昨日3月5日(07年)の参院予算委員会で、従軍慰安婦問題に関して次のようなやりとりをNHKの夜9時の「ニュースウオッチ」が伝えていた。質問者の小川民主党参院幹事長の発言の途中<()部分>を夜7時のNHKニュースから一部補強する。
小川民主党参院幹事長「アメリカ合衆国の下院に於いて慰安婦をされていた方が、そういう強制があったという証言をしている。だから、下院で決議案が採択されるかどうかってことになってるんじゃないですか。(そうした人権侵害について、きちんとした謝罪なり対応しないと、日本のですね、国際的な信用を損なうことになってるんじゃないかと思います。)強制性はなかったと、いうような発言をされたんじゃないですか」
安倍首相「ご本人がそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと」
朝日新聞(07.3.5.夕刊)に『首相答弁の要旨』が載っている。参考のために。
「安倍首相の5日の参院予算委員会での従軍慰安婦問題に関する答弁の要旨は以下の通り。
河野談話は基本的に継承している。狭義の意味で強制性を裏付ける証言はなかった。いわば官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかったということだ。そもそもこの問題の発端は朝日新聞だったと思うが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたが、まったくのでっち上げだったことが後(のち)に分かった。慰安婦狩りのようなことがあったことを証明する証言はない。裏付けのある証言はないということだ。
国会の場でそういう議論を延々とするのが生産的と思わないが当時の経済状況もあり、進んでそういう道に進もうと思った方はおそらくおられなかったと思う。間に入った業者が事実上強制したこともあった。そういう意味で広義の解釈で強制性があったとうことではないか。
米国で決議が話題になっているが、事実誤認があるというのが我々の立場だ。決議があったからといって、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的事実に基づいておらず、日本政府のこれまでの対応も含まれていない。米議会内の一部議員の動きを受けて、引き続き我が国の立場の理解をえるための努力を行っている」――
「ご本人がそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと」
安倍首相の答弁にいつも思うことだが、「と、このように思います」とか、「という、まあ、ケースもあった」とか、「という、まあ、そういう強制性はなかった」云々、何と〝まあ〟、親身のかけらも感じることができない他人事のような物言いとなっている。安倍晋三という人間にある心性は名を残そうとする功名心だけで、真心とか優しさといったもの柔らかい感受性は彼の心の中には住み着いていないらしい。単純さだけは十分に感じ取ることができる。
当ブログの記事『安倍首相のマヤカシの従軍慰安婦解釈』(07.3.4・日曜日)で、<例えそこが日本軍が設置した抑留所であっても、日常業務で出入りするのではなく、日常業務とは一切関係ない、また彼女たち(オランダ人抑留者)にとっても日常的な生活行為に関係のない慰安行為をさせるために「二台の車」で押しかけたのである。その場所で誇り高い天皇の軍隊に所属する日本兵は日常業務に於ける「強制性」とはまるきり別個の「強制」力を働かせた。オランダ人女性にしたら、抑留所とは言え、自分たちが住まいとしている居住空間に「乗り込ま」れ、有無を言わせず「連れて行」かされた。これを「河野談話」が言う「『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と書かれた文書」がないからと、「行きたくないが、そういう環境の中にあった」「広義の強制性」だと一般的な慰安婦問題とするマヤカシが許されるだろうか。
最大の狡猾・巧妙なマヤカシは、「家に乗り込んで連れて行った」ことを「狭義の強制性」とする論理には、「強制性」が働く時点を「乗り込んだ」「家」にのみ置く自己都合を介在させていることであり、それ以外を一切無視していることである。>と書いた。
安倍首相にしたら「強制性」の存在を慰安所の中ではなく、「官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかった」と「家」に限定することによって、軍の「強制性」を持った関与を否定し、日本国、あるいは日本民族の名誉を守ることができると考えているからだろう。
だが、負の事実を誤魔化して守る名誉とはどのような名誉を言うのだろうか。そうして守った名誉は本来放つべき輝きを見せることができるのだろうか。業者を通して軍の関与を証拠立てる資料が発見されるまで、慰安婦だったとする数々の証言を無視し、従軍慰安婦の存在そのものを、当時は慰安婦と言う言葉はなかったとか、あれやこれやの逃げの手を打っていたのである。中身ある名誉を持たない人間程、架空の権威を打ち立て、それを振りかざすことを以て名誉と勘違いする。その典型例が、〝万世一系〟だろう。歴史的に天皇は歴代の実質的支配者にとっての架空の権威に過ぎなかった。その程度の〝万世一系〟を名誉とし、誇ったとて、何程のこともないはずだが、滑稽にも日本民族の勲章の一つにしている。
明治15年の軍人勅諭は言っている。「凡(およそ)軍人には上元帥より下一卒に至るまて其間に官職の階級ありて統属する(統制のもとに属すること)のみならす同列同級とても停年に新旧あれは新任の者は旧任のものに服従すへきものを下級のものは上官の命を承ること実は直(じか)に朕か命を承る義なりと心得よ」と天皇自らが命じた如くに天皇の兵隊大日本帝国軍隊は絶対命令・絶対服従を旨としていた。「上官の命令を受ける場合は天皇の命令を直接受けることと同じにせよ」と言っているのである。いわば上官は天皇の絶対性を体現していた。その一つがオランダ民間人抑留所に「一杯の日本兵を乗せて二台の車」を送り込み、「17歳から28歳の女性たちの中から10人」を選んで「そこから連れ去」り、慰安所に送り込むよう上官が絶対的命令として伝え、その命令に対して部下が天皇の兵士として絶対的服従の忠実さで実行に移して命令を物の見事に具体化することだった。その成果が将官・兵士共々による、検診の軍医も含めて誘拐してきたオランダ人女性に対する集団強姦なのは言うまでもない。
(「停年」――「旧日本陸海軍で、同一の官等に服務しなければならない最低年限。この年限が過ぎなければ上級の官等に進級することができない。」『大辞林』三省堂)何という杓子定規。
そして天皇の軍隊である大日本帝国軍隊の上官の絶対命令と部下の絶対服従は軍体内だけの規律ではなく、大日本帝国軍人と一般民間人の間にも働いていた関係力学であった。大日本帝国軍隊自体が天皇の絶対性を全体として担っていたからである。その軍隊自体の絶対性は勝利者として君臨していた中国大陸や朝鮮半島といった占領地に於いても当然保証されていた。
その絶対性が裁判もかけずに現地住民をスパイだと決め付けてリンチ同然に処刑したり、日本刀の試し切りだと称して首をはねることをいともたやすく可能にしていた力の源泉であったはずである。その結果として獰猛果敢、鬼と恐れられる勲章を手に入れた。
勿論そのような天皇の大日本帝国軍隊の内外を問わない絶対命令と絶対服従の関係は部下の兵士が上官の命令を絶対とした関係と併行して軍と業者の関係を強制していただろうことは想像に難くない。
いわば業者は軍からの指示・依頼を絶対命令として受け止め、絶対服従を守備範囲としてそこから外れることを許されない行動を取らなければならなかった。当然軍の指示・依頼が強制の性質を帯びた場合、絶対服従を可能とするためには業者の他に対する指示・依頼も同じように強制の性質を持たせなければ絶対服従を実現させることはできない。
業者の「強制性」は軍の「強制性」を受けた行動性だということである。それを証明する新聞記事がある。「日中戦争末期、日本軍の占領下にあった中国・天津市で、公娼の中国人女性を『慰安婦』として派遣するよう日本軍が指示していた実態を示す当時の中国側の公文書が見つかった」というもので、かいつまんで引用する。
『日本軍と業者一体徴集・慰安婦派遣・中国に公文書』(1993.3.30)
○文書は1944年から45年にかけて、日本軍の完全な支配下
にあった天津特別市政府警察局で作成された報告書が中
心で約400枚。
○日本人や朝鮮人が経営する売春宿の他に中国人が経営す
る「妓院」は登録されただけでも300軒以上あり、約30
00人の公娼がいた。
○日本軍天津防衛司令部から警察局保安科への命令
①河南へ軍人慰労のために「妓女」を150人を出す。期
限は1カ月。
②借金などはすべて取消して、自由の身にする。
③速やかに事を進めて、二、三日以内に出発せよ
○指示を受けた警察保安科は売春業者団体の「天津特別市
楽戸連合会」を招集し、勧誘させ、229人が「自発的に
応募」(とカッコ付きで記事は書いている)。性病検査
後、12人が塀を乗り越え逃亡。残ったうちから86人が選
ばれ、防衛司令部の曹長が兵士10人と共に迎えに来る。
○その後の6月24日付の保安科長の報告書は86人のうち半
数の42人の逃亡を伝えているとのこと。
○1945年7月31日の警察局長宛て保安科の報告書添付文書
「軍方待遇説明」には、徴集人数は25人、「身体が健康
、容貌が秀麗であることをもって合格とする」とし、期
間は「8月1日から3ヶ月間」
○日本軍からの派遣の指示が出たのは7月28日で、準備期
間は4日しかなかった。(当然、業者はかなりの強制力
を働かせなければ、途中で逃亡しないような相手を短い
時間で集めることはできなかったに違いない。)
○待遇――本人に1カ月ごとに麦粉2袋。家族に月ごとに
雑穀30キロ。慰安婦の衣食住・医薬品・化粧品は軍の無
料配給。
○花代――兵士「一回十元」・下士官「二十元」・将校「
三十元」
○「この報告書には、山東地方の日本軍責任者と業者、警
察局の三者が7月30日に会議を開き『万難を排いのけ一
致協力して妓女を二十五人と監督二人を選抜することを
決めた』と記述。また、防衛司令部の副官が『日本軍慰
労のための派遣は大東亜全面聖戦の成功に協力するもの
で、一地域にこだわってはいけない。すみやかに進めよ
』と業者に対して訓示したことも記録されている」――
『藤原彰一橋大名誉教授(近現代史)の話』と『意思に反した強制示す』と題した解説文を全文引用してみる。
藤原彰一橋大名誉教授『要求と命令 時期も注目』「日本軍と民間業者の関係を具体的に明らかにした資料として貴重だ。業者が勝手に行っていたわけではなく、『慰安婦』は軍の要求のもとで徴集されていた。1944年という時期にも注目したい。この年の春、日本陸軍最大の作戦が中国大陸で始まっていた。占領地を縦断的に広げようという『大陸打通作戦』で、河南省を新たに占領するために主力部隊を動員していた。河南の前線への『慰安婦』派遣要請は、天津に限らず、ほかの地域でも同時期行われていたとの日本軍関係者の証言資料もある。前線では強制拉致も行われていたが、天津や上海のような後方の大都会では業者を利用して女性を集めていた。同様の資料は上海などにも残っているだろうから、やがて全体像が明らかになっいくだろう。」
解説「従軍慰安婦問題に関する政府見解の基本にあるのは1993年の官房長談話だ。慰安婦の徴集(募集)における『強制性』が初めて認められた。
この談話が慰安婦問題を教科書に載せる根拠の一つになったが、記述削除を求める一部の学者や政治家らは『慰安婦は民間業者に伴われた公娼だった』などと主張。さらに、談話を裏付ける公文書がないなどとして、軍や政府の関与責任を実質的に否定してきた。一部の地方議会も、そうした指摘に沿って記述削除を求める意見書などを採択している。
今回見つかった中国側公文書は、こうした議論に対して、まず、軍と業者が徴集段階から 協議を重ね、資金面でも協力していたことを明らかにしている。もう一つのポイントは女性たちの集団逃亡の事実が記録されている点だ。
『公娼は商行為』として『自由意志』であるかのような主張が繰り返されてきた。しかし半数以上の女性が、性病検査の後や前線に連れられていく途中、監視をかいくぐる危険を冒してまで逃げ出そうとした記述は、そこに本人の意志に反した『強制』があったことをうかがわせる。(中沢 一議)」
「談話を裏付ける公文書がない」とする否定が通用しなくなって、今度は「強制性」を「広義」と「狭義」に分けて、往生際悪く逃れようとする。
借金などはすべて帳消しして自由の身とする、本人に1カ月ごとに麦粉2袋、家族に月ごとに雑穀30キロ、慰安婦の衣食住・医薬品・化粧品は軍の無料配給。兵士「一回十元」・下士官「二十元」・将校「三十元」の花代はそのときまで勤めていた店の手当てよりも高額のはずだから、いいこと尽くめのこの上ない最高の条件を危険な逃亡という手段で袖にしたのである。「解説」が言うとおりに、「自発的」が強制であったことを窺わせるが、なぜ待遇を危険な逃亡と引き換えたのかという疑問は単に「強制」が理由だけではあるまい。
考えられることは、好条件が単に女たちを釣るためのエサでしかなく、一旦言いなりになったなら反故にされることを知っていたからか、一見好条件に見える待遇はそれを帳消しして余りある悪条件を代償としなければならないことを知っていたからではないか。
代償的悪条件とは休む暇もなく次から次へと兵士に求められ、身体を壊すのがオチで、身体を壊したら、何を貰っても無意味となる危険をいうのではないか。あるいは日本兵士の限度を知らない飽くなき要求を既に肌で学習していただけではなく、無闇やたらと威張り散らす権威主義的態度を心の中では激しく拒絶していたため、日本兵士だけの中に放り込まれることを忌避したことが「半数以上の女性」の逃亡ということもあり得る。
いずれにしても天皇の大日本帝国軍隊の「強制性」が業者へと作用して業者の「強制性」を誘発し、業者の「強制性」がそれ以下はない慰安婦に作用したという構造を取ることに変わりはないだろう。いわば業者の強制は軍の強制ということであって、その関係性から言うと、安倍晋三が言うように「間に入って業者がですね、事実上強制をしていた」と、業者だけの「強制」とするだけでは済すわけにはいかない構図であろう。
また「官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかった」とのんきなことを言っているが、形としてはそうだとしても、軍の「強制性」を業者が代弁して「人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性」があっただろうことは決して否定できまい。
現在でも上の強制が下の強制を生む構造は存在する。元請企業が仕事を発注する自らの絶対性に立って、一次下請に部品単価の減額を強制する。一次下請は仕事を失う恐れから元請企業の強制を受容し、その強制を自らの強制として二次下請へと回す。二次下請は三次下請へと・・・・・。
大日本帝国軍隊の頂点に天皇が位置していたように、トヨタのような元請大企業が現在では天皇の立場に位置し、自らの絶対性を強制力に変えて各下請会社を絶対命令と絶対服従の関係で律している。
業者の強制は軍の強制であるのと同じ構造を取って、一次下請、二次下請の強制は元請大企業の強制となっているのである。
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