菅義偉「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました。
地縁血縁のない私が政治の世界に飛び込んで、まさにゼロからのスタートでしたが、この歴史と伝統のある自由民主党の総裁に就任させていただいたことは、日本の民主主義の一つの象徴でもあると考えています。皆様のご期待にお応えできるよう全身全霊を傾けて日本のため、国民のため働く覚悟であります」
菅義偉は「私は秋田の農家の長男として生まれた」を自らの出自のウリにしている。
自身の自民党総裁就任を、「日本の民主主義の一つの象徴」と言っていることは土地の有力者の一族としてのカネの力や地縁・血縁、有名大学のOBとしての交友関係等々の人脈をステップに上り詰めた自民総裁ではなく、一国会議員としてのスタートからあくまでも民主主義の基本的なルールである一市民として多数決の原理に則って上り詰めて獲得した就任だと、その性格を言ってのことだろう。
要するに権威主義の申し子ではなく、民主主義の申し子だという意味を取る。2世と言うだけで政治の世界に飛び込むことができ、もてはやされるのは初期的には権威主義に依存したスタートということになるからだ。
2010年6月8日首相就任、2011年9月2日辞任の約1年しか続かなかった菅直人も就任記者会見で同じようなことを発言している。
菅直人「この多くの民主党に集ってきた皆さんは、私も普通のサラリーマンの息子でありますけれども、多くはサラリーマンやあるいは自営業者の息子で、まさにそうした普通の家庭に育った若者が志を持ち、そして、努力をし、そうすれば政治の世界でもしっかりと活躍できる。これこそが、まさに本来の民主主義の在り方ではないでしょうか」
菅直人は「私は普通のサラリーマンの息子」を自身の出自のウリにしていた。確かに普通の家庭に育った人間が自らが志を持ちさえしたなら、自由に政治の世界に飛び込むことのできる民主的な環境は必要だが、出自と「政治は結果責任」とは全くの別物である。出自のウリで結果を出すことができるわけではない。
尤も安倍晋三みたいに結果を出さずにさも出したかのように言葉を巧みに駆使して、国民を信用させる高度な騙しのテクニックを備えていたなら、出自のウリは相当に生きることになる。
菅義偉の出自のウリが菅直人と同じ宿命を辿るのか、安倍晋三みたいに言葉で「政治は結果責任」を見せていくのか、今後の楽しみとなる。
菅義偉はこの記事の最後で次のように結んでいる。
菅義偉「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』、そして『絆』です。自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、地域や家庭でお互いに助け合う。その上に、政府がセーフティネットでお守りする。そうした、国民の皆様から信頼される政府を目指します」
菅義偉は無条件に「自助・共助・公助」を求めて、それを実現させる要として人と人の「絆」の必要性を訴えている。
2020年9月5日の立候補表明記事でも、「自助・共助・公助」をウリにしている。
菅義偉「新型コロナウイルス、近年の想定外の自然災害等、かつてない難題が山積するなか、『政治の空白』は決して許されません。私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります。
国の基本は『自助・共助・公助』です。人と人との絆を大切にし、地方の活性化、人口減少、少子高齢化等の課題を克服していくことが、日本の活力につながるものと確信します」
先ず最初に「私は、安倍総裁が全身全霊を傾けて進めてこられた取組を、しっかり継承し、さらなる前進を図ってまいります」と言っている。単なる安倍政治の継承ではない。「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」と安倍政治を全面的に肯定し、全幅の信頼を以って継承することを誓っている。
つまり安倍政治性善説に立っている。全面的性悪説、そうではなくて、部分的性悪説に立っていたなら、「全身全霊を傾けて進めてこられた取組」とは口が裂けても言えない。
菅義偉は「自助・共助・公助」を社会を動かし、国を動かす国民の基本的な生き方、存在形式としたい欲求を抱え、菅政治の旗印として掲げた。
そのほかにも思い入れ強く、「自助・共助・公助」を触れ回っている。「菅義偉出馬記者会見」(産経ニュース/2020.9.2 18:08)
冒頭発言最後。
菅義偉「私自身、国の基本というのは、自助、共助、公助であると思っております。自分でできることはまず自分でやってみる、そして、地域や自治体が助け合う。その上で、政府が責任をもって対応する。
当然のことながら、このような国のあり方を目指すときには国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならないと思っております。目の前に続く道は、決して平坦(へいたん)ではありません。しかし安倍晋三政権が進めてきた改革の歩みを、決して止めるわけにはなりません。その決意を胸に、全力を尽くす覚悟であります。皆さま方のご理解とご協力をお願いを申し上げます。私からは以上です」――
「自助・共助・公助」と「自助」を最初に持ってきて、「自分でできることはまず自分でやってみる」と、無条件に「自助」率先を促している。「自助」とは「他人の力によらず、自分の力だけで事を成し遂げること」(goo国語辞書)をいう。自分の力で先ずやってみなさい。できないことは家族・知人や地域の人といった第三者が助け合う「共助」を以って解決しなさい。「共助」を以って「自助」を包み込むには「人と人との絆」は欠かすことのできな条件となる。
それでも解決できない部分は自治体や国が助ける「公助」を以ってして引き受けましょうと仰っている。このような考えには国を国民一人ひとりよりも上に立たせている意識を伴わせている。上から目線の意識である。
至極尤もに聞こえる。国民一人ひとりに自律心(「他からの支配や助力を受けずに自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制する心構え」)を求めているとも言える。
そしてこのような指示・要請を行う以上、「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府でなければならない」と、菅政府自体の有り様を律している。但しこの有り様は上から目線とは相反する下から目線の認識で成り立たせている。どちらが本当の立ち位置かと言うと、上から目線でなければならない。でなければ、無条件に「自助」を最初に持ってくることはできない。
「国民の皆さんから信頼をされ続ける政府」は「自助」を最初に持ってきた以上、これとの整合性を取るために装わなければならない政府の姿だからだ。
例えば森友学園、加計学園、「桜を見る会」、黒川検事長定年延長問題で政治の私物化を公然と行ってきた、国民に信頼されない安倍政府のようであったなら、「自助・共助・公助」のうち、何よりも「自助」を無条件に国民に求めたとしたら、国民の誰が耳を傾けてくれるだろうか。耳を傾けてもらうためには国民から「信頼をされ続ける政府」を謳わなければならない。
「自民党総裁選 所見演説会」(THE PAGE/2020/9/8(火) 15:09)でも、同じようなことを仰っている。
菅義偉「私が目指す社会像というのは、まずは『自助・共助・公助、そして絆』であると考えております。自分でできることはまず自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で、政府が責任を持って対応する。そうした国民の皆さまから信頼される政府を目指したいと思っています」
やはり「自分でできることはまず自分でやってみる」と「自助」を無条件に求めている。
3日後の2020年09月12日の日本記者クラブで行われた「自民党総裁選立候補者討論会」(産経ニュース/9.12 17:25)
菅義偉「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助、そして絆』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」――
「その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします」とやはり上から目線の発言となっている。
「菅義偉就任記者会見」(首相官邸/2020年9月16日)
菅義偉「私が目指す社会像、それは、自助・共助・公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる。そして家族、地域でお互いに助け合う。その上で政府がセーフティーネットでお守りをする。
こうした国民から信頼される政府を目指していきたいと思います。そのためには行政の縦割り、既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます。国民のためになる、ために働く内閣をつくります。国民のために働く内閣、そのことによって、国民の皆さんの御期待にお応えをしていきたい。どうぞ皆様の御協力もお願い申し上げたいと思います」――
ここでも「その上で政府がセーフティーネットでお守りをする」と上から目線を露わにしている。現在の日本は国家主権ではなく、国民主権である。国家は国民の基本的人権を守り、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を全ての国民に保障しなければならない務めを負っている。
この国家と国民との関係を「自助」に当てはめて言うと、「自助」を基本に生活が機能する公平な社会を用意する務めを国家は負っていると言うことになる。
このことを逆に言うと、国や政治が「自助」を基本に国民の生活を機能させる公平な社会を用意せずに「国の基本」として、あるいは「社会像」として「自助・共助・公助」を掲げ、「まず自分でやってみる」と、無条件に「自助」を求めるどのような資格も、どのような正当性もない。
つまり国は、あるいは政治は国民が「自助」を基本に自らの生活を機能させる公平な社会を用意するのが順序として最初だということになる。用意して初めて、「まずは自分でやってみる」と自助を求める資格も正当性も出てくる。
それとも現在の日本社会は国や政治の力によって「自助」を基本に国民の生活を全面的に機能させ得る社会となっていると言うのだろうか。格差社会であること自体がこのことの否定要素となり得る。
そのような社会を創造し得ずに「まず自分でやってみる」と無条件に「自助」を求めて、「自助・共助」で解決できなければ、「政府がセーフティーネットでお守りをする」と、「公助」の発動を宣言するのは上から目線でなくて、何であろう。
単に上から目線と言うだけではなく、そこには恩着せがましさが滲んでいる。この上から目線、恩着せがましさは「私は秋田の農家の長男として生まれ、高校まで過ごしました」の一般人装いと相矛盾する。所詮、皆さんと同じですよと親近感を持たせるための出自のウリ、ポーズに過ぎないのだろう。
菅義偉が「自助」を基本に国民の生活を機能させることのできる公平な社会を用意せずに無条件に「自助」を求めるインチキな政治家だと、その正体を早々に見せいるのに、各マスコミの菅内閣支持率世論調査では軒並み6~7割という高い数値を獲得することができた。「令和おじさん」の演出された親しみの賞味期限を切らさずに今以って維持し続けているのだろうか。
格差社会に於いて格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。
だから、教育の無償化だ、子ども手当だ、生活保護だ、その他諸々のセーフティーネットが必要になる。つまり国は、あるいは政府は格差社会を作っておいてセーフティーネットだと恩着せがましい、上から目線の態度を取っている。
身体障害者や高齢者が自由な社会生活ができないバリアだらけの社会は「公助」があって、「自助」を活かすことができる。
政治が「自助」を基本に国民の生活が機能する公平な社会を前以って用意する務めを負うことを自民党自身が謳っている。文飾は当方。
「2010年自民党綱領」 二、我が党の政策の基本的考えは次による ① 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す ②日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す ③自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する ④ 自律と秩序ある市場経済を確立する ⑤地域社会と家族の絆・温かさを再生する ⑥政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める (イ) 法的秩序の維持 (ロ) 外交・安全保障 (ハ) 成長戦略と雇用対策 (ニ) 教育と科学技術・研究開発 (ホ) 環境保全 (へ) 社会保障等のセーフティネット ⑦将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、 財政の効率化と税制改正により財政を再建する |
「自助自立する個人を尊重し、その条件を整える」と言っている「条件」とは、続いて「共助・公助する仕組を充実する」と言っていることから判断して、「自助自立」を心がける「個人を尊重」できるシステムづくりの「条件を整える」ことではなく、「自助自立」そのものが可能となる「条件を整える」ことを指しているはずである。
例え前者であっても、「自助自立」可能な社会環境を用意することができなければ、「自助自立」できる「個人」は限られてくることになるから、結果的には「自助自立」そのものが可能となる社会的な「条件を整える」ことを言っていることになる。
当然、「自助自立」を限定しないために「全ての人に公正な政策や条件づくりに努める」ことを政府が負うべき務めとしている。
「全ての人に公正な政策や条件づくり」とはまず第一に格差のない社会を指さなければならない。既に触れているが、〈格差の上に位置する国民はいくらでも「自助」を基本的な行動様式として社会に跋扈し得るが、格差の底辺に位置する国民は「自助」を自らの恃みとしたくても、収入の制限、あるいは身体的制限等を受けて恃むことができないことが往々にして存在する。〉ことが定番となっている以上、格差は「自助自立」にまで可能・不可能の壁を設けることになるからだ。
「自助自立」を可能とする社会的「条件を整え」た上で、それでも不足が生じた場合は、「共助・公助する仕組を充実する」という手順を取っている。
菅義偉の「自助・共助・公助」論とは明らかに手順が違っている。首相にまでなった政治家が自党の綱領を理解する頭を持たず、綱領に反した「自助・共助・公助」論を菅政治の「社会像」、あるいは「国の基本」として提示する。インチキ政治そのもので、このことだけでインチキ政治家の正体を曝していると言える。