橋下徹に「僕が喋る内容は僕に著作権がある」と言わしめた独裁意志

2013-08-29 04:31:01 | Weblog

 

 橋下徹日本維新の会共同代表が8月26日、大阪市役所登庁時の囲み取材で、自身の発言に著作権があると発言したとマスコミが伝えていた。どういうことか詳しく知ろうとして、インターネットを探してみると、YouTubeで会見の動画を見つけたので、文字に起こしてみた。

 記者の発言が大分聞き取りにくい。省略した個所と前後の脈絡や橋下徹の答弁から推測して書き入れた箇所もあるが、結果的に発言がつながらない個所もあり、そこは読み飛ばして貰いたい。

 二人か三人の記者が質問したが、区別せずに主語を記者とした。橋下徹の発言も合理性を欠いている個所を大分見受ける。 

 橋下徹2013年8月26日(月)市役所登庁時の囲み取材(You-Tube動画から)  

 記者「政治資金パーティ、非公開されるそうですが、理由を教えて下さい」

 橋下徹「公開していた方が、ある意味、例外ではないでしょうかね。だから、これまですっと公開やってましたけども、まあ、喋る中身も、もう公開にしなくてもいいかなと思いましたね。

 ええ、一回、いらっしゃれば、普通の一般の入場者と同じように、あの、ご来場頂ければ、そこは制限をかけません」

 (おカネを払って入場すれば、マスコミが勝手に報道すると言っていることの条件は変わらない。条件の違いは金をとることだけとなる?)

 記者「これまでは公開・非公開、カメラが入っていることを前提に発言していたと思いますが」

 橋下徹「そんなことはないでしょう。そのことの意識はしていませんけどね」

 記者「国政進出もありましたし、独裁発言もありましたし、色々あったと思います」

 橋下徹「あれはカメラを意識したからではなく、来訪者を意識して喋ってるわけですから。まあ、取り敢えず、カメラがない方がもっと自由に喋れますからね。

 勿論後で筆記されたり、報じられたり、あのー、録画されたりすることは百も承知してますけども。カメラに撮られて、繰返しそれを流されるよりかはね。

 まあ、ある一定程度の報道は、これは止むを得ないと思いますけども、カメラに撮られて、繰返しやられてしまうと、全然違う方向に行ってしまうので。

 まあ、カメラないところで、もっと大胆に自分の思いを語っていきたいですものね」

 記者「何か、手法で今までと変えていこうということがあるのですか」

 橋下徹「いや、手法とは?」

 記者「カメラ無しのところで、喋りたいというのか」

 橋下徹「カメラはやっぱ相当制限をかけて(発言して)いますもの。ええ、カメラがあるところで制限をかけたような発言をしても、また一部分だけ抜き取られて、独裁発言なんていうのは、独裁とは力が必要だと言っているにも関わらず、独裁だ、独裁だってところばっかりを流されて、ああいう形になりましたから、カメラがない方がもっと大胆に自分の思いを率直に語れますよね」

 記者「(最初のところは聞き取れない。)カメラを入れて欲しいと思っていますが」

 橋下徹「だから、それだったら、僕も報道の自由の範疇外として、ある意味、出演契約みたいな形でね、契約を結ばさせてもらって、きちっと出す映像について僕が、僕に対する許可権を保留する。留保させてくれるんだったら、いいですけどね。

 それはないと思いますから、通常出演契約だとね、それは当然、出演者側の方に映像のどう使われるかっていうことはタレントの方に留保権はありますけども。ま、それがない中で、えー、いわゆるニュース映像に関しては僕の方に利用権を持たせてくれなんて言うつもりはないですから。ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね。

 単純に通常番組としての出演契約っていう形でやるっていうんであれば、それは全く問題ないですよ。

 但し出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」

 記者「(最初のところ、聞き取れない。)中に入って、録音する分にはいいのですか」

 橋下徹「いや、よくないけど。よくやるじゃないですか、それは。新聞記者、やめろって言ったって、ICレコーダー全部チェックできないですもの」

 記者「録音しないで欲しいという要望は出しますか」

 橋下徹「出しますよ。それはコンサート会場でも何でも、そうじゃないですか。著作権なんですから。僕が喋る内容は、講演の喋る内容は僕に著作権があるわけです」

 記者「伝えることを確保するんだったら、(報道制限したら)あまり伝わらないと思いますが」

 橋下徹「だから、タテマエというか、メモ禁止ですよ、ええ。禁止ですよ。

 あのー、禁止ってやって、どこまで法令遵守を叫んでいるメディア各社がそれを守るかですよね。そうですよ、それは。禁止って言って、コンサート会場であろうか、どういうところであろうか、それはやったらダメでことをやったら、大事になるわけで、それを報道の自由という名のもとにどこまでそれを侵すかって言うことは、あー、それはメディア側の良識だと思いますよ。

 今回は政治資金パーティなので、いわゆる報道の自由の範疇、完全に報道の自由の領域で、メディアの方で特権あるわけないと思うので、録音・録画禁止と、いうことを言ったときに、どうなるかですね」

 記者「水掛け論になるかもしれないですけども、例えばメモとか記憶で知った部分を流すということの方が正確さがなくなるのではないですか」

 橋下徹「それは報道機関の、後は責任です」

 記者「 録音とかで正確に記録した上での方がいいというふうに思われますが」

 橋下徹「だって、僕はそうして欲しくはないですもの。そこまでして、出演契約でちゃんと契約とかやって、こういう形で出演してこうしてくださいねっていう話だったら、それは対価を貰う中での話ですけどもね」

 記者「政治的に重要な立場にいらっしゃる方が、大勢の前で話しかけるについて、できるだけ正確に報道してもらいたいという気持は――」

 橋下徹「だけど、料金貰ってやる会ですよ」

 記者「(聞き取れない)」

 橋下徹「だから、そういう人たちに対して話をするわけですから」

 記者「話をするためにおカネを貰っているわけではなくて――(よく聞き取れない。)」

 橋下徹「だって、元々、そこ前提が違うんで、元々報道することが大前提で、それは報道機関が勝手にやっていることでね、報道機関の都合で僕が合わせる必要はないじゃないですか。

 本当は報じなくてもいいわけで。本来だったら、誰かの講演会の話とかを事細かに中身を伝えるってことを、じゃあ、そっちが原則かというと、思いますけどもねえ。

 オープンにしている会合だったらいいですよ。ただ、報じるところまで、僕は止めれませんものね。

 そこまでは、やっぱ、報道の自由があるから、僕はそこは止めれませんから、報道されることは報道機関のある意味、裁量なんでしょうけど、だから、そこは、責任を持ってやって頂きたいということです」

 記者「今日から公開できないということですか。何か理由はあるのですか」

 橋下徹「いや、ないです。せっかく来てもらうんでね、きちんと率直に伝えるってことで、毎日新聞何かに来られたら、厄介です。あれはもう本当に、(聞き取れない)どう考えても、冷静さを欠いています。それはメディアの中で批判があってもいいと思います――」

 メディア批判に転じたため、以下省略。 

 橋下徹が自身の政治資金パーティにマスコミ関係者の入場を禁止し、報道に制限をかける意図は自身の発言の一部を取り上げ、その発言個所の映像を繰返し流して誤った趣旨の発言――誤報としてしまい、そのようなマスコミの扱いが橋下徹の評価や支持率を下げてしまう原因となっていると自身がそう信じていることからのマスコミに対する忌避的反応にあるはずである。

 象徴的例が今年5月13日の「慰安婦発言」である。

 橋下徹「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」――

 そして5月下旬に沖縄のアメリカ軍普天間基地を視察、司令官に米海兵隊兵士の綱紀粛正、いわば性犯罪防止に風俗業の活用を進言した。

 風俗業を利用するしないはあくまでも兵士個人に任せるべきを軍として活用するように進めたのだから、風俗業を現代版慰安婦制度に見立てたということになる。

 橋下徹のこれらの一連の言動を以てマスコミは橋下徹が慰安婦制度を容認したと書き立てた。

 対して橋下はマスコミ報道を「誤報」だとし、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません」と反論したが、米司令官に風俗業の活用を進言している以上、マスコミに容認したと受け止められても仕方がないだろう。

 結局はマスコミ側に軍配が上がったということになる。橋下徹は支持率を下げて日本維新の会は以前の勢いを失い、結果、7月の参院選で44人の候補者を立てて、8人しか当選者を出すことができなかった。

 当然、橋下徹は自身の発言に対するマスコミ報道に拘っている。

 いわばマスコミの報道を信用していないことを前提としている以上、「普通の一般の入場者と同じように、あの、ご来場頂ければ、そこは制限をかけません」と言っていることは、合理的な整合性を欠くことになる。

 確かにカメラの入場を許さなければ、一箇所かあるいは二箇所程度切り取られて繰返し流されることは防ぐことはできるが、要は発言に対する解釈の問題である。パーテイ券をカネを出して買って、それでパーテイ会場に入場して、カメラを回させず、ICレコーダーで録音もさせず、メモも取らせなかったとしても、頭に記憶した発言をワイドショーが取り上げ、そこにワイドショースタッフ、あるいはメインキャスターやゲスト出演の有識者の解釈が入るのは回避できるわけではなく、視聴率稼ぎの報道価値があると見られたなら、結果、繰返し取り上げられることになる。

 発言に対する解釈は止めることができないことを前提とするなら、橋下徹がマスコミというものは発言の意図や趣旨を誤報したり、捻じ曲げて報道すると自らの解釈を持ってマスコミを忌避する場合、記者会見だけではなく、街頭演説にしても一切の発言を中止して初めて整合性を得ることができる。

 だが、そうしたなら、自身の発言も一切伝わらないことになる。

 要は解釈の問題だと認識していないのではないのか。

 自身の「独裁発言」を捻じ曲げられたかのように言っているが、「Wikipedia」を頼りに紹介すると、〈2011年(平成23年)6月29日の夜に、大阪市内のホテルで行われた政治資金パーティーで大阪府知事・大阪市長のダブル選挙に関して、「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」「大阪は日本の副首都を目指す。 そのために今、絶対にやらなければいけないのは、“大阪都”をつくることだ」「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と述べ、大阪都構想に反対する大阪市を抵抗勢力だとして「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と締めくくった。この「独裁発言」に平松邦夫大阪市長は「絶句した」と述べ、「“大阪都構想”は中身がない、妄想だ、と言ってきたが、その通りだったことを自ら認めた。市民のためでも府民のためでもなく、自分のため、というのが独裁だ」と批判した。

 橋下は自分自身は独裁者とは成り得ないと考えており、「今の統治機構において(中略)いわゆる独裁は無理」「選挙が公正に行われる限り、権力の独裁はあり得ない」「メディアの厳しいチェックも受けて、独裁なんてやりようがないですよ」と自身のツイッター上で発言している。独裁ではないかという指摘に対して「こんなキュートな独裁者いますか?」と言い返すことがある。〉と記載されている。

 要するに強力なリーダーシップが必要だと言いたかったのだろうが、そうは言わずに「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と言っている以上、独裁志向と解釈されても止むを得ないだろう。

 橋下徹は「メディアの厳しいチェックも受けて、独裁なんてやりようがないですよ」と言っているが、現在では政治資金パーティ会場にカメラを入れさせまいとする程にメディアの解釈自体を信じていない。

 当然、自身では正しいと思って発言した言葉がメディアのチェックを受けて批判された場合、逆にメディアを批判することになって、チェック自体を自ら無効化することも生じる。

 人間は自分が意図したテーマで行った発言であっても、意図とは異なる意味を持たせてしまう場合があることを橋下徹は認識していないのではないだろうか。例えば人種差別をするつもりもなく発言しながら、実際には人種差別となる発言であったりする。

 もし認識していないとしたら、常に自分の発言は正しいと認識していることになる。
 
 このことは次の発言に現れている

 「通常出演契約だとね、それは当然、出演者側の方に映像のどう使われるかっていうことはタレントの方に留保権はありますけども。ま、それがない中で、えー、いわゆるニュース映像に関しては僕の方に利用権を持たせてくれなんて言うつもりはないですから。ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね。

 単純に通常番組としての出演契約っていう形でやるっていうんであれば、それは全く問題ないですよ。

 但し出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」

 「ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね」と言っていることは、そこに誤報が入ったり、曲解が入ったり、悪意が入ったりすると見ているからであって、この見方を可能としているのは他者の解釈は回避不可能だと認識していないからだろう。

 インターネット上には悪意に満ちた発言がゴマンと転がっている。流す人間からしたら、悪意ではないと見ている。それも解釈である。

 他者の解釈は回避可能だと認識しているから、誤報や曲解や悪意を回避するために「出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」ということになる。

 但しこの発言は自分が意図したテーマで行った発言であったとしても、意図とは異なる意味を持たせてしまう場合があることを一切認識せず、自分の発言は常に正しいとの価値づけを前提としていることになる。自分が気に入る編集のみを選択し、気に入らない編集を排除する。

 そうすることによって、自身の発言の正しさを証明する。常に自分の発言は正しいと自ら価値づけて、その価値づけに反する他者の解釈を一切排除しようとする欲求は独裁意志そのものの現れでしかない。

 結果、「僕が喋る内容は、講演の喋る内容は僕に著作権があるわけです」からと、自らの発言に著作権を付与して、発言の正しさの絶対擁護に入ることになる。

 メモをも禁止してまで、擁護しようとする。

 記者が「水掛け論になるかもしれないですけども、例えばメモとか記憶で知った部分を流すということの方が正確さがなくなるのではないですか」と言ったことに対して橋下徹が「それは報道機関の、後は責任です」と言っていることは、あるいは「報道の自由があるから、僕はそこは(報道することは)止めれませんから、報道されることは報道機関のある意味、裁量なんでしょうけど、だから、そこは、責任を持ってやって頂きたいということです」と言っていることは、報道機関としての責任を認めていないのだから、合理性を欠いた矛盾した発言となる。

 橋下徹が報道機関が報道機関としての責任を正しく果たしていると見ているとしたら、カメラや録音やメモを禁止する挙動に出ることはない。

 かくこのように橋下発言が全て合理性を持った正しい発言だとは限らない。

 にも関わらず、自分の発言は常に正しいと価値づける独裁意志を露わにしている。

 橋下徹が報道に関して十全な満足を得ようとするなら、自身の報道機関を持つべきだろう。いわば御用報道機関である。独裁国家の報道機関が常に独裁者を賛美するように橋下徹を賛美し、橋下徹の発言を常に正しいこととして報道してくれるだろう。

 いわば橋下の独裁意志に打てば響くように応えてくれるはずだ。 


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