよ。その川っぷちにごみ箱があるでしょう。その中に野郎一晩隠れていたらしい。腹は減るし、蚊に喰われるし、箱の中じゃ身動きが取れねえんだから、奴さんたまらなくなって、今朝のこのこと這い出した。それを見つけたから、みんなでつかまえようとしたんだ。・・・・」

 「奴、川へ飛び込んで、向う河岸へ泳いで逃げようとした。旦那、石ってやつはなかなか当たらねえもんですぜ。みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ。で、とうとう舟を出した。ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分ぐらい水の中にもぐっていた。しばらくすると、息がつまったと見えて、舟のじきそばへ顔を出した。そこを舟にいた一人が、鳶(トビ)でグサリと頭を引っかけて、ズルズルと舟へ引き寄せてしまった・・・・。まるで材木という形だあネ」という。「舟のそばへくれば、もう滅茶々々だ。鳶口一つで死んでいる奴を、刀で切る、竹槍で突くんだから・・・・」>
『朝鮮人のなかの日本』呉林俊(オ・リムジュン)著・三省堂昭和46年3月15日初版/「横浜市震災史」から引用として描出してある)

 「ハングルは日本人が教えた」

 「(日本が教育制度を整えたことなどを理由にあげて、植民地統治がハングル普及に貢献したとの見方を示し)正しいことは歴史的事実として述べた方がいい」(03年6月2日付「朝日新聞」からの引用として/以上「Janjan」)――

 「ハングル」は朝鮮王朝第4代世宗により1443年につくられ、46年に「訓民正音」の名前で公布されたと『日本史広辞典』(山川出版社)は教えている。日本政府が学校を造り、字の書けない子供を通わせて結果としてハングル文字を教えたとしても、先に植民地政策ありの措置――朝鮮支配の一環として行った措置――であって、「日本人が教えた」と正義は日本にありのようなことは決して言えないだろう。植民地支配をしておきながら、自国家絶対正義を唱えるのはやはり科学的態度の欠如、合理的精神の欠乏を素地として国家・民族に最高・最上の価値を置く権威主義に侵されているからに他ならない。

 アフリカにNGOが自分たちの資金で小学校を建て、字の書けない子供たちに字を教えたとしても、NGOの彼らは正義は我にありと言いたげに「アフリカの文字を我々が教えた」と言うだろうか。教える場所さえ用意すれば、どこの国の人間だろうと教えることができる事柄だからだ。

 「ハングルは日本人が教えた」は麻生太郎の国家絶対正義の頭が勝手につくり出した歴史的事実に過ぎない。

 例えば朝鮮半島の近代化に尽くしたとか、インフラ整備に貢献したといったことを言って植民地支配と差引き計算する主張があるが、朝鮮人の人格を抑圧・無視し、彼らの人間としての尊厳を著しく傷つけ、否定してきた事実の過酷さに比較した場合、差引き計算はすべて帳消ししなければならないだろう。

 帳消ししないで自らの得点に結びつけようとするのは日本国家絶対正義の立場に立っているからに他ならない。
 
 06年1月28日 名古屋市での公明党議員の会合で
「(靖国神社参拝について)英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言った人はゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」――

 麻生太郎のこの名言に対して当ブログで次のように書いた。

 <戦前の天皇は国民に対しては神聖にして侵すべからず存在として大日本帝国に君臨した絶対統治者であり、陸海軍を統帥する絶対権力者であって、首相の権力などその比ではなかった。唯一その絶対権力ゆえに国民は戦争に於いては「天皇陛下バンザイ」の教育を受け、その具体化が生きて虜囚の辱めを受けずの死を賭した玉砕行為であったのであり、コロコロ代わる首相バンザイなどあり得るはずもなく、あり得るはずもなかった「首相万歳」を持ち出して「天皇万歳」と比較すること自体が麻生に於いては合理的客観性・合理的認識性の欠如発揮の最たる場面であろう。

 もしかしたら日本は首相がコロコロ代わるから、(天皇を)日本民族優越性の証明以外に万世一系という長期性を政治制度上の背景として現在も必要としているのかもしれない。

 麻生の「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのだから、天皇陛下が参拝するのが一番だ」は「天皇陛下万歳」の肯定であり、戦前の肯定を意味する。このことによって麻生太郎は安倍晋三国家主義者と同類であり、国家主義的兄弟だと看做すことができる。>と。

 麻生が国家主義者であると言うことは安倍晋三と同様に国家に最上・最高の価値を置く権威主義に絡め取られていることを示す。国家に最上・最高の価値を置くからこそ、天皇に靖国神社参拝を求める。

 麻生太郎は首相指名後の閣僚発表で「国民本位の政策を立ててもらいたい」と閣僚に注文をつけたが、これは福田前首相と同じく衆議院選用の俄仕立ての借り着で終わるに違いない。国家に最上・最高の価値を置く国家主義者に「国民本位」は矛盾した規定でしかないからだ。

 そのことは05年10月15日 福岡県太宰府市での開館記念式典の来賓祝辞で述べた「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」という言葉にも表れている。

 様々な制度を含めた中国・朝鮮文化、及び欧米文化を混血としていながら、それを無視しているのだから、自国家・自民族を純粋民族(=優越民族)に置く権威主義表現に他ならない。

 大体が国民一人ひとりの存在性が常に国際比較されるグローバルな時代に例え事実であったとしても「一文化、一文明、一民族、一言語」を誇ってどれ程の意味があるのだろうか。OECDの学習別到達度調査で日本の15歳・高校1年生が他国の生徒と比較して科学的応用力・数学的応用力が劣るという結果が出ただけで慌てふためいているというのに。

 いわば麻生の言う「一文化、一文明、一民族、一言語」が日本の生徒の科学的応用力・数学的応用力の育みに何ら役に立っていないということではないのか。日本の政治家の政治的想像性(創造性)発揮に「一文化、一文明、一民族、一言語」がどれ程に力となっていると言うのだろうか。

 科学的な想像性(創造性)も合理的客観性もな持たないから、国民という中身を問題とせずに国家だとか民族だとかのハコモノに価値・権威を置く。置く結果、国家絶対正義を打ち立てたい衝動を抱えることになる。

 中川昭一

 第3次小泉改造内閣で農林水産大臣就任記者会見(1998年7月)

 (従軍慰安婦の軍関与に関して)「いろいろと議論の分かれるような、少なくとも専門家の皆さんがけんけんがくがく議論されていることについて教科書、義務教育の教科書に、すべての七社の義務教育の教科書にほぼ同じような記載で記述されていることに疑問を感じている。強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない。歴史について我々は判断する資格がない。これは最初から我々の基本方針です。ただ、いろいろな方がないとかあるとか言って話が違う。これだけ議論が分かれているものを教科書に載せていいのかなというのが我々の勉強会のポイント。だから事実としてあるということに、我々が信じるに足るような事実がどんどん出てくれば、我々は素直にその事実を受け止める」

 「議論がいろいろとまだ出ている最中だから、教科書に載っけるというような、大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ということには我々はまだ、疑問を感じている、という状況だ。つまり、ないともあるともはっきりしたことが言えない」 ――
    
  「強制性があったかなかったかを我々が判断することは政治家として厳に慎まなければいけない。歴史について我々は判断する資格がない」と言いつつ、「議論がいろいろとまだ出ている最中だから、教科書に載っけるというような、大半の専門家の方が納得できるような歴史的事実として教科書に載せる、ということには我々はまだ、疑問を感じている、という状況だ。つまり、ないともあるともはっきりしたことが言えない」 「政治家として厳に慎まなければいけない」「判断」を臆面もなく下している。

 要するに自分たちに都合の悪い歴史解釈の動きには「判断放棄」し、都合のよい動きには積極的に「判断関与」するという矛盾行為なのはミエミエの言い分となっている。もしも歴史は歴史家だけが判断する資格があるとしたら、政治は政治家だけが判断する資格があり、国民は判断する資格を有しないことになる。

 この規定から言うと、麻生が言った「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」は「婦人」だけではなく、一般男性の美濃部に投票した判断も否定しなければならなくなるだろう。中川昭一は「強制性があった」「判断することは政治家として厳に慎まなければいけない」と言っているに過ぎない。

 やはり中川昭一も麻生と同じく国家・民族に最上・最高の価値を置く権威主義・国家主義を自らの血としているから、国家絶対正義の衝動を抑えがたく、それを満足させない歴史判断には我慢がならないのだろう。

 基本的には科学的態度 合理的精神を欠いているからに他ならない。欠いているからこそ国家・民族に最上・最高の価値を置く権威主義・国家主義に囚われ、無考えに国家絶対正義の衝動を抱えることになる。

 中山成彬

 (05年06月11日開催の静岡市でのタウンミーティング)「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」(『朝日』)

 (沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題について)「11万人が集まれば教科書が変えられるのか。そういう前例を残すことはどうなのか」

 「従軍慰安婦や南京事件の記述についてもさまざまな位置付けがあり、その人たちから見ると、たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのかということにもなる」(msn産経/2007.10.5 13:42 )――

 これが日本の最高学府東京大学を卒業している政治家の言葉なのである。これらの言葉を聞いて、合理的精神の一カケラも感じ取ることができる人間がいるだろうか。感じ取れるのは麻生や中川といった想像性(創造性)も合理的客観性も持ち併せていない同じ穴の政治家たちだろう。

 後世の人間が「奈良時代」という名称で便宜的に区分し、一般的に妥当な表現と看做している時代に対して、「そもそも奈良時代という言葉は、その当時なかった」からと言って、その時代に起きた数々の歴史的事実までなかったとすることができるだろうか。平安時代についても同じことが言えるだろう。

 「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった」としても、後の人間が「従軍慰安婦」と名づけて、その存在をよりよく言い当てていた場合、名前は一般化し、呼び習わされることになる。その存在性からいって、そのような名づけが妥当な表現だと認知されたと言うことである。

 いわば存在していたという事実が先行していて、単に名前を後からつけたに過ぎない以上、教科書から記述がなくなったとしても、歴史的事実そのものは消えずに残る。

 既に自作HPに書いていることだが、中山成彬は「教科書」にその「言葉」が載っていないことによって、その事実を知らされない小中高生と、その後に続く小中高生が順次大人になっていき、日本の人口を占める。かくして殆どの日本人の知識から「従軍慰安婦」の事実は消える。教科書に載せないことによって彼らの知識から掻き消したいということなのだろう。

 と言うことは中山成彬が批判していた「11万人が集まれば教科書が変えられるのか」、あるいは「従軍慰安婦や南京事件の記述についてもさまざまな位置付けがあり、その人たちから見ると、たくさん人を集めれば教科書を書き直せるのかということにもなる」ということ同じことを逆の形で自分も行っていることになる。歴史的事実の消去不能に逆らって「従軍慰安婦」の知識を持った者を限りなくゼロに持っていくことで、その事実を間接的に消去可能とすることができるからだ。

 消去し得たとき、国家絶対正義が打ち立て可能となる。従軍慰安婦の事実も南京虐殺の事実も強制連行の事実も日本人の知識の中に存在しないこととなり、国家絶対正義のみが存在するいうわけである。

 だから中川昭一にしても、「議論がいろいろとまだ出ている最中だから」とかの理屈をつけて科書に載せまい、載せまいとする意志を働かせていた。中川は「強制連行があったのか、なかったのか分からない。中学校教科書に従軍慰安婦問題が記述されたことも疑問だ」とも言って、教科書への記述を阻止したい衝動を疼かせていた。

 麻生太郎、中川昭一、中山成彬3羽ガラスの戦前の大日本帝国の絶対正義追求の飽くなきまでの執念には目を見張るものがある。

 麻生太郎は学習院大学政治経済学部卒、中川昭一と中山成彬は東京大学法学部卒。学校でも社会でも人間の現実を学ばず、国家及び民族の権威だけを学んで国家・民族に最高・最上の価値を置く権威主義に絡め取られ、国家絶対正義の衝動を身に纏うに至ったのだろう。

 国民のありよう、存在性よりも、国家のありよう、国家の存在性を上に置く日本国家絶対正義に思考硬直した政治家に明日の日本を託すことができるのだろうか。

 同じ財政出動・バラ撒きであっても、国民一人ひとりのあるべき姿を思い描いたバラ撒きならまだしも、企業収益はどうだ、国際収支・貿易収支はどうだといった国家の形態のみに目を向けたバラ撒きは国民に利益配分されないまま終わる単なるバラ撒きと化すように思えてならない。


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