安倍信三著『美しい国へ』
≪「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌≫
<(前略)
世界中どこの国の観客もそうだが、自国の選手が表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになるものだ。ところがそうした素直な反応を、若者が示すと、特別な目で見る人たちがいる。ナショナリズムというと、すぐ反応する人たちだ。ようするに「日の丸」「君が代」に、よい思いを持っていないのだ。
(中略)
また、「日の丸」は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にいる。これには反論する気にもならないが、彼らはスポーツの表彰をどんな気持ちで眺めているのだろうか。
(中略)
歌詞はずいぶん格調高い。「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」という箇所は、自然の悠久の時間と悠久の歴史がうまくシンボライズされていて、いかにも日本的で、私は好きだ。そこには自然と調和し、共生することの重要性と、歴史の連続性が凝縮されている。
「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。
(中略)
戦意を高揚させる国歌は、世界にいくつもある。独立なり、権利を勝ちとった歴史を反映させようとするからだ。フランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」は、はじめから終わりまで「暴君の血に染まった旗が、われらに向かってかかげられている」「やつらがあなた方の息子や妻を殺しに来る」と、激しい言葉が並び、最後は「進め!進め!汚れた血がわれらの田畑を染めるまで!」というフレーズでしめくくられている。>
最初に言う。<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実>無根そのものである。まるきりのウソっぱちであるというだけではなく、粗雑な理解力なくしては展開できない歴史認識であろう。
天皇は実質的政治権力者に権力維持の都合上、その名前を利用された名目的権威、あるいは傀儡権威に過ぎなかった。戦争中は軍部の傀儡として利用された。利用された存在だったからこそ、天皇の希望は数々無視され、偽りの戦果の報告を受けることとなった。
古代の物部・蘇我・藤原の豪族、平安時代の平家の貴族、そして鎌倉時代の源氏から始まった北条・足利・織田・豊臣・徳川の武家たちは天皇の命令・指示によってではなく、前者は権力行使欲求から、後者は自らの天下平定の欲求に従って自分たちの武力を用いてそれぞれの目的を実現せしめ、その絶対的既成事実を背景として権力行使の、もしくは天下統治の権威を天皇の名に求めたに過ぎない。名目だけを必要としたのである。
明治に入ってからは長州・薩摩の藩閥が、昭和に入ってからは軍部が実質支配者として君臨した。その間にどれ程に国民の自由と人権を抑圧してきたことか。
<「日の丸」は、かつての軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指>したのは<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実>無根のマヤカシであるのと違って、正真正銘の事実である。だがそのことは戦前という時代に於いての事実であって、戦後天皇が象徴天皇となることによって、<この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。>と姿を変えることが可能となった。
安倍晋三は別の場所で「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」と言いながら、巧妙・狡猾にも戦前と戦後を混同させて天皇を「象徴」なる戦後の価値観、戦後の「視点」で把え、天皇と共に日本の風景をなした戦前の軍国主義を薄める詐欺を働かせている。
このことは「君が代」の成り立ちを見てみれば簡単に理解できることである。
<【国歌(君が代)】
国家および国民の象徴として演奏される曲。国家的祭典や国際的行事に用いられる。日本では、1882年(明治15)1月文部卿〔当時の文部省の長官〕が音楽取調掛に国歌選定を命じたが、結論は得られなかった。これに先立つ1880年(明治13)11月、林広守作曲、エッケルト編曲の「君が代」が作られた。これが現行の「君が代」で、85年(明治18)制定「陸海軍喇叭(ラッパ)吹奏歌」の第一号と定められ、1888年(明治21)には吹奏楽譜が海軍省から諸外国へ「大日本礼式」として送付された。文部省でも93年(明治26)8月、小学校の祝日大祭日唱歌の一つとして告示した。1890年代(明治23~明治33)には「君が代」を国歌とみなす主張が表れ、日中戦争の始まる昭和初期には国歌と同一視されるようになった。>(『日本史広辞典』(山川出版社)とある。
「君が代」が国歌へと姿を変えていく明治時代は国民の自由・人権が制限されていた時代であり、昭和の時代に入ると、その制限は強まり、国体に反する書物の発禁、新聞・ラジオ、信書の検閲等の言論の弾圧にまで進んでいる。そういった時代の「君が代」=天皇の代が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と永遠であることを願い、謳っているのである。
言葉は「石」とか「苔」とか自然物を用いているが、決して<自然と調和し、共生することの重要性>を謳っているわけではなく、また歌詞に<凝縮されている>のは<歴史の連続性>ではなく、天皇の御代(「御世」ではなく、御代であろう)の<連続性>であって、その連続性を意識の底に植えつけ、固定観念化しようと欲求していたに過ぎない。
安倍晋三の「君が代」解釈は天皇主義・国家主義の立場からの自己都合のみによって成り立っている。
より正確に説明すると、天皇の絶対性は日本国民の天皇への絶対従順と対となっていた思想であって、単に天皇の御代が「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と永遠であって欲しい願って、その想いのみで歌詞が成り立っていたわけではない。歌詞はその背後に天皇の絶対性とその<連続性>(=永遠性)の成立要件としていた国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧の無限性を常に対置していたのである。
逆説するなら、国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧を天皇の御代の絶対性の背後に永遠に閉じ込めておくことによって、「君が代」=天皇の代が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」とする永遠性・御世の<連続性>を可能とする構造となっていた。そのような画策を「君が代」は象徴的に表現していた。
そのことが何よりも問題なのである。確かに天皇は敗戦を境にその絶対性を失い、象徴的存在と化した。だが、日本人自らがそうすべく望んでしたことではなく、軍部や政治権力者たちは逆の天皇絶対の国体を残そうと画策し、その答が2発の原爆投下であったのだが、それに懲りずに戦後も憲法の改正を通して陰謀したが、GHQの反対によって実現しなかった。
そのことが不満で、GHQに強制された天皇制に関わる「戦後レジームからの脱却」を願い、天皇絶対主義への回帰は時代的に不可能事項ではあっても、〝象徴〟を離れて確かな形で国民の上に持っていき、より具体的に文化・道徳・精神の善導者に据えたい欲求を抱えた天皇主義者・国家主義者の蠢きが跡を絶たない。教育勅語の復活の動きや天皇元首論の動きはその代表例であろう。安倍晋三もこの中に含まれる。<日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。>は天皇中心主義意識が言わしめた上記欲求へのバックボーンをなす主張であろう。
「日本は神の国」発言の森元首相の場合は天皇を戦前と変わらぬ現人神と位置づけるところまでいかなくても、日本が神によって建国を受けた(=天孫降臨)特別な国だとする意識が思わず言葉の形を取ってしまった特殊な例に違いない。当然現在の天皇は神ではなくても、建国の神性を万世一系の形で受け継ぎ、精神化した特別な存在であると見ているに違いない。
果たしてこういった考えに取り憑かれている人間が一人の問題かどうかである。口には出さなくても、無視できない多くの日本人が天孫降臨という形で国の成り立ちに関わった神々の子孫として天皇を見、天皇に至高・至純の価値を置く。そしてこれは江戸時代末期は一部国学者の、明治以降からは国家権力者側の価値観として成り立たせてきたに過ぎない。
日本の建国に関しては『国体の本義 第一 大日本国体 一、肇国』の冒頭に<大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。>と宣言しているが、このような宣言に倣って、道徳面や精神面、文化面に於いては至高・至純の天皇を国家の中心に据えて、それを<万古不易の国体>とし、国民の精神と文化を統一したい衝動を内心に疼かせている。このことこそが「戦後レジームからの脱却」であり、その完結体が「規律を知る凛とした美しい」日本というわけなのだろう。
* * * * * * * *
肇国(ちょうこく)=「建国)
神勅=「天照大神が皇孫瓊瓊杵噂(ににぎのみこと)を下界に降ろす際に
八咫鏡(やたのかがみ)と共に授けた神のお告げ)
* * * * * * * *
<観客>にしても<自国の選手>にしても、<表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになる>のは何ら都合の悪いことではない。天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に位置させる国体を意識の底に願望しているかどうかにかかっている。スポーツ選手がそのような意識を持って<表彰台に上がり>、君が代・日の丸に向き合ったとしたら、やはり問題だろう。<観客>が掲揚される日の丸を見、吹奏される君が代を聞いて選手と同じような意識に囚われたとしたら、同じく問題としなければならない。
天皇を日本の文化・精神・道徳の中心に置きたい天皇主義者・国家主義者たちにとっては<この「君」は、日本国の象徴としての天皇>で終わるはずはなく、「君が代」の「君」は象徴の裏に常に国体の道徳的・文化的・精神的中心者の姿をひそかに纏わせた「君」なのである。
いわば、戦後遅くに生まれまだ若いスポーツ選手が天皇への意識もなく<表彰台に上がり国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになる>、あるいは<観客>がそれを見て<ごく自然に荘重な気持ちになる>ケースと天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に位置させる国家・国体(=「美しい国」)を願望して止まない安倍晋三のような天皇主義者・国家主義者たちが日の丸・君が代に対するケースとは自ずと違う。そこに常に戦前回帰意識があるからである。
天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に置くということは日本国民に個人の精神的独立を許さず、戦前のように天皇の名でつくり出した日本の伝統文化と称する、あるいは日本の伝統精神と称する精神性を画一的、一律的に強制し、そのような精神性で支配・統一し、縛り付けることであろう。
その行き着く先は戦前のようにアメリカ的なもの、あるいはの欧米的なものへの忌避・排除である。このことは戦後の日本人の精神がアメリカナイズされ過ぎたとか欧米的な個人主義が横行しているとかの批判によって既に始まっている。
≪国体の本義≫から、戦前の英米思想排斥の動きを見てみる。
<我国の啓蒙運動に於ては、先づ仏蘭西啓蒙期の政治哲学たる自由民権思想を始め、英米の議会政治思想や実利主義・功利主義、独逸の国権思想等が輸入せられ、固陋な慣習や制度の改廃にその力を発揮した。かゝる運動は、文明開化の名の下に広く時代の風潮をなし、政治・経済・思想・風習等を動かし、所謂欧化主義時代を現出した。然るにこれに対して伝統復帰の運動が起つた。それは国粋保存の名によつて行はれたもので、澎湃たる西洋文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現れであつた。蓋し(かだし=確かに)極端な欧化は、我が国の伝統を傷つけ、歴史の内面を流れる国民的精神を萎靡(節度がなく、みだらで崩れていること)せしめる惧れがあつたからである。かくて欧化主義と国粋保存主義との対立を来し、思想は昏迷に陥り、国民は、内、伝統に従ふべきか、外、新思想に就くべきかに悩んだ。然るに、明治二十三年「教育ニ関スル勅語」の渙発(詔勅を広く発布すること)せられるに至つて、国民は皇祖(天皇の先祖・天照、神武)皇宗(第2代から前代までの天皇)の肇国樹徳の聖業とその履践(りせん=実際に行うこと)すべき大道とを覚り、こゝに進むべき確たる方向を見出した。然るに欧米文化輸入のいきほひの依然として盛んなために、この国体に基づく大道の明示せられたにも拘らず、未だ消化せられない西洋思想は、その後も依然として流行を極めた。即ち西洋個人本位の思想は、更に新しい旗幟の下に実証主義及び自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想・学説も迎へられ、又続いて民主主義・社会主義・無政府主義・共産主義等の侵入となり、最近に至つてはファッシズム等の輸入を見、遂に今日我等の当面する如き思想上・社会上の混乱を惹起し、国体に関する根本的自覚を喚起するに至つた。>
いわゆる<西洋個人本位の思想>の排斥欲求と伝統回帰・国粋回帰の欲求である。
日本の文化・精神によって統一・支配したい企みを意識下に置いているからこそ、歌詞の背後に個人の権利の抑圧を隠していた戦前の事実を無視して、世界各国の国歌と比較して<「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌>、いわば平和な国歌だとする論を必要事項とすることになる。平和のシンボルだと君が代・日の丸を国民すべてに親しませることが天皇を文化・精神・道徳の差配者として国民の上に置く第一歩とすることになるからに他ならない。そのような国体実現の契機とすることができるからに他ならない。
「君が代」が一見「非戦闘的な歌詞」であっても、天皇の絶対性を国民に洗脳する役目を持たせ、そのことによって暗黙裡に国民の自由と人権の抑圧、言論の弾圧を自然体とさせようとしたのと同じ構図で、平和を象徴する君が代・日の丸だからと、天皇が体現する精神・文化を国民に馴染ませ、自然体とさせようとしている。
個人の自由・権利の抑圧を背後に隠していた「君が代」は個人の自由・権利に対する常なる挑戦状であったという点で「非戦闘性」を装ってはいるが、決して<非戦闘的な国歌>ではなかった。個人の自由・権利を抑圧・否定すべく戦闘的な国家権力意志を裏打ちしていたからである。
では、単細胞な安倍晋三が余りにも単細胞に<非戦闘的な国歌>「君が代」と比較して<戦意を高揚させる国歌>としている、いわば平和的ではなく、戦闘的な国歌だとしているフランスの国歌「ラ・マルセイエーズ」の、国歌に制定されていく経緯を辿ると、<1792年対プロイセン・オーストリア戦争のためパリに向かうマルセーユ義勇兵に歌われて以来、革命時代の行進曲として普及。1795年に国歌に制定。>されたと『大辞林』(三省堂)は解説している。
「革命時代の行進曲として普及」ということなら、<【フランス革命】フランスでブルボン王朝の圧政下にあった市民が、啓蒙思想の影響、アメリカ合衆国の独立に刺激されて起こしたブルジョア革命。バスティーユ襲撃に始まり、人権宣言の公布、立憲君主制の成立を経て、1792年に第一共和国を樹立し、翌年ルイ16世を処刑>(『大辞林』三省堂)、その後紆余曲折を経ることになるフランス革命時代に「行進曲」から国歌へと形を整えていったことが分かる。
いわば国民の自由と人権、言論の自由を封じ込めた「君が代」と国民の抑圧されていた自由と人権、言論の自由等を解放・獲得すべく市民が立ち上がり、その願いを歌詞に込めた「ラ・マルセイエーズ」とは自由・人権に対する意識に関して相互に対極に位置していたと言える。
それを言葉面だけを把えて、「君が代」は非戦闘的だ、「ラ・マルセイエーズ」は戦闘的だとする粗雑さ、単細胞。だから「君が代」は価値があるとする短絡的感性。そんな人間がさも得意顔に一国の首相の座に鎮座している。どのような歴史も思想も語る資格があると言えるのだろうか。
「ラ・マルセイエーズ」の最後のフレーズだとする「進め!進め!汚れた血がわれらの田畑を染めるまで!」は、国民を圧制と弾圧で苦しめてきたのである。それを解き放とうと武装蜂起したとき、成功か失敗か、殺すか殺されるか、いずれかの場面に立たされるとしたら、殺すことで成功を獲ち得る激しい意志を奮い立たせなければならない。それが「汚れた血がわれらの田畑を染めるまで」の表現となり、それを目にするまで進軍を止めまいと相互に鼓舞する自由と人権への飽くなき欲求がなさしめた意思表示と見るべきであろう。そんな頭はないか。
安倍晋三は自分の脳が如何に粗雑に出来上がっているか、単細胞に仕上がっているか、一度脳ミソの出来具合を調べてもらった方がいいのではないか。
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