日本の暗記教育制度から見る大震災大川小学校の悲劇

2011-09-17 12:19:20 | Weblog

 津波で70人もの子どもを一度に死なせてしまった宮城県石巻市立大川小学校の悲劇を含めて多くの児童・生徒の犠牲者を出したことを反省し、彼らを各種自然災害から救う教訓とするためにだろう、文部科学省の有識者会議が学校の防災教育の見直しを諮り、9月7日、提言の中間報告骨子を纏めたとWEB記事が伝えている。《危険予測と回避の教育を提言》NHK NEWS WEB/2011年9月7日 16時37分)
 
 学校内に子どもがいる時間帯に発生した東日本大震災は600人を超える児童・生徒と教職員の犠牲者を出したと記事は書いているが、〈生徒自らが想定された避難場所を危険と判断し、安全な場所に避難して助かった例があった一方、津波の被害が想定されていなかった学校では、避難の判断が遅れ、多数の犠牲者が出た〉ことを参考に、〈学校では年齢に応じて日頃から避難の心構えを指導し、想定を超える災害に直面しても、子どもが自ら危険を予測し、回避する能力を高める防災教育が重要〉だと報告書は指摘しているという。

 さらに、〈災害時の子どもの引き渡しについては、保護者との間でルールを決め、場合によっては子どもを引き渡さず、保護者と共に学校にとどめる対応も必要〉だと提言しているという。学校の判断を優先させる可能性の指摘であろう。

 記事は会議の座長の発言を伝えている。

 渡邉正樹東京学芸大学教授子どもには、自分で考え、避難する力を身に着けてほしい。この報告を参考に学校で取り組みを進めてほしい」

 何のことはない。「子どもが自ら危険を予測し、回避する能力を高める防災教育」の必要性にしても、座長の「子どもには、自分で考え、避難する力を身に着けてほしい」の言葉も、『総合学習』がテーマとした能力を身につけよと言っているに過ぎない。

 既に広く知られているが、総合学習(正確には「総合的な学習の時間」?)がテーマとした能力とは、文部科学省のHPに書いているが、「変化の激しい社会に対応して、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることなどを狙いとする」ものであって、そのような資質・能力は、「思考力・判断力・表現力等が求められる『知識基盤社会』の時代に於いてますます重要な役割を果たすものである」と高らかに謳っている。

 基本は解決を必要とする問題を他人に頼らずに自分で学び、自分で考えて、どうすべきか自分で判断し、自らのその判断に従って行動する、あるいは自らのその判断に従って決定するということであり、そういった自己決定性の要請である。

 文部科学省の有識者会議でも学校の新たな防災教育として『総合学習』がテーマとしていた能力である自己決定性の涵養を求めたということであろう。

 だが、ここに矛盾がある。文科省は『総合学習』に敗れ、撤退し、暗記式詰め込み教育に再上陸したのである。

 敗北した原因は文科省と教師、親にある。2009年11月30日当ブログ記事――《NHKクローズアップ現代/「言語力」(1)-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》、その他の記事に何十回となく書いてきたが、『総合学習は』は2000年から段階的に導入された。それ以前に文部省(当時)が発表した段階で授業が学校の自由裁量に任されるのは画期的なことだと持て囃されたものの、自由裁量に反して「何を教えていいのか、示して欲しい」と校長会などから文部省に要望が相次いだため、文部省が「体力増進」、「地域の自然や文化に親しむ」等を例示すると、各学校の実践が殆んどこの枠内に収まる右へ倣えの画一化が全国的に起こった。

 要するに学校・教師自体が第三者に頼らずに何を教えたらいいのか、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力を持ちあわていなかった。考える力がなかった。

 学校・教師だけではない。『総合学習』と従来からの詰め込み教育の反省からの『ゆとりの時間』の導入で学力と言われる、単に暗記知識を試すだけのテストの点数となって現れる成績が外国と比較して下がったと親たちも騒ぎ出し、詰め込み式の暗記教育への回帰を求めた。

 暗記教育とは常々権威主義教育の言い替えに過ぎないと言っているが、上に位置する教師が下に位置する生徒を教科書と教科書付属の参考書で得た自らの知識を絶対として生徒の知識として無条件に従わせて(=なぞらせて)暗記させ、下の位置にいる生徒は上の教師の教える知識を絶対とし、教え込む教師の知識をそのままに従って(=なぞって)自らの知識として暗記する構造の教育のことを言う。

 暗記教育と権威主義が同じ構造を取っているのは権威主義の思考様式・行動様式が日本人の思考様式・行動様式となっているからに他ならない。

 簡単に暗記教育・権威主義教育を説明すると、教師が生徒に答を出してやる教育である。一見テストで考えさせているように見えるが、暗記の引出しからうまく取り出して答に当てはめていけばほぼ解決がつく構造となっている。ときには設問自体が捻ってあったとしても、暗記の応用の範囲で片がつく。

 逆に『総合学習』とは教師が生徒に答を考えさせる教育のことをい言う。生徒自身が答を考えることによって、そのような習慣が身についたとき「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定性の能力が備わっていくことにつながっていく。

 だが、教師・学校は自ら考える能力を持ち合わせていなかったために文部省に『総合学習』の進め方の答を出して貰い、教師・学校は文部省が出してくれた答にそのまま従って(=なぞって)、それを生徒に対する答とした。

 ここには自発性・主体性の構造は一切なく、従属性の構造しか見ることができない。養うべきは自発性・主体性としてある自己決定性であると言うのに。

 当然、どの段階に於いても考えるプロセスを見い出すことは不可能となる。それぞれが暗記教育・権威主義教育の構造を血とし、肉として、そこから逃れられないでいたからである。

 『総合学習』をもしよりよい形で定着させることができていたなら、生徒は答を自分から考えることによって、自己思考性が備わり、考えた答と答を結びつけて発展させたり、応用したりする発展型・応用型の自己決定性へと自ずと進み、自分から知識を拡大させていく。すべてとは言わないが、その殆んどが自分の力による自己思考性であり、自己決定性と言える。
 
 この自己思考性・自己決定性が育み、拡大させた知識は答が一つと決まっているテストの解答とは自ずと性格を異にする。自分で見い出した答は十人十色であっても当然だからだ。

 『総合学習』が根づき、花開くまで辛抱強く待てずに従来の暗記教育が求める画一的な答しか出さない学力が下がったからと世間の親や教育関係者が大騒ぎし出し、反乱を起して暗記教育に回帰させた。

 にも関わらず、防災教育に於いて「子どもが自ら危険を予測し、回避する能力を高める防災教育」が必要だ、「子どもには、自分で考え、避難する力を身に着けてほしい」と矛盾したことを求める。

 上記NHK記事が〈津波の被害が想定されていなかった学校では、避難の判断が遅れ、多数の犠牲者が出た〉と書いていた学校とは大川小学校のはずだが、防災教育が『総合学習』がテーマとした能力である自己決定性を求めている以上、気づいているかどうか分からないが、その背景に暗記教育を対立項としていなければならないはずだ。

 学校でせっせと暗記教育を施していながら、防災教育のみ『総合学習』式に自己決定性を求めたとしても、『総合学習』自体が失敗したように失敗する可能性が高い。

 暗記教育を対立項としなければならないのは大川小学校の悲劇がまさに暗記教育の行動様式・権威主義の行動様式によってもたらされたからで、対立項としていなければ、どのような教訓ともならない。

 9月14日木曜日午後7時半からNHKクローズアップ現代「巨大津波が小学校を襲った~石巻・大川小学校の6か月間~」がこのことを教えてくれる。

 放送題名の「6か月間」というは子どもが助かった家庭と子どもを死なせてしまった家庭との間にわだかまりが生じ、それを乗り越えて、同じ悲劇を起してはならない、この問題をウヤムヤにしたら、第二の大川小学校が出る、この子たちの死を無駄にして欲しくないと手を携えて原因究明に乗り出す親たちの今日までの月日を指している。

 ここでは子ども避難のために教師が取った行動様式が暗記教育の行動様式であり、権威主義の行動様式であるということだけを取上げる。

 津波が襲う前の大川小学校は、多分体育館なのだろう、円形の大型の建物を抱くようにして半円形を描いた鉄筋コンクリート製の2階建ての素晴らしい建物だが、避難のための教師の自己決定性がまるきり機能しなかったことに反した立派な建物はハコモノでしかなかったことを示している。

 中身の教育が生きて、建物は初めてハコモノであることを脱することができる。
 
 被害を受けた後の校舎は映像で見る限り、円形の太い柱と壁は残っているものの廃墟そのものの姿を曝している。

 先ず大川小学校は北上川の傍に位置し、海から5キロ程内陸に位置しているという。因みに津波は北上川を海岸線から10キロ以上遡ったという。

 だが、大川小学校一帯は過去に一度も津波に襲われた経験がなく、石巻市のハザードマップの浸水域の対象外であった。そのため大川小学校は津波襲来を想定せず、津波に備えた避難のマニュアルを作成していなかったばかりか、大川小学校自体が緊急時の避難場所に指定されていて、地域の住民も津波が来るという意識はなかったとしている。

 津波が大川小学校に到達するのは地震発生から50分後。

●3月11日午後2時46分、地震発生。石巻市を震度6強の激しい揺れが襲う。

 子どもたちは直ちに校庭に避難。避難場所となっていたために保護者やお年寄りまで次々と駆けつける。

 5年生の男子(当時)「子どもたちが引き取られる前に先生たちが名前を書いてから行ってくださいって言って、何人かの保護者が『そんなこと書いていられない』って言って、子どもたちを無理やり連れて行って――」

 全員が筆記道具を持っているわけではないだろう。一つを使いまわしていたら、相当に時間がかかる。ここに学校の規則を絶対として、それに杓子定規に従おうとする権威主義の行動様式を窺うことができる。

 6年生女子(当時)(校庭に出たとき、10メートルの大津波が来るというラジオのような音声をいいたという)「津波がその高さでこっちまで来るかもしれないって、津波が来たらどこへ逃げればいいって全然分かんなかったんで、だからずっと恐怖、こわーいことばっかりですね」

●津波到達27分前――3時10分頃。

 川の異変に気づいていた保護者がいる。1年生の孫を迎えに学校とは対岸の道路を車を走らせて、学校に向かっていた40~50代の女性。川の水位が異常に下がっているのを目撃。

 女性「日頃より半分ぐらいはなかったですね。底に水は見えたんですけども、でも異常に水がないので、あ、これは大変だ、津波が来るなーと」

●津波到達12分前――3時25分頃。

 学校の前を通った市の広報車が「津波が海岸の松林を越えてきたので、高台に避難してください」と警告して走り去る。

 大川小学校のマニュアルは「第一次避難場所」となっていたのに対して「火災・津波・土砂くずれ・ガス爆発同で校庭が危険なとき」の「第二次避難場所」として【近隣の空き地・公園等】と記されているのみ。

 子どもたちをどこへ避難させればいいのか、教師や住民たちが急遽2カ所を検討。一箇所は校庭から歩いて1分程の裏山。子どもたちはシイタケ栽培の実習等で登っていた。

 もう一箇所は学校から3分程の橋や堤防と同じ高さの交差点で三角地帯と呼ばれている場所。先程登場した5年生の男子。
 
 5年生男子「どこに逃げるとか、山さ逃げよう、いや、お年寄りがいるから、三角地帯だとか、山に逃げた方がいいとか言ったり。お年より逃げにくいから、やっぱ三角地帯だとか言って、物凄く不安で、やっぱ、おいは(俺は)山に逃げればいいのになあーって」

 その場にいた教師と大人たちの何人かは市の広報車が「津波が海岸の松林を越えてきたので、高台に避難してください」と警告した言葉と地震の揺れの大きさを考え併せて共に頭に記憶して的確な解釈を施し、的確に判断して的確に解決することができずに、津波が襲うはずはないと過去の経験に半ば囚われていた。

 多分、市の広報車が「高台に避難してください」と知らせて走っていったから、市を上に置いた権威主義の行動様式から一応それに従おうといった軽い気持でいたのかもしれない。

●津波到達7分前――3時30分頃。

 その時間、4年生の娘を学校から引き取って車で三角地帯近辺を走らせていた母親が堤防を越えて川の水が溢れているのを目撃。

 母親「ああ、ヤバイ。もう多分だめだと思いましたね。あの、ちょうど信号のところですね、。三角地帯の。とにかく水がザブザブ入っていたのが見えたので、(学校の隣の)間垣(地区)の方に」

 市の報告書では学校の避難開始時間は3時25分、津波到達の12分前とされている。

 だが、NHKは新たな証言を得たとしている。

 小野寺絢さん、職場にいた彼女に代って妹が3人の子どもを避難。家を出たとき、妹が携帯電話で確認した時刻は3時35分。(津波到達の2分前)学校の前を通ったとき、まだ避難は始まっていなかったと言っているという。

 結局学校が判断した結論は山ではなく、三角地帯。津波避難の常識である高台、もう一つの判断場所である裏山ではなかった。津波が川を遡上するという認識がなかった。あくまでも過去の経験を絶対として、津波は来ないとしていた。来たとしても過去の経験を優先して、それに従う形でたいしたことはないと権威主義の思考様式・行動様式に則って判断していたに違いない。

 高台である裏山を判断しなかったことの切迫性の欠如がこのことを証明している。

 大川小学校全校児童108人のうち70人が亡くなり、現在も4人の行方が分からない。当時学校にいた教師も11人うち10人が亡くなったり、行方が分からないでいるという。

 今回の震災を機に文部科学省が設置した防災教育に関する会議の委員で、長年防災教育に携わっている兵庫県舞子高校教諭諏訪清二氏を紹介したあと。

 森本健成キャスター「諏訪さん、ちょうど半年となる(9月)11日に大川小学校を訪ねられたということですが、今回の悲劇をどう受け止められていますか」

 諏訪清二「大川小学校の祭壇のある場所に立って周りをずっと見回すとね、例えば、なぜこの山に逃げなかったかな、っていうようなことを考えたりはするんですけども、一番考えているのは、結局これは日本の防災教育の限界だろうということなんですね。

 つまり、津波が来ないという想定があって、その想定に従って、マニュアルを作って、そのとおりに動けばいいとして、そのとおりに動いた結果が、これだけの悲劇になってしまった。

 それから(「それ以後」ということか)、私は、その、防災教育の限界っていうのを強く感じましたね」

 一度作成したマニュアルを絶対として、自分で判断せずに判断をマニアルが決めてあることに預ける。マニュアルに決めてあるとおりに従おうとする。この思考構造からマニュアル人間、横並び人間が派生している。

 すべて『総合学習』が求めていた「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」自己決定の行動を取ることができず、教えられたことを教えられたとおり暗記し、暗記した知識を暗記した知識なりに行動に当てはめていく暗記教育の行動様式、権威主義の行動様式を選択した。

 当然、諏訪氏が言っている「防災教育の限界」とは暗記教育の限界、権威主義教育の限界でなければならない。

 この限界を断ち切るためには時間はかかるだろうし、暗記式の知識を当てはめていくだけのテストの評価でしかない学力は下がるだろうが、自分で考えて自ら答を見出していくことで他人のものではない、自分のものとなる知識を培い、拡大していく能力の養成を目的とした『総合学習』教育に再回帰すべきではないだろうか。

 モノづくりの才能は長けているが、独創性に欠けると言われている日本人の資質も暗記教育を得手としていて、『総合学習』を苦手としていることから起こっている現象であろう。暗記教育は他人から教えられた知識を土台にそれら知識の暗記の積み重ねを構造としているように、モノづくりも既にあるモノを土台に暗記した知識をあれこれ当てはめて改良の積み重ねを行うことを構造として獲得可能な技術である。純粋に自身の考えを基にして発展させる技術とは言えない。

 最後に書き忘れの追加。6月4日、遺族の求めに応じて開催した石巻市の説明会。

 男性保護者「大川小学校?日本全国で(学校)管理下に於いて70何人も死んでいる。たった一校で、その原因を知りたいです」

 石巻市長「それは自然災害に於ける宿命だと思います」

 男性保護者「宿命?」――

 番組はここまでしか伝えていない。

 市長の発言は原因究明に蓋をするものだが、ここにも権威主義意識が働いている。自然災害に対してどう判断すべきだったか、他の判断はなかったか、あの判断しかなかったのか、人間の判断の可能性――いわば自己決定性を検証するのではなく、逆に人間の判断の可能性・自己決定性を遮断して、自然災害を人間が打ち克つことができない絶対的現象に位置づけ、無条件に従おうとする権威主義の姿勢である。



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