麻生がマニフェストで言う「責任力」、どこにある

2009-08-02 11:59:15 | Weblog

 7月31日、麻生首相は記者会見して、次の衆議院選挙に掲げるマニフェストを発表した。動画から冒頭の序説部分を取り上げてみる。聞いていて思ったことを一言で言うと、相変わらず誠意のない話し方だな、であった。言葉に重々しさ装わせようと声をことさらに低音に持っていったり、語尾をことさらに伸ばしたり、ときには唇の端を得意気に曲げたりして気取っている間は誠意を身につけることはできない。

 話し方の気取りで自身の思いを訴える姿勢に誠意は芽生えようがないからだ。誠意があれば、話し方など、相手に聞き取ることができる言葉で十分である。誠意がないから、話し方を気取ることになる。気取りが過ぎていいことを喋ろうとする余り、言わなくてもいいことを言って、それが失言につながる。話の対象にされた者を不愉快にする失言が多いこと自体が既に誠意・誠実さを性格として持っていないことの証拠であろう。

 「麻生太郎です。自由民主党のォー、選挙公約を、発表いたします。私がァー、訴えたいことはァー、責任力です。公約にはァー、実現可能なァー、裏づけとォー、一貫性がァ、必要だと思います。自民党にはー、それをォー、きちんとー、お示しし、実現する、力が、あります。他党とのォ、違いは、責任力です。

 公約にはー、マイナスをォー、プラス、プラスをォー、もっとプラスへと、書きました。改めるべきはァ、改め、伸ばすべきはァー、伸ばす。これがァー、政権公約をォー、貫く、考え方です。

 国民のォー、皆さんのー、中には、日本のー、政治に、不安を持ってらっしゃる方が、多いとー、思っております。政府ー、自民党はァー、皆さんへの、気持、配慮が、足りなかったことをォ、率直にィー、認めなければ、ならないと、存じます。

 みなさんのォー、ご不満を、私初めぇー、自由民主党はァー、謙虚にィー、受け止めます。その上で、改めるべきはァー、改め、伸ばすべきはァ、伸ばす。これがァー、自由民主党のォ、姿勢です。

 先ずはァー、改めるのはァ、何か。ここ数年、経済をォー、社会をォー、活性化するために、改革にィー、取り組んできました。しかし、一方ではァー、所得格差がァ、拡大しー、地方がァー、疲弊、するなどォー、ひずみがァー、大きなァ、問題となってきました。これをー、このまま、見逃すことはァ、できません。行過ぎたァー、市場ォー、原理主義から、決別すします、と申し上げました。

 改めるべきはァー、改めてェー、安心社会をォ、実現します。

 私はァー、これまでェ、景気優先でェー、政策をォ、実行してきました。なぜならァ、景気が回復しなければァー、国民の暮らしも、安心できずゥ、またァー、様々なァー、政策をォ、実現するための、財政も、出てこないからです。はなはだァー、異例なことですがァー、半年余りの間に、4度のォー、予算編成をォ、行いました。中小企業やァー、地方への支援、定額給付金、高速道路休日、千円。エコポイント、などなどです。

 これらのォー、取組みのォ、結果、株価はァー、7050円、ぐらいまで下がっておりましたがァー、このところォー、1万円台に回復してきてェー、この1週間、1万円が続いております。

 しかしながら、中小企業のォ、業績や、雇用の造成など、国民のみなさまにィー、景気回復を、実感して頂くまでにはァー、至っていないと思います。いまだ道半ばということです。手綱をォ、緩めることなく、景気回復をォ、確かなものにしていく。これがァ、基本です。

 4度の経済対策に於いてはァ、国民生活の安心にィー、特に、力を入れました。従業員をォー、解雇しないでェー、頑張っているゥ、企業にィ、対してはァー、国がァー、給与や、手当のォ、一部をォ、肩代わりすることによってェ、毎月ィー、約240万人のォ、雇用を守って、おります。失業保険がァー、貰えない方ぁー、そういった方々ぁ、職業訓練に通ってぇ、技術をー、身につけようとする。そういう意欲のある方々にはァ、単身者には月10万円、家族がおられれば、月、12万円をォ、支給しております。

 子育て支援としてェー、妊婦検診をォー、14日分、無料にするためのォー、助成も、行っております。母子家庭についてはァー、安心したァ、仕事に就けるようォー、職業ー、訓練にィー、通ってる方にはァ、月、14万円をォ、給付するなどォ、支援にィ、力を入れております。これらのォ、実績の上に立ってェ、安心社会の実現をォ、お約束します。

 私がァー、目指す、安心社会とはァ、子どもに夢をー、若者には希望をォー、そしてェー、高齢者には安心を、であります。全世代、全生涯を通じて-、安心保障をー、つくります。これをォー、実現するためのォー、政策をォ、加速します・・・・」

 そして、「具体的にはァー・・・・」と具体政策に入っていく。

 麻生の話し方は前段の各文節の最後の言葉の各助詞の語尾をことさらに伸ばして、最後の文節をきちっと言い切るパターンとなっている。それが相手の胸に響く言い方だと思っているのだろうが、言葉をことさらに伸ばし過ぎる点に気を取られることと、それがまどろこしさを与えて、喋り方だけが耳につき、中味が伝わってこない。元々中味の薄い話だから、なおさらである。

 「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」と言っている。

 そして、「日本の政治に不安を持ってらっしゃる方が多いと思っております。政府自民党は皆さんへの気持、配慮が足りなかったことを率直に認めなければならないと、存じます」と言っている。

 さらに「みなさんのご不満を私初め自由民主党は謙虚に受け止めます。その上で、改めるべきは改め、伸ばすべきは伸ばす。これが自由民主党の姿勢です」と言っている。

 次に改める具体的な点に言及している。

 「ここ数年、経済を、社会を活性化するために、改革に取り組んできました。しかし一方では所得格差が拡大し、地方が疲弊するなどひずみが大きな問題となってきました。これをこのまま、見逃すことはできません。行過ぎた市場原理主義から決別すしますと申し上げました」

 「決別します」の断言ではなく、「決別しますと申し上げました」と、断言にワンクッション置いている。以前、「決別します」と言っているのだろうが、政策立案の正式のバックボーンとすることを謳った政治方法論としてマニフェスト公表に絡める以上、「決別することを改めてここに誓います」といったふうに宣言すべきだが、そうはしないでかなり弱めた断言となっているのは、会社経営者出身の政治家らしく、自身も「行過ぎた市場原理主義」に身を置いていて、決別し難い感情があるからではないか。

 いわば「行過ぎた市場原理主義」が国民に大不人気になっていることから、選挙対策上打ち出した「決別」ということだから、断言が直接的ではなくなってしまったということではないだろうか。

 「100年に一度の大不況」以前は小泉自民党政治の市場原理主義に基づいた労働派遣規制緩和の力を借りて大企業は軒並み戦後最高益を出したが、その利益を従業員に還元せず、企業だけが利益の独り占めを行って、戦後最高益の勲章に浸った。企業経営者は万々歳だったはずだし、企業利益を代弁する自民党の幹部の一人として、元々は労働派遣法の規制を緩和した自民党政治のお陰だと麻生太郎も鼻を高くしたはずである。労働者を正社員としてではなく、派遣や請負の非正規社員として人件費を安くして使うことが企業の国際的・国内的競争力を高め、競争力の獲得に応じて利益を生み出す。

 このような市場原理主義を政治政策面から支えた自民党政治家の一人として存在していたはずである。いわば市場原理主義一味であった。一味と言っても、幹部に位置していた。

 元会社経営者としても、政治家としても、それが本質的な姿であり、自身も一味に加わって拍車をかけた行過ぎた市場原理主義政策の行き着いた成果が現在の政治不信・生活不安、社会の不安定でありながら、「日本の政治に不安を持ってらっしゃる方が多いと思っております。政府自民党は皆さんへの気持、配慮が足りなかったことを率直に認めなければならない」とさも謝罪しているかのように見せかけているが、それは「政府自民党」に肩代わりさせた謝罪に過ぎず、一味として加わった自身の責任感から発した謝罪とはなっていない。

 いわば政府自民党から自身を脇に置く狡猾な罪逃れ・責任逃れを手続きとした「マイナスをプラス、プラスをもっとプラスへ」、「改めるべきは改め、伸ばすべきは伸ばす」となっているに過ぎない。

 ここで既に「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」が真っ赤なウソと化す。

 当然、「改めるべきは改める」といった姿勢を示されても、自身の責任を脇の置いた人間の言うことだから、それが「政権公約を貫く考え方です」と言われても、信用しようがない。「改めるべきは改めて、安心社会を実現します」にしても、簡単には修復できないところにまで歪めてしまった今の不安心社会をつくり出した大本の一人が言っていることだから、俄かには納得できるものではない。

 「私が目指す安心社会とは子どもに夢を、若者には希望を、そして高齢者には安心をであります。全世代、全生涯を通じて安心保障をつくります。これを実現するための政策を加速します」も眉唾となってくる。

 多くの国民にとって、麻生太郎が何を言おうと、既に信用できなくなっているのではないだろうか。

 麻生の言う「責任力」が信用できない、見せ掛けの言葉に過ぎない証拠をごく最近のインターネット記事から挙げてみる。

 先ず自民党はマニフェストで「天下りの根絶」を謳っている。

 「天下りを根絶。指定法人、認可法人等の常勤役員については、その数の3分の1超、または65歳以上の所管府省出身者を認めない」(河北新報/2009年08月01日土曜日)

 麻生は7月21日の両院議員懇談会でも、同日解散後の記者会見でも天下りの根絶を主張している。

 「行過ぎた、市場原理主義からは、決別します。社会保障予算のー、無理な削減はやめます。さらにー、徹底したー、行政改革であります。国会議員の削減、公務員の削減、天下り・渡りの廃止。行政のー、ムダをー、根絶しなければなりません。官僚のー、特権はー、許しません。同時にー、自由民主党の、改革もー、疎かにすることはできないと存じます。

 国民からー、厳しい目をー、向けられておりますー、いわゆる国会議員の、世襲ー、候補者につきましても、特別扱いはしません。総裁としてー、党改革実行本部のー、方針を踏まえ、党とー、国会のー、改革をー、進めて参ります」(両院議員懇談会)

 解散後記者会見では簡単に片付けている。

 「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄を根絶します。増税は、だれにとっても嫌なことです。しかし、これ以上に私たちの世代の借金を子や孫に先送りすることはできないと思います。政治の責任を果たすためには、選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません。それが政治の責任だと思います」 (首相官邸HP)

 こう何度も言い、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です。公約にはァー、実現可能なァー、裏づけとォー、一貫性がァ、必要だと思います。自民党にはー、それをォー、きちんとー、お示しし、実現する、力が、あります。他党とのォ、違いは、責任力です」を事実と前提するなら、簡単に実現する「天下り根絶」であろう。

 だが、昨8月1日の「asahi.com」記事――《文科省「渡り」人事発令 総選挙前に駆け込み?》を読むと、「天下り根絶」がかなり実現疑わしい公約となってくる。

 「天下り根絶」が疑わしいと言うことなら、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」も疑わしくなってくるのは当然の推移であろう。

 記事は、文部科学省が公立学校の教職員や都道府県教育委員会の職員らの共済事業を行う文部科学省所管の認可法人公立学校共済組合の理事長に元文部科学審議官で独立行政法人・日本学生支援機構理事の矢野重典氏(61)を充てる人事を決めたというものである。

 この理事長の椅子は歴代、同省OBの天下りの「指定席」となっているという。

 この矢野某は文部省を古巣として独立行政法人・日本学生支援機構理事に天下る前に国立教育政策研究所長を2年8カ月程天下っていて、これが最後かどうか、文部科学省所管認可法人公立学校共済組合理事長という一つの頂点に登りつめる。

 これは記事も触れているが、典型的な“渡り”の構造を成す天下り転職であろう。

 しかもこの共済組合の理事長は文科相が任命すると法律が定めていて、それだけ箔がつき、天下った職場で幅を利かすことができるというわけなのだろうが、塩谷文部科学大臣が任命者となると伝えている。

 文部科学省からはさらに退官したばかりの銭谷真美前事務次官が同じく8月1日付で独立行政法人・国立文化財機構の組織の一つである東京国立博物館の館長に就くことが決まっているという。

 記事は最後に、「同省幹部は『渡りをするなら、総選挙前の今のタイミングしかない』と話す」と駆け込みである内情を伝えている。

 麻生首相が表で「責任力」を掲げて「天下り根絶」を誓う。その内閣の一員が裏で任命者となって天下りの判を押す。尤もマニフェストは政権を取ってから4年間の政策目標だから、厳密に言うと今回発表したマニフェストに違反するわけではないと言えるかもしれない。だからこその「渡りをするなら、総選挙前の今のタイミングしかない」巧妙・狡猾な駆け込みなのだろうが、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」と言っている「責任力」は大分怪しくなって、どこに「責任力」があるんだということになる。

 但し「天下り・渡りの弊害」は古くから言われていた問題であって、自民党がそれを満足に解決できなかったのは、官僚と官僚に味方する政治家の抵抗があったからだろう。08年6月30日に可決・成立、08年12月31日施行の「改正国家公務員法」は再就職の斡旋を新しく設置する「官民人材交流センター」に集約して渡りを含む省庁の斡旋を禁止したが、センターが機能するまで3年間は再就職等監視委員会が承認の運びとするところを民主党が国会同意人事に反対、同委が宙に浮くと、麻生首相は渡りを禁止する方針を打ち出していたものの、経過措置として「必要不可欠と認められる場合」に渡りを行い得るとした「政令」を閣議決定して、ここで麻生首相は天下り・渡り容認派の姿を現した。

 その証拠が麻生の次の発言である。

 「渡りが出る確率は極めて低い・・・・(例外的に認める場合でも)渡りが何回も行われることは考えていない。・・・・(例外規定とした理由)国が大事に育てた人材で経験は極めて高く評価される。『ぜひ』という声が出た場合、それを拒否するのはいかがなものか」 (日刊スポーツ09.1.9)

 「渡りが何回も行われることは考えていない」が天下り・渡り容認の象徴的な言葉となっている。1回や2回はいいと言っているのである。

 08年9月29日の第170回国会の「麻生内閣総理大臣所信表明演説」 でも天下り・渡り容認派の姿をはっきりと見せている。

 「行政改革を進め、ムダを省き、政府規模を縮小することは当然です。

 しかし、ここでも、目的と手段をはき違えてはなりません。政府の効率化は、国民の期待に応える政府とするためです。簡素にして国民に温かい政府を、わたしはつくりたいと存じます。地方自治体にも、それを求めます。

 わたしは、その実現のため、現場も含め、公務員諸君に粉骨砕身、働いてもらいます。国家、国民のために働くことを喜びとしてほしい。官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません。しかし、信賞必罰で臨みます。

 わたしが先頭に立って、彼らを率います。彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」(首相官邸HP)――

 麻生が「官僚とは、わたしとわたしの内閣にとって、敵ではありません」と表現することで、天下り・渡りを容認したのである。もし麻生太郎が天下り・渡りに厳しい姿勢を示していたなら、当然官僚の抵抗を予定事項としなければならない必要上、「敵ではありません」は危機管理を欠いた間違った表現と化す。

 例え「彼らは、国民に奉仕する政府の経営資源であります。その活用をできぬものは、およそ政府経営の任に耐えぬのであります」と活用を訴える必要から「敵ではありません」としたのだとしても、天下り・渡りの問題は別個に扱っただろう。

 だが、この所信表明演説では一言も天下り・渡りについて触れていない。「国民に奉仕する政府の経営資源であり」ながら、天下り・渡りを通じて、国の「資源」を損なっている一部官僚の存在であるにも関わらず何らの言及もない。

 こういった認識が麻生の頭の中には毛程もない天下り・渡り容認派だから、触れないで済ますことができる。

 自民党がその弊害が叫ばれてきたにも関わらず、これまで天下り・渡りを容認してきたのは、政治家の無能を補って、政治家としての体裁を一通り維持してくれるその貢献に対するご褒美として位置づけているからではないだろうか。

 もし天下りも渡りも認めなかったなら、政治家だけが政治献金・口利きを駆使していい思いをし、官僚に対してはやらずぼったくりとなって、自分たちの無能を補う便利とならない恐れが出てくる。

 このように麻生も深く関わっている天下り・渡り問題を一つ取っても、「私がァー、訴えたいことはァー、責任力です」は実体を伴うことのない単なる言葉に過ぎなくなってくる。

 最後に、「私はこれまで景気優先で政策を実行してきました。なぜなら、景気が回復しなければ、国民の暮らしも安心できず、また様々な政策を実現するための財政も出てこないからです」と言っているが、これは上をよくして、下を上に従わせる権威主義の衣を纏わせた“景気回復先にありき”のハコモノ観からの景気対策であろう。

 優先順位をつけずに「国民の暮らし」が安心できる方策をも併行させて景気を回復させていく対策を講じなければ、企業だけが利益を独占し、一般国民は利益の配分から外された戦後最高益時代に後戻りする危険性を抱えることになるのではないだろうか。

 私自身は、「景気が回復しなければ、国民の暮らしも安心できず」の麻生の考え方に国民に対する「責任力」を見ることはできない。自分たちが壊した国民の生活でありながら、景気回復を前提として、国民の暮らしの安心を次に持ってきている。何のために不況下に於ける「セーフティネットの必要性」の議論が盛んに行われたのか、その意味を失う。


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