安倍派政治資金パーティキックバック裏金:22年4月と8月の会合を作り話とすると、全てがスッキリする

2024-04-01 11:29:17 | 政治
 今回の政治資金パーテー収入のキックバック裏金問題は、「Wikipedia」をなぞって説明すると、〈2022年11月にしんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープ。同月から神戸学院大学教授の上脇博之は独自に調査を開始し、東京地方検察庁への告発状が断続的に提出され、2023年11月に読売新聞やNHKなどが報じたことで裏金問題として表面化した。〉ということで、同「出典」によると、読売新聞は2023年11月2日に報道し、NHK NEWS WEBは2023年11月18日に報道している。つまり安倍派や二階派の政治資金パーテー収入キックバック裏金問題は2023年11月に入ってから世間を騒がすことになった。

 安倍派は派閥の政治資金パーティのパーティ券販売で所属議員にノルマを掛け、ノルマを超えた分はキックバック、キックバック分のカネの収支については派閥側も所属議員側も収支報告書への不記載が発覚、告発を受けて東京地検特捜部が取調べに入ったが、所属議員はキックバックと不記載に関して嫌疑なしで不起訴処分となり、安倍派清和政策研究会会計責任者のみが在宅起訴となり、初公判は5月10日という。

 収支報告書不記載は事実安倍派清和研究会の会計責任者と各個人の政治団体の政策秘書間の独断行為で派閥幹部議員は関知していないことで、現金還付について知ったのは2022年4月の安倍晋三と派閥幹部4人との会合だったとしているが、世論と野党は納得せず、政治倫理審査会が2024年3月に衆参で開催されることになった。同じく虚偽記載を問われた二階派を代表して出席することになった二階派事務総長の武田良太の質疑は除外して、安倍派幹部西村康稔、松野博一、塩谷立、高木毅、下村博文、世耕弘成のうち、2024年3月1日の西村康稔に対するトップバッター、自民党の武藤容治の、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した際の具体的な経緯に対する質疑応答のみと、同じく西村康稔に対する立憲民主党の枝野幸男の追及、2024年3月18日の下村博文に対する同立憲民主の寺田学の追及、2024年3月14日の世耕弘成に対する同立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を文字起こしして、幹部たちは慣習と称しているが、ほぼ制度化していたキックバック確立と政治資金収支報告書不記載に関与していないとする釈明、あるいは弁明の正当性を窺ってみる。野党もマスコミも解明の鍵となるのが政倫審開催当時(最後が下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審)は安倍晋三がキックバックの中止を指示したとされる2022年4月の幹部会合と、一部の議員からノルマ超過分を戻してほしいとの要望があり、その対応を話し合ったとしている8月の幹部会合と見ていたから、政倫審ではその点をどのように追及するか焦点を当ててみたいと思う。

 では、最初に武藤容治、68歳、岐阜3区、麻生派。必要なところだけを抜き出す。

 武藤容治「還付・不記載があったということは、(西村康稔本人は)これは知らなかったという内容ですね。どういうカネと言いますか、不記載があったということ、それが(清和研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか、色々な情報が出ている中で今の西村さんの認識をもう一度確認させてください」

 同じ自民党だからだろう、手ぬるい質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応したわけでありました。

 その後、安倍会長は亡くなられて、その後ノルマを多く売った議員がいたようでありまして、返してほしいと出てきた。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、そしてどうするか。還付は行わないという方針を維持する中で返してほしいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見があったことと結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになります。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしておりません」

 西村康稔のこれだけの答弁の中で現金還付中止の理由と再開の事情についての表面的な経緯は十分に手に取ることができる。あとは事実を話しているかどうかである。

 4月と8月の会合が事実あったこととする前提で扱ってみる。先ず安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金を使った還付方式の性格を言い表した言葉であって、その場に居合わせた安倍派幹部、塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成は安倍晋三の指示を受けて中止の方針を決め、その方向で対応したなら、「現金は不透明」の言葉に対して現金を使った還付方式の性格を目の当たりにし、納得し、中止に応じたことになる。なぜなら、現金で還付しても、還付側が政治資金収支報告書にその金額と何らかの項目の支出を記載し、還付された側が同じく政治資金収支報告書に同じ金額と同じ項目で収入として記載すれば違法とはならないのだから、その現金還付を「不透明」と性格づけている以上、どちらの収支報告書にも不記載か、あるいは政治資金規正法に触れる何らかの工作をした記載となっていることを承知していなければならない。承知しているからこそ、「現金は不透明」だから、その手の還付は中止するという指示に納得できた。

 要するに現金の扱いの何を以って「不透明」としているのか、安倍晋三と4人の安倍派幹部の間で暗黙の了解があった。暗黙の了解がなければ、還付中止へと話を進めることも進むこともない。

 現金還付が収支報告書不記載となっていることも知らなかった、「不透明」な性格だと気づいてもいなかった、ということなら、子どもではないのだから、「現金はどう不透明ですか」と「不透明」の理由を問い質さなければならない。当然、2022年4月の幹部たちの会合での安倍晋三との遣り取りの全容を追及しなければならないことになる。その遣り取りの中から、派閥幹部は不記載を承知していたかどうかを炙り出さなければならないことになる。

 参考までに政倫審の質疑応答でも取り上げているが、2022年の安倍派清和研究会の政治資金パーティー開催日は5月17日、安倍晋三銃撃死は約2ヶ月後の2022年7月8日。第26回参議院議員通常選挙が2日後の2022年7月10日。改選となる参議院議員にはパーティー券の販売ノルマは設けずに、集めた収入を全額キックバックしていたとマスコミは伝えている。いわば安倍晋三の4月のキックバック中止の指示は守られなかった。その結果、収支報告書不記載も続けられた。

 4月の会合で幹部たちは収支報告書不記載を事実承知していなかったのか、8月の会合で安倍晋三の中止の指示がなぜ有耶無耶になったのか、この二つが重要なポイントとなるのは誰の目にも明らかである。いくら不慮の死を遂げたと言っても、連続在任7年8ヶ月の2822日で、これまで最長だった佐藤栄作の2798日を抜いて堂々たる歴代1位の記録を達成し、この長期政権の恩恵を受けて自民党内で一番の派閥勢力を誇る安倍派内で幹部としての地位を築き、その利益によって安倍派勢力をバックに相対的に自民党内でもそれ相当の実力者としての存在感を手に入れることができている面々にとって安倍晋三はある意味絶対的存在であったはずだが、その効力は死んで一ヶ月かそこらで失うはずもないのに還付中止の指示が長くは持たなかった。その結果として幹部たちもその他の派閥所属国会議員も知らないままに、秘書だけが承知の上で収支報告書不記載が続けられることになったということになる。

 まず最初に西村康稔の政倫審質疑応答に先立って行われた本人の弁明から。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本淳一郎は所属議員から集めた合計6億8千万円の収入と所属議員側に還付したりしたほぼ同額の支出を収支報告書に不記載、収入・支出共に過小に虚偽記入し、それを総務大臣に提出した政治資金規正法違反の罪で東京地方裁判所に起訴されたが、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知している。いわば会計責任者に違法行為があったとされたが、自身にはなかったと無罪宣言をしている。

 さらに2021年10月から2022年7月8日の安倍晋三銃撃死後の2022年8月まで安倍派清和会の事務総長を務めたが、役割は若手議員の委員会や党役職等への人事調整、若手議員の政治活動への支援・協力・指導、翌7月予定参議院選挙の候補者公認調整・支援等の政治活動で、清和会の会計には一切関わっていない。

「実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはありません」

 パーティ券売上ノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったのではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。とは言え、国民の皆様の政治不信を招いたことを清和会幹部の一人として深くお詫び申し上げます。

 「承知していない」、「関与していない」が事実だとすると、安倍晋三の2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に少なくとも不審の念を抱いて、どういうことですかと詳しい説明を求めなければならなかったはずだが、そのような状況説明はないのは矛盾することになる。

 2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している。

 私自身は5年間で合計100万円の還付を受けていたが、その事実は把握していなかった。秘書によると、その還付金は自身の政治資金パーティの収入として計上していたことが分かり、個人の所得や裏金にしていた訳ではない。今後このようなことがないように丁寧に報告を受け、的確に対応していきたい。

 以上で西村康稔の全面無罪とする弁明が終わり、立憲民主党の枝野幸男の追及を取り上げてみる。枝野幸男は前の質問者自民党の武藤容治が2022年の4月の幹部会で安倍晋三が現金還付中止の指示を出した点について質問したことを持ち出して、「これ間違いないですか」とか、「直接個人として呼ばれて話をされたのか、他の幹部と何かのことで集まっているときに話されたのか」とか、安倍晋三の指示とその指示に対する幹部たちの対応に何の疑問も持つことができずに追及のテクニックとして的を的確に捉える嗅覚も鋭く切り込む勢いも言葉遣いも一切感じられない質問の仕方にこれはダメだなと感じた。

 西村康稔は4月の会合では安倍会長の元で還付をやめるという方針を決めた際、幹部で手分けして派閥所属の国会議員に電話して中止を伝えたことと出席者として安倍晋三以外に西村自身と当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世、清和会事務局長(松本淳一郎)の名前を挙げた。

 そしてその後還付はしないという方向で進んでいたが、7月の安倍晋三銃撃死後、ノルマ以上売った議員から返してほしいという声があって、8月上旬に集まって議論したが、結論は出なかったと弁明で喋ったことと同じことを繰り返した。

 枝野幸男が4月の会合ではなく、8月上旬の幹部会合に追及の焦点を移して、下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた、その会合で還付に代わる案として出た、ノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとした考えは西村自身の案なのか質問したのに対して西村康稔は、返してほしいという声に応えるために所属議員が開くパーティのパーティ券を清和会が購入する方法がアイデアの一つとして示されたが、採用されたわけではなく、どう対応するかは結論は出なかったと答えている。

 下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた収支報告書に「合法的な形で出す」とした発言が8月の会合で西村自身が述べたのか、述べていなかったとしたら、他の誰かが述べたのか確かめなければならなかった。述べたとしたら、還付した現金は"合法的でない形"で収支報告処理されていることになり、このことを幹部たちは認識していたことになるからだ。だが、枝野幸男は「それ(その案は)、西村さん自身ですね」と確認しただけで終えてしまった。西村はそういう案があったと説明しただけで、そういう発言があったかどうかも述べずじまい済ませてしまう。 

 枝野幸男は西村康稔が5年間で還付を受けた100万円を秘書が西村個人が開いた政治資金パーティの売上に加えて収入として計上した点を捉え、その他追及するが、肝心なことは西村等清和会幹部がキックバックされたカネの収支報告書不記載を秘書のみの判断で行っていたことで、幹部たちは事実関知していなかったことなのかどうか、安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」と指示したとしている発言との関連で追及しなければならないのだが、このことを置き去りにした追及を続けるのみだから、文字起こしは見切りをつけた。この政倫審での枝野の追及に関してネット上の様々なマスコミ報道を見ても、肝心な点の追及とその効果に触れている記事は見当たらなかったから、見切りをつけたことは間違っていなかったはずだ。

 次は順番が後先になるが、2024年3月18日の下村博文に対する立憲民主党の寺田学の衆院政治倫理審査会の質疑を取り上げてみる。

 先ず本人の弁明。ノルマを超える分が派閥からの還付という扱いになっていることは知らなかった。そのカネが自身の選挙支部に補充されている認識もなかった。一部は現金として事務所内で保管していたが使用されないままとなっている。他は専用口座に預け入れたままになっていて、これらのことを東京地検が確認していて、いわゆる裏金として何かに使用された事実はなかったことは明らかである。但し派閥事務局から誤った伝達(収支報告書に記載しないでほしいという伝達)があり、収支報告書に記載されないままになっていたので、今般寄付として訂正した。

「私自身は知らなかったこととは言え、収支報告書に記載すべきものを記載していなかったことは事実であり、あらためて深く反省すると共に政治資金規正法並びに収支報告書記載義務に対する認識の甘さによって多くの方にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げていただきます」

 以上の「知らなかった」、「認識もなかった」はやはり安倍晋三2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に何ら疑念を介在せることなく従ったことになり、指示伝達に対する了承が思慮のない、無条件の従属性を見せることになって、派閥幹部としての良識を疑わせることになる。

 逆に収支報告書不記載を承知していたからとした方が、派閥会長の「不透明」という言葉に即座に反応することができたと解釈することが可能となって、前後の整合性が矛盾なく収まることになる。

 更に2018年1月から2019年9月まで清和研の事務総長の立ち場にあったが、清和研の会計には全く関与していない、収支報告書について何らかの相談も受けていない、事務局に対して指示をしたこともない、清和研派閥政治資金パーティのパーティ券販売のノルマを超える分が還付されている事実も知らなかった。知ったのは2022年4月頃に当時の安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった。

 と言うことは、安倍晋三が「現金は不透明」の言葉をそのままスルーさせてしまったことになる。

 ノルマを超えた分を現金で還付しても、正当な名目付けで収支報告書に記載し、その名目付けどおりの
使途を行っていれば、何ら問題は生じないのだから、安倍晋三が"現金は不透明"を口にした時点では収支報告書不記載を事実知らなかったとしても、少なくとも"不透明"とした性格付けの中に不記載への疑いを選択肢の一つとしなければならなかったはずだが、そうしなかったとしたら、政治性善説に立ったあり得ないお人好しとなる。

 清和研としては当時の安倍会長の意向を受けて還付はやめようという方向となっていたものの、会長がお亡くなりになったあと、派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもので、当時は清和研の会長代理だったが、清和研の令和4年(2022年)のパーティに関してノルマ超過分の還付を決めたり、派閥の事務局に対して収支報告書の不記載を指示したり、了承したりしたことはない。還付を知ったのは清和研事務局から還付金の確認があった際にその取扱いについて確かめた令和5年の暮れ以降である。今後は収支報告書の正確な記載を徹底し、透明性を持った政治活動をお約束しますと弁明を終えた。

 想定内の自己無罪判決となっている。知り得ていたのは秘書のみで、自身は関知していなかった。但し、「安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった」と述べている点は当方が既に指摘しているように西村康稔が明らかにした2022年4月の安倍晋三の指示伝達に対する了承が常識外となっている点に留意しておかなければならないだけではなく、現金還付は「派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもの」と言っているが、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した4月の会合には安倍派清和会の事務局長松本淳一郎が出席していて、事務局長として現金還付中止の指示に立ち会う形になっていたのである。にも関わらず下村の現金還付継続は事務局の慣例に則ったものだとする発言は矛盾することになるが、寺田学は気づかなかったようだ。

 寺田学は冒頭、「正直に話して貰いたい、期待しています」と政治の世界にふさわしくない人の良さを見せて切り出し、下村さんは様々に会見を開いて、唯一重要な会議だと8月の会議の存在を初めて申し上げた、他の議員は存在自体を話していないが、下村さんが話したことによって焦点が少しではあるが絞られてきたと下村の証言で疑惑解明が前進するかのような人の良さを見せて追及を開始した。

 下村博文は8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった。

 西村康稔と同種の弁明を引き出している。

 下村博文は還付は不記載という認識は自身になかったことを印象付けようと何度でも同じ言葉を繰り返している。ウソつきが「この話は本当のことだよ、ウソなんかじゃないよ」と何度でも念押しするのと似ている。寺田学は「なぜ還付は不記載という認識は自分にはなかったと何度でも言う必要があるのですか。実際は不記載を承知していたから、それを知られないために何度でも認識はなかったと言わなければならないんじゃないですか」と追及しなければならなかったが、しなかった。

 還付はやめるが、還付以外の戻し方の問題として個人の派閥パーティを開いたときに派閥がパー券を購入して協力する。但しこれを行うという結論が出たわけではない。8月の会合で還付を継続するということを決めたということは全くない。

 寺田学は下村の2023年1月31日の記者会見を取り上げて、ある人から個人の寄付集めのパーティのときに上乗せして収支報告書に合法的な形で出すという案があったと話しているが、一方で世耕さんが政倫審の中で上乗せという案は出ていないと思っていますと真っ向から否定している。8月の会議で上乗せするという話はあったのではないのかと質問した。

 事実そのとおりを話しているから、同じ場にいた者同士で話が似てくるのか、あるいは事実とは違うことを口裏を合わせて作り出したストーリーとして話していることだから、同じ内容となるのか、その点を見極める追及が必要だが、その必要性には気づかない。

 下村博文は還付をやめるという前提で8月の議論があったが、ノルマ以上を売り上げた人から何らかの形で戻して貰えないかという話があったと西村康稔と同じようなことを言い、自身としても繰り返しとなる同じことを口にする。繰り返しは寺田学の追及による誘導に過ぎない。

 既に触れたように「合法的な形で出す」とはそれまでは"合法的な形で出していなかった"ことを知識としていた言葉となるが、追及すべき点と気づかなければ、何も出てこない。

 還付が不記載であることは知らなかったが、還付に代わる形として個人のパーティに派閥として協力できる方法はこれではないかという話をしたと、さらに同じ話を繰り返す。対して寺田学は下村が話していることは上乗せではなく、単純に個人のパーティーからパーテイ券を買うだけのことで、(下村の記者会見では)上乗せ案という言い方ではなかったと、還付継続の"なぜ"に関係ないことを突く。

 下村は個人の立ち場の個人のパーティでは派閥がそれを協力するという意味で上乗せという言い方をしましたと言い抜ける。寺田学はパーティ券を買うよりも他の派閥でもやっている、合法的な方法でもある派閥からの寄付というアイディアが出なかったのかと質したが、現実問題として非合法の還付・不記載を継続させていたのだから、出なかったと答えられれば、それまでのことでしかない。下村博文は出なかったと答えずにこれまでの答弁を冷静沈着にと言うか、鉄面皮にもと言うか、4月の会合で安倍会長から中止の話があって、幹部で手分けして派閥としてやめることをみなさんに話して、復活する話は8月の会議では出ていなかったと同じ答弁を繰り返すことで寺田学の追及を不発に終わらせた。

 寺田学は政倫審で誰に聞いても還付継続を決めたのか分からないという話をするが、まさか松本事務局長が決めたということはあり得ないですねと問い質すと、下村博文は私自身が知っている場所で決めたということは全くない、だから、いつ誰がどんな形でどのように決めたのか私自身は何も知らないと糠に釘である。

 寺田学は安倍派の5人衆が森喜朗に逐一相談しながら派閥の運営の在り方を決めていく、それが派閥の運営じゃないのかと森喜朗が清和政策研究会に今なお隠然たる影響力を持っているかのような質問をすると、下村博文は8月5日は還付の継続は決めていなかった、その後決まったが、(その決定に)私自身は立ち会ったとか関与したことはない。どこでどんな形で決まったかわからないと同様の繰り返しを続ける。

 寺田は森喜朗は派閥の人事について口出しているとか、派閥の運営にかなり影響力が強かったのではないのかと、鉄砲の弾尽きて竹の棒を振り回すような自棄っぱちの手に出た。2024年3月27日付けのマスコミ報道が首相の岸田文雄が2022年4月の会合出席の安倍派幹部から3月26日、27日に事情聴取したところ、幹部の一部から「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと明かしているが、寺田が何らかのツテでこのことを把握していたとしても、報道が出る前の追求であることと、もし事実森喜朗が関与していたなら、5人衆の罪一等を減ずることになる。つまり森喜朗関与説は5人衆に少なからず利益を与えることになり、その利益は森喜朗一人を一定程度ヒール役にすることによって生じるという構図が出来上がる。要するに5人衆にとってこのような構図が出来上がることによってある程度の利益を手にすることになる。果たして何らかのカラクリがあるのか、ないのかである。

 下村博文は森喜朗の派閥に対する影響力は聞いたことがないと一蹴する。寺田は萩生田光一の発言からノルマ超の現金還付・収支報告書不記載は2003年頃からではないかとか、解明の的を外していることにも気づかすにムダな発言をして、ムダに時間を費やし、最後に「時間がきたから終わりますが、真実を少しでも解き明かそうという姿勢がないということは残念です」と自分から幕を下ろすことになる。相手に真実を解き明かすことを求めること自体が間違った姿勢だということに気づかない。自身の追及次第だという覚悟がないのだろう。

 では最後に2024年3月14日の世耕弘成に対する立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を見てみる。

 世耕弘成の弁明。ざっと取り上げてみる。弁明の機会を与えてくれた政治倫理審査会の先生方に感謝を申しあげる。清和政策研究会の政治資金パーティ券売上に関わる還付金問題で国民の政治に対する信頼を大きく毀損したことについて清和政策研究会の幹部の一人として深くお詫び申し上げる。

 謙虚なのはここまで。

 収支報告書作成を始め、清和会の会計や資金の取り扱いに関与することは一切なかった。パーティ券販売のノルマ、販売枚数、還付金額、超過分の還付方法について関与したこともなく、報告・相談を受けていない。安倍会長が亡くなったあとも、私が出席している場で現金還付が決まったり、現金による還付を私が了承したこともない。

 こうしたことを踏まえて、東京地検特捜部が多大な時間と人員を割いて私から事情聴取を行い、関係先を家宅捜索するなどして徹底捜査された結果、法と証拠に基づいて私については不起訴、嫌疑なしと判断された。

 私自身は派閥で不記載が行われていることを一切知らなかった。とは言え、今回の事態が明らかになるまで事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正できなかったことはについては幹部であった一人として責任を痛感している。

 ここからウソつきの本領発揮とくる。不記載に関して一切知らなかったが事実とすると、早期に発見・是正という機会を持つことも恵まれることもないからだ。当然、「責任を痛感」はポーズに過ぎない。

 今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識はなかったため、還付金について深く考えることはなかった。

 深く考えることはなかった、いわば"反省"、あるいは"後悔"は最初の段階として考える対象の是非を深く意識する作用を持ってこなければ、真の"反省"、あるいは"後悔"とはならない。だが、世耕弘成は是非を深く意識する作用を欠いた状態で"反省"、あるいは"後悔"らしきものを持ってくる。当然、中身を伴っていないことになって、口先だけのポーズだからこそできる是非を深く意識する作用を欠いた"反省"、あるいは"後悔"の類いに過ぎないことになる。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります。

 知らなかった、承知していなかったでは問題意識を持つことも、議員側の資金監理団体で収入に計上されていないことに気づくことも、歴代会長に是正を進言することも不可能事であって、不可能事を可能事であるかのように言う。ウソつきの常套句に過ぎない。

 私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります。

 知らなかった、承知していなかった還付金問題に調査を思い立つキッカケなど訪れようがない。当然、事務局の誤った処理の是正を進言にまで進むことはない。現実には実行しなかった話を持ち出して、"痛恨の思い"を披露する。

 ウソの演技もここまでくれば、天才と言える。できなかった事実、しなかった事実をすることができた事実であるかのように尤もらしげに喋り立てる。明瞭なハキハキした力強い言葉遣いと自信に満ちた態度で確信的に話すから、多くの人間が騙される。

 こういった態度・口調もウソ付きの才能の主たる一つで、この才能は清和会実力者に上り詰めるに役立ったに違いない。

 繰り返しになるが、西村康稔の証言が正しければ、安倍晋三は4月22日の会合で、現金還付は不透明な性格のものだと指摘した。にも関わらず、世耕一成はそれ以後、還付金問題について調査をすることはなかった。考えられる理由は安倍晋三と他の幹部が収支報告書不記載を共に共通認識としていた正犯と従犯の関係にあり、安倍晋三死後は幹部同士が臭い物に蓋の共犯関係にあったために調査という選択肢は当初からゼロだったからと疑うことができる。

 蓮舫はこういった数々のウソを突いて、信用できない人間像を印象づけるべきだったが、2022年4月の会合場所はどこか、明らかにしても問題はないことから追及を始めた。頭から一発ショックを与えるという考えはなかったようだ。このことが蓮舫の追及の性格を表すことになる。蓮舫は既に明らかになっている会合出席者の名前を挙げてから、会議内容を手控えのメモを取っていないか、取っていたとしても正直に答えるはずはないことを聞いた。世耕は当然否定した。

 蓮舫がすべきことは会合でどんな遣り取りがあったか、しつこいくらいに記憶を呼び起こさせて、そこに矛盾がないかを嗅ぎ取り、矛盾点を見い出した場合はその点を突いて、表沙汰とした事実を覆し、隠されている事実を炙り出すことだろう。蓮舫は現金還付について話し合ったのはその一回か尋ね、世耕はその一回だけと答え、「話し合ったというよりは安倍会長の決定を伝達され、それを参議院側に伝えてほしいということで呼ばれたというふうに理解している」と、何の問題はないとした答弁で片付けている。

 中止の理由を言わずして、いきなり現金還付の中止を伝達し、参議院側への連絡を依頼するというプロセスはいくら安倍晋三を絶対的存在と位置づけていたとしても、あり得ない状景であるはずだが、蓮舫は「中止の理由はどう述べたのですか」と聞く折角の機会を逃して、なおのこと4月以外の会合に拘り、3月に会合を持った記憶はないかと追及した。世耕は否定し、「残念ながら、私のスケジュール表にも、私の記憶にありませんと」と一蹴した。

 世耕にしても、中止の理由を「安倍会長から指示されたから」のみでは済まないはずで、済むとしたら、中止を伝えた側も伝えられた側も収支報告書不記載なりの何らかの不法行為を共通認識としていなければならない。

 但しマスコミが2024年3月29日付けで一斉に蓮舫の指摘どおりに世耕一成が3月29日い記者団に対して2022年の3月2日に安倍晋三、前衆議院議長細田博之、西村康稔と自身の4人が会合を持ったことを明らかにした。スケジュールを改めて精査した結果だとし、現金還付の議論は否定したと伝えている。

 もし蓮舫が自分の指摘を手柄としたら、自身の小賢しさを証明するだけのことになるだろう。いつ始まったのか、誰が始めたのか知らない、自身は関与していないとするノルマ超の現金還付を2022年の4月の幹部会で安倍晋三に伝えられて初めて知ったのか、その還付が清和会の収支報告書にも議員側の政治団体の収支報告書にも不記載となっていたことを双方の秘書のみが承知していて、議員自体は彼らの言葉通りに関知していないことだったのか、政倫審という事実解明の機会を与えられながら、事実なのか虚構なのか、どちらか一方に整理をつけることが肝心な点で、それが誰もできていないからだ。

 世耕一成は蓮舫が指摘した3月の会合は否定し、「私の記憶では4月上旬の安倍会長が入って唯一話し合いというよりはノルマ通りに売ることにするからという指示を下された。そういう会合だった」と答弁。折角の追及の材料を提供して貰いながら、蓮舫は4月以前に招集されずに4月の会合に突然呼び出されて還付金中止を指示されたのかと否定されたらおしまいとなる表面的な日程に拘った。

 世耕一成が証言している、4月の会合で「安倍晋三からノルマ通りに売ることにするからと指示された」。つまり4月以前はノルマ通りに売っていなかった。2024年3月1日の衆院政倫審での西村康稔の答弁はNHK総合でテレビ放送していたから、蓮舫は参考のために直接か、録画かで視聴していたはずで、西村が「安倍会長に現金の還付を行っている。これをやめると言われて、幹部でその方向を決めた」、安倍晋三のやめる意向を「現金は不透明で疑念を生じかねない」と述べたこととを突き合わせれば、世耕の証言はノルマを超えて売らせていて、超えた分を現金で還付していたことになる点を捕まえて、その場での詳しい遣り取りを聞き質すことによって安倍晋三が初めて打ち明けたことなのか、多分、初めて打ち明けたとするだろうが、例えその時点まで承知も把握もしていなかったことであっても、カネの出入りと収支報告書への記載は相互に関連付けなければならない義務となっている以上、少なくとも4月の会合の時点で、"不透明"としている関係上、清和政策研究会事務局がノルマを超えた分を現金で還付する場合のカネの処理をどの名目で行っているのか、その方法に準拠して各議員の政治団体も会計処理することになるだろうから、派閥の幹部としてどのような名目で処理しているのかを把握しておかなければならない立ち場にいたはずではないかと追及することができたはずだ。

 最低限、蓮舫は世耕一成に清和会事務局が還付する現金に対して収支報告書上の処理をどのような名目で行っていたのか関心を持つことはなかったのかと問い質さなければならなかった。不透明な性格の現金還付としている以上、それに準じて会計処理も不透明な形しているのか、正当な名目にすり替えて、いわば資金洗浄を施しているのか、あるいは現金で保管、裏ガネとしているのか、どちらなのかを迫らなければならなかった。世耕は政治団体、あるいは後援会の代表として不透明な性格の還付された現金に対しての会計処理に無関心であったとすることはできないだろう。

 蓮舫は折角の追及の材料を逃してしまい、次に訪れた追及のチャンスも逃してしまう。蓮舫が8月の幹部会の塩谷の還付廃止で困っている議員たちのために還付が継続されたとする説明と西村康稔の結論は出なかったの説明、下村の記者会見で述べた一定の方向は決めたことはないの説明の食い違いを追及したのに対して世耕はノルマ以上売った議員から返してほしいとの申し出があり、現金還付中止の方針を堅持しながら、具体的に詰めたわけではないが、各政治家個人が開くパーティのパーティ券を何らかの形で清和会が買い、しっかりと収支報告書に出る形で返すというアイディアが出て、それだったら反対をしないという意見を述べた気がしますと証言している。

 下村博文も2024年の1月31日の記者会見である人の意見としてノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとする案を紹介しているが、世耕の「収支報告書に出る形で返す」の物言いにしても、これまでは"収支報告書に出ない形で返していた"ことの証明となる。幹部会合の2022年4月当時、収支報告書に出る形で返す、いわば現金還付を行っていたなら、安倍晋三自身、「現金還付は不透明だから」との理由付けで中止を指示する必要もないし、中止しなければ、若手議員からノルマを超えた分を返してほしいという声も出てこなかったろう。

 当然、蓮舫はこの点を突くべきだったが、突かずじまいにしてしまった。

 世耕が、塩谷の還付継続を決めたとする発言は何らかの資金手当をしなければいけないということが決まったということで、下村の記者会見発言も、塩谷と同じそういうことを踏まえた発言ではないか、大幅に各人の認識が違っているわけではないと説明すると、蓮舫は「若干の食い違いどころでないんですよ」と応じて、現金還付継続を誰がどういう考えで決めたのか拘る質問を続け、世耕はどうするか結論が出たわけではないを繰り返して、誰が決めたのか分からないの堂々巡りが長々と続いた。
 
 4月の会合で安倍晋三から西村、塩谷、世耕、下村博文の4人の幹部対してノルマを超えた分の現金還付中止の指示が出たとなっている。これが真正な事実とすると、当然、4人は安倍派幹部として還付中止を徹底させる責任と義務を負ったことになる。だが、現金還付中止の方向を維持しながら、若手議員のノルマを超えた分を返してほしいという声にどう対応するか、議論しただけで結論を付けないままに終えてしまう、その責任と義務の放棄の結果として現金還付と還付されたカネの収支報告書不記載が継続されることになり、このことがしんぶん赤旗によって長年の慣行としてスクープされ、大学教授によって東京地検に告発されるに至った。

 もし4人の安倍派幹部が還付された現金の収支報告上の扱いが不記載となっていたことが2022年4月、あるいは8月の時点で自分たちの証言通りに知らなかった、承知していなかったが事実とすると、安倍晋三指示に対する責任と義務の不履行は途轍もなく大きな代償となって跳ね返ってきたことになる。

 この点をも突くべき材料となるが、蓮舫にはその才覚はなかった。蓮舫の最後の発言。

 「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 蓮舫の追及にこそ限界があったはずで、気がつかないことは恐ろしいことだが、気がつかなければ自身の追及技術の未熟さの解消はなかなかに望めないことになる。

 安倍晋三が安倍派幹部の塩谷立、西村康稔、世耕一成、下村博文、それに清和会事務局長松本淳一郎を混じえて、安倍派政治資金パーティのパーティ券ノルマ超売り上げ金のキックバック(現金還付)を中止したとされている2022年4月の会合は果たして存在したのだろうか。

 既に紹介しているが、しんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープしたのが2022年11月。そこから神戸学院大学上脇博之教授による東京地検に対する告発が始まり、その1年後の2023年11月に入ってマスコミが報道を開始して、世間に広く知られることになった。

 前記安倍晋三と安倍派幹部との2022年4月の会合と安倍晋三の死後に幹部だけが集まって現金還付の扱いを議論したとされる8月の会合の報道が始まったのが2023年の年末から2024年の年初にかけて。要するに5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載が世間に知れることになった2023年11月からほぼ1ヶ月して2022年の4月と8月の会合が報道され、安倍晋三が現金還付の中止を指示していたという事実が打ち立てられた。ここに何らかの意図が隠されていないだろうか。

 何よりも4月の会合で7年8ヶ月も政権を維持して、それなりの権威を持つ安倍晋三が指示した現金還付中止を所属議員に幹部手分けで連絡したとは言うものの、いわば選挙資金を遣り繰りしている若手議員からのノルマを超えた分のカネを返して欲しいという声を受け、8月の会合で幹部のみで現金還付に代わる手当を議論しながら、色々なアイデアは出たとは証言しながら、しっかりと結論まで持っていくことができずにそのまま放置し、その結果、現金還付と還付されたカネの収支報告書への不記載の違法行為がそのまま続けられていて、幹部自身は知らなかったとする、かつての大親分安倍晋三に対する幹部としての責任と義務の放棄は普段、「政治は結果責任」を口にしているだろうことからしても、幹部が4人も雁首を揃えていたのだから、無責任過ぎるでは追いつかない、考えられない事態と言うしかない。

 会合はどこから洩れたのだろうか。普通に考えると、不利益を被る幹部サイドからではないはずだ。4月、8月の会合の報道が2023年の年末から2024年の年初にかけて開始された時点に立って考えると、もし洩れなかったなら、ノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたことが検察の取調べや報道の調査で突き止められた場合、安倍晋三は連続在任日数歴代1位の名誉を少なからず損なうことになり、一方で幹部たちは自身の知らないところで行われていたことだといい抜けることもできるが、4月と8月の会合の存在を知らしめれば、自分たちは一定程度のヒール役を負うことになったとしても、安倍晋三の名誉を少なからず守る利益を生み出すことができる。

 いわばこういった一方は利益、一方は不利益の構造を演出するための4月と8月の会合は4人の幹部のリークによるストーリー(作り話)だったのではないかと疑うことができるし、さらに現実には存在しなかった演出したストーリー(作り話)だったからこそ、安倍晋三の還付中止の指示を派閥最高幹部が4人も雁首を揃えていながら、徹底できずに有耶無耶にしてしまった不手際、あるいは幹部にあるまじき責任と義務の放棄も説明がつき、現金還付と収支報告書不記載が4月と8月の会合に関係なく続いていた経緯もスッキリする。

 8月の会合でノルマを超えた分を返して欲しいという議員の声に応えるために様々に議論した中の一つ、派閥が政治家個人の政治資金パーティのパーティ券を買う方法は収支報告書に規則通りに記載すれば実行できる案であるはずだが、実行しなかったこと、あるいは派閥からの寄付という形で出して、同じく収支報告書に規則通りに記載すれば、問題なく実行できたのに実行しなかったことも、4月と8月の会合がストーリー(作り話)だったと疑うことのできる根拠となる。

 もし4月と8月の会合が実際に開催されていて、簡単にできるはずのこのような方法で安倍晋三の現金還付中止指示を決着付けていたなら、政治倫理審査会で、「知らなかった」、「承知していなかった」と説明不十分の醜態に追い詰められることもなかったろう。

 西村康稔が3月14日の政倫審で説明した安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金還付中止を周囲に納得させる形で説明づけるためには、不正行為でなかったなら中止する必要は生じないから、不正のニュアンスを欠かすことができないことから用意した表現だろう。このようなニュアンスの表現を使うこと自体が、あるいは使ってしまうこと自体が当初から現金還付だけではなく、収支報告書不記載も知っていたことでなければ、できないことであるはずだ。

 但し政治倫理審査会が開催されることまで予想していただろうか。審査会の開催によって4月と8月の会合が演出した場面だと見たとしても、安倍晋三の還付中止の指示に向けた自分たちの責任と義務の放棄は実際のこととして扱われ、そのことについての説明を満足に付けることができない醜態は演出した場面だからという事情は顧みられることなく、その説明混乱の醜態と責任と義務の放棄の醜態だけを目立たせてしまった点は4人の幹部にとって大いなるマイナスとなって跳ね返ってきたことになる。

 要するにこのマイナスは自分たちの親分である安倍晋三の名誉を守ろうとして作り上げたストーリー(作り話)に対するしっぺ返し、大いなる代償だったと見るべきだと思うが――
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