安倍流機会平等の「障害者自立支援法」

2006-11-29 05:11:57 | Weblog

 「批判を受け、年度内に」「障害者負担を軽減」と題する記事(06,11,28・朝刊)が『朝日』に載っている。「自立支援法で予算措置方針」という内容だが、引用すると次のようになっている。

 「政府・与党は37日、障害者が福祉サービスを利用する際の自己負担額が今年4月から原則1割となったことについて、自己負担を一時的に軽減する措置を今年度内に導入する方針を決めた。障害者の負担増を盛り込んだ障害者自立支援法に『弱者切り捨て』との批判が高まっていることを受け、06年度補正予算案に負担軽減策を盛り込む。法律施行から1年も経たずに軌道修正を迫られた。
 激変緩和策として検討されるのは、低所得者に対する自己負担軽減措置の追加や、障害者施設への補助の増額など。予算規模は月内をめどに財務省と厚生労働省が詰める。ただ、障害者自立支援法自体は見直す動きは今のところない。
 障害者福祉の自己負担割合は従来、本人の所得など負担能力に応じて決められ、低所得者の在宅サービスなどは無料だった。今年4月からは、受けたサービスの1割を原則として負担するようになり、障害者の家計を直撃。大阪障害者センターが全国2296世帯を対象に行った調査だと、55%の世帯が『自己負担がつき1万円以上増えた』と回答し、86%が制度見直しを求めている。(後略)」

 安倍首相の政治哲学、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」の「結果の平等は求めない」が実際には「不平等」をつくり出していたなら、意味を失う。小泉改革が格差社会という不平等をつくり出したようにである。そのために「機会の平等は求めるが、結果の不平等は辞さない」が実体となっている。

 障害者自立支援法が例え小泉内閣時代に成立・施行した法律であっても、その当時から唱えていた〝条件付き平等論〟であり、自立支援法自体が〝条件付き平等論〟に添う原則を含む上に、協力し合って国会を通過させた法律である。安倍氏の政治思想の一つの具体化という形を取っていることは否定できないはずである。

 自立支援法は障害者が地域で生活することを支援する趣旨の法律で、『障害者福祉 改革の岐路』と題する『朝日』の記事(05.4.19・朝刊)によると、「新法案は『障害者が自分らしく暮らせる地域社会の実現』」を目指すという理想を掲げて立案されたもので、最大の論点は負担の仕方だ。法案は、国や都道府県の財政的な負担を明確にする一方で、障害者には受けたサービスの量に応じた『応益負担』が課せられる。かかった費用の1割だ」と、まさに「機会の平等」を掲げ、「結果の不平等を辞さない」安倍哲学に合致した制度となっている。

 「現在は収入にあわせた『応能負担』。低所得者が多いため、ホームヘルプの場合で利用料を払っている障害者は5%程度という。利用者負担の平均は月額約800円だが、応益負担になると約5倍になる見込みだ。
 応益負担には月4万200円の上限がある。所得に応じて上限は2万4600円、1万5千円に下がる。生活保護受給者は無料だ。厚生労働省は『必要なサービスを確保するためには費用をみんなで負担し、障害者も制度を支える仕組みが欠かせない』と強調する。・・・」(同記事)

 安倍首相の〝条件付き平等論〟である前半の「機会の平等を求」るに当てはめて言うと、厚生労働省が言う「必要なサービスを確保するためには費用をみんなで負担」するという「受けたサービスの量に応じた『応益負担』」に当たり、「所得に応じて上限」が設けられていると言っても、現在の「月額約800円」から「約5倍になる見込み」だという負担増加が「結果の平等を求めない」、実際には「不平等を辞さない」として現れている姿であろう。

 安倍首相の「再チャレンジ政策」の「再チャレンジがしやすく、勝ち組、負け組を固定しない社会、人生の各段階で多様な選択肢が用意されている社会」にしても、障害者自立支援法を通して見ると、単なる人気取りの奇麗事となり、実体は「勝ち組が幅を利かし、負け組排除の社会、人生の各段階で選択肢を制限する社会」を目指している実態がさらけ出される。

 企業減税で企業を勝ち組と固定することで日本の経済の活性化・経済成長を至上命題とし、その一方で勝ち組以外に予算を費やすことを減らして逆に自己負担を増加させ、それを以て財政削減策とする路線に立っている。その一つが「自立支援法」に定めた自己負担1割だったのだろう。

 ところが「法律施行から1年も経たずに軌道修正を迫られた」。そうなったそもそもの原因は見通しの悪さではなく、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」といった小泉首相共々担った安倍氏流の受益者負担論、あるいは応益者負担論が単に財政削減のための国民負担を正当化させる奇麗事の口実・欺瞞であって、その機械的な当てはめが原因した破綻であろう。結果的に「機会の平等は求めるが、結果の不平等は辞さない」になってしまった。

 もし「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」を言うなら、あるいは「再チャレンジ政策」を言うなら、人間らしく生きる最低限の生活を保障した憲法の精神を社会的弱者に位置づけられている障害者の生活にすべてに先立って十分に生かすべく努力すべきで、そうしてこそ、その延長に国民主権は生きた姿を取る。なぜなら、最も難しい問題に解答を与えてこそ、他の問題は解くのに難しいことではなくなるからというごく単純な理由からに他ならない。

 人間らしい最低限の生活とは、断るまでもなく、単に食べて生きていけるということだけではなく、人間らしい社会活動(=社会参加)を併せて可能とする生活のことである。

 そういった生活の保障に向けた視点を欠いた法律だと言う証拠は次に挙げる。先ずは上記新聞時事が指摘している「低所得者が多いため、ホームヘルプの場合で利用料を払っている障害者は5%程度という」事実を押さえておかなければならない。なぜ「低所得者が多い」のか。

 平成17年6月1日現在の障害者の雇用状況について厚生省は発表している。1.8%の法定雇用率が適用される一般の民間企業(常用労働者数56人以上規模の企業)に於ける実雇用率は前年に比べて0.03%ポイント上昇の1.49%となり、雇用されている障害者の数が前年に比べて4.3%(約1万1千人)の増加、法定雇用率達成企業の割合が、前年比0.4%ポイント上昇の42.1%となったと、着実な進展を謳っているが、1.8%の法定雇用率に達していない事実は欧米と比較した障害者雇用の貧困を示す数値であろう。

 1.49%の内訳は中小企業の実雇用率は引き続き低い水準にあり、特に100~299人規模の企業においては、実雇用率が1.24%(前年比0.01%ポイント低下)と、企業規模別で最も低くなっていること。 1,000人以上規模の大企業に於いては、実雇用率は1.65%(前年比0.05%ポイント上昇)と高水準にあるものの、法定雇用率達成企業の割合は33.3%と企業規模別で最も低くなっていると、大企業では未達成企業の方が多い雇用の偏りがあって、大きな顔はできない状況にあること、全体で見ると、元々お粗末な雇用状況がスズメの涙ほどの改善が見られただけといった情勢にあることを伝えている。

 世界第2位の経済大国の勲章を背負った、その勲章の輝きにより強力な光を与えているはずの、資金がそれ相応に潤沢であるに違いない大企業でさえも法定雇用率の1.8%に到達していない企業の方が多いという事実は、日本人の障害者意識の劣りを物語っていないだろうか。

 しかも平成17年度の実用雇用率1.49%は平成13年度と比較して経済状況は少しは改善しているはずであるにも関わらず、その年の1.49%と同じ数字を取っている。一旦下がって「0.03%ポイント上昇の1.49%」ということなのだろう。

 確かに障害者の中には高齢に達してから脳梗塞等の病気で障害を負った者も多く含まれているだろうが、対象が誰であれ、社会への受け入れを基本的意識としていなければならない。それがどの程度か、障害者の雇用状況に現れている。

 それを裏返すと、障害者の社会参加に対して社会的に非寛容、もしくは非積極性を社会的制度としているということであり、社会からの排除を文化的慣習としていると言うことであろう。このように障害者を日本の歴史・伝統・文化として社会から排除してきたことの美しい不始末がより多くの障害者世帯を低所得層に固定することとなった成果でもあるはずである。

 もし安倍首相が「勝ち組、負け組を固定しない」「再チャレンジ」を唱えるなら、障害者の低所得層への固定の改善を第一の基本としなければならないはずである。だが、そういった固定化に関わる日本の美しい歴史・伝統・文化を顧慮することなく無視し、美しい不始末の成果に一切目を向けず、「応益負担」という名のもと財政削減を目的とした一方的な要求のみを突きつけて、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」を「機会の平等を求め、結果の不平等は辞さない」に変質させ、あるいは「勝ち組、負け組を固定しない」と言いつつ、自己負担を残酷に課すことで障害者の低所得層への一層の固定化を推し進めた。

 いわば障害者に社会参加を伴った経済的・精神的により質の高い生活の保障を先ず最初に持ってくるべきを、それを不問に付し、社会からの排除に鈍感なまま、自己負担だけを求める不平等を犯した。それが「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」と称する原理の応用の実際の姿だったのである。障害者自立支援法がつまずきを生じたのは当然の結果なのだろう。

 小泉政権に引き続いて、安倍政権下でも〝平等〟に関わる様々な矛盾・不合理が〝格差〟という形を取って今後とも続くだろう。


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